午前中病院。2月の検査の相談しただけ。午後翻訳。なんとかセックス編のチェック終了。まだ全体半分に届いていない。
長時間睡眠。少しゆっくり。夕方プール。
前夜から大雨、午前中にはレベル4の避難指示が出る。その後も降り続く。外にはでないで家で採点。
アフガニスタンでタリバンが全土を掌握したというニュース。
採点時間短縮と退屈を避けるためのスクリプトを書いてみたり。
採点なんとか終える。
マンガ『ペリリュー』を読む。戦争はおそろしい。
ゆっくり起きて午前中は家で採点。昼は鐘園亭で回鍋肉、軽くプールにつかる。
夜まで採点。なんとか赤入れはおわる。
朝植物園へ。
市立図書館。大谷本廟のあたりはすごい人出。
昼寝したりしているとあんまり仕事できず。
研究室。 夕立。秋が来る。
百日紅剪定療法。定位置へ。
すし丸。
夜型生活はだめなのだがなあ。
リハビリ。
雨がちで調子悪いが採点。8月半分終ってしまっている。
なんとか吉田の採点を終らせる。あと滋賀のが残っている。
自分のところの採点はすでに済んでいるのだが、成績登録システムが馬鹿でIneternet Explorer専用らしく、ChromeやSafariでは動かない。これは公式に文句言わないとならん。とりあえず出さない。
最近歩くのを億劫に感じているのは、ヒザの問題の他に、トートバッグを使っているからであることに気づいた。体のバランスがくずれている感じがいやなんだよな。肩にぶらさげても手に持っても不安定。やっぱりリュックじゃないと。
早起き。仕事せねば。 なんとか滋賀の採点終了。
腹ぐあいが悪い。
書類の締切を勘違いしていて冷汗。
市立図書館から借りる音楽CDがなくなって落語CDを借りている。いま聞いているのは桂文楽。あっさりしていているところが江戸前なのね。
研究室泊。しかし早々に地べたで寝る。8月に入って寝てばかり。2010年の夏は最もよく寝た夏として記憶することになるかもなあ。
採点しないと。
眠い眠い病再発。午前中昼寝し、飯食って午後も延々昼寝し・・・さらに寝る。なんでこんな 眠いんだろう。猫とかこういう気持ちで生きてるんだろうな。
あるいはレポート用紙になにか揮発性催眠薬かなにかかが仕込まれていたのか?
夜になってやっと意識がはっきりしてくる。やっぱりここらで気合い入れる必要があるなあ。 なんというか半月ほど精神活動が停止していたようだ。年中か。もっと覚醒して活動的に生きていたいけど 無理なんかね。
なんか本当の夏が去ってしまったようでしくしく。まあもうお盆。
なぜ効率が悪いか?仕事をいつも中途半端にやっちゃうから二度三度と同じことをすることになっ てしまうから。私の死に至る病。
すでにお盆なんだな。盆も正月も関係ない生活を送ってるってのはよいことなんだろうか。
夕方から酒飲んでしまう。音楽聞きたくなって久しぶりにMetro行ってみるがダメすぎる。まあお盆だから。
明日はちゃんと祭典しよう。
大学には誰もおらず、メールも届かずwebも見えず。ピース。David Bowieの "Tonight"な感じ。"Everything will be alright tonight, No one moves, no one talks, no one sings, no one walks tonight."
