午後、11月の父親に続いて、母親逝去の知らせ。急死なので驚いて新幹線で帰省。人生は苦である。
機材不良で配信延期。ボンゴレ。ビール飲んでしまう。
英語。
3回生ゼミ。
ここしばらく、Rubyを使って公開と非公開をマージした自分の日記全体を読みなおしている。おもしろい。
朝昼ゲベッケンパン、カップスープ。夜標準粗食(シシャモ等)。
またしてもちゃんとやるべきことをやっていなかったことに気づく。私ほんとうにだめねえ。
夜、久しぶりに某バーでちょっとだけ飲む。 しかしもう外で飲む男ではない。
ゆっくり起きて大学。研究室の片づけ続行。本棚や机の引き出しも少し片づける。
ユニクロに行こうとするが足が痛くてやめ。
一日があっというまに終ってしまう。天気悪くて相当苦しむ。しかしアルコールでごまかすのはだめ。
長びく足の痛みを放っておいているのはセルフネグレクトであることに気づく。強い痛みにはすぐに根をあげるが、鈍い痛みには我慢してしまうのだよな。湿布を発見したのでやっと貼る。
集中講義開始。浮気・不倫の話から。
スーパー銭湯がよい。昼はモスバーガー。長浜ラーメン。
朝ジョギング。元気づけ。
発表スライド作るつもりだったけど、これスライドじゃだめと気づいた。久しぶりに泊りこみ。
朝から。祝日だが授業日。
前日、会議を1個すっぽかしていたことに気づく。
年内の授業終了。卒業生来訪。
早く帰って寝る。
まだ翻訳。
電気カーペットは毛布とかを膝掛けにすればそこそこ機能している。 コタツはいらないようだ。
卒論相談まっさかり。分刻みの忙しさ。
代理ゼミ最終回。忘年会も仕事のうち。
生命倫理研究会。やっぱり私も仕事して人様から批判されないとね。でもあせっちゃだめ。
いろいろ片づけよう。
あれ、年末年始ゴミの日どうなるんだ。回覧板まわってこないからわからん。
研究室でごちゃごちゃ。
卒論相談1件。
あいかわらず非生産的。でも上向きのはず。細々としたことをいろいろ。
今日もちょっとだけ布団でぐずぐず。ここしばらく目が覚めたらとにかく研究室へ、 という生活をしていたのでなんかうれしい。
エアコン故障中。寒くて死ぬ。
つみのこしの仕事はもうあれだね。年末年始で。
3回生。会議。これでいちおう終了。(明日本当にないよな) モードを切り替えなきゃ。
あ、今日は祝日でしたか。陛下のお誕生日なのに不敬な大学ですなあ。
今年から導入した湯たんぽはとてもよい。文明ってのはこういうものだ。
朝起きて、2、3日禁酒しないと死ぬだろうということに気づく。でも明後日飲む予定だな・・・
補講調整期間とかで会社は営業。もう我が社は国民の休日ほとんど関係ないです。 卒論添削したり相談したり。たいへん。がんばれがんばれ。 まあ卒論書かせていると勉強させているような気がするよな。 大学生が勉強するのは就職活動と卒論のときだけ。
今年はなんというかECMな年だったな。Marc Johnsonの4枚が印象に残った。
夜になってやっといろいろ仕事始める。もちろん片づかない。とにかく 年内やらなきゃならないことだけでも把握しよう。
睡眠時間は短かくなってるのにやっぱり一日が短いなあ。昼寝してるからか。
冬至は越えたか。寒くて調子があがらん。
うわ、いろいろ仕事が残っている。大学へ。レポートの採点、卒論赤ペン、 をしなきゃならんわけだが、体が動かんな。のろのろとまず机の上を片づけて 場所を確保。 あきらかにオーバーワーク。昨日はやっぱり寝ているべきだったかもなあ。
今週も飲み会続き。身体壊しそうだ。
いったん帰宅して昼寝、また出てくる。
産経webで畠山鈴香被告の裁判記事読んでいろいろ考えたり。「反省する能力」。
Google Desktopすごいなー。なんでも掘り出せる。もうNamazuもHyperEstraierも不要か。
レポート採点苦しい。出さなきゃよかった。レポートは教員の通信簿。 それは、教員を写しだす鏡。ちゃんとしているのを見ると ほっとする。 でも明日学生さんは大学来るんかいな。がんばる必要はないのか。 あらら?1月は何回授業あるんだ?そもそも明日授業あるのか? 衣笠の学年暦はどこいったかな?
