1109の連用日記


2023/11/09 (木)

少しゆっくり……できない。


2022/11/09 (水)

3回生、会議。会議が長びいて配信は木曜にまわすことになってしまう。


2021/11/09 (火)

久しぶりの対面ゼミ。っていうかこのゼミは集まるのがはじめてて、マスクしてないから学生様たちもお互いをアイデンティファイできないようだ。


2020/11/09 (月)

朝30分走る。事務仕事。ほんとにミスばかり。どうすりゃいいのかわからない。片付けや台所仕事と同じように、なにか基本的なところができていないわけだが、ここまでくるとどうすればいいのかわからない。


2019/11/09 (土)

快晴。同志社で関倫。司会1個。懇親会はパスして休養。


2018/11/09 (金)

講義2個。学会の準備していない。前日やっと立てた看板は雨にぬれおじゃんに。


2017/11/09 (木)

採点。卒論相談。ブログ書く。ブログ書くのは楽しい。


2016/11/09 (水)

痛みながら3回生ゼミ。まだ座っていられない。

郷土風芋煮汁。


2015/11/09 (月)

御所北。

苦しいので午後プール。マンガ喫茶で『シドニアの騎士』を読む。


2014/11/09 (日)

学会2日目。準急乗りそこねて遅刻したり。鶴橋から各駅に乗ってしまったらすごい遅い。乗ってはいけなかったのだな。代理で司会したり。シンポで某先輩の成熟ぶりに感銘を受けたり。

雨。気温も低い。山の上で霧というか雲がかかっている。けっこうつらい。

もっと中高年が一般発表するといいのになあ。若手の発表にオヤジが文句つける、という形はよくない。逆であるべきだ。委員とか編集委員とかになると発表しにくいんだよな。来年は同志社だからやるかな。

いろいろ反省も多くてなんか疲れはてて直帰。


2013/11/09 (土)

さらに寝て少し回復はした。

しかし定位置に来てみるとやっぱりだめ。イスから動けない。

午後早くに帰って睡眠。


2012/11/09 (金)

睡眠第一。

講義2コマ。

会議。忘れていて帰りそうになっていた。


2011/11/09 (水)

寝坊。防寒の重要性に気づいて帽子をひっぱりだす。

3回生、会議。 眠くて眠くてしょうがない。

夜はレポート採点。


2010/11/09 (火)

寝坊。

とにかく部屋片づけないかぎり何もできない。

ぼやぼやしているうちに2回生。


2009/11/09 (月)

某協会関係。やるべきことはたくさんある。

衣笠。デカルトだのパスカルだのをやるのは楽しいなあ。ちなみに前回はモンテーニュ。いろいろ発見もあるし。まあでも衣笠は今年かぎり。自分のところでこういうのができればいいんだけどなあ。


2008/11/09 (日)

なにも予定が入っていない珍しい日なので充実して生きたい。でも授業準備に追われる時期。

まず机の片づけから・・・と、昨日のように丸一日かかってはいかんぞ。

M. I. フィンリー『民主主義』。あれ、ソクラテスまわりおもしろいな。 「アナクサゴラスは、象徴としても哲学者としても、過小評価されるべき存在ではない。 ソクラテスの裁判がディオペイテスの法に基づく告発のなかで 独特なものであり、アテナイの歴史のあらゆる事件を通じてもそうであると後代の人々に思わせた プラトンほど、史上最大の錯覚を人々に与えた者はいない。」なるほど。こういう理解、 古代やってるひとたちにとっては当然なのかな。

牛さんはSafari立ちあげて常時開いておけばサブウインドウにいつも表示しておけることに気づいた。 firefoxだけでも「このページは常時このウィンドウに開いておく」とかできそうな気もするけど。

とにかくgmailで☆ついたままになってるやつを消すぜ。→ おお、ぜんぶ消した。すごい。 でも牛さんのところにはたくさん残っている。

とにかく早く寝る。


2007/11/09 (金)

しばらく難しい音楽ばかり聞いていて、久しぶりにiPodでフェイバリットチューンズ聞くと新鮮。音楽ってのはこういうもんだよな、とか。

英語、講義(久しぶりに動物)、卒論ゼミ。 美容整形と日本人の美の観念。強姦罪と貞操観念。

卒論は今年は人数多いのでいろいろたいへん。ゼミ前に卒業アルバム向けの写真撮影など。なんでそんなものが必要なのかわからんのだが。自分たちで写真とっときゃいいやんね。2万円もするらしい。カメラマンはだめなオジサン。でもがんばれ。

