1225の連用日記


2023/12/25 (月)

もう一日待ち。することがない。廃屋で懐しのピアノに触ったり。


2022/12/25 (日)

好天。いろいろ作業。歳時記読む。睡眠時間がおかしなことになっているがやむをえない。


2021/12/25 (土)

某教授退官記念行事の一環シンポ。飲み会まで含め、なごやかでよい会合だったように思う。

まあ20年前のことを思い出すことになったわけだが、私にとってXXXXとはなんでしたか、という問いには「修行の場でした」としか答えようがない。一番おいしいところを頂いて食い逃げしたような感じがあって、それはもうしわけない感じもあったのだが、新しい職場で立ち上げの混乱で右往左往していた時期でもあるしねえ。

いまとなってみれば、開始時には組織経営や共同研究の方法論みたいなのが足りなかったわけだが、私の後任者たちはむしろそういうのが得意な人々になっていったわけで、まあそこらへんがあのプロジェクトの一番の成果だろうと思う。私は私なりにベストを尽くした、って言ってもいいんじゃないのかな。今ならもうすこしよいアドバイスできるかもしれんが、私はあんまり組織や共同作業には向かない。


2020/12/25 (金)

事務仕事など。面倒なメール書いたり。 昼、区役所のところの食之源という中華料理屋。ここらへんでの生活20年ではじめて入ったが、中国人がやってる店でうまいじゃないか。

夜、百万遍研究室のオンライン忘年会なるものに挨拶する。宴会用の知らないアプリ(Spatial Chat)だったけどおもしろいのがあるのだな。

本格明太子はいつもうまい。


2019/12/25 (水)

いろいろ片付け。


2018/12/25 (火)

午前中会社であれやこれや。

午後はまじめに研究会に。勉強になった。事情で途中で抜けさせてもらう。

事情の簡単なお仕事をこなして年末。

来年はもう少し活動的で社交的な生活にしたい感じはあるけど、まあこれくらいの感じの方がいいのかもしれないという感じもある。体もあちこちあれだし、ほんとに人生の秋まっさかりな感じ。そして強い年末感。

夜、映画『オペラ座の怪人』の残り半分を見る。前半はたいしたことなかったがいきなりおもしろくなって驚いた。さすがに売れるミュージカルはちがうものだな。

心配や山積みの問題は多いが、今年自体はそれほど悪い年ではなかったような感じはある。


2017/12/25 (月)

集中講義3日目。性暴力まわり。昼は長浜ラーメン。夜は先生たちとお食事。


2016/12/25 (日)

わりと早起きしてジョギング12キロ。怪我がこわいのでもうペースは上げない。途中で筋トレやストレッチすると気持ちよい。

庭木の剪定

灯油を入手。実は去年の分が残ってることに気づいたのだが、使っても大丈夫だろうか。以前に放置していたものを使ったら芯がタールでベトベトになって交換せざるをえなくなったことがある。

夜軽くプール。

野菜スープ。


2015/12/25 (金)

ちょっと恥しい失敗してしまうが、なんとかリカバリ。

午後プール。 コーヒー豆。

実はどうも先週の出張でiPadを紛失してしまったらしい。列車のなかが一番怪しい感じ。iCloudで探すことにして、Dropbox、Evernoteの接続を切っているので、とりあえずセキュリティ的には大丈夫だろう。Padないと困るのでヨドバシで32GBのiPad mini2を購入。痛い。

ポルタの京ラーメンとか、ポルタではじめて試す。もちろんまずい。スーパーベターに「新しい店を試す」のような「クエスト」を入れている。同じことのくりかえしはだめ。


2014/12/25 (木)

確実なゴミ出しのため明け方まで起きていた。

実は太っている。食いすぎだな。エクササイズしていると飯がうまいし、ビールあんまり飲まないかわりにスナック食ってる。酒飲まないかわりにスナックで糖分とっているわけだ。

某足の病気、薬塗ってるのだがなんか雑菌でも入ったか足全体が腫れて痛い。


2013/12/25 (水)

