大学院(終了)。書類郵送。研究会やゼミの教室手配。 夜プール。
あれやこれや。校舎壊すためにいつも使っている食堂が閉鎖してしまった。数日後には昼飯に困ることになりそう。
夕方筋トレとプール。なんとか嫌いな筋トレもするようにしている。 しかしストレッチしたり機材を設定したりするのが嫌いでしょうがない。筋肉使うのも嫌いだ。
だらだら。 ほぼ記憶がない。
1、2、4回生。まあやはり1回生に自由に話すのを求めるのはむずかしい。2回生ぐらいになると話せる人が出てくる感じ。
朝食もできるかぎりまともなものを食わねば。
ゆっくり起きて散らかった家の掃除。
雑用。
夜台風。紀伊半島の東から上陸する非常にめずらしいものだとのこと。3時ごろ直撃、物音で目がさめる。
1回生テスト。すぐに採点をする。
早急に出張しなければならないことに気づきあわてて手配。
疲労。時間に追われるといらいらしてしまう悪癖。
うまく寝られず。
いろんなことに圧倒されている。やるべきこととやりたかったことの量と、自分の能力やスピードの差を考えて圧倒されている。いろいろキャンセルするべきなのかもしれない。私の能力はひどく低い。質をかなり落してもいろんなことがまにあわない。単に怠惰や集中力の問題だと思っていたが、どうもそうではなく本質的なところの問題。
早朝ジョギング。少し楽になる。そのまま仮眠。
昼大学へ。いろいろ書類など片づけ。とにかく余裕がなくても余裕あるかのような行動をするべし。 片付けやエクサイズ、散歩などしないとかえって能率が落ちる。
パスポートを申請しに京都駅に行くが、人大杉。明日の朝出直すことにする。同じかな。
諸事情によって朝から何度もぬるま湯風呂に入る。
夏の仕事の算段してみたり。こりゃ無理だわ。なにもしないわけにはいかないが、力を集中してやるべきことはやり、できないことはしない、って感じにしないとならん。
膝が悪くていやだ。怖くてプールも行けないし。階段降りるときも恐い。
今日はもうひとつ落ち着かない。耳栓重要。
あわててテスト問題を作る。早くはじめれば早く終る、というものでもない。 もうなにごともギリギリにはじめてギリギリに終る、ってのでいいのではないか。 でもそれはストレスフルなんだよなあ。
次の採点まで10日間ぐらいある。この時期の時間を有効に生産的に使いたい。
どうもクーラー効きすぎというか「ドライ」にしても寒い。 かといってスイッチ切ると暑いしなあ。
午後から天気崩れる。早々に寝る。
寝過ぎ。
yonosuke.netのサーバーのディスクが飛んでマシンがお亡くなり。なんか予感してたような気がする。 飛んだのはルートのディスクなので、換装してOSを入れなおさにゃならんが、面倒。 適当なディスクはあるんだけど、いまさらFreeBSDとか触りたくない。匡体開けるのも面倒。
Mac miniとか入手してサーバーにする手も考えられるけど、それも面倒だな。 DNSとか触りなおすのもやだし。ちょうとなにもかにも面倒な時期にお亡くなりになったなあ。 去年とかだと思わず再構築しはじめたろうが、今年は梅雨が明けないからかそんな元気はない。 もうコンピュータとか触って嬉しいという年代ではなくなったようだ。 新しいことを覚えるのに快楽を感じなくなっているのかな。
まあ、もう自宅に物理的にサーバーを置くような時代じゃないもんね。 もういいかな。sakuraあたりでレンタルサーバー借りるか。とにかく大学のサーバーに避難。 http://melisande.cs.kyoto-wu.ac.jp/papirer/ 以下に。 実はこのマシンのディスクもそろそろやばいんじゃないかと思うのだが。
10年近く動かしてたのかな。まあ復活させるかどうか夏休みに考えよう。
・・・面倒なのでお名前.comのサーバー借りることにした。やっぱり 大学で日記書くのはいろいろ障りがありそうだし。DNSレコードの変更が反映されるまでじっと待つ。 でもほんとうにうまく設定できてんのかな。
とかやってないで今日もコツコツ。
レンタルサーバー上のhttp://yonosuke.net/papirer/が開通。でもシェル使えないから使いにくい。.htaccess でのDirectoryIndexも効かない感じだし。ま、しょうがないだろう。せめてrsync使えればよいのだが。lftpで我慢。
胸焼け。薬飲む。
夏休み、もとへ、夏勉強期の開始。 今日は片付けと夏休み、もとへ、夏勉強期の計画だなあ。ぼやぼやしてると採点が届いちゃう。 でもあんまり予定が入ってないのはうれしい。有意義に過ごしたい。
