翻訳。
練習。ツーファイブのフレーズなんかはおぼえきれない。夕方ジョギング。
土曜日はメンテの日。
定位置の鍵のありかがわからなくなり、家と3往復してしまう。
落した図書館の本を警察署にとりに行く。
雨。禁煙3日目。
3回生、会議(長い)。7時前に帰る。
長時間睡眠。
1回生と2回生ゼミ。今年は3コマ連続は避けるようにした。
ツイッタに余計なことを書いていわゆる「怒られが発生」しているようで反省。もう好きなこと書いてる年齢じゃないんよね。性格や考え方はもう変えられないとしても、人から怒られたり嫌われたりすることは慎しまないと。とにかく若い人々がやってることに口を出すべきではない。
それにしても学会とか研究会とかけっきょくどうつきあえばいいのかわからなかったね。最初からわからなかったし今でもわからない。人の話を黙って聞いてられないとかおかしいわよねえ。
前夜というか朝方まで後遺症で苦しんだのに、起きてからもさらに苦しむ。けっきょくなにも手につかず、夕方までほとんどなにもできず。夕方には落ち着く。今週後半から授業する予定だけど大丈夫かね。
夜、やっと落ち着いたので、久しぶりにプールに。30分ほぼ歩くだけだが、順調に回復はしている。
また夜中のうちに目が覚める。
仕事しないと。とりあえず4月分の授業準備。昼なんか息ぐるしくなってだめ。プールへ。
午後はわりと落ち着いて勉強。
早起きしたのでジョギング。やはり体動かさないと。走っているあいだは大丈夫だったが、大学に行くころには雨。
2回生向け講義。履修がうまくいってない学生様たちの相談とか。
大学教員としてはかなり真面目に働いているのに、業績があんまりあがってないこととかを理由にいつも罪悪感を感じている、みたいなのはおかしなことだ。そういうのはやめるべし。
ジョギングは新ルートを開拓してみる。鴨川を九条から下がる。鴨川南コースと名付けよう。あっというまに街中からいかにも高速道路が上を走ってたりする「都市郊外」という感じになる。空が広い。若干走りにくい箇所があるのが残念。そういう部分があると走行瞑想ができないので気合のあるときしか走れない。なにも考えずに走れるのが理想。
まあこういうことをすると自分の行動レパートリーが非常に狭いことを自覚する。レパートリー拡張をおこなえる時期は1年のうちほんの一瞬。
午前中読書。おもしろくなってきた。
午後天気のせいか調子悪くなり散歩。
3回生。 会議。
1、2回生。
雑用雑用。他人に仕事をまわすことをおぼえなければ。
暖かい。というか初夏。
授業を一つすっぽかすところだった。
昼散歩。
『学習性無力感』読んでなんかいやな気分になる。精神衛生に悪い。 でも心理学って分野はちゃんと実証研究の積み重ねがあっていいなあ。
講義。 4回生ゼミ。
あれ、今年度は明日も授業あるのかな。 まあとりあえず寝るしかないな。
進歩と発見。老年にさしかかりつつも日々発見し進歩するということは、 その人間のなんらかの遅れを示している。
ニーチェ風。なんでも最初イタリックにするか傍点を打ち、文末に感嘆符を加えるならば、われわれは ニーチェ風を得ることだろう!
うーん、ぜんぜんだめだな。
朝飯食えず。夕食は9時までに済ますべきだ。
「前期授業を中止する」。なんか盲点にはいってて笑える。
あやや、ミス1件。うーん、だめだ。もっとちゃんと手配しておくべきだった。 ちゃんと仕事するって難しいなあ。
なんかまた目がしょぼしょぼ。集中力がなくて余計な動作ばっかり。
1回生必修。疲弊。
百万遍。教室から溢れてるのはこの時期のこの大学の恒例。どうにかすりゃいいのにね。 それが百万遍クオリティ。
書くまでもないが、逃げ隠れするリレーとかってのは なんか目的と手段関係が転倒している気がする。自己破壊的っていうかなんというか。 スポーツの人々はそういうの気にならないのかな。
西村光子『女たちの共同体』社会評論社。資料としておもしろかった。 なんか当時の文章に頭がぐらぐらする。なんというか、あんまり明晰でも論理的でもない どろっとした情念がきつい。リブ運動の奇怪なところについては、西村先生も いろいろわかっているところもあり、まだどう考えていいのか わからんところもあるようだ。なんというか、特定の「ひと」に べったりくっついているところが大きいんだなあ。私が「読めないよなあ」と 思うリブ文体ってのは、やっぱり田中美津先生がつくりだしているようだ。 なんというか、人々をからめとってしまうような危険な文体ってのがある。 でも80年代後半からの学者たちによるスカしたフェミニズムなんてより リブの方が「生きられた」感じはするわな。lived experience。 まあリブ新宿センターの資料も出るって話だし、そろそろリブ運動を 回顧したり総括したり称賛したり批判したりする話が読めるように なるだろう。いや、関係者があれしないとわからないかな。それだとあと20年ぐらい かかるか。