なんか疲労困憊。寒さに弱いのに、防寒ちゃんとしてないとQOLが下る。わかってるのにちゃんとできない。それは毎年この時期に季節性のあれが襲ってきてなにごとも面倒になるから。

そういや今週のはじめに鴨川にいつもの邪悪な面のユリカモメが到着していた。冬。あのなかの何羽が顔見知りなんだろうか。


2006/11/09 (木)

快晴。暖。午前中から。11時間ぐらい寝たのだがまだしょぼしょぼ。両目とも二重まぶた になってしまっている。(調子悪いと二重になる。まず左からそうなる。)

久しぶりにちょっと生命倫理関係の文献を調べてみると、もうまともな議論の主流は次世代(70年代生まれ)になりつつあるような気がする。一部の人々は、議論のやり方がずいぶん洗練されているようだ。一世代上とは雲泥の差。やっぱりできる人はいるものだな。まあ希望はあるということか。

委員会。

百万遍。

来年用の手帳が届きはじめる。某出版社の能率手帳もよいのだが、まあ来年もA5持ち歩くか。

哲学系の学会だの研究会だのなんてのは、出席者がほとんど大学関係者なんだから、夏休みや春休みの平日にでもすりゃいいと思うのだが、そういうもんでもないのだろうか。

人間ってのはどれくらいの分量を記憶しておけるんだろうかとかふと考える。もう本が本棚のどこらへんにあるかさえ覚えられない。昔は覚えてたような気がするのだが。読んだすぐに論文も忘れるし。人名ももうだめ。外部記憶をどう使うかってのは課題だねえ。

howmでは「ランダムセレクト」ってのがあって昔のメモをランダムに表示してくれる。これがなかなかよい。

昨日に続いてやっているクリントイーストウッドの『ガントレット』観ようとするが、ぜんぜんだめなので途中であきらめる。目がしょぼしょぼだし。早く寝なければ。

@Book{片田珠美05:攻撃と殺人の精神分析, author = {片田珠美}, title = {攻撃と殺人の精神分析}, publisher = {トランスビュー}, year = 2005, yomi = {かただ たまみ} }

なんだこれ。FBIレスラー流の行動科学と精神分析のごたまぜ。 フロイトもラカンもぜんぜん効いてない。 予防方法も治療方法も予測も検証可能な仮説もなにも出てこない。 精神分析なるものによってはなにも情報が増えないというのはどういうことだ。

フロイトはともかく、一部の人々に猛烈に好まれているラカンっていったい何者なんだろう。どうもラカン(研究者)はおかしい。なんか催眠か認知的不協和の結果かそこらへんのなにかを感じる。他の話では理路整然としているのに、ラカンの思想に近づくとあやふやで紋切りで意味不明になり、いっさいの批判や解釈が出てこなくなる。

読冊日記の人はラカンには否定的なので安心した。まあ正統派の医者から見ればそうなんだろう。よかった。なんというか、学派のなかで不立文字というか口伝や秘技があるんじゃないかとか想像してしまう。なんでゲソダイ思想でもてはやされているんだろう。っていうかゲソダイ思想でラカンやっている人々はラカン以外を勉強しているのか。

「江口 聡」と空白を入れられると不愉快なのは、三文字だからなのか。「曹 孟徳」「劉 玄徳」とか開けたりしないと思うなあ。姓名の間に空白を入れない運動起こすか。


2005/11/09 (水)

3回生ゼミ。

教授会。

夜もちょっと仕事しようとするが、助走に時間がかかって離陸できず。

前から疑問に思ってたんだが、ラヴェルのト長調のピアノ協奏曲ってのは、 ガーシュインのパクリというか得意のパロディなのだろうか。ていうかラベル の曲ってのは初期を除いてぜんぷ模造品というかパロディなんじゃないだろう かという気がしてくるのだが、どうなんだろう。気合いがはいってないという か醒めてるというかイロニカルという、非常にヘンな奴だと思う。ドビュッシー なんかとはぜんぜん態度が違うような気がする。19世紀的な意味で本気だった のはピアノ三重奏ぐらいではないのか。シェーンベルクとかバルトークとかが 泥くさくジタバタしているのをにやけて見ていたような気がする。ストラヴィンスキーと 仲がよかったとかってのも同じタイプの人間だったのだろうか。