授業の出席。来年度は全部の授業で出席をとり評価に反映することを誓います。
昨日は勉強になった。新しく仕入れたポイントの一つは、"I'm working now."のタイプの文章っ てのは(ある意味で)まちがいようがない(偽ではありえない。本気であれば常に真。She is working.は偽の場合 もあるかも。)ってこと。「ある意味で」がどういう意味でかはなかなか 難しい(そこがテツガクの腕の見せどころだ)し、動詞の種類によってずいぶん違うね(これも腕次第)。 でもアンスコムはなんかすごいことを洞察していたのだろう。 すぐれたテツガクはいきなりバサっと世界の一部を切ってその稠密な断面を見せてくれる。 かっこよすぎる。こういのは時間つかって 人の話を聞かないとわからないことがある。テツガクのそういう一面に魅力を 感じる人ってきっとたくさんいるのだろう。『インテンション』読みなおさねば。
ぐは。やっと半分。
あー、衣笠のWebCTゴミすぎる。信じられんほどのゴミ。 Firefoxごと落ちる。 これで金とってるってのはどういう会社なんだ。晒してやる。 こんなもん触らせてムダにした 時間分の時給よこせ。なんか気分がささくれるとツェッペリンとか聞きたくなるよなあ。 ヘビメタとかスラッシュメタルとかハードコアとか聞いている若者たちよ、 中年もときどきささくれますよ。でも心を落ちつけていきましょう。
朝から。あんまりありがたみのない祝日。
昨日は冬至だったようだ。やっと日照時間が。
祝日なのに卒論指導。仕事をしてしまっては祝日を祝う気がない非国民と されてしまうか。
むう、Emacs Muse。 HTMLとLaTeXが出力できるのは魅力。っていうかいつもそれができないかと 思っている。 SmartDocとかってのは試そうと思って失敗した。 でも今私がLaTeX使っている一番の理由はなんだろう? BibTeXか?
あら、ノロウィルスの犠牲者が思いもよらぬところに。
午後床屋。寒いので坊主は見送り。
けっこう寝たはずなのに(床屋でも寝たのに)調子上がらず。
日記はたしかに自己顕示なのだが、ブログなんかに押されていまでは ほとんど誰も読んでいないので 十分顕示になっておらん。ほとんど交換日記ではないのか。 ロンブン書くのも自己顕示なのかどうか。自己顕示に 反感を抱く人びとはなぜ反感を抱くのか。
このまえの献血の血液検査が返ってきた。 恒例の汚れた血液。 検査項目がないところを見ると、日本赤十字社は血糖値や中性脂肪には興味がないようだ。 というより、そういうのは高ければ高いほど栄養たっぷりで献血用にはよいのではないか。 総合講評は「献血にご協力頂き、ありがとうございました。今後とも献血にご協力を お願いいたします」ということなので、とりあえず私の体も世間様の役に立つようだ。 一部には「自分は 社会の役に立たないと思いこんでいる弱者が臓器移植のドナーにさせられる」 という議論があるようだが、それはまさに私のことか。
午前中から。あら、休日なのか。百万遍の講演会に行くかどうか迷った末にやめる。
心を落ちつけて色々。
けっこうよく聞いていたChinesePod、最近多様化して面白くなくなってしまった。成長に失敗したな。ある程度ウケたら、その路線でつっぱしるべきで、他のことやりたいなら新しい番組を作ればよかったのにね。 ESLpodはそこらへん正しい方針をつらぬいていると思う。
やっぱりbibtexデータベースの記入はemacsが最高ということになるのか・・・
スローラーナーは今日も行く。本を読んでいると自分はほんとうに頭が悪いと思う。
大庭健『「責任」て何?』とか。責任ってのは語源からして応答可能という意味で、「**だから**責任を負うということは、そのつどすでにすでに呼応可能な間柄において生きている者として、その事実を与件として間柄を引き受けなおしていく、ということに他ならない」とか。こういう主張ってのは、「責任」という語や概念の分析なのか、新しい用法の提案なのか、規範的主張なのか、私には理解できない。頭悪いなあ。
同じようなことを言う人々にはヨナスとか高橋哲哉とか瀧川裕英とか佐藤義之とか数えきれないよな。ていうか奇妙なことに倫理学分野ではそっちの方が主流。
