1125の連用日記


2023/11/25 (土)

わりとゆったり授業関係の処理とか。少しだけ飲む。


2022/11/25 (金)

配信講義。操作失敗して20分ほど無駄にしてしまう。


2021/11/25 (木)

寒い。英語。午後採点、授業資料をあれこれ。

帰ったら植木屋さんが庭を徹底的にやってくれていた……


2020/11/25 (水)

とにかく覚醒時間も覚醒度も低くてつらい。

3回生。


2019/11/25 (月)

事務仕事。


2018/11/25 (日)

レポート採点。来月の学会の準備しないとならないのだが。

採点進まず、好天を無駄にした感じがつらい。

夜散歩していたら、泉涌寺内に行ったことがない寺(雲龍院)があり、夜間拝観しているというので入ってみる。けっこういろいろ凝ってる。


2017/11/25 (土)

朝にゅうめん。

まだ面談。

新図書館、建物はよいのだが、図書の移動が完成しておらず不便。最近は運び込みもやってない感じで、なんか不穏。

昼チャクラでカレー。

夜プール。半額まぐろ、味噌汁。


2016/11/25 (金)

講義2個。今年の講義はどっちもスムーズでおもしろく進んでいると思う。楽しく授業できるのが一番ね。

ゼミ選択の面談。25人ぐらい顔会わせなければならない。


2015/11/25 (水)

起きられず。天気悪くてつらい。

3回生。FD講習会にも出席。私が教職の学生様に教えてるのとほぼ同一内容な感じ。私は教えられるのに自分ではできない。

調子悪くて夕食後すぐに床に。12時ごろちょっと起き出して、また寝る。


2014/11/25 (火)

雨。

来年の3回生ゼミの面談。


2013/11/25 (月)

努力している。


2012/11/25 (日)

だらだら。実は2、3日まえにスーファミエミュレーターを動かしてドラクエIIIで遊ぶことができることに気付いてはまっている。馬鹿すぎる。1回やったことあるはずなのだが、わりと新鮮。

反芻を抑制する技術はかなり身について来た気がする。That's the way life goes.


2011/11/25 (金)

講義2個。あと1月を切った。がんばれがんばれ。


2010/11/25 (木)

いつもより早く起きたが眠くて仮眠してしまう。


2009/11/25 (水)

寝坊。寝ても寝ても目が覚めない。

午後遅くになってやっと意識がはっきりしてきた。

吉田。市民講座。 一杯飲んでから帰る。


2008/11/25 (火)

厚労省連続殺傷事件はテロじゃなくて反社会性チンピラだったような雰囲気。 鉄砲玉とかってのはもっと信用おけるちゃんとした奴じゃないと使えないだろうからなあ。

おお、このシンポのメンバーはすごすぎる。 この学会の企画している人々を見直した。なんというか、会場の参加者を含め、日本の「哲学」業界のここ20年(50年?)で一番大きな事件となるかもしれない。第三講義室じゃ狭いだろう。

お日さまが出ているとうれしい。そういや去年も同じようなことを書いている

うーん、たしかにスキヤキ食ってみたい。6年か7年ほど食ってないはず。

会議。


2007/11/25 (日)

家でだらだらすることに決定。

あれ、gmailの動作がおかしい。Firefoxでクリックしても本文が読めない。 なぜだろう?2ちゃんねるチェックしてみたけど同じような症状を訴えている 人はいないようだ。

えーと。あれ、なんかやり残している仕事があるような気がする。あ、 急ぎのやつが1件あったんだ。どうする。

ブラームスのクラリネット五重奏は言わずと知れた超名曲だが、最強の演奏 は誰のか? プリンツとウイーン室内合奏団の1980年のに1票入れることにしよ う。

のだめ。やっぱり漫画ってのは凡人の視点から優れた人々を 観察するもんだよな。千秋やのだめは主人公しちゃだめ。


2006/11/25 (土)

