1205の連用日記


2023/12/05 (火)

大学は記念日休講。 ゼミで宝塚を見に行く予定だったがキャンセルに。あんまり歩かないところを歩きまわるハメに。疲れた。


2022/12/05 (月)

いつものことだが、昼間も眠くてなにやってるのかわからなくなり、動けず部屋も台所その他ぐしゃぐしゃ。なにもしたくない。注意や関心も失われるのよねえ。

夜サッカー見る。対クロアチア、延長引き分け、PK戦。


2021/12/05 (日)

ちょっと調子悪い。研究会。

最近入手したご飯茶碗と漆の味噌汁椀。生活を改善したい。



2020/12/05 (土)

時間がどんどん飛んでいく感じ。起きてる時間が短いし、昼もうとうとしているからねえ。

メンテナンス。メインマシンのバックアップもとる。

事務仕事のキャッチアップ。明日大きいのをやらねばならんのだが、その前に気になってるの片づけないと。


2019/12/05 (木)

全学休講の日。

夕方あまりよくない知らせ。心配ごとはつきない初老の男。

『アイフィールプリティ』観て早々に寝る。


2018/12/05 (水)

深夜悪夢を見て起きてしまう。心配事を反映しているやつ。じじいになっても夢は見るのだ。

学園記念日で休講。発表準備しなくては。もう今回はいつもとはぜんぜん違うアプローチで発表しようと思っている。つまり、好きなことを言う。

ツイッタで論文や書籍や学会発表にコメントしては怒られている。どうしたらいいのかな。もちろんネガティブなことは書かない、っていう方針はあるだろうし、某先生からは「ポジティブなことは表で、ネガティブなことはこっそり」という方針を教えてもらった。でもほんとうにそれでいいのだろうかと思う。プライベートなことはともかく、勉強的なことはもっとおおっぴらに書くべきじゃないかと思っている。だれがどういうことを考え、どういう評価をしているかを共有することはとても大切なことだと思っている。

発表準備。ちょっと考えをふりきって、いつも自分が考えていることだけを話そうかと思う。面倒な細かい議論をもっていくこともできないではないが、そういうのやっても無駄な気がしている。


2017/12/05 (火)

記念日で休講。仕事仕事。


2016/12/05 (月)

午後なんか不調。ラーメン食ったからなのか。

私教育熱心すぎるな。もっと研究するべきなのだろうが。

夜かなり調子悪くなり、早々に寝る。とにかく睡眠。


2015/12/05 (土)

東京出張。はじめての早稲田大で査読委員みたいなの。やはりドイツ哲学系定年世代とは隔りを感じるが、まあそれほど苦しまずにすむ。社交するべきだったのかもしれないが、無理するのもあれなので会議おわってすぐに帰る。

ジョギングとサウナで体調をととのえる。

『スーパーベター』はやっぱりネガティブな人間にはよいものだ。まあアプリとかはすぐ飽きてしまうだろうが、考え方はほんとに革命的だった。


2014/12/05 (金)

寒くて苦しむ。

とある珍しい症状に苦しむ。


2013/12/05 (木)

記念日で学校は休み。しかしあんまり影響なし。

歩いて吉田。徒歩はいい。人間は歩く動物だ。


2012/12/05 (水)

大学は創立記念日で休み。1日研究室でだらだら。


2011/12/05 (月)

けっこうよく寝た。


2010/12/05 (日)

年末。きれいな体で新年を迎えたいものだ。そのため努力。

調子悪いときは起きていてもネットぐるぐる見たりする。 ふつうのときはその時間で本が読める。


2009/12/05 (土)

11時間睡眠。寝すぎだけど無理矢理起きてもけっきょく使えないのでしょうがない。

小雨。ちゃんと厚手セーター着用開始。もっと早く着用するべきだったかもしれない。

午後、お日様が出てきたので散歩。 さらに軽くジョギング。

めでたくすべてのジーパンに穴が空いてどどうしようもないので 高島屋でジーパン1本。いつもの503が欲しかったのだがサイズがないので505にしてみる。

丈つめの待ち時間に地デジとハードディスクレコーダー導入を検討するが、 京都は従来の比叡山向けの他に生駒山向きのアンテナもう1本立てる必要があるとかなんとかで馬鹿らしくなってやめる。

今日は無理せずだらだら。

デパートとか行くと、世の中にはいろんな物品があって物欲を誘っているのだということに 気づく。家庭用品売り場で漆塗りの汁椀買ってしまいそうだった。でも 物品では人間は幸福にはなれないのです。(でもよい物品は少し人間を幸福にするかも・・・本物の漆のだったら20年ぐらい楽しめる だろうしなあ。)いい歳なんだから服もそれなりにしないとなあ・・・いやいや、服では人間は 幸せにはならんです。(いや、なるんだろうか。少なくとも自己評価は少しあがるんじゃないだろうか・・・)


2008/12/05 (金)

久しぶりに早起き。学園行事で休講日。めでたい。仕事しなきゃ。

株式会社ジーゲートさんから電話。おそらく ここ。 不愉快度C。

昼までにけっこう仕事をやっつける。やればできるはず。しかし1月近くほとんどなにもしてなかったので タスク溜まりすぎ。それにやればやるほど仕事を発見したり思い出して牛リストが長くなっていく。

