0427の連用日記


2023/04/27 (木)

門掃き。大学院オムニバス。配信講義。

1TBのSSD外付けにGoogle Driveをダウンロード。丸一日かかる予定。


2022/04/27 (水)

3回生。会議(長い)。2回生講義。


2021/04/27 (火)

2回生(オンライン)、1回生(対面)。


2020/04/27 (月)

授業準備。顔あわせないで連絡するというのはとてもむずかしい。

4月が終ろうとしている。実は私にとってはけっこう楽しい4月だった。天気よかったらもっとよかったけど。午後少しジョグウォーク。

研究室のケーブル類をなんとかかたづける。同種のものはぜんぶ捨てりゃいいのだよな。


2019/04/27 (土)

夜明けごろ起きる。ちょっとゆっくり。4月を振り返り、やりのこしてることを確認。

かなり寒い。

夕方、ジョージクリントンを聞きにビルボード大阪へ。ツアーは引退するというので一度は見ておかねば。20人近くの大所帯の族長という感じ。基本的には若者にやらせてる感じだったが、中高年中心でマゴットブレインやらマザーシップコネクションやらもやっていた。楽しんだ。


2018/04/27 (金)

講義。


2017/04/27 (木)

講義2個。

夜、調子悪くなる。なんか感染症な感じ。早々に寝る。


2016/04/27 (水)

3回生。会議。

あまりうまくないナッツ類でビール飲むのはよくない。

久しぶりにZumba。


2015/04/27 (月)

研究室で準備→京都駅から地下鉄→御所北大→市バス102→白梅町天一→衣笠大→北大路バスターミナル→地下鉄で九条→南区図書館→ジム→志津屋でパンを買って赤バスで研究室、という道順。まあ週に1回ぐらいなら悪くないか。


2014/04/27 (日)

発表準備にあせる。しかしジョギングはする。

ほんとにもっと早くから準備しておけばいいのに、と泣きそう。

スナック菓子を暴食みてみたり。


2013/04/27 (土)

某翻訳準備研究会だがなにもしてなくて冷や汗。けっきょく集まった人々に 無駄に時間を使わせてしまう。すみませんすみません。


2012/04/27 (金)

講義。

不愉快な仕事1件。


2011/04/27 (水)

やっと回復の兆し。苦しかった。

と思ったが、やっぱり不調。苦しい。会議。

7時すぎには床につく。


2010/04/27 (火)

雨。

午後に3コマの日。 1回生、 2回生、 カロリーメイトつっこんで 教養。


2009/04/27 (月)

飲みすぎで起きられない。日本酒はだめ。

寒い。

衣笠。

まあつらつら思うに、凡庸でも生産性低くても無能でもいいから まともに生きたい。正道でカロスに。


2008/04/27 (日)

昼前からゆっくり。と今日はいろいろ片づけねば。iGoogleとRTMで ばんばん行くぜ。

あいや、やっぱりiTunesのファイルぐしゃぐしゃにしてしまったあるよ。再生回数 を失なう。まあいいや。時々データを失うのも精神衛生上重要。しかしまあ、 自宅で内職して収納しなおしているCDの山がハードディスク1台におさまってい るってのはすごいことだわな(今見たら2101枚分入ってるらしい)。一方、い ちいちCDの内容たいていおぼえてるってのも人間の記憶力ってのは無駄に大き いことがわかる。こんな能力なんに使ってたんだろう?PTSDとかなんのも当然 だわな。

ちょっと気になって就業規則を見たり。 ふむ、「学園の内外をとわず職員としての品位を保ち、学園の名誉を害し 信用を傷つけるようなことをしないこと」ってのがある。これは私はかなりや ばいんではないだろうか。だいたい保つべき品位を身につけてないしなあ。 「特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治的教育その他政治的活 動をしないこと」ってのもあって、これは「学園の内外をとわず」がないから、 おそらく就業時間内に限られるんだろうなあ。あ、政治活動一般じゃなくて 「特定の政党」を支持することだけはだめだってことかな。 「特定の政党」が ほんとに特定されてたら笑えるな。「特定の政党は別に定める」とか。そんな ことはない。まあなんにしても、教員個人の言動にあんまり責任感じられるの は困るよな。

twitter。「最近〜という言葉を使った人」とかの検索もできるだろうに、 そういうこともしないというわけだ。

そういやこの前の宴会無断欠席した教員からどうやって6000円とりかえすか、とか。 面倒。でも金は大事。

真面目にいろいろ。苦しい。だめだめ。


2007/04/27 (金)