あれ、時代合っ てるよな。・・・うん、あってる。大学でひける「ニューグローヴ世界音楽大辞典」 によれば、ガーシュインのRapsody〜は1924、ヘ長調のピアノ協奏曲は1925、ラ ヴェルのアメリカ旅行は1928年。ピアノ協奏曲は29〜31年ごろ作曲。便利。


2004/11/09 (火)

昼起きてすぐ大学。学園祭の片づけで休講だが仕事がある。まじめにやるとなかなか終わらない。

あわてて別の書類書いたり。

久しぶりに『現代思想』とか読んで、やっぱりうんざり。いったいなんなんだ。この雑誌は学術的な価値はないんだな。(商業誌だから当然なのかな)しかしもうこういう話をまじめに論じたりする気にもなれんし。

おそらく日本のこういう業界の問題は、アカデミックな方がちゃんとしたものを残したりだいたいのコンセンサスに到達していないことにあるんだろうと思う。というかアカデミックな側にそれほどの人数がいないということなのか。

それにしても、やっぱり生産性低いってのはだめだなあ。けっきょくハデで生産能力が高い方が勝つのはあたりまえだもんな。だめだめ。 アカデミズムや大学研究者の責任とかそういうことか考えたりはしない。(もう研究者じゃないかも。学会にも顏出さなかったし。)


2003/11/09 (日)

某協会で発表。 某協会も4年で、 やっと若い元気な人びとが集まってきたような気がする。未来は明るい?

お役所仕事ってのはほんとうに神経に触るっていうか。 どうも仕事と対応が 杓子定規で、それは受付のひとびとがほとんど権限与えられていないから なんだろうけど、なんだかなあ。


2002/11/09 (土)

二日酔い。やっぱり日本酒は体に合わないというか 飲みすぎてしまうようだ。しかし昼から学生さんの読書会の相手。 苦しい。

明日の某学会の準備をしようとして ふたたびパニック! ウロが来たり。ああ、だめだめ。泣きたくなるが 気を持ちなおして作業。

JTerminalが1.0.0になり、表示関係のバグが少なくなったおかげでXDarwin と縁が切れそうだ。めでたし。.tcshrcで

alias carbon-emacs /Applications/Emacs.app/Contents/MacOS/Emacs
しておくとコマンドラインからCarbon版が立ちあがって 環境変数が引きつげるのでいい感じ。

夜百万遍研究室を借りる。やはり密室感がなくてよい部屋だと思う。

白川の天一に行くと、いまだにオヤジは 私の顏をみて「ウウ」とつぶやき学生料金にしてくれる。 一時期は「学生ですか?」と尋ねていたような気がするのだが、 もはやそうすることもできないと思われているのか。 やはり気になる学部の志願者状況。 まだ書類の整理が追いついていないらしいが。 このまま全体で昨年なみの受験者(現在は約6割)だとすると、金曜の時点の69人に10/6をかけて 115人、倍率2.3倍。 うーん。うーん。うーん。 ちなみに同女の現代社会学部 の推薦Sは 8倍ぐらいあるな。 まあ私の知るところではないような あるような。


2001/11/09 (金)

10時ごろ起床。大学へ。今日もオフィスアワー。ふたたび「倫理学ってなんですかあ?」「さあ?」とかいう会話をくりかえす。

夜軽く走る。

BSのポップスナツメロなど見て喜ぶ。


2000/11/09

今熊野に行って某先生に誤字脱字で迷惑をかけ、百万遍でミーティング。

項目6月11月
GOT5046
GPT75(!)65
γ-GTP15480
総コレステロール227221
中性脂肪403(!)854(!)
尿酸(!)7.47.6

「中性脂肪がひどいすねえ」
「運動したり、食生活にも気をつかっていたのですが。外食してないし、 野菜は好物ですし、あんまり肉類も食べないのに。」
「お酒は?」
「うーん」
「おそらく、体質でしょうがないんだと思いますよ。 お酒が体に合わないんですね。」
「おいしく飲めるのですが」
「体質です。あきらめてください。」
「はあ。」
「きっぱりやめないと。しばらく休んでも、飲みはじめるとまた上ります。」
「はあ。」
「まあ、早死したくないらなら。」
「はあ。中性脂肪が上っても大丈夫とか? 健康ですけど?」
「いや、いずれ障害が出ます。」
「・・・実は進化した人類だったということは? ニュータイプでは? 」
「・・・単なる体質です。やめてください。 まあ、試しに1月ぐらいやめたらどうですか? ここらへんの数値とかは すぐ下がります。でも、飲みはじめたらすぐ上がると思いますよ。まあ、 試してみてください。最終的にはほんとにやめるしかないです。」

