雨。家でだらだら。布団で昼寝するのはとてもよい。
卒業3年目飲み会。まあ卒業生がうまくやっている話 を聞くのは教師冥利っていうやつだな。
まだ過集中。気晴らしにツイッタ書くとそれもはまる。プール。
なんか生産性のない日。なにもできず。夜ちょっと配信。
YouTubeで不安だった1回生講義。まあ問題なし。配信はけっきょくWindowsのノートPCが楽という結論。
LMSとやらは連日落ちている。だめでしょってな感じ。
草むしり10分弱。
1、2、4回生。
午前中有馬本。やっぱり議論の進め方はあんまり評価できない。
雨あがる。そうめんの季節。
好天。5月はいい。今日は仕事しないと。
書き直すつもりだったやつをけっきょくのまま送る。これで瞬間的に「締め切りすぎている原稿」がなくなったのかな。某翻訳2件は気になるけど、あれも手を離したつもりで。
だらだら片付け。
岡崎へ。図書館、ルノワール展を見る。モネに比べてはるかにわかりやすい。
三条で蕎麦を食うも失敗。プールで体をほぐし、研究室で昼寝。再度ヨドバシにカバンを買いに出るがやはり買えず。選択肢が多すぎるのはだめ。選択そのものを先送りしてしまう。
二日酔い。
1回生講義。午後会議。空き時間にプールで軽く泳ぐ。4回生ゼミ。 某学会のwebページを2、3日壊していて冷や汗をかいていた。 (私が悪いのではなくSlimstatというプラグインが悪かったのだが)
腹ぐあいはまだ復調せず。というかぶりかえしている。
調子悪いので延々寝る。低気圧もあるのかな。
いい感じに暑い。
月例礼拝でのトーク。 2回生、 4回生。
滋賀。
図書館の本を研究室に貯めこみすぎ。返すべし。
床屋。
夕方仮眠してしまいしてプールに行けなくなってしまう。
3回生裏、 講義、 4回生。 `
3、4回生合同コンパ。
わりとよく寝た。
1回生。私語する癖がついてしまったらしい子たちを叩き出す。 癖つけさせてしまう側の問題かもな。 むしろ私語させてしまう教員に制裁を加えたいなあ。
ほんとに誤植大魔王は卒業したい。どうにかならんのかな。イライラ。
吉田。
疲労回復にジョギング。もっと効果的に血行を良くする方法はないだろうか。 やはり水泳が最強か。せめてスポーツクラブでプール歩きすりゃいいんだよな。しかしあの 塩素水というか人々の汗を含んだ液体はちょっとなあ。あ、サウナという手もあったか。
あら、歯ぐきがちょっと腫れてる。歯磨き励行。
ベトベンぐらいは楽譜やスコア見ながら聞くべきかなあ、とか。私はソナタ形式をどの程度意識して聞いてるんだろうか。
『日本の作曲・21世紀へのあゆみ』ってシリーズすごいなあ。9年で45回コンサートしてCDに残していくという企画。企画した人々はすばらしく偉い。そう、オケ曲とかいらんのだよ。日本の現代音楽というと、武満を中心にした武満史観みたいなものがあるわけだけど、主流はやっぱり三善先生とかなんだよな。人気としては武満先生が群を抜いてるってのはアカデミックな先生たちにはけっこう脅威だったろうし思うところもあったんじゃないだろうか。イケベエとかってのは独特な位置にいるよな。ここらへんだれか正直なところを書いてほしいな。小倉朗先生の「四つのフーガ」や池内友二郎先生の「四重奏」とか入野義朗の「六重奏曲」とか、むかしの曲なんかもよく書けてると思う。「日本人作曲家スタイル勉強中」とかそういう感じ。黛先生とか若いときからきっちり書けすぎて、なにやればいいのかわからないようになってるのがわかる。こういうの比べると武満先生とかサウンドはしてるけどなんか形式感がなくてあれだ。
3回生ゼミ。がんばれがんばれ。
会議。最近会議がほんとに苦手。
日本のゲソダイ音楽聞きながら中村明日美子の『同級生』読んでみる。読めるが、これ読んでる腐女子のなかで吉田秋生の『夢見る頃を過ぎても』読んだことある子はどれくらいいるんだろう。まあでもこっちの方がコンテンポラリーなのかな。書く方としては日常生活恋愛心理ものの少女マンガってジャンルは飽和している感じがあるのかもなあ(ありそう)。いろいろ名作があるのでもう書けないとか。実際、たんに「学園もの」「会社もの」てのはかなり難しいだろう。ふつうのエロ本が飽和しているのと同じ理由だわな。もっとも、エロ本については画風で勝負するってのはありそうだ。
