オープンキャンパス業務。猛暑で37度とか。
と、夕方急速に喉が痛くなる。業務で感染したのだろうか。発熱の可能性もあるので備蓄食品買って帰り、黒ビール飲んで寝る。
昨晩もうまく寝られず。さらに悪夢。
現在体重は67キロ台。8月中はプール改修休業なのでエクササイズどうするか。
読書。永井豪や松本零士も読みなおしている。昭和はもう遠い。
夜、今年の卒業生様たちのオンライン飲み会。参加者6人ぐらいと3回生。まあ近況報告会というか。元気そうでよかった。なるべくだまって話し聞いてたら飲みすぎてしまう。まあ私いると話しづらいかもしれんのでホスト権渡して抜ける。在学生もオンライン飲み会みたいなのした方がいいのかもしれないけど、むずかしいのよね。
とにかくゼミ生どうしが仲良くしてくれれば教員生活的には問題がないのだが。もっと飲み会開催したいんだけどな。去年も今年もまったく開催していない。
夕方に成績を出す。すばらしい! 会社の部屋の片づけをしようとしたら余計に散らかった。
わりと早起き。
インターンの中間指導とかそういうやつのアポイントがうまくとれずにものすごく苦しむ。こういう日程調整の作業をどうしたらいいのかわからない。これ障害かなんかだな。
速達を出しに京都駅の郵便局まで歩いたのに肝心の郵便物もってない。馬鹿すぎる。
ちょっとネットから離れたい。サウナへ。
前日調子悪かったのだが、わりとよく寝て回復。数日前からクーラのない部屋で寝ている。
昼はいろいろ。夜プール。わりと落ち着いた一日だった。
朝お茶漬け等、昼は王将、夜塩鮭と味噌汁。
暑い。
停電なので午後は家。なにもする気になれずHulu(ネットテレビ)でセックスアンドザシティ見たり。 庭の手入れもせねばならんのだが。
文章なんとかいったん最後まで。某君にお願いする。
雨。早起き。
わりと落ちついている。なにより手をつけるまでがたいへん、というのを克服する方法を発見した気がする。とにかく手をつけるだけなのだが。わざわざTodoistに「ファイルを開く」と書き込んで、しばらく睨んだあとに開く。
午後から行くつもりだったのに寝坊してしまう。 とりあえず某女史のキーノートスピーチにはまにあった。偉くなったですなあ。 なんか時間の経過とかそういうのを感じた。我々は成熟した、みたいな。 まあ成熟しているのは彼女や他の人々であって私ではない。ははは。
徳島に出張。バスで3時間、それほど苦にはならなかった。淡路島に入るところで 久しぶりに海を見て、ぜんぜん忘れていた開放的な気分に気づく。市内をレンタカーで動く。 徳島城博物館というのはお城の歴史とかを展覧している小さな博物館。お城の庭園は上田宗箇作とか。 『へうげもの』のあの人かー、みたいな。
県立博物館はけっこうでかくて美術館も併設しているけっこうなところ。美術館から見たが、やはり博物館の方がおもしろいと思ってしまう。まあ時々そういうものを見に行かないとだめね。
いちおう徳島ラーメン食ってふたたび3時間で帰る。道中はチャーチランドの『脳がつくる倫理』読んでた。
寝坊。ゴミ捨てぎりぎり。
ノドが痛くてだめ。頭の左半分もノドと同時に痛くなる。
階段でバランスくずして左膝に力がかかってヒぃ。
雨模様で暗い。半日停電。しかし涼しいのでクーラーはいらない。
部屋を片づけようとするものの、ぜんぜん進展しない。
夜は涼しく扇風機もいらない。
徹夜。書類出したりなんやなんか。
歯医者。
うーん、早起きして採点。
ホームズから電話。何回かけてくる気だ。
なんとか提出。気づいたら夕から夜まで地べたで寝てた。
禁煙6日目。とにかく軌道に載ったようだ。しかし喫煙の誘惑はいまだに強い。自販機使えないのは よいことだな。タスポは偉い。いまごろ評価。
猛烈に喉が痛い。調子悪い。でも採点。
採点がんばれ。
なんかよくかあらんが坊主にして3週間、けっこういいぐあいにポワポワに なって、この状態で維持すりゃいいんじゃないかなといなという寒じもあり。鼻毛はちゃんと切りましょう。
深夜祭典開始。次は採点表が見当らんよ。とほほ。力つきて帰る。
帰宅して仮眠。昼督促の電話で起こされ出てくる。採点表探そう。とにかく夜型生活はやっぱりぜったいだめ。健康にも精神衛生にも悪い。
祭典がまだ全部終ってないのだが、気になってるパレート効率性と功利主義の件、若松先生の文章(平井亮輔編『正義』嵯峨野書院の第1章)が届いた。うーん、やっぱり若松先生が序数的(顕示)選好に(だけ)もとづくパレート主義を「功利主義」の一つに分類してるんだな。
ある政策を採ることにより、現状と比べて、誰の境遇も悪くすることなく、少なくとも誰か1人の待遇を改善する場合には、その政策が採用されるべきである。これを進めていくと、もはや誰か1人の状態を悪くすることなく、ほかの人たちの状態を改善できない点に到達するだろう。この点をパレート最適と呼び、この状態をもたらすような政策を社会は選択すべきであると主張される。(p. 35)
