2、1、4回生。1回生は難しい。4回生は卒論そろそろ開始。
夜プール。
メンテナンス。
「あすけん」をはじめてから、胸焼けすることがほとんどなくなった。
土曜日はメンテの日。ここ2、3ヶ月、注意散漫みたいなのにけっこう苦しめられている。最近はよい薬もあるそうだが、そういうの診断受けて飲むというのもいまさらという感じもあり。
暑くなってきた。
1回生講義。いろいろミスがありつらい。
午後そのままではつかいものにならない感じなのでプールで体をほぐす。正解。いろいろ雑用もする。
夜某コンソーシアムの会議。
3回生。
ゼミ2個。プールで歩いて帰る。
Kindle Fire7などを手に入れる。
前日はほぼ日没とともに就寝。日の出とともに起床。
衣笠。
午前中事務的な仕事。昼四条へ。たまにはゆっくり本屋で本を見る。
前日本読んで夜更ししてしまい寝坊。
やっぱり早起きして朝一で軽くエクササイズしたい。
来週のためのレジュメ書き開始。遅すぎる。某授業はパスだな。
しかしまあ家にこもって、音楽聞いたり、雑多な論文や本読んだり発表しない細々としたメモのようなものを書いたりしているのはやはり楽しい。外に出るのはジョギングと買い物ぐらい。こういうことをするために生きていたのかと思わされる。あと9ヶ月大事に使おう。
1回生講義。 吉田。
天気がよいので今日はまし。いろいろやらねば。
先延ばししていた雑用をばんばん片付ける。
お隣さんがいることが多いので、昼〜夕方研究室で音楽を聞くことはなくなった。夜たまに大音量で流すとかえって新鮮。
滋賀。
もっと寝ていたいのに目が覚めてしまう。
私も小塩先生の「まいにちドイツ語」は楽しみにしている。古きよき 教養の香りがする。こういうのは我々の世代はもう無理。
お茶くみとかコピーとりとか、そればっかりの仕事ってのは やっぱりまったくよい仕事ではないが、そういう仕事もちゃんとできる人を 作りたいような気がする。わたしはできません。
なんか足に疲れが残っている。まあ毎日1〜2時間歩いて講義すりゃ立ちっぱなしだしなあ。 扁平足? 青竹踏みの青竹を入手したい。家にも研究室にも置きたい。 どこで入手するか。楽天か。あ、あるいは東山三条のあそこで本物を入手するか。
サッカー代表戦ぐらいは見る。
まあ心落ちつけて。
渡瀬悠宇の『ふしぎ遊戯』。このひとはもともとは正道少女マンガ書いてたわけだ。がんばっているのはわかるけど読めない。『櫻狩り』の方がずっとよいわな。『少女コミック』という雑誌の編集方針が「わかりやすく」なんだなあ。この人一人の一つの作品の雑誌発刊させたらしいとか。ふうむ。巨人なのね。
待望の健康診断は17日から。
ASKULもすごすぎ。朝注文したものが夕方届いた。これくらい早いとどっかに歪みが行ってると思う。
解決不可能な義務の葛藤というものが端的にありうるのだ、と率直に述べる人は、例外なく、道徳に関する思考を直観的レベルに限っている人である。確かにこのレベルでは葛藤は解決できない。しかし、批判的なレベルでは、われわれの思考が不完全であったと自認するのでないかぎり、そのような葛藤を解決することが要求される。もしわれわれが「ここには義務の葛藤がある。わたしはAもBもするべきだが、両方を行なうことはできない」と述べるにとどまるなら、これは批判的思考でない。しかし、直観的レベルでこのように言うことは全くかまわない。ヨークシャーのある協会の外に「路傍の説教壇」があり、そこに「葛藤する二つの義務に出会ったなら、そのうちの一つはあなたの義務ではない」という掲示があったそうである。批判的レベルとは、この掲示を書いた牧師の思考が行なわれている立場なのである。(ヘア『道徳的に考えること』、p.41)