床屋行きたいが今日は定休日。「体型なんとかする」は今年はあきらめた。なんともならかなった。また来年。
2、3回生の作文指導とか。指導熱心。(自分も日本語もレジュメもまともに書けないのに・・・)
「ドストエフスキーの『罪と罰』を呼んですごく影響を受け、 自分も「悪」をなしたくなった。やりたい音楽会、好きな曲、 重要な演奏会に限ってキャンセルした。ところが、そのことが重荷になって 耐えられず、カミソリで指を切ってしまったという話。」青柳いずみこ『ピアニストが見たピアニスト』 のアルゲリッチの話。
雷雨。あら、電源瞬断やられた。
水の事故。鴨川七条のあたりも川岸と水面が近くて危険なんだよな。 強い雨が降ったあとは水が舗装された面を越えている。
船戸明里『Under the Rose』読んだり。なにかをするんじゃなくて 人間関係だけを見つめるってのが少女漫画なんだよな。なにもしなきゃ 物語にならない、なんかしたらいいと思うのだが、 そうもいかないようだ。
夏休みもとへ夏勉強期は超朝方生活したいなあ。でももう日が短かくなってきてて 無理か。
あら、土踏まずがつりそうな感じ。寝よう。
延々寝る。寝るのは楽しいが、もっと早く起きたい。
夏。いかにも土用。お隣りの先生によれば、今年はハンガリーあたりが猛暑 でたくさん死人出てるそうな。すぐ死んじゃう星人だから。でも45度なんてのが 続いたら砂漠化するんじゃないか。
最初っからずっと正しいひと、間違わないひと、間違いを認めないひと、 発見しない人、迷わない人には注意。
卒論相談いろいろ。
武満先生の映画音楽、「水俣の図」は名曲だ、このままシリアスな演奏会に 持っていっても大丈夫だろう・・・と思ったら、「A Way Alone」と「海へ」を 弦楽オーケストラに編曲したものだとか。
独学者は正規の教育を受けた者が知らないことをよく知っているが、 正規の教育を受けた誰もが知っていることを知らない(ミル)。気をつけるべし。
「社会思想」っていうのは奇妙な言葉なんじゃないかな。 英訳が思いつかない。social scienceでもpolitical science ではなかろう。 political thoughtなら見たことがある。あ、social thoughtでいいのか。 でもあんまり見たことないな。
もう日が短くなりつつある。 日が暮れてからTo Doリストを見て、忘れていた某研究会の録音CDを聞く。まあこういうのが簡単に作れる よい時代になったということだろう。でもそれによってかえって仕事が増えた? それにしても私の喋り方は攻撃的すぎ。甲高くて聞きにくいし。いかにも小者。これじゃだめだ。こんな声を聞きつづけなきゃならん学生が気の毒。 でもとにかく今日は仕事をひとつした!
Richard StallmanはいまだにemacsのC-hをヘルプのままにしているのだろうか? しばらくそれで使ってみるか。環境が十分でないときにemacs使うのが面倒だし。
先天異常を持って生まれた子の「生まれてこないほうがよかった」という訴えを 認めることは、そのような人の存在を否定的に評価(あるいは自己否定を肯定)することになるのだろうか。
実際、このことは一部の人によって疑われてきた。たとえば、ある種の重篤 な遺伝病についてこのような訴えを理にかなったものと認めた場合、「その ような重篤な遺伝病を持つ人は生まれてこないほうがよい」ということを一般 に求めることになるのは確かだろう。しかしだからといって、そのような状態 で生きている人々について、「存在しないほうがよい」と主張することにはな らない。この二つの主張のあいだには心理的な連関は存在するであろうが、論 理的な連関はない。たとえば、奈良女子大学で行われた京都生命倫理研究会 ([伊勢田・樫2006]の合評会)でもそのような趣旨の発言があった。(八幡秀 幸, 「出生の評価と存在の価値:Wrongful life訴訟との関連を中心に」(PDFで 入手できる))
うーん。 合評会の様子は こっち。
フロアから繰り返しなされたのは、出生前診断などによる障害のスクリーニ ングは、現在社会で暮らしている障害者に対する差別につながるという指摘で あった。これに答え、江口は、スクリーニングが現に存在する障害者への否定 的な態度につながってはならないという点を強調した。これについては伊勢田 が自分の担当章の中(113ページ)で心理的な滑り坂はありうるという指摘を行っ ているが、江口はこの指摘を一応認めたとしても、それによって障害者に対す る否定的な態度が正当化されるわけではないことを強調した。
