0331の連用日記


2023/03/31 (金)

車検の連絡を待ちながら、午前中肘折温泉の公衆浴場を2軒ハシゴ。豪雪地帯の肘折はまだ大量の雪が残っていて秘境な感じ。午後は昼寝して大量温存。

車検が思ったよりかかって、日が暮れてから出発。田舎は暗いと何も見えず、いつも楽しみにしている海沿いドライブが楽しくない。


2022/03/31 (木)

午前中から霧雨。勉強したりいろいろZoom面談したり。夜軽くジョギング。ジョギングの記録もリストバンドでつけるのがよさそうだ。

夜本格的に降る。3月終ってしまった。まあよい3月だったか。とにかく手術から5年生き延びたことを酒飲まずに祝っている。

ぬか床を作成している。今年は四角い冷蔵庫に入るタイプの容器を入手した。


2021/03/31 (水)

まだ業務か!

少しネットであれしそうになるが、まあ大丈夫か(大丈夫じゃないか)。 それにしてもけっこうネットその他で嫌われてることに気づく。まあやむをえない。実存。


2020/03/31 (火)

学部のテキスト書き。 会社の授業がどうなるかまったく見通しがついていない。


2019/03/31 (日)

Paul DolanのHappiness by Design再読。この本はおもしろい。

午後遅く、天気がよくなってきたのでドーランの示唆通り散歩に出る。東大路→八坂→岡崎。桜はまだまだ。3時間弱歩いた感じ。


2018/03/31 (土)

禁煙続行。

就活相談はまだ続く。

落ちついて勉強、しているのかどうなのか。

18年ほど事務室で働いていてもらっていた人が退職。


2017/03/31 (金)

午前中相当苦しむ。なにもできず。午後はなんとか本が読める。


2016/03/31 (木)

朝から。

Twitterとかのネット見るのもいいかげんにしないとね。五十代になっても貼りついているなんて馬鹿としか言いようがない。まあ私によくわからない人々っていうのを知る上で役には立った気がはする。でもそろそもう十分なのではないか。

翻訳みたいな仕事は私の勉強人生の最大の障害だったような気がする。 まあ能力学力が足りないのが問題なんだけど。

夜までがんばるが終わらず。


2015/03/31 (火)

若干寝坊。禁煙は苦しい三日目。午前中は大丈夫だったが昼から苦しくパッチを貼る。まあ無理しないでしばらくパッチ使ってればいいわね。

いろいろやっておかねばならないことがある。

研究室の片隅にあったMac miniを復活させる。これを家にもってかえって、テレビディスプレイとディスクをつないでiTunesサーバーにすればいいか。

滞納している学会の会費を納めておく。

夕方いったん帰宅してジョギング、せねばならん仕事のため夜もう一度。 いったん問題は解決したと思ったらそうでもなかった。でもまあ大丈夫だろう。

キーボード洗ったり。今年は10時までにはちゃんと家に帰るようにしたい。帰るときは机の上だけは片づけて。

転がっていたMac miniを持ち帰り、iMacのバックアップ(TimeMachine)にしていたディスクにつないで音源ファイルサーバーにする。1階はApple TVから、2階はAirMac Expressから音が出せる。でもAppleTVは使いにくい。テレビはスピーカーの上から机に移した。

楽しく充実した研修期間もおしまい。やむなし。後悔も多いが、まあ自分にはよい一年ではあった。まあ無能は無能らしく生きるべし。

ブログの「進捗どうですか」書かねばならないと思うのだが気がのらず。


2014/03/31 (月)

ジョギング。桜は8分咲か。

クーリーとして自宅研究室間を3往復。

研究室片付けたり事務仕事進めたりするも終わらず。

母艦のiMacは家に。家にあるとでかい。


2013/03/31 (日)

3月もおしまい。

天気はもうひとつだが、桜満開なので鴨川散歩。ついでにいつものリーヴァイスでジーパン、UNIQLOで春用の下着を買う。

シガーも買ってきた。そのうちDVD見ながら味わおう。乾燥しないようにジップロックに入れておく。

ここ2週間ぐらい10冊ぐらい本を読んで男性ファッションの勉強をしたのだが(最終的にはMen's EXなんて雑誌まで買った)、そういう目で見るとみんな一応それなりに服着てるのね。ぜんぜん気づかなかった。生活の中で衣服が占める割合はけっこうなもののようだ。繁華街とか洋服店ばっかりでお前らそんなに布や革や金属が好きなのか、みたいな感じだったのだが、みんなそれなりに気にしている。気にしてない人はやっぱり男女を問わずあんまりサエない感じね。あんまり人生を楽しんでないというかなんというか。