少女マンガにとってエロはあれだったわけだが、いったんエロもOKになってしまえば、まあエロい生活そのものは同級生たちの誰でもしている子はしているし、相手を選ばなきゃいつでもできるわけで なんかわざわざマンガで読む必要もないわけだしなあ。 (ここはそう簡単にいかない少年たちにとってのエロマンガとちょっと違うところがある。)制作者としてもなんかおかしいから書けないのかもしれん。歴史もの、SF、音楽、スポーツなんかが定番の題材なわけだが、そうしではなく学園心理ものとかを成立させたいときにどうするか。人生経験や調査が不足していると書くべきことがないのかもしれない。つまり、いかにしてただの「学園生活恋愛心理読みあいもの」を成立させるかという課題なのかな?これはたしかに難しい課題かもしれんな。そもそもそんなジャンルは少女マンガにしかなかったわけだが。気のきいたラブコメ・エロコメはいつでもおもしろいしニーズもあると思うんだが、むずかしいんだろうか。映画だったらベタにつくってるような気がするけど、そうでもないのか。ここ10年ぐらい以降の少女マンガがどうなっているか調査するべきか。
あとおそらくもう一つ重要なのは、女子どうしの葛藤やルサンチマンや順位づけに関する解釈なんだけど(どういうわけかモテだの非モテだのと強い関係がある)、まあでもこんなこと妄想してみても一銭にもならんな。というか、こういう妄想もどきはいくらでもできるけど、ふつうはただの根拠のないお話にしかならんような気がする。解釈ってのはそういうことなんでそれはそれでいいんだけど、おもしろきゃいいんだろうか。文学とかってよくわからん。
まさか警視庁から毎日お手紙をもらおうとする身の上になるとは思わなかったなあ。 gmailのフィルタでアレする。
なにかを記憶するより忘れる速度の方が上まわった感じがする。どうしたもんかな。また本を探してイライラ。だめ。時間は飛ぶように過ぎてくし。なんかしょぼしょぼ。
『テニスの王子様』1巻から。これも最初の方は読める。女子も出てくるし。っていうかそもそも女子目線ではじまるのね。なぜうまくからめることができなかったんだろう。最初っから主人公が完成しちゃってるマンガって展開が難しいんだよな。(それではじめちゃうと主人公の内面が書きにくい)
「メールきょうとふけい」も欲しいなあ。
うーん、授業準備。
衣笠。
そうだ、(fr.) science = (en.) knowledgeだな。はずかしい。それとは別に、サーフィンした感じではwikipedia (fr)のクォリティはwikipedia (ja)ぐらいかと見た。やっぱり英語圏はずば抜けて強いなあ。それにしても、webでアクサンつきのフランス語wikipediaをふつうに読めるよい時代になった。こういうのが技術が世界を変えるんじゃないかとか思わせよなあ。けっきょくunicodeはよいものだった、という理解でよいのだろうか。
西宮大学で某学会。全体に人すくねー。
昼すぎには眠くてどうしようもなくなり、目もしょぼしょぼ。帰宅。西宮は近い。
実は昨日は三宮のホテルにとまったのだが、 なぜそんなことをしたのか自分でもわからない。兵庫県はすぐ近くだった。 三宮と西宮は違う都市だったようだ。自分でも関西に20年以上住んでいる人間とは 思えないな。なんか最近おかしい。脳梗塞でなきゃ若年性アルツハイマーか、 アル中か。
帰宅して寝て、夜「自分おつかれさん」とちょっと飲む。
晴。だらだらお休み。散歩して昼寝していちおう大学まで往復して散歩。 左足足首に違和感。ひどい肩こり。
宵から日本酒をちびちび飲みながら将棋指したりして楽しむ。たまには よかろう。もうビール は飲めない体なのかもしれない。さようなら、青春のビール。こんにちは、日 本酒。
「始末の極意」「酒の糟」「質屋蔵」「べかこ」。
胸焼け。
今年も研究室の近所で鶯が鳴きはじめた。今年のやつは上手だ。毎年同じやつが来ているのか、毎年違うのか。
ゼミ2個。
教授会。長くて死ぬ。喉が痛い。
泥のように眠り、なんとか起きる。朝から授業。健康診断を受ける。節制が 足りなかったんで血液検査はベトベトだろう。しかし夜あるものを食う予定なので 明日はますますひどいだろうし.....。
鍋につられて某研究室の新歓コンパへ。鍋食って逃げる。
早起き。前日はまったく飲まずに床に入った。
非常勤。調子は悪くないと思うのだが、どうも反応が悪いような気がする。やっぱり、この大学は向いてないと思う。
夕方ジョギング5km強。マニア。中毒。とりあえず、よく人々が中毒になるものにはすべて中毒になるってのは、どうにかならんか。より正確に言えば、人生でなにかにハマっていないことがないってのはどういうことか。いや、なにもハマっているものがない生活ってのはあるのか。
夜ちょっと研究室。今日も早くねる...あ、ビール飲んじゃった。