まあしかし、脳波を自分でコントロールできるようになるのであればすごいことだよな。自分の脳(心?)を自分の心(脳?)によって動かせるかとかそういう哲学的な問いだ。それができるように熟達すれば、アタラクシアなりアパテイアが手に入りそうな気がする。修行してみるべきだろうか。たしかにそれに比べれば「心を読んでもらう」方がずっと簡単だろうな。もっともこれも人間みたいな自己意識ばりばりの生物は虫や魚あたりよりずっと難しいだろうなあ。
『現代思想』2月号の尊厳死対談読む。尊厳死協会の荒川さんってしっかりした人だなあ。 偉い。信用できそう。 -->
今ごろ「ブラック企業に勤めてるんだが」読んだり。まあおもしろいね。(スーパーマン藤田さん以外は)人間ってこういう感じだ。そういう昔バイトした某大手会社の部署もこんな感じだったな。やっぱり人間が書けてないとなあ。
講義、大学院、4回生ゼミ。
半年に一度の楽しみの京大音研コンサートに遅刻して。合唱というのは優れた音楽フォーマット なのだなあ。
3回生ゼミ。
会議。
恒例の京大音研コンサートに。半年に一度の楽しみになっている。目当てはもちろんトリのフランクのビヨリンソナタ。オレ様ナルシストバイオリンを賢明な伴奏がつっこんだりドツイたりしょうがないからつきあったりという感じの熱演。オレ様は前に同じコンビでベトベン聞いたときよりずいぶん成長していて、伴奏も以前より手綱を緩めて自分も自由にやってる感じ。非常に楽しめた。
それにしても来るたびに社会階級ってのを意識してしまうなあ。 私の出自と天分ではここまで来てディレッタントのフリをするのがせいいっぱい。
昼まで寝てしまう。
2回生ゼミ。
某君来訪某協会事務。ごくろうさん。
夜某所 で暴れてしまう。
13、4時間寝てしまう。
衣笠。
スイミングスクールかスポーツクラブかを検討。 具体的には踏水会か、コナミスポーツ丸太町か。 踏水会は以前通って成果があがった実績があるし、 調べてみるとマシンも自由に使えるようになったようだ。 しかしコナミでエアロビクスやダンスその他を試してみたい気もあり。 しかしコナミはプールが小さいようだし。 うーん、どうか。あんまり保守的な生き方もあれだから、新しいことを試してみるか。
調子悪いときは、とにかく寝るにかぎる。
午後研究室。
昔Macではまったピンボールゲーム Crystal Caliburn (Littlewing社)が、OS Xに移植されオンラインで買えることを知る(10周年らしい)。これおもしろいんだよなあ。
どうでもいいことだが、私は3回ピンボールにはまったことがあって、1回は上のCrystal Caliburn。これはパソコンものだから別とすると、ほんもののピンボールにはまったのは2回。1回は北白川のバッティングセンターにあったWilliams社の"Bride of Pin*Bot"らしい。すばらしいルールで一晩中やっていた。女の顏をひっくりかえすと"Hi, there"と語りかけてくるのがたまらんので何万円もつかった。
その前にはまったもやはりWilliams社のなのはおぼえているが、台の名前がわからん。・・・と、このwww.ipdb.orgで探すと、どうもFirepower IIのようだ。河原町蛸薬師のゲームセンターバイト時代にはじめてちゃんとルールを覚えて各種のワザもおぼえて猿のようにやってた。マルチボールの楽しさを知ったのはこれ。バイト中にも鍵をつかってクレジット入れて猿だったような記憶が。
たいていのピンボールマシンはルールを覚えるまでやる奴が少ないので、他の奴が金を使っているのを見ると兄弟のような気がしたものだ。
