翻訳。かなり進んだ。
好天。一日お休みにして植物園など。 ちゃんと休みをとるのが重要だ。しかし下手なのよね。
オンラインで300本以上のレポート採点(ほぼ書式だけ)を効率よくすませて気分がよい。午後プール。
古いハードディスクをつないで、Google Driveにあるものをぜんぶ手元に置くように設定する。バックアップもしかけた。
ここんとこまじめに練習している。理屈はわかってんだけどね。
教材とか見直しながら、私はいったい大学でなにをするべきだったのかとかそういうのを考えている。手法だけでなく内容も。30年近く大学その他で教えていて、それって本当に学生様にとって意味があったのだろうかとか考えざるをえない。
夕方、三たび高島屋へ。New Yorkerでやっと薄手のジャケットを買う。ここは店員が優秀だった。へんなものを買いそうになってるのを見て、「服もってないならまず地味なブレザーにしろ」という正しい指示。服買うときはいつもここにするか。
夜、恒例のサルサカンデーラを見に行く。
踊ってるの見ると楽しそうで、私もやっぱり習ってみたい気がする。集団レクチャーみたいなのは数回参加しているのだが、はかばかしい進展がない、というよりよくわからないままにおわってしまう。本当にやるなら個人かごく少人数のやつで納得いくまで説明してもらう必要がある。
ライブはいまいち。最初のバンドを聞いたところで帰る。
国立博物館へ。キャンパス会員を利用する。池大雅。水墨画とかとくに好きなわけではないが、なるほどという感じはある。ちょっと展示数が多すぎる感じで、うしろの方はばててしまった。
夜某師匠とカレー。東大路付近のカレー屋には詳しい男になりつつある。徒歩で帰宅。
遅めに起きる。やはり午前中はだめ。
午後はなんとか。市立図書館まで行くのもちょっと勇気が必要。
そんでも論文一本読む。
久しぶりにゆっくり寝られそうな感じ。
だらだら。卒業生来訪。夕方プール。夜ちょっとだけ外で飲む。 ハイアットのバーで。たまにはよかろう。
「片づかない」理由の一つは、同じ種類のものを複数もっていて、それがあちこちに分散してしまっていることにある。ケーブルだのコネクタだの文具だの。「同じものを一カ所にまとめる」だけでずいぶん片づいた感じになる。
本棚整理してしまったり。そんなことするよりするべきことはあるのだが、まあ連休だし心の余裕。
夕方、雨が降る前にジョギング。
なんとか回復。 お休み。
朝雑草抜き。先日「てみ」とか草狩鎌とか竹箒とか熊手とか入手した。 熊手は「小」を入手したのだが普通サイズのにするべきだった。連休中にもう一度行こう。
研究室へ。
二日酔い。
まあ今できることをコツコツやっておくか。
終日研究室。こんなに慢性的に時間が足りないという意識はやはりどっかおかしい。
朝型になりつつある。
体が冷えそうになったら筋トレ。
太りつつある。
出張。
帰京。移動は苦手です。
前日、忌野清志郎逝去。中高生のころにロックとは何かを教えてもらった最大の恩人。 BLUEのころだわな。ストーンのステージングをパクってたころ。 その後の活動については、私自身が趣味も生き方もロックじゃなくなってしまったので 詳しくは知らないけど、カラオケしなければならないときには お世話になっている。これからもお世話になります。
残る連休は心穏やかに生活して体調をととのえたい。
早起き、もう夏。しかし早すぎたか眠い。でも朝の2時間はほんとうに 価値がある。今年の連休はぜんぜんお得感がない。
それにしてもほんとに短期記憶がまずいよ。『メメント』の世界だわ、これ。脳梗塞とかじゃないだろうな。あ、『消しゴム』の可能性もあるのか?やだなあ。いや、これは年齢的に違う。来るなら若年性じゃない方だ。
あれ、ベルトがゆるくなったような気がする。痩せた?・・・いや 薄着になっただけか。
なかなか充実した午前中だった。会心。
川端ニックへ。ダンベルや体操用マット、チューブとかもあるなあ。今回は見送り。
夕方もう一回研究室。片付け。もうちょっとコツコツしながら 一応ディスクのバックアップとっておく。・・・む、 とれた。これで飛んでもいいや。
なんか今日は非常に生産的な日だったような気がするぞ(たいしたことはしてないけど)。 気温が上がったからか。
うは、web 2.0的恐怖を知る。
last.fmでは「友達をさがす」ってのがあるわけだが、これがgmailのアドレス帳をインポートできてしまう。実際やってみると何人かヒットするわけだが、これって極悪すぎるな。こっからまた別のデータ掘りかえせるだろうし。知らん人がやってしまうだろう。だいたいgmailのパスワードをlast.fmに教えるってのがどういうことなのか。(私はすぐに変更したけど)(わたしはわかっててやってみたが。こっちの方が悪か。)同じことはtwitterもできる。
まあしかし、この日記のタイプの最大のライバルはブログではなくtwitterであることがわかってきた。twitter書いてるとほとんど同じリソースとられてる感じがする。当然こっちの方が自由度は高いけどね。socialであることを求めなければ別にこれでいいわけでな。各種SNSほど人様に気をつかうわけにはいかん。mixiはそろそろ終りか?
