1022の連用日記


2023/10/22 (日)

とにかく土曜と日曜は可能なかぎりゆっくりするのが今年の課題。二階を片づけ掃除機をかけたり、衣類を入れかえたり。以前に比べるとずいぶん快適に暮らすようにはなっていると思う。夜少し飲んでしまうが、なんか肝臓のあたりに違和感があって恐しい。


2022/10/22 (土)

日中業務。一週間が速すぎる。


2021/10/22 (金)

配信講義2個。

夜少し飲んでしまうが、やっぱりだめだな。


2020/10/22 (木)

英語。

ヌスバウム翻訳してみたり。ロレンスの『虹』、ヘンリージェイズムの『金色の盃』、ジョイスの『ユリシーズ』の「ペネロペ」とかながめたり。文学おもしろいなあ。晩年は古典文学読んで暮らすことになるのだな。

まあ世の中思うようにはならず。大半は過去の自分のせい。世界と人生のルールみたいなのを軽視しているからよね。

早々に寝る。


2019/10/22 (火)

二日酔い気味で午前中起きてからしばらく布団にとどまる。天皇即位の儀式かなにか。しかし午後は平常業務。

夜になってもアルコールの影響があり、早々に寝る。アルコールは毒。


2018/10/22 (月)

野菜スープ。


2017/10/22 (日)

台風接近。落ち着いて論文読んでいる。

DropboxからGoogle Driveに大量にひっこしをしようとおもったあたりからマシンの調子が悪かったのだが、Disk First Aidをかけるとエラーがあり、修復をかけるとお亡くなりになってしまう。とりあえずやばい。音源をいれていた外部ディスクにシステムをインストールしかけておくが、うごいているのかよくわからない状態に。

夜大嵐。衆院選挙の結果は前回通り。


2016/10/22 (土)

貴重な土曜日。大事に使いたい。朝ごくゆっくりジョギング。少し体重が減っている。 いろいろあって何に記録したらいいかわからなくなっていたが、やはり基本はiPhoneの「ヘルスケア」よね。

今回こそEmacsを捨てるつもり。さようなら。25才ぐらいから使ってるはずだから25年、四半世紀か。HTMLもCoteditorで十分だろう。

やっぱり食い物書いといた方がいいような気がする。朝明太子ごはん、鍋の残り汁、昼カレーウドン、夜回転寿司。鍋にするべきだった。


2015/10/22 (木)

英語。


2014/10/22 (水)

もう来年度のことを考える時期なのだなあ。


2013/10/22 (火)

書類と雑用の山。心落ちつかないと片づけられない。

2回生。コンパ。 4回生を連れていくとお姉さんしてくれるので楽。片隅でタバコ吸ってればよい。


2012/10/22 (月)

炭水化物渇望が出はじめている。

早寝。寝酒もしません。


2011/10/22 (土)

卒論相談2件。

午後業務。


2010/10/22 (金)

今日も工事車両は静か。講義。 卒論ゼミ。そろそろ本気でやらせねば。

なんか疲弊。


2009/10/22 (木)

病院へ。医者が他へ転出したらしく話して採血しただけ。次は11月はじめに 数年ぶりに輪切りになる予定。検査結果もそのとき。 やっぱり待たされてどっと疲れて病気になった気分。 あちこちで受付にくどくどクレームつけている人がいるが、まあ病院というのは人をそうさせてしまうところがある。 あるいはもしかしたらそういうネガティブ思考の人が病気になるのかもしれん。

吉田。 途中でハンガーノックアウト。血糖値下げすぎてはいかん。 授業する前になにか腹に放りこんでおくべし。ってのはわかっているのだが、 今日は昼に王将だったので油断していた。1時に食ってたら大丈夫だったんだろうが、 11時だったし朝飯抜きだったし。っていうか3時ぐらいの時点ですでにあれだったかもしれない。 そういうのの管理って大事だよな。けっきょくyou are what you eat.