早朝から。

Beginning OS Xを読んでFinkからDarwinPortsにスイッチ。

今年も早くもエントリシートの時期が。っていうか一年中やってるような気がする。

昼からNTTの電話工事を待つ。4時前から工事。 1時間ちょっとかかる。とにかく繋がるが、固定IPが変わってしまった。

ルータ(CTU)を通してサーバーを外部に公開することができずに苦しむ。

サーバーの設定をしようとすると、どういうわけかモニタの電源ケーブルがない。 電源ケーブルなんてどこにでも転がっているのに必要なときにない。 しょうがないので研究室に取りに行く。

はっ。CTUとAD-200NE(VoIPアダプタ)とは別の機械であるのだ! ここを参照にすればよさそう。 そりゃVoIPアダプタにケーブルつないでCTUいじっててもしょうがないわな。

と、しかしこれに気づいたところ22時、NTTが内部でメンテナンスをはじめてしまい、 設定できなくなる。しょうがないのでだらだらしてから寝る。12時近くまで起きているのは 久しぶりだ。

手元のPCでは特に速度が改善されたという感じはない。無線LANが ボトルネックなのかも。まあ動画見るわけじゃないのでどうでもよい。 光電話になって若干月額の電話料金が安くなるはず。


2005/11/25 (金)

早起き。朝から。まずたまっている事務仕事をやっつける。

講義。

最近目が覚めてる時間のほとんど研究室にいるので、テレビとかちゃんと見てないな。世の中どうなってるんだろうか。 しかしまあ、小学生のころからあんまりテレビ見る方じゃなかったな。あのころは皆に話合わせるのに苦労したような気がするが、いまはつきあいがほとんどないから楽なものだ。このまま世間様と縁が切れればいい。

常用していたマクロを利用するためにemacsを立ちあげてしまう。perlやrubyで同等のものを書こうとするとやっぱりemacsが必要になる。ううむ、emacs中毒恐るべし。

どうでもいいことなのだが、最近の私学では学生や教員にブログなるものを書かせて大学の宣伝をさせるのがはやっているようだ。どうもそういうものは批判精神がなくてヌルい。たいていなんの批判精神も感じられず、精神の不活発というか頽廃というかそういうものだけが感じられてしまう。「学食おいしい」「授業楽しい」「京都は素敵」とか、読者も信じられないだろう。っていうか、そういうのを信じてしまう人間を集めてしまいそうで恐い。やはり「まずいし混んでるけど安いから許す」「眠いけど適当に時間作れるからよい、他よりはまともらしい」「こじんまりして活気がないけど私には適当」と本音を書くべきだろう。

広報係の職員がよいことばかり書くのはそれが仕事だし、教員がヌルい文章を書くのは、まあその教員の資質がそういうものだからそれでいいのかもしれないが、学生にバイト料はらったりしてヌルい文章を誘導的に書かせるというのは教育的にどうなんだろうとか。批判するというのはより高い理想がないと書けないわけで、そういうのを指導するのが教育なんではないのだろうか。特に大学の批判とかってのは別の大学を経験することがないわけなのでなかなか難しい。そんでもふつうは不満とかあるわけなのだが、宣伝用ブログとかの学生の文章を書いていると、いろんなことを自己規制しながら文章を書き、なにかを発言するというのはそういうことなのだと思いこんでしまっているのを感じる。レポートや授業後のコミュニケーションシートを読んでも、なんやらでもなんだか耳ざわりはいいが、ぜんぜん気合いがはいってないこと書いてくるので読んでうんざりすることがある。

そういうのは石原千秋あたりが盛んに指摘しているように、中高の国語教育が奇妙な道徳教育になってるのも一因かもしれないし、われわれ教員が建前ばかりしゃべってしまうというのも一因かもしれない。もっと毒と悪意と敵意が必要だ。他人を批判し、馬鹿にし、軽蔑することを教える必要がある。もちろん私自身ももっと敵意を表に出してもいいのかもしれんなあ。私自身本音を文章に書くことを恐れているところがあるからなあ。自省自省。 (もっとも学生さんは私より数倍賢いので、人生とはそういうものだと正しく悟っているような気もする。)

