苦しむ苦しむ。とにかく睡眠第一で。
某オンライン研究会。若い人びとの邪魔にならないように。夜ビール飲んでしまう。
配信講義2個。もうすこし。
英語。
某記事が公開される。まあそこそこの反応で炎上することはなさそうだ。しかしいまだに文章指導受けないと読める文章書けないというのはちょっとなあ。
1回生は音楽聞いてディスカッション。4回生もがんばれがんばれ。
本日もだめな食事。
発表準備やばい。
卒論相談もやばい。
今月から近所のスーパーのフレスコが電子支払機になり、電子マネーも使えるようになったのだが、私らはよいものの、年寄は苦労している模様。いらだっている人々も目にする。ああいうのはよくないよな。年寄レーン作ればいいのに。24時間営業にもなったのだがこの地域で夜中活動している人なんかいない。
午後、帰宅して飯を食い、軽くプール。締切であせってるときこそ体をほぐす。
悪い知らせ一件。人生は苦であり、そこから解放されることはない。
いろいろ慌ててまじめに仕事しているつもり。
昼前納豆と味噌汁。夕方王将。夜プールへ。
ふたたび腰が悪くて苦しむ。どうしたものかね。
天気悪くて朝から苦しいので「スーパーベター」をやってみる。それなりの効果。英語。午後プール。 だらだら泳いでいると、スーパーベターの課題のヒーローとしての「Secret Identity」が見つかる。意外なものだった。
泣きながら原稿。いかん。
長時間睡眠。少し回復。
寝坊する。
卒論相談2件。
天気悪くて調子悪い。
いろんな業務や面談。卒論相談も。
今日は大丈夫。講義。4回生。
雨。寝ても寝ても眠い。不快。井戸水でも浴びるべきか。
吉田。戻って会議。つらい。
調子悪いのでスポーツジジム・エアロビにデビュー。いきなり上級のクラスに行ってしまったらしく、 運動好き中年男女がムンムン。動作がわからず苦労する。体力的には可能だが、動きがあわず。 他の人の迷惑になるとかそういうことを考えると いやな気分になる。そういうのは非常に苦手だったから体育の授業など嫌いだったのを忘れていた。 やはり一人で道を走る方がよかろう。
今日はさすがにいろいろ片付けなきゃ。
あれ、ジェインズの『神々の沈黙』って70年代の本なのか。 こんなものいまごろ翻訳するってのはなんだろうな。
F.J.ネクスト社からお電話。おそらくここ。電話不愉快度B。
3回生、会議。
なんかここ数日gmailのスパム判定が甘くて何度も同じもの読まされている。 そのたびにReport SPAMしてるんんだが。
寝坊。まずい。
ここ1週間ぐらいで 「生権力」と「リベラリズム」に関する話題から。あ、あと昨日読んだケインズの 「若き日の信条」(おもしろい)から学んだこと。なる ほど、(私もよく使ってしまう)「〜って何ですか?」「〜ってどういう意味 ですか?」という問いを、「ふつうの(/多くの/偉い)人はどういう意味で〜 という語を使っていますか?」という問いだと解釈する人がいるんだな。わた しの感覚ではこの問いは「あなたはどういう意味で使っていますか?」あるい は「あなたはふつうの(/多くの/偉い)人がどういう意味で〜という言葉を 使っていると考えているのですか?」なんだけど。これは文化の違いが背景に あるかもしれない。問いをもっと明示的にしないと誤解されて非常に危険。 「〜って何ですか?」のタイプの問いは時にぶっきらぼうで傲慢に響いてしまう。 注意すること。「えー、うしろの議論をよく理解するために一応確認させてい ただきたいのですが、ここであなたは〜という語をどういう意味で用いてるの でしょうか」なら大丈夫だろうか。もちろんこの問いのバックには、 「〜という語は人によっていろいろ意味が違うからまずそれをはっきりさせてくれないと」 っていう意図があるから、まあ傲慢ちゃー傲慢、攻撃っていえば攻撃ではある。
ゼミは1人落として定員の12に。できれば定員は10にしたいところだよなあ。
衣笠。 『道徳の系譜』。今年は第三論文を。なんか燃える。ルサンチマン人間、それは私です、とかそんな感じ。 ニーチェについて話をすると、いつも 「この学生さんのなかのひとりが数日後に犯罪を犯して〜」とか考えちゃう。馬鹿。
遺伝子操作。社会心理学の知見を確認しないと。口頭でも不正確なのはいかん。 そう、批判・批評・質問してもらうのは重要だなあ。どうしたら 学生さんから本気の批判や質問をもらえるかそろそ本気で考えなくちゃ。