朝から。

質屋で見かけた腕時計が欲しいと思う。買ってしまうかもしれん。

オリジナルBLマンガ(いわゆる「オリジ」)とかの最大の欠点のひとつは、 たいてい調査と書き込みが足らんことだ。「かっこいい人」という記号だけで なく、主人公たちがなにを身につけ何にこだわっているかぐらい書きゃいいの に。セックスシーンはファンタジーでしょうがないとして、他の部分までが単 純化されてしまっている。たとえば、たんに「高級なスーツを着ている」とい う記号を流通させるだけで、それがどういうもんか描くことができてない。私 はそういうはよく知らんが、ダンヒルなりアルマーニのスーツを着て、ブルガリなりカルチェの時計をつけ、 とかそういう細部が必要なはずなんだが。なんらかの知識が増えない漫画は価 値が低い。

4回生に卒論に向けてのWORD講習会。スタイルとアウトライン。 大学のWORDのバージョンがあがっていてよくわからん。 それにもうちょっとちゃんとした教材を作っておくべきだな。 でもWORDの本質的な使いにくさってのが気になる。

金曜日はしんどいな。

赤林朗編『入門・医療倫理II』勁草書房をいただく。 実はぜんぜん医療倫理と関係ない「倫理学入門」な力作。特にメタ倫理については 日本で今手に入る唯一の入門書のはず。すばらしい。でもなんか 全体に英語の翻訳を読んでいるような文体ではある。

百万遍研究室の新歓二次会へ。けっこう取られる。 学部学生ごときの二次会に「門」を使うのはどうかと思うのだが、 まあ恩義があるから払っておく。もう20年以上新歓か予餞会のどちらかには 出席しているのだなあ。あっというまに飲みすぎる。


2006/04/27 (木)

なんとか起きて朝から。眠いだけじゃなくて調子悪い。なんか吐き気(二日 酔いではない)。人生は苦であり病は苦である。人生の苦の多くが煩悩を捨てることによって 避けられそうなのはわかるが、病や老いはどうするんだ。

だめ。百万遍休講にしてしまう。家に帰りつくなり寝込む。キーボードを打つどころか、寝返り打つのもしんどい感じ。ひとによっては「金縛り」と呼ぶかもしれん。もうちょっとで連休なのに。健康管理はプロの基本。 すみません。

世間はホリエンモン拘置所から出所とか。平和だ。ピース。


2005/04/27 (水)

早起き。朝から。五条の自家焙煎している喫茶店でコーヒー豆を買ってみる。 悪くはないが小川珈琲のブルーマウンテンブレンドがよかったなあ。

小さん、「千早ふる」「御神酒徳利」。

うちには歴史的事情から光とISDNの2本の電話回線が来ている。 これ「ひかり電話」とかで1本にまとめることができるのかな。NTTに相談しよう。 っていうかもう電話いらんし。

3回生ゼミ。

教授会。

「黙祷」とは「無言で神や死者の霊に祈ること。」(大辞林) 「無言のまま、心の中で祈祷すること。」(広辞苑) 「無言のまま心の中で祈ること。」(大辞泉) であり、「祈祷」とは「神仏にいのること。」(広辞苑) 「神仏の加護を願い、言葉によって除災増福を祈ること。」(大辞泉) なわけだが、なにに祈ればよいのかわからない。祈る対象を持たない祈りというのは 可能なのだろうか。無神論者は他人の死に対してどういう態度をとればよいのか。 わかっているのは、本心でない祈りは(概念的に)不可能だということだ(ハックルベリーフィン→ネーゲル)。

米朝の「天狗さし」。江戸前の有名な咄ならだいたい本で読んでいるわけだが、見たこともない珍しい話。

岩波新書で『ワーグナー』『J・S・バッハ』『モーツァルトを聴く』。

ビールがまずい。なんかアルコールの分解がどんどん苦手になってきているような気がする。やばいので早寝。


2004/04/27 (火)