まあ自己評価の低さや仕事の遅さ質の悪さなんかの原因の一部はまともな身だしなみしてなかったのもあるだろう。寒くなきゃいいやってなぐらいで、身だしなみする元気もないまま生きるだけで精一杯でここまで来てしまったわけだけど、そういうことに気を使ったほうが生きるのは楽だったろうと思う。もう遅いが。ははは。

CDや本に使ったお金を服にしていたらどういう人生だったかな。でもまあ本読んで音楽聞きたいと願ってとりあえずそれは実現しているのだから成功しているといえば成功している。あれれ。でもまあ本当に強く願ったのはそれくらいかもしれんな。


2012/03/31 (土)

大雨。前日夜から微熱がある感じだったが、今朝から喉が痛い。ここで寝込んでしまうのはちょっと困るのだが。

午後帰って風呂で温まって寝る。


2011/03/31 (木)

なぜかひどい二日酔い。

非常に調子悪い。苦。


2010/03/31 (水)

寝坊。

あれやこれやと1日が過ぎていく。

早寝。


2009/03/31 (火)

3月が過ぎるのは驚くほど早かった。

某所の某勉強会に潜入。飲み会にも参加。


2008/03/31 (月)

『マリー・ストープス伝』おもしろいなあ。ほぼ同時代で同じような活動しているマーガレット・サンガーより名前が知れてないのは、なぜだろう。サンガーの方が先だったからか。影響関係はサンガー→ストープスなのね。東京帝国大学助教授(植物学)藤村健次郎博士もどういう方であったのか・・・やっぱり下僕体質なんだろう。うはは。webではほとんどひっかからないね。

中年男の趣味に求められるものは何かとか思弁してみる。

種目 入門 楽しい 能力向上 競争 蘊蓄 世界の変化 備考
釣り 先達必要。
テグスの結び方も
わからん。
わからん
工夫は楽しいだろう
生臭いの苦手。
かなり味わえる
装備も楽しいはず。
あるらしいが
基本は魚との戦い。
豊富
『釣りバカ日誌』
生態学的空間をつくりだす イラチ向き。
山登り 先達必要。
一人だと死ぬ。
むしろ苦しい
でもハイにもなりそう。
あり。
装備そろえるのもよし。
あんまりなし。
自分との戦い。
競争ではなく交流。
意外にすくない。
『夏子の壁』?
ない。
ゴミは持ちかえる。
魅力は感じる。
麻雀 修得すみ 楽しい 見込みなし 競争そのもの 『プロ』『アカギ』
『哭きの龍』『無礼打ち』
『スーパーヅガン』
財布を空にする 仲間麻雀はよさそう。
パチンコ 不要 当たってるときだけ ありえない なし 馬鹿な情報誌 財布を空にする 爆発すればいいのに。
競馬
競輪
ボート
不要 会場の雰囲気は
楽しい
気のせい お上との戦い 『マキバオー』
『ギャンブルレーサー』
財布を空にする ジジイになったらやろう
ホンビキ
手配賭博
不要 猛烈に楽しそう
「さ、入りました!」
ありそう シノギ ほとんどなし。
『ドサ健バクチ地獄』
逮捕/死亡 犯罪には
手は出しません。
模型
美術
不要そう わからん。 いろいろ工夫するのだろう 基本的になし? いろいろ
『丸』
『太陽』
額縁 考えたこともない
俳句等
文芸
不要? 鑑賞は好き するかな 微妙にありそう あり 自費出版 本業と近すぎる
書道 必要 意外におもしろそう 伸びしろあり ないだろう あり 字がうまくなる 魅力あり
お茶 必要 楽しいと思う あり ないだろう むしろ蘊蓄が本体
『へうげ者』
心の平安 金銭とのつながりが嫌味
語学 不要 うーん 伸びしろあり 考えない いろいろ 仕事に役立つ ほとんど本業の一部
切手等
収集
不要 うーん なし? 考えない 興味深い コレクション 意外にかっこいい
ジョグ
水泳
エアロビ
不要 楽しい 少し なし 蘊蓄いらん 自分の肉体 理想的
ダンス 必要 すごく楽しいはず 少し 友好 蘊蓄ではない
『テレプシコーラ』
エロい動き サルサがよいが
エロ中年呼ばわりされる
バイク
自動車
不要 わりに楽しい 少し 危い 豊富
『頭文字D』
過失致死 危険すぎる
お金がかかる
楽器 ほんとは必要 楽しい もううまくならない 最底辺から
抜けだせそうにない
豊富。『ベック』
『デトロイトメタルシティ』とか
" When the music is over,
it's gone in the air.
You can never
caputure it again."
本命
カラオケ 不要 わからん したくない 交流・友愛 皆無
『俺節』?
同上 死んでもやらない