早起き。早朝から。連休は残り4日、有効に使いたい。
しかしドリュモー先生によれば、宗教的な怠慢 negligencia はともかく、無為 acediaや怠惰 paresse が罪悪として注目され、勤勉が推奨されるようになったのはそれほど古いことではないらしい(宗教改革あたり?)。いろいろ考えさせられる。たしかにここらへんの概念の内実と発展と相互関係はおもしろい。まあ、別に勤勉に労働して生きる必要はないやんね。なんらかの意味で充実していればよいのだ。いや、充実さえ不要かもしれん。思想史や心性史といわれるものがおもしろいのは、やっぱり自分の思考や心性を相対化して批判できるようになるからだよなあ。まあわれわれの価値観はいろいろと引き裂かれていて(あるいはいろんな伝統のごたまぜで)、どうにも統合しようがないようにも見える。少なくともそういうことを省察するのにはちゃんとした価値があるぐらいのことは言いたいような気がするが、そんなことしているヒマがあったらもっとちゃんとした活動した方がよいような気もするわけで。いつも「倫理学って答えのない学問ですね」とか授業の感想に書かれてしまうのは私の不徳のなすところだが。
どうでもいいことだが、ケージなんかが「易を立てて作った偶然性の音楽だ」とか主張している曲が実はセリーでちゃんと構成されている、なんてことはないんだろうか。誰かほんとうに検証したのかな。
哲学関係の論文の参照スタイルってのはどうなんだろうな。翻訳もどう扱えばいいのか。まあ雑誌に合わせなきゃならんわけだが、自然科学で使われるAuthor (Year)形式はどうも哲学とはなじみが悪い。プラトン(1970)はやっぱり許せんよな。シジウィック(近刊)ではなく、シジウィック(1901)と書きたいし。かといって、日本語参照しているのにSidgwick (1901)とは書けん。解はあるだろうか?偉い人々のを調べてみよう。この歳になってこんなこと考えているのが恥ずかしすぎる。
届いていた『倫理学年報』に目を通したり。
読むべきものがないように見える。なんでこんなにたくさん論文があるのに私にとっておもしろいものがないのかな。やっぱり私は倫理学研究者じゃないのかもしれん。
気になったのは柿本さんの。
「シンガーの言う「人命の価値の多様性」とは、人間存在の多様性を認めるものではない。むしろ、彼が行なっている、倫理的に重要だと考えられる様々な選好の能力を持つ人間存在だけを権利主体と見なすことは、「人命の尊重」の間に価値のグラデーションをつけるのではなく、「人格」に値しないと見なされる存在を物体的存在として位置づけ、 その存在の維持を認めないことを意味する。」p.195 (強調江口)
ほんとに、これほどまでにシンガーが正しく理解されないのは、やっぱり人々(哲学研究者?)の認知的な歪みが影響しているとしか思えん。もうどう対策したらよいのかわからん。いや、シンガー本人や紹介者たちになにか落ち度があるのだろうか。いやいや、むしろ私の認知的な歪みをもっと真面目に考え修正するべきか。こういうときに何に頼ればよいのかわからんのが困るよな。こう、頼るべき基準や権威がないのが困る。困り困り。ムーさんだったらどうアドバイスしてくれるんだろう。
一応国内で一番権威ある倫理学の雑誌のはずなのだから、査読に問題があるのではないかとか。査読で注文がつかなかったのかな。-->
どうでもいいが、
Le bon sens est la chose du monde la mieux partagée : car chacun pense en être si bien pourvu, que ceux même qui sont les plus difficiles à contenter en toute autre chose, n'ont point coutume d'en désirer plus qu'ils en ont.
