翻訳。がんばれがんばれ。10年前20年前からこれくらい落ちついて作業できればもうすこし仕事できただろうにとは思う。
立岩真也先生が亡くなったというので新著を読むが、けっこう問題があって暗い気分になる。
乗車券払い戻してもらうために京都駅へ。なか卯。気圧や雨の関係か、昼前からひどく調子が悪くなる。 さらに午後、天一食いに行ってしまう。どっちも食いたいと思ったのだがうまく感じない。採点がんばっているのに、もう4日。いったい人生ってなんだろう、という感じ。
勉強。採点。
1、2、4回生。1、2回生はこれで終る。4回生は発表のこってる人がいるのでもうすこし。
子アイゼンクの『ハピネス』読みなおして、悪い言いかたをすればパーソナリティ影響決定論みたいなので苦しくなる。ポジティブ心理学派の人はアイゼンクあんまり参照してないのよね。これもなんか、アメリカ学会とイギリス学会の微妙な関係があるのだろうと思う。
本日も暑い。
いろいろ作業。
オープンキャンパス業務。なんかどっと疲れる。
早起き生活にシフトしたい。
オープンキャンパス。
あとで苦しまないように採点しておく。本当は午前中はもっと生産的な仕事に使いたいのだが。
昼飯前についでにごく軽くプール。15〜20分軽く体をほぐすだけでいろいろ違う。
夜接待でケララ。
早起き。
採点など。
今週はがんばる。
午後ジム。
夜なにもしたくない病。
深夜走ってみるが体温あがりすぎて危険。歩くしかない。
オープンキャンパス。
今日はわりと心落ちついている。
オープンキャンパス。
オリンピックサッカー見る。日本代表強い。
早起き失敗。
あら、うっかりしているとすぐに秋学期が始まってしまうな。
今日も暑い。昨日で試験期間が終ったらしくキャンパスから学生が消えた。
採点。早めに片づけてしまいましょう。
やっと本格的な夏。一年のうちセミと同じくらいしか働けないのがコツコツ。 私の夏はセミ何匹ぶんあるかなあ。
オープンキャンパス業務。 我が社は4日間開催しております。けっこうな人出らしく、 我が社はまだ大丈夫か。
我が社の学生アルバイトはよく働くななあ。
四十代にもなると、MDMAで捕まった俳優だかなんだかがどんな奴かさっぱりわからない。
見つもっている時間ではぜんぜん足らん。無能。泣きたくなってきた。 とにかく翻訳は割に合わない。
だめだ。段取り悪すぎる。自分にいらいら。
事務的なことのために衣笠へ。遠い。
やっぱりあれだよな。一般の人びとの仕事ぶりを見れば、自己学習型ボットみたいなものを 生産できればバカ売れするはずだ。ふつうの自立型エージェントとかでも 売れ先がないなんてことはあるまい。
衣笠通すぎて、つい京都駅からタクシーに乗ってしまうと、iPod置き忘れてしまう。あいたた。タ クシー忘れ物センターみたいなところに電話。でも見つからない。キー。
いかん。心おちつけて。
夕方やっと落ちついてくる。
あ、飛行機とか乗るときはずっと前から予約しておくべきなのか。
自分のヘソを眺めているあいだに、1538万円とかピザエスカレーターとか いろんな事件が起きているのだなあ。週刊誌ぐらい読もう。
だめだめだから早く寝る。
だらだら寝たら、なんだか首悪化。うつぶせで寝てしまったからだ。
オープンキャンパスの日らしい。けがれなき女子高生がこの校舎に迷いこむ可能性があるから、研究室のドアは閉めておかねば。
ハードディスク換装したPowerBookにiWorks入れようとして、DVDは見つかっても、シリアル番号がわからなかったり。こういうのってどうにかならんのかな。すぐにメモする癖をつけておけばいいのはわかってんだけど。回らぬ首をまわしてなんとか見つけだす。すばらしい。次はプロジェクタに出力するためのDVIのアダプタが見つかるかどうか。・・・すばらしい見つかった。今日の私はキレている。
武井麻子『ひと相手の仕事はなぜ疲れるのか』。なんじゃこら。問題意識はわかるが、なんかひどい本だ。と思ったら、アマゾンでも叩かれてるな。看護学ってのもたいへんな分野だ。上のネタ本のホックシールドの『管理される心』。こっちは立派だ。おもしろい。1983年の本だが翻訳されたのは2000年。ここらへん研究の導入が遅れているんだよな。
寝違えや腰痛と、性格(気質?)やストレスの関係が云々されているんだな。まあ信用するほどではないようだが。
まあ落ちついて勉強と昼寝(首のため地べたで)。
SobleのKeller評。ぐは。おもしろすぎる。Barbara McClintockの生涯に思いをはせたり。山岸涼子の「万年青」思いだしたり。All the lonely people, where do they come from?