私はハートとかの分析がまともだと思っているので、「責任」という語の用法の一番中核の意味は賠償責任だと思うのだが。でもこういうことを言いたい人々が本当に言いたいことをわかってあげる必要があるんだよな。早急にわかってあげよう。
ひとつは義務や責務。
ひとつはコミットメント。上の数人が考えているのは「責任」というよりも社会生活を営む上で必要になるコミットメントで、コミットメントから生じる責任のことを「責任」と呼んでるのかな、とか。コミットすることと責任を負うことってのはたしかに概念的に分別することが難しいものな。少なくともコミットメントすることは責任を負うことを約束することを含む。逆に「責任を負う」ことがコミットメントすることを含んでいるのかというと、そう簡単な関係じゃないようだ。頭悪いからちゃんと分析できない。
大庭健「倫理とは、現にわれわれがそうであるような人間というあり方を可能にしている、もっとも基本的な規範の相対だから、である。したがって倫理はいわゆる道徳よりも広い。」
この人は「倫理」という語を定義しようとしているのか分析しようとしているのか新しい用法を提案しているのか。自分がなにをしているのかどう自覚しているんだろうか。
ていうか概念を分析するってのはどういうことなんだろうな。「分析的に真」になるようないくつかの命題を発見することなのか(ちがうだろう)、おおまかなパラフレーズを発見することなのか、用法を分類したりすることなのか。ちゃんと勉強しておくべきだった。
だいたい、「応答責任」とか言っている人々ってのは、そういう曖昧な責任ってのがインフレしちゃうことについてはどう思ってるんだろう。
ちなみに佐藤さんの本はゆっくり読んでみると、なにを考えているのかはわかりつつある。
どうでもいいことだが、日本の人文社会学ってのは学会よりも少数の出版社が方向を決めてしまっているような気がするが、気のせいだろうか。私はもっと学会誌を読むべきなのかもしれん。まあ私は学者じゃなくてディレッタントかもしれないからそれでいいのかも。ナチュラルボーンディレッタント。
げ、AquaSKKが使えなくなってしまった。言語設定にどういうわけかAquaSKKが二つ現れ、選択するとメニューバーの表示が乱れる。うーん。またOSをクリーンインストールしたいという邪悪な欲望を感じてしまう。だめだめ。だいたい内蔵DVDドライブの調子がわるいし。いらいら。帰ろう。
大庭本の後半、これはもう哲学ではなく、政治学でもなく、かといって歴史学でもなく、つまり学問ではない。意味不明なぼかし、論拠の偏り(「やくざ」については猪野健治にべったり)。なんだかなあ。まあこの人がほんとうに書きたかったのはこういうことだったのかもしれないな。長い屈折した哲学修行を経て、ついに躊躇なくアジ文を書けるようになった、ということなんだろうか。 でもまあ、色々評価すべき点も多数見つけた。
科学の目指すものは心理と説明である。現代の科学者が何より望むのは、新たに重要な真理、法則を発見し、説明を工夫し、しかもそれが将来、教科書に載ることである。現在、物理学者、生物学者、あるいは経済学者のなかで、自分の書いた論文が百年後にもそのまま読まれることを予想したり、ましてやそれを期待する者など一人もいない。これらの科学論文は、直接読んだり触れたりしてもらうことを意図しているのではない。・・・これに対して、芸術や文学作品が作られるのは、それに直接ふれてもらうことを意図してである。・・・だがこうした芸術作品(は)・・・真理や説明を与えようとするものではない。・・・さてしかし、真理や説明などを与えようとする一方、単に他人の著作の内に組み込まれるよりは、読者が直接本文を読んでくれるいことをも意図した一群の作品がある。政治哲学、社会理論、道徳理論、宗教思想、その他多くの哲学の名著がこれに入る。こうした名著の作者は真理を追究し、またそのことを重視していながら、しかも自分の作品がそのまま読まれ、肉声が伝わるよう意図して書いたのである。 (ノージック『考えることを考える』下巻、pp.494-495.)
