「レイプ神話」での性的動機 (8) 支配欲説ふたたび

あ、そうそう、「レイプ神話」については杉田聡先生のこの本がある。

ちょっとクセがあって、私とはいろいろ見方がちがう先生だけど、こういう文献調査させるとかなりの方です。ちゃんとした哲学者。えらい。書籍になった一部は、 http://ci.nii.ac.jp/naid/110006455495 で読めます。詳しすぎるかもしれないけど価値がある。今回わすれてて言及してませんが、だいたい同じような話のはずです。(個々の論点とかについては異論があるんですが、それはまあまた)


ブラウンミラー先生なんかの支配欲説についてはうまく書けてないのでもういっかいまとめておくと、先生たちの言いぶんは、性欲ではなく、あるいは性欲というよりはむしろ、支配欲がレイプの原因なのだ、ってものね。で、性欲は基本的に動物と共通してもってる自然的なものだけど(かつ人間特殊な文化的なものでもある)、男性の支配欲は、歴史的文化的に成立したものであり、もっぱら社会のなかで学習される、ってな含みがある。また特にブラウンミラー先生の場合は、男性の女性に対する支配は、一人の男性の一人の女性に対する支配ではなく、男性グループの女性グループに対する支配である、ってなところに力点が置かれている。まあ歴史的・文化的に男性グループは集合的に女性グループを支配する必要があって、それが現在のレイプ文化を作りあげてる、ってな感じ。個別の男性は女性を支配し獲得するためにレイプするわけだけど、それと同時に、女性が男性にレイプされる危険性があるということが、女性がレイプしない男性の保護をもとめてその支配のもとにおさまる理由にもなってしまってます、みたいな。

まあ実際女性は危険からの保護を求めて男性とおつきあいすることもあるみたいで、男性もそれを知ってるから「君を守りたい」みたいなのがまあ口説き文句になるわけですよね。体でかい男性とかやっぱり女性に好まれるんだけど、それはなんか物理的に安心する、みたいなのもあるみたいねえ。とにかく強くたくましい男はいいもんのようです。

それはとにかく誰かを守るためにはその人が危険にさらされてないとならない。だからレイプとかはしないよって言ってる男性も、実は社会でレイプがおこなわれていることから利益を得ていて、それが社会がレイプに寛容な理由だ、というわけですわ。

んで、グループっていう方を考えた場合、個別のレイプ犯が男性グループ全体のためにレイプする、なんてことはありそうもないですね。誰もそんなこと考えてないと思う。レイプ犯は男性から非常に嫌われているし、女性の近親縁者とかから復讐に襲われて殺されるまで覚悟しなきゃならん。ジョン・アーヴィングの『サイダーハウスルール』で、主人公の姉が体育会系のやつにレイプされたってんで学校中の不良連中が犯人を追い込む、みたいな話があったような記憶がありますが、まあそういうもんよね 1)これ、あとでその姉はその犯人とつきあったりしてなんかいろいろ複雑でおもしろいんですが。アーヴィングの小説は80年代ぐらいでのアメリカのセックスにまつわる各種の問題をあつかっていてどれもおもしろいです。 。男どうしの絆を深める集団レイプ(フラタニティーレイプ)みたいなのはまた別の類型だけど、なんにしても男性が他の男性のためになんかする、なんてのはまあちょっと考えにくい。男性のあいだの関係は、女性が思ってるよりもっと競争的で敵対的なものです。グループのなかでさえ上下関係をめぐって常に駆け引きしている感じ。ヤクザ映画見るとわかる。 2)ていうか横にそれるけど、そもそも男性がピンで自分の縄張りじゃないところで女性をめぐって行動するだけでものすごい危険性があるんよね。これは女性には想像がつかないかもしれないけど、海外や旅先だけでなく、常連ではない飲み屋やバー、ダンスクラブ、そういうところでなにか行動するっていうのは男性にとっては非常にリスクが高い。まあ余計なこと書いたな。

そういうわけでレイプ犯が他の男性*のため*、あるいは男性グループのためにレイプするっていうのはちょっとありそうにない。でも、「守る君」するためにレイプに対して寛容な態度をとり、また全体として男性に支配的になるように文化的な教育がおこなわれている、っていう点についてはどうだろうか。