授業。

NHK BSの「ベルバラ」特集、よくできていて感心。


2003/04/27 (日)

朝帰宅して寝る。やばい。

無能無能。いろいろ自己反省。


2002/04/27 (土)

午前中大学へ。なんで事務的なことをちゃんとできないのか苦しむ。苦し んでいる間に手を動かせばいいのだが、その手が動かない。苦しい。まあ、そ の対象のケアをする優先順位が自分の中で非常に低いということなのだが、そ れならこれほど苦しむことはなさそうなもんだが。うーん。

夕方ジョギング。

やるべきことは山積みなのだが、毎日息がつまる感じで生活していたので Le Club Jazzでライブでも。と、もひとつな感じ。ここはスクールもやってて、 そこの先生たちを出演させて客を稼いでいるのだな。逆か。ライブやるとこは 客の確保が一番大事だろうから、そういうやりかたもアリだろう。練習したいな。

初めてDVDプレーヤーを使ってみる。 鈴木清順の『夢二』。ダル。


2001/04/27 (金)

早朝から研究室で授業準備。午前中講義。

忙しい。

ちょっとしたことも、perlではなくrubyを使って書くよう努力することに。

#!/usr/local/bin/ruby
# 2001/04/27 → 2001/04/27 (金)にするフィルタ

require 'date'
DAYNAMES = ["日","月","火","水","木","金","土"]
while foo = gets
  if  foo =~ %r+(\d\d\d\d)/(\d\d)/(\d\d)+
         year = $1.to_i
	 month = $2.to_i
	 day = $3.to_i
       if Date::exist?(year, month, day)
	 d = Date::new(year,month,day)
	 foo.sub! (/(\d\d\d\d)\/(\d\d)\/(\d\d)/){"#{$1}/#{$2}/#{$3} (#{DAYNAMES[d.wday]})"}
       end

  end
  puts foo
end

うーん、かっこわるい。しかし、日本語の問題を自分で解決しているように 見える。入力はJIS、スクリプトEUCなのにちゃんとJISで出力してる。うーん。

名古屋大から『成長するティップス先生---名古屋大学ティーチングティップス』を献本してもらう。某講師が口をきいてくれたのでなければ、「貴ホームページで紹介」したので送ってくれたらしい。このティップス先生のページ。去年の4月にここからリンクしてるのを探知されたのか。ひゃー。まあ、少し教授法について勉強しろってことだな。はい、連休中にでも。


2000/04/27

8時起床。忙しい忙しい。

昼休み、サークルのバンドが大音量出してる。いいなあ。

スペリオールはおもしろいなあ。


1999/04/27

なぜか6時前に起きてしまう。じじい。軽くジョギングしてシャワーをあびてグレープフルーツジュース飲んで飯作ってゴミ出して。やー一日が長い。

共用コンピュータの倫理

MacとかWINDOWS 98とかってOSを使っているコンピュータとかってものを管理するってのは難しいものだ。問題は、デフォルトの設定とかを誰でも変更できるということにある。

ケーススタディー 1

ある研究室の例をあげよう。その研究室では、数台のコンピュータに1台のプリンタを繋いで運用していた(それを接続するのにもかなりの苦労があったのだが、それは今回のケーススタディーとは関わりがない)。そのプリンタの調子が悪くなたことがあった。事実上のその研究室のコンピュータ管理者(というより、その技術力と好奇心のために管理者役を押しつけられている)ジョンはしばらくの間それに気づかなかったが、その報告を受けるやいなや、より上層部の人間に申請し、新規にネットワーク(TCP/IP)対応のポストスクリプトプリンタを導入した。

ジョンはもちまえの技術力と好奇心によって、難なくそれを接続し、古いプリンタを破棄し、新しいプリンタを各コンピュータのデフォルトの出力先にした。ここまでは完璧である。彼はある程度古き良きコンピュータ文化に触れていたので、インテリジェントなプリンタにはインテリジェントな名前をつけるという伝統を継承することにした。しかしジョンは、それをその名前をユーザーたちに周知することを失念してしまった。

その後、何者かが端末の設定を変更してしまったために、一般ユーザーはそのプリンタの名前を知ることができないという事態におちいり、ジョンがシステム異動の周知を徹底しなかったことに対して激しい非難を行なうことになった。はたして彼は道徳的に非難されるべきであろうか。