以上の回答に対して、ある参加者から、障害についての判断といわゆる障害 者についての判断はダブルスタンダード(二重基準)になっているのではない か、本当に切り分けることができるのか、という疑問が提示された。「障害が ないほうがいい」と「お前たち障害者はいないほうがいい」という判断には確 かにそうとう距離があるが、産む直前の「障害があるなら生まない方がいい」 という判断と産んだ直後の「障害があるのなら生まれてこない方がよかった」 という判断では距離が少なく、さらにそこから「障害者は生まれてこない方が よかった」という判断も距離が少ない。これは本当に単に心理的な滑り坂なの か、論理的につながっているのではないか、という質問であった。
このような指摘に対して、江口は、「障害の否定は障害者の否定である」と いう説得力のある議論は見たことがないと言い、そうしたつながりは論理的に 成り立たないし、心理的にもそのようなつながりがあるのか疑わしいと述べた。 そして、医療者がスクリーニングを勧めることと、生まれてきた障害者に対し て偏見なく接することは、ダブルスタンダードではなく完全に両立しうること だと主張した。
伊勢田はこれに異を唱え、今回の出席者も含めこれだけ多くの人が論理的な つながりがあると思っているということが心理的なつながりがあることの何よ りの証拠だ、と言った。ただ、伊勢田も江口と同じく論理的には障害について の判断と障害者についての判断はつながっていないと主張した。質問者の挙げ た例では、産んだあとで産まれてこない方がよかったとさかのぼって判断し、 産んだ親を非難するのなら、それは子供に関する判断ではなく、あくまで「障 害があるなら生まない方がいい」という判断に反したということが非難されて いるのだ、と分析した。でも実際そういう非難があるではないか、という応答 に対しては、伊勢田は、実体的にそういう批判をする圧力があるのはわれわれ にとってはそういう区別をつけるのが難しいという心理的な事実であり、論理 的に区分できるということと矛盾しないと答えた。
ここか。八幡さんは「生まれてこないほうがよい」と「存在しないほうがよ い」との関連についての議論だと聞いてたのね。うーん。私は(会場でも、こ のまとめに目を通した時点でも)「障害は(可能ならばたいていの場合)ない 方がよい」と「(障害を持つ人は)存在しない方がよい」の関連についての議 論だと思いこんでた。でも八幡さんのようにも読めるかもなあ。困り。私自身 が「生まれてこない方がよい」ってのはかなり極端なケース以外ありえないと 思ってるから、このタイプの議論についていけないってのがあり。注意。
サッカー見る。顔と名前が一致するようになったので楽しく見れる・・・と 思ったらひどい試合。サウジに負けてチーム内紛起こってるとか?(この前も 気になるプレーがあった)それとも審判の問題なのかな?夏に暑いところでス ポーツするっていうのがそもそも間違っているような気もする。 スポーツってなんなんだろうな。 戦争じゃないんだから、単に体力とか持久力とか根性とかを競うものではないような気がする。すくなくとも、どっちの足がよりつらないかを競うものではない。なんというか、やってる人間が楽しくないのは見ても楽しくない。・・・とやっぱり 乱闘か。
真夏。早朝帰宅、ジョギング、飯、ちょっと寝る。昼前ふたたび研究室。
レポート指導とか。
早寝したので早起き。朝夕の暑さはちょっと楽になったような気がする。 この時期が一番好きな季節だよなあ。
朝から大学。いろいろ相談。
昼から。
鰺が安かったのでサバくが失敗。やはりちゃんと手順を踏まないとダメなようだ。あと出刃包丁はもっとちゃんと研ぐこと。
早起きして仕事。うーん、先週いったい何してたんだ。
大きな音を出して遊ぶ。
結局寝てしまったので朝から仕事。やっぱり午前中の方がはかどる。家で 寝てもちゃんと起きてさっさと研究室に出勤できれればいいんだが、布団だと 延々寝ちゃうんだよな。
某協会理事会。
1時過ぎまで寝てしまう。疲れがたまっていたようだ。
昼遲くに今熊野。やらねばならないことが片付いていないことに気づくが、 とにかく明日からの「オープンキャンパス」用に部屋を片づけねば。
朝から活動。今日も長距離を移動。西へ。
居酒屋の有線で流れていたブルー・ハーツの「トレイン・トレイン」を聴いていきなり感動させられる。思想あってサウンドなし。