いったん帰宅。国会予算委中継やってる。もっと真面目にやるべきだと思う。舛添は 今年をうまく乗り切れば将来あれかもなあ。、

研究室もどって地べた(じゃなくてキルトの上)で昼寝。と、あっという間に夜で、さらに悪いことにノドが痛い。毛布もかぶるべきだった。

人間が小さいというのはどんなふるまいをしていても見えてしまうものだとか。 あんまり細かいこと気にしちゃだめ。っていうか、なにが大事でなにか小事かを正しく判断するって のが大事だってことだよな。人間の器とはそういう判断力なのかもしれん。 まあ「器」なんてことについては人生ではじめて考えたな。そのきっかけが小さすぎる。

1日かかって、年内にしなきゃならないことだけはわかったような。

地上波デジタルとHDDヴィデオレコーダーとBSとかの関係がよくわからんのだが、 どうしたらいいんだろうか。まあまだなにもする必要がないのだろうか。 でもHDD/DVDレコーダーは必要な気がする。でも本当は必要ではないのだろう。 それよりは電子レンジが必要だ。


2007/12/05 (水)

今日も寝すぎか。創立記念日で休講の日。ありがたやありがたや。感謝しつ つ有意義に過したい。

しかし創立記念日の有意義な過し方とはなにか?やっ ぱり部屋の片付けだろう。とにかく床においているものをテーブルの上に。それだけで ずいぶんよくなる。

床屋に行きたいような気がするが、いまヒゲ剃りされるとひどいことになりそうな気がするので やめといた方がいいか・・・

教育についてまだ考えてる。 うちぐらいの学生の一部は、教師や他の学生の話が理解できないことが当然だと思わされて 中高教育を受けてきた学生がいるような気がする。「お客さん」あつかいされてて、 当人もそれになじんでしまっているとかそういう感じではないだろうか。

階級についても考えたり。民主党より自民党の方が労働者階級の味方、というか 議員に労働者階級出身の人間が多いんじゃないだろうか。

また教育について考える。どうも我が社我が部門ではコンピュータ・ネットワーク技術離れが進んでいて、一部で問題になっているようなのだが、当然だよな。景気がそこそこ回復して働き口があるときに、プログラマやらSEやらっていう低収入の職種につこうとする学生がいるわけがない。学生の方が教員よりそういうのには敏感なのだ。

「桜」のエヴァ漫才youtubeで見つつ、やっぱり階級とか教養について考える。エヴァンゲリオンはフェイクの教養に訴えることで、階級意識(中流高学歴予備軍の?)に訴えたわけだわなあ。漫才ではたしかに「わからん」が重要。 日本でモンティ・パイソンは可能か?っていうしばらく抱えている問題。「漫画やアニメとして実現している」が答えなんじゃないかな。

心落ち着けるには時間がかかる。アタラクシアにはとんでもない対価が必要だ。 そしてこの季節、5時には日が暮れてしまう。なんだこれは! M-x sunrise-sunset [RET]

Wed, Dec 5, 2007
Sunrise 6:52am (JST), sunset 4:45pm (JST) at Kyoto, JP (9:52 hours daylight)

10弱時間しかdaylightがないじゃないか!もっと緯度の高いところにいたら どうなるんだ。

環境問題って難しいなあ。 やっぱりダメな研究はそれを知らしめるのが学者の社会的責任なのかな。 たいへんすぎるような気がする。ふつうの人にはできんわな。

けっきょくなにもせず貴重な一日が過ぎる。

サバティカルなんてものも、 「自分の研究室に1年こもっていてよいです」ってのなら価値があるなあ。 外国とか行くのはいや。「あのひと、なんですか?」「さあ、前はここの先生だったらしいけど・・・」とかってのが理想。

音楽の鑑賞は、意識せざる算術の計算であるってな意味のことをライプニッツが 言ってるとショーペンハウアーが書いてたような気がする。 ライプニッツ先生はバッハ先生と とりあえず同時代人だからな。


2006/12/05 (火)

ゆっくり起きる。頭に霞がかかっているのは昨日と同じ。

「心の学園記念日」なるもので休講であった。

頭も体も動かないが、せっかくの空き時間なので部屋の片付け。

校正提出。 私の内なる誤植大魔王の出現はどうにかして防ぐことはできないのだろうか。

夜、チケットもらった百万遍音研の演奏会。 おかげで カプースチンという 作曲者を知る。おもしろいな。譜面に書いた複雑なジャズというか。 ああいうのは譜面に書かないと弾けないだろう。 あとはモーツァルトの人がおもしろかった。音楽ってのは色々やり方がある。


2005/12/05 (月)


2004/12/05 (日)

朝帰宅。鴨川増水。魚や鴨やユリカモメはどこにいるのだろうか。ごはん食べて寝て夜また出てくる。


2003/12/05 (金)

昼まで寝る。床屋。大学。

ちょっと飲んでしまう。


2002/12/05 (木)

