0626の連用日記


2023/06/26 (月)

執筆。筆が遅い。


2022/06/26 (日)

ゆっくりする。夕方プール、嫌いな筋トレもする。夜オンラインでポップ音楽雑談の会。


2021/06/26 (土)

採点。夕方プール。なにか安心してしまって食生活また乱れてしまっている。


2020/06/26 (金)

大学院、2回生講義。

大きなPDFの分割はAcrobatは複数ファイル自動でやってくれることに今ごろ気づいた。「最適化」とか「補正」はすごく時間がかかるが、分割はそれほどでもない。Paperpileは100MBまでしか受けつけなかったのだが、これで半分ほどにしてしまえば、適当にGoogleのディレクトリに分けてくれる。


2019/06/26 (水)

3回生。学生様の図書館活動に参加。そろそろそういうのもしないとならん年頃よね。

早々に寝る。採点は完成せず。


2018/06/26 (火)

10時間睡眠。朝そうめん、昼も家に帰って。午後、1回生、2回生。採点。サウナ。 サッカー見ずに寝る。


2017/06/26 (月)

朝からひさしぶりに黒胆汁な感じでだめすぎる。まあ体調以外のことも考える余裕が出てきたということなのか。でもいろいろ考えるべきことがある。

きりのない採点地獄。これはいかん。

夕方歯医者。いまは痛みはないのだが、原因は2004年と2013年にひどい目にあった場所のようで、思ったよりあれかもしれず、念のためしばらく通って歯根管治療してもらうことになってしまう。歯は今大事にしておくのが老後のQOLを決める気がする。歯石取りもしてもらい、歯磨きの方法はOKだという。

プール励行。エクササイズしないと黒胆汁が増える。


2016/06/26 (日)

朝寝。ちゃんとした朝食。府立図書館。靴屋で修理した靴を受けとる。 漫画喫茶で休憩。床屋。大学へ。

いろいろかたをつけるつもりだったが果たせず。 しかしこれではいかん。


2015/06/26 (金)

雨。寝坊。まあたまにはよかろう。

講義。 午後かなりつらい感じになる。


2014/06/26 (木)

朝紀要の原稿を出す。

わりとまじめに勉強。30分刻みで活動記録表をつけてみている。


2013/06/26 (水)

あまりよく眠れず。雨。

3回生。 会議。雨のせいかなにもできそうにないので夕方切り上げ。

コーヒー買いに出たついでにちょっとユニクロで買い物。 ズボン2本とシャツ。ついにユニクロでズボン買えるまでに進化した。


2012/06/26 (火)

プールのおかげでよく眠れた感じ。ほんとにただの薬。

1、2、4回生。


2011/06/26 (日)

某生命倫理研究会。継続は力。


2010/06/26 (土)

今日も不調。梅雨は苦手。

昼前から気を失なうように寝てしまう。 起きだしてとにかく研究会に顔を出してみたが、なにも頭が動かず。 どうも調子がおかしいので帰らせてもらう。 帰って体温測ってみると37.5度。こりゃいかん。

えんえん寝る。


2009/06/26 (金)

講義。 4回生。

頭悪くて苦しむ。睡眠が足りないような気がする。

だめ。

ポジティブイリュージョン。それは求めるものか忌避すべきものか。私にはもっと 必要なのか、欠乏しているものなのか。それがわからんところが微妙だよな。 まあ本当のことを求めりゃそれでいいってわけにもいかん。生きていくには イリュージョンはどうしても必要だ。だから問題は、これ以上必要なのかどうか。


2008/06/26 (木)

おもいっきり寝坊。エクササイズすると睡眠がよすぎる。

川端とか10mおきにおまわりさんが。ごくろうさんです。海の上(関空とか)山の中でやってほしいのだが。

さて、やばい。

なぜ授業準備はやばくなるのか、より、なぜ授業準備はぎりぎりでまにあうのか、 の方が興味深い現象なのだろう。

吉田。

ほんとに警察大杉。今日ほど多くのピストルホルダーを見た日はないような 気がする。二条川端ではホームレスホームにパトカー横付けして貼りついている。

そういやこういうご時世で、『男おいどん』を再評価しようとか そういう話はないのかなあ。作家がいまああいう人になってしまったから だめだということにはなるまい。

『12人の優しい日本人』。三谷幸喜はうまいなあ。


2007/06/26 (火)