これって皮肉すぎるよな。いきなりこんな文章で自伝をはじめる奴ってのはやっぱり気が狂ってると思う。世界への(自分自身に対しても?)敵意と絶望が感じられて素敵だ。哲学ってのはこうでなくてはいかん。ラジオ講座のおかげで以前よりちょっとはフランス語読めるようになったのがうれしい。
床屋へ。なんか頻繁に行ってるような気がする。そうでもないか。いったん帰宅してまた出てくる。毎日一里の道のりを歩く猿。
柿本論文についてまだ考えている。もう一箇所すごく気になるところがある。
「新優生主義の立場をとるキッチャーは、個人の選好による胚選択や遺伝子操作を優生主義と認め、これを「レッセ・フェール優生主義」と呼び、自らが提唱する「ユートピア優生主義」をこの優生主義の一環として位置づける。・・・着床前診断や出生前診断によって遺伝的によりよい子どもを産むことはよいことであり、中絶はこれを可能にする手段として有益である。・・・したがって、個人レベルで優生主義を実践することは、国家および社会レベルでの生活の質の向上に役立つから、積極的に容認するべきである、というのがキッチャーの言う「ユートピア優生主義」である。」p. 192。
Lives to Comeのp. 195-203が参照されているが、これは…。どうするとこういう読みになるのか私には理解できない。それ違うよ、とは直接何度も指摘しているのだが。だいたい、自説に「ユートピア」とかつける馬鹿がどこにいるだろう。 あれをこう読めるんなら金森さんとかも優生主義を提唱していることになってしまうんじゃないだろうか。誰が査読したんだろう。ま、でも、とりあえずキッチャーもう一回読んでみるか。面倒っていうかつまんないからやだな。
だが、もっと無限に複雑な問題、すなわち、道徳、宗教、政治、社会関係、生活上の問題になると、問題とされている意見を支持する議論の四分の三までは、それと異なるなんらかの意見に有利な状況を排除することからなっている。古代で一人をのぞく最大の雄弁家は、つねに、彼の論敵の主張を、自己のそれよりいっそう熱心にとはいわぬまでも、同様の熱心さで研究した、と記録にのこしている。キケロが弁論の成功の手段として実行したことは、真理に到達することを目的とするすべての人によって、見習われなければならない。問題の自分の側しか知らない人は、それについてはほとんど何も知ってはいないのである。(ミル『自由論』)
あれ、この訳(中公世界の名著の早坂忠先生)の「一人をのぞく」がなんかおかしいね。
The greatest orator, save one, of antiquity, has left it on record that he always studied his adversary's case with as great, if not with still greater, intensity than even his own. What Cicero practised as the means of forensic success, requires to be imitated by all who study any subject in order to arrive at the truth. He who knows only his own side of the case, knows little of that.