まあふつうの功利主義者はもしある状況で、可能な選択肢が政策Aと政策Bしかなく、AがBよりパレート改善になるならAの方がよいだろうとは言うだろうけど、単に社会政策は序数的選好のパレート最適を目指すべきだとは死んでも言わないと思う。(だいたいそんなものはほとんど常に人びとの利害が対立する現実社会では使い物にならん。)
功利主義と分配の問題について、若松先生は
今40人からなるクラスがあるとしよう。このクラスの全員が軽い退屈という1の苦痛に苦しんでいるとしよう。そこで、1人の生徒をいじめることにより、その生徒は10の苦痛を感じるが、ほかの39人の生徒は1の苦痛から解放されるとしよう。この場合、クラス全体の快楽は増大する。(p.36)
っていうふつうに使われる反例をあげてるから、野崎先生はこっち使えばよかったんじゃないかな。まあわざわざ引用したり参照したりする価値はない例だけど(common knowledgeだから)。
「功利主義もこれだけ多様になると、一つの理論として一括することが困難になる。・・・現代におけるもっとも透徹した功利主義批判者であるA・センは、功利主義に共通の要素として、「厚生主義」を摘出した」(p.40)とかいうとらえかたのようだ。まあこんだけ広げればもはやどういう理論かわからなくなるのは当然として、センは「功利主義」の特徴として帰結主義と単純加算(最大化)主義もあげてるわけだからミスリーディングだよな。まあこの本の版組と字面を見るかぎり正義論初心者向けのようだからこれでいいのかな。初心者向けならなおさらよくないような気がする。
厚生主義は生き方の問題に対しては、個人にその決定を委ねていて、個人がどのような生き方、どのような考え方を採ろうと、厚生主義は批判しない。(p.40)
うーん、これもどうなんだろうな。厚生主義と、快楽主義や欲求(選好)充足主義とを混同しているように見えるけどなあ(快楽主義や欲求主義にしても多様だし)。初学者向けだからか。まあ専門分野や読書経験の違うひと、関心のありかたが違うひとと話をするときは非常に注意しなければならないな。
あと、功利主義の功績としてベンサムの刑法改革運動ぐらいしかあがらないのはやっぱりどうか。私のもってるリストだと、(19世紀までに限っても)功利主義者を自称する人びとが要求した社会改革は(なんの本のメモだったわからなくなってしまった。永井義雄先生だと思うけど。)監獄の改革、婦人参政権を含む普通選挙、自由貿易、植民地制度改革、労働組合の合法化、公費による国民教育、言論出版の自由、秘密投票制、官吏任命制度および業績主義、高利禁止法の廃止、地方政府改革、海運の安全規定、衛生上の改革、公費による予防医療、統計の組織的蒐集、貧困者のための無料裁判、産児制限、煙害対策、とか。多くは実現して人類の福祉に貢献している。
国内の功利主義理解がどうも歪んでいるのは、明治期の帝国憲法制定のころのいろんな政治的動きや、戦前のドイツ系哲学の政策的輸入や、軍部と京都学派とかの結びつきとかってあたりにあるってのは本当なのかな。ここらへん戦前〜戦後の思想史みたいなのに興味あるひとにきちっと調べてみてほしい。戦後ルソーとマルクスと実存主義と現象学が流行ったのもあれだったような。わたしらの世代にとっての問題は、ロールズやノージックやセンと、「応用倫理」とかってものがいきなり出現したように見えて、彼らが功利主義批判からはじめた意味(功利主義的福祉国家主義の否定と、それに対する反発って図式)が非常にわかりにくかったところだったんだよな(私にとって功利主義は浅薄な人間理解による過去の遺物だった )。まあ私が勉強しなかったって個人的理由が一番大きいけど。「己れの拠って立つ処」を知るってのは本当に難しいよなあ。
池袋ホテトル事件に関する一審と控訴審の判決文をいまごろ読む。たしかに悲惨で恐しすぎる。 一方で、フェミニストたちの論文で見ている判決文の引用とはかなり違う印象を受けてしまう。これ書いた裁判官たちはそれなりに「俺は自分の仕事をした」と(いまでも)思っているかもしれない。(裁判官に女性がはいってればぜんぜんちがったかもしれない)
殺人で懲役2年執行猶予3年っていう量刑(親族殺人でときどきある量刑だ)がどうなのかっていう問題ではないだろうが。正当防衛で無罪でもよかったんだろうけどなあ。
セックスがからんでなかったらどれくらいの量刑になるのかな。同じような事態を考えるのはかなり難しいか。これがobjectificationなわけだもんな。他に似たのはカニバリズムされるとかしか思いつかない。(部分カニバリズムとかどうか?「耳たぶ食っていい?」)もっとちゃんと考えよう。いや、考えると精神衛生に悪いか。
