1228の連用日記


2023/12/28 (木)

前回から一月半での2回目なので、だいたい進行はわかっていて余裕がある。

通夜みたいなやつ。経験があるのでさほど問題なく終る。


2022/12/28 (水)

採点。昼過ぎに終り。次は卒論。

粕汁を作ってみるが、酒粕を入れすぎた感じ。次はうまくつくれるはず。

足の指の間がやばいことに気づく。薬ぬりぬり。


2021/12/28 (火)

レッスン。この前の音源を聞いてもらっていろいろよいアドバイスをもらう。まあしかしジャズはむずかしい。私は別にジャズ、というか流麗なアドリブを演奏したいわけではないのよね。

積み残しの仕事の確認。家の掃除。以前に比べると作業量が少なくすんで、それなりに秩序ある生活をしているのだと思う。もっと早くこの程度はできるようになっていたらよかったのに。

久しぶりにキェルケゴールとかめくったり。何言ってるかわからんよな。他の人々もわからんと思う。

オモチャのトロンボーンがほしいと考えている。でももちろん買ってはいかん。


2020/12/28 (月)

耳鼻科へ。実は寝てるときに「…………、がはっ」っとかなる(自分でも意識できる)ので、睡眠時無呼吸なんとかっていうやつ心配で検査受けたのだが、さほどの症状ではないとのこと。まあ自分のメンテにも時間つかわないとうっかり死んでしまったりするだろうし。

Amazon無料などで手塚治虫を読んだり。『I.L』『地球を呑む』『ネオ・ファウスト』あたり。ほんとに巨大な人だな。

掃除続行。台所はかなりよくなった。まあ台所さえなんとかすればあとはたいしたことがない。

寝る前に『マルテの手記』。こういう作品なのか。


2019/12/28 (土)

禁煙。

失敗。

某校正を出す。三校なのにまだ恥ずかしいミスが残っていてつらい。以後校正はお金払ってでも自分でやらないようにしたい。


2018/12/28 (金)

かなり冷える。雪がちらほら。卒論相談2件。あっというまに1日が過ぎる。

痛風が怖いので食事はちゃんとする。塩鮭うまい。

夜けっこうな雪。


2017/12/28 (木)

運動不足で食欲が低下している感じ。病気ではないと思うが。 プールはもう正月休みにはいっているようだ。

ヨドバシでカーテンを買うものの、サイズがあってなくてつらい。


2016/12/28 (水)

目が冷めたので明け方から出勤。

卒論相談していると時間がどんどん過ぎてしまう。

久しぶりに市立図書館(東山)へ。

雪がちらほら。夜某師匠らと河道屋。久しぶりだけどあっさりしすぎてるね。


2015/12/28 (月)

禁煙再開。朝ジョギング。昼、人間失格であることに気づく。

午後出てくるが、禁煙の影響かなにもできず。 夜、誘ってもらって烏丸に出る。


2014/12/28 (日)

朝起きてみると喉痛くてなんか微熱あるっぽい。病院でひろってしまったか。 ずっと人と会ってないから免疫弱っているのではないか。 足の腫れはまあ少しひいているがまだまだ。

今日も研究会はパス。不義理だが、まあ不義理させてもらおう。

夕方ぐらいには大丈夫。

キッチンに安いダイニングテーブルを導入し、姿見もゲット。ついでに玄関にコートかけを設置してもらう。QOLが上がった。


2013/12/28 (土)

体調悪い感じ。

やっぱり研究会はパス。すみません。


2012/12/28 (金)

1日ゆっくり。発表相談とかはあり。でも年末。

1日音楽関係のブログ書いて遊ぶ。おそらくわりとおもしろくて自己評価が少し上がる。

清水の舞台から飛び降りるつもりで通販で羽毛布団を買ったのだが、なんか微妙。まあでもあったかいことはあったかい。まだなんかの匂いがあるので日に干したいのだが。


2011/12/28 (水)