「ソーシャルスキル」とかってのは、教育することができるんだろうか。 っていうか私が教育されたいような気がする。ていうか ソーシャルスキルってなんだろう。「うまくふるまう」ことか。 難しい。でもなんか工夫すれば少しはなんとかなるような学生も多いような 気もする。でもあんまりそういうのを考えちゃうのと萎縮してしまうような気がする。
寒い寒い寒い。蛇口をひねればお湯が出る時代と国に生まれたのはほんとう にラッキーだ。「私にはこれ以外の生まれかたはできなかったのだから(もし そうなら私ではないので)、私はラッキーだと思うことは意味をなさない」と 主張する気にはならん。なぜか。お風呂はあったかいから。ありがたいありが たい。もうヴィシュヌやめて本願寺でもいい。
ドラえもんとダイモンってのはどの程度関係あるんだろうか。 藤子不二雄は教養があるからやっぱりそういうことなのかな。
また深夜に目が醒めてしまう。寒い。仕事するか。
こたつで寝てしまう。
午前中。久しぶりに将棋を見る。午後大学。だめだめ。やる気が出ず、イス の上で寝てしまったり。寒いから。あと直射日光射していないかぎりブラインドは開けること。
WikiPediaの西和彦問題からちょっと考える。実際のところ日本語版wikipediaの質は英語版とは比べものに ならない。最近学生には信用するなと指導するようになってしまっている。 むしろwikipediaがリンクしている専門ページの方がまし。
なんというか、Wikipediaが目指しているはずの百科事典的知識の提供ってのと、 (匿名・ハンドル)掲示板での自由な発言とか、 ブログなんかに代表されるジャーナリズム指向やパーソナリティー表現とかってのは 全然違う方向なわけで、ここらをうまく切り分けるのは難しいよなとか。 ブログ書いて目立ちたいような人はwikipediaを書くべきではない。 wikipediaの権威(?)や人気を利用してなにか自己表現したいってのは わからんでもないが。称賛や名声を求める動機と、事典に求められると思われる匿名性や客観性(あるいはdisinterestedness なんて訳すんだろう。第三者性?)、画一性をどう 折り合いつけるかとかが難しいようだ。英語版だと、項目別に 実質的にメインのライターが決まっていて、編集コミュニティのなかで 一定の名声を得ているように見えるが、そういうわけでもないのかもしれない。
あと英語版との品質の差についてはやっぱり大学レベルでの教育の力の差があるんだろうとか。 リファレンスの使い方や文章の構成や書き方その他。 日本語版だと、調査も結局webでちょこちょこ調べた程度のものが多いように見える。 あるいはライターの人数の問題なのか。底辺が増えれば優れた人も出てくる だろうからな。でもまあ、その事柄について本当に知っていて、 本当に書ける人はwikipediaなんか書いてないで 自分の名前で書くわなあ。意見調整のため議論するのもずいぶん労力がかかる 仕組みだし。
フリーソフトやそのドキュメントだったら、とりあえず書きはじめは「自分が使う」とい う強い動機があるし、広まって皆が利用するようになるとフィードバックがインセンティブになる。コミュニティに対して貢献しているという自負や喜びも出てくるだろうし、 クレジットも残る。 「フリー百科事典の項目を匿名で正確に書く」ということの裏にどういう動機がありえるか。
「本業じゃなくて趣味というか単なる興味関心ある人が余った時間で適当に 楽しんで書く」ってのが現状だろう。wikipediaに載れば多くの人が読んでくれるから、 それはインセンティブになる。アニメやマンガや軍事なんかの記事が充 実しているのはそういうことだよな。ここらへんは知識が金にも名誉にもつな がらないから、wikipediaに書く動機が発生する。「本当の知識」がとにもかく にも売りものになる分野はやっぱり全体に低調。(正直わたし自身が一番よく知っている 分野(そういうのがあるとして)について、wikipediaに書く気にはなれない。三番目によく知っている分野ぐらいなら書いてみたいと思うこともあるかも。)
まあでも、wikipediaのようなメディアがある程度ジャーナリスティックになって しまうのはしょうがないのかなとかも思ったり。
また目がしょぼしょぼ。なんなんだ。
昼から。日は射しているが、もう冬。お茶を飲んで心を落ちつけよう。