たとえば完全匿名掲示板を使わせて好きなこと書かせる、とかってのは教育的にどうなんだろうか。人を批判し攻撃する第一歩としてはそんな悪くないような気がしてきた。やらないけど。

そういや、あんまり関係ないけど、こういう日記のたぐいをアイデンティティたもったまま続けるのはある種の人にはかなり難しいようだ。私は興味ある人のは数年にわたって読んでみたいけどねえ。まあいろいろチャラにしたいというのはわかるけど。どんなことを書いていても、過去のエントリを大量に残しているひとはある程度信用してしまうものだ。やっぱり日記はHTMLベタ書きに限る。

CDを読みこんだはいいけど1回も聞いてないのがけっこうある。 iTunesで「クラシックで再生回数が0のもの」のスマートプレイリストを作る。(その他はいずれiPodでシャッフルしているうちに聞くことになる。)で、久しぶりにグールドのブラームス間奏曲聞いて感動してしまったり。

もっと有名になりたい、功名を得たいと願うべきなのだろうか。なぜ私はそういう野心はみっともないもものと思いこんでいるのだろうか。他人から評価を得たいのは私が思っているよりももっと自然な欲求なのではないだろうか。

種々の芸術や知的な職業においては、それによって生計を経てようとすればある程度まで上達しなければならず、さらにその名を不朽にするような傑作を残そうとすればいっそう高い程度にまで上達しなければならない。たんに前者の程度まで上達することにたいしても、職業としてその仕事に従事するものの立場からすればそれ相当の動因があるが、後者の程度にまで上達することは、はげしい功名心をもつものか、あるいは一生のうちある時期にその心を起したものでなければ到達できないことである。たとい偉大な天分に恵まれていても、すでに最高の天才による見事な傑作が数多く残されている仕事において、自分もまたぬきんでようとするためには、長い期間耐えがたい苦行を重ねてゆかねばならないのであるが、その場合の刺激剤としては、ふつうこの功名心にまさるものはないのである。 (J.S.ミル『女性の解放』大内兵衛・大内節子訳、岩波文庫、pp.151-2)

(ちなみにこの直後に、一般に女性は男性に比べて功名心が薄いという観察が来る)

たしかに、大学でそこそこの職を得てもさらにちまちまと勉強を進める動因なんて、上でミルが言う功名心"ardent desire for celebrity"以外には思いつかないもんな。しかしそういう功名心ってのはどういうもんなんだろう。特にセレブな人々とおつきあいしたいと思ったことはないし。有名になったらモテたりして繁殖成功率が上がる? とか考えるのがおかしいのかなあ(でもモテるだろうし、少なくとも包括的適応度はあがるような)。ミルもやっぱりモテたかったんだろうか。

衣笠で教職員ストライキがあったようだ。なんについて争っているか知りたいのだがよくわからん。とりあえず非常勤講師は関係ないのだろう。どっちかというと自分が属するべき組合(あるらしい)より「京滋非常勤講師組合」とかに親近感を持っていたりするのは労働者としてどうなんだろう。


2004/11/25 (木)

なんとか起きる。朝一。

そういや、blogで有名な平川助教授と研究室は10メートルぐらいの距離ででサーバーでも隣りなのに、はてなアンテナの「MAP」には出てこない(つまり私のコレと彼のblogの両方をアンテナに登録しているひとがいないか、アンテナ経由で同時に読んでいるひとがいない?)ってのはおもしろいことだよな。まあ読者層がまったく違うんだろう。当然か。

しばらく前にblogな人と旧来のHTMLな人の違いはなにか、という問いに対してメールもらったりしたのだが、その違いは、「読者」をどの程度意識しているか、双方向コミュニケーションしようとしているか、日記にどの程度の手間をかけるか、そういうところにありそうな気がする。そういや津田日記サイトや日記エンジンとか最初はそういう感じだったな。もう私は誰かになにかを伝えて反応を得ることは放棄しているかもしれない。

シェーンベルクの「三つの風刺」の序文を読んで風刺や皮肉について考える。「からかうことがどんなにたやすいことかは知っている。もっと重大な問題をもっと軽くあしらうこともできただろう。わたしの言い訳は、少なくとも、いつものようにできるかぎり自分自身をここで表現した、ということである。」