また睡眠の質が悪い。朝から疲れてしまっている。

息しているだけでばてばて。毎年主張しているが、 6月いっぱいで夏休みにするべきだ。で9月頭からはじめたらいいじゃん。

2回生ゼミ。

とりあえず放送大学の榎本・桑原の『人格心理学』を読んでみるがほとんど得るところなし。これはダメな本だ。でもとりあえず、性格類型論と特性論ははっきり別のもとして理解しておく必要があるのだな。


2006/06/26 (月)

早起きするが眠い。朝から大学。

なるほど、オシム語録というのはおもしろいな。ユーモアに満ちていて、人気があるのがわかる。絶妙なタイミングで出される奇妙なことわざもよい。なんというか、哲人だね。昔から人類はこういうおもしろいことをいうジイさんを 大事にしてきたんだよな。

岡山のリンチ殺人はもちろん好みのタイプの犯罪。もっと詳しい情報が知りたい。

衣笠。驚いたことに、補講を含めるとあと5回も授業がある。

2002年の代表チームの宴会 http://youtube.com/watch?v=fuyQmX9vN74。 よい映像だ。たしかに感じさせるものがある。 努力したり気をくばったり仲良くしたりするのは天与の才能なのか、経験や訓練なのか、運なのか、実践理性の行使とかなのか(最後のやつはなさそうだ)。人間はどうやって人間になるんだろう?


2005/06/26 (日)

調子悪いときはとにかく睡眠。 本日も研究会は欠席となってしまった。

と、午後研究室。

カラヤンのアリアドネ。 NHK-FMで「現代の音楽」。シュトックハウゼン。 ストラヴィンスキーの40年代以降の作品。 ショスタコの四重奏。 ラヴェル歌曲。特にシェラザードは名曲だよなあ。


2004/06/26 (土)

昼前に起きて大学。学生のインタビューを受ける。

ここ1、2週間どういうわけかクラシック熱が高まっている。今回はなぜかモーツァルトとかシューマンとか。やっとここらへんを聞けるようになってきたようだ。それとなんらかの相関があるオーディオ熱もちょっと高まったりしそうなのだが我慢。

夜、岩波文庫のコーラン読んでいて、「祈り」ってものの重要性に気づいた。全知の一神教の神に祈ることを知っているひとは、そういう習慣がないひととはまったく自己のとらえかたが違うだろう。八坂さんとかお稲荷さんとかなら勝手な御利益をお願いすることもできそうだが、全知の神さんに邪悪や願いをすることはできそうにない。ハックルベリー・フィンの有名な「嘘のお祈りはできないぞ」っ発見とかもそこらに関係あるっていうか。良心ってやつはそうして育まれるってわけなんかなあ。それにしても筒井先生、コーランは翻訳しちゃだめだから「解説」にしろって言われているのに「翻訳」と主張するとは、なかなかやるな。それにしてもイスラム教ってのはキリスト教の馬鹿馬鹿しさに比べると合理的で好感が持てるなあ。


2003/06/26 (木)

早起きして衣笠。

午後レッスン。

  1. 明太子ごはん、野菜スープ。
  2. 衣笠でラーメン。うまいとは言えない。
  3. 徒歩で帰宅。
  4. エビカレー。

2002/06/26 (水)

ひさしぶりに12時間ぐらい寝る。どろどろ。

エンドレス教授会。と思いきや、思ったより早く終った。勉強になった。RCサクセションのある曲をカバーしたくなったのでそのうちスタジオ行こう。


2001/06/26 (火)

なんとか起きる。このコマはあと1回。それにしても、やっぱりセメスター制はいかんよ。

いろいろ調整など。

午後、詰め物をしていた奥歯の一部が欠ける。ショック。こういう形で歯が欠けるなんて。いくら詰め物をしていたとしても。

大崎善生の『将棋の子』なんか読んでいろいろ考える。通俗ノンフィクションだけど、それだけに力あるよな。


2000/06/26

柏原。あと2回。

夕、ジョギング35分。

諸々の事情により、FreeBSD 4.0をmake world。なんでかは恥ずかしくて書けない。 Alphaマシンをもらえそうだが、Tru64 UNIXなんて動かせるかな?