2008/10/22 (水)

あら、道交法の自転車の扱いずいぶん変ってたのね。数日前のオバさんの方が正しいみたい。

いろいろごめんなさいだなあ。

3回生。

会議。ちょー長い。

まあ寝て明日か。

最近学んだ「損切り」という概念について考える。 「サンクコスト」 や「コンコルドの錯誤」とかとかって概念とも心理的には仲間。 「信用」とか「実績」とかってのについても考えないとな。


2007/10/22 (月)

動けないので休講させてもらう。ごめんなさい。

健康センターへ。どうも寝違えではなく筋肉痛や肉離れではないかということだ。つまり、あれだ。鎮痛剤湿布モーラステープ貼ってもらう。これはきくー。医学・薬学はすばらしい。なるほど、ケトプロフェン。紫外線に注意。痛み止めを使うということは、余計に動いてしまって組織を壊す可能性があるってことでもある。とにかく動かないこと。

休講して1日休ませてもらって生きながらえる。とにかく寝るしかない。それにしてもモーラステープの鎮痛能力はすばらしすぎる。無痛文明は近い。っていうか私のマジンガーもいろんな薬がよく効いて優秀だ。無理せず大事にしてやらねば。

モンテーニュ先生は一生写経して楽しめる。

実際の場合よりも、想像することによって、もっと大きくわれわれの目に映るものがいくつもある。わたしは、わたしの生涯の相当な部分を、完全な欠けるところのない健康さで送った。快調な、沸きたつような健康、とさえ言いたい。このみずみずしさと歓喜に満ちた状態は、さまざまな病気を考えてみるのをひどくおそろしいものにわたしに思わせていたが、それらを実地に体験するようになると、その苦痛は、おそれと比較すると、鈍く弱いものであることがわかった。

わたしは毎日、こんなことを経験している。 つまり、雨嵐の吹きつのる嵐の夜、快適な居間に暖かにしてこもっていると、 わたしは、そのとき広い野原に出ている人々のことを思って、はっとなり、 苦しくなる。しかし、わたし自身そこに出ているときは、ほかにいたいと望みさえしないのだ。 (モンテーニュ「修練について」、荒木昭太郎訳)

その通り。カイロをもっていれば、よけいにその寒さを感じるかもしれない。そこにどこでもドアがあって、すぐに居間に帰って来ることができのなら、その雨嵐はとんでもないと思うだろう。そして、`0=そういうことはわかってはいても、やっぱり苦痛の予感はおそろしい。

『モンテーニュと話そう』とかって本はどうかな。大きめの本の左のページにモンテーニュやパスカルの文章がならんでて、右のページは白紙。10年ぐらいかけて白紙を埋めていく。あ、「モンテーニュblog」や「モンテーニュWiki」でもいいか。前に見たピープスの日記 みたいな感じでブログが少しずつ増えていって、読者は自分用の突っ込みが入れられるとか。まあ徒然草や断腸亭日記でもいいんだけど。


2006/10/22 (日)

昼から。首を軽く寝違えたっぽい。ジュンク堂に行くと 『太陽』まわりの本が並んでいた。どうもロシア人監督は実在するようだ。

howmをutf-8で使うおまじないその他。文字コードの問題で悩んでいた。

(add-hook 'howm-create-hook
	  '(lambda ()
	  (set-buffer-file-coding-system 'utf-8-unix)))

 (setq howm-template 
       (concat "-*- coding:utf-8 -*-\n\n"
 	      howm-view-title-header
 	      " %cursor\n%date\n\n"))

(setq howm-view-use-grep t)
(setq howm-process-coding-system 'utf-8)

つい日記をバラバラにしてhowmにつっこむperlスクリプトを書こうとしてしまうが、 無駄なことはしないこと。→ UTF-8にするだけでよいはず。これはやろうかな。

