落葉掃きが面倒。対面講義、配信講義。プールに寄って帰宅。飯を食ってすぐに京都駅からバスに乗る。
英語。某作業。面談とかも。忙しくて精神的にあんまりよくないが、まあ働かないと食っていけないし。
3回生。
2回生と4回生。やめとこうと思ってるビール飲んでしまう。アル中一歩手前か、はたまた踏み越えてるか。
そこそこ早起きで天気もよいので鴨川ウォーキング。
環境メンテナンス。
研究室のWi-Fiルーターをいれかえる。つかっていたTime Capsuleのディスクが死んだので。このタイムカプセルは自宅にもちかえり。使っていないApple TVも家のテレビにつなぐ。テレビには(1) 録画ビデオ(ほとんど使ってない)、(2) NIntendo Switch、(3) Playstation 4、(4) Apple TVがぶらさがっている。プレステはゲーム機というよりは、DVD/Blue-Ray再生とネット端末になっている。
台風の影響で雨。朝少し家を掃除してから研究室でゆっくり。
しかし昼飯はほんとうに困っている。
講義2個。まあいつも通りの滑り出しは成功。
英語。オムニバス。
京都マラソンに当選している。トレーニングせねば。本番は2月19日。130日ちょっとある。
1限と5限の授業でけっこう疲れているので、とにかく早寝。
朝から授業4つ。全部少人数だが一番キツい日。 夜にはへとへと。睡眠第一。
書類書いたり地道に勉強。
学会準備すすまず。
過眠。
一週間の片付け、来週の準備とかしているうちにあっというまに夜。
3回生。会議。
調子よからず。
1回生、2回生。 1回生コンパ。
秋の長雨。
秋はぎをちらす長雨のふるころは
ひとりおきゐて恋ふる夜ぞおほき(万葉集)
私は早く寝ちゃうから歌のこころがわからんのかもしれんな。
花の色うつりにけりないたづらに
我身世にふるながめせしまに
これも「長雨」読みこんでるのか。
うーん、授業準備。 いま午前中だが、気づくと夜になっているに違いない。
衣笠。声が出ない。ここのキャンパスが9月から 全面禁煙になることを知ったために禁煙したのかもしれない。 喫煙者はどこかの部屋に押し込められているはず。
たしかに気がつくと夜になっていた。これがまた4ヶ月弱かあ。
早起きしてしまう。睡眠重要。秋はブラームスとフォーレの季節。
待機する業務。待ち時間に床屋行くつもりだったが、だめ。監禁。
いつもよりさらに高い煎茶。うまい。
書類はすぐに書く、ってのをちゃんとすること。ふつうの会社ならクビ。でもこの業界なら生きていけるようだが。
あれ、なんか目がしょぼしょぼする。いきなり気温が下って調子が悪い。毎年秋に薄着のままでいて無意味に寒い思いをしてるんだよな。厚着していると汗かきまくるってのもあるんだが。今年はちゃんと対策するべし。
なんというか、高校生っていうか受験生がどういう心理状態にあるのか想像さえできなくなっている自分に驚く。高校生に日常的に接していた塾・予備校教師生活はずいぶん昔になってしまったんだな。専業大学教師9年目ぐらいだっけか。あれ10年目かな。まあ1、2回生ぐらいすでにわかりにくくなってたのには気づいていたんだが。もちろん自分が中学生のときも高校生のときも女子高生の心理はさっぱりわからんし、3、4回の女子大生もやっぱりいまだに何を考えているのかわからんのだが、高校生となるとどういう生活をしているかがもうどっから想像すればよいのかさえわからん。これが中年男ってやつなんだ。こういう貧困な知識と想像力でも、「教育というのは」「若者は」とか語ったりできるのだろうか。せめてアニメぐらい見るべきなんだろうか。
あったかくして寝よう。
非公式ながら体重が瞬間的に62.8kg。公式がなにかってのは難しいが、一応(1)自宅の体重計で、(2)夕食食って風呂上がりに、(3)全裸すっぽんぽん、で計るのが公式。大学の体重計は1kg軽く計量される。中年男が全裸になるのを防ぐためだろう。
あら、10月はとんでもなく忙しいのね。
朝から。