夜ちょっと研究室。ビールを飲む癖が復活。これでいいのか!


1999/06/26

昼は曇り、夜雨。

散歩して十字屋でスティック買って、寺町で7000円ぐらいのアンプ付きスピーカーを買って接続。timidity++とpatchファイル10Mぐらいをインストール。かなりマルチメディアになってきた。

二条を歩いていると、若者たちがカフェの外に出たイスの上でくつろいでいる。ついに我々はそういう文化を再び手にいれたのだということを理解する。なんていうか、黒人映画とか見ると、みんな夕方ブロンクスのブラウンストーンの家の階段に座って道をながめたりしているのだが、そういうのが我々(っていうか、まあ、彼ら)はできるようになったんだなあ。

10〜15年前には、「会話がとぎれる」「沈黙が恐い」とか、そういう言説が(自嘲とともに)多くの人の意識にのぼっていたような気がするが、いつのまにかそういうのを聞かなくなった。それは今の若者がそういうことを気にしなくなったからなんだろうということを理解する。テーブルの座りかたにしても、以前は対面で座っていたような気がするが、今カフェのテーブルでくつろげる人々は同じ方向を向いている。

他人との距離のとり方がかわったんだな。きっと。自意識のありかたもかわったんだろう。そしてそれは必ずしも悪いことではないのかもしれない。


1998/06/26

早起き。

微細昆虫に襲われ、四肢痒い。絶滅する方法はないものか。

深草の授業終了後、学生と喫茶店で将棋。○○。Web日記を書くことをすすめる。いや、別に日記書いたからどうということはないのだが、一方的に読まれるのはイヤだし :-)

夜、「動かない」という噂の某先生の研究室のPCを見に行くが、正常。実は、コンピュータ管理者の後任(guess who)を育てるために意図的に放っておいたのだが、なかなか思うようにはいかなかったようだ。多くの人には、自分で色々やってみるという好奇心が足らんと思う。

お好み焼きで夕食。なんだか塩鮭と玄米と野菜が食いたくてしょうがない。最近長く外食が続いて繊維やビタミンが不足しているのであろう。明日炊くか。

9時半ごろ、研究室にいると、火災報知器が作動。男の声で、

「火事です! 火事です! 2階で火災が発生しました。落ち着いて非難してください。」

声の調子がけっこう怖い。あれで落ち着いて行動できるひとは多くないかもしれん。実際、階段で降りていくと女の子たちがザワザワしながら移動している。(もちろん誤動作)

ワールドカップなるものを見る。ま、私はこれまであんまりサッカーに強い興味があったわけじゃない。どっちかっていうと野球の方をよく見ていた。っていうのは、野球の方がメンタルなスポーツに思えたからなんじゃが、今日のジャマイカ戦なんか見てると、サッカーもなかなかなもんじゃね。(今日のNHKの放送では、日本人選手の表情のアップが多かったからかもしれん。)

ラモスの爆発の度合が低下していて残念。ただし、最後の「日本はベテランを大事にしろ」「誰か責任とれ」ってのは笑えてよかった。やはり本音ってのは大事。

まあ確かに、ああいうドゥンガのようなやつを1人つれていった方が、皆のアドレナリン放出量が増えてよかったかもしれん。

誤解がないように書いておくが、別に私は笑っちゃいけないなんて思ってない。若い選手にとってそれほど気合いを入れるのは、やっぱり難しいじゃろ。

数日前の大阪スポーツでは、城の談話として、「笑ったりガムを噛んだりしているのはスポーツ生理学の先生からそうするように言われているから。怒りを表情に出すと、体がかたくなってよくない。」と報道されていた。そういうもんなんかもしれんし、そういうもんでもないのかもしれん。今日はなんだか怒ったりしてたしね。本人は苦しかろう。