卒論草稿チェック。まだまだ。しかし例年なみかちょっといいかな。

ディスプレイが故障する。くやしい。修理出すより買い直しだわねえ。


2012/12/25 (火)

早起き。

もとゼミ生が入籍したとのfacebook。

補講する。

イエスさんは尊敬していますがキリストだとは認めていません。預言も信じてません。いかなる超自然的な力も現象も信じていません。お釈迦様はその初期の人生観ゆえに尊敬しております。


2011/12/25 (日)

やはりエクササイズは重要。

研究会。いろいろ苦しむ。トップランナーは応援しないとならん。 自分の価値観を他人様に押しつけるのも控えないとならん。

まあこの時期人に会うべきではない。冬になると活動が鈍って会合とか出る気なくなるのはそれなりに 適応。


2010/12/25 (土)

年末感が加速している。さまざま問題かかえつつも今年もゴールイン間近。 今年手に入れたのは問題がぜんぶ解決するなんてことはありえないという諦念か。 なんでもやむをえないと考えてしまえばいいわけだ。ストア派。

自己啓発本みたいなのは、まあくだらないし科学的じゃないしぜんぜんだめなのも多いけど、 サバイバルしなきゃならんとなれば非科学的でもなんらかのガイドが必要だ、という気もする。 溺れる者のための藁。本質的にわからないことが多い領域では単なる経験知みたいなんも馬鹿にはできない。


2009/12/25 (金)

部屋の片づけは済んだことにして、できる仕事から片づけていかねば。 大物の前に忘れている細かい仕事がたくさんあるなあ。

卒論。

む、必ずしも冬至の日が太陽が一番低い軌道を動くというわけではないのかな。

ちょっとコツコツ。

図書館から年越し用の物品を借り出す。コメディフランセズのモリエールDVD大量と荷風研究本。でも仕事仕事の年末年始になる。とにかく気持ちの高まりを待つ。


2008/12/25 (木)

研究会。暴れて顰蹙をかう。懇親会でも暴れて顰蹙をかう。


2007/12/25 (火)

午前中は部屋を片づけよう。

老師の部屋に水月昭道『高学歴ワーキングプア』があった。

今、大学院博士課程を修了した、いわゆる高学歴とされる 層に異変が起こっている。自殺者や行方不明者の増加、そして、 フリーターや無職者となる博士が急増しているのだ。 私の周囲でも、「仕事、見つかりましたか?」が、挨拶代りとなって久しい。 (p.14)

ここらへんでいきなりもう読む気なくなる。その認識はいかんよ。 まあでも第4章のルサンチマンはよい。 第6章の大学院で勉強することの利点のようなのは、まったくアレだろう。この程度なら、 ふつうのホワイトカラー会社に入った方が勉強になるはずだ。この人、 大学出てから一回企業に入ってみるべきだったんじゃないかなあ。

まあでも、雇用ってのはいろいろあれだな。やっぱり 一回雇用したらそう簡単にクビは切らないってのは基本なのだろう。

研究会。

学問の道は険しく、人生は短かい。なんでも できるわけではない。もうどんな学者も、ほんのちょっとでも専門が違えば 他の分野の人から期待されるような知識をもっているわけではない。 しかしでは、現実世界での学者にとっての知識や研究とはなにか? 『星の王子様』の地理学者は、自分が知っていることと 知らないことをちゃんと理解していたし、 自分が知っている地理をどうやって知っているかを知っていた。 結局学者が学者であるのは、自分の知識の広さと確かさの見積りを もっているというところにあるんだろう。 あの学者が、学者は学者でも地理学者だったのはやはりそれなりの意味があるんだな。