学生のライブを聞きに京都MUSE。飲んでしまう。
引き続き地域共同体行事。朝から。早起きは三文の得らしい。
さらに奉仕活動。慣れぬ肉体労働で汗をかく。空と風が秋。
床屋。再び坊主頭。今回はついにバリカンの限界の1mmにチャレンジ。青々。しかし やっぱりヒップホップな人にはなれず、ただの生臭坊主。せめて 諸星大二郎先生の漫画に出てくる真面目で気弱な青年僧のようにはなれんのか。
その足で研究室へ。床屋で熟睡したのだが、まだ眠いな。
どうにもならないので夜 Metroへ。 高橋ゲタ夫先生が率いる Descarga Ven Ven Ven。 サルサの皮を被ったアフロ/ラテンジャズバンド。 "My Favorite Things"を6/8 アフロにした曲がベストチューン。 そういうバンド。 音楽的にはやりたいことがはっきりしていて、とてもおもしろかったが、 踊りを目的に来たお客は踊りにくそうだった。 ダンスと音楽性の追求は相いれないところがあるのかもしれん。 純日本人バンドがラテンやるときほんとうにスペイン語でやる必要があるのかとか。 やっぱり歌ものやるときは歌詞は大事だと思うのだが。 やっぱりインスト中心のバンドは最初からハンデを負ってるとか。 ビールは1本だけ、あとは水を飲む中年男。
「かぼちゃの種数当てゲームを行ないます」「子どものくじびきです」とか 地蔵盆の放送が秋を感じさせる。午後ちょっとだけ研究室。だめだめ。夕方遠 雷。そして驟雨。
岩波の『BC級戦犯裁判』とか。なるほど。
だめだめなので気分転換に映画。『ヒトラー最後の12日間』。 たいした事件はないが、飽きずに見ることができた。それにしても 最近の映画は音響がよすぎる。
明け方女子体操を見ようとするが眠くてだめ。午前中から大学。採点。やっと某大学分終了。
「元気もらう」とか「力をもらう」とかそういう表現はもう一般的になったんだなあ。7、8年前に聞いたときはかなり新鮮な響きがしたものだが。
8時起床。風呂入ってライブラリ。いくつか重要そうな資料見つけてコピーとったり。アリバイ作りとも言う。
タバコは買わないまま。
夜は某君と町で一番有名なレストラン。しかし肉の焼き方がなあ。川縁のパブでビールを飲むと風がいい感じ。
朝ばったり寝て昼起こされる。
夜ジョギングして体ほぐして早く寝る。
早起きに成功。朝から。しかし、次々と雑用が襲ってくる。
雨の切れ目に軽くジョギング。
ちょっとスタジオ。レゲエはやっぱり無理だってば。パーカッション足らんし。
夜ちょっとだけ今熊野。
スパイク・リーの『Get on the Bus』。スパイク・リーさんもずいぶん内省的に なったものだが、あんまり、「よい人間になろう」 とか考えたらダメだ。まあしかし、スティービー・ワンダーだの、カーティス・ メイフィールドだのってのは、やっぱりよくわからんままなんだろな。
起きられん。水道は壊れたまま、すでに小川のようにサラサラサラサラと流れていく。
午後から。あちこち電話したりメール出したり。俺ってさあ。あ〜あ。
お金がないので、小銭をかきあつめて銀行にもって行く。19000円也。
WINDOWS95をプレインストールされたものを、WINDOWS98にしようかどうか迷う。恐いよなあ。
夕方から研究室で仕事。なかなか進まん。
昔小倉朗というひとの『現代の音楽』だかなんだかっていう岩波新書を読んで感心したことがあった。(バルトークを教えてもらったのはこの本だった。)それによれば、我々のふつうの応答ってのは5度の関係になってるらしい。「〜〜よね?」という疑問形に対しては5度下で「うん」と答えるのが肯定で、それ意外の音程はまた別の意味をもっちゃう、ってな話だったと思う。話はそっからドミナントの力ってな話になっていくわけだが、この話は電車の中の携帯電話はうるさい、とか、半疑問形で喋るやつは抹殺しろ、とかいう話題のときにいつも思いだしてしまう。
おそらく携帯電話がうっとうしいのは、「よね?」「やろ?」その他の疑問形に対する答が聞こえないものんだから、どうしても注意があつまっちゃうんだよね。
GNUのFile Utilitiesをコンパイルする。
実は
touch -reference=foo1.txt bar bar2といったことがしたくて、(つまり他のファイルを特定のファイルの日付にする) 自分でperlで書こうとも考えたのだが、それくらい だれかがつくっているだろうとnewsでたずねたら、 すでにGNUであるという。さすがGNU。えらい。
アルコールを飲まないと、延々Webを覗いたり、日記をかいたりしなくなることを 発見。