上のは、ルネ・レイボヴィッツの『シェーンベルク』のなかで読んだ。シェーンベルクは一昨日私が考えていたような問題を考えていたわけだな。いや逆か。シェーンベルクがいたから私がそういうことを考えたりしているわけで。シェーンベルクが(彼から見て頭悪いと思われる)マーラーを本当はどう見てたのか、とか知りたいが、証拠はないだろうな。

学生がネットラジオして遊ぶ機材を貸す。学生たちはなかなか達者だ。

武満徹全集の第2巻を借り出す。図書館はいい。・・・おお、武満のもCCDBに登録されている。金あるやついるなあ。

図書館からオペラのDVDを5枚借り出す。帰宅して一寝してから「サロメ」から観る。1997年のコヴェントガーデンのドホナーニのやつ。サロメはキャサリン・マルフィターノ。立派な演奏と演出。ほぼ文句なし。しかし「七つのベールの踊り」は顏にベールかぶせたダンサーにまかせた方がいいのではないか。


2003/11/25 (火)

前日日記を読みなおしてみて、9、10、11月と調子悪いと言いつづけて いることに気がついた。記述量がそもそも少ない。 こりゃいかんよ。

昼から。 なんとか授業。帰宅して寝る。


2002/11/25 (月)

けっこう寝たのにどういうわけか調子が悪い。 休みたいんだが、月曜は回数とてつもなく少ないし、 他に休講の予定もありで行かねばならんだろうなあ。 しかしひどい顏だなあ。私の場合調子が悪いと片目が二重になる。

と、研究室で準備していると少し楽になってきた。んじゃ行くかな。

いまごろエピクロスだのエピクテトスだのについて熱く語ってしまったりする。 まあ、時々読みなおすとおもしろいよな。

疲れた。あんまりひどい顏なのでヒゲをそると、まあ許せるようになったので寝る。


2001/11/25 (日)

昼まで研究室にいて、午後は寝る。ひさしぶりの昼夜逆転。

夜中に勝手に某百万遍研究室を使わせてもらって仕事。この部屋、やっぱり広くていいなあ。天井の高さとかが違うんだな。いつでも外に出られるってのも助かる。やっぱり、閉じこめられているって感覚はかなり圧迫であることを知る(今熊野研究室は12時を過ぎると朝まで3階から出ることができなくなる)。今熊野とのネットワークがもっと透過的ならいいのだが。それにしても、この部屋の方が、自分の研究室より時間を有効に使えるような気がするのはなぜか。

これからは大学も倒産したり減給されたり首になったりするだろうから、借金は作らないこと。せっかく終った人生を再開しているんだから、また終わらんように気をつけるべし。

なんだか最近Macintoshが1台欲しいような気がしてきた。この世界じゃどうしたってまともに動くWebブラウザが必要なんで、UNIXだけじゃ生きて行けないのだが、正直なところ、Windowsのマウスの動きの感覚ってのはいつまでたっても慣れない。ああいうところがMacはよくできてたんだよな。(もちろん、UNIXのWindowマネージャーもだめ) 誰か買ってくれないかな。シネマディスプレイまではいないから。

「私を通りすぎていったPCたち」やっぱりSE/30が一番愛着あるよね。

貼り紙は撤去されてしまった模様。しかし、そういうのは、そういうのもあるんだということで見せとくべきだと思うけどね。


2000/11/25

やっぱり、集団のなかでなんとか生きていくためには、ちゃんと筋を通すべきところは筋を通しておかないとダメだ。なにより大事なのは、大義名分だ。弱みがあるとどうしても弱腰になっちゃうからね。で、くだらない思いをする。ちょっとした手続きでつまらない思いをするのはほんとうにくだらん。目先の摩擦を避けようとすることでより大きなストレスに襲われることになる。 世界は私のために回っているのではないのだから、誰も私の都合などは考えない。あたりまえ。 甘い甘い。人間改造すべし。