いまふと気づいたのだが、学者であるとか、〜が専門であるとかは、 その他の人との相対的な比較によるのかもしれない。これは、これまで ほとんど(いや、自分でも意外だけどおそらく1回も)考えたことがない基準。その時代のその(部分)社会での相対的地位が 重要なのか。いや、そうかもしれんな。学者であるかそうでないか、 専門家であるかそうでないかは偏差値で決まる。正規分布しているとすれば、 だいたい上位〜%に入ればそれを名乗ってよい、とか。これはアリかもしれんな。 まあ母集団をどうとるかによるわけだが。

「全人口のなかで学問全般についてよくしっている約2.3% (偏差値70、+2σ)に入れば 学者だ」とか→ 微妙だが、これでもおそらく大丈夫なんじゃないか。→ いや、 大丈夫じゃない。この基準はきびしすぎる。だめだ。私は学者ではない。 でも求められているのはそれくらいのような気がするな。

「哲学関係の研究者・教師・院生のなかで倫理学について特によく知っている 約16%(偏差値60、+1σ)に入っていれば倫理学研究者を名乗ることができる」とか。 → うーん。できればそうありたいけど、だめそうだな。学者としても倫理学研究者としても、もっとゆるい基準じゃないと。

しかしそうであれば、とにかく偏差値43から 58を目指す男ってことでよいということになるわけだ。 偏差値55あれば常勤職もらっていても平気で罪悪感なしでOKとかね。 ひじょうにわかりやすくなるなあ。こういう発想するのがマスキュリンなんだよね。今日も 糾弾されちゃった。てへ。


2006/12/25 (月)

朝からバタバタ。本が見つからず泣きそうになる。

衣笠。

夜飯食い。 人の口に戸は立てられない。


2005/12/25 (日)

朝から。コンピュータ室の電源工事かなんかでネットワークが切れていて往生。

スローラーナーはまだポストモダンしている。

「あらゆる決定や判決は正義を目指して行われるが、それは同時に特定の名あて人に向けてなされてたものである。その意味で、決定や判決の形で現れる正義は、常に単独的・個別的なものである。しかし、正義が法の形をとって現れるとき、それは一般的で普遍的なルールという形を取らざるをえない。したがって、問題は次の点となる。「個々の個人、集団、かけがえない存在、他者、あるいは他者としての自己といった、単独性とつねにかかわらざるを得ない正義の行為と、(中略)一般的な形式をとる正義のルール、規範、価値、命令とを、どうすれば和解させることができるのか」(『法の力』)」中山竜一『20世紀の法思想』p.172

わけわからん。なぜここに和解がアポリアがあるのか。個別と普遍ってのがなんか対立したりするもんだって前提があるのかな。デリダも中山も自分が何を言っているのか理解しているのだろうか?

あるいは、これは、この前八幡さんが言ってた「いまだに普遍性と一般性を区別してないやつらが多い」という一例なのか。意外にこの解釈はよいものかもしれない。

「過去に下された決定や判断に現れた正義は、たとえそれが普遍性を標榜していているようでも、実はつねに単独的・個別的な他者に向けてなされたものであったこと、これを想起しなければならなない。というのも、そうすることではじめて、普遍性の名のもとに固定化した正義を、単独かつ個別的な他者への公正に向けて、流動化させていくことが可能となるからだ。」p.173

どうもそういうことなのかな。単に「あんまり法の一般性に固執すると、マイノリティとかが視野に入らなくなってくるから、細かく行きましょう」ということのように見えるな。そういうことなら理解できる。

この中山さんの本のハートやドゥオーキンについての解説は明確で勉強になる。ドゥオーキン直系のようだ。でもまあドゥオーキンみたいなちゃんとした学者に習った法哲学の専門家がデリダなんかに騙されてちゃだめだ。・・・いや、ドゥオーキンに習ったからこそデリダのああいう調子に魅かれるところがあるのかな。

デリダにしても高橋哲哉にしても大庭健にしても佐藤さんにしても、なんかある種の人格の価値とかそういうのにコミットしてるんだよな。その衝動はわかる。でももっとクリアに行けないのかな。

