0420の連用日記


2023/04/20 (木)

配信講義。


2022/04/20 (水)

3回生ゼミ。会議。いろいろ相談。缶ビール3本飲んでしまう。もう糖尿の恐怖を忘れつつある感じ。あすけんでがんばってはいるのだが、体重もあんまり減らない。


2021/04/20 (火)

2、1、4回生。4回生。空き時間にプール。

大阪周辺のコロナがやばい状態なのだが、1、2回生、特に2回生は対面でやりたいという声が強い。まあそうだろうねえ。2回生のはメディアリテラシーということにして、Spotifyのプレイリストをつくって遊んだりしている。まあゼミは教えるというよりは私自身がいろいろ発見したりするところを見せないとならない。4回生はこの時期は個別に話をした方がよい時期なので、オンラインで時間かけてだらだら卒論テーマ相談会。時間的余裕がないと相談にのれない。


2020/04/20 (月)

まだ事務系の仕事。ゼミではやはりテレビ会議みたいなのしないわけにはいかないだろうとZoomのテスト数回目。時間をかけて学生様にぼちぼち使ってもらう。オンライン読書会。学生様との面談もZoom。

あっというまに夜。


2019/04/20 (土)

迷ったが応用哲学会へ。今回はどれもわりと楽しむ。特にシンポジウム「ポピュラー哲学」はおもしろかった。原田まりる先生活躍。 実は弊社の学生だったことがあり、個人的に何回か相談みたいなのに乗っている。まあこんなえらくなるとは思っていなかったが、やりたいことがあり、強い意志をもっている人は成功するわけよね。

途中、いつものように「哲学業界とジェンダー問題」みたいになったのだが、私はそれがどういう問題なのかやっぱり十分に理解していないようだ。応哲でも時間とって大きめのワークショップやってみるのいいだろうと思う。全員参加のシンポが向いているかどうかはわからない。 まあそれにしてもジェンダーまわりの手癖みたいなコメントはだめね。ああいうのとはもうかなり距離をとらないとならない。

この学会では何回か修士の人に厳しめの質問してしまってあとで反省したりてるんだけど、正直なところ、修士で発表する場合は指導教員と十分に相談してからの方がよいと思う。というか、指導しないで修士に学会発表させるのとてもよくないのではないかと思う。ふつうの学会だったらちゃんと相談してから、指導教員と連名とかで出るわけだし。


2018/04/20 (金)

ジョギング。講義。昼学食、夜レトルトカレー。散歩。なんだか歩きすぎ。

イヤホンを新調。ジョガーに人気のJaybirdというのにしてみるが、音も装着感もよくない。使いかたがおかしいのか。


2017/04/20 (木)

起き抜けから苦しむ。

講義2個。人数多くてなかなかむずかしい。部分的体調悪いままで授業なので、ちょっといらいらしてしまう。

夜コンソーシアムへ。こういう雰囲気の会合は久しぶりだな、みたいな。まあ勉強させてもらおう。


2016/04/20 (水)

3回生。会議。夕方軽食をとるととんでもなく眠くなり、寝袋で3、4時間寝てしまう。Zumbaかジャムセッションに行くつもりだったのにどちらにも行けず。なんとか起きて帰宅。さらに寝る。


2015/04/20 (月)

非常勤ハシゴの日。そんなする必要はないのに。

今出川大学ははじめて学生様の本拠地を訪問したわけだが建物内部が広い。地下鉄の駅とも連続していて、なんとも都会な感じ。

衣笠はまあ昔ながらの感じ。

研究室戻るのにけっこう時間がかかる。京都の街の対角線を移動するわけだからな。おそらく月曜はそのまま帰宅してしまうべきだろう。あるいはジムに直行するか。

軽くプールに。各曜日の暮し方というか時間の使い方を考えねば。


2014/04/20 (日)

寒くて調子悪くてつらい。早寝。


2013/04/20 (土)

応用哲学会。

ちょっと飲んだだけなのに苦しい。


2012/04/20 (金)

寝坊してあわててスライド作り。やっぱりスライドの方が眠くならないだろうし。

3回生。

雑用。やっぱり1日1時間以上とられる。

千葉に移動。


2011/04/20 (水)

今日も寒い。3回生ゼミ。 『人間関係のダークサイド』読んでる。 会議。授業準備はあえて自転車。


2010/04/20 (火)