何度か書いたような気がするが、『海辺のカフカ』の図書館設定はなんだかイイんだよな。思えば小学生のころから図書館ばっかりいたような気がする。小中学の春休みとかは埼玉の親戚の家にやっかいになって上野の図書館に通っていたような記憶がある(音楽資料がたくさんあってブースで聞くことができた)。中学・高校もずっと図書館だったな。わずらわしい馬鹿と話をしなくていいし、図書館の人びとってのはどういうわけか私に友好的だ。去年の某ライブラリの生活は夢のようだった。本やレコードにかこまれて静かに暮せればそれでいいような気がする。あと30年、本に囲まれて静かに暮すことができるのかどうか。大学教員てのはなんか生産しないとならんのがたまらんよな。学生の相手しているのは、まあ我慢できるしおもしろいことも多いが。
授業2個。今熊野はあと一月で終り。
前日は約束をすっぽかしてしまったようだ。
ゼミ制度について考える。やっぱり私学のゼミ制度ってのは悪しき制度なんじゃないかと思う。教員の権力強すぎ。ほとんど専制君主なみの力を持ってしまう。よくこんなんで50年も持ってるなあ。特定の教員のゼミが必修の単位になってしまうってのが面倒なところだな。京大の演習制度のような制度だったら、特定の人を避けて卒業することも可能なわけだが。まあ、実質的にはナアナアでやるという仕方で問題を回避するわけだろうが。
大学で何を教えるかってことなんかについても考えてみるわけだが、やっぱり知識じゃなくて、戦う態度というか、権威に突っ込む態度というか、そういうもんなんだろうなあとか。いや、上のゼミの話とはあんまり関係ないかも。大学ではダメな教員の方が教育的かもなあとか。しかしなあ。
授業。ごちゃごちゃ。
昨日よく寝たので、なんとか生きてる。ADSL開通。ルーター買わねば。
10時ごろ起床。
携帯電話が行方不明。どこやったかなあ。ちょっとヤバいですよ。
大学のネットワーク(というか、ファイルサーバー)がダウン。大騒ぎになってる。安定性って大事なんだなあ。5人規模のサーバーがダウンしたり、Wnnが使えなくなったり(すみません)しただけでもたいへんなのに。
昼はカレーだが、カツカレーではなくイカホウレンソウカレーなところがダイエットである。
深草。
夕方、百万遍で仕事。
前日も飲みすぎ。さすがに2日つづけて飲みすぎるとたまらん。節酒するべし。とは言え、以前ほど深酒はしなくなったのだが、途中でやめるとつぶれるまで飲むより苦しい。
完全に夏。半袖シャツで原付に乗って夏の日射しと空気を感じ、大学の廊下で夏の匂いをかぐ。(匂いは重要)
金がない。やばい。給料日までまだ10日以上あるのに。
多忙。まいった。
しかし、百万遍のビデオ屋からビートルズの赤盤青盤なんか借りてきてMDにおとしたり。
忙しいが、昨日飲みながらしゃべったこと。この前書きなぐったのはずいぶん昔。
(私自身はクローン規制の理由としては、リスクの問題の他には、「その子どもに与える心理的悪影響」ってのしか用意してない。実際、法的・社会的規制って話になると、そういう立場なんだと思う。
マイケル・トゥーリーって人は、加藤尚武/森岡正博が日本で有名にした「パーソン論」の人で、かなり過激なことを言う。これまでの私の印象では、「これはイヤな結論で受けいれがたいが、それでも言わにゃならん」という人だと思っていたのだが、案外にたんなる鈍感な人なのかもしれん。
ある人が述べた、「(功利主義的に考えれば)骨髄移植のためならクローンやむなし」ってのはちょっとどうか。免疫の型が合う確率は100万人に1人とかって話だが、それだったら日本国民総スクリーニングとかすると、だいたい1人につき100人ぐらい同じ血液型の人が見つかるだろう。100人もいれば、善意から骨髄を提供してくれるひともみつかるんじゃないのか。
子供をなくしてしまったので、そのためにみがわりの子供を作るとか、ペアの一方が配偶子を作れない体なのでクローンにするとか、ホモセクシャルのカップルが「自分たちの」子供をもつために片一方のクローンをつくるとか、そういうケース にワシらが感じる違和感は何に由来するか。