システム障害

うーん、また予告なしに(故意に)システムを2時間ほど止めてしまった。管理者失格。100BASE-TXとSCSIのカードを差し、ハブをスイッチハブにし、各種設定するのに手間取ってしまった。深く反省。実害はなかったと思うのだが、やはり手続きは重要。独り善がりな判断では、いずれ大きな災厄をもたらすであろう。やはり、引退の頃合じゃな。というか、管理者をするような資質がない。

前にも、メールシステムを予告なしに変更しちゃって 後悔した前歴があるにもかかわらず。なんも内面化されていないのである。

つらつら考えるに、こういうのは、私自身が予定に基づいて行動する習慣がないことにもその一因がある。むう、反省すべし。

他の原因として、

とか、まあいろいろ悪徳はある。

とか考えながら、発作的に/etc/passwordや/etc/groupから自分を消そうとしてしまった。root権限者は電子的な自殺ができるんじゃな。

こういうことを考えていると、いつも思いだすテレビ番組がある。それはどこかの町が、初期の飛行機を再現して飛ばすとかいう企画のドキュメント番組だった。話の本筋とは関係ないのだが、そのパイロット2人を市民から公募して選んだのだが、そのうちの1人が使えないやつだったのだな。指導者から「離陸はほんの少しだけにしてください。ちょっとでも危険を感じたら止ってください」と何度もくりかえし注意されていて、何度も危ない目にあって一応反省しているにもかかわらず、本番で無茶をして観客にケガをさせてしまうのである。そいつの顔を見たとき、「ありゃ、オレと似ているなあ」と思っていた。注意されてもニヤニヤ笑っている感じとかが自分にそっくりでイヤなかんじだったんだよね。


1997/06/26

亀岡。正義と功利、規則功利主義。カリクレス礼賛。ロックの契約説。

今、時代は習い事である。

ところで、私はクーラーを非常に憎んでいる。単に、これは単なる好みではなく、一つの理想である。つまり、クーラーが嫌いというだけでなく、その存在自体が許せん。クーラー破壊工作地下組織があったら入会しているかもしれん。

今日某大学(ここは教室にクーラーがある!)で、(おそらく学生が)極端に温度を低く設定していたので激怒する。気づくと女の子が寒くて震えていたのである。なんであんなもんが必要なんじゃ。ぷんすか。いつか撲滅してやる。せめて、温度が必要以上に低く設定できないようにすることを義務づけることはできないもんじゃろか。やはり、地道な宣伝(啓蒙)工作しかないじゃろか。

哲学的急進派である児玉師匠などに刺激されて、功利主義があるがままの姿で日本(の哲学界)に正当に輸入されていない理由を考える。

たとえば倫理学の授業なんかをすることを考えてみる。「みんなが幸福になるように」という考えかたは、あまりにも自然(あたりまえ)なんじゃな。「ガメツイ大富豪である越前屋からちょっと千両箱くすねてきて、貧乏長家に配る」という考えかたに、本気でそれはまちがっていると考えるひとはどれくらいいるだろうか。人を助けるためにウソをついてもかまわんと考えないひとはどれくらいいるだろうか。


1996/06/26

午前中の英語の授業はあいかわらず苦労する。とりあえずあと1回で 夏休みなのでそれまでがんばる。授業形態を変える必要がありそうだ。 あれくらい生徒の実力が低い(高い子もいるけど)授業自体を成立させるのが大変。 しかしやりかたはあるはずだ。それにしても、一般の高校での英語授業の 困難が推察される。使役動詞や分詞構文の基礎の話をしなければならないのは まったく苦しい。全員が知らないのならやり方もあるが、 半分ぐらいの生徒は大丈夫なのだから始末にこまる。

午後の哲学はまずまずのでき。先週はうまくいかなかったので、 今週もだめだったらたいへんだった。 面白く(自分でまずまず面白いと感じるという意味だが) 授業できるとかなりの充実感があってうれしいものだ。 後期の授業にそなえて、「哲学の授業に何を期待するか、どんなネタを 扱って欲しいか」のアンケートをとる。

夕方から泥のように眠る。