小春日和。昼すぎまでぐずぐず寝ている。

午後研 究室へ。 「心の学園記念日」という奴で今熊野大学はお休み。 お休みの多い大学である。

夜軽くウォーク。


2001/12/05 (水)

昼まで寝ている。午後研究室へ。「心の学園」記念日とかで大学は休み。静か。 ぼやぼやしていると日が暮れてしまう。秋冬はいかんよ。

久しぶりにプールへ。 心臓や足はまだしも、腕の筋肉が弱っているようで、100メートルクロール2本なんかは 格段に差が出ちゃう。(1本目は2分5秒、2本目は2分20秒)


2000/12/05

今熊野大学は創立90周年記念式典とか。 しかしそれには出席せずに深草へ。全学授業アンケートとか取ってる。

研究室に泊りになってしまう。


1999/12/05

前日は9時前に布団に入り爆眠。起きると1時。ひゃー。

積極的疲労回復のため、軽くジョギング25分。

日中停電。pascal(Solaris 2.6)を120日ぶりぐらいで落としたのだが(安定してるなあ)、再起動するとCD-Rの動作がおかしい。メディアを入れても吐きだしちゃう。うーんと、どうなってたんだったかな。

昨日バックアップとっておくべきだったんだよな。とりあえずciceroとpascalの/homeだけとっておく。

cvsupの使い方を知る。packageで入れて、/usr/share/example/cvsupの例のhostのところだけ変えて使えばよい。むむ、なるほど。/usr/portはいつもup-to-dateにしておこう。


1998/12/05

某師匠からのモーニングコールで起こしてもらって、合評会に顔を出す。こういう会合にはもう顔を出さんでもいいのかもしれん(あるいは出さない方がいいのかも)と思ったり。いや、なんとなく。もうおじさんじゃから。

某医者が言うには、口に端の炎症と、ワキの下のやつはどちらもヘルペスの発症であると言う。不摂生すると出ると言う。むう。


1997/12/05

モデム故障?

朝起きると、モデムの調子が悪い。とつぜんどこにも接続できなくなってしまう。うう。大学のコンピューターに接続するために毎日1〜2時間も活躍しているものなのだが。こまったなあ。ここらへんの値段のものってのは修理に出すよりは新品を買っちゃった方が安かったりするから難しい。いまさらモデムを買う気にはなれんよなあ。14400bpsのやつで十分なんじゃが。中古で探すか...とにかくしばらく電源切って休ませて自然治癒を待つ。(機械は自然治癒せんてば)

SO-NETからtelnetでsocioに入るのは遲くてストレスがある。もう完全にsocio利用をあきらめるか。メールとニューズとWebを読むだけなんじゃから。

ネリネリ

ココアを飲むことが増えた。ココアパウダーと牛乳を撹拌すべき器具がないので、割箸を大量に使ってみたが、やはり「ダマ」ができる。やはりバンホーテンさんのレシピ通りちょっとずつ牛乳を加えてネリネリするのが正しいようだ。一人暮らしの中年男が乱雑な台所で背中をまるめてネリネリしているところを想像することなかれ。

「おふみ」とかいうもののために(うそ)床屋へ。さっぱり。何箇月ぶりか。

前歯

歯医者。前歯を削り、仮歯を入れられる。むう、全部で2万円近くかかるらしい。私は社会保険じゃなくて国民健康保険なので、3割負担なんじゃよ。痛い。(肉体ではなくアレが)

インフォームド・コンセントについてもちょっと考える。(この歯医者はまずまずなのだが...)

夕方、数人の人と梅田付近で飲む。梅田は歩道橋の階段をころげおちる若者、駅の構内で転んで血を流す老人などいろんな人がいた。


1996/12/05

雪は憎悪しているが、雨はきらいではない。特に家寝ているときに振っている雨はよい。外を歩くのも、大きなちゃんとした傘と、水がしみこまない靴があるときは悪くない。

塾の日。

深夜、久しぶりに研究室へ。将棋を指す。1勝1敗。

唐突だが、小学4年生のころ(えーと、1975-6年かな?) 頻繁に「おたく」という言葉をつかっていたのを覚えている。電気屋などで知りあった同年代の少年をどう呼ぶかで困ったのがきっかけだったのでないだろうか?顔は知っているが、名前はよく知らないという人をどう呼ぶかというのはなかなか難しい問題である。関西では「自分」という二人称があって非常に便利なのだが。その後10年近く経てから「オタク」という言葉が市民権を得たが、あのときは「そうか、私はオタクだったのね」と感慨にふけったものである。

そういや、大学の体育の授業で、卓球やテニスなんかを履修していたときに、「ねーちゃん、相手してくれへん?」 などといったらいやーな顔をされたこともあったな。難しい。

「顔は知っているが、名前は知らない」という状況を経験することは多いが、こういう状況になってしまうのはそれほど当然でもないことに気づく。ふむ。

倫理学の授業なんかをしていると、解説や論文集より、適切なアンソロジーが欲しい。海の向うではその手の本が大量にあるが、国内ではどういうわけかそれほどないようだ。SingerのEthicsなんかが最高によいのだが、同じようなものを偉いひとが作ってくれないかな。版権の問題があるのだろう。