雨。調子悪いまま1回生2回生講義 会議。死ぬ。


2009/04/20 (月)

眠い。でも朝はよい。

衣笠。

そういや数日前にgoogleとの和解についてとかって手紙が来て おどろいた。私とgoogleが間接的にしてもなんか関係をもつなんてなあ。


2008/04/20 (日)

朝ゆっくり。午前中三条で買い物。コーヒーとかRhodiaのNo. 12とか。十字屋は CD売り場縮小していてたいへんそうだ。昼前出勤。

日曜日は準備の日。うーん、時間が。

ベンサムもフランクリンと並ぶ元祖ハッカーの一人。フランクリンがライフハッカーなのに 対してこっちは社会ハッカー。まあ生活もいろいろハックしてたろうけど。

ふと、学生さんがノートとれないのは、 先生が偉くなくなったからではないかということに気づいた。 そりゃ、わざわざ一言も聞きもらすまいとメモとるほど偉い先生はおらんわな。 言ってることも本に書いてある、検索すりゃ出てくる、とかって感じばっかりだし。 その先生しか知らないことなんてのはほとんどないと思えるのだろう。 そうかもしれんな。 口頭で伝えられる情報の重要さがよくわからんようになっているわけだ。

気付いたら昼飯食いそこねていた。

昼飯食いそこねてしまった。


2007/04/20 (金)

朝から。

やおいとかBLとかについて色々考える。BLものと言われる作品の 独特の「狭さ」が気にいらんのだよな。「ラブ」が主題だからそうなる? 『日出処の天子』は名作だが、『風と木の歌』はそうではない。『ポーの一族』は微妙。 なぜか?

3回生勉強相談、 講義、 短大演習、卒論演習。 3回生勉強相談。よく働いた。っていうか今年は非常によく働いていると思う。 教育熱心すぎ。研究しろ。

肩凝り。昨日ちょっとストレッチして動かしたので楽になりつつあるが、 なんか定期的な対策が必要だ。コナミスポーツでエアロビやってみるか。 水に入るのはなんだか面倒。


2006/04/20 (木)

朝起きるが、早起きとまでは言えない。大学へ。 あと1時間早起きするべきだった。この1時間がけっこう大きい。 8〜10時より7〜9時の方がずっと価値がある。 午後1〜5時なんてのは早朝の2時間に比べるとゴミのようだ。なぜだろう?

というわけで某雑用が片づかず。

百万遍。

7時のニュースで韓国との領土問題を大々的にやってる。なんかこうはっき り敵対的な作りなのは珍しいな。まあ仲が悪いのをはっきり仲悪いと認めちゃ うのはありかなあ。国としての関係が以前よりずいぶん近く親密になってきた ってことなんだろう。これからいろいろ喧嘩していくんだろうなあ。

めでたく『生命倫理学と功利主義』が出版された模様なので宣伝しておこう。 編者と編集者が優秀でなかなか読みごたえがある本になったような気がする。 これによって京大まわりは邪悪な功利主義者が跋扈していると思われるかもしれんな。

今期のNHKラジオフランス語初級編はいきなり最初から飛ばしていて勉強になってしまう。雰囲気が硬いのがかえって新鮮だったり。ドイツ語はこんなものかな。

ぼーっとNHK見てると、演歌番組もアレンジの人とか 誇りをもって複雑なことしてがんばってるんだなあ。

口の中が気になる。舌と右ほおの裏に血豆ができている。 以前にも2回ほど舌にできた(すぐに消えたが)。口腔癌?ちがうか。ヘルペス? なんかやだなあ。


2005/04/20 (水)

陰。早起き。朝から。まず各種事務仕事から。

アフリカ人(ナイジェリア?)枢機卿がかっこよかったのだが。次回期待。

バッハのBWV500番台なかばのオルガン曲を攻める。ヴァルヒャ。どれも同じように聞こえる。というか「様式」そのものという感じがして、曲の間の差異とかそういうものを十分感知していないような気がする。音楽はつまり様式なのかどうか。おそらく対位法に対する注意が足りないのだろう。モツアルトを聞いてもベトベンを聞いてもそういう印象を感じることがあったりするわけだが、オルガン曲は特に。よく知らんが、ここらへんに古典派〜ロマン派の作曲家たちの調性感との格闘の萌芽があるのか。彼らは「うーん、こういうのも悪くはないけど、ちょっと退屈かなあ。もっと歌いやすいメロディーとか新鮮な和音使って、転調とかしたいね。」とか言ってたのかどうか。ピアノ曲はあんまりそういうの感じなかったんだけど、それはなぜか。あ、チェンバロで弾かれると退屈に感じるかな。