ダラダラ過すことに決めて、床屋で。マンガ喫茶とか。

だらだら『永井荷風伝』や『荷風歓楽』を再読。DVDも何枚か借りているが見る気にならず。

あら、卒論生が盲腸で入院とか。でもいまはあんまり切らないのかな。

1年をふりかえったり。


2010/12/28 (火)

床屋。前回は11月はじめ。4週間に1回は行くべきだよな。来年はみだしなみをちゃんとするべし。

なんか肝臓のあたりが気になる。胆石かな。肝臓が痛むようだったらもう御陀仏。 今日から元日まで禁酒ね。

猛烈に卒論相談。

強い風。冬まっさかり。

なんか時間が過ぎるのが速い。別に充実しているわけではないのだが。頭の動きが遅くなっているだけか。やはり午前中活動しないと。


2009/12/28 (月)

久しぶりに大きな音を出して遊ぶ。3年ぶりに会うネット友達の顔が最初わからず驚いた。失礼 しちゃったなあ。

卒論相談。


2008/12/28 (日)

ふとコンビニで柳沢きみお先生の『大市民日記』買ってしまったり。このひとも 超ベテラン、消えない漫画家だよな。ジョージ秋山先生あたりとはどういう関係なんだろうか。 芸風も似てるしライバルなのか、仲いいのかどっちかなあ。ふむ、5才ぐらい違うんだな。 おそらく長年意識しているけどパーティーで会ったこともない、とかそんな感じじゃないか。

馬鹿だから酔っ払いに。


2007/12/28 (金)

計13時間ぐらい寝たか。でもまだまだ寝たりない。

卒論指導のために大学。

とにかく部屋と頭をオルガナイズ。・・・と思ってはみるが、なにからはじめていいのか わからない。とにかくナメクジのように書類を片づけていこう。

なんか気分にあった音楽が見つからん。キング・クリムゾンかもしれん。→ どうも そういう感じ。ツェッペリンやクリムゾン聞きたいときってのは、なんかよくない状態だよなあ。

まあとにかくゆっくり。 「効率性」「生産性」とか。効率よく生産的に生きてる人々ってのは、 一日が充実してるんだろうけど、しんどくないかな。でも効率悪い人間も 同じくらい無駄なことをいろいろやっているんだから同じか。かえって楽なのか。 まあ一日書類探してるってのはばからしいもんな。とにかく整理整頓。いらんものは捨てる。

6時間のナメクジ格闘の末、探していた書類発見。

他にもいろいろ苦しむ。

某協会会誌の編集。

年末なので来し方行く末について考えよう。夜はコルトレーンで大丈夫だった。改善。

もうM-1なんてなんだか知らず、芸人の顔もわからず、映画もDVDも見ず、せ いぜいNHKのニュースしか見ない。週刊誌もラーメン屋にある『ポスト』と『現 代』とぐるんぱにある『SAPIO』、『モーニング』ぐらいしか読まず、十分に世 間離れした人間になっているわけだが。もう2ちゃんねるとブログも読まなくて いいよな。大学教員としては、そういう世間離れはどこまで許されるんだろうか。 なんでも許されそうな気もするな。んじゃそれでいいか。あとはこれまで買った本と 自分のヘソながめながら暮してよいのではないか。