その後、嫌われてもいいから言いたいことは言ったつもり。

ジーパンを買う。今はいている一張羅のと同じリーバイスの508というものらしい。今はいてるのは、おそらく去年の春に買ったもので、1年300日ぐらいはいてると思う。とすれば、ランニングコストは猛烈に安いような気がする。誰か「ジーパン」とか綽名つけてくれないかな。「おー、ジーパン、元気か?」「おうっ」とかね。

テレビの車のCMで、Roxy Musicの"More than This"が使われてて反応してしまう。うーん、ついにナツメロになっちゃったのか。あと、スタイル・カウンシルの"My Ever Changing Moods" が使われたら、チノパンとステンカラーのコートを買って、鳩山に投票しよう。スタカンは小山田あたりが盛んにパクってたから、今となってはちょっとアレかもしれんが。


1999/11/25

眠い。この季節、毎年つらい。

その新庄市にももうすぐ新幹線が通るらしい。(前にも書いたが、それが開通するまで半年以上鉄道が通ってないってんだからひどいもんだが) 「温泉新幹線」だそうな。温泉なんかあったかなあ。肘折温泉のことかな? 銀山温泉のことかな?どっちにしても新庄市とは違うと思うけど。まあ、開通したら早いうちにそれに乗って帰ることにしよう。(正月帰れるかな?) 温泉温泉。

明日は免許の更新に行かねば。もう失効しているのである。あと数日で失効1ヶ月なので「うっかり失効」とも認めてもらえなくなる。

SKKの辞書をちょっと整理する。いくつかの学習が失なわれたが、まあよかろう。


1998/11/25

授業の準備がたいへん。あとちょっとだし、頑張っていきたいものだ。(SKKを使っているときはひらがなが多いが、Wnnなど普通のかな漢字変換だと漢字が増えるね。)

ふと気づいたのだが、私は今のところ特に欲しい物品がない。物欲まで衰えつつあるのか。恐ろしい。

あ、原付き欲しいや。よかった。でも、あの物欲独特の燃えさかるような感覚がないなあ。


1997/11/25

高槻、柏原。

毎日R.Kellyの12 Playを聴いてはまっているので、ここらで情報というか、最近の80年代〜90年代の見取図を仕入れるべくMUSIC MAGAGINE増刊『R&B.ソウルの世界』(鈴木啓志)なるものを買ってきて勉強。しかし、私とは全然感性もとらえかたも違うひとのようだ。ま、とりあえずいろいろ入手すべきものはわかった。


1996/11/25

非常勤。

月があかるい。満月。

安藤更生『銀座細見』中公文庫。こういう風俗の紹介というのはいつもおもしろい。「女給」というのも今から見れば奇妙な存在だよな。アイドルというかなんというか。吉原の花魁なんかも奇妙だけど。テレビの出現のインパクトってのはほんとうに大きかったのだな。あたりまえだが。

荷風の文章がおもしろいのも、40%ぐらいは風俗のおかげだ。祇園そのものに住んでいるのだから、「祇園細見」とか作ってみたいものだが、もちろんそんな経済力はない。そもそも、祇園の店で入ったことがあるのは数えるほどしかないもんな。

他に野矢茂樹『哲学の謎』講談社現代新書もいまごろ読んだ。

ひろってきた『奥の細道』でもHTMLにして遊ぼうと思ったが、JISには古典などで使う長いくりかえし記号がないのね。(「く」の長いやつ。名前はなんてんだろ?無知)そういや、

        1-19    ヽ      片仮名繰返し記号
        1-20    ヾ      片仮名繰返し記号(濁点)
        1-21    ゝ      平仮名繰返し記号
        1-22    ゞ      平仮名繰返し記号(濁点
        1-23    〃      同じく記号
        1-24    仝      同上記号
        1-25    々      繰返し記号
ここらへんも本当はなんという名前の文字なのだろうか(「JISの名前」ではなく)?

「ネットワークで配布するファイルには2byte文字を使ないようにしよう運動」を提唱する。lhaをつかうのはしかたないけど、Shift-JISやらEUCやらをファイル名につかわれると往生する。