また研究室で寝てしまい、起きるとネットが切れていて、今熊野が陸の孤島になっている。明日の情報関係の授業とか大丈夫かいな。
昨日停電したらしく、ビデオがとれていなかった。
ダメダメ。
蚊やらノミやらに悩まされてあんまり眠れず。ぐえ。
午前中は、アメリカのコンサルタントだかなんだかが来て、インターネット犯罪の脅威と、それに対抗するためのFBIのInfraGardの話。官民協働でハッカーやらコンピュータ犯罪やらを防ぐらしい。我々が長く待ちのぞんできたビッグブラザーがもうすぐご光臨あそばす予定らしい。いぇー。盛大な拍手。
私はそういうのはあんまり敏感な方じゃないし、「ビッグブラザー」イメージなんて陳腐だけど、やっぱりすげー恐いよ。特にやたらとフレンドリーなところが。
あたりまえのことだが、インターネットとかってものはいまや産業インフラなんだわなあ。しかし、こんないいかげんなシステムの上でビジネスしようとして、いろいろ問題があるから法や政策によってなんとかしましょってのもなあ。
午後は奈良先の山口英さん。話は達者でおもしろく、技術者らしい主張もちゃんとしていて感心した。基本的には、「クラックには金と技術力で対抗しようぜ」ってわけで、クラッカーの文化的な哲学的な程度の低さまで憂慮しておられた :-)
次はあっちこっちで見かける警察庁の島崎さん。いつもの話。他の人はおらんのんかいな。
さっき書きかけた話だが、「インターネットを使うと通信インフラにかけるコストが削減できるぞ」ってんでビジネスがごちゃごちゃネットに参加してきて、実際につかってみるとセキュリティがぜんぜんなってなくて恐くなって、んじゃ法の抑制力でなんとかしましょってのは、先住民にとってみればやぱりなんかへんかもしれん。オルタナがないからねえ。やっぱり技術力で対抗してもらいたいもんだ。
「サイバーテロ」の恐怖なんてのも、あれだなあ。ただただ恐怖心・警戒心をあおっているだけのように見えるよなあ。
パネルディスカッションはもうひとつだったか。IIJの深瀬会長をはじめてみた。大阪弁護士協会の岡村さんもパネラー。 まあ、おもしろいパネルディスカッションなんて、未だかつて見たことないけど。
弁護士の人たちって、一般大衆があまりに法について無知なことにイライラしてるんじゃないのかなあ。
「ナイトセッション」なるものも見物することにする。「インターネット裏話」だが、それほどおもしろい話はなし。
それにしても、なぜネットワーク管理者はクラックされた話をうれしそうにするのか。(これは重要な問題)
パネルの時から、参加している女性がVAIOノートにPHSを接続してIRCで実況中継している(模様)。やるな。IRC使ってるというところがなんともかっこよい/わるい。
このシンポは300人以上が参加したようだが、これくらいの人数だと、やはり携帯電話が10分おきぐらいで鳴ってしまう。「大人」がこれじゃ、やっぱり学生にはなにも言えんな。これで最近の学生はネット上の「お行儀」がとか議論してるのはおかしい。
近鉄マットソンのナックルボールはよい。まさに魔球。全部放映しろ。
天美。将棋会館。連敗。帰宅するなり寝てしまう。
まじめに授業。午後「哲学」はちょっとうまくいかなかった。むう、むずかしいものだ。
いろいろあって、とりあえずホームページからこの書き殴りへのリンクを消した。「What's New」のリンクも切ったので、とりあえず書き殴りは分離されたわけである。とにかく、移動しなければならない時期が来てしまったらしい。無念。このまま(ホームページとのリンクを切って)続けるか、もとにもどすか、あるいは別のサーバーに移るか、あるいは完全に地下にもぐるかは未定。
大学における集団カウンセリングについてご意見ありがとうございました。現在まで、18通回答をいただき、うち、「そういうもんだ」が2通でした。そういう合宿などをしているところもあるかもしれないという情報もありました。はっきり、ふつうはそうなのかどうかということはわかっていません。そういうもんなのかもしれません。
以下に、書いて秘密の場所においていたもの。
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さて、ちょっと耳にした話なのだが、(危ないネタかもしれないのでとりあえず用心のためこっちに)ご相談。
