1日翻訳。がんばっている。夜雨。
台風が来ているらしく涼しい。もう秋。この時期、毎年昔の日記を読みなおしたりしている。いろいろ忘れていることもあり、記憶というのはあてにならない。夜プール。
採点。死にそう。
早起きできた。オンラインで1回生テスト。これから1週間は採点。部分的に耳コピしてみたい曲のリストをつくってみたり。
Chrome拡張でSNSの時間を制限するようにした。まったく無駄な時間を使っている感じはある。
朝からちゃんと味噌汁作る。採点。
午後、久しぶりにマンガ喫茶。しばらくぶりで雨が降ったようなのだが気づかなかった。さらに魁力屋ででラーメン食ってしまい、研究室戻って寝てしまうというだめな日。
夜もがんばって採点。
採点。やっと1科目。同じくらいの量のがもう1科目ある。
学生様がお習字を見に来いというので、午後文化博物館へ。 おフランスの写真展はあれだったが、昔の京都の写真のようなものはそれなりに楽しめる。
採点が苦痛なのは、自分の長所とか得意をぜんぜん活用してないからよね。論証とかをじっくり採点するなら楽しめるだろうけど、実際には様式とか文章とかで採点せざるをえない。TAに様式をチェックしてもらって、よく書けているものだけSかAか判定する、のような形になれば楽しめるのだろうが。
夜プール。ひさしぶりに少ししっかり目に泳ぐ。
成績評価入力ほぼおわり。チェックなどしていると午前中いっぱいかかる。
昼王将。軽くプール。
夜、行き詰まって息抜きに。
朝ジョギング。途中で雨が降るがむしろ楽になる。
午後定位置。 藤野さんの本確認し、矢島杜夫先生のミルの本を読む。
とにかく湿度高くて体力けずられた感じ。ジョギングもよくなかったかもしれない。
苦しむ苦しむ。
採点からのリハビリ。 論文スキャンしたり。8月後半も忙しい。
採点しないと。
と、なにもする気になれず。かろうじて本は読める。
卒論相談1件。
なにもできそうにないのでプールへ。しかし、バタ足してみるとやっぱりヒザが気になる。さらに上半身をひねった拍子に右胸の筋肉がビリっと来てもはや泳ぐ気になれず、とりやめ。
夜雷雨。
今日はアルコール飲みたい感じがない。早く寝るべし。
9月の発表のための資料調査。
研究室泊だが、寝る場所が変わっただけ。
採点終らせる。っていうかまだ終わってない。今回は 言いつけを守らない子たちをボコボコ落としてみたり。あとで問題になるかもしれん。
夜までかかってとりあえず採点は終えた。予定より2、3日多く時間がかかってる。
花輪和一先生はおもしろいなあ。
iTunesで音楽聞いてると聞いた回数を気にしちゃって、「1回しか聞いてない奴から優先して聞こう」とか考えてしまうが、そういうことをして無駄な音楽を聴く時間は自分には残されていないことに気づく。むしろ何回も聞いている好きな曲を聞くべき。
エルカンターレの躁状態が終ったのか。
午前中コツコツ。
午後はだらだら。
夕方こりゃもういかん。ふたたび気を失う。
さて、採点しなきゃ。今年はどれも1日前までに終わらせる予定。
がんばれがんばれ。
そうそう、キッチンタイマー。しかしこうして 時間はかりながら作業してみると、8月中にやらなきゃ ならないことを完了するには絶対的な時間が不足しているのがわかる。 まずいなあ。もう夏休み2週間すぎてるし。 なんというか、私20年ぐらい時間の見通し甘いまま生きてきたんだな。あせったり イライラしたりしそうだが、ここは我慢。おちつけ。
ワーカホリックもあれだけどなあ。
イスの上で寝たり起きたり。これではワーカホリックとは言えん。まあ暑いからしょうがない。 こんな暑いと死ぬ人たくさんいるだろうなあ。水飲んでがんばろう。
このタイミングを使って禁煙したいのだが、いったんどうにかして体内の ニコチン濃度を下げないと。
ふは。本日分終了。手が遅すぎ。
それほど温度は高くないが蒸す。
今日からネットワーク工事で二日ほど外との通信が切れるらしい。メールで御連絡の方は eguchi.satoshi@gmail.com へ(これも家でしか読めない。)
10時、ネットワーク遮断。平和だ。
午前中は頭が晴れそうにないのでレポートの祭典するか。
ネットは4日間とまるらしい。メールもまったく読めないしwebも2ちゃんねるも読めない。まあ心落ち着いてよろしい。あと3日、研究室にいる間は世間からまったく隔絶されて生きることができるってわけだ。ピース。
