採点を集計して転記するのに半日かかる。翻訳。あと1/3ぐらい。
どうも秋になったようで、いつものようにちょっと苦しい。休まないとならないのはわかっているのだが、気もあせるしどうもならない。こういうのはほんとうにどうにもならなかったな。
昨日から禁煙開始。成功するかどうか。雨、朝どしゃぶりにぶつかってしまう。 禁酒も禁煙も失敗、天罰として帰りもどしゃぶりのなか。
雑用。
ビール飲まない我慢。
今日も採点。とても暑い。
午前中研究室の片付け。午後は停電なので帰宅。夕方プール長めに。
スプラトゥーンは時間の無駄だが延々プレイしていられる。しかし下手だね。
けっきょく入力の最終確認をしてボタンを押すのは締切直前になる。
快晴だが涼しいので散歩がてら再度コンタクトレンズを作りに。コンタクトの上からかける老眼鏡も処方してもらう。けっこう時間がかかり、すっかり夜になる。
イーストウッドの映画『グラントリノ』見る。
明日だと思っていた採点入力締め切りが本日であることに気づきあわてる。けっきょく夕方までかかってしまう。
夜銭湯へ。
午前中調子出ず。成績入力の最終確認するとミスがあって、思ったより手間どる。
午後ジムへ。なんか疲れてるので休養。それにしてもお休みをとるのが下手だ。
と、成績入力に不備が発覚。
寝たり起きたり。半睡状態はすばらしい。
採点のウェブ入力。いつもながらいらいらさせられる。
寝坊。
今年から導入された採点入力システムに苦しめられる。これはひどすぎる。あまりにもだめなので、紙で提出させてもらう。滋賀のも郵便局から発送。
いろいろ片づける。一瞬急ぎの義務的な仕事が消えた。珍しい。まあ秋の準備をしなければならないが。
けっこう真面目に仕事している。が、夕方には燃料切れ。
やっぱりまともな人々というのは、生まれつきの資質や環境のよさといった運に加えて、意図して自分自身をそういうふうに作りあげてきているのだな、と思ったり。形から見習うこともできたはず。いやまあ、これからもできるかもしれない。
国内の大学にいる研究者・教員で、内発的な問題意識からテツガクしているひとってのはどれだけいるんだろうな。私はそういうものさっぱりないような気がする。むしろ昔から難しくてよく理解できないけど他人(私)を批判非難しているようなものが不安でそれを解消したいと思っているだけのような気がする。だからなにやってもなんか保守的・現状維持な感じになる。外発的。まあつまりよくわかんないけどへんなこと言ってるなあ、ってのがなにやるときも最初にあって、ぜんぜん内発的な動機はない。
採点一件やっつけた。
今日は息抜き。
延々寝る。
詩人じゃなくても完全に秋。しくしく。前夜はクーラーなしで寝た。今年はずいぶん電気使いました。
禁煙3日目。調子悪すぎ。しかし今日を乗り切れば楽になります。
吸いたくなるのは、(1)なにか動作が一段落したとき、(2)ちょっと立ちどまって 頭使いたいとき。まあそれなりにまったく効用がないわけではないような気もするんだが、 なんか奴隷になってるのがいやでなあ。汚ないしねえ。
25年以上 毎日20本ぐらい吸っているわけで、 少なく見つもっても200円 x 365 日 x 25年 = 1,825,000円ぐらい? 多めに見つもって350万ぐらいか。意外にたいしたことないっていえばたいしたことない? おそらくアルコールはその数倍(さすがに一桁違うということはないだろうが)。そっちはたいしたことある。
牛さんやGoogle calendarさんといろいろ相談。
転記に思いの他時間がかかる。いかん。とにかくなにをするにもそれなりの時間がかかるのが 現実世界。どうも忘れがちなのは業種の問題なのかなあ。