グルダの平均律を聞いて、バッハのクラヴィア曲(特にフーガ)ってのは、 聞いて楽しむというよりは、ゆっくりでいいから自分で弾いて楽しむためのも のだよなと思う。あるいは楽譜見ながら聞くか。とりあえず楽譜に触れる必要がある。 舞曲もののときは気にならないんだけど。
講義。
4回生ゼミ。
Googleカレンダーがちゃんと日本語化されたようだ。印刷もできる。
しかししばらく前から廊下に設置してある教員共用のレーザープリンタが故障していていろいろ面倒。自分の研究室にはプリンタがない。 研究費が残っていればレーザープリンタ買うのだが・・・。まあ安いの購入するか。 A4モノクロレーザー、CANONのLBP3300あたり?両面印刷いらんからLBP3210か。Postscriptがいいんだけどなあ。 OS Xなら別にPostscriptでなくともかまわないのかな。
修理に出していたヘッドホン(PX200)が新品になって帰ってきた。 同一性とは。とにかくゼンハイザーは信頼性に問題があるというか、 特にコネクタ系が弱いと思う(HD580でもケーブルに問題があった)。 まあiPodをジーパンの前ポケットに入れているのも悪いんだと思うが。 SONYのようにコネクタ先をL型にするだけでずいぶんよくなると思うのだが、どうなんだろう。 電気屋でついでにベルトに取付けるケースとか物色するが 気にいるものがない。シャツのムネポケットはシャツが型崩れするような 気がする。ジーパンの後ポケットならどうか。 ちなみにヘッドホンについてはヘッドホン ナビが 楽しい。
なんか今週はたいしたことしていないのにひどく疲れた。
NHKラジオドイツ語・フランス語入門編終了。ありがとう。
「へうげもの」は美学者にはおなじみの興味深い問題を教えてくれるよなあ。 なぜわれわれは美を求めるか。「よい形」ってのはなんだろう。なんで主観的なのに 普遍性を要求するか。伝統や目利きの存在はどう考えるべきか。人びとによいと 評価されているものをよいとわかるようになると特別な快を感じるのはなぜか。
『ボーンコレクター』。『羊たちの沈黙』のしょうもないカバー。 美人とはなにかについて考えたり。
朝から。英語と4回生ゼミ。
調子悪いので早々に帰宅。
なんとか起きる。会議。卒論相談。ゼミ。教授会。低血糖で死にそうになる。
昼まで寝てしまう。ジョギング。
首や背中を大事にするため、研究室でも床に寝転がって本を読むようにする。 端末も使えないので好都合。
書類書き、書類書き。
夜半、キーッとなって机のまわりを片付けようとする。しかしケーブルがぐしゃぐしゃで どうにもまとまらん。1台のPCにはモニタ、キーボード、マウス、イーサ、電源と最低5本のケーブルがあるんだもんなあ。 人間は生きるために何本のケーブルが必要なのか。某名誉教授の机の上は よく片づいていて、頭のなかもそうなのだろうなとか 思わされたわけだが、あれのコツはなにか。つらつら思うと、 毎日仕事はじめと終りに片づけるのがコツなのかもしれんな。(実際そうしていたような気がする。)
あら、月末が来てしまった。
RD (Ruby Document?)ってファイル形式を使ってみる。HTMLやLaTeXのファイルを生成できるんでなかなかおもしろい。
HTMLはしばらくyahtmlを使ってみる。
例の「吉原女郎の平均寿命はわずかに21.7歳」(小谷野敦)って話が 杉田聡の『レイプの政治学』(明石書店)でも使われてる(p. 184)・・・。 どうでもいいが、注を読むと 「あの言語に絶するバクシーシ山下のアダルトビデオでさえ、 たしかに同時に女性に対する性的欲望を喚起してやまない」(p. 254)とか書いてある。 うーん、そ、そうなのか。
夜も研究室。
研究室行くつもりだったが調子悪くてはたせず。
昼外に出ると、車の前に倒れた若い女性らしき人体。自転車乗ってて交差点で車にぶつかったようだ。さいわい出血はなく意識はあるようだが、道に人間が落ちてるのは恐いよ。間もなく救急車到着。がんばれ救急隊。それにしても、あの年頃の女性を見ると「うちの学生じゃないといいな」とか思うようになってるってのは、ある程度帰属意識がついてきたってことなんだろう。