まあ、 これまで13、4年の間、ほぼ毎日1〜1.5Lほどビールを飲みつづけてきたツケがまわってきたということなのか。飲まなかった日は1月にも満たないだろうからねえ。少なめに見積もって、毎日缶ビール4本で900円としても、900円 x 365 x 13 = 4,270,500円。うーん、借りた奨学金をほとんど飲んだわけだな。(というか、借金を飲んでしまったわけだ。)おそるべし。

アルコールが飲めなくなったら、人間が変っちゃうんじゃないかなあ。みなさん、私は徐々に別人になるようです。さようなら。 I must be leaving. I’ve got to go. さようなら。アルジャーノンもチャーリーもこんな感じだったんかね。


1999/11/09

フロッピーディスク1枚の行方が不明になってしまったり。人間失格。

会議を一つすっぽかしてしまった。なにも気づかずメシ作って食べてた。ぎゃー。人間失格大爆発。

なんか、なにもかにもダメなんで死にそう。秋はいやな季節。毎年調子悪くなる。

前に免税店で自分用に買ってきたLAPHROAIGっていうスコッチを水割りで飲むとまずい。失敗したなと思ってたのが、ストレートで飲むとなかなかうまい。思えば、私に水割りで飲むなんていう習慣はないのであった。それにしても、なんで水割り飲もうなんて思ったんだろ?

かつて、わたしも何度か、猿のようにパチンコしていた日々があった。なんぼ使ったかわからん。猿のゲームセンターに通い、はてにはそこで働いてしまったころもあった(大学初期)。面子がいれば猿のように麻雀している時期もあった。(学部2、3 回生のころ)。面子がいなくても猿のように雀荘に通っている時期もあった(学部2回生のころ、一昨年〜去年)。猿のように外で飲んだくれていた時期もあったし、今でも(外ではあんまり飲まなくなったが) 猿のように飲む。延々深酒するころこもあった。(D3が一番ひどかったかな?いや、OD期も鬱鬱とひどかった。)コンピュータにはまって1日12時間プログラムを組んでいた時期もあった。ネットワークにはまって2400bpsのモデムで1日8時間接続しているいる猿だった時期もあった。他にも短期的に猿だったことはいろいろある。どれも期間をおいて回帰している。ふたたびバクチ/ゲーム猿になるのは警戒している。(経済的に打撃を与えるから)。

こういうのは結局、たんに気晴らししているだけなのであるのはわかっている。毎日毎日気晴らしにあけくれて一生すごすことにのかと思うとほんとうに恐しい。しかしそれはもう決定事項であるように見える。でも、それじゃ、なにが気晴らしじゃないんだろう? それすらわからんようになっているようにも見える。


1998/11/09

期待通り熟睡。すこし楽になった。

自室や研究室で資料を読んでいるときが一番楽しい。しかしもう晩年じゃから、1日1本論文を読むことにしたとしても、1万本も読めないんじゃな。(そりゃ読めないってば)

忙しいと言いつつ、xemacs 20.4なんかもインストールしちゃったりして。馬鹿。しかしこれってなかなかすごいね。W3なんか、文字の大きさも変っちゃって、画像も出ちゃうし。


1997/11/09

なにごともなし。一日部屋を掃除して暮す。

フラットファイルを買ってきて、コピーなどを綴じる。やっぱり最終結論はフラットファイルだな。

先日買ったR. Kellyを何度も聴きなおす。これは名盤であるという結論に至った。

夜、テレビでK-1とかいう格闘技をやっている。(私は格闘技ファンではない)明日いじめられて泣くことになる子供の数は通常の10割増しではないだろうか。想像すると心が痛むことであることよ。もちろん格闘技が悪いのではない。でもやっぱり痛い思いをする子はいるだろう。

彼らが「明日は危険だから学校は休もう」と思えることを祈る。そんな才覚があればあんまりいじめられずにのだろうが...。

全然関係ないが、 ここここ。おもしろいなあ。

(ひさしぶりの☆☆☆☆。)

私自身は小学2年生と6年、それに中学3年のころにうっとうしいヤツにからまれていたなあ。もちろん、あんまり暴力的なことはされなかったが、うっとうしいものはうっとうしい。

小学2年のときは本気で登校拒否になったんではなかったかな。相手が転校して一件落着だったか。(もっとも、彼と関係なく少・中・高と仮病を使って休むことは多かったが)