「哲学には擬似問題などというものは存在しない。もしなにかが哲学的な混乱をもたらすなら、その混乱の原因を発見しそれをとりのぞくことが哲学者の任務である。わたしのスイス人の友人は偽善者ではなかった。彼の問題は、哲学的にナイーブだったため、彼が本物の道徳的問題だととらえたことは、道徳的問題などではなく、哲学的問題だったことである。——それは解かれるべき問題だが、それは魂の苦悩などによってではなく、自分がなにを言っているのかを理解することによって解かれねばならない。」R. M. Hare, "Nothing Matters"

またemacsに戻ってきてしまった。文章を寝るにはmiのようなMac的なカット&ペーストがいいんだけど、HTMLただダラダラ書くにはemacsの方がいいんだよなあ。emacsがMac的なインタフェースと表示行での編集を採用すりゃいいのだが。

卒論指導。時間がかかる。

大学に置いていたサーバー(サークル等)のディスクが飛んでしまう。やばい。ちゃんとシャットダウンしなかのが原因というか、ディスクの寿命というか。/etcは生きているのが幸い。っていうかそこさえ生きてればあとはなんとでもなる。しかしマシンを一台調達せねば。1日つぶれそうだ。

フィギュアスケートとか体操とか、音楽に乗せて演技する競技は、もっと音楽に気をつかったらどうだろうか。私だったらシェーンベルクで表現主義フィギュアとか挑戦してみたい。


2004/12/25 (土)

早朝に起きるがコタツで寝てしまう。衣笠。月曜の振替授業。構内は閑散としていて、どうも休講してもよかったんじゃないか。しかし真面目な学生はいるもので、けっこう来てるな。これで年内の授業は終了。色々心残りあり。もうちょっとうまくできたんじゃないかな。

ラッセルによれば、不幸の主要な原因は、無駄な罪悪感、過剰な自己愛、過剰な権力欲の三つ。どれも私の属性。

なんか夜中にシュワルツコップ/カラヤンのリヒャルトシュトラウスの『最後の四つの歌』聞いてたら強い快に襲われる。んでシュトラウスのオペラ安いやつ発注。


2003/12/25 (木)

寝坊しそうになりつつ衣笠。これで授業は終了。京大生協寄ってから 今熊野。ジョギング再開の影響で軽い筋肉痛。今日は休むか。

イスラムやらなんやらってところに目が行くようになると、 クリスマスやらなんやらで大騒ぎしているのがやっぱりあの国の 属国な感じだよな。何度も主張するが、道州制にするついでにあの国の州にしてもらったら どうか。選挙権欲しいですよ。とりあえず電球光らすのはやめてくれや。

ドイツに留学している学生さんが挨拶に来る。がんばってるねえ。


2002/12/25 (水)

午後から出てくる。とりあえず1個1個仕事を片づけているつもり。 郵便物1個出すのに一苦労。必要な資料は見つからんし。

研究室の掃除もしなくてはならんのだが。


2001/12/25 (火)

寒い。

ためこんでいた各種雑用をこなしているつもり。団体の金とかは俺にあず けてはいかん。

夜映画を見に行く。鈴木清順の『ピストル・オペラ』。安心して楽しめる。 江角というのはなかなかかっこいいことを知る。着物きれいだし。

深夜、ヴィデオで『フロム・ダスク・ティル・ドーン』。タランティー ノだというので借りたのだが、これまで見たさまざまな映画の中でも最低の1 本。あんまりひどくて驚いたよ。