あら、そういやiPod出てこなかったなあ。 まあ歩いたりしているときに音楽聞いてるべきかどうかは微妙ではあるけど。 まあしばらく音楽なしで移動すべし。そろそろ耳遠くなるのも気にしなきゃならんし。 iPhone?まさか。
とにかく吉田は1日前に提出。でも他は無理そう。
ニコチンでこんなことになってんだったら、コカインだのアンフェタミンだのMDMAだのやったら 絶対首つって死んでるな。違法でよかった。
苦しんだが、無事故のまま禁煙3日目終了。明日起きたらクリーンな人間になっているような 気がする。とにかく寝るべし。
昼から活動ではいかんのだ。図書館と研究室をいったりきたり。 もっと近ければいいのに。偉くなって図書館長になると図書館に部屋もらえるのだろうか・・・ む、衣笠図書館はお休み中か。
図書館の本に鉛筆で線を引くのはやめよう運動を開始しようかなとか。
気になっている昨日のパレート原理の件。平井亮輔先生編の本は手元にないのだが、図書館に若松良樹先生の『センの正義論』があった。「最近の功利主義的理論の主流であるパレート原理を用いるタイプの功利主義」p.15。あ、これか!こういうのがまわりまわって「個人の選好によるパレート原理をその主張の根幹とする現代の功利主義」になったのかな(日本語は「関係詞の限定用法」とか「非限定用法」とかないからわかりにくい)。てっきり単純加算総和極大主義とらないのは「功利主義」と呼ばないんじゃないかと思ってたよ(「帰結主義」の一種ではあるかもしれない)。こういうのは他の分野や伝統の人と話するときに無用な誤解の種になるから注意しないとなあ。
でもその主流って誰の理論だろう?"negative utilitarianism"って呼ばれているやつのことかな(なんか違うっぽい)? 主流なのか?とにかく、簡単に「主流」とか言われると困る人いるんじゃないかな。「前世紀後半に(いったん)検討され(、その後廃れ)た〜」ぐらい?まあ主流とか本家とか元祖とか「人気の」ってのはその程度のもんだが。
索引がついているので「パレート原理」を見てみるが、誰が「パレート原理に基づいて」「主流の」「功利主義」を唱えているのか一切記載がないように見える。うーん。誰のことだろうもちろん「主流」あらそいをする気はないが、気になる。センがバリバリにがんばってたときの状況と彼の仮想敵をちゃんと知っておく必要があるよね。
『生命倫理学と功利主義』のなかで伊勢田先生は「幸福というものが量的に扱えるものだという前提を否定する厚生経済学」を「非単純加算的福利主義」だとして功利主義とは別に分類している(p. 8。ちなみにこの文章も「限定用法」なのかどうかわかりにくいな)。まあとにかく伊勢田先生は「功利主義」は「最大化主義的単純加算主義的福利主義的帰結主義」だとしている(これはおそらく私が目にした最長の漢字だけの単語)。それでよい。っていうかその本を書いている人たちは、共通に功利主義をそうとらえているだろうと思う。野崎先生は功利主義について論じるときに、この伊勢田先生の「功利主義」と若松先生の「主流の現代の功利主義」の齟齬をまず検討するべきだったんだよな。せっかくどっちも読んでるんだから。伊勢田先生の功利主義を引用してから違うものをやっつけても意味がない。どっちをやっつけたいのかはっきりしないままじゃだめです。功利主義やっつけたいならもっといろんな方法があるんじゃないだろうか(ただ、功利主義「だけ」を攻撃するのはかなり難しいかもしれない)。
国内のセンの受容もときどきあやしいんだよな。功利主義が理解されてないところセンもってきてもなんのことかわかるまい。能力アプローチとか功利主義の後継(っていうか二次原理)として理解するべきだと思うんだが、そういうわけじゃないのかな。わからん。
とかやってると夕方になってしまった。だから昼から活動はいかんてーの。まあいったん帰るか。
いったん帰宅。弁当作って出てくる。