性格や人格の改善ももうなかば諦めた。生活の改善はまだ少しありそうな気がする。

ビジネス。去年(一昨年か?)ぐらいから『日経ビジネスAssocié』とか気 になっている。20代〜30代初頭までのビジネスマンパーソン対象なんだ ろうけど、以前はこういうのはあんまりなかったような気がする。内容も「部 下の操縦方法」とかそういうのが中心だったろうが、この雑誌はもっと細かい 仕事術(特に情報の管理)のようなのをとりあつかっている。けっこう売れて るんじゃないだろうか。実は私も何度か買ってみた(あんまりおもしろくはな い)。『超整理法』とかまでは「知的生産」とかってのが目標だったけど、この雑 誌はちゃんとビジネスに特化している。こういう雑誌がキオスクでもコンビニ でも大きな顔をしているのは、やっぱり需要があるからなんだろうけど、どう いう需要なんだろうな。はてなブックマークとかでもライフハックとかっては 非常に人気があるようだ。以前はPCやソフトやらメール管理とかまわりに限定 されてたけど、次第に各種タイムマネジメントやらメモやら書類整理やら対人 コントロール(社会工学?)やらに広がっている。これと正社員とパートや派 遣の分離とかなんか関係ありそうな気がするんだよな。

一部の人間は仕事術だのライフハックだのってのを考えて効率よくバリバリ(?)仕事(企画とか段取りとか) することを求められ(はてなのヘビーユーザーはこっち組だろう)、 その他はそういう人から指示されるのをただ待っているとかそういう分業が 生じているんじゃないだろうかとか。それより前は、 まあデキる人がデキない人の分もカバーしつつ同じような給料で働いて、 出世のときに差がつくとかそういうんだったけど、今じゃそもそも業種が違うんで、 デキる人に仕事があつまりその人たちだけ働いて、 そういうひとは「自己啓発」かなんかでもっともっとできるようになることを求められていて、 デキないひとはほったらかし、そういうんではないか。 会社とか昔も今もぜーんぜん知らんからアレなんだけどさ。 これが格差とか自己責任とかってやつ? まあ妄想だけどメモしておく。

こういうのも世間離れしすぎてわからん。社会問題や就労問題をあつかっている 学者さんにたずねてみるかなあ。


2006/12/28 (木)

年末だ。年の暮れだ。午前中から。まず部屋片づけるか。 昨日も各先生から「学生が怖がるやろ」「セクハラや」と言われたし。JB追悼大会しながら 掃除。JB Lives!

渡辺竜王第六局で『最高棋戦で(二手目)△3二金はないでしょう」という名言があったらしい。 これ言える時点で防衛は決まってたんだな。すばらしい。従来の棋士とはぜんぜん違う知性を感じる。 もちろん佐藤棋聖は棋聖なりの 序盤についての主義主張があり、それもすばらしい。 第6局はとんでもない心理戦の一局だったのだな。そして (二手目)△3二金に矢倉で勝った渡辺竜王は偉すぎる。棋界ははっきり新時代に入ったのだろう。

JB大会しながらJB先生の音楽について考える。 (1)ファンクとは何か。(2)ファンクの歴史においてJBはどのような役割を果たしたか。 (3)JBの音楽全体でJBはどの程度のディレクションを行なっていたか。こういう問題を 音楽学者に本格的にやってほしいなあ。

ばかなことを考えてないで仕事せねば。

オリコン対ライター。ひゃー。 うったえられた人。がんばれライター。


2005/12/28 (水)

午前中から。いったん京大ルネでハードディスクとVirtual PCを購入。

午後まじめに卒論指導2件。疲弊する。

サーバー機のディスクを入れ換えようとするが、ネジ回しが見つからない。必要ないときは非常によく目にするのだが。

なんとかネジ回しを見つけ、作業開始。コンパクト型だからディスクを2台入れることができない。裸のまま接続。それでも電源コードも足らんな。ううむ。ミニタワー型にしときゃよかった。FreeBSD 4.9のCDを見つけたので、これでいいや。

思えば三十代をこんな無駄なことをして過してしまったのだなあ。いったい何回OSをインストールしたことだろう。四十になってもまだやってるというのもなあ。もしPCやネットワークがなかったら私の青年期はもっと有意義で充実したものになったのだろうか。70年代に生きてたらどうだったのかな。そういう想定はばからしいとわかっていても考えちゃう。まあpcsや草の根BBSを経験しなかったら今の私の性格や考え方は根本的に違ったものになってたろうな。