2000/12/25

寒い。寒いのは大嫌い。寒いときは食って食って食いまくるしかない。

事務的な仕事が山積みになっていてパニック。年越せるか。なんでこんなに仕事ができないのか。ちゃんと指示を出せばすむことがほとんどなんだけど。自分にイライラ。

明日は竜王戦の解説を聞きに将棋会館行きたかったけど、無理かな。

苦悩する若者の話を聞いたり。彼から見ると、私はもう若者じゃなさそうだ。

勉強、勉強.....と、ネット将棋(将棋倶楽部24とか)にはまってしまったり。弱い。

島根から送った段ボールがどこかで迷子になっているのではないかという不安あり。確認が面倒だが、放っておくわけにはいかない。

学外からssh連結でログインしていると、どういうわけかコネクション切られちゃうことがある。timeoutとかそういう設定が不十分なのだろうと、自分でなんとかできるところは触ってみるが、よくわからん。しょうがないのでscreen入れておく。autodetach onしておくと、切られても安心。こんな懐しいものを使わなきゃなんないなんて。(昔電話回線のころはほんとにお世話になったものだが)


1999/12/25

大阪に出て将棋会館●○●。某債権者、某卒論提出者等とメシ。行きがかり上、正月に将棋会館で債権者とクロックを使って雌雄を決する約束。やっぱり、チェス将棋の類は考慮時間の制限が必要だと思うんだわ。

・・・と、遊んでいる場合ではない。


1998/12/25

猛烈なノド痛と微熱。藥飲んで寝るべし。昨日も痛かったので、歌わないようにしていた(歌いたかったが)。ま、また次もある(あるのか?)


1997/12/25

今年も年を越せるだろうかと心配。

六田昇『ICHIGO』おもしろい。とりあえず6巻まで。やはりマンガは殺人じゃないとなあ:-)なんだかマンガばっかり読んでいる。

今日も『ビバリーヒルズ』を観てしまう。主人公かわいい。


1996/12/25

塾。これでまだ半分か。

とは言いつつも、塾は夕方までだったので、ちと福島の将棋会館まで。2勝。これで5連勝なので、次が昇級の1局ということになる。ほんとはその前に○○○●という成績なので次を負けてもそのつぎに勝てば昇級できるはずなのだが、カードをなくしてまったのだ。(5級から4級には6連勝か9勝2敗が必要)無念。

5級というと、あまりにも弱そうだが、実際には将棋会館のこの規定で昇級するのはけっこうたいへんなのだ。手合係りがイジワルなので:-)勝ちつづけているひとをやはり同じように勝っている人とあてるのである。級位者には、初めて道場に来て、自分の力がわからないからという理由で極端に低く申告している人などがいる。つまり実力不相応なひとが多いのだ。そういう人と駒落ち上手でたたかわされると1発でぶっとばされてしまうわけだ。観戦していると、むしろ1級、初段ぐらいの人が弱いこともありそう。私は自分では3級ぐらいと思っているのだが、7級から初めたのでとにかく勝ちつづけるのがたいへん。 次はがんばるのだ。

そういや、谷川竜王が王将戦挑戦者に決まったのね。調子にのりやすい 性格なのだな。

満月。このごろ忙しい忙しいと何も目にうつっていなかった。

正月に実家の方々が勢揃いで上洛するらしい。どうも親孝行な妹が御招待したらしい。私がこちらに来てから初めてのことである。まさかうちの下宿に来ることはないと思うが、それにそなえておくことも必要であろう。今週は大掃除計画が必要じゃな。この歳になると、少しは女性の存在をわざわざほのめかすようなものを置いておいた方が親は安心するのではなかろうかなどと余計なことを考える。

『まんだら屋の良太』や上村一夫の『一葉裏日記』なんかを読んでコタツな生活は過ぎてゆく。 上村も絵だけで勝負できるマンガ家である。これまでこの書き殴りに登場したマンガ家をならべてみると、私はどうやらストーリー重視の読者ではないじようじゃな。

ところで、岩明均が上村のアシスタントだったのは知ってるけど、かわぐちかいじもそうなのかな? 『裏日記』に同じようなタッチの絵があったけど....

上田さんが紹介していた これについては「若者たちは今」で悲惨なケースとして紹介された私としては:-)コメントしなきゃなんないような気がするが、ま、あとで。

最高に嫌いな言葉に「むかつくー」と「えらそーに」ってのがあって、塾の生徒や近所の女子高生が友達とそういうのを使っているのを聞くのは残念なことである。