対面と配信授業。これで年内の弊社の授業は終了。
卒論相談まっさかり。
冬至。3回生。
寒さはちょっとゆるむ。
やっぱりおそらく2012年のMacbookはもう使えない。これまた古いMac Mini持ち帰るか。ディスプレイとか運ぶの面倒なんだよな。→ めんどうだけど徒歩でもちかえった。
2回生と4回生。卒論はがんばってほしい。進捗はやはり例年通りという感じか。けっこうおもしろくなりそうなものもある。
Rubyをちょっといじって、web日記と個人日記をマージしてみる。こういう感じかあ。まあ簡単にできることがわかれば今は十分。nokogiriというライブラリを使うまでもなかった。
一月以上食生活もこれまた崩壊しているので立て直したい。
ふと思いたち、岡崎のロームシアターにバレエ(東京バレエ団)を見に行く。 生オケで胡桃割り人形。実は生オケバレエははじめて。ロームシアターもはじめて。 客の入りは8分か9分ぐらいで当日券があった。 3階の端っこの席でよく見えないが、よくできたバレエだということはわかった。というかとてもおもしろい。 それにしてもあいう四角いホールの3階席4階席は高所恐怖症にはよくない。
夕方少しプール。
戦略的長時間睡眠。とはいえ8時間半ぐらい。冬至らしい。
年末感漂うが、一仕事も二仕事もある。卒論相談も数件。
三条まで歩くが、左足まだ痛くて悪化させてしまう。やっぱり痛いところがあるときは動いてはいかん。
研究室すこし掃除する。掃除するだけが人生だ。
某二大学合同ゼミでお座敷。準備不足の感じはあるが、まあそれなりに楽しんでもらえただろうか。飲み会の円満に。ツイッタ関係者にも数名会える。
Booking.comでとった宿は実は安宿だった。クリスマス周辺だけものすごく高くなっていて、無駄な金を使ったと臍を噛む。
年内の授業終了、と言いたいところだが、火曜日の今出川がまだ残っている。
いろいろやばいのだがブログ書いたり。
午後雨。数日前に雨用の靴を買っていて、水が染み込んだりせず快適。あれはけっこうQOLを下げていた。
キムチ鍋。
ゼミ3コマ。4回生でお食事会。(きさきへ)
冬至。今年は楽。
あれは年内にいったん終りたい。
ジム帰りにユニクロで買い物。ダウンジャケット(コート?)、カーディガン、シャツ1枚。
連休なのに卒論相談。
今日も療養。研究会はパス。無理はしない。
しかし『風雲児たち』読んで時間が過ぎていくってのはそれでいいのか。
amazonで布団とこたつ布団買うかどうか迷っている。まあ買うか。QOLのためにはお金をおしんではいかん。ポチった。どうせ買うならもっと早く注文するべきだったか。
冬至。寝坊。しかしなんとか厳しいところを生き延びた感じ。
吉田。
帽子を吉田準備室に忘れてコンビニで1個買う。安物買いのなんとか。
冬至。
卒論相談。
会議。
卒論相談。計5件。
やっと冬至。ふとんのなかでぐずぐずする楽しみを味わう。
卒論、卒論、 会議。1回生。 2回生。卒論。会議。疲弊。
ひさしぶりにemacsを作る。
衣笠。人前に立つ仕事は今年終了。でも他にも。
ピーター・バーンスタインの『リスク』。天才たちは偉いねえ。 天才的学者たちは、なんというか、世界に対する態度が我々凡人とはまったく違うんだな。 もっとも、自分が天才だと思っている無能な凡人や敗残者や気違いもおそらくたくさんいるわけでなあ。 翻訳は意味不明なところ多数。
一日寝ている予定だったのだが、 やっぱり勉強もしないとならんので大阪へ。 いろいろ勉強になる。若い意欲的な人々をたくさん集めて偉い。未来は若者のものだ。 それにしても、こんな喫煙者が多い研究会ってのは今時めずらしい(そこらへんがテツガク関係者のアレさを示しているか)。 研究会ではあんなもん(わりとひかえめ)だったと思うけど、飲み会で暴れすぎ。ごめんなさい。もちろん、べつにその場の誰かに対して怒ってたのではない。 いかんいかん。 仕事しよう、勉強しましょう。いろいろオルグしたりもする。 今年もなんとかサバイブさせてもらったのは みなさまに感謝。あ、まだ1週間もあるよ。
早起きするつもりが長時間睡眠。人生は安楽に寝るためにある、と言ったら アリストテレス先生は怒るだろうか。
昼前から。校舎が静かでよい。リストの「巡礼の年」なんか鳴らしちゃったりして。
大阪市立大助教授セクハラ。10年近く前の悪行まで暴かれている。 「常習犯である」という指摘なのだろう。まあその手のwrongdoingは 「気の迷い」なんてのはないのだからして。