早起き。朝から。講義。
階段で顔を蒼くしてお腹をかかえてうずくまっている女子を発見。 「どうしたの?」と声をかけ「気分が〜」てなところでちょうど気の利く大学院生が 通りかかったのでまかせる。みんな横通ってるのに放っておくんだもんなあ。 年度はじめだから上回生は気をつかえるようになってほしいのだが。
会議。2回生ゼミ。どういうわけかバンドガールと弓道ガールがたくさんいる。
いったん帰宅。まだ出てくる。だいたい今年の方向性が決まった(遅い)ので 授業準備。
「留年」と学生を追いつめて自殺の原因になって懲戒免職。 まあもともと問題ありそうな人だったようだが、 ふつうの大学の教員が単位とかを武器にして 追いつめるのはやっぱり問題があるよなあ。ストレスをかけるんじゃなくて もっと別の方法で発展してもらわねばいかん。鞭ではなく飴、とかそういうんではなく。 もっと内発的ななにか。アカハラという言葉がない時代が懐しい。
http://www.nii.ac.jp/news_jp/2007/04/300niigoogle.shtml。 Googleやるなあ。っていうか、NIIは生データをそのまま出しゃ誰でも使えてよいのではないか。Googleに限る必要あるのかな。 とにかくこうして無能な大学教員は淘汰されていく・・・生き残れるのかどうか。
あら、emacsビルドしなおしたら動きがよくて気持ちいいぞ。なんか パッケージに乗りかえてから気づかぬストレスがあったようだな。MacBook Pro欲しい。
プリンスの「シンボル」は名作だなあ。なんか久しぶりに聞いたが、 アルバムとしての完成度はPurple RainやLovesexyと並ぶか それ以上だと思う。 マニアの間ではSign of the Timeが最高によい、ということになっているようだが、アルバム単位なら評価は違うんじゃないか。
この時期は一年に一回だけ「哲学」ってものについていろいろ考える時期。 (倫理学とはどういう学問かを軽く説明するときに哲学の説明も必要になるから) 正直なところ、自分は倫理学やっているという感覚はあるのだが 哲学しているという感覚はかなり薄い。認識論や存在論、意味論といった「哲学」の コアな部分についてなんの見識ももっていないからだ。
まあ道徳の哲学をやっている、 なら大丈夫か。しかし広く「哲学」というと、いったいなにが哲学なのかは いろいろ考えちゃう。私にとっては「考えることを考える」あるいは、「せめて だめな考え方を見分ける」のが哲学で、これは譲れないところ。哲学ってのは 基本的にはネガティブな営みであると思っている。哲学の ポジティブな部分は他の学問を自称するようになってしまった。
でも「哲学」っていっても人によっていろいろだよなあ。 感じない先生のように考える人もいる。
じゃあ、哲学者とは何かということになるが、まずその一般的な答えはないと思う。哲 学者と詩人は、自称すればそれでOKというのがkanjinai説。(ただし自称するのに勇 気がいりますけどね)。いまの私はどう考えているかというと、遠く古代のギリシアの 哲学者たち、アジアのほうでは古代インドの哲学者たち等々を源泉として、そこに各地 の哲学が合流し、混交し、泡立ち、そして様々に分流して、何十世紀を経ていまここの 私へと到達して私の血肉となってしまっているこれ、これが哲学であり、この私が哲学 者である、というふうに感じている。この圧倒的な伝統の先端に私は位置しているとい うこの生々しい感覚こそが、哲学者のリアリティなのだろうと私は思う。 http://d.hatena.ne.jp/gordias/
私は勇気のあるなしと関係なく哲学者を自称することはできないのだが、 哲学という巨大で圧倒的な流れの末端(先端ではない)にいるという意識はある。 同時に、そういう意識を常に疑わざるをえないとも思う。 私にとって古代ギリシアの哲学者の多くは 哲学者ではないし、御釈迦様も哲学者ではない。 私にとって哲学者とはアイディアを生む人ではなくではなくそれを批判する人。 私はソクラテスやアリストテレスの流れの末端であるが、御釈迦様や孔子様や孟子様の 弟子ではない。イエスの弟子でもない。
たしかに感じない先生の理解では誰でも自称すれば哲学者だろうが、私の理解では一部の 人々だけが哲学者で、自称哲学者は多いが哲学者は少ない。それは訓練を必要とする。 (でもまあ「哲学」について二つの派閥が常にせめぎあっているのは理解しているつもり。問題は、感じない先生がそれを意識しているかどうかだと私は思うのだが。) 上の文章を見て、ああ、根本的に違うのだなと思った。でも感じない先生は 常に正直で、よいと思う。物書きとして尊敬に値する。