ある大学では「カウンセリング」という授業があって、その受講者はこの連休中に合宿をチョイスすることができたそうである。二泊三日で3万円ほどの費用が要求されるらしい。教務課を通して申しこむ。クラスのかなりの人数が参加したらしい。で、どういう合宿かというと、どっかのお寺に行って、3日外に一切出ず、グループで身体的に接触してみたり、悩みを語りあったり、泣いたり笑ったりというものらしい。(だいたい想像つくよね?) 帰ってきた子はかなりハイになっていて、あんまり親しくない子にもこれまでの悩みごとなどをいきなりぶわーっとうちあけたりする精神状態になっているらしい。すべて伝聞。
むう、たしかにカウンセリングってのは、実際に福祉の仕事とかしようとしたらそういう技術が必要なのかもしれないし、そういう訓練をつむものなのかもしれない。たしかにそれくらいのことをしないと、カウンセリングなんてできないかもなあ。
しかしなあ。うーむ。夏休みは1週間の合宿があるらしい。ううむ。なんだか。大学が人格開発セミナーを紹介しているようなもんなわけだしなあ。ま、3万円だったら安い(!?)からいいのか? (ふつう10万円越えているような気がする)カウンセリングの授業というのはすべてそういうものなのだろうか?
通常の授業の様子などは知らない。参加して疑問を感じている子もいるそうだ。「あとで考えると、指導者に体をいいように触られていたような気がする」らしい。その話をしてくれた子は、そんなひどいのなら見物に行ってみようかな、などということを言っている。
カウンセリングとはそういうもんなのだろうか?
私はそういうものにひやかしで参加するのさえ危険だと思うのじゃな。
以前JICC出版局の『人格改造』というブックレットを読んだことがある。鶴見某の『人格改造マニュアル』は未読。
いくらまきこまれないようにしようとしても、ワシら人間は、罵声や鳴き声やさけびや非難など、そういうものには生理的に反応してしまうようにできているのだと思う。そういう場所で平静でいられるはずがないのである。ま、ある意味(っていうか、まさに)洗脳そのものなんだし。
ある方は集団カウンセリングを覗いたという報告をしてくださったが、実際にその中で経験すれば、外からは笑えるものも笑うことはできなくなってしまうのではないだろうか? 何度も言っているが、私はアドレナリンが出るような状況は(極端に限られた場合を覗いて)嫌いである。そんな状況にはおちいらずに生きていきたい。戦争反対。
恋愛や友人関係や学校の授業、ってのも、まあ、いろんな意味でカウンセリングや洗脳に似ているというのはある。愚痴をこぼしあったり、他のひとには話せない悩みを吐露したり、感情的になったり、人格攻撃:-)しあったり:-)、まあそういういことは濃い人間関係の中心部分のはず。それ自体は問題はないと思う。
問題は、集団カウンセリングなんてものは、そういう「操作」そのものを目的にしているってところにある。人為的に生理的に不安定な状態をつくりだし、そこでなんらかのカタルシスを体験させるってのは、まあ、それを十分に説明を受けてのことであれば、悪いことではないのかもしれないが。しかし、自分が心理的ストレスをかけられたときにどうなるかを十分に知っている人はそう多くないだろう。
その集団カウンセリングに友達同士で参加した女の子たちは、それに参加した同じ男の子を好きになってしまい(!)、関係が悪化したそうな(伝聞)。精神的ピンチのときに恋愛感情がひきおこされるってのは当然あるじゃろな。パニックもの映画ではなんらかの仕方で男女がくっつくし、それをワシらは納得して見てるもんね。
カウンセリングにお金をはらうということは、ふつうの人間関係ですませるべきかもしれないことをわざわざ金をはらって誰かに依頼するってことなんだと理解している。お金をはらってパパや恋人やガールフレンドなんかになってもらうってことなのだろう。 だからまともなカウンセラーの原則第一条は「お金はらわないやつとは会わない、決った場所でしか会わない」のはず。
集団カウンセリングはその集団で相互にやらすんだから、安上りだし(金銭的な意味だけでなく、心理的コストという意味で)、邪悪な意図もはたらきやすかろう。
20歳前後の女性を、そういう手口でモノにするのはそれほど難しいことではないだろうと思う。私がそういうセミナー開いたら、毎回1人は、まあ、ウハウハだな。(下品)あんまり関係ないような気もするが、そもそも教師なんていう職業はそういう危険性とつねに隣合わせになっていると私は理解している。
まあ、健康なものではない。なんでそんなものを大学が紹介するなんてことがありうるんだろうか? どう考えてもちょっとおかしい。