大学開くと同時に帰り、寝る。
午後ふたたび。生活を乱れさせはじめている。誰にも会わずにひきこもってだらだら本を 読んだり 作業したり。これが私にとって充実した生活なのだろうか。(そして 充実しているように感じられるのがタチ悪い。)
読書傾向もあとはたいてい新書だし。 それにしても生物学まわりとかほんとにおもしろいわけだ。 私はこういう他人さまの知的生産物の享楽者でしかないのだなあ。
あら、シュワルツコップ逝去。90才。まだ生きてたとは知らなかったが、 愛聴の「四つの最後の歌」聞いて追悼。これくらい長生きしたいなあ。
お腹空いた。この時期、毎年夕食に困っている。食堂もやぐ羅もぐるんぱも閉まっている。
学生40名ほどにレポート再提出を命じる。イヤな教員だと言われるだろうなあ。
講義二つ分採点終了。偉いぞ俺。
オープンキャンパスで思いついたのだが、 女子大の売りとして、「全面的にフィットネスの面倒みます」とかどうだろうか。 ジム設置してコーチ置いて、放課後エアロ教室とかダイエット指導とか。うちはプールがないのでジャグジーとともに設置して。マシンは体育館にあるという噂だが未確認。「うちに入学するとちゃんとくびれます」とか。
やっぱり私には自閉症的傾向があるんだろうかとか考えたり。 かなり長い間(あんまり私が関心をもってない)他人に 心があるってのがよくわからない時期があったよなあ。 なんかいくつか壊れているモジュールがあるのはたしかだ。
早起き。朝から大学。
どういうわけかiPodがつぶれた。リセットしても復旧せず。困り顏のアイコンが出てる。 これは修理が必要かも。
某協会事務仕事。午後がつぶれてしまう。というか、そういう仕事をすると 心がざわついてもう他になにも(読書も)できなくなってしまう。
大学生に「疑う」「人を信用しない」ということを教えるのは意外に難しい。 特に書籍になってしまっているものは信頼する傾向があるし。特に医者が書い たものはあれだ。まあ私もそうなわけだが。おそらく中堅私学の卒論というの は、そういう態度を身につけるっていうレベルなんではないかと思うのだが、 どうなんだろうか。
午後から研究室でダラダラ。やるべきことは山ほど。
Austin Powers Gold Member。まあ笑わせてくれる。オサレ。
あら、emacs-w3mにもアンテナ機能があるのか。しかしそんなに使いやすいわけではない・・・かな。Emacsはバッファの切りかえが面倒で。
行く先はSt. Olaf Collage。
10時すぎに家を出る。荷物検査や身体検査がうざいが、あんまり問題なく目的地までたどりつく。中西部は暑いという話だが、けっこう涼しくていい感じ。
禁煙、のつもりなのだが、空港で1本、大学に着いてから2本。これで手持ちのタバコはなくなり、晴れて禁煙生活の開始。買うの面倒だしこれは成功するかもしれん。
大学はきれい。案内されたのはThompson House。学生が4人ぐらい住んでいる。典型的な寮のような感じというか。部屋も台所も汚ないぞ!。
某博士論文執筆者とも会う(同じハウス)。場所を教えてもらってスーパーマーケット訪問。ハウスから徒歩で20分。
ディナー会。ターキーとか皆で食うという集まり。総勢20人ぐらいの大所帯。ジョンだのマイクだの覚えきれない。なんでアメリカ人は名前が一音節なのか。早々に切りあげさせてもらう。
飛行機ではけっこう本が読めた。
『ジーキル博士とハイド氏』。なんか読みなおしてみたくなって。もひとつだわなあ。だいたいジキルとハイドはぜんぜん対照的な存在でもなんでもない。偽善者か馬鹿かの選択ってのはちょっと。それにしてもヴィクトリア朝ってほんとにしょうがないねえ。
クリック『現代政治学入門』あんまりおもしろくない。
ポール・ジョンソン『インテレクチュアルズ』。これはおもしろかった。ルソーやマルクスに対する敵意みたいなんけっこういい感じだし、イプセン、トルストイ、ヘミングウェイのあたりが力はいっていて、実はこいつらを好きなんだろうなあという感じ。実際、イプセンとかいい奴じゃん。これと比べるとラッセルに対してはあんまり揶揄が効いてないような気がするし、サルトルは嫌いなんだろうな。
竹内洋『教養主義の没落』。つまらん。そもそもいい歳した大人が 「プチ教養主義」とか真面目に書いてはいかん。
イアン・ブルマ『戦争の記憶』。意外におもしろい。 花岡の話とか知らなかった。
上野俊哉・毛利嘉孝『実践カルチュラル・スタディーズ』。 なんだかノリがわからんのだよなあ。