心を落ちつけすぎてノーマン・レブレヒトの『だれがクラシックをだめにしたか』とか読んでしまう。おもしろいなあ。
けっきょく昼はなにもできず。夜も研究室。
HTMLってのは脚注・後注が付けられないのが最大の弱点だよなあ。
last.fm、クラシック曲には相性悪いが、けっこうおもしろい。音楽が本当に共有できればもっとおもしろいんだけどな。
あら、HyperBibDBの後継にBibCompanionてのがあったのね。これはクールだ。すばらしすぎる。これで完全にEmacsから脱出できそうだし、FileMakerを買いなおす必要もない。
昼まで寝ている。午後大学。卒論相談3件。
毛糸の帽子を発見して生活の質が少し上がる。
よく知らない人びと(バルトレッティ指揮、フィルハーモニア管)の『トスカ』DVDを見る。映画仕立てでもうひとつ。
レヴァイン/メト/の『トゥーランドット』も見る。うん、これはよくできてる。歌手はドミンゴ。ピンポンパンも文句なし。主役がやや弱いような気がしたが、この役は難しいよな。話の筋はどうにもこうにもバカらしいしポリティカリーにコレクトじゃないと思うが、「謎は三つ、死は一つ」はかっこいい。「誰も寝てはならん」も。
ゼミ。たまには哲学してみる。
会議。
二日酔い。朝から。眠い。しんどい。寝よう。
やっぱり、毎日大学来ているというのはよくないのではないか。 1日ぐらい自宅研修日が必要だ。家にこもってメールも読まない、 ってな日がね。ふつうは土日をそれに当てるんだろうが。
しかしやらねばならない仕事があるので夜研究室。やっと アルコールが抜けた。
眠いまま非常勤。
泥のように寝る。
2chの過去ログなんか延々読んだりして。 知ってる人の噂話とか読んだりするのはヘンな感じ。 パソコン通信時代は、現実世界と別世界な感じだったからねえ。
日本のキェルケゴール研究に大きな足跡を残した大谷長先生が亡くなった。日本のキェルケゴール研究の歴史やらなんやら聞いておきたかったことは多いのだが。焼香に参列。
ある銀行での会話。
客「あの、つかぬことをおたずねしますが」
銀行員(女)「はい、どうぞ」
「あの、これどうやって入れるんでしょう?」
「え?! ああ、ここをこうして....あら? ふつうはなにかに包んで...」
「えと、あの」
「こうしてこうして。はい、できました。こういうことなさったことはあんまりないのですか?」
「はあ、社会性がないものですから」
「まあ、こういうことがないのはよいことですからねえ」
「はあ、そうですねえ。」
香典は受けとってもらえず、逆に商品券をもらってしまう。それでいいのか。
それにしても、Kierkegaardの表記はなんとかならんか。「キェルケゴール」を使うのは和辻になんらかの敬意なり恭順の意を表わすってことなんだけど。もう「キルケゴール」でいいんじゃないかなあ。実際には「きゃーけごーあ」ってなわけわからん発音なんだし。
ノートPCにいれていたFreeBSDを3.3にする。Thinkpad 235でのhybernationがうまくいかなかった(起きたあとでカードが連続して入れられたような反応をする) のだが、BIOSメニューをいじってPC cardのPCI割込みをしない設定にするとなんとか動くようになった(ような気がする)
勉強勉強。
いろいろミス続出。オレってやっぱりなんかおかしいわ。
日曜日はネットが落ちる。む、すでに予告なしにNewsサーバーが落ちてる。やるな。net newsはもう利用者が少なくなってたりしてマイナーなメディアになっちゃったんだなあ。
なんか、最近忙しい忙しいっていってどこにも遊びに行ってないなあ。体も動かしてないし。だから寝違えたりするんだ。
Niftyの英会話フォーラム(FENGC)には、有名な英辞郎というフリーの英和辞書があって、これが巨大でなかなかなものなのだが、二次配布が禁止されている。しょうがないのでniftyからダウンロードするわけだが、どういうわけか圧縮されていない。おそらくこれで接続料金をかせぐというわけだろう。この恵まれたネットワーク環境を使っても100分ほどかかった。
深草。
『Internet ASCII』の「万華鏡」コラムを立ち読み。このページはもっとページ数がほしいっすよね。一般に、文章ってものはある程度分量がないと言うべきことが言えなくておもしろくない。
近所の本屋には他にも「Intercommunication」とか難しい雑誌がおいてある。どういうひとが読むんだろ?