「男性は攻撃的・支配的であるべきだ」っていう通念っていうのは、たしかにまあだいたいの文化にも共通に見られるようですわね。それはおそらく、上で述べたように、男性の間では常に競争と戦争がおこなわれていることから来ている。自信のない男はどの文化でもモテないし、自信やある程度の攻撃性がないとなめられてひどいめにあうのが男性の社会。これもヤクザ映画見ましょう。我々はそういうのを知っているから、子供には自信をもち、あるていど攻撃的であることを教えたいと思う。母親でさえそう思うんじゃないっすかね。

ただどの程度攻撃的・支配的であるのが適当かっていうのは時代や文化によってずいぶんちがっていて、まあ現代日本とかはあんまり攻撃的なのは好まれませんわね。一夫多妻の文化とかでは、男性はより支配的でありリスクをとる勇気をもつことが求められるっぽいらしいです。これはやっぱりそうした攻撃性や支配力やリスク愛好が、女性の獲得と密接に結びついているからですわね。これもヤクザ映画見ましょう。ははは。でもそういう文化でも、少なくとも自分の共同体のメンバーに対するレイプは非常に忌避され、非難され、罰せられているわけですわ。

まあ仮に、この「支配欲は社会的に教えこまれている」っていうのを認めたとしますよ。我々はほんとうは支配欲なんかもってないけど、そう教えこまれているから支配欲をもつようになり、それがレイプに結びついているとします。

ここで、ソーンヒル&パーマー先生はおもしろいことを言ってます。

レイプについての社会科学的説明(注:レイプは社会的に教えこまれた支配欲が原因)が広く受け入れられた裏でイデオロギーがどれだけ大きな役割を果たしているかは、ためしに、別のイデオロギーを含む仮説がどういう反応を引き起こすかを想像してみれば、すぐにわかる。自分のイデオロギーとは正反対のイデオロギーを含む説明を提示されてみれば、「人間は白紙の状態であり、文化によって教えられたとおりに感じる」などという仮定が間違いであることが、はっきりわかるのである。すなわち、レイプに関する社会科学的説明には明らかに、「女性は、そう感じることを文化によって教えられた場合にのみ、レイプを忌しい体験だと感じる」という内容が含まれているわけだから、レイプが社会的問題であるのを解決するためには、なにも、レイプ自体を根絶する必要はない。社会科学的説明の仮定に従うなら、女性たちに、レイプは素晴しい体験だと教えさえすれば、それは問題でもなんでもなくなるのだから。もしこのような説明がばかげていると感じるのであれば、そのもとになっている仮定自体が間違っているということになる。人間の女性は明らかに、そう教えられればレイプを望むようになるといった可塑性はそなえていない」(『人はなぜレイプするのか』p.283、本文に強調あるけど面倒だから省略)

まあこの先生たちの言い分がフェミニストたちにフェアなものかどうかっていうのは微妙なところがあるのですが、なんでも文化的影響であり、我々の欲求は文化によってどうにでもなる、みたいな考え方はまずいです。んじゃ我々の欲求に対する文化の影響とはどのようなものだろうか、みたいになってくると、かなり難しい話になりますね。私にはちょっと扱えない。でもまあ、「レイプの原因は支配欲」って言っても、あんまり社会の改善にはならんかもしれんのです。


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1. これ、あとでその姉はその犯人とつきあったりしてなんかいろいろ複雑でおもしろいんですが。アーヴィングの小説は80年代ぐらいでのアメリカのセックスにまつわる各種の問題をあつかっていてどれもおもしろいです。
2. ていうか横にそれるけど、そもそも男性がピンで自分の縄張りじゃないところで女性をめぐって行動するだけでものすごい危険性があるんよね。これは女性には想像がつかないかもしれないけど、海外や旅先だけでなく、常連ではない飲み屋やバー、ダンスクラブ、そういうところでなにか行動するっていうのは男性にとっては非常にリスクが高い。まあ余計なこと書いたな。

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