熱中症でどんどん死んでる。年寄の死は気の毒だが、どっかの役所のメタボ侍(47)の死とかなんともいえん味が。労災出るといいなあ。とにかく暑いときはなにもしちゃだめ。いまの気候で朝8時にメタボがジョギングなんてほんとの自殺行為。熱帯に住む人たちはそゆことしない。あれはヨーロッパとかカナダとかそういうとこの人びとがするもんでね。なんか、夏は昼はなにもせずだらだらする、っていう伝統の知恵がどっかに行ってしまったんだろう。一年中働く必要はなかろう。そういや昔昔この時期に植木屋のバイトしたときはほんとにキツかったけど、ちょっと仕事してはきっちり休憩とってた。麦茶と漬物がうまかった。伝統の知恵だ。デスクワークばっかりしてるとそういうの忘れちゃうのかもなあ。皆すぐ死んじゃう星人なのに用心が足らんよ....。
心を落ち着けて。
漢字読めなくて困る。漢和辞典でも引くのに失敗。うーん。その単語は「容喙(ようかい)」でした。「くちばし」くちへん総12画。恥ずかしい。13画と数えてた。(今回は関係なかったけど)部首の読み方の表をプリントアウトして机のわきに貼っておく。まあこういう言い回し使える人は鍛えが違うよな。
藤井誠二による野田正彰「攻撃」進展。 うーん。ネットって難しいね。
やるべきことあるのに若松先生のを読みはじめてしまった。パレート最適の話はけっきょくよくわからなかったが、他の最近よく見かける論点がまとまっていて勉強になる。法哲学の人は元気だ。
ついでに鈴村興太郎・後藤玲子両先生の『アマルティア・セン』も眺めておこう。ここらへんもっと早く読んどくべきだったかもなあ。
ピグーが創始した厚生経済学は現在では《旧》厚生経済学と呼ばれている。これに対して、効用の基数性と個人間比較可能性という理論的全体の《非科学性》を正面攻撃したライオネル・ロビンズによる強烈な批判に触発されて、ピグーの《旧》厚生経済学の功利主義的基礎を放棄してヴィルフレッド・パレートがつとに開拓した序数的効用理論に帰依する《新》厚生経済学が誕生したのは、1930年代後半のことだった。 (p.12)
そうだよね。「功利主義的基礎を放棄して」がポイントなんじゃないかな。さっきの伊勢田先生の文章は、「幸福というものが量的に扱えるものだという前提を否定する〈新〉厚生経済学」だともっとよかったのかな。ハルサニは「旧」に分類されてしまうのかな。「旧」だなんてなんかかっこ悪いよね。気の毒に。
明け方。朝が遅くなった・・・はっ。なにやってんだ。
朝帰り。
夕方起きて日が沈むころ出てくる。
駅で買った『日経ビジネスAssocié 実践書類&情報整理術』を読んで机の 整理方法を学ぶ。もちろん私が学ぶことは常に実践とは関係がない。
再提出を命じた生きる力のない一回生からメールが届く。 挨拶や前おきなしにいきなり、 「私は今回、このレポートを書くにあたって、19世紀の思想家を一人とり あげて論じようと思う。19世紀のたくさんの思想家の中でも私は、高校の時 の倫理の授業の時に習って印象的だった『デカルト』について調べ、論じてい こうと思う。」 脱力。
DQNの川流れ。どうしても1999年の事件(youtube動画 )をおもいだすわけだが(感想)、 http://www.d1.dion.ne.jp/~masehts/message/leader.htmlおもしろい。人々は「こいつら死んでもいいや、いや死んでくれ」と思ってたのかもしれんな。人には嫌われないようにしなきゃならん。
ベトベンの四重奏、前期より中期、中期より後期の方がずっとよく聞こえ るわけだが、なにがよいのかと聞かれてもなにも説明できないよな。音楽の場 合は並べて比較するってことができない。なんか感じるときも、どんな音楽で も単純な感情と結びついているわけではないような気がする。