締切とっくに過ぎているやつを片づけねば。
LaTeXと文字数制限の関係というのは皆悩んでいるのだろうが、 どうしたもんだろうか。今はdvipdfmxでPDFにしてさらにAcrobatで テキストかRTFにしてWORDで数える、という馬鹿げたことを強いられているわけだが。 pdftotextは日本語が通らん。jsarticle.styだと40文字×36行=1ページ1440文字ぐらいらしい から、原稿用紙3枚ちょっと、と考えれば、 原稿用紙30枚という指定ならばA4で8枚強で抑えれば許してもらえるだろうか。
うーん、これでいいか。だめだめ。なんでまとも文章が書けないんだろう。
卒論指導2件。卒論指導する前に自分の文章を見直せという話なわけだが。
上野千鶴子とBMWかあ。「女の席は助手席」かあ。うちの田舎では免許と車持ってない人間(男女ともに)は一丁前ではない わけだが、都会の上流の人は違うなあ。 実は私も(現在反のところ自家用車主義者なのだが)無事定年まで勤められたら退職金で ジャガー買って乗りたい。夢。それまで内燃機関自動車が残っているかどうか。
『たそがれ清兵衛』おもしろいじゃないか。
雪。昼前から大学。静かだ。
卒論指導。たいへん。唯一の指導らしい指導のようなものなのだから、まじめにやる。
まさに無駄な履歴書とか業績表とか書かされる。どうせ等級が変わったりするわけじゃないのに。こういうの、書式を埋めろとか言わずにwebのコピー一発にしてほしい。せめて文科省の資格審査の様式なら一発で出せるのに。ていうか、ReaDとかで一括管理するわけにはいかないのか。(まあ微妙な情報だから無理か)
京大生協。ちょっと予算が余っているようなので、文献の整理をするためFileMakerPro8を購入。FileMaker5はもっていたのだが、バージョアップをさぼっているうちに丸々買うことになってしまった。でもどうせbibtexなんだからemacsで十分かな。とりあえずテスト。
岩波の「1冊でわかる」シリーズ、今日は『ヨーロッパ大陸の哲学』。このシリーズはどれも立派だ。と思ったが、『ポスト構造主義』は読む価値がなさそうだ。
「ラカンは途方もなくよく本を読んでいて、きわめて知性が高かった。彼は折に触れてたとえば絵画、建築、悲劇などにコメントしているが、ずっと重々しい学問的著作何冊かにそのコメントが匹敵することも珍しくない」とか
「デリダを読むのがむずかしいのには、三つ理由があるわ。まず最初は、彼が(大陸の)哲学者だってことね。この伝統の外ではあまり行きわたっていない対象に幅広く言及するの。彼のとりわけ不可解な言明の多くは、わかってみるとプラトンとかヘーゲルとかハイデガーに間接的に触れていて、わたしたちの大部分とは違って彼らの著作に精通した人には、全然難解ではないのよ。つぎには、たいへん細かいところにこだわるということがあるわね。繰り返しが多くて気取りすぎだと思えることがあるかもしれないけど、それは厳密さを求める欲望から来ているのよ」とかって馬鹿な文章をこのシリーズで読むことになるとは。
ついでに、ちかごろ時々見かける「パフォーマティブ」とかってものがちと気になるので、デリダ『有限責任会社』をいまごろよむ。キチガイ。精神的有害。「サールの「反論」に対するデリダからの反応として、サールのほとんど全文を引用しながらの徹底した「理論的」反批判であると同時に、そのエクリチュールそのものがサールの「論」の限界を示す「実践」である点で、デリダの数多いテクストの中でも最もテンションが高く、狡知に満ちたものの一つといってよいと思うが」とかって訳者のあとがきの文章も笑わせる。
そういやシュワルツコップの『バラの騎士』は第1幕だけアンソロジーのなかで見たことあるんだった。映画全体で入手できるか調査中。
昼前から。念のため保健室から胃薬をもらっておく。新しいお医者が私の血液検査をはじめて見て見て驚いていた。「・・・これ、お酒ですか?」ははは。はは。
カラスのトゥーランドット。ベルカントものがわからない私は、プッチーニもよくわからないのだが、この作品だけは特別によく書けていると思う。オケやコーラスもよい。ピンポンパンを登場させたのがよかったのではないかと思う。
これで今年のCD購入はおしまい。面倒でまとめる気になれないが、ずいぶん買ったなあ。
卒論相談。