3回生ゼミ。例年のようにちまちま英語というか辞書のひき方から教える。 私が教えられることはこれくらいしかないし。

会議。今年は雑用多くてたいへん。っていうか書類の整理の仕方をおぼえないと ヤバイことになりそうだ。

研究系の日記群では某大金の行方をめぐって当たったはずれたと騒いでいる。有力日記作者が当ったと叫んでいるのが目につくのは、やっぱりそういうことをするくらいの余力がないとそういうものは当たらないということなのかどうか。私は今回は基本的に関係ないが、うっすら関係していたのは落ちたようだ。やむなし。

どうでもいいことだが、私がODのころから読んでいて、連続するアイデンティティを保って続いているのは某「禁煙日記」「はかもなきこと」「めいじてき」「仕切り直し」しかないような気がする。しかしかの日記作者たちも一時中断したり名前を変えたりしているから、実質的に私のこの記事群と同じアイデンティティの連続性を誇ることができるweb日記は日本中ほとんどないだろう。なんだか誇らしい。まちがいがあったら教示を乞う。

・・・いや、読んでないけど「のだなのだ」「じだらく」あたりが私より古い か。いや、もっとあるな。慢心はいかん。

と思って確認したら、一番古い日記は「ふと感じたことの〜」ではなく 「書き殴り」というタイトルになっていた。どっかで変更したのね。アイデンティティなし。 だめだ。

サークルは自分たちでMacをいじれるようになったようだ。

小さん「へっつい幽霊」。


2004/04/20 (火)

なんとか起きて出てくる。

心理的障壁がある仕事を片づけねば。

とりあえず障壁の一個を片づける。消耗。


2003/04/20 (日)

雨。昼前に起きるが、NHK将棋の時間が変更になっていることを 確認して飯食ってふたたび寝る。夕方徒歩で大学まで。少しは歩かねば。 急激に太りつつある。ちゅうか、内臓脂肪たまって腹が出てきているのが 許せん。

PowerBookにDVI-ADCアダプタつけて17インチディスプレイを接続。 キーボードとマウスも接続。 夢の2スクリーンMac。大学院生のころにMac IIかなんかで2画面を見て 感動したものだが、ついに苦節15年で入手、か。 しかしAppleのプロキーボードなるものは、感蝕がもうひとつ。 なんでキーボードにもっと気を使わないんだろうか。