岩波文庫の塩尻・木村訳では「ただ一人をのぞけば最大の〜」。「ただ一人をのぞいては他に右に出るもののなかった古代の雄弁家は」ぐらい?だめか。へただ。いやいや、こんな無駄な考証してないで充実した連休を。とにかく勉強。っていうかこの勉強のキリのなさというのはどうしたらいいのだ。
こんなサイト見つけてしまった。 http://www.volubeit.com/index.html。なんじゃこら。とんでもなく無責任な悪徳業者だな。夏休み前に学生さんに注意をうながそう。
なんか一日歩いてた。汗疹の季節。夏は近い。
モーニング2、「聖☆おにいさん」がおもしろくなっていて驚く。前回は「おまえは猫十字社か!」と怒ってたのだが。まあこの路線は陳腐だがありだな。 「ファンタジウム」の人にはいつもながら職人魂を感じる。爆発はしないが常に安定している。才能ない漫画家はまずは杉本亜未を目指せ、とか。
んー、だめだ。ちゃんとアウトプット出さなきゃ。
午前中から大学。締切迫る。
Gmailは操作性も速度も優秀だ。(キーボードショートカットがすげえ) ビッグブラザー候補ナンバーワンはやっぱりgoogleか。できれば (アカウントの切り替えが簡単だといいのだが、まあ無理だな。) ケータイなるものを買ってしまう。au。 公衆電話がわりに持ちあるくのにこれはやっぱり高いか。 本体0円、月2500円ぐらい。これ以上安いのはないようだ。
机の上を片づけ、心を落ちつける。
落ちついたころにはもう春の日もとっぷりと暮れて。うーん。
早起き。上七軒まで自転車を取りにいく。タイヤも交換して8000円。乗心地 は改善された。ついでにヘルメットも購入。8000円。高いが安全第一。発泡ス チロールのようなものでできている。(わざわざ上七軒の店にたのまずとも、 今熊野にも同じ店があった)(ヘルメット購入とこの前仮面ライダーを見たことの 間には因果的関係はないとは言えない)
昼前から大学。三日間の連休を有益に使おう・・・と書きつつもダラダラ無駄な読書。 研究室向いの木で今年も鶯が鳴きはじめた。ショスタコ復習の続き。ひとまわりした。
「親子茶屋」「植木屋娘」「軒づけ」。
思いたって、とりあえずしばらく友人のyonosuke君のサーバを使うことにする。 思うところあって.htaccessでは飛ばさない。 新URLはhttp://yonosuke.net/papirer/。
このページを引越しするのは何度目かな。百万遍社会学教室→百万遍倫理学 教室→ごく短期間so-net→百万遍倫理学教室に戻る→百万遍某プロジェクト→今熊野 女子かな。一瞬asahi-net使っていた時期もあったかな。
サーバーにcourier-imapdを入れようとして苦労。こらいかん。もうFreeBSDサーバーの管理なんて できない体になっている。ドキュメント読む気力もなし。 →なんとかスクリプトや/usr/ports/UPDATINGを読んで、rc.confに authdaemondやimapdの起動を指示しないとならないことがわかった。
風流を解さない阿房たちが花火する時期になってしまった。鴨川付近のコンビニは 住民のために、季節はずれの花火を売るのをやめろ。深夜花火売るのはもっとやめろ。
学生とかには日本文で“引用符”は使うなとか言ってたのだが、毎日新聞とかも使ってるねえ。
どういうわけか、最近夜寝るときに変化球の握り方(カーブだのスライダーだのパームボールだのチェンジアップだの)のことを考えてしまうんだが、いったいなぜなんだろう・・・草野球はじめろという啓示なんだろうか。
昼すぎまで寝てしまう。夜なんか低血糖な感じで悪夢に悩まされた。サイケなつげ義春 って感じのドロドロしたやつ。あんなタイプの夢は初めてみたなあ。ひとによって はああいう状態を「金縛り」とかいうのかも。
大学は誰もいない。みな連休しているらしい。 弱っていたコードレス電話の電池を交換。ついでに置き場所を変更。雑音が少なくなった。
夜も研究室。無能人間には連休はない。PowerBookに外部スピーカーつないで、新しくなったiTunesでネットラジオなんか聞いているわけだが、ディスプレイの片方にiTunes表示しておくとすぐに曲名がわかっていい感じ。 DI Modern Jazzとかってドルフィーを中心にKen McIntyreだのArchie Shepだの、Sun RAだのCecil Taylorだの、なかなか激しい(ほんとにフリーなのはかからないようだが)。SmoothJazzとかのヌルい選曲とは格が違う。こういうのまだ需要があるんだなあ。 てか、ネットだからできる?気にいった。