あら、名人戦が黒郷田と黒森内の出現でもりあがっているようだ。 ボナンザ二台ならべてもさすがにそういうことはできないからな。 昔から思っていたのだが、郷田はいずれ一二三二世を襲名するべき棋士になると思う。
なんとか早起き。雑用。学校をかけまわりごめんなさいする。
授業開始。衣笠。
中公新書の小林標『ラテン語の世界』おもしろいな。ちゃんとした学者ってのはよいものだ。
久しぶりにテレビ将棋を見る。花曇り。鴨川は今日もなごやか。
午後から大学。授業準備が。
時間がないときにどうやって当面無駄な読書の時間を見つけるか、ってことが これから10年の問題。
NHK FMでハイドンとか聞くが、音楽史的には巨大な人物だよな。ソナタ形式 とか完成したのはモーツアルトやベートーベンってよりはこの人なわけだし。 なんで人気がないんだろう。答。退屈だから。いろんなところに文章書いてる オーボエの茂木って演奏はちゃんとした人だな。
うわ、延々昼寝してしまった。
いい天気だが、ドロドロに寝て夕方近くになってから出てくる。日が長くていい。
午後、免許の更新、ではなく、半年近く前に失効しているので再取得。私は運転初心者ということになる。なんだかなあ。
NHKでバットマン(「ドクターフリーズ」)を観てしまいよくできていると感銘を受ける。こりゃ名作だね。ジョーカーのもペンギンのも好きなのだが、フリーズもいいねえ。バットマンはまさにアメリカを体現していると言えよう。しかしこの時期バットマンシリーズとは、NHKもシャレがきつすぎ。よっぽどシャレのきつい奴が番組制作係にいるな。
うう、本務校では今日から授業がはじまると思っていたのだが、明日からだった。
非常勤先では、教室から人が溢れているのですぐに終了。うーん、それでいいのか? 200人を越してるな。あーあ。
スイミングスクール。バックの練習。体操での腹筋が効く。ってことは、衰えてたんだな。腹が出ているのはそれが原因か。
午前中某事務仕事。IBMのノートのケースが一部破損しているので修理に 出す。移動中雨。午後新入生のための「コンピュータの使いかた」1時間半。
「他の授業に出る予定だったのですが、先生の演習に出さしてください」 とか。いろいろ問題は多い。
eguchi.satoshi@gmail.comあてのメールは結局、kiyomizu.kyoto-wu.ac.jp (全学メールサーバー) → (~/.forward) → pascal → (fetchmail) → montaigne.kyoto-wu.ac.jp という迂遠な経路をたどって読まれることになっ てしまう。
なるほど。ティップス先生 はなかなか参考になる。細いところまで気が利いてる。やるな。
忙しい。1日があっという間に終ってしまう。午前中から活動していると、 夜はもう動けないし何も考えられない。うう。
キーっとなったので、あちこちのマシンの~/以下のファイルを一気に「1999」というディレクトリに移動したり、removeしたり。知らん。ふー、すっきり。
午後から。
夜まで。ほぼ終ったつもり。今回もみなさんの協力サンクス。
前日鬼のように早い時間に床についたので、無事早起き。生活のパターンを仕事モードにしなければならん。今日は授業あり。
CDデッキにひきつづき、今度はCDラジカセがつぶれた。音が出ない。しくしく。なんでこんなにモノは壊れるのか。
某大学の授業1回目。3回生配当の授業なので、学生さんの顔付きもちょっとかしこそうだ。40人弱。
金はないが、ふたたびCDを買い狂う。
アリーヤにはおもいっきりはまる。R. Kellyはえらい。
とにかく午前中に起きる。
前日、某大学の講師控え室で『非常勤講師くみあい通信』というものを手にいれる。「京滋地区私立大学非常勤講師組合」というものがあるらしい。知らなかった。「倫理学担当者必見!倫理学の問題・法学の問題=雇い止めは可能か?」なんて表紙に書いてあったらから手にとってしまった。けっこうおもしろい。 「0コマになった人など復職の見込み」とか、まあ、そこらへんの辛い非常勤講師稼業の人々の待遇を改善するための組合らしい。語学関係がどこの大学でもコマが少なくなって、たいへんのようだ。
次のような読者投稿も掲載されている。
(前略)
思うに、教育においては、数の上でも実力の部分でも大学を支えているのは、大方われわれ非常勤講師層だと言ってもさほどの言い過ぎではないだろう。既得権に安住していればよい身分とは違って、少しの間も自己研鑽を怠ればたちどころに食い扶持を失なうことをわれわれは知っているからである。