自宅はFTTH + IEEE 802.11g (Air Mac Extreme)になる。快適。体感で研究室より速い。

そういや、昨日ひさしぶりに哲学ってどんなことかなんてことを考えたんであった。 ふと考えてみた架空の会話。

「哲学というのは、こう、21世紀を迎えて、さまざまな学問 を統合するようなそういうものですわね」
「(?) いや、あの、私は哲学ってのは そういうものだとは思ってなくて、そういう大きな考え方とかを吟味したり するもんだと思っているわけで、むしろもっと小さなステップを つみかさねたり、 むしろそういう野望のようなものを ひとつひとつ解きほぐしていったり反省するという作業だと思っていて云々」
「たとえば、文春が「なぜ人を殺してはいけないのか」というので 特集を組みましたが、あれはどうですか。」
「そうですね、あれはやり方によれば哲学や倫理学の題材そのものだと思います。」
「それで、それはなぜなんですか。」
「その前に、たしかめておく必要があることがあって、 「殺してはいけない」ってのの「いけない」ってのがどういう意味なのか ですよね。「いけない」ってのにはいくつか意味があるようで、・・・」
「はっきりとした答はでないんですか」
「(なんでここでさえぎるんだろう?) いやいや、そうじゃなくて・・・そういうのをはっきりさせていく作業だと思ってるんで、まず最初にそういう作業が必要になると思うんです。」
「それじゃ、倫理学ってのはいろんな立場を挙げるだけなんですか」
「いや、そうじゃなくて、一々吟味していく作業そのもので、 答の方は作業に比べるとあんまり重要でないといくか、まあ 言い方がわるいかもしれませんが、過程の方が重要というかですね」
「しかし、それじゃただ重箱のスミをつついたり、 屁理屈をこねたりするだけですか、わたしたちの社会ではそういうのはヘリクツというのですが」
「まあ、そういう言われかたをしちゃうとそうなんですが」
「ほう、ヘリクツですか、 それじゃ、赤ちょうちんで会社員がグチをいってるのと同じですなあ」
「はあ、 私は最初はグチみたいな会話もやり方によっては哲学になると思ってるんですが、 たとえば・・・今やっているような会話も哲学のとっかかりに・・」
「それは違うでしょう!!」
「うーん、そうでしょうか。 まあ、カント先生とかってひとは、哲学は教えられないけど 哲学することは見せられるとか教えられるとかそういうことを 言ったりしたわけなんですが、まあ、それはやっぱりやってるところを見てみるとか、 やってみるとか、 しかないと思うんです。ここでなんか題材があれば、いつでも哲学ははじめられるし、 実際のところ私はさっきからそれをはじめようとしているつもりなんですが。」
「それを一言で言えないんですか、キャッチフレーズを考えるとか」
「たとえば、そういうキャッチフレーズのようなものにしちゃうのが あんまり哲学してる感じじゃないんですよね。いや、それが必要なのはわかるんですけど。哲学ってどんな学問か、ってのに対して私自身は明確なイメージというかそういうものを もってるんですが、それをキャッチフレーズにしちゃうのは抵抗があって。もちろん私がピヨピヨだってのもありますしね。」
「もっとはっきり哲学とはなにかってことを言えないで、 いったい何を教えてるんですか。そんなことじゃ大学が生きのこることなんて できないです。ただグチ言ってるだけじゃないですか。会社ならクビですよ。」
「いやだから、そういうのでいいのかってつい考えちゃうわけですよね。哲学ってのはわりとそういう反社会的なところもあるような気がします。2000年も大昔の哲学者もよく大人に怒られたりしてたようですから・・・」
「2000年も昔と今とでは違うでしょう!!それじゃ哲学はなにも進歩してないんですか?」
「進歩していないといえば進歩していないような・・・」
「そうじゃないでしょう! 21世紀の問題の総合に向けて哲学は・・・」
「・・・」
「先生は、幸福ということについてお考えですか」
「はあ、まあ個人的にも人並には考えたりもします」
「いしいひさいちに地底人というマンガがあって、それでは 地底人は地上の人間よりも満ちたりた静かな生活をしているんですな。 さらにその先の地底ではもっと静かな生活を。なぜ現代社会は こんなに忙しく上辺だけの生活をしているんでしょうなあ。」
「まあ、まずそれが現代だけなのか、もしかしたら昔から 人間ってのはアクセク生きていたのかもしれないってこと考えてみる 必要がありますよね。それに、アクセクするのがほんとうに そんなに悪いことなのかどうか。 私の好きな話にカリクレス君がソクラテスさんに 反論しているのがあって、石の生活がなにが楽しいのかっていうんですね。 ・・・快楽こそが生であるというそういうので、私わりと好きなんですが・・私自身は」
「幸福の「幸」という文字の起源を御存知ですか」
「(なんだ、とつぜんだな) いえ、残念ながら。」
「あれは、人が縛られている姿を表したものらしいですなあ。云々」
「ふむ、おもしろいですね。それに、そういう語源とわたしたちの幸福の考えかたの 間にはどういう関係があるでしょうか、とても興味があります。どう思われますか?」
「・・・哲学ってのは、人の言ってることを批判したりするだけなんですか」
「いや、そんなことはないと思います。でも最初のとっかかりは 自分や他人の意見を吟味することからはじまりますよね。だから授業とかも テキストや資料読んだりすることからはじめます。なんにも ないところからは考えはじめることは難しいですから。」
「先生のオリジナルなものはないんですか」
「まあ、そういう批判作業をくりかえしているといつかオリジナルなものが出てくるんじゃないかと思いますが」
「人の褌で相撲をとるわけですか」
「まあ、そういう言い方をするとそうなるかもしれません。 私個人的には、他人の褌でもよい褌なら履いてみたいですね。」
「それでいいんですか」
「どの褌がよさそうな褌かを判断するのもたいへんなんで、 もし他のひとが履いた褌でもよければもらいたいと思ってます。他人の褌も 履きつづけたら自分の褌になるかもしれないし。 けっこう気にいっている他人の褌もあります。」
「そんなものじゃないでしょう! 学問のオリジナリティってのは、そんなもんじゃない! 他の先生はそんなこと言いませんよ! 」
「そうでしょうか。・・・私はピヨピヨなのでよくわかっていないのかもしれません」