2日続けて飲んで調子悪いので年内は禁酒。

「日本の古本屋」は便利だ。

テレビドイツ語会話、しばらく見ないうちにずいぶんおもしろくなってるな。

ちょっと早いが2005年に買ったCD。今年の発見は新ヴィーン楽派とストラヴィンスキーの「結婚」以降。ベストCDは内田光子。1曲となるとラヴェルのシェラザード。ベートーベンとショスタコで四重奏にめざめた。なんか難しい音楽を聞いた年だったな。それにしても莫大な額を投資してしまった。まあテレビも映画もヴィデオも見なかったし、小説も読まないし。

まだポストモダンしている。高橋哲哉の『デリダ』。イライラする。なんでこんなもの読んでるんだろう?

「デリダの読みの重要なテーマになったテクストは、哲学、文学、思想関係に限っても厖大な数にのぼる。プラトン、アリストテレス、〜カント、ヘーゲル、マルクス、〜〜ジョイス、マラルメ、〜ハイデガー〜〜レヴィナス〜〜〜〜〜〜〜・・・(計30人)。すぐに思い出せる有名どころだけでも、ざっとこんな具合だ。デリダを読むことは、これらのテクストを読むデリダのテクストを読むことでもある。だから、デリダを読むためには、ある程度、これらの著者を同時に読まなければならない。」p.2

ばからしい。一人の生身の人間が本当にそれだけの本を読んで理解できるはずがない。デリダを読むためにそういう本を読まなければならないのは、デリダが本当は読んでないからだ。おそらく、ポストモダンとかいうものの背後の一番重要な部分は、「おれは本を読んだ」という威嚇なんだろうと思う。そういう威嚇におびえるのはバカらしい。ちかごろ目につくところでは、ではバトラーとコーネルが同じ威嚇を使っている。ヘーゲルとデリダとフーコーを読まなければバトラーはわからず、カントとラカン(変な組み合わせだ)を読まなければコーネルはわからないらしい。わからないのはお前の勉強が足りないせいだ。高橋もこういう文章を書くことで読者を威嚇する。もちろんよい古典を読むことは重要だが、古典を読まねばわからない現代ものは価値がない。少なくともポパーもヘアもサールもドゥオーキンもハーバーマスも内井惣七もそういうタイプの威嚇は使わない(と思う)。おそらくウィトゲンシュタインやクリプキも。プラトンやヒュームやカントやヘーゲルを読むときでさえも、議論の本当の核心の部分ではそういうのは必要ない(と思う)。

そういう威嚇が成立するのは、やっぱり「頭がいい」人びとに対してわれわれ凡人がなんか尊敬や嫉妬や恐怖を感じているからなんだろう(たしかに頭がよい人びとってのはいる)。さらにその奥には、「自分もそこそこ頭がいいはずだ(でも勉強が足りないからわからないだけだ)」という自負心がある。

良識については、誰もそれが自分に不足していると不平をもらすことはない。(デカルト)

2004/12/28 (火)

床屋。どういうわけかほぼ丸刈り状態に。床屋の方になんらかの計算違いがあった模様なのは明らかだが、特に追究・糾弾などはせず。頭が寒くてしょうがない(のでタオルを頭に巻く)。

レヴァイン/メト/ミロ/ドミンゴ/ツァージックの『アイーダ』を見終える。豪華でよくできてる。アイーダよりアムネリスの方が人間的に興味もてるよな(っていうか実は主人公?)。


2003/12/28 (日)

昼前に起き、ジョギング。

家の片付け。研究室に行こうと思ったが寒くて億劫でとりやめ。 夜、ちょっと歩いて師匠のライブを聞く。

日記を読みかえしてみたが、今年の後半は買ったCDの日記書くのが面倒でよくわからくなっているようだ。「これはっ」ていうCDは思いつかないなあ。音楽的には低調な年だったか。