また本が見つからずムキー。やっぱり新書とか文庫とかは必要なときは図書館から借りるという形にした方がよいのかもしれん。分業。

あれ、プリンタLBP3300とPDFの問題、AcrobatじゃなくてPreviewからなら、dvipdfmxで作ったものもAcrobatで作ったものもちゃんと印刷できるぞ。プリント→詳細設定→「2バイトフォントのダウンロード」をチェックするとうまくいく。ほっ。

心を落ちつけて。

イザイの無伴奏バイオリンとかなにがよいのかよくわからん。「私はバッハがたいへん好きです、バッハは偉大です」以上になにか重要なことを言ってるのだろうか。(バルトークなんかはなんか重要なことを言っているような気がするのだが)

日が暮れるのが早くてめそめそ。もっと緯度の低いところで暮したかった。あるいはどうにかして地軸を動かすことはできないか。もっと縦にするとどうなるんだろう?地域によっては暑くて住めなくなるんだろうか。

ふと気づくと指揮者たちの評伝なんか読んでいる。いかんいかん。

日本の作曲家にも偉い人がけっこういるが、黛先生は特別だなあ。

@Book{大庭健06:善と悪, author = {大庭 健}, title = {善と悪:倫理学への招待}, publisher = {岩波新書}, year = 2006, yomi = {おおば たけし} }

本邦初(?)のメタ倫理学の大衆向け入門書なのかどうか。まだ読んでないが、目次の「「いい・わるい」の多義性」「いい人生」とかって表記が気になる。「よい・わるい」「よい人生」にしてほしいんだけどなあ。最初の2行目、「人間が生きていく、ということは・・・・それに比べると、動物の生は(少なくともさほど進化していない動物の生は)・・・」とかでもうだめ。生物進化の梯子説を信奉しているんだろうか。どんな生物も同じだけ進化してますってば。「さほど複雑でない動物の生は」、あるいは、あえて通俗的な観念にしたがうとしても、「さほど「高級」でない」ぐらいか。こういうのが気になって先に進めない。なんか変なクセがついているかも。

早くお正月が来ないかな。もう休憩したくなっている。

諸般の事情により、日記を全部utf-8にした。適当にやったので問題が起こるかも。

そしてこれでどうだ。やっと解を見つけたか。

(set-language-environment 'Japanese)
(prefer-coding-system 'utf-8-unix)
(setq grep-command "/usr/local/bin/lgrep -n -Ia -Ou8 -Ku8 ")
(setq grep-program "lgrep")
(setq grep-find-command "find -type f -print0 | xargs -0 -e lgrep -n -Ku8 -Ou8 ")

「宗教上の理由」から子どもの手術を拒否した親の親権停止。ネグレクトとして。 難しいな、これ。

まだ坂東眞砂子について考えている。考えがまとまらないので明日の授業は見送り。なんか分析したり答えたりしなきゃならん重要なことを言っているような気はするのだが。生や死をこういうふうに考える人にも一分の理はあるような気はするんだな。まちがってるとは思うのだが。「生」ってやつに過剰な意味を読みこむ人びと。でもわれわれが生についてよく考えてないんじゃないかという気もしてくるところが微妙。倫理学じゃなくて哲学の問題かも。

古典的な社会心理学研究での認知や情動の歪みの話は、哲学やってるときも気をつけなきゃならんことかもしれんなあ、とふと思う。「深淵」な哲学が好まれる理由とかが説明できるのではないか。


2005/10/22 (土)

研究会というかみんなで書類を書く会。 一日中目が覚めず。

聞くべきものがなくなってきたので、ケージからの連想で図書館から『世界民族 音楽大集成』100枚組とか借り出してどんどんiTunesにとりこむんでいる。 「ジャワの民族音楽」とかそういうやつ。音楽はまだまだ多様だ。 (にしてもペンタトニックと撥弦楽器は世界的に強いな)。

研究会メンバーの引越し祝いホームパーティおよびマンション見学。 いかにも酒井順子言うところの「負け犬」の中の勝ち組的マンションとパーティ。 高層マンション、オープンキッチン、イタリア手料理、高級ワイン、チーズ、 ハイヴィジョンテレビ、5.1chオーディオ。 バブル復興?まあ楽しく飲む。飲み過ぎ。