むう、問題は、私はセックスなどと同じように、そういう人間関係における心理ってのは人の核になるべきもので、簡単に金銭にからめるのはおかしいし、意図的に操作するのもおかしいと思っているのだな。いや、売買春の方がずっと問題が少ないかもしれない。
ううむ、このネタは表のページにも出したいなあ。 (☆☆☆☆)しかし、いやしくも福祉だのカウンセリングなどを志すのであれば、そういう経験もつんでおく必要があるだろうとも思うわけだ。前にも書いたように、私たちは、他人から糾弾されたり、危機的な叫びを聞いたり、苦痛の呻きを聞いたりしたときに自分がどう反応するかってことを知らない。殴られたときにどういう痛みを感じ、どう反応するのかってことを知らないひとも多かろう。(私自身、ここしばらく殴られたことがないから忘れちゃってる)絶対的に弱い人間や醜悪な人間を前にしたときにどう行動するかも知らない。
ワシらはそういう経験をつまずに「大人」になっちゃったりしているちゃったりするわけだなんちゃって(酔ってる)。んで、そういう状態で「カウンセリング」なんかしちゃったら、患者(じゃなくてえーと。うぃ。ひっく。)にまきこまれたり、自分の気づかないサディズムが呼びおこされたりしてしまうにきまっているような気もしないでもない。んじゃ、あらかじめ免疫つくっちゃえ、というのもありそう。そりゃー、例えば登校拒否だのカジュアルセックスしている人の苦しみを理解する一番てっとりばやい近道のように見える方法はそういう体験をしてみることだろうからね。人格改造セミナーや宗教団体にはまるひとの内的生活を知るにははまってみるのが一番早いだろう。ワシらの想像力や認識力なんてたかが知れてるからのう。
む。そこまで考えた上でのことじゃったら許す。許してつかわす。やれ。集団。泣け。わめけ。動揺し絶叫せよ。金とられて不幸になることを教えるためには金をとって不幸にせよ。
続くが、前に行っていた塾が、まさに人格改造セミナーのようなものだった時期があるのだな。経営者はガタイのいい外見も醜悪なおっさんで、私が働きはじめた当初は、生徒を怒鳴るわ怒鳴るわ。私は知らないが、殴ったりしたこともあるはず。そういう恐怖と個人的なアメ玉で生徒をあやつっていたわけである。おそらくその当時は、教師の方の力不足を彼のカリスマでおぎなっていたのだと思う。
そのころ私(D2の冬だからもう5年まえ?)は「研修期間」ってやつで、時給800円で授業の見学をしているだけのころだった。そんなところにいたくはなかったのだが、経済的にやめるわけにもいかなかったのである(と合理化しておく)。
恐怖の前では理性だの合理性だの理屈はなどなんの役にもたたないのである。
その塾は、それを一度見たあとは、おっさんとは直接にはほとんどかかわりなく過すことができたので、まあ、直接にはそういうものにコミットしないですんだ(と合理化しておく)。そこの雰囲気もずいぶんずいぶんなごやかで合理的で効率的なものになったと思う。実際、そのころのようなひどい顔をした生徒はそれ以来見たことはないし、合格者は増えたし。すこしは潜在的な幸福の増大に貢献したと思う。(ほんとうは、去年教えた子たちが今年どうなっているのか心配なんです。ああ。)
あれは麻原と同じ手口だし、私たちは一度恐怖にとらえられたらそれに対抗することはほとんど無理なんだと実感した。以前、麻原がどこかの支部の女の子に電話しているテープてのが流れたことがあったが、あれとだいたい同じなわけだな。
むう。あそこで私は何が起っているのかを把握することができなかったし、自分がするべきことを認識することもできかなったし、それがわかったとしても行動することはできなかっただろうから。
人格開発セミナーとかヘンな宗教団体に出たひとびとも、おそらく「これはヘンだ」と思っても抜けだすことができないのだな。それはバクシーシ山下のAVで逃げられないのと同様。(ちなみに私が見てショックを受けたのは『女犯』の4と5である。)
さらにつっこむが、そもそも、そういうものを嫌悪する私の方がおかしいのかもしれない。長年人間とかいうものは戦争だとか、喧嘩だとか、宗教的儀式とか、共同体の祭だとかそいう興奮状態を味わって生きているわけで、そういうのがないってほうがおかしいのかもしれない。時々なんらかの強いストレスをかけないと人間はぼけるんだよな。「人間は戦争が好きなのである」ってのはどうだ? いや、これは最近読んだなんかにあったなあ。『病気のうんたら』だ。
これはしばしば感じることで、例えば私の生活は「ケ」ばっかりで「ハレ」な時がないのである。むう。そういうのを金を出しても手に入れるべきなのか?