午後研究室。
デジカメなんかのUSBケーブルの小さい方のコネクタってのは 同じように見えて実はさまざまなタイプがあることを知る。なんのためのUSBなんだか。 死ね。
カレー食いたい。いや、食う。
午前中から活動。
〆切過ぎた採点採点、うぉー。
学生にキェルケゴール協会の事務2件やらす。発表者への案内と 編集委員会。
採点終わらん。
夕方ジョギング。走リつつ水を1本飲む。
サカーってのはオールスターなんてものとは相性が悪いと思う。やらなきゃいいのに。
昼起きる。
京大のメディアセンターが引越ししているらしく、 ftp.media.kyoto-u.ac.jpやnews.media.kyoto-u.ac.jpが使えないのが困る。 早く復活してくれ。
ZeppelinのBBSライブなんか買っちゃう。かっこいい。他にもPat Metheny のTRIO 99→00とか。ちょっと前にはFirst Circleとか も買ったな。この半年一番はまっているのはMethenyかもしれん。
深夜今熊野。そろそろ、書き殴りも今熊野に移動させるか。
今熊野のWeb関係の更新がめちゃくちゃ面倒で、腹が立つ。どういうわけ でFTPでしか更新ができないんだか。sitecopyというユーティリティーを紹介 されるが、これのオプションが直感的でなくて混乱しやすくて、ローカルのファ イルを全部消してしまう。きー。
う、FTPではシンボリックリンクも貼れん。newsもいつまでたっても読め ん。CGIも使えん。かといって、自分でサーバ立てることもできない。いろん なところで、小さなウソを目にする。もー、頭来た。許せん。まさかネットワー クに関してこんなにフラストレーションのたまる学部だとは思ってもいなかっ た。きちんとした最先端のネットワーク環境って売り出し文句なのに、つぶれ るぞ。いや、つぶれろ。
暑いから気がたっているのか。
あのiMacのそっくりさんを出したSOTECって会社すごいよなあ。さすがに今日の新聞1面広告には感心した。「やっぱりこれじゃなくちゃ」ってのがAPPLEのデザインなのか、MicrosoftのOSなんだかわからん。パロディーなんだか剽窃なんだか、意識的なんだか馬鹿なんだかよくわからん。人を不安にさせ、広告効果を上げている(名前憶えちゃったよ)。すごいプランナーがいるに違いない。
namazuをインストールしてみる。実は昔も1度バイナリだけ入れたのだが、やったのだが、そのままにしていたのである。とりあえず書き殴りをインデクシングしてみよう。....できたが、CGIで公開する方法がわからん。
wgetの正しい使い方について調べる。重要なオプションは、
-o LOGFILE -q quiet -i INPUTFILE -nd (--no-directory) 階層つくらない-nH (--no-host-directory) -r (--recursive) -l DEPTH --convert-links -L (--relative) relativeなURLだけ-np (--no-parent) 非常に重要。
というわけで、/usr/local/etc/wgetrcに
noparent = onの1行を追加しておいた。これで安心....いや、これだと取り落す可能性があるか。むずかしい。
Sun Ultra 10にCD-Rをつなげることはできるか思案。SCSIはウルトラワイドとかってやつなので、それ用のケーブルが必要。ソフトはcdrecoredってのがあったのでインストールしてみる。さて。適当なドライブで焼けるのかどうか。
いろいろ仕事で徹夜。実は、たまったゴミを出すために起きているという説もある。
なんとかゴミ出し成功。
午後、某ミーティング。RAはなかなか多忙である。
自分のお祝いとして、fjでデジカメを探して買ってあげる。CASIOのQV-100 + Mac接続キットを送料込み1万3千円で。
こだまっちとメーリングリストの実験をして操作のだいたいの見当をつける。
研究室の引越しにまつわるネットワークのなんやらにかかわってしまう。別に部外者の私が世話する必然性はないが、やっぱり恩がえしにやらにゃいかんよな。
夜、NHKでウルフルズが出演しているのを見る。はからずも感動してしまう。「それが答だ」は名曲だし、今日のはパフォーマンスもなかなか。背中に電流が流れたよ。CDではよく聴いてるんだけどね。(司会の谷村新司も意味なく涙ぐんでたな...) 私もちょっと目頭があつくなったが、なぜだろう?