2004/10/22 (金)

昼まで寝ている。

卒論相談。やっぱり大学生にとって、卒論は大事だ。私自身、大学の記憶なんて、原書講読で苦労したとか卒論で苦労したってことしかないもんな。他の授業なんてまったく記憶に残っていない。がんばってもらおう。

ベトベン全集。

某ミーティング。

ほう、某師匠の日記を読むと消極的安楽死の定義について熱い戦いが始まりそうな。誤読だとは思うけど曲解ってほどではないんじゃないかな。某師匠の方も「治療停止(消極的安楽死)」と書いたあとですぐに「消極的安楽死」という言葉を使ってしまっているから誤解されやすいかもしれない。あそこで「治療停止」の方を使えば誤読はふせげたかもしれない。しかしそれだと不正確になるのかもしれない。当の問題の専門家じゃない人や用語法に精通していないかもしれないひとに対してどういう配慮をするかってのは微妙な分野では微妙だなあ。

私のもっと個人的な感想では、医療従事者が抵抗を感じそうな意見をはっきりと書いてしまっているところに違和感を感じる人が多いかもしれない、とか。ていうかそっちの方が・・・ま、それにしても新聞の解説記事で自分のセクションの宣伝のようなものを書いたりするのは反発を呼びやすいかもしれない。(私自身は倫理コンサルタント(専門?)なんてなんだかなあという印象を持っているが、よく考えたことがないのでよくわからん。)

全然関係ないが、ふと、大学とかにも倫理カウンセラーを置こう、とかってのはどうだろうか。大学教員というのは将来ある青年たちに大きな心理的打撃を与えたりすることが多いから。ゼミの運営や教授会の運営その他、大学教員のかかえる倫理的問題に対して倫理コンサルタントやリスクマネージャーを置くのである。複雑な倫理的問題があるような場合に倫理コンサルタントに相談せずに単独でなにかを決定したら、そういう態度が非難されたりして。

大学倫理コンサルになるためには大学倫理コンサルコースの授業をとることが必要だったり週1回、24回の授業をこなせば修了できるだろうか。大学倫理コンサルが信用おけるかどうか疑問なケースも出てくるから、大学倫理コンサル専門集団とそのピアレビューも必要になる。

・・・どうも大学の外部の専門職の人間としての大学倫理コンサルタントはうまくいきそうにないので、こんどはもとからの大学教員の一部の人間を大学倫理コンサルタントとして養成することを考えてみなきゃならんことになるかもしれん。一部の若い優秀な大学教員に対して大学倫理学を教えて週1、48回ぐらいのコースで。修了したら大学倫理学の称号なんかつけたりして、各大学には大学倫理学もできるひとを採用しておくことを義務づける、と。

哲学倫理コンサルとか倫理学倫理コンサルとかは必要ないだろうか。いっぱんに哲学者は学生その他の人びとに非常に有害な言動を行なうことが多いから、それくらいの注意してもよさそうだ。

・・・いったいどういう人間が大学倫理についてコンサルタント業務を行なうことができるんだろうか、とか考えはじめるとこりゃ大変だな。

まあとりあえず、ある種の専門職集団に対して外部からそういう権威を導入しようってのはかなり強い反発に会うだろうな。「専門家」を自称したり人為的に作ろうとすることに対する一般人や専門職集団の一般的な警戒心ってのもあるかもしれない。(なんか「こころ」の専門家まわりの話とも関係あるかもしれない。)まあ世の中がよくなるようにこういう揶揄に腹を立てずにがんがってほしい。

薗田先生75歳の演奏をテレビで。ヒヤヒヤするスリリングな演奏というのだろうか。


2003/10/22 (水)

ゼミ、来年度授業関係の会議。

酒飲んでしまう。馬鹿馬鹿。酒飲んだあとに罪悪感を感じるようになれば 立派な依存症だ。


2002/10/22 (火)

朝から授業。昼会議。午後眠くて仕事にならない。


2001/10/22 (月)

早起き。授業授業。 この時期第1回の授業というのは....。まあ、 教育系の大学は、実習のため10月からはじめるのが一般的に なりつつあるらしい。1回は私が休講したから。1回は祝日。

禁煙11日目。1日3本だけ吸うとかってことは可能なんだろうか?