休日らしいがあんまり価値がない。「大掃除の日」と名付けてはどうだろう。昼から。資料を探して研究室の紙ゴミを捨てまくるが、捨てても捨ててもきりがない。
いまさらだが、高校によっては世界史を履修していない学生ってのがいるようだ。そういう学生は大学で世界史を必修にして高校内容でいいから教えるべきなんじゃないかな。
なんか眠くて調子上がらず。今年もあちこち静電気バチバチでつらい。
今年はさまざまな予算を順調に消化し、ほとんど残りがないようだ。
やはり調子あがらず。今日は帰るか。
なんでフェミニズム関係ってのは明らかな誤訳や意味不明ところが多いのかな。
寝る前に『アイーダ』第2幕を見て、少しああいうものの楽しみ方がわかってきたような気がした。
冬至過ぎたら元気が出てきたような気がする。 昼前に起きて久しぶりにジョギング。午後研究室。 『のだめ』を揃えるが、第2巻だけ入手できない。天才はいいねえ。
昨日大勢の人が集まるところにいたせいか、 カゼをうつされたらしく喉が痛い。
最近感心したMP3ファイル。友人のYONOSUKE君たちが匿名掲示板でMP3をやりとりして作ったそうだ。 ネットはまだまだ可能性があるなあ。
研究会。おじさんたちは皆元気だなあ。
夜なごやかに宴会。とはいえ、肝臓が疲れていて飲めない。
テレビでチャップリンの『独裁者』。プロパガンダ戦争。 ちょっと前に、「自分は戦争行って鉄砲打ったりすることはない歳になった」と 核心したが、今回は「人に石を投げたりすることもないだろう」と思う。 歳を取ることは悪いことだけではない。
行方不明。どっかで研究会があったような気がするが。
自宅のemacsも20.5にした。
某ミーティング。
某研究会に出席しなければならなかったのだが、まったく起きられない。すみません。すみません。(前日はそんなに飲んだわけではない。喉が痛い。かぜか?)
やっぱり調子悪い。むう。研究室にイソジンがあるので使わせてもらう。
研究室のMacのモニタ解像度が調整できないまま。「モニタ&サウンド」コントロールパネルには、640 x 480の選択肢しか出てこない。いったい何が原因なんだろうか。
もうハードディスクをフォーマットするか。
というわけで、フォーマットしなおしてMac OS 8.5を入れるが、やはりモニタは640 x 480のみ。あれ、モニタに附属のフロッピーかなんかが必要だったのかな?
はっと気づいて確かめると、ビデオのケーブルが抜けかかっていた。これか。というわけで復旧。うーむ、ケーブルをたしかめるなんて初歩の初歩。一応画像が出ていたので見落としてしまっていた。
ついでに、OSを8.5.1にしておいた。
pascalの/export/homeのバックアップを取る。
生命倫理の研究会。飲み会には出席せず。家で仕事。この仕事が終って明日の授業が終れば一応冬休み。
『黒鉄』で気になっていた冬目景の『羊のうた』ってのを買ってみたら、これが『灰になった少年』タイプの遺伝病の話。むう。なかなかおもしろいぞ。絵柄がなかなか好みである。
この前『オレンジ』といっしょに借りてきていた『フルメタルジャケット』をストレッチしながら観る。標準的なベトナム映画だよな。
ふとビデオカードを抜いてしまえばイーサカードを入れることができるんじゃないかと思った。また電気屋で確かめてくることにしよう。
塾。今週はほとんど昼から夜まで塾の仕事。きびしい。