本日も早く寝たのに寝起きよろしくない。
3回生講義。
ゼミ3個の日。まあ今年はそこそこ順調にやっている。空き時間にプール。 家帰るなり布団へ。楽器弾く余裕はなし。
ロボットセックスの話つづき。やっぱり論文書かないと意味がない。
手をつけて先送りしてしまっていた某校正の締切は昨日だったことを発見する。やばい。
蓮や菖蒲が咲いているはずの植物園を歩きたいとか、百貨店で帽子とズボンを買いたいとか、マンガ喫茶で一月分のマンガ雑誌を読みたいといっことが一日一回ぐらい頭をよぎるのだが、ずっと実現していない。
しかしおもいっきり昼寝してしまう。
徹夜の覚悟だったが、やはり寝てしまう。まあ寝ないとしょうがないから。ははは。
講義。
研究会発表やばい。
講義2個。だいたい折り返しでレポートとか小テストとか。午後の方は腹具合がおかしいので早めに終わってしまう。まあレポート回収回だから許されるだろう。
この時期、ちょっとでいいから仮眠をとると少し能率が上がる気がする。
夕方からコンソーシアムのインターンシップの仕事。打ち合わせ等長い。終了後、その仕事を持ってきた弊社某学部の某先生とちょっとビール。いろいろ勉強になる事を教えてもらう。
3回生。めずらしく会議がない。禁煙失敗。
非常勤。
夜卒業生が来る。転職を考えてるとかそういう相談。
わりとまじめに勉強してレジュメ書いている。やっぱり書かないとだめね。 そしてそれは作業前に考えているより時間がかかる。
早く起きられたのでジョギング。
ブログ書いたり。なんか創造的なことがしたい。
日射しが厳しくなってきたので高島屋で帽子を買う。ツバがついている帽子を被るのはボーイスカウト以来ではないのか。「パナマ帽」とかの本物は本当に高いのね。シャツにジーパンとかって格好には似合わない。やっぱりジャケット着ないと。
早起き。
講義。
久しぶりにサッカー見るけど一方的でつまんない。
3回生ゼミ。
メモはなんでもEvernoteになり、もうEmacs使うのは日記だけ。
今日も調子悪いが人間失格は避けたい。
1回生、2回生、教養。なんとか。
衣笠。
あっというまに党首が替わった某新政党、 「私たちは北朝鮮が核ミサイルを日本に撃ち込む姿勢を明確にした場合、正当防衛の範囲でミサイル基地を攻撃します。」 すごいな。これほど公然と特定の国を「攻撃します」とか書いてる政治的文書ってのはめったにないんじゃないかな。 ふつうはせめて婉曲に「阻止」「抑止」するもんじゃないのか。でもまあミサイル基地を爆撃なんかしたらおもしろいだろうなあ。 自衛隊はちゃんと地上攻撃機とか持ってるのかな。
あら、このひとたちの目標は「最大多数の最大幸福」なのか。この文言が実際に使われているのもはじめて見たような気がする。 どうする、正統功利主義者。 それにしてもPDFではじめて生の教祖の文章を読んだが、これはすごすぎる。内容もすごいが表現方法がすごい。思わず 赤ペン入れたくなる。あ、一応要約なのか。でもこれネットに出せるんならOK出てるんだろうしな。
前日はサッカーも見ずに寝た。朝飯くって二度寝。睡眠重要。少し回復したか。 やっぱり毎日10時間睡眠できるようにいろいろ考えよう。
昼から。採点。やっぱり採点は半期に1回でよいのではないか、とか。うーん。
秋葉原で大事件。
報道なんか見てるとぜんぜん終らない。講義でレポート出すのは自殺行為。
やっぱり終わらず。飲んでしまう。馬鹿だから。
アモクなあ。地震や洪水と同じと思うことはわれわれにはできない。(1)地震や洪水と違って防止できそうな気がするから、(2)非難することに意味があるような気がするから、のどっちだろう。実はどっちも見かけほどアレではないが。
けっこうよく寝て頭痛は去った。
だんだん暑くなりつつあるわけだが、どうも体力に影響しているような気がする。すでに「徒歩」しただけで朝からバテてるような。前は夏大好きだったのに、どうも厄年を越えて体質が変わったのか?毎日早寝早起きしているのもおかしい。