それにしても、日記読みなおすと今年は感受性の鈍い1年だったことがわかる。これほど鈍い人生を送ったことはなかったような気がするが、これからはこういうことなんだな。中年。


2002/12/28 (土)

ちょっと研究室。 結局elektra (ATHLON 1GHzで3万だったの投げ売りマシン)は FreeBSDにした。(Debian GNU/LINUX入れてつかっていたのだが)

大掃除開始。大掃除といっても、モノを脇に寄せるだけだという話もあり。


2001/12/28 (金)

昼から研究室。色々やるべきことあり。

夜も研究室へ。

PSGML modeってのは、キー割り当てその他、なんだか使いにくいんだよな。おそらくこのソフトウェアは、ユーザーの利便性の要求からじゃなくて、エンジニアの理想からできてきたもんなんじゃないかと思う。

前日のオヤジ宣言のつづき。なにに腹をたてたのかをつらつら考えるに、やはりその原因の一つは一気飲みとかいう野蛮な(風習とは言えない)風習なんだな。これは私の世代の人々がはじめたんだと思うが、ほんとに野蛮で見るにたえない。おそらく、一気飲みっていうか、飲酒の強要ってのはけっこう昔からあったんじゃないかとは思うのだが、ああいう(あんまり芸のない・オートマチックな)囃子をつけて適当にやるってのはちょっと。以前はもうちょっとネチっとした伝統に則した複雑な手続きをとってたんじゃないかとか思うわな。いや、むしろ、それは飲ませる方の芸じゃなくて、飲んでみせる方の芸だったんじゃないだろうか。いや、酒飲むときはそういうのがあってもいいんだが、自発性とかってのとまったく関係ないのがなんとも。

酒の一気飲みとかってのはどの文化でもあるんじゃないかと思う。「さあさあ、ぐっとぐっと」「いや私は」とか、「なによ〜、飲みなさいよ〜」とか、「スゴー」とか「チアーズ」とか「カンペー」とか飲みほしてテーブル叩くとか盃をひっくりかえして見せるとか。。酒はある種の自意識を麻痺させてくれるので、まあおもしろいもんだ。実際のところ、私はお酒をぜんぜん飲まない人間や、過剰に防衛的な飲み方をする人間とはあまりうまくつきあえないんじゃないかと思う。

ただし、ああいう飲酒の強要も、ちゃんと洗練されたものになっている場合は、自発的にそのゲームに参加したり、飲めない人間への逃げ道が用意されたりしているもんなんじゃないかと思う。

ああいうくだらない囃子も、もうちょっと洗練されると、うまい断わり方とかが儀礼として定着するんだろうか。その洗練されてないところがいやなのかもしれん。まあ、なんにしても、危険なことはせぬがよし。

もう一つは、そういう集団宴会が嫌いだってのがあるが、これもよかろう。必要な時もあり。問題は、集団宴会で一気飲みするような連中というのは、各テーブルでもう語りあうべきことがなくなってるってのがあるんじゃないかってことで。あまり親密でなく、かつ十分成熟していない集団(たいていの大集団はそうなんだが)が酒を飲もうとすると、どうしても話題が切れちゃうんだよな。煮つまってくると、誰かが話題を提供してくれることを切望するようになる。そういうときに「イッキ」ってのは格好の対象なんだろう。もうちょっと芸がある集団は、トリックプレーヤーとかがいて、手品してくれるなり、演説するなり裸踊りしたりするんだろう。王様ゲームやカラオケ(これはちょっと違うかもしれない)ってのもそういう一貫だな。そういうのもイヤ。

しかしよくよく考えると、腹たつ理由は、(以前よく話題になっていたように)電車の中で化粧していたり、携帯で大声でしゃべったり、人前でベタベタしたりする人々に腹が立つのと同じものなんじゃないかと思う。その場にはその20〜30人ぐらいの集団の他に、我々(初級オジサン連合)や中級オジサンたちもいたわけで、そういうのの存在をほとんど無視しているのがカンに触ったんじゃないか。