日本分類学会連合公開シンポジウムかあ。なんかいい。ページを見たとたんに鼻から息がムフーと出る。なぜだろう・・・この連合の「加盟学会」のページを見てさらにムフー。たしかになにかを分類したい。御存命の哲学者の方々も標本とって分類しといたらどうか。
冬至。柏原。ケララでカレー。『のだめカンタービレ』第1巻に感動する。
ひきつづき社会哲学。 なんだか調子悪いので飲み会はパス。なんだかなにもかにも疲れた。 なんか、自省もできないような状況でこれはいかん。
研究会。ちゃんと懇親会の場所を用意していないので、おじさんたちを 冬空の下路頭に迷わせることになる。
ラジニ・カーント先生の『パダヤッパ』。なにもそんなに スーパーマンにしなくても。敵役の女の方が魅力あるよね。
いちおう松江の街を見る。ま、田舎はいいね。故郷に帰りたくなった。
最近、HTMLで文書を書くの疑問を感じている。っていうか、HTMLで書いてLaTeXにしたり、LaTeXで書いてHTMLにしたり、BibTeXのデータベースはどうするかとかってことを考えるのが面倒。latex2htmlやhtml2latexってプログラムはあるが、もうひとつ気にいらん。XMLで書いてLaTeXやHTMLに直すのが正解? しかしその具体的な情報(どういう実装があるのかとか)がWeb上で見つけられなくて。本を買って読まなきゃだめか。
NHKで再放送している『映像の世紀』おもしろいなあ。
臨界事故で被曝した人が死んだというニュースでイヤな気分になる。死んだという事実よりは苦しんだろうという推測に。
ラジオを聞いてると、京都で灯油と間違えてガソリン売ったとか。ひゃー。(その後、やっぱりボヤが出たそうだ)
クリスマスはキャンセルがはいってしまった。なにするかねえ。
特記事項なし。某債権者、某大将と飯。いったん帰宅してから、某友人と飲む。
ちゃんと道端で呼びこまれて、ついに木屋町の「ラウンジ」なるところに行ってみる。飲み放題1時間4400円。女の子の質は低い((元)ヤンキーばっかり)。某友人はごきげん。「延長するぞ」と言いだす。私は(予想通り)退屈。(もてないからか?)
サンタクロースのPC9821Cb2にイーサカードを入れて大学の研究室で接続する計画は、挫折しそうである。今日電気屋に行って探してみたのだが、そんな古い機種に適切なカードはもうないとまで言われてしまった。モデムカードの差入れ口が独自の形になっているのね。もともとごちゃごちゃ付いているタイプなのが悪かったようだ。
授業中、教室をうろうろ歩いていると(語学の授業中は歩きまわることが多い)、左膝を机に打ちつける。がっ。しばらく声が出ないほど痛い。
というわけで、歩くたびに膝の存在も意識するようになったのであった。少なくとも、痛みの存在は確信している。めでたし。
ヴィトゲンシュタインなんかが「痛み」にこだわる理由もわからんでもないような気もしないでもない。
もし痛みが存在すると意識しているならば、必ず痛みは存在しているんだけど、この概念的真理に今気がついた。トートロジーなんじゃな。しかし意外なことでもある。(ヴィトゲンシュタインや永井均あたりが言ってそうなことだ。よく知らんけど。)
冬至ということで、今日は銭湯は柚湯。袋に柚を大量につめて湯ぶねに浮かせている。しかし、銭湯のああいうものってのはかならずしも清潔なもんじゃないような気がするよね。もっと早い時間に行くべきであった。
u-pageではどこからリンクされているのかを知ることができないのがやはりちょっと気になる。CGIやSSIが使えるso-net本家の方に移転するかなあ。
ジョージ・秋山『捨てがたき人々』。ビックコミックゴールドで連載中のやつ。すでに名作。
そういや、このまえも『灰になった少年』が文庫化されたので入手した。前にも書いたがこれは私が少年のころにジャンプに連載されていたやつで、非常に恐かった記憶があるのだが、今よむとあまりたいしたことがない。ちょっとがっかり。
おそらく原因は、文庫化に際して差別的表現を書きなおしたりしたからではないかと思う。もしかしたらカットされたページもあるかもしれない。連載当時のものは血友病その他の遺伝病に対する誤解を招くような表現が多かったはずである。で、実際、私が感じた恐怖の多くは遺伝に関するもんだったような気がするんだな。
徹夜でキェルケゴールの研究会のレジュメをしあげて発表。もちろん忘年会。なんだか久し振りに人間らしい会話をしたような気がする。レジュメを書くのは今年はこれで最後。なんだかレジュメをつくってばっかりの1年であった。当然飲みすぎ。