でもネット使えないとやっぱり困ることもあり。2時間おきに10分だけ使えるとかだといいのに。自律できない男。でもこれ実装したら売れるかもなあ。商品名は「オデュッセウスの鎖」だね。「積極的自由」「True Freedom」でもいいかも。人間は自由に生まれた。しかしそれにもかかわらず、いたるところでネットに繋がれている。
日が暮れるころいったん帰宅。シャワー。また出てくる。秋。
やっぱりiciclesは捨ててido.elにもどってくる。
久しぶりにRoxy MusicのAvalon聴いたり。夏の夜に聞きたくなる。あ、Sadeの音ってのはつまり末期Roxy Musicの延長なんだな。アンディ・ニューマークが偉いのか、ボブ・クリアマウンテンが偉いのか。
NHK BSではじめてスガシカオ見る。よくわからん。ていうか、そのステージングでいいのか。どう見てもバックバンドがやる気ないのだがだいじょうぶなのか。なんでそんなにファンクしてないのだ。YMOかと思った。お客さんいっぱい入ってるに踊ってないし。見てるとだんだん腹が立ってくる。おまえは38分15秒なのか。井上陽水先生でさえ45分、忌野清志郎先生は2時間35分だぞ!とか文句つけはじめる。いかん。後ろの方はバンドサウンドが少し良くなりかけるがやっぱりだめ。ギターぐらい練習しろ!尾崎豊とかミスチル桜井とか、好きじゃないけど本物なのはわかるが、この人からはなにも感じない。
現在、iPodに入っている曲が4000曲ぐらい、"Favorite"っていうPlaylist (ロックとR&Bで☆を三つ以上つけたやつ)が360曲ぐらい。このプレイリストにはまると抜け出すのがむずかしい。
早起き。散歩。朝から。でも寝たりない感じ。
煎茶飲んで目を醒して、細かい仕事を。レポート採点今日中にやってしまおう。
やっぱり午前中昼寝してしまう。
@Book{斎藤勇88:対人心理学重要研究, editor = {齋藤 勇}, title = {対人心理学重要研究集(1)-(5)}, publisher = {誠信書房}, year = {1987-1988}, yomi = {さいとう いさむ} } 社会心理学の有名の論文の紹介。 この分野も気になるというか好きな分野のはずだし、部分的にはいろいろと目 や耳に入ってきているのに、全体としてどうなっているか を体系的に知ることがなかった。この分野ってのは ビジネスとかと関係の深いわけで、蓄積もずいぶんあるなあ。 もう20年も前の本だから、ずいぶん知見も変わっているのだろう。 でも倫理学者も基本的な知見ぐらいは知っておかなきゃならんよな。
邪悪なリーダーや巧妙な詐欺師、ナンパ師、ヒモなどなら経験的によく知って いるようなことばかり、っていう気もするが、奇妙な実験環境を作りだすとこ ろがこの分野の腕の見せどころだな。 認知的不協和の理論は、社会心理学の他の分野に比べて直観や常識に反するところが 魅力だな。でも最近はアレなのかな。またもりかえしたのかどうか。
ほとんどの論文で被験者を属性や(あらかじめ検査した)性格特性とかで細か く分けることはしていない。なぜだろう?そういう分野なわけなのだな。ある いはこの時期(80年代なかば)まではそうだったのか。ちゃんとした教科書を 何冊か読んでみるべきだな。 サイエンス社の『社会心理学セレクション』がよさそうだ(何冊かは持ってる)。 全巻図書館に入れてもらおう。
まあ70年代ぐらいまでには「研究倫理」とかあんまり意識してなかったのがわかる。 それがおもしろい結果を量産していたわけでもあるな。 有名論文それぞれに研究者の顔写真がついているのだが、どいつもこいつも 邪悪に見えるのは気のせいか。
あら、首都で大規模停電か。テロかと思ったろうな。(実はテロ?) 船長の単純ミスだとしたら、被害の大きさがおもしろすぎる。
「花火うるさいと67才が散弾銃」。うちのところは今年はあまりうるさくない。
レポート採点に苦しむ。こっちは課題をもうちょっと練るべきだった。 授業も十分理解してもらえていたのか心配。夜までになんとか終わる。
採点表への転記がなあ。自宅でバーコードかなんかでできるといいのだが。 衣笠大学は学生にQRコードを配布しているのだが、読み取り機はもちろん大学。 これ、カメラ(iSight?)があればMacとかでも読めるのだろうか。ずいぶん楽になるのだが。 そもそもQRコードとはなにか? どの程度の情報が入っているんだろう。・・・うーん、 わからん。いやいあ、無駄な時間を使うのはやめれ。
久しぶりに万葉集読んで寝る。我々とほとんど変わらぬおそらく普遍的な心理を表現してるよな。 やっぱり時には文学。
昼まで寝ている。午後遅くに大学。とにかく採点。 作業中何を聴けばいいのかわからんのでFM放送を。
今日の毎日新聞の田中優子の書評。政治色が強すぎてたまらん。
「2000年になってはじめて国連が「国家は戦時の性暴力を訴追する責任がある」ことを決議し、女性国際戦犯法廷において、日本軍慰安婦制度は「人道に対する罪」と国際的に認定されたのである。」
国連決議とVAWW-NETのアレを同列に並べるのは意図的にミスリーディングな文章に見える。
若桑みどり『戦争とジェンダー』については、