考察

  1. 共用コンピュータの管理は難しい。まず明らかにしなければならないのは、 管理の責任の所在である。当該の研究室において、誰が管理をするかということは決定されていたのだろうか?もし研究室のその他の共有物・行事の運営責任がはっきりしているのとすれば、コンピュータ管理の責任の所在をあきらかにしていなかったのはなぜか。
  2. WINDOWS 98やMac OSのような、管理者がはっきりしないOSにおける 管理はいかにあるべきか。
  3. 管理者がユーザーに周知すべき項目はなにか。
  4. 単純な過失はどれほど責められるべきか。

付録: 管理者能力数テスト


1998/04/27

早起き。高槻。

午後、柏原。実質1回目なので、私語との格闘。あんなにでかい教室だとなかなかむずかしい。それにしても、なんだって友達と授業に出席して隣に座るんじゃか。

帰りに将棋会館に寄ってしまう。●●●○。不調。というか、はっきり力が3級から落ちている。ぜんぜん勝負形にならん。

電気を止められる寸前(本気だったようだ)で、京都駅前まで行って払いこむ。

夜、軽くジョギング25分間。『ターザン』入手。本を読んでも腹がへこむわけではないのはわかっておるのじゃが。

qmail + procmail

qmail + procmailでメールのふりわけ再開。ちょっと悩んだのだが、~/.qmail-fooとかに

| /var/qmail/bin/preline /usr/local/bin/procmail
とフルパスで指定するのがコツであった。procmailに送ったのはデフォルトで/var/mail/$userにセーブしようとするのがこまりもの。とりあえずフィルタから漏れたものは~/Mail/inbox/.にセーブするようにした。

ベジ

ベジタリアンを目指す者が、うどんだの煮物だのと ふつうの和食を目指すのはなんだかまちがっているような気がする。そういう料理は、ふつうにダシを使うことを前提としているじゃろ。

ダシにも動物性のものを使わないような特別な食事は「精進料理」とか名前がついて、特別なレシピがあるんじゃないだろうか。

もっとも何についても「それには正しい方法があるはずだ」と思いこむ私は因襲的で冒険心がないのかもしれない。

天然コケッコー

くらもちふさこの『天然コケッコー』は少女マンガ様式美の最高峰の一つと言えるんじゃないだろうか。プロット、画力、ディーテイルと言うことなし。100点。1〜5巻を読んだ。つづきを早く読みたい。

お涙頂戴

というわけで、某沈没映画はぜんぜん楽しめなかった私だが、授業でポロっとその話をしてしまうと、「いや、あれはよい映画だった」という反応がけっこうあった。むう。

ちなみに、私が泣かされた/泣かされそうになったお涙頂戴ベスト5。

こうしてみると、人が死んでいるのは2/5。必ずしも人を殺さんでも泣かすことができることがわかる。

Black Music Review

とかいう雑誌を立ち読みして、P-FUNKのダンス曲のベスト5だかにBootsyの"Body Slam"が、Funkadelicの"Knee Deep"などと並んであげられていたので、しょうがないのでBootsyのベスト盤を買う。アルバムには未収録なのだ。Bootsyの他のアルバムはほとんどそろえているので、まったくその1曲のために買ったのだが、ぜんぜんダメじゃん。もうあの雑誌は信用しない。(もっとも、これまでも買ったことはないが)

こういう小さな信用から雑誌というのは買われたり買われなかったりすんじゃな。

ちなみに、私のP-FUNKダンスベスト5は

  1. Flush Light / Parliament
  2. Funketelechy / Parliament
  3. Knee Deep / Funkadelic
  4. F-Encounter / Bootsy
  5. Love Anastasia / Parlet

これでお尻が動きださないひとは、マインドが十分フリーになっていない。


1997/04/27

(☆☆)

素敵な天気なのでやはり一人で散歩。今日は蹴上から北上コース。他によく使うコースは、鴨川・河原町コース、中京区コース、岡崎公園1周コース、円山公園1周コース、建仁寺コースなど。よいところに住んでいると実感する。