クローンじゃなくても、人工受精とか、遺伝子操作とか、出生前診断とかいろんな生命技術についてもやぱり違和感を感じてしまう。(私自身は最終的な判断としては極端にリベラルな方だと思うのだが、強い違和感があるのは否定できない)
おそらくその親の欲求が十分合理的か(っていうか、批判に堪えるか)ってことなんだと思う。
ワシらが自分の子供が欲しいっていう欲求はたしかに基本的なものであるように思えるのだが、上の「亡くした子供にそっくりの子が欲しい」ってタイプのやつは、事実をよく知ったり、論理的に明晰であろうとしたり、あるいは時間が経過したりすると弱くなってしまうタイプの欲求に思えるんだよね。
ひさしぶりに某奥野博士の顔を見て思いだしたのだが、Richard Brandtなんかは、合理性の基準として、「認知的心理療法cognitive psychotherapy」をくぐり抜けても生きのこるであろう欲求を合理的と呼ぶ。つまり、事実をよく知り、論理的に明晰であるよう何度も欲求を批判した上で生き残る欲求が合理的な欲求であり、われわれの道徳思考において考慮すべき欲求であるという。
愛し子をや配偶者を亡くした人々の悲みは非常に大きいのだろうし、その子とおもかげだけでも似ている子供が欲しいと思うのはよく理解できる。しかし、なんども事実と論理にさらされたときに、その欲求は生きのこるだろうか? わたしはそうは思わん。
上の例ではわしらはクローンが欲しいと望む人にかなり共感的になりえると思うが、たとえば、子供が死んで50年たったあとにも、なお「私は50年前に死んだ子供のクローンが欲しい」と望む人がいたとき、ワシらの反応は「それはヘンやで」ってものになっちゃうだろうと思う。
ちょっと話はずれるが、自殺の欲求なんかについても同じことが言えるんじゃろ。失恋したり破産したりした人が、自己破壊の欲求をもつのはわからんでもない。しかしワシらがその欲求を満そうとするのを妨害したりするのは、「自殺しない方がたいていの場合長い目で見てよりよい行為だから」ではなく(これはこれで十分な理由になるんだと思うが)、むしろ、そのタイプの欲求はたいていの場合「時間が解決してくれる」からなんじゃと思う。よく事実を知り、論理的であれば、そのような一時的に強い欲求は消えてしまうことが多いじゃろ。
「子供が欲しい」っていう欲求自体は、かなりまともな欲求だと思う。実際、この欲求は長い間生きのこるし、歳をとったときに子供がいないのは不便だろうし、寂しいだろうと思う。だからワシらは養子制度とかってものをもってたりするんだよね。
それに比べると、「同じ子が欲しい」という欲求はかなりキテレツで、「同じ子などできない」という事実と論理に何度も曝されると消えてしまうだろう。んじゃ、「自分と同じ遺伝子をもった子供が欲しい」ってのはどうか。ここが難しい。昨日酒飲みながら話していた1人は、「私はやっぱり遺伝的に近い子供が欲しい」と述べていた。ワシも自分になんらかの似た点をもった子供がいることはおそらくうれしいことなんだろうと思う。トゥーリーもそういうことを言ってた。昔の日本の「養子」制度とかも、親戚からゆずってもらったりするんだよね。顔だちのちょっとしたところが似てたりするとたしかにうれしいもんなんじゃろ。しかし、ほんとに自分と遺伝子」が似てるやつなんか欲しがってるのか? 「自分と似た子どもが欲しい」ってのは人間が進化の過程が獲得してきたような強い生物学的基盤をもってるかもしれんが、「同じ遺伝子」だの「1/2遺伝子が同じ」とかって欲求がとてもそんな基盤をもってるとは思えん。
「似てる」のには、環境の影響のほうがずっと有力なんじゃないのか?