金子國義先生がカバーや挿絵を書いてる本(特に富士見ロマン文庫)を集めたくなったんで、古本好きの某君にメールしておく。これを読んでいる人も探してください。3割増しで買いとります。(う、っていうか一乗寺の萩書房にあるようだ。某君より早く辿りつくのは無理だろうか)研究費で買えないかな。
昼寝て夜研究室。また小ミス。
最近、起きたとき常に時計が11:34なのはなぜか。
情報センターにTru64とSolarisのディスク・マニュアルを返す。
キェルケゴール協会の仕事(ダイレクトメール発送)。学生さん4人を動員しても終わらん。
やはり起きるのに一苦労。
来月の洋行のための金がふりこまれる。やっと行けそうだが、どう見ても赤字。
ふとパチスロをする。1000円分使って帰ろうと思っていたのだが、どうもビッグがはいった模様。しかし合わせることができなくて最後の3枚になってしまい、冷汗をかく。それを見かねた隣の男の子が当ててくれたので、ビール2ケースとタバコと井上陽水先生の『ゴールデンベスト』をとっておく。陽水先生はもちろん猛烈に偉いが、ちょっと選曲に難があるですよ。ちなみに、このCDから好きな曲ベスト3を選ぶと、
「ジェニー」とか、「感謝知らず」とか「限りないもの、それはよくっぼ〜」とか「グッバイ」とか「コンテスト」とか「東へ西へ」とか「夕立ち」とか、いい曲は他にもたくさんあるのに。
もっとも、私が陽水先生に熱狂していたのは、私が高校1年(2年?)ころ、まだデビューしていなかった安全地帯をつれてライブをやったのをNHK FMかなんかでエアチェックしたのがはじまりだったから、そこらへんの曲/アレンジに偏ってしまうのは否定できん。しかし、ほんとに猛烈なクオリティーでしたよ。いや、ほんと。もう1度テープ入手できんかな。
安全地帯とのコラボレーションっていえば、「ハーモニー」がはいっていて「恋の予感」がはいってないのも納得いかんな。この人は70年代末〜80年代初頭がアクメーだったのである。
そういや、昨日キヨシロー先生がニュースステーションに出るってんで見たんだが、なにごとも起らず残念。迷っている様子も見えたが。まあ、彼も大人になったし、ニュースステーションには恨みもつらみもないのであろう。
摂津富田。
帰り、寺町の電気屋街を歩く。テレビは14型で1万7000円というものがあった。むう。しかし買えない。しかしこれくらいの値段だと、今のやつを修理に出すより安いかもしれない。むう。
懸案のシリアルポート切替器を探すと、2400円というおもいの他安い値段であったので購入。情報サンクス。ただしスイッチはチャチなので、あまり頻繁に使用するのはためらわれる。3つ繋げる切替器なので、ひとつあまっている。ここにも繋げたいものがあるが...テレビも買えないようじゃ無理じゃな。
ついでにドイツ語の辞書のCD-ROMを探すが見つからない。三修社の12ヶ国語辞書というのを見つけるが、WINDOWS版。とりよせることになるらしい。Macでも使えるのかな。出版社からタダで送ってこないかな。
この前、中公の『バルトーク』を読んでなかなかおもしろかったのでその継続。『バルトーク』はまだ若手の人が書いているもので、作曲家ではなく民族音楽研究家としてのバルトークって切り口がよかった。間宮のは発見や感動がなく退屈。五線譜に表現できないような音楽を印刷物で表現するというハンデを負っているからか。こういう分野こそ「マルチメディア」とかいうものが威力を発揮するんじゃろが。しかし現状の「マルチメディア」はまだ印刷物に比べて手間ヒマがかかりすぎるか。
この手の本で私自身には大きな影響を与えたのは、やはり岩波新書の小倉朗のやつだ。あの本は、20世紀になってからの作曲家達の調性との格闘をストラビンスキー、シェーンベルク、バルトークの3人を中心にして描いたもので、当時の(おそらく今でも)私には非常に説得力があった。特に、バルトークの「弦チェレ」の4楽章で1楽章のテーマの音程が変えられて現われる場面について「感動は動かしがたい」っていう表現があって、いつもそれを思い出してしまう。刷り込まれてしまっているのである。(同じような刷り込みに小林秀雄の「悲しみは疾走する」ってのがあったが、これは私にとっては何の意味もない)