プレスリーやゼッペリンには思想はなかったかもしれないが、サウンドがあったと思う。っていうか、彼らにとってはサウンドが思想そのもの。(ツェッペリンの2枚目をちゃんとした再生装置で聴いて衝撃を受けなかった人がどの程度いるか)ジム・モリソン様は思想っていうかポエムがあったし、サウンドを作れるお仲間がいらっしゃった。ジョーン・バエズだのCS&Nだのって人たちは思想だけあってサウンドしてないので今は誰も聴いてない。ローリング・ストーンズとかってバンドは思想があるふりして実はないのだが、ちゃんとサウンドしてるので今でもかっこいい。P-FUNKに思想があったかもしれないしなかったかもしれないし、そういう尺度では計れんと思うが、サウンドはあった。Prince様は思想をもってらっしゃったらしいがサウンドも持ってらした。ジャネット・ジャクソンに代表されるR&Bは思想はないがサウンドしてる。R. Kellyはなにも考えてない。テクノは思想を明示的に拒否してる(っていう思想をもってる)。サウンド作れないひとはせめて思想を持たねばならん。
某電子情報通信学会情報倫理研究会に顔を出すため、名古屋に行く。朝、まちあわせに遅れて怒られる。すまんです。
5件あった発表で興味深かったのは、警察庁の島崎俊隆氏の「ハイテク犯罪の現状と今後の課題」と、南山大学の後藤邦夫氏の「ネットワーク運用体制に関するガイドライン作成の背景と経緯」
島崎氏は、
ハイテク犯罪は国境のない犯罪であり、操作には関係国の緊密な協力が必要である。操作協力は、国際捜査共助法により行なわれるが、共助には双方可罰が前提になっている。このため、データの改ざん、損傷を伴わない、サイトへの侵入やデータの盗取だけでは、日本では犯罪とされていないことから、相手国から捜査協力の要請があっても応じることができない。米国防総省にハッカーが侵入しデータの盗取などをしているが、日本から、あるいは日本経由で第三国から国防総省に侵入し、データの盗取だけして、データの改ざん、損壊などをしなかった場合には、捜査協力ができないことになる。この結果、第三国への追跡はもとより、日本での追跡もできないことになる。早急に対処しないと、日本が国際的なハイテク犯罪対策の抜け穴になり、また外国へのハイテク犯罪の出撃拠点として利用されることが懸念される。そこで、
警察としては、不正アクセスの野放しが成りすましを容易にし、犯罪を助長していることから、次の点を重点に関係省庁と一体となって、法律の整備を図ることとしている。ということを主張されている。信学技報Vol.98 No.221(FACE98-9)
- 不正アクセスの禁止、その違反者に対しては罰則
- 不正アクセスを助長する業務、例えば他人のID、パスワードの売買業務の 規制
- 不正アクセスを防止・捜査するための産業界との協力
外圧もあるから国内でも無権限アクセスを法で規制しようっていうわけだ。しかしこれは奇妙な議論だよね。ワレワレは自分のやったことのためだけに罰されるべきであって、他の人がすることを防止したり捜査するために、私が罰されるというのはへんじゃろう。
もっとも、私は別にそういう法制化に反対しているわけではないんだけどね。
後藤邦夫氏はなかなかものの見えている人だと好感を抱いた。
プールで軽く泳ぐ。定期的に通うようになってから
なんていいつつ深夜研究室でWINDOWSマシンを使っていると、ソフトをハングアップさせてしまい、さらに悪いことにOSそのものが起動しなくなってしまった。フロッピーさえ読みにいかないのだからどうしたもんか。こまったこまった。ひさしぶりにMicorsoft(とIBM)のトラップにひっかかってしまった。頼りのこだま師匠はしばらくいないし、むう。
コンビニで流れている森高千里の歌に感心する。
岩波新書の小沢浩『新宗教の風土』は阿含宗と親鸞会のレポートがおもしろかったが、なんだかまとまりがよくないし主張もよくわからん。
ジョナサン・ローチの『表現の自由を脅かすもの』角川選書は赤尾先生のところのページで見て手に入れてみた。事例はおもしろいんだけど、このネタをあつかうのにミルのご意見が出ていないのはどういうことだろう。プラトン、ロック、ヒューム、ポパーetc.といった他の大御所は出てきてるに。その分、なんで表現の自由が必要かっていう一番の問題がうまく説明しきれていないように見えた。
なるほど。fj.os.linuxでもflameがおこってたのね。 (最近こうして見つけたflameを報告しているのは 収集家のためである :-)ちなみに、収集家は関西人である。
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技術的記事に関する経験則