===================== ここまで ====================
料金滞納で電話が止まる。しかし、携帯電話があるから 大丈夫:-)
二次会から研究室の新入生歓迎コンパに出席。
皆さんご機嫌であったが、私は十分に飲み損ねた :-)
学部生の皆は元気だなあ。
酔っ払った頭で大学における哲学の教育方法についてちょっと意見を交わす 。
あちこちで大学の組織編成が進んで、哲学や倫理学の授業が少くなっている。ま、哲学やらなんやらという学問が学生にとって魅力のあるものではなくなっているのが一因だろう。理屈っぽいだけで退屈だというのが普通の学生の見方だろう。私自身哲学の授業が面白いと思い始めたのは大学に入ってかなり経ってからのことだ。哲学に限らずどんな学問でも概論はつまらないものかもしれない。
そもそも最近では高校で「倫理」の授業があるところは少くなっているようだ。私が教えている竜谷大学でも、大阪教育大でも、生徒の8割近くはその手の科目を履修しなかったらしい。(私の時代はほぼ100%だったのではないかと思うが)これは、カントとか、ミルとか、ヒュームとかへーゲルとかデカルトとか、そういうビッグネームの名前も知らないということを意味する。
そういうなかで、(特に教養科目として)哲学や倫理学を教えるというのはどういうことになるのだろうか? 中学、高校などではある種の基準があるだろう(それは大学合格率かもしれないが)し、教師同士の情報交換なども(日教組がやっているのか?) あるのだろうが、大学では教師はお互い何をしているのかさっぱりわからないというのが真相ではないだろうか?
哲学教育も教育の一つの実践であり、その教育効果について客観的な基準があ ると思うし、教える上でのノウハウのようなものもあるはずだと思う。学会で もシンポジウム等でそういうネタを取り上げて話し合ってみたらいいのにと思 う。
哲学の先生の多くから感じるのは、一般大学(さすがに「偏差値の 高い」大学は違うような気もするが)で哲学を教えることに 対する絶望感に他ならない。しかし絶望ばっかりしているわけにも行くまい。
そもそもこんなことをいまさら考えているのが奇妙な感じもする。 大学院が基本的に研究者養成機関であり、また大学の教員養成機関でも あるのなら、そこらへんを突っ込んで考えることがあって然るべきだろう。 単に私が不勉強なだけだろうか?
なんかいい本や文献などありますか?他の科目ではどうなのだろうか?
などと書いていると(1996/05/17朝)、某教授が部屋にいらっしゃったので(あ いかわらず朝の早い人だ)、この手の文献の有無を尋ねる。
「その手の本や文献は数え切れないほどあるよ」
「え、そうなんすか?」
「もう、学会なんかではネタがなくなると
大学教育における哲学の意義とかやってるし」
「いや、そういう大上段のやつじゃなくて、
教え方の単なるハウトゥー本が欲しいんですけど」
「あ、そういうのはほとんどないなあ」
てな感じの会話を交わして、そろそろ帰るかな。
どうでもいいことなんですが、江口さんのページの What's Newをみていると、 江口さんの生活パターンが分かってしまうような気がします。 面白いですね。(^^)というメールをいただいたが、木曜日から日曜日にかけて昼夜が 逆転してしまうのが私の生活である。