6年生のときのはなんだったかな。これまたうっとうしいやつがいて、なんだかんだからんでくる。今思えば彼は私のことが好きだったのかもしれん。あるいは、他にかまってくれる友人がいなかったのかもしれん。(こっちだな)

思いだした。卒業式まぎわにからんできたところで一発左の頬を殴ったんだ。

中学はだいたい生徒というよりは先生と対決していたのであまりいじめられることはなかったな。3年のときのうっとうしいいやつはいまどうしているだろうか。彼も私のことを嫌いというよりは、私に存在を認めてほしかったんではないかと今は思う。実際、私は彼のことが嫌いだったし、ほとんど無意味な人間だと思っていたからね。私がわるかったのか。なるほど。私が経験した2年生、6年生、中学3年生のどれも、私の方にも問題があったのかもしれん。(ホントに今気づいた)

しかしよく憶えていないな。けっきょくそんなもんなんだが、いじめは本人にとってはきびしいもんだよな。人間は苦痛に耐えることはできない。いや、耐えられちゃうのが問題なのか

むう、「いじめ」について書くのはむずかしい。全体としてみれば、上に書いたように何度がうっとうしい目にはあっているが、(上級生にからまれていたこともあったが、どうでもよかった)私自身は「いじめられっこ」ではなかったんだろうと思う。なにか長所のようなものがあれば大丈夫なんだな。

時々思いだすのは、「いじめられっこ」がいじめられているのを知っていながらなにもできなかったことだわなあ。あのとき私はどうするべきだったんだろうか。

ちなみに私の生まれ育った新庄市は例の「体育用具室スマキ事件」の発生地である。雰囲気はいやというほどわかる。ああいう危ないことをするのが好きな地方なのである。きっと。

ここまで書いて、ある人の日記のようなものに「いじめ」の件があったことを思いだして読みなおした。

「学校にはいかなくてもよい」とか明日「危険なので休む」と考えらえるような子はそんなひどい目にはあわないんだよな。

実はいまうよく遊んでいる女の子も元「いじめられっこ」で、「いじめ」の件についてはよく話す機会が多い。彼女は陰湿な手段をつかって反撃していたらしい:-)彼女はそうすることでsurviveしていたわけだ。

もちろん、私はそういう陰湿な手段:-)について楽しく話を聞いているわけではないが、まあ、それなりに気分はわかる。私も「魔太郎」ファンだし。わしらはあんまり「正しく」は生きられないんじゃな。きっと。

むう。何を書こうとしているのか。

ちゃんとしていない人間が4人以上あつまってしまうと、ある種のいじめが生じるようにおもえてしょうがない。わしらの支配欲攻撃欲おそるべし。そういうものにコミットしない唯一の手段は「隠れて生きる」だけなんだろうな。エピクロスえらい。


1996/11/09

起きれば3時。やはり深夜の勉強会は体に悪い。最近の不健康な食生活を反省し、自炊。欲しいのじゃ、体が求めておるのじゃ、とつぶやきつつグレープフルーツをしぼって飲みまくる。(『黒のもんもん組』っていう名作があったなあ。文庫本にはなってないのかな?)(まだ残ってるから、ウォッカ買ってこよう)

唐突だが、私も小学中学高校と吹奏楽な人間だった。小中学校ではトロンボーン、高校ではホルンを吹いていたのだが、今思えば失敗じゃったな。アルトとかにしていれば人生がちょっとちがっていたかもしれん。

実はジャズのレコードを買ったのはこのトロンボーンが縁だった。小学5年生で「ブラバン」に入ってトロンボーンをわたされた私は、子供心にも勉強しようと「とろんぼーん」のレコードを買うためにはるばる山形市まで出ていった(私の住んでいたところは本当に田舎でまともなレコード屋がなったのだ)。で、レコード店でそれらしいものを探したのだが、「ブラバンのトロンボーン」なんていうレコードはもちろんない。あちこちのエサ箱(そのころはもちろんこんな言葉はしらないが)をのぞいていると、あるではないか、「トロンボーン」が。なにやら黒いひとたちがトロンボーンをかかえてにやついている。ううむ。とりあえずあんまり下品じゃないジャケットのやつにしようと子供心に思い、手にしたのはJimmy KnepperのA Swinging Intoroduction to Jimmy Knepper。(もちろん、当時はそんなこと意識にはのぼらない。とりあえずトロンボーン :-)