2000/10/22

百万遍東館は昨日からネットワーク落ちっぱなし。 土日はよく落ちるね。管理に問題あるんじゃないかなあ。

中古CD屋が安売りしてたので。

なんというか、もうちょっと落ち着くことはできないんだろうか。ここし ばらく、こう、いっつも心の中がざわついているような感じでねえ。腰が座ら ないというか。日々の雑事に追われているからってだけではない。

今週の予定を調べて暗い気分になる。

また区役所から呼びだされる。昔の借金はチャラにしてくれんかな。これ からは払いますから。


1999/10/22

風邪はかなりよくなった。Thank you for letting me be myself again.

免許の更新に行かねばならないのだが、諸般の事情により延期。これはまずい。また失効してしまうことになりそう。あんまりこういうことを書くと、ビデオの延滞金を貯める趣味のある怪人学生君とまちがわれそうである。

お金がないというのは心細いことである。

ジェームズ・ブラウン先生の曲(60年代後半、もっと正直に言うと"Cold Sweat")を聴いても、ドラムがどう叩いているか分析することができないってのは、やっぱり耳が悪いんだろうなあ。録音のせいではない。バスドラやスネアのゴーストがよくわからん。ビデオ欲しい。いや、別に演奏してみるつもりはないんだけど。


1998/10/22

早起き。某医科大。研究室にいったん寄ってから河内天美。

夜、Solarisのパーテーションを切りなおそうとして失敗。しくしく。最初から入れなおすことになる。ま、こんなもんかも。


1997/10/22

篠原、深草。

発作的に机の上とまわりをかたづけたり。机は下宿にすえつけのけっこう大きい木の机なのだが、電話機とプリンタが場所をとってる。どうにかする必要があるな。


1996/10/22

んが。なんとか復活。(おみまいメールありがとうございます。) いろいろやらねばならないことがある。

研究室の児玉君と 奥田君 の選挙棄権についての意見はまともでおもしろいので 読んでほしい。こういう若者ばかりなら日本の将来はあかるいのう。

ちなみに、この問題に関しては、 Jonathan GloverとM. Scottt-Taggartが "It Makes No Difference Whether or Not I Do It"という 論文を書いていて、おもしろい。 (コピーだけあって、掲載誌を記録してない。しまった。) これを紹介しただけで論文1本書けるな。 そうしようかな。

大学へ。

岩波新書で穐吉敏子の『ジャズと生きる』というのが出ていたので電車の中で読む。ずいぶん苦労したのね。意外だった。60年代ほとのどレコードがないことを考えれば想像はついたはずなのだが。それにしても悲惨。(ただし性格悪そうな印象は文章を読んでもかわらない :-)

この人のピアノはわたしは超一流というわけではないと思うが、(いや、わからんが)トシコ=タバキン・ビッグバンドはほんとうにすばらしいレコードがある。私が好きなのは、暴力的というか凶暴というかとにかく猛烈にスイングする「ミナマタ」のB面、(Gary Fosterのアルトが素晴しい!) リリカルでいつ聴いても新鮮な響きの「墨絵」(冒頭のタイトル曲のオーケストレーション、タバキンのフルートソロ)の2枚。まだ聴いたことのないすべての音楽ファン(≠ジャズファン)はジャズ喫茶などで一度聴いてほしい。(って、そういうライブラリとしての機能をはたすジャズ喫茶はもうほとんどないよな。)アレンジが武満みたいだなと感じることがあったのだが、やはり「私が崇拝していた武満氏」とあった。なるほど。