音楽美学とかもおもしろそうだなあ。岩波の「一冊でわかる」シリーズで 出してくれないかな。本家(OUPの Very Short Introduction シリーズ)では出てないのだろうか。 それにしてもこのシリーズ、どれも質が高くてすごすぎだよな。なんというか、 アカデミズムの力の差を見せつけられるというかなんというか。読者の力も違うのかも。 Wikipedia見てると英語圏の人間との文章力の差を知るよなあ。まあ人口が違うからしょうがないのか。 サイトは http://www.oup.co.uk/general/vsi/か。Musicってのも出てるな。全巻図書館に入れてもらうことはできるだろうか。交渉してみよう。 岩波は全部訳出する気かな。がんばって早急にやってほしい。
youtubeでndegeocelloのビデオにはまる。鼻血でそう。よい時代になった。というか いくら時間があっても足らん。黒人の人は頭の形がよい。また頭刈ろうかな。 こんなふうな音楽作れるっていうか、こういう耳と想像力を持ってるってのはほんとに どんな感じなんだろう。
@Book{チェスラー03:マーガレットサンガー, author = {E. チェスラー}, title = {マーガレット・サンガー:嵐を駆けぬけた女性}, publisher = {日本評論社}, year = 2003, note = {早川敦子監訳}, yomi = {Chesler, Ellen} } 歴史書。歴史的事実はよく追っているけど、サンガーがどういう人間だったのか さっぱり見えてこない。 あら、マーガレット・サンガーってハヴロック・エリスとダブル不倫してたのか。サ ンガーもエリスも薔薇十字団だったのか。いったいこの時代はどうなってんだ。 いろいろ知らないことがあるなあ。・・・いや、荻野先生の本で読んだはずだ。 記憶が。
昼から。大文字がすめば完全に秋。遊んでいる場合ではない。とにかく某大の採点を終えよう。
どうでもいいが、小学生のころは夏休みの「自由研究」ってのと「読書感想文」、それに「自由工作」ってのが嫌いで嫌いでしょうがなかった。いったい何をすればいいのか漠然としてよくわからなかったからだな。「自由」ってのがよくわからなかったわけだ。「自由」といいながらなんかお手本や暗黙の形式が決まっていて不自由でもあったし。いまならどれもわりに楽しんできるような気がするが。工作は無理だがなんか作ること一般ならなんとかなる。あれはもうちょっと指導のしかたがあったんではないのかなあ。当時の私がいたら、「作曲しよう」「君の好きなトランジスタ工作でよい」とか「アストロ球団のキャラクターのまとめ」とか「諸星大二郎の『暗黒神話」と古事記で書けば?」と言ってあげたい。まあ教師のせいではなく、当時から私が保守的で人目を気にして生きていたのが悪いといえば悪いのだが。いまだに「読書感想文」という形式のものを書けと言われれば困ってしまうような気がする。
日が暮れるのもずいぶん早くなった。
ふう、とりあえず衣笠分終了。自分とこのがこの3倍近くある。
自宅のCDプレーヤーは諦めて、研究室のプレーヤーを移動。研究室では Macで聞くことに。
夜雨。雷。
朝帰宅。寝る。
夜起きだして、古いビニール盤も掘り出してみたり。小遣いためてクラシックのレコード買ってたのは中学生から高校生のころだもんなあ。思えば遠くに来たもんだ。25年経って演奏者や指揮者の世界もずいぶん変わったなあ(誰がどこの常任になっているかちゃんとおさえてはいないが)。
TeXの編集にふたたびAUCTeXを使いはじめる。
松阪って顏が大人になったなあ。私はやっぱり1リーグ制がいいと思うのだが。読売戦放送しておけば今のパリーグの選手もちゃんと見ることができるようになるなるわけだし。岩隈とかも。1リーグ制に反対しているひとは、そういうのあんまり皆見たくないのかな。アジアリーグでも開けばいいのに。どうせアメリカを宗主国とする国でしか行なわれていない競技なんだし。