あれ鉄道温泉旅行、盆栽菜園、カメラ、普請造園とかまだまだメジャーなやつがあるぞ。 天文や信心や犬、鶏、鴨鹿熊もあるか。世の中は娯楽だらけじゃないか。 私てばほんとに人間が狭いよな。

とか逃避しつつ心理的障壁のあるやつも1件片づける。

ハンギングフォルダにテプラでインデックスつけてとてもいい感じ。 予算が動くようになったら残り二つの引き出しにもフレーム入れよう。 さて、明日から3日間がんばりましょう。


2007/03/31 (土)

夜が明けるのが早くなったなあ。朝帰宅して寝る。

午後床屋。大学。部屋の片づけ。某校正。

衣笠のWebCT (Blackboard Learning System)なるもの、オンラインシラバスで勝手に 参照するよう要請されているので試してみるが、 使い物にならん。多機能に見えて、 ナビゲーションが悪くてどうしようもない。いったいあんなメニューの山と意味不明な 日本語から必要なものを見つけられる教員が何人いるのか。 こういうものはとにかくシンプルなのが一番だということがわかっておらん。 Firefoxだと延々警告ポップアップ出しつづけるし。 もとは海外のものならしいが、よっぽど技術のないところが 日本語化してるな。こんなゴミみたいなものにいくら金出したんだろうか。 ・・・あれ、「シャチホコ大学発のベンチャー企業」の製品なのかな? ティップス先生に相談したんだろうか?

東鴨女の同じようなのもアレだが、低機能でシンプルなぶん、衣笠のよりまだまし。

歯医者。検診と歯石とり(前回は9月その前は3月。)。 気になるところ(左上奥から三番目)があるのだが、 レントゲンとりなおしても別状ないとか。前回問題となった歯周ポケットは 改善されているようだ。そういや最近歯磨きしても出血しない。今回の歯周疾患指導管理説明書によれば、歯肉は「一部ポケットを認めるが 全体的には問題ありません」、口腔内の清掃状況は 「歯の裏側に着色がありました。下の前歯、右下内側、右上の奥は 汚れが残りやすいのでしっかり磨いて下さい」とのこと。レントゲンとったので 3500円。高いが、健康にはコストをかける正しい中年。 「歳相応ですか?」「そうですね」とか。 この春肝臓エコーとりそこねたのが無念。まあ健康診断を待とう。 自分のヘソを眺めて過ごす日々

すげえ、開幕直後の土曜の夜にテレビで野球やってないとは。

夜雷雨。最後の日をだらだら音楽聞きながら諸星先生読んで過す。 今年も1996年の人生の小春日和にリンクしておく。11年前の自分、がんばれ。ついでに 去年も貼ったけどオーバードクターの川田隆さん(30)にもリンクしておこう。川田君、がんばれ。

外山恒一、本気度がもうひとつかな。この芸風なら鳥肌実の方がおもしろい。 本当の魂の叫びが聞きたいね。


2006/03/31 (金)

だめだめ。でもこつこつ。明日から修士2回生に進級するつもりで。

夜明けが早くなった。雪が散っている。

いったん帰宅してシャワーあびたら寝てしまう。だめだめ。

午後もと学生の面倒見1件。

ごじんまり研究会というか茶話会。 ちまちま活動するのだ。


2005/03/31 (木)

早起き。回復した模様。床屋に寄って昼前から大学。 新入寮生らしき人びとがうろうろしている。新年度が始まるわけですな。 隣の研究室に新しい同僚の荷物が届いている。よい人だといいなあ。

いろんな事務的用事が襲ってくる。もう春休みではない。

どんなものか調査がてらにはてなでblogをはじめてみた。

図書館にはまだまだだ聞いてないCDがある。CDR焼くのは面倒なのでiTunesに読みこみ。シューリヒトのベトベン3番。おお、名演。ニキシュのベトベン5番ってのもある。これはSPからので音が悪すぎるなあ。フリッチャイのベト7番。これは録音もよい。

講談社のベトベン全集の冊子を読む。ふむ、ベートーベンの時代までは コンサートでは序曲か交響曲→アリアや協奏曲、合唱曲と曲目が進む、と。 コンサートでは交響曲より協奏曲の方が偉かったのだな。 モーツァルトでも交響曲より協奏曲の方が力がはいっているという私の感覚は正しいわけだ。