この小倉の叙述のタネ本はレンドヴァイの『バルトークの音楽技法』ってやつなのだが、間宮はこれを批判したりしている。なるほど。(しかし実際のところは批判しているのかそうではないのかがよくわからず、ここらへんがおもしろくない理由のひとつだわなあ)
大筋退屈だけど、細かい点がおもしろい。そのうちヒマになったら抜き書きとコメントでも書く。
『ゴールデンラッキー』8。もちろんおもしろい。私はこの人が描く女性が好きである。
翻訳のおしごと。めんどう。
よろずやさんが、句読点を「,.」にしている理由を書いていたが、 なんだかへんな感じがする。他にも「,。」の組を使っているひと(Web上で) も多く、(特に理系の)出版物でも多くみかける。こういうのは 横書/縦書きに関係ないのでないだろうか? 縦書き/横書きは単に印刷上の問題にすぎない。通信上では基本的には 文字情報は文字情報としてのみあつかわれるのであり、 極端にはその情報を縦書き表示にしようが斜め表示にしようが 受け手の勝手と言える。HTMLにしても、RFC1866に明記されているように "platform independent" に情報を伝達することを目的とした言語なので、あまり見てくれにこだわる のはまずいような気がする。(もっとも、私が日本語の文章中の 「,.」を嫌うのは単に読みにくいからだが。これはwebであろうが 印刷物であろうが同様。)
ふつう日本語の句読点は「、。」なので それを使えばよいと思うのだが。「,。」に至っては、 そういう表記をする理由すら思いつかない。 『理科系の作文技術』はもってたような 気がするのだが、本の山を掘り返す(今日すでに一件掘り返して、ほんとに山 になってる)気にはなれないので、その根拠をさぐることは できない。
とりあえず指摘できることは、
結局、規格がすべてを支配するのである。原理主義である :-)
[追記]この件に関して、 期待していたひとがコメントをつけてくれていた。 (1996/10/01) もうひとり
お医者から電話があり、Macでプリントアウトできないから 見てくれと言われ、忙しいが出向いて将棋を1局指しながら 設定をいじる(1敗)。面倒。StyleWriterIIに附属のドライバではうまく動かないらしい。 漢字Talk 7.5.2に附属のStyleWriter1200のドライバをつかえば解決。 彼はPowerMac 8500なんていうごっついものを手にいれていた。 ううむ。さすが医者。メモリが16MしかないのにMathematicaを動かそうと 苦労していたので早く買えと指導。ううむ、彼も経済力がついてきたのね。 本体は別にうらやましくないが(私は通信とNISUSやその他のエディターぐらいしか 使ないのでLC575で十分)、トリニトロンの17インチモニターがうらやましい。
本物の日記(初めてワープロを手にした4回生のときからつけている)に grepをかけてdolphyという文字列を探してみる。毎年9月に必ず Eric Dolphyに関する記述があるのがおかしい。もちろん今聴いている。 Outward Bound,Out to Lunch、 Far Cry、と聴いて今Last Date。 今年もその一年になってしまった。別にDolphyと9月はなんの関係もない。 でも私のなかではDolphyは9月なのだ。おそらく『しあんくれ〜る』でバイトを はじめたのが9月だったのではないだろうか?(ちがった)
こういうDolphyやColtrane への嗜好は、 私を「古い」世代に属させるものなのではないかと思うことが少なくない。 「古い」世代というのは、汚ない服を着ても平気な世代のことである(うそ)。 酔っ払って「ドルフィーっていいだよなあ」と言って涙ぐんだりする世代である。 (これじゃトートロジーだって :-)
京都ではもうジャズ喫茶らしいジャズ喫茶(大音量)は絶滅してしまった。 今は『しあんくれ〜る』も『蝶類図鑑』も『ダウンホーム』もない。