研究室からMOを借りだしてハードディスクのバックアップを取る。ついでにハードディスクの整理をしたりフォーマットしたりシステムを入れなおしたりしたい欲望が芽生えるのを感じるが、自愛の思慮によっておさえつける。これまで何度も痛い目にあっているのじゃからして。
あいわからずキーボードの調子が悪い。機械ってのは生物とちがって、調子悪いときにほっておけばそのうち直るってわけじゃないのがアレだな。自動修復機能のついたキーボードがあれば買うな。生物キーボードか。
とりあえず、これまた研究室から使っていないAppleキーボードII-Jを借りてきたが、JISのキーボードなんか触りたくない。Controlキーも左下だし。やだ。
おもえばこのキーボードは、SE/30といっしょに買ったものだからすでに7年以上使っているのじゃな。むう。やはり寿命か。毎日私の汗と涙を十分に吸っておるからのう。(ついでにタバコとビールも吸収しているか)
そういや、プリンタの調子も悪い。たんなるStyleWriterIIなのだが、給紙がうまくいかない。こっちは寿命というよりは、つもりつもったほこりが原因のような気がする。
山根さんのクリプトアナーキズム論の新版が出ていたので読みなおす。
むう。とりあえず書きなぐり。
RFC1087とRFC1984を読んでみたのだが、山根さんの論文とはかなり違う印象をうけた。
山根さんが「インターネット倫理」を見いだすRFC1087だが、これがIBAなりIESGの「インターネット倫理」の定義であると見なすのはちょっと無理だろう。
山根さんはこう書いている。( 発表版の方)
IABは「非倫理的で容認できないあらゆる活動」として、以下の項目をあげています。故意に(a) インターネットの資源への無権限アクセスを得ようとすること、(b) インターネットの計画された利用を中断させること、(c) そのような行為に資源(人、容量、計算機)を費すこと、(d) 計算機を基盤とする情報の信頼性を破壊すること、 そして/もしくは (e) ユーザーのプライバシーを危険に曝すこと。ここには一般にインターネットの倫理的問題と言われる(らしい)公序良俗の問題とかネットワークの犯罪利用については言明されていませんね。それは、この倫理が扱っているのは国民に対する安全保障とか公序良俗いったローカルルールではなく、ネットワークの存亡にかかわるものだからです。(これに近いのは、ネットワーク系ならぬ生態系の位相を導入した「環境倫理」の考え方でしょう)。 本論ではこのRFCの定義から出発して、インターネットの倫理をローカルルールとは別のものとして扱います。さしあたって、インターネットにおける倫理とは「ネットワーク(の信頼性)を破壊せず、そこでの情報交換を促進すること」と定義することにしましょう。
細かいのだが、気になる点がある。別にこれはRFCによる「倫理の定義」ではないってことだな。RFC1087は基本的には「インターネットは非常に研究者の役にたってるし、インターネットは国の金をつかってんだから、ちゃんと使わなきゃね」というのが前提で、だから「壊すのはやめようね。研究を阻害になるようなことをするのはやめましょうね」っていう文章なわけだ。提言のバックには、「研究は大事」と「国家の金はむだにつかうな」という基本的な判断がある。その上での話であって、インターネットの保全がそれ自体で価値があると見なされているわけではないことに注意。
第2に、RFCでは上の前提から5つの提言をおこなっているわけじゃが、それはたしかに"unethical and unacceptable"と言われているが、これは別に倫理の定義じゃなくて、倫理的に受けいれられないものの一例にすぎないじゃろ。たとえばインターネットを通じて犯罪に加担するというのは、このRFCの作者たちにとってもunethical and unacceptableなはずじゃ。個人や国家の安全保証なんかの問題も、インターネットというものが実際に強力な武器になった場合には「インターネット倫理」に入りこまねばならないと思う。89年当時は危機感はまだそれほどでもなかったんじゃろ?
