「レイプ神話」での性的動機 (1) レイプ神話って何

重大な性犯罪が起きると、きまってSNSには「レイプが性欲によるものだというのは神話」「レイプ神話はいまだに社会にはびこっている」「レイプは性欲が原因ではない、支配欲が原因」みたいな書き込みがなされて広まるっていう傾向があるように思いますが、これはちょっとどうかという感じです。

この「レイプ神話」については最近ちょっと文章書いたので、その一部を貼っておきます。

1960年代後半からのいわゆる第二派フェミニズムの最大のテーマの一つが、女性に対する暴力、特に性暴力の根絶である。 先進国での1960年代の「セックス革命」以降、青少年が多彩な性的な関係をもつことは珍しいことではなくなったが、それは同時に女性を性暴力に晒すことにもつながった。1975年のマックウェラーの『レイプ:異常社会の研究』は1960年代の犯罪学の成果から、性犯罪の実態を広い読者層に知らせ、またブラウンミラーの『レイプ・踏みにじられた意思』は、性犯罪は、男性優越社会での体系的・制度的な女性に対する性暴力の一部でしかないと論じた(MacWellar 1975; Brownmiller 1975)。彼女たちは、性暴力に対する誤解と偏見を「レイプ神話」として告発した。

「レイプ神話」のリストはさまざまなバージョンがあるが、とりあえずマックウェラーがあげているものを確認しよう。 神話によれば、(M1)男性の欲求不満がレイプの原因であり、(M2)レイプは衝動的におこなわれる、 (M3)女性の(自覚的・非自覚的)性的なアピールが原因である、女性が誘惑している、 (M4)犯行の現場では物理的な強制・暴力が使われ、被害者は重傷を負う、(M5) レイプは「見ず知らずの加害者」によっておこなわれる、 (M6)犯行は比較的短時間のうちに、(M7)屋外でなされる (M8) 女性はレイプされたいという隠された願望をもっており、女性の「ノー」はその願望の表明である。 つまり神話によれば、レイプは物理的な力づくの強制や暴力を使用する犯罪であって、同意のない女性はそれに抵抗するためになんらかのケガを負うのが当然であり、逆に、抵抗やそのためのケガの証拠がなければレイプではない、むしろ女性は強引にセックスされたいという隠された願望をもっており、女性が抵抗しなければそれは同意の「イエス」の十分な印であり、また女性の「ノー」でさえしばしば「イエス」を意味するとされるのである。

しかし実際には、(F1)レイプ犯の多くにはセックスパートナーとの性生活をもっている、(F2)多くの加害者は多かれ少なかれあらかじめ犯行の計画を立てている、(F3)被害者選定にあたっては、被害者の性的アピールはさほど重視されていない、(F4)被害者は恐怖などのためにほとんどなんの抵抗もできず、それゆえ傷を負うことはそれほど多くない、(F5) レイプの加害者は多くの場合被害者の顔見知りであり、配偶者やボーイフレンド、職場の同僚といったよく知っている人々の場合が少なくない、(F6)犯行は実際には被害者・加害者の自宅あるいは宿泊施設等でおこなわれ、(F7)また事前に長時間にわたる会話や説得、押し問答などが行なわれる場合が少なくない、(F8)レイプや強引なセックスに関するエロティックな空想を好む女性は存在するものの、現実にそれがおこなわれることを欲求することはない (MacKellar 1975)。

重要だったのは、こうした性犯罪の実態を見るならば、性犯罪・性暴力は、人々の通念におけるものや、犯罪統計に現れるよりもずっと日常的なものであることが理解されるようになったことである。顔見知りやデートする間柄での性的な攻撃や強制、あるいはセックスの無理強いも、「赤の他人に突然襲撃される」というそれまでの通念での赤の他人による暴力的なレイプと同様にレイプである、と意識されるようになった。こうした性的暴行の実態に関する議論は、小倉千加子『セックス神話解体新書』(小倉 1988)などで紹介され、国内でもよく知られるようになった。

M2〜M8はいいんですが、M1、つまり今回書いてみたい「レイプは性欲によるものだ神話」はいろいろ議論があるところなんですよね。続きます。

ちなみに、この件については、動物的道徳日記の「『ガリレオの中指』、『人はなぜレイプするのか』、学問における事実とイデオロギーの関係」もおすすめ。

 


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