どうも数枚のCDを1曲ずつまわしてかけているようで、Chico HamiltonとDolphyのが何度もかかる。イイ。
校舎を走ったりしてみる。これはけっこういいかもしれない。ただし床が固いのでスニーカー履くこと。(いつも夜ははだし)とにかくベルトに腹の肉が乗るのはどうにかしたいのだ。
いやはや、いろいろほんとに反省。自分の恥知らずさには愛想がつきた。しかしやるべきことはやらねば。それにしても、世間の人びとはみんなちゃんと生きていて偉いなあ。・・・とにかくここしばらく悩んでいたものを1個片づけたが、死にそう。Life is suffering。・・・と、googleで日本語のページを"life is suffering" 検索すると自分のページが上位でひっかかって驚く。
午後大学。夕方ジョギングして夜も大学。
全休。昼過ぎまで寝ている。昨日も猛烈に眠くて、中級クラスがかなり体に負担になっていたようだ。軽くジョギング。ちょっと買物に出る。久しぶりの三月書房。みうらじゅんの名作『アイデン&ティティ』が文庫本になっているので買う。他にジョージ・秋山の復刻物3冊、さそうあきら。柳桜堂で新茶。着るものがないので、藤井大丸でシャツ2枚。この前シャツを買ったのは、去年の3月らしい。どうもなあ。
公約通り、『成長するティップス先生』を読んでる。Webで見ているときと比べると、書籍になるとちょっと厳しく見てしまうもんだということを再確認。ワシらに書籍信仰があるってことなのかなあ。
10時半起床。苦しい。昼前に今熊野へ。以前にも書いたような気がするが、こういう、誰もいない建物にポツリといるって感覚が昔から好き。
この大学は女子大だからなのか、部屋では中から鍵をかけることができない(危険なのは教員だというわけか)。部屋で寝たりすることを考えると、ドアストッパーぐらい用意しておくべきなのか。
バックグランドでThinkpadにふたたびFreeBSDを入れている。とは言え、ちゃんとドキュメントを残しておくべきような気もする。
hybernation(ハイバネーション)を有効にするには、FATのパーテーションを適当に(メモリ容量分)切っておいて、FreeBSDをインストールしたあと、DOSフロッピーでたちあげてそのパーテーションをフォーマット(format c:)。その前にfdiskでアクティブになっていることを確認しておくのか。で、BIOSメニューでハイバネーション領域を作成。以上。
XのモニタはExtended Super VGAを選択。
研究室をIOデータの安いスイッチハブに変える。ちょと早くなる(10%ぐらいか)。
うーん苦しい。
もう夕方。
前日は結局metroでの近藤等則を聴きにいった。トランペット、ギター、ドラム、ターンテーブルという構成。みんなMIDIやらエフェクターやらサンプラーやらつかっているので、誰がなにしているのかさっぱりわからん。ひさしぶりの大音量のノイズにビリビリ。キチガイ。
さて、1日実家という名の他人の家に帰ってくる。
いま実家。
10時半ごろ家を出て、「のぞみ」→「つばさ」と乗りついで山形駅まで。ところが、山形市から私の故郷新庄市との間の鉄道は、新幹線を通すとかで、半年以上運休なのだそうだ。そんなところがあるなんて信じられん。かわりに代行バスが走っているのだが、接続が悪くてもうどうしようもない。結局家に帰りついたのは8時。
電車のなかでは『日蝕』読んだり「アンアン」読だり。遠い。
上の件でもわかるように、私の田舎はひどいところで、私が小学生のころから「人口4万2千」と言いはって現在に至っているようなところだ。子供のころからほとんど変わるところがない。時間が停止した町。
好物の郷土料理「納豆汁」を食す。
夜中にタバコがなくなり、買いに出ようとするも、歩いていける距離にコンビニはない。田舎の人々は歩くということをしないのである。
「どこそこのだれそれさんの子供はもう〜歳で、どこそこのだれだれさんのは〜歳で」はいはい、すみませんごめんなさい。
早起き。午前中、小雨のなか軽くジョギング32分。
仕事仕事。
ああ、よけいな本にはまっちゃった。仕事仕事。
仕事仕事。
といいつつも、余計なことばかりしてぜんぜん進まないので、研究室へ移動。さあ、やるぞ。
とか言いつつ、天一で飯くったりしてなかなか進まない。やっと数パラ訳しただけ。あー本当にワシは翻訳能力がない。
ネット上で流されているReal Audioかなんかのファイルを聴いてみたいんじゃが、どうすればいいのかわからんな。お金はらわんとならんのかな?