2002/04/20 (土)

午後大学。夜久しぶりに梅田。北新地とかいうところで 飲む。蕎麦とか。別に女性がつくようなところに連れていってもらった わけではない。なるほどハイボールうまい。


2001/04/20 (金)

本務校での大人数講義2回目。やっぱり私語を罵倒してしまう。その前に、プリント配布なんかで、どうも全体がモタモタした感じで、こう、調子が狂って私がイライラしていたのが原因か。まだ修行が足らん。しかし、白黒つけておかねばならんのでやむなし。じきに私も向うも慣れることであろう。女子学生を罵倒するのは、やはりある程度のためらいがあるんだよね。まあ、どこの大学でも女子学生の方が態度悪いっていうか、最後までゴチャゴチャしゃべってるのは女の子のことが多いんだけどね。どういうことなんかな。ここらへんうまくマネージできないところが、長い塾〜予備校〜非常勤生活で女子生徒・学生からあんまり好かれない理由でもある。 (しかし、私も好きではないのしょうがない。)

科研費は個人で出したのは落ちた模様。無念。グループで出したのは通ったという噂。

午後会議。長時間かかる。

同じ銀行系クレジットカードが2枚届く。なんで?

夜スイミングスクール。腹を触ってみると、分厚い皮下脂肪の下に、腹筋もないわけではないことを感じる。むむむ。しかし、ストレッチはしても、腹筋運動するような人間にだけはなりたくないのだ。


2000/04/20

12時ごろ寝たら、6時前に目が覚めてしまう。

情コミ。さっさと終らせて勉強勉強。

夜読書会。


1999/04/20

NHKの例の番組など見ていたら、二日酔いで起きられず。

午後、図書館にサンデルの顔を見に行く。

夜スイミングスクール。


1998/04/20

自分が人間の形をした別のものであることを再確認することがあった。

柏原。学生は220人を越えている。教室にはいりきらないので授業はせず。抽選して数を減らすべきだったかもしれない。次は300人収容できる大講義室でやることになるであろう。去年もつかったところだが、苦手なんだよね。そんなに広いと、講師と学生の空間的な距離がありすぎる。どうしても私語しちゃう奴もまぎれこむし。だいたい、自分自身そんなところでやっている授業を聴いたことがないぞ。


1997/04/20

ひさしぶりにゆっくり起床。それでも午前中に目がさめるようになっているのだからたいしたものだ。しこしこレジュメ書き。

この前、飲んでいるときに気づいたこと。今年私は1000人を越える学生に教えるらしい。


某教育大 250某薬科大 50+50+50+50+150某短大(哲学) 40某短大(英語) 50+50某大学(倫理学) 100+100+100某看護学校 50

もっと増えるのは確実。ひー。

これに対して収入はならすと税こみで1月40万には届かないだろう。ちと計算してみる。おおざっぱに月収40万で1000人を教えると仮定すると、1人あたり400円。授業1回100-200円ぐらいか。(常勤だとノルマは週5〜10ぐらいか?)

これに対して、たとえば某大学の授業料を90万と仮定すると、15コマ出席することにして1コマあたり年間60000円。30回授業があると想定すると授業1コマ1回2000円。むう。私は1割ももらえていないのだな。

やっぱり非常勤ってはワリにあわないんだなということを実感してしまった。やっぱり職をさがさねば。(いままで実感がなかったし、自分の身分についてまじめに考えたことなかったんだよね)

以上の事実からの暫定的洞察


1996/04/20

去年よく遊んでいた子と飲む。学生の頃はうだうだ言っている子だったが、就職したら明るくなっていた。やはり、ラッセルの『幸福論』やシンガーの『我々はどう生きるべきか』で主張されているように、ひとは自分の内面をのぞき込むより、外界と関わりを持った方が幸せになれるようだ。キェルケゴールのように「自分自身を反省する」道は、幸福につながる道ではない。(もちろんキェルケゴールはこのような意味での幸福が重要であるとは考えていなかっただろうが)