むう。
しかし、とは言ってもあれじゃな。べつにどうってことはないな。「クローンは禁止すべきだ」と言うつもりはあんまりない。
それに、「その子どもに与える悪影響」ってのもかなり怪しい議論なんだよね。もし(たいていの場合)生まれてくることの方が生れてこないよりもよいことだとしたら、ちょっとぐらい心理的に悪影響を受けることがいったいなんだってんだ? 「この目的のためでなかったら君は生まれてこなかったんだよ?」
私は人間の集団を組織化したり、人を使ったりするのが非常に苦手だということを知った。この「苦手」ってのは、うまくできないっていう意味じゃなくて、心理的嫌悪感を克服できないってこと。こう、なんていうか、わざわざ組織化せんでも自発的で自分で判断する個人が適当に集まって適当に個人で適当に判断してなんかできる、ってのは無理なんかねえ。
そんでこう、組織化しようっていう動きに対してはかなり違和感を感じるんじゃなあ。
集団のスケールが問題なんじゃな。これまで私が生きてきた集団ってのはかなり小スケールだったからね。中学・高校のときの吹奏楽部なんてのは、よくやっていけたもんだなあ。(っていうか、結局うまくやってくことができなかったんだけど)
やっぱり人数増えりゃ、オルガナイズしなきゃどうにもならんってこともあるわなあ。
Quincy Jonesの古いやつとか聴いたり。「愛のコリーダ」"If I Ever Lose this Heaven"とか。かっこいいよなあ。特にベースライン。こういうのが好きなのは、やっぱり子供のころの影響なんだろうな。
早起き。むう、やっと今日は大丈夫なかんじがするぞ。Tarzan付録のストレッチグメニューポスター(巨乳モデルつき)の朝の部をこなす。
あれだね、ベートーベンのカルテットとかにあったような気がするけど、病が癒える感覚ってのは悪くないよね。そういうもの幸せっていうのだろうか。痒いところを掻く生活は幸せかってのはソクラテスだっけか。
夕、ヴァージンレコードで。
「えと」
「はい」(20代前半男前店員)
「あの、R&Bに詳しい方はいらっしゃいますか?」
「はい」(「ワシじゃ」と言いたげ)
「R. Kellyがプロデュースしているやつってどんなんあります?」
「はいはい、ありますあります。まず、これですね(Sparkle)。新譜です。いいっすよ。それから、アリーヤ」
「それは知ってます」
「いいっすよね。Janet Jacksonのも?」
「はい」
「ふん、んじゃ、Changing Faces。すごいっすよ。それからBoys II Menのと、アイズリーブラザーズのと」
「ふむふむ。」
ってな感じで、(おそらく)R.Kelly好き同志のふれあいがあったのであった。そう、ヴァージンの店員さんは話しかけられるのを待っている。みんな、店員さんに質問しよう :-)
夜、Boredomsのヴィデオを見る。どうしようもないできだが、ああいう暴力的な音響(音楽とは言えないかもしれない。あ、そもそも「ノイズ」ってジャンルなんだ)を必要とする感覚ってのは理解できんでもない。昔はフリージャズとかってものもあったよね。EYE はもはや麻原。っていうか、根本はあんまりかわらんよね。
深夜、医者来襲。仕事あるんじゃが、●○●○。よい勝負。彼が右四間飛車対策を発見するまで白星がかせげそうだ。やあ、定跡は役に立つなあ。
看護学校。インフォームドコンセントの話。
終了後、福島の将棋会館。○●○○●○。
梅田付近でちょっと飲んで、さらに京都に帰ってから百万遍でさらにちょっと飲む。ひさしぶりに債権者と将棋。●○。
ところが夜銀行から電話がある。「江口さんですね?今日両替されましたよね? そのときに、係のものが間違って6千円多くお支払いしてしまったのですが お返し願えませんか?」!!!!
「いや、あの、その、ちょっと今ないんです。ごめんなさい。来週にしてください。」 情けない。いったい、30才にして6000円もない(もちろん貯金など あるわけがない)男が日本国内に何人いるだろうか?私の生活態度は 20才ぐらいの学生とまったく同じなのである。では、昔のように パンの耳でもかじるか。来週非常勤に行く交通費があるだろうか。笑うしかないな。
あんまり情けないので部屋にあったウィスキーを飲みすぎてめちゃくちゃ酔っ払う。 苦しかった。