「戦争を起こすシステムの基本には家父長制があり、それが多民族支配、異文化差別、女性差別そして暴力と結びつくのだ、と。南京では約2万人が強姦され、その多数が殺されたことが東京裁判で報告されている。戦争における強姦は自然な性欲の結果などではなく、形を変えた戦闘なのだという論は、非常に説得力がある。実際に、慰安婦も南京虐殺も無かったと言いたがる人びとが夫婦別姓に反対し、派兵に関心をもち、家庭を大切に、とぶつそのつながりが、私はこの本で非常によく理解できたのである。」
なんでも家父長制で片づけることができるてのはなあ。「強姦は自然な性欲の結果などではなく」も気になる。「自然な」というフレーズをとりさったらどうなるんだろう。「強姦は性欲の結果ではなく」。これはかなり怪しい。
よくわからないが、人は個人としての自分に対する懐疑が一段落したり出口がなくなったり余裕ができたりすると、次に自分が所属している集団のアイデンティティについて考えたくなるんだろうと思う。
昼すぎに起きる。家で文献読みながらダラダラ。オリンピクといっても新体操まで見るものがない。
7時起床。ジョギングしてライブラリへ。
あら、大学からどこにもつながらなくなった。
今熊野もシステムメンテのためお盆明けまで 停止。
いつものように5時までライブラリ、ビール飲みながらピアノ弾いて帰宅してすぐ寝る。パターンができてしまった。
地べたで起きる。
夜飲みに。
早起きに成功。朝から。暑いが湿度はそれほど高くなくいい感じ。風がきもちいい。夏の終わりってな感じでね。
この時期、心落ち着けて勉強できるのがちょっとうれしい。しかし、デンマーク語だと1日2、3ページしか読めないってのはつらいなあ。700ページもあるってことは、毎日読んだとしても2年かかっちゃうな。Joakim GalfのSAKって本。英訳出ないかなあ。ま、GyldendalのDansk-Engelsk CD-ROM辞書があるのでまだマシ。これを使うためにWindowsにデンマーク語ロケールなんかを入れる。すると、大辞泉が動かない。うーん。
そうか、dvipdfmって日本語パッチがあるのね。すばらしい。Acrobat買うんじゃなかったなあ。
夕方ジョギング。広い空に入道雲。雲間の稲妻。遠雷。こう、あれだ。そういう夏の終りの感覚。それ以外に表現しようがない。それに、あれだな。雲だの雷だのってのを見てると、世界ってのは謎に満ちてるって感じになるし、そのあとでふと近くの草とか見るとこれまた奇妙なもので。あれだ。ロカンタン症候群ってやつか? そういうのにあんまりハマると、原初的な哲学への道がそこに開かれているのかもしれないが健康にはよくないかもしれない。アリストテレス先生だのリンネだのカントだの、そういう人達のある種の恐怖とその克服への意欲ってのがわかるようなわからんような。わからんな。
うーん、巨大ファイルシステムノバックアップってのはほんとに難しい。 何度も確認したつもりでも、モレがある。今回は、外部ディスクをつないで、 /export/home以下のファイルをcp -r -pでいったんコピーして、数日後にもう 一度rsyncで更新されたファイルをバックアップした(つもり)。/export/home は半ば壊れかけていて、かなり心配だったのだが、とりあえずバックアップは とれた(つもり)。自分のディレクトリのファイルは確認した(つもり)。ところ が、rsyncでコピーしたファイルのうち、ある大きさ以上のものの*一部*が文 字化けしている。こりゃ、気づかないよ。自分の本拠地を8月5日ぐらいに京女 に移動していたので、余計気づきにくかった。うーん、すみません。大きな被 害を被ったのは、8月になってからもpascalの上でせっせとファイルを更新し ていた(少数の?)人々。ごめんなさい。目に見えるヘビーユーザー数が減っていた と思いこんでいた(自分がいなくなったから)というのも反省。あー、まいった。
教訓は、何がなんでも、とにかくテープにバックアップ。それも、ちゃん と頻繁に定期的に行なわねばならない。しかし、これは物理的にその場にいな きゃなんないのがつらい。それに、バックアップをとるのは何度もやってるけ ど、実際にリストアする経験なんてのはほとんどないからねえ。このスキルじゃ だめだ(そういうスキルを積むのもおそろしいし)。「システム管理者のための バックアップ&リストアシミュレーションソフト」とか、これから企業向 けに売れないか? あらゆる状況を1週間ぐらいかけて味わってもらうやつ。 「テープが読めない」「テープが切れた」「うんともスンとも言わない」とか。 とうぜん、「電話して平あやまり」「詫状を書く」「辞表を書く」とかって練 習もあるだろう。
もっと重要な教訓は、システムなんて触らない、わからない、だな。実際、 他人の郵便や電話や貯金通帳を理解して管理しようなんて思う人はいないわけ だし。やっぱり、(パーソナル)コンピュータとかいうものは、DTPなんてもの と同じように、人々の資源を無駄にしてるよ。
昼、家の下から水が漏れていると大家さんに起こされる。どうも、どっかの管が破れていると見た。お盆でどこも休み。面倒。
午後から雨。