街を歩いていると、MDはほんとうに値段がさがったことを知る。もはや市場は完全にいれかわったのだな。クリスマスプレゼントはMDが欲しいなあ、などとぼそっとこんなところに書いても意味なし。しかしあれはあれなんじゃろか、携帯用MDは再生専用のやつを使って、安いMDラジカセなりMDプレイヤーなりを別に買った方がいいか、あるいは録音もできるやつにしたもんか。 いやいや、いかんいかん。借金も返していないのにこんなことを考えてちゃ駄目だ。
今日も湯豆腐その他。昨日にひきつづき三条の明治屋で買いものをするが、過剰包装が気にくわんな。
『将棋世界』などを買って読むが、自分のなかの将棋熱がさめていることを知る。次の趣味はなにかなあ。(ストレッチなのか?)
そういや、昨日前丸善でエスカレーターに乗っていると、前を行くカップルの前(丸善のエスカレーターは狭く1段に1人しか乗れない)の子がいきなり後を向いてチュー。
「ひねってキスやで」
「ヤダー」
クスクス。ウフフ。
後に私がいることに気づき、ちょっとおどろいたようだが、私の顔色を見て(目をそらしていた、あるいは平気な顔をしていたはず)、さらに次の階にのぼるときに再度。むう。
なんでこんなことを書いているのかというと、このカップルは中学高学年〜高校生低学年ぐらいの年齢で、さらに言うと、(おそらく)両方とも女性なのである。むう。やるな。そういうイチャツキは、肉体関係をもちはじめてすぐのカップルがよくやってしまうことじゃが、年少だったこととホモセクシャルであることがかなり強い印象をのこした。はっきりレズビアンのカップルを見たのもはじめてだと思うし。(男性どうしのはみかけたことがある)
好きなものどうしが「エッチ」なことをするのが当然であり、異性どうしのカップルが人前でチューしてもいいのなら、まあ、同性のカップルだってやっていいわなあ。このカップルのは、特に同性どうしという点を意識しているようには見えなかった。(片方がはっきり男の子役(「タチ」ですか)だったけど)
まあ、よいことなのかもしれない。ああいうのが増えれば、もっとホモセクシャルな人が生きやすい世の中になるかもしれんな。私は(極端に言えば)どんなセックスでも(暴行や脅迫を含まないかぎり)ないよりはあったほうがましという立場なのだなということを確認。
もちろん、人前でそういうことをするのが他の人に不快感を与えるかもしれないってことはある程度考慮しておく必要があるだろうけど。あれ、どこまで考慮するべきかってのはかなり難しい問題じゃな。肩をよせあって歩くことでさえ、場合によってはかなりエッチな雰囲気をただよわせることがあるしなあ。むう。
若年のセックスは規制(あるいは教育によって抑制)されるべきかってのも難しいな。あとで考えよう。
恥ずかしながら、redirectの方法をいまごろ知ったのである。いちおうwww.socio.kyoto-u.ac.jpの日記からこっちに飛ぶようにしておいた。(そうするべきではなかったかもしれないが)
.htaccessに
Redirect /~papirer http://www01.u-page.so-net.or.jp/ca2/eguchi-sと書くだけであった。今までこの「もとのアドレスはルートから書く」ということに気づかなかったんじゃ。
お茶がおいしいと人生が2倍ぐらい楽しいような気がする。私の人生の幸福の量は非常に少ないので、ちょっとした楽しみが大きな変化になる。楽しみが多いひとは、より楽しむためにたくさんのことをしなければならないはずだから気の毒である。
などとバカなことを書きながらお茶をいれていたら急須の先が欠けてしまった。しくしく。この急須を買いなおす費用の私にとっての大きさは、お金もちにとっての大きさとは比べものにならん。これも上と同様の理屈による。経済学はよく知らんが、限界効用低減の法則ってやつか。(しかしこの「限界効用」っていう訳語はちょっとなんだかよくわからん言葉だよなあ)
昨日の夜からまた発熱してしまったらしく、夕方まで布団から出られない。(18時間ぐらい寝込んでいた模様)とりあえずはって塾へ。喉痛い。
ぼうっとしていたせいか、帰りにJRの切符販売機のお釣の札をとりわすれてしまった模様。家についてから気づいた。うがー。明日非常勤に行く交通費がないではないか。(朝が早いので)というわけで、近所に住む医者に5000円借りる。休講にしちゃうことも考えたが...
どうもこんなに風邪ばっかりひいているというのはどういうことなんだろうか。免疫の力がおとろえる例の病気になったのか?