まあ、若者というのはそういうものなので、ポイントは時々オヤジなりオバサンなりが、ちゃんと敵意を表明することなんだと思う。もちろん、危険な相手の場合はそんなことはできないが、それなりの相手の場合ははっきりと、かつ穏便に、嫌悪感を表明しておくことはある種の義務なんじゃないかとさえ思う。なんらかの圧力(いろんな圧力がありうると思う)をかけることが可能である場合にそれをしない人間に、他の場でそれを表明することは許されないんじゃないかとか。というわけで、私は晴れて初級オヤジである。通常は自分の価値観を信じて生きるのである。もはや、自分の価値観を年がら年中疑うことはせず、場合によっては説教恫喝苦言甘言その他の手段によってその価値観を、より弱者に対して押しつけ、すでに持っている権力を強化し、また同時に自己の正当性を確認するのである。

いやいや、way way down inside、まあ、ひさしぶりにあんまりいろいろ緊張したりいやな思いをせずになごやかに酒が飲める場だったしね。そういう時間が貴重で大事にしなきゃなんないし、それにある程度コストをかける(うっとうしい奴はコストをかけても排除することを試みる)と思うようになったってのも実はポイントなんだなあ。そのくらい自分の時間(や金。つまり自分)が自分にとって大事になったんだな。ここらへんもオヤジ初級。

NHK FMでワーグナー聴くとたしかに年末。ひさしぶり。12時半あたりからはたしかに音楽最強の麻薬の一つ。


2000/12/28

公務員という名の借金取りに厳しく追い込みをかけられる。「ボーナスよ うけ出たでしょう」「鳥取にいってはったんですって?カニでも食べてきまし たか。」はいはい払います。ビッグブラザーのおかげで正しい人間への道を歩 む。

今日こそ仕事を納めたいのだが。

小一時間でできるはずの仕事を先延ばしにしてしまうのはなぜか。 心理的抵抗があるんだなあ。


1999/12/28

仕事おさめだ!...が、これから本番。

どうも、私の来年の予定がwebで公開されてしまった模様。ま、みなさんよろしく。特に受験関係者のみなさま、お年頃の娘さんをお持ちのご両親、ぜひ某大学をよろしく。

FreeBSDサーバー(cicero)をアップデートするため久しぶりに研究室に来てみる。散らかってるなあ。スイッチハブがブタが殺される前のような声を出しているのがなんとも気持ち悪い。

さて、FreeBSD 3.4を入れるか。3.3でもいいだけど。まあ、最新のものということで。基本方針としては、packageとportsだけを使って、なるべく変更個所を少なくしたいのだが。