それはちょうど、江戸時代の浪人、剣豪のようなものだ。仕官の道が事実上閉ざされている中、彼らはひたする剣の腕を研ぐことでどうにか稼ぎにありつき、おのが腕一本で生活していくしかなかったのだ。(中略)彼らのほとんどが、報われることあまりに少なかったが。
努力すれど努力すれど先は闇ばかりの寄る辺なさ、浮世の風の冷たさは、非常勤講師もまた同じ。待っているのは転落の末路、大利根川原で斬り死にかもしれない。それでも、日々の精進を行きていくしかないのだ。本当の武士は自分なのだという誇りを胸に、最後まで自分を信じて。
なんだかすごいね。他にも「誇りと勇気を持って前進しよう」なんていうスローガンが泣かせる。
前日徹夜した反動で1日寝てしまう。どうももう徹夜はできない体になってしまったようだ。
児玉学士の日記が更新を停止した模様。性格悲劇っていうかなんていうか。ま、復活を待つ。
天井裏の子ネコはまだ泣いている。数が減ったような気がする。うーむ。やはり淘汰圧がかかっているのか。しかし天井裏に死体があると想像するのはちとあれだ。
本屋で三修社の『基礎ドイツ語』1号が出ていたので買う。2枚の付録CDの1枚がWINDOWSでしか使えないのが悲しい。ハイブリッドなやつにしてくれー。
それにしても、いまどきドイツ語を勉強しようというひとはどれくらいいるのだろうかと他人事ながら心配。インセンティブないよな。ゲーテやらヘッセやらトマス・マンやらといった人々の作品は、日本語ですら読まれなくなっているのではないだろうか。ドイツ語を必要としているのは、哲学関係のひとと環境関係の人ぐらいか? あ、法律な人か。テクノな人も必要か? 世界情勢に疎いから、認識がおかしいか。
本屋に行ったって、売場は英語、中国語、スペイン語の順番だしね。
ReadMe!ってところに登録していたのだが、カウンタ用の画像を貼りつけておくのがいやになったのでやめることにした。自分でも全然見てないし、そっから飛んでくる人もめったにいないようだし。
WINDOWS95って使いにくいなあ。ファイルをコピーするのはドラッグかというと、場合によってはalias(じゃなくてショートカットか)になったりする。面倒。一つの動作が場合によっていろんな意味をもつなんて最低だよな。ま、Macだって、「ゴミ箱」あたりは二つの意味があるけど。
最近、とあるページをみた。それはある文書のサワリの部分を見せ、続きを読みたいならば本名とメールアドレスを入力し、そこをパスしたら残りの部分を有料で見せるというものである。料金は最低2000円となっている。料金は後払いらしい。まあ、わざわざ金を出して読む気にはなれない。当然、いろいろパスワードの仕掛けを用意しているのだと思っていた
ところが、技術力が足りないのか実は非常に簡単な仕掛けだった。ほとんどセキュリティを守る努力をしていないのである。ある種のサーバーでは、index.htmlなりなんなり、そのディレクトリの「ホームページ」になるファイルがないと、ディレクトリの内容を一覧表示してしまう。たとえば、http://www.socio.kyoto-u.ac.jp/eguchi/foo/と入力して、fooディレクトリが存在し、かつindex.htmlがないと、ディレクトリの構造が見えてしまう。うちのサーバーもそういう設定になっているようだ。そこからならなんでも読めちゃうわけである。ソースを見ればもっと簡単に発見できたかもしれない。(未確認)
で、とにかく読めてしまったので読むと、このページに来たら読まなくても金を払えと書いてある(!)。読み逃げした場合は、メールアドレスと名前をホームページで公開するそうだ。凄い。放送などで、聞いたらとにかく金を払えというのと同じだ。
さらに、無断でリンクを張ったら著作権をたてに法的手段に訴えるらしい。画像/テキスト/音声の無断使用も厳禁だそうだ。ちなみにこれは直接の引用ではない :-)
ま、こんなものに法的効力があるはずがないが、あまりにお粗末な仕掛けにおどろいた。
ちなみに内容はフィクションか実話かしらないが、気分が悪くなった。性犯罪ものや暴力ものはたいてい気分が悪くなる。まあ、それくらいのインパクトはある。
ネット上でながれている文章は素人が書いているものなので、下品さや無神経さやなまなましさがあって、それが逆に強い印象を生むことがある。そういや昔初めて海外からのニュースを読んだときもインパクトがあったなあ。
[付記]その後もう一度見直して見ると、一応この人達もある程度の防御をしているわけだ。二人(?)の女の子のホームページは別々のサーバーにあり、片方の子の「有料」ページは、もう一方のこのホームページのしたのディレクトリに隠されているわけだ。なるほど。
[付記]その後もう一度見に行く(4/18)と、さすがにパスワードがかけられていた。やっと気づいたのね。