また、最後のプライバシーに関するやつはどういう前提から出てきているのかちょっと理解しにくいところがある。(これはRFC1087の問題点)
さらに、RFC1984の方だが(この番号もアレだな。この番号になるのを待ってたんだろな)この文書は「暗号を利用する権利」ってのを主張している文書とは見えなかった。むしろ、暗号利用の規制は実質的に不可能であるし、非効率的であり、(さらに重要なのは)利用者の利益に反するというという技術的な主張に読める。
こちらでも重要なのは、「利用者の利益」が「インターネット倫理」(そういうものがあるとして)の最終的なよりどころだってことじゃな。ここで考える必要があるのは、ここで言われている「利用者」ってのは今現にインターネットに接続している人々のことじゃろか?それとも、もっと広い一般の人々じゃろか?
私はこの「利用者」を例えば「現につながっている人」とか「サイバー世界に住んでいるひと」と読むことはできないと思う。サイバー世界に住んでいるひとだろうがなんだろうが、それが現実の世界となんらかの接触をもつかぎり、「倫理的」にはすべての人の利益を考慮にいれなければならないと思う。問題は、暗号技術は現実の世界の人々にどのような影響をおよぼすだろうか、ってことだわなあ。もしインターネットなりサイバースペースなりが現に生きている人々に巨大な害を与え、それに見あうだけの善をもたらさないとしたら、そんなものつぶしてしまえというのが自然な反応だろう。 (もちろん私はインターネットとか暗号とかいうものは非常に有益なものだと思っているが)
RFC1984の解答は、(暗号技術はあぶないかもしれないけど)現実に法によって暗号を規制するのは何の役にもたたん(犯罪の防止の役にはたたんのにもかかわらず、プライバシーとかをおびやかすことになるからほとんど利益がない)ってことなんだな。あの議論は説得力があるように見える。
それでは、「ローカルルール」としての道徳や法律なんかと、「インターネット倫理」はなにがちがうんじゃろか?
実は違いはないのである。どれも結局のところはその正当化は利用者なり国民なり全人類なり感覚のある存在者すべてなり、そういうものに対する影響に訴えなけりゃならんじゃろ。いかなるローカルルールであっても、もしそれがうたがわれる場合にはそういう手続きをふまねばならん。(たとえば今局所的にはやっている死刑の話とかもそういうことだよね)
なんだかよくわからんようになった。まあ、「インターネット倫理」なんてもんは存在せんのだと思う。もしインターネット利用者の決めごととしてそれが存在するとしても、そのインターネット倫理はもっと基本的なレベルでの倫理とか道徳とかそういうものによってその正当化されなきゃなんないじゃろな。そういう実質的な議論を読みたいと希望するものであるのじゃ。
ふたたび発熱。まいった。
「やあ、すごい試合だなあ。こんな試合で線審できるなんて、 俺も審判冥利につきるってもんだよな。 お、またナイジェリアがフリーキックか。これ点はいるかもしれんなあ。 お、やった。得点。あれ? あれ? あれ? いまのオフサイドだったかな?俺旗あげなかったよな。 ちゃんと見損なった。 選手よろこんじゃってるよ。しまったなあ。あ、主審がきちゃった。どうしよう。 どうしよう。」
彼が首をくくったり、アルゼンチンマフィアから狙われたりしないことを 祈る。ま、アルゼンチンはむかしマラドーナの「黄金の右腕」で勝ったことも あるから、ま、いいか。