ヘビーな問題をヘビーな顔して本気でいろんな人びとに共感して考える、ってのは凡人には無理に思える。共感するのが難しいのではなく、情動的に不安定な状態でまともに考えるのが難しい。っていうか、そういうのはしんどいのでけっきょく多くの苦痛を好まない人は問題を考えるのを回避してしまうってことになる。苦しみへの共感はそれ自体苦しみ。実践的にはその苦しみの感覚が状況の変革につながわるわけだが、苦痛であるからしてどうしたってそれを積極的に求める人は少なくなる。まあ実際に一番ヘビーなところは、応用倫理学者とかってのに扱われることが少ない。まあ難しいことを扱うときは少し抽象度を上げておく必要がありそうな気がする。もちろん「これはひどいなあ」とゲラゲラ笑ったりブラックジョーク言ってみたりする必要があるわけではない。わからん。
ふと、国内の若手でない倫理学徒の仕事で読むに値するものはどれくらい残っているかを考える。まあ今50代以上の人の過去の仕事で、今読むに値するものはなにか。「倫理学徒」ではなく、「哲学徒」と広くするとどうか。あれ、私あんまりそういう本持ってないな。哲学史研究なら優れたものがけっこうあると思うし、生命倫理/応用倫理系統ならいくつか重要な仕事がありそうだ。しかし倫理学プロパーとなるとどうなるかな。国内の倫理学徒の論文や著書の一部で、「日本の倫理学」とかのアンソロジー組むのは可能なのだろうか。やっぱり大庭先生や永井均先生はがんばってると言わざるをえないな。法学や法哲学や経済学や社会学ならいろいろ重要な仕事があるのはわかってる。
まあ抽象度の高い議論はふつうの人にはよくわからんので、応用倫理学とかの具体的な問題にひきおろした方がずっとわかりよい。(それにだめな議論や空虚な理論も見分けやすい)
眠い。しかし仮眠するタイミングを逃し、このまま午後3コマかあ。苦しい。もう明日学会見学に行くのは無理だな。
講義。昼飯あとの授業で、「寝てもいいけどうつぶせはいかん」と縛りをかけつつカントパワーで多数の学生の睡眠を誘うサドプレー。蒸し暑いなかコックリコックリする甘美な快楽を味わってもらう。
山本精一がなにやってるのか確認するためMETROへ。PARAというユニット。ドラマーの千住宗臣がすばらしい。しかし、曲(テーマ)とかおもしろいのに、音楽としてやっぱり何かが足りない。変拍子インストバンドってのは、ドラムがよければそこそこ楽しめるが、やっぱり刺激が飽和している感じの時間帯が長い。「何か」はおそらくインプロビゼーション。一人でいいからちゃんとしたインプロバイザーを探すべきだ。私の感覚がジャズ寄りの古いものだから、ではないと思う。
昼前まで寝てしまう。いかん。
オムニバス割り当て終了。 百万遍。
3回生ゼミ。あと一月で夏休みだ。 会議。
ヴェーベルンは歌曲が意外によいようだ。とりあえず 新ヴィーン楽派の収集も終了だな。
男女共同参画法、「ポジティブアクション」の是非については あまり議論されていないような気がするのだが、どうなんだろうか。
45分前に起きて授業。
忘れていた会議。
ビール飲まないようにトマトジュースを常備してチビチビ啜る。 トマトジュース飲んでる吸血鬼もこんな感じなんだろうか。
peercastなるものを知る。ふむ。
午後大学へ。事務書類作成。と、なかなかやる気になれず部屋や書類を片づけたりしていると夕方。
昼から。しかしなんだか眠くて頭に霞がかかっている。不本意だがクーラー入れるか。
と、地べたで昼寝してしまう。いかん。
夕方ジョギングするが、風が強くて砂埃。コンタクトした目(それも両目)に入って死にそうになる。コンタクトは外すべし。