  1. 10時ごろ開始。まずバックアップ。/etc /home /usr/local/etc /varだけ取っておく。
  2. 使われていないSCSIインタフェースをはずす(別のマシンに使う予定)
  3. BIOSが古くてCD-ROMからは立ちあがらないので、フロッピーから。
  4. Kernel Configurationはスキップ。
  5. Upgrade -> customを選ぶとsignal 11でエラー。アレ?
  6. ERRATA.TXを読むと、"Custom"メニューが壊れてるということ。ま、いいや。んじゃ、kernel-developperとuserを選んで。
  7. インストールはご近所のftp4.jp.freebsd.orgから。
  8. あれ、/usr/portsに書きこんでる途中でdisk full!。だいじょうぶか?.... なんとかいけたか?ここまで 1時間強。
  9. うえ、loginできん。DES/MD5関係は大丈夫のはずだが。....う、tcsh入れてないから? えーと、rootのパスワードは...忘れてる。(いつもsudoつかってるから)。もういっかいやりなおすか。disk切りなおすかな。
  10. 途中で某君登場。WINDOWSマシンについて不平不満をもらすが、そんなもん知らんもんね :-)
  11. やりなおし(22:45)開始。こんどは/usrと/tmpをnewfsしちゃう。恐い〜〜。
  12. む、/etc/を/usr/tmp/etcに書けないとエラーが出る。ま、tarがみつからないらしい。ふむ。/usrを消しちゃったんだからなあ。とりあえず手動でcp -r /etc/* /usr/tmp/etcしておく。大丈夫かなあ。
  13. 23:05。とりあえずインストールはおわったが、再起動する前に必要なpackageを入れておく(まずはemacsとかlessとかすぐに使うやつを)。
  14. 23:10。再起動成功。
  15. inetdの設定がうまくいってないので、FreeBSD 3.3のmontaigneからコピー。
  16. sendmailの設定は....うーん、古いsendmail.cfが残っているようだ。んじゃ、このままでもとりあえず動くのかな?...なんだかだいだいOKだな。でもいちおう作りなおそう。
  17. emacs....と。う、Xのライブラリがないとスネてる。んじゃXから入れなきゃ。/stand/sysinstall .... configure ...distribution...う、落ちる。installer壊れてるな。どうすべ。このマシンでXなんか動かす予定ないんだけどな。
  18. 23:50。んじゃ、emacs 20.5 メイクしちゃえ。早くも方針に背きつつある。このPentium 133Mhzってマシンじゃ、遅いなあ..
  19. 00:05。さて、emacsはできたので。やっぱりsite-lisp入れてあげなきゃならんだろな。
  20. ま、とりあえず動くようになったようだ。あ、mew入れなきゃ。...入れた。
  21. さて。何から? とりあえずapacheを。これ、前はディレクトリ構成がぐしゃぐしゃだったから、packageの設定を尊重して作りなおそう。
    1. document rootは/home/www/wwwdocs
    2. /cgi-binは/usr/local/www/cgi-bin
    3. /icons/は/usr/local/
    4. む、一部の人が好きなカウンター(wwwcount)が、packageにない?portsにはあるか。んじゃ、make。もとのデータも戻してあげる。
    5. (1:30)mailのcgiもいちおう動くような気がする。とりあえずapache関係はこれでいいかな。実はlogがアレなんだけど、まあ、いいや。
  22. sshだ。
  23. 1:30。sambaを動かす。(プリンタはまだ)
  24. 1:40。前はCAPだったけど、今回はnetatalkにする...予定だったが、15分ほど努力してダメ。CAPは? ....うーん、前もなんか苦労したんだよな。明日やろう。いや、Macが好きな彼にやらせよう。
  25. あっと。inetd.confでPOP3を有効にするの忘れてた。
  26. プリンタ繋いで共有する予定だが....これも明日か。
  27. 02:10。それにしても、研究室のマシンつかってると、時計が狂ってたりして腹が立つ。最低限のセキュリティだけ確保しておしまい。
  28. うーん、SMTP/POP/FTPあたりが読み書きできるかどうかはいったん帰らないとわからんな。FreeBSD 3.2だかそこらへんからtcp_wrapperがもとから組みこまれているらしく、よくわからんところがあるようなないような。
  29. 2:45。やーめた....ありゃ、他からloginできないようになってる。inetdに問題あるかな。
  30. あっ! メーリングリスト(fml)関係を忘れてた....でも帰る。

あの法律のためか、あるいはその他の配慮のためか、コンビニなどから「少女ものエロマンガ」が姿を消していると思うのだが、銀閣寺道のリーブルでは(以前より?)堂々と店頭に並べてある。さすがはポリシーある書店。もっとも、別に、そういうものはもっと手に入りにくくしてもよかろう。っていうか、ヤな人の目にはいらない程度のことはしてもよいと思う。法的に罰するのと、私企業その他が「自分とこでは売りません」ってのとは別。問題は、自分とこのポリシーによってではなく、「ああいう法律ができたから自粛」のような態度なんだよなあ。ポリシーある本屋・コンビニ求む。 同じようなことを昔書いてる