体が硬い。いかん。
8時ごろ起床。ジョギング。食べるものがなくてひもじい。
午後遅くまで寝てしまう。いかん。
スイミングスクール。
夏休みは完全に終了。
午後から。夜飲む。七条の「わらじや」。店に入るなり、「おひとり6100円です」はあ。で、つきだし(玉子豆腐、魚そうめん)、鰻鍋(あっさりしょうゆだし、具は鰻と九条葱と春雨)、鰻雑炊(その鍋に鰻と飯を入れて玉子でとじたようなもの)、デザートにメロン。だめだめ。対応もゆっくりするような感じでもなく、厨房には座敷犬もいる。そういう店。二度と行かない。
その南にあるバーだかパブだかに行ってみる。案に相違して、ブラックな音楽をかけている店だった。でも、ちょっと高いと思う。ラムやウォッカにシングルだのダブルだのがあるってのはおかしいですよ。
前日ほどは飲まず。
徹夜。ダメダメ。
牛丼食ったり、カレー食ったり。太る。
遅刻しそうになりながら広島へ。夜大学近辺の居酒屋で飲むが、猛烈に油っぽいものを食わされて気分悪くなる。
『IP5』見る。
どういうわけか、昨日家にプレイステーションというものがやってきた。しばらく滞在するらしい。とりあえず、「パラッパ(ザ)ラッパー」と「ファイナルファンタジーVII」と「ときめきメモリアル--forever with you」の3種をやってみる。
パラッパは噂どおりたいへん楽しい。まだ5ステージ目ができないが、勝手にパカパカ打って"Cool"って言われるのが気持ちよい。
ファイナルファンタジーは2時間ほどやったが、さっぱりおもしろくなってこない。3D画面も操作性悪いし。主人公たちはちょっとやそっとでは死にそうにないので、緊張もしないし。話の筋もおもしろくない。昔のドラゴンクエストなんかは非常によくできていたこと再確認。
「トキメモ」もなにがおもしろいのかよくわからん。同じことの繰り返しで、ゲームに奥行きがないよなあ。遊び方がまちがっているのだろうか?
というわけで、手持ちのソフトでは、せっかくのプレイステーションにはまることはあんまりなさそうなのだが、これだけはやっておけというおすすめのゲームはありますか?あるいは、お前の遊び方がまちがっているから、このページを見てやりなおせなどという情報も歓迎。
昨日は大文字を見たあとさらに飲み、研究室にもどったのだが、気づくと廃屋状態の旧研究室のソファーの上で寝ていた。私は某学士ではない。移転にともない、倫理研究室のホームページをふたたびsocio上で運用することにした。 http://www.socio.kyoto-u.ac.jp/~ethics/です。http://bentham.socio.kyoto-u.ac.jp/の方のサーバーは近いうちに停止します。(って、ここで書いても意味なし)
最近なぜかうちに集まっている「日本人アーチスト」のCDを整理して順に聴いている。
とりあえず今日はピチカートファイブの『月面軟着陸』とかオリジナルラブの『Sunny Side of Original Love』とか、小沢健二の『球体のかなでる音楽』とか。
ピチカートのはちょっとわからん。一番印象に残る曲が大滝のカバーの「ゆびきり」だってのはちょっと。オリジナルラブは16beatとかに対する偏愛はわからんではないが、うわすべりな歌詞がなんだかやだ。一般にここらへんの人は歌詞つくるのがヘタな感じがするなあ。 それに1枚のCDが長すぎるような気がする。
小沢健二のやつは、必ずしも好みではないが、なかなかの名盤であるような気がするな。ピアノがいいなと思ってたら渋谷毅先生であった。なるほど。
フリッパーズギターの『ヘッド博士の世界塔』。これはなかなかいいすよね。