ついMetroへ。第2土曜日はLatino Connectionの日。ライブは1年前から応援している Sabrosura del Sonido。 11人(ボーカル男女2人、タイコ3人、管4人、キーボード、ベース)ずいぶんうまくなった。コーラスは厚くなったし、おネエさんの衣裳のエロ度もますますアップと思ってたら、メジャーデビューするそうな。めでたい。がんばれ。
早起き。睡眠は重要。
u悪夢のような事件。事件後の子どものインタビューがこれまた漂流教室な感じで、うなされれそうだ。
夜、冷泉通の「魚助」で寿司。刺身は新鮮で猛烈にうまい。私がこれまで食った刺身のなかで最高。しかし、おちつかない。「お刺身おねがいします」で断わりなしにトロやウニがはいって1万ぐらいするものを出してくるのは気にいらん。楽みながら食っていた烏賊が残っていたのに、有無を言わさず皿をかたづけられたのはもっと気にいらん。マグロの握りを頼むと、「赤身は切らしてまして」と平気で言うのが気に食わん。いったい、どういう鮨屋が赤身切らしてトロだけ残してるんだ。私はトロより赤身の方が好き。イカの握りにレモンなんかかけてるのが気にいらん。というわけで、はっきりいって、まったく気にいらんのである。十分食う前に店を出る。(勘定が恐かったわけではないと思う。そこそこの勘定だった。) 二度と行かない。
まあ、店のインテリアや雰囲気は、その店をちゃんと表してるんだよな。ぱっと見で「やばそうだ」と思った店はやっぱりやばい(人間もまた然り)。
そういう直観を信じることが できないのがなんとも。いや、今回は冒険してみたんだが。
何度か書いてるが、 萩尾望都先生は、「直観はあやまたない。あやまるならそれは直観ではない」と いう分析的真理を名作『11人いる』で主張しておられる。そういうや、 こういう伝統的名作群を今の女子大生さんは知らないかもしれないな。
8時起床で情コミ。不調。
人間の機嫌というか、精神状態は、血糖値その他の生理的要因によって大きく左右される。あたりまえのことなんだけど、最近自分でそういうのが気になるようになってきた。というか、午前中に行動したり人と会ったりすることが増えたってことなんだが。朝眠いときに、学生さんからヘンなこと言われると腹たっちゃうんだよね。修行が足らん。と同時に、わたしが日常的に行なっている他人の評価も検討しなおす必要があるかもしれないと思う。私自身は日常的にはかなり陽気で人あたりのよいタイプだと思うのだが、それでも不機嫌なときはある。もしかしたら、不機嫌そうな人は、愛想や人徳が足りないのではなく、朝早起きしなくちゃなんなくて、減量中で血糖値や中性脂肪値が足りないのかもしれない。仕事がたまってたり、〆切に追われたりしているのかもしれない。あるいは禁煙中かアルコール依存症なのかもしれない..... いやいや、人間の評価ってのはそういうもんではない。
いまだに携帯発見できず。本気で対策せねばならないようだ。それにしてもドコに? 面倒だし、もう持って歩くのイヤなんで一気に解約してしまいたいのだが、この前「ドントク」とかいう契約に変えたばっかり。これはたしか、1年は契約を続けるという約束だったはず。うーん、タイミング悪い。
午後早くにふたたびムシロの具合を確かめてしまい、気をとりなおして百万遍で仕事。クーラーにあたってしまい、具合が悪くなりそう。クーラー撲滅運動を進めるべし。
深夜再び今熊野。共用の冷蔵庫が使えるようになったのがありがたい。
誰もいない校舎で、大音量でD’angelloを聴いてみると、これがなかなかよい。ま、そんでもドラッグミュージックだわな。おそらくアルコールかダウン系のドラッグキメて暗い場所で大音量で聴くと効くのじゃろう。
ひさしぶりにMDの音も聴いたけど、クセがあって聴きづらいね。ハイハットやシンバルがバチバチ言うようになる。MP3は同じ傾向がさらに強くなるような気がする。これで皆満足しているのであれば、オーディオなんて趣味が懐古的になっちゃうわけだ。もちろん、それなりの録音・再生方法があるんだろう。
ゴミ出して再び寝て、昼から。
あまり眠れなかった。高槻、柏原。