1998/12/28

今日で世間は仕事おさめらしい。

まだ微熱(37.4あり。腹痛あり。

午前中バイク屋に原付(スクーター。ヤマハのJOG)を取りに行く。以前原付に乗っていたのは、ヘルメットが必要ないころだった(1〜2回生か)。ひさしぶりに乗る原付は加速が急すぎてちょっと恐い。

京大の診療所に行くが、午後休診。むう。

腹痛はおさまらぬが、飯も食わねば死んでしまう。味のないものを無理やり押しこむ。腹粛々と痛し。荷風散人もこのような苦しみを味わっておられたか。

SUNの業者に連絡をとる。修理に来るのは1月4日ということらしい。むう。お正月はお休みということだ。

早々に帰宅して寝る。夜半起きだす。やっと平熱にもどったようだ。まだ腹の具合は悪いが、ま、先週の海外での食あたりを2日で、今週のカゼを3日でほぼクリアしたんだからエラい! (しかし10日も半分を熱出してたってのは...)

深夜研究室へ。某先生の部屋から不要になったPentium 90Mhzマシンをひろってきて、FreeBSDを入れてpascalのふりをさせて、正月どっかでバウンスするであろうメールを回収する作戦。

と予定していたのだが、SCSIカードに問題があるようだ。実はこのマシン、数年前に購入されてほとんどまともに動かなかった問題のマシンなのである。ディスクまわりがちゃんとしていない。最初からSCSIカード(adaptec 1542)をつけていたんだけど、しばらく動かすうちに内蔵ディスクがまわらなくなってしまった。外付けの2GBのディスクをつけて動かしていたんだが、FreeBSDをブートしようとすると"Adoptor not taking commands... Frozen?"なんてメッセージがでちゃう。アダブタはちゃんと認識しているみたいなんだけどね。さて、どうする ....原因を究明するのも面倒なのでほっておくことにした。根性も体力もなし。健康第一。

ところでどうも原付というものを好きになることはなさそうだ。車にまぎれこんで道路を走れば排気ガスが臭いし、あぶないし。買うべきではなかった。自転車にするべきだった。(体調悪くてもすぐに研究室に来ることができるのはよいが)

寝込んでいるあいだ、宮部みゆきの『理由』とか読んだが、ふつうだった。本のオビによれば、99年版『このミステリーがすごい』第2位だそうだが、これが2位ならば日本のミステリーはちょっとつらい状況にあるのか、それもと『このミステリーがすごい』がしょうもないのか。

いや、まあ子どもの描写とかよいところもけっこうあるんだけど。「理由」がさっぱり説得力ないのがアレだわなあ。(最後の方では作者も破綻に気づいて、説明を放棄していると思う。)新聞連載ものっては書くのはむずかしかろう。

あと、いしかわじゅんのマンガとか。中学〜高校生のころは、このひととか、吾妻ひでおとか、大友克洋とか好きだったんだよな(なんというか軽いエロがよかったんだと思う。) 、とか思っていたら、『ビックゴールド』2月号で夏目房之介がここらへんの人のことを論じていた。


1997/12/28

次々と来年度のシラバスの原稿用紙が届く。冬休みはこれを書いて終ってしまうな。

冬目景の数年前のマンガを2冊。この人昔は完全なアニメ系(?)の絵とストーリーでどうしようもないな。読めるようになったのは最近なのね。


1996/12/28

これで今年の仕事はすべて終了。とにかく今年もsurviveしたようである。

というわけで、一人で今年を打ちあげていると、隣りのイスにはある業界で超有名なある方がグデングデンになっていらっしゃった(もちろん向うは私のことは知らない)なるほど。酔うとこういう人なのか。ある種のダンディズムもただようほとどのグデングデンで、、ある種の感銘をうけた :-)