↑の件は無料の奴もあることがわかった。しかし研究室のWINDOWSはなぜか音が出なくなっているのでまだ聴けない。しくしく。
仕事仕事。半日かかってもさっぱり進まん。こりゃあと2日じゃ終らんな。
などと苦しみつつ、進まんので研究室のMacの方にもReal Audioをインストール。前から気になっていたいくつかの楽曲をダウンロードして。ふむ、なかなかおもしろいじゃないか。ますます8トラデジタルレコーダーが欲しくなったぞ。(そんなもん手にいれても使いようがないけどさ)
どうにもならんので、仕事を途中であきらめ徒歩帰宅。しかし家の近くのコンビニでに寄ろうとしたところ、財布がないことが発覚。おそらく研究室に置き忘れたのであろうとは思ったが、あまりに不安だし、明日のご飯のお金もないので自転車で取りに帰る。案の定。ウォーキング20分、自転車20分と存分に有酸素呼吸運動してしまった。
若い人向けのレコード店に行くといつも疑問に思うのじゃが、このCD全盛時代において、ビニール盤を買うひとってのはどういうひとなんだろうか。私自身は、中古レコードは買うことがあるけど、新譜をビニール盤で買う気にはなれない。(エロいジャケットのものなんかは衝動買いしそうになるが、さすがに思いとどまる。)
(もっとも、最近1週間延々リピートして聴いているのは、R. KellyのR. Kellyの日本版にのみのボーナストラックの"Thank God It's Friday"のリミックスバージョンだから、こういうリミックスものにも目をくばっておかねばならんのはわかる。それにしてもこれは名アレンジ。生ドラムがとてつもなくよい。)
アナログの方が音がよいというほどよい機器をもっているひとはそんなにいないじゃろうから、やっぱりDJ志願者が来たるべき日にそなえてせっせと集めているのかねえ。たしかにDJってのも1度やってみたいよねぇ。(二条河原町のクラブLove Tribeでは、「お客を15人つれてきたらDJさせてあげる」っていう企画をやってるようだ。)
まあ実際にはやらんにしても、あのテンポを合わせてつないだりするのはどうやっているのか知りたい気がするよな。
いかん、仕事仕事....眠い。ぐう。
どうでもよいことだが、この世のなかにはカラオケの選曲や歌唱法に関する様式美ってのが存在するんじゃなかろうか。「ほう、そういう曲を歌いますか、それでは私はこれを」ってのはよくあることだ。いずれは美意識に優れたひとが、「〜曲目ではコミックソングを、〜曲目では春の歌を、〜曲目では出会いの歌を、〜曲目では別れの歌を」てな感じで形式を完成させるかもしれん。この件については次に実践したときに考えることにしよう。(そういう機会はめったにないが)
雨だったので、岡崎の古本市に。同業の方が荒らした後なので、別に重要な本はない。ヴォルテールの『哲学書簡』(岩波文庫)は今手に入りにくいような気がしたから手にいれておいた。他にはビーグル号航海記(3冊で800円なので)。
ジョージ秋山の『アシュラ』と『咲太郎』。『アシュラ』は読むのがつらい。こんなマンガが載っていたんだから、70年代初頭の少年マガジン恐るべし。諸星大二郎だって少年ジャンプだったわけだし、マンガ雑誌があんまり分化していなかった時の方が、青少年の多様な関心をよびおこすって意味はあったような気がするな。
永井豪の『キューティーハニー』。永井豪は、読んでいても「やーい、エッチ、スケベ」と非難される恐れがなくなったのでうれしい。(っていう感覚は私の年代のひとでないとわからんのではないだろうか?) 『あばしり一家』や『ハレンチ学園』なんかも全部欲しいな。
その他、安い新書・文庫をごちゃごちゃ。
次の古本市は、