delete-selection-modeもSKKと併用すると動かない。
すでに夕暮れがもの悲しい。
ビル・ブライソン『人類が知っていることすべての短い歴史』。ゴシップがおもしろい(ブライソン自身は科学者じゃない)。それにしても、ポピュラーサイエンスは、純粋に楽しむためだけにも常に新しい本読んで知識(臆念?印象?)をアップデートしとかないとならんのでたいへんだ。 国内のサイエンスファンは『日経サイエンス』とか『ニュートン』読んでるのかな。おととい読んだメルヴィン・ブラッグの『巨人の肩に乗って』もよかった。ロザリンド・「ダークレディ」・フランクリンて人に俄然興味があるなあ。目の前で見たらどういう人物だったのか。彼女の悲劇の何割が彼女自身の資質の問題だったのかとか(まああんまりこういう問いの立て方はよくないが)。次それ読もう。(ポピュラーサイエンス楽しむときも、ハードな方じゃなくてそういう人物像・ゴシップ系に行ってしまうのが私のアレなところだな)
そういや数日前、E.O.ウィルソンの『社会生物学』の翻訳(存在することを最近知った。若き松沢呉郎先生とか翻訳に加わってる)に目を通してたら、「「犬が喧嘩すると負けた方はノドを差し出して無条件降伏する」っていうローレンツの話はおかしくて、あれは勝った方が「噛んでみろやおら」と挑発しているのかもしれない」とかって話が書いてあっておどろいた。それもアレなのか?まあウィルソン自体が古いからな。いまどうなってるんだろう。犬ぐらい身近な動物(私には身近じゃないけど)でそんなことになってるというのはアレすぎる。まあ読書を続けている人のあいだでローレンツまんま信じている人々はもうそれほど多くないんだろうけど、年配の学校の先生とかにはまだけっこういるような気がする(「同じ種で殺しあうのは人間だけなんだよ」)。
昼から。まずレポート採点続き。
@Book{フィッシャー05:人はなぜ恋に落ちるのか, author = {H. フィッシャー}, title = {人はなぜ恋に落ちるのか:恋と愛情と性欲の脳科学}, publisher = {ソニーマガジン}, year = 1005, note = {大野晶子訳}, yomi = {Fisher, Helen} } なにも科学的でも実証的でもない。内容もつまらん。読む価値がない。
howm (howm-grep)の動作がちょっとおかしいので困る。文字コードの問題。 nkf -j foo.txt | nkf -e > bar.txt しても、nkf --guess bar.txtするとshift-jisと判別されるファイルがある。なぜだろう?emacsで開くとeuc-jpと認識されているような気がする。 ここらへんよくわからんなあ。shift-jisとeuc-jpは確率的にしか判別できないんだろうが。 どうなのだろう。まさにバッドノウハウ。 マイクロソフト/ASCIIの手抜きの悪行が20年以上人々を苦しめるわけだ。 (当時は意味あったんだろうけどなあ) 今どき、ふつうのテキストファイルはutf-8で保存するべきなのだろうか。 っていうかOS Xでutf-8に移行したときに全部移行すべきだったのか。 そういやrxvtもunicode表示できないまま(だから ls すると文字化け)だし。 ・・・・いやいや、PC環境とかそういうことを考えてはいかん。 現在の文字コード事情を知るだけで1日かかってしまうような気がする。 PC環境はあるがままに。HTMLの文字コードもあまり考えずにiso-2022-jpで。
ここ1、2年に私が 手に入れた最善の教訓は、「物理的・社会的にサバイバルするノウハウを手に入れるだけでたいへんなのだから、 コンピュータとかのバッドノウハウに時間を使ってはいかん。」windowsと縁を切ったのは たいへんよかった。emacsやlatexとはまだ縁を切りきれてないが、gmailのおかげでずいぶん よくなった。
三中先生の本を読み、なんか学部生からやりなおせたらなあとか。 ♪人生が〜二度〜あ〜れば〜、ああ人生が〜二度〜あ〜れば。そういうこと ばっかり考えてるからいかん。人生は誰でも一回しかないのだ。 だいたい二度あっても同じことするわけじゃから。これが運命愛ってやつ?