で、家に帰ってほんとうに貧弱なターンテーブルに載せると、聴きなれぬ音楽。ジャズなんて聴いたことがなかったのだ。(せいぜい「こどものためのオーケストラ云々」ぐらい。)最初のメロディーラインはわかるのだが、それがおわったあとになにをやっているのかわからない :-)めちゃくちゃしてるなあ。そういうものなのかなあ。「とろんぼーん」の音も自分で吹いているのとは全然音域がちがう。とろんぼーんってこんなに高い音が出るのかなあ。僕は「ファ」の音までしかでないし、楽譜もファまでしか見たことないけどなあ。音もまっすぐ延ばせないし、タンギングもなんだかへんだしなあ。ううむ。わからん。

というわけで、しばらくオクラ入り。

中学生になってからなにかで「アドリブ」という概念を知り、(「バンドジャーナル」の本田なんとかのアドリブ講座だったか?) 蒙を啓かれてから もう一度聴くとよいではないか。(実際、このレコードはいま聴いてもしぶい。Love LetterGee Babyが特によい。G. Quillのalt、Bill Evansのp.、D. Richmondのdr.)

これと同じ経験は、ストーンズを聴くようになったときにも経験している。ふと見かけた『花椿』という資生堂?のパンフレットにのっていたエッセイに、バルトークの弦楽四重奏とストーンズのTatoo Youをいっしょに紹介している文章があって、ストーンズを聴くようになったのはそれからのことだったと思う。

実際の音楽より概念の方が先行するってのは、私はあんまり音楽的な人間ではないってことだけど、批評ってのはやっぱり必要なのよ。きっと。

少しのことにも先達はあらまほしきものなり。

唐突だが、3件「ベル友」に関する記述を見た。(わたしもNHKの番組はちょっと見てた)まあ、いいんでないかいと思うが。「heavyな人間関係」なんて求めるようが求めまいが襲ってくるもんだし。前にも書いたような気がするが、わしらは同時にいくつかの集団に属しながら生きているもんで、そのなかにはlightな関係もあって、そういう関係がないと息がつまるじゃろ。飲み屋ってのもそういうもんだ。ま、ベルは情報量が少なくすぎておもしろくないと思う()けど、技術的・経済的にベルぐらいしか使えないというのはあるかも。

むしろ、そういうものに対して危惧したり、嫌悪感?をいだいたりするひと の心理の方に興味がある。

と書いたら期待通り書いてくれた がいた :-)まあ何と言うか、実は私もインターネット(ってなに?)とかいうもので遊んでいて廃人とまで言われている(うそ)ので、ちょっとひっかかりはあるわけなのだが、「人間関係はかくあるべし」っていう観念には疑問をもつようになっちゃっているわけだ。人間性なんかたいして変化していないし、簡単に変化するもんでもない。どんな人間関係だろうが、(ceteris paribus)何もないよりはまし。

こんなものを書いて遊んでいるひとは、まちがいなく「ベル友」の 素質があるでしょう。

よっぱらったまま書き殴る。ひさしぶりにウォッカのグレープフルーツ割りを飲んだ。これって、混ぜて飲むより、別々に飲む方がうまいよね。(たいがいのカクテルってそうだけど)

私個人の話をすると(それしかしてないけど) 「パソコン通信」時代もオフラインミーティングとか メールのやりとりとかはちと苦手な方だったなあ。

そういや私も20年ぐらい前にアマチュア無線の免許をもっていた時代があったなあ。JH7T**ってなコールサインだったな。小学生だったからなにも語るべきものがない(そりゃそうだよな)ことに気がついてやめてしまったのであった。(もっとも、傍受しているかぎりでは誰も語るべきものをもっていないように見えたけど。)おじさんの集団に子供がいるのもおかしい。たしか同級生の女の子の父親に呼ばれてアンテナを立てるのを見に行って、ごはん食べた記憶があるなあ)

(注)この表現は日本語として誤っているという指摘が日本語の間違いを正す会会長からとどいたが、この一文がimplyするのは「情報が少ないのがかえっておもしろい」ということなのじゃ。

しばらく書き殴りをおやすみしている間に、いろいろ書きたいことがあったなあ。ま、ぼちぼち書く。

そういや、ポケベルの料金を滞納して止められていることを思いだした。ベル友なんかいないんだから解約しよう。(すでに解約されているような気もするが)

ChicのReal Peopleを聴いている。踊りに行きたいよう。誰かつれていってくれ。服がないのが悲しいぞ。しかたがないのでメトロノームにあわせて延々ベースで単純なリフを弾く練習してたらあっという間に時間が過ぎてしまった。ううむ。