久しぶりにカレーを作ろうと、鳥ガラを求め街中をウロウロするが、果せず。私が知ってる入手先は、二条のジャスコの午前中と古川町商店街だけ。ジャスコは昼過ぎに行くとたいていなくなっている。三条の明治屋では、「ガラ? 扱ってません。スープならありますよ。」と250円。2〜3倍に薄めるやつ。うーん、ガラ3羽で150円ぐらいで1〜1.5リットルぐらい取れた気がする。これくらいの額ならば、スプラッターに怯えるよりは、明治屋でスープを買う方がいいか。
またコンピュータをいじって、Wnn6が使えるようにしてしまう。本格的に使うなら、研究室のサーバマシンのライセンスを申請しなきゃ。
なにごともなし。部屋の掃除したり本を読んだり。
WINDOWS98 + TAでPPPで接続するのに認証にかなり時間がかかって気分悪い。ISDNのよいところは接続が早いところなのに。
Paul WellerのMore Woodを今ごろ聴く。スタイルカウンシルのころはよく聴いたもんだったけど。今聴くと、まんまカーティス・メイフィールドの曲ばっかりだなあ。
ふと気づけば金がない。各種支払いが滞っている。そう、8、9月は金がないのであった。最近あんまりお金を使っていないので忘れていた。
MIDI音源がMacにもうまく接続できないので、説明書を探すが出てこない。
(☆☆☆)読書会のあと、身近なネタで道徳論争。そういうのは趣味が悪いと感じるひともあるだろうが、まあ、私は大好きである。我々は一般に他人の噂話とかが好きなのだが、それは、他人を貶めたいから、あるいは、単に他人を批評したいからではなく、話をしている人当人同士の価値観をすりあわせたいからなんだと思う。
もし、他人の行動について他の人々と批評しあったり、議論しあったりしない人がいるとしよう。そのひとは他人の道徳意識をどのようにして知るだろうか?また自分の価値観がどのようにして知るだろうか? 特定の事例を意識しない道徳に関する話は、抽象的かつ建前的なものになってしまい、本音の部分が見えてこないのだな。その結果、そのひとは自分の道徳意識を批判する力を身につけることができなくなってしまう。
昼のテレビの芸能人の私生活なんかに関する番組は、たしかに趣味の悪いものだが、あれはある程度必要なものだと思う。それをネタにして隣りの主婦や、勤務先の人々と「あなたならどうする」「私ならこうする」「これは許さん」とすりあわせるわけだ。その結果、自分の道徳意識を修正することもあるし、他人の道徳意識を変えたりもするわけだ。そういうふうにしてワシらは進化してるんだよな。(本当か?)
In trying to decide what is rational, we are engaging our normative capacities to try to decide what norms to accept. We do this in normative discussion, actual and imaginative, as we take positions, subject ourselves to demands for consistency, and underg mutual influence. Saying this should tell us something about the nature of philosophy. Philosophical discussion is continuous with ordinary discussion, and often with ordinary normative discussion ---- the kind of normative discussion that is a part of all human life.
(A. Gibbard, Wise Choices, Apt Feelings, Harvard Univ. Press, 1990, p.81.
あれ、もっとぴったりな個所があったけどなあ。
そういや昨日野球の応援に行って、吹奏楽をやっていたころのことを思いだしたりもした。吹奏楽の人間にとって、野球の応援はほぼ義務なわけだが、あまりうれしいものではなった。コンクール前の忙しい時に使われるのはたまったもんじゃない。外で暑いし、とにかく大きな音を要求されるので音もくちびるも荒れるし。応援団とのある種の筆舌しがたい確執もある。でも中一のときに応援に行った先で雨が降り、女の先輩の水に濡れた制服がアレだったのは今でも憶えてるな。...
中学のとき、野球の応援に行ったときか、あるいはその練習のときに、クラリネットの女生徒が過換気症候群とかいうものになっちゃって、往生したことがあったな。あんときは救急車呼んじゃった。中学でもう一度同じ症状に出くわしたことがあって(今度はフルートだったかな?)、そのときは前の経験が役にたち、鼻と口に袋をかぶせて呼吸させて事なきをえた。酸素が多すぎるから問題なんで(正確には二酸化炭素が少なすぎる?) 袋をかぶせてちょっと二酸化炭素の多い空気をすわせりゃいいわけだ。やっぱりどちらも情緒不安定ぎみだったと思う。(中学生女子なんて皆情緒不安定だけど)
雨や嵐はけっこう好きっす。嵐のあとも好きっす。