パーカーがストリング入りオケやビッグバンドとやってるのはあれほどよいのに、 キューバンやってるのはなぜあんなにダメか。スイングな人々と いっしょのジャムセッションで一人だけビバップするのはなぜあんなにかっこいいのか。
学生指導1件。
採点1科目で夜までかかる。もう1科目やろうとすると、 気が萎える。帰るか。
@Book{西尾孝司05:ベンサムの幸福論, author = {西尾 孝司}, title = {ベンサムの幸福論}, publisher = {晃洋書房}, year = 2005, yomi = {にしお たかし} } なんだこれ。「従来、ベンサムのサンクションを、日本人のベンサム研究者たちは「制裁」と 訳してきた。しかしながら、かれのサンクションを制裁と翻訳することは、完全に間違っている。 これをあえて翻訳すれば、〈信賞必罰〉が適訳であろう。」p.25。 うーん、サンクションに報奨の意味があるのはわかるが、 「信賞必罰」はそういう意味じゃないだろうよ。ここで読むのをやめる。
ほんとうに体がアルコールを受けつけなくなった。 ていうか前から飲めない人間なのに勘違いしていたのかもしれない。 早晩ほとんど飲まない人間になるような気がする。 (父親は若いころは飲んだようだが、中年になると飲まない人間になったようだ。 晩酌の習慣もなかった。まあ田舎は車社会であるのも一因かもしれんが。母方は飲む人が多い。) まあよいことなのだろう。 豪快に酒を飲む人間になりたかったような気もするのだが。
あんまり歩いてないので独語仏語学習停滞ぎみ。かろうじて ビジネス英会話はジョンギングのときに聞いてる。英会話上級編は今期はもうひとつ。 podcastは飽きた。NHKは偉大だ。
昼から大学。午前中まで降った雨のおかげでクーラー要らず。
三条の十字屋に寄ったが、なにも欲しいCDがない。しょうがないので中古CD屋。
木下圭他『新しい発生生物学』ブルーバックス。ほう、地味だけどいろんなことがわかってきているのだなあ。そりゃ私が高校の生物で習ったときから20数年経ってるんだもんなあ。ガンのメカニズムの話がおもしろい。
永江朗『不良のための文章術』。意外におもしろい。文章の書き方に加えもの書き的な思考の術まで。
そろそろ採点せねば。しかし紙の山を見るとどうにもこうにも。やればいずれ終るとわかっているのだが。レポート採点てのは、活動それ自体の楽しみがないんだよなあ。授業準備や授業はそれ自体がおもしろいことが多いので嫌いではない。課題の出し方が悪いのか。
そろそろ夏休みはおしまいだな。
明け方までサッカー見てしまい、昼すぎまで寝ている。
オリンピック開幕式を見ずに、アシュケナージ番組を見る。
7時前に起きる。ここ数日ジョギングするときにスティービーワンダーのキーオブライフ聞いていて、こりゃすごい音楽であることを再確認。
朝早くからライブラリ。1時間ごとに外に出てタバコ吸うのがアレだ。
あんまりお金使わずにすんでいるなあ。日本にいるよりお金使っていないような気がする。
夕方までライブラリ、ピアノ室にビール持ちこんでだらだら。
翻訳難しくて面倒。いまやっているのはCatharine MacinnonのFeminism Unmodified。すでに訳本があるのだが誤訳だらけなんで訳しなおすことになってるんだな。たしかにかなり難しいんだが。
食生活に悩む。もう何食っていいやらわからん。
早起き。昼前から研究室。
夜も研究室でゆっくり過ごす。やはり大学でもインスタントラーメンぐらい茹でたいなあ。 (カップラーメンは不可) 電熱プレートぐらい入手しとこうかな。
昼から。/homeのフルバックアップをとっておく。
夕方、東一条のフジタで軽く飲む。夏に1、2回は行かねばね。
近所のスタジオで、ひさしぶりに太鼓の練習してみる。ぜんぜんダメ。
『シャイニング』。たしかに恐いが、筋が壊れてる。ほんとに名作なのか? スティーブン・キングものって、おもしろいと思ったものはぜんぜんないぞ。
夏休みだが、出勤。なんか、麻雀するか将棋指したいような気がするが、金がないので我慢我慢。
盆も正月も規制したことがない。久しぶりに研究室でゆっくり。お盆でメールもあんまり届かないし。
今日も暑い。今週は毎日「出勤」しているなあ。
メディアセンターのアカウントをもらっておく。残念ながら、Webページは持てないようだ。テレホーダイをメディアセンターのPPP接続の番号にするよう手続きしておく。(使えるのは9/11から)
メディアセンターってのもたいしたもので、Pentium II (266MHz)、 48MB RAMのPCを778台、ワークステーション(HP-UX) 389台を入れているそうだ。なかなか巨額の金が動いたのね。各種ソフトウェアもなかなかしっかり整備されていて、好感が持てる。やっぱり、UNIXの管理は他人にやってもらうのが一番だよなあ。
そろそろ新研究室を使えるようにしようといろいろ画策。研究室の隣りの部屋(というか、倉庫)に、使われていない本棚がたくさんあるので、それを搬入したいのだが、いったんバラさないといけない。面倒。