これから初夏にかけての季節はほんとうに好きで、ひとりでぽちぽち歩いているとなかなか充実感がある。まあ、1年中人生や生活苦について考えているわけにもいかない。

授業の関係で、ちと疫病などの歴史について調べる必要があったのだが、NHKブックスの立川昭二『病気の社会史』が非常におもしろかった。ちょっと古いのだが(1971年)、33刷もでているだけあってなかなかの名著だとおもう。病気(特に疫病)と文化の相互関係がわかりやすく書いてある。私のような商売だと、どうしても社会の歴史ぬきで思想を理解しようとしてしまうのだが、アテナイの疫病とペロポネソス戦争とそのあとのソクラテス・プラトンとか、ペストのあとの近代ヨーロッパ社会とか、結核と産業革命とか、コレラと明治とか。

この手の本を読んでいると、いつもは感じない奇妙な感覚にとらわれる。

うまく書けないのだが、まずは、単にsurviveするだけでたいへんな作業なんで、うちの先祖さまがsurviveできたのはまったくラッキーだった、とか。 (こういうのから宗教的感覚ってのは生じるんだろう。私自身はあんまり、単にsurviveできるかどうかっていうレヴェルでの「生」や「死」を考える機会がないから、ちゃんとした哲学・倫理学者にもなれないし、ちゃんとした宗教的感覚ももつことができないんじゃな。どうしても「生」といえば、とりあえずしばらく生物的に生きてられんのは自明(?)の上で、「どういう生がよい生か」とか、「生きるに値する人生とは」 :-)っていう(その程度の)問題としてとらえちゃうもんな。しかし人間はずっと、もっと基本的なレヴェルで脅かされてきたんだもんね。むう、ワタシはほんとにそこらの感覚鈍いな。しかし、考えてもいないことを「考えてます」って顔すんのもちょっとあれだしな。むう。「♪戦争を知らずに〜ぼくらはぁ育った〜」なんて歌そのものがもうなんだかよくわからんし。)

そして、ペストやコレラで死ぬことを考えたら60でガンで死ぬってのはそれほど悪くないな、とか。人間ってのもネズミと同じで、ほっとくと増えたり減ったりするもんなんでそれが「自然」だ、それにしても人類の回復力ってのも馬鹿にできない、とか。こんなに大量の人間が苦痛を味わうってのはひどいことだ、とか。現代日本ってのはそんなに悪い場所じゃないな、とか。まあ、いろいろ考えるためにもとりあえずsurviveしなきゃね。

(☆☆)

そういや、全然関係ないけど、エヴァンゲリオンってなかなか人が死なないのね。映画ではなんとかっていう基地のひとが大量に殺されてたけど、見てるひとが感情移入する程度の人々は死んでなかったし。つまり、あそこで大量にころされているひとはひとではない。

「ガンダム」で、重要そうに見えるひとが、宇宙空間でいとも簡単に死んでいったのとは対照的だよな。ガンダムでは、簡単に死ぬわりには暴力表現はあまり目につかなかったと記憶している。白兵戦は、あたかも殺陣を見ているようだったし。

エヴァンゲリオンにあるのはひとの生き死とそれに対する反省じゃなくて、どこかで聞いた実感のこもっていない言葉と、かなり質感のある粘液と暴力と殺意そのものなんだもんな。(いや、もちろんそれがいいんだろうけど)。「忍びがたきを忍び、たえがたきを耐え、さいごには爆発」ってのは力道山以来(もっと前からか)の様式美ではあるが。むう。いや、エヴァンゲリオンでは「耐え」ているんじゃなくて、おいつめられて暴走しているだけか。ガンダムよりずっと生理的に刺激があるよな。

こんなこと書いていながら、ペルーのことは忘れてるんだから。いやはや。いかんわ。連想書き殴り形式は人間の底が見えてしまうな。


1996/04/27

楽しく読んでいた:-) 痴漢常習者のOME氏のホームページが 閉鎖されていた。正確には 出版社への抗議文が残されている。 どうも、本人の意に反して雑誌にURLを載せられてしまったらしい。

このページはリンク自由だったはずだが、印刷物への掲載は拒んでいたらしい (そういう記述には気づかなかったが)。 まあ、危ないページではあったので、それもしかたないかも。いろいろ考えさせられるな。