行き帰り、石田晴久『インターネット自由自在』とか。これはやっつけ仕事だな。
久しぶりに植物園でも散歩しようと、阪急でパンと惣菜と(安い)ワインを買って、地下鉄の駅まで歩くと、路線に「国際会議場」という駅がある。地下鉄が北の方に延びたらしい。というわけで、散歩は宝が池に変更。戸外で飯をくってだらだら午後を過す。やらねばならぬことは多いのだが。
ワインというのも(日本酒同様)難しいもんだ。値段の格差が大きすぎる。どれくらいの値段ならどの程度の味がするかっていうスタンダードがわからん。今は酒屋で1500円程度のものを飲んでいる。
だいたい、まずまず私はうまかったな、と思ってもその銘柄を憶えられないのである。みんな、どうしてるんだろう?どうもしていないのか。
ジョージ・マイケルの新譜聴かせてもらう(いつ出たの?)。 内省的なポップ。たいへんよい。こんなに 大人になっているとは。
お医者と例の京北病院の件についていろいろ話す。 医者はいったん免許を取ってしまえば、あとはなんの 勉強も認定もいらないので、現在どういうことが 問題になっているのかを知らずにすんでしまう。苦痛緩和の技術(麻酔医療)は最近 もっとも進歩している技術の一つなのだが、そういう技術を 学ばずに「モルヒネが効かないので」という判断をしてしまうことも ありうるわけだ。また、現在安楽死や尊厳死やターミナルケアについて どんなことが議論になっているのかを知らずに、単純なヒロイズムや エリート意識によって判断を下してしまうことも考えられる。 運転免許や調理免許だって講習を受けさせられたりするのだから、 医師免許もそうするべきだと思うのだが。 (医師に関しては情報が多くて、ちょっとした講習ぐらいでは 間に合わないのだろうが) (医事法とか参照していないので間違いがあるかもしれない)
実は江口はあのお医者の善意や正直さは貴重であり尊重したいと思っている。 おかしいものはおかしいのだが、あの正直さは愚直とも言えるほど 貴重だとも思える。 ここ1件のために、現場の医師が実際にやっていることを隠したり するようになってはほしくない。 江口は実際には想像もつかない数のひとが「安楽死」 されていると想像している(これは単なる想像。オランダで 安楽死がある条件のもとでは合法化されたのは アンケート調査の結果、相当数の医師が「安楽死」を実施している と答えたことによったんだと記憶している) そいういうことを行なっている医師ははっきり彼を弁護するべきだと思うし、 そういう積み重ねがなければよい医療というものはなりたたないだろう。 そしてこれが日本の医療に一番欠けているものなのだと江口は考えている。 (要するに「悪役」を買って出るひとが必要)
まあとりあえず、医師の善意(これはかけねなしの善意だと江口は仮定している)や 優れた判断者としての医師 と 社会のルールや患者の側の気持ちとをはっきり対比させてみることが必要だろう。
ちなみに江口は例の生体小腸移植に関しても疑問を抱いている。 手元に資料がないのでたいしたことは言えないが、 小腸移植は本当に最先端の技術で、脳死移植が認められている海外でもあんまり 実施例がないとおもうのだが、そういう技術を生体につかうってのはちょっと。 素人がちょっと想像しただけでは、小腸みたいなものがうまく 移植できるとは信じられない。ドナーの方の侵襲も肝臓とは 比べものにならないだろうし。 京北病院の件が騒がれているうちにうやむやにされないことを 祈っている。
(江口は基本的に脳死移植は(ちゃんとした制限の上でだけど)賛成だが、 生体移植は問題があると考えている)
(なんだか酔っ払ってこんなことを書いているのは非常に危険だと 思うが、まあよっぱらいの一人ごと程度に読んでください。 ) (こういうエクスキューズが増えていくとやっぱりなにも 言えなくなるな。そしてそれが倫理学者の大半の定めなのだろう。)