机とイス以外なにもない広い部屋で、ポツネンと1人でノートPCを前にして座っている。なかなか風情がある。そういや、こういう感じってのは子供のころから好きだったような気がする。誰もいない図書館とか、朝や夜の音楽室とか。空間てのが一番の贅沢品だわな。(この部屋ではタバコが吸えるのがうれしい。)
家に帰ると、原因不明でモデムカードが使えなくなったり、使えるようになったり。Think Padはかなり熱を持つので、それが原因かもと思ったり、WINDOWSに怒ったり。
FreeBSDのインストールができなかったのは、どうもまだLANカード(3Com 3C575TX)に対応していなからのようだ。ちゃんと調べてから買うべきだったか。
ところで、PCカードスロットとか、シリアルポートのコネクタとかってものは、どれくらいの回数抜き差ししても大丈夫なんだろうか。あんまり使いすぎると広がったりしないだろうか。
最近あんまり書き殴ることがない。人に会うこともなければ、本もあんまり読んでないからじゃな。
(☆☆☆)
歳のはなれた弟が通う高校が甲子園に来ているという噂を聞き、行ってみる。野球を観るなんてのは高校生以来のことでなかなか新鮮であった。
どのあたりに座るか迷ったが、とりあえず500円はらって三塁側アルプススタンド(応援団がいるところ)に陣どる。日射しが心配だったのだが、ちょっと雨がぱらついたりする野球見物には悪くない天候であった。ビールなんぞを飲みつつゆっくり惨敗するさまを直視する。それにしても山形県の野球は弱い。
この酒田南という高校には、関西からも野球留学している生徒がいるらしい。関西弁で応援しているひともちらほら見うけられた。監督は去年関西から引き抜かれて赴任したひとらしく、そのときに生徒も5、6人連れていったのだそうだ。赴任当初、「3年で甲子園に行きます」と宣言していたらしく、それを2年で達成したということで地元の評価は高いそうである。ま、個人的な希望としては地元の生徒だけの公立校なんかに代表になってほしいのだが、そういうわけにもいかんのだろうな。
それにても甲子園って実際にスタンドで観るとそれほど広くないよね。昔プリンスが来たときにも甲子園を訪ずれたのだが、そんときのプリンスは野球選手の5倍ぐらいの大きさだったな:-)
なんかどっかがもめているようだが、2度目はおもしろくない。 あまりにも1ヶ半月前の事件の再現で、鼻につくかんじがある。 しかしどうやら本気のようだ。
ちなみに7月1日はほぼ満月、 8月14日はほぼ新月である。 関係ないか。
ま、net newsでflameが起こると、ノイズが増えて欲しい情報を手に入れ にくくなったりして迷惑なのだが、WWWの世界ではそういうことはない (もちろん他人のページへの物理的テロはこまりものだが)。 むしろ常にどこかでflameが起こっているくらいのほうが 活気があっていいのではないだろうかとも思う。いやなら見なければいいだけの 話。ひとの価値観(あるいは、そのひとがどのようなひとであるか)は 決定的な対立がないとみえにくいし、理解しにくいものだ。
日記リンクスのときにも思ったのだが、 自分にとって不愉快なことを書いている人々がいるからといって、 それを日記リンクスや日記猿人のようなタイプのリストから 排除しても得るものはほとんどない。「あのひとは気にくわないひとを 自分とこのリストから排除した」という事実がのこるだけで、 けっきょくその問題の記事は多くのひとに読まれることになるだろう。 (むしろ、より人目につくことになるだろう)
もしその記事が 常識的にかんがえて「へんな」ものであるならば 読者はそれをへんなものとして理解するだろうし、 常識的にかんがえて「まともな」ものであるならば 読者はそれをまともなものとして理解するだけである。 もし勝敗があるとすれば、それは読者が決めるものだ。 それは「アクセス数」や「投票数」のようなものには反映されないかもしれない。 (エキセントリックなものほど人目をひくものだが、それは共感や同情とは違う。) しかしまあ、そういうものなのである。 いずれ「まともな意見」や「まともな心情」は理解されるし、 「へんな意見」や「へんな心情」はさらしものにされることになるだろう。 「そういう悠長なことは言ってられない」というのも一応は「まともな(理解可能な)」 心情かもしれないが、おすすめできる心情ではない。
某大学関係者「なんでそんなに日記がはやってるわけ?
露出趣味と覗き見趣味の合体なわけ?」
江口「いや、そうじゃなくて、
WWWはおもしろいんだけど、ある程度見て周ると見るものがなくなるのよ。
(自分の興味をひくような人間ってのはそんなにいるものでない)
だから同じところになんどもリピートすることになるんだけど、
更新されていなければ意味がない。で、いちばん更新されるページってのは
日記なんだよね。そんなに私秘的なことを書いているページは
実はあんまりないでしょ?
」
結局、更新さえされていれば日記だろうが書き殴りだろうが なんでもいいのである。その意味では、喧嘩しているところは 更新スピードがあがるので望ましい。
この日今年はじめてコオロギの声を聴く。コオロギの声を聞くたび、断腸亭日乗にコオロギに関するへたな自由詩があったのを思いだし、ニヤリと笑ってしまう。荷風はなんだってあんなへたな詩を書いたのだろう。