CDをApple LosslessでiTunesに読みこむと、けっこうよい音質で聞けることを発見する。へたすると今使っている安物のCDプレイヤーよりましかもしれん。ベトベンを大量に読みこむ。

朝日新聞、朝日が武富士から5000万もらったという記事を載せた文春の広告の一部を黒塗り。広告代理店がやったらしいが。もうだめだな、この新聞。

バタバタしているといかん。心を落ちつけるべし。


2004/03/31 (水)

電気屋さんが来てコンセントを増やしてくれる。人間にはいったい幾つのコンセントが必要か。


2001/03/31 (日)

研究会。午前中は死に。夜飲み会。 そもそも、ぜんぶ飲み会?


2000/03/31

無職の一日。今なら犯罪を犯しても、無職(34)という肩書になって誰にも 迷惑かからないが。

某会議。新築の建物の有毒な匂いと、ずらりと並ぶ5色のiMac60台と、そ の奇怪なデフォルト画面に気分が悪くなる。 研究室かたづけたり。高島屋でシャツなど買う。床屋にも行きた かったが。

新研究室には、Power Mac G4と液晶モニタ、CANONのレーザープリンタが ある。ま、Macは使うこと少なそうだが、モニタは便利だ。レーザープリンタ もLIPSならGhostscriptでも大丈夫かな。

どうも私は否定語・限定語を多用する癖がある。というか、それしか口に 出さない(これこれ)。断定が多い。どうもこういうのが、意図せずして人間関 係を悪化させる原因の一つであるようだ。これから1年、なるべく肯定的な表 現を使うように意図的に努力すべし。

など。意図せずこういう言いかえができるようになれば、一種の徳を身に つけたことになるであろう。

pascalに再び使ったりもするのだが、ktermのtermcapの問題(?)を放って おいたままだったことに気づいた。直しておくべし。

あれ、イアン・デューリー死んじゃったのか。


1999/03/31

失業中だが、午前中ちと医者の手伝いと研究室のかたづけ。(寝ぐせをつけたまま来てしまった) 懸案のケーブル類をちょっと整理して、次第に見られるようになってきたような気がしないでもない。

自炊復活宣言。家賃を払ったら貧窮。引越し貧乏って本当。あと20日近くどうやって暮したらいいのかわからん。家計簿も復活させるか。

本棚の金具が足りなくなったので、生協に行くと、それだけ売っていた。しかし、1個60円という値段。なんでそんなするんじゃ。20個買ったら1260円。ぐう。

法学部の中庭で応援団が新入生相手になんかしてるのをボーっと見る。あれと比べると私のイェーはまだまだじゃね。太鼓とブラスとチアガールが必要。

どんなに長生きなニンゲンでも、100回春を迎えることができる個体はほとんどいない。しかしだからといって、「私に残された春はあと40回ぐらい、フルに楽しめるのは10回ぐらい?」とか考えるのもビンボくさい。とはいえ、暖かい春の午後研究室でモータウンかけながら 端末さわってるのは楽しい。同様の感覚についての 3年前の見解もある。あれ?!。同日やん。今気づいた。(3年連用日記にしてたらもっと早く気づいたろうに)

よう、3年前のオレ、元気?あれからいろいろあったよ。

旧宅の大家さんに挨拶。粗大ゴミは始末してくれるとのこと。感謝言にならず。

近所4軒に石鹸もって挨拶。迫害されることはなさそうだ。

満月の下、軽く散歩。


1998/03/31

深夜、研究室でちょっと仕事。熊本から帰ってきた部屋主が早速寝ている....なにしてんだか。

ある人の日記に、無礼なメールが届いたという記述があった。その人は慇懃に無礼を咎める返信を書いたらしい。しかし、そういうメールはほとんど無意味じゃろうと思う。だって、そんな返信を読んで反省したり態度が変ったりする人ならば、さいしょから無礼なメールなんかは書かないだろうからね。

無礼なメールを書くひとは、一般に(1)それを無礼だと思っていない。(2)無礼であることを目的にしている。の2種しか(私の貧弱な想像力では)いないだろう。もし(1)であれば、無礼だと言われれば不愉快だろうし、もし(2)であれば、それに不快を感じることを知らされてもなんとも思わない(むしろ快を感じる)だろう。

調子の悪い人はどこの世界にもある一定の割合でいるのだから、それにわざわざおつきあいをする必要はない。というより、関わりをもたないようにするしかない。ネットニューズやウェブで意見を公開していれば、調子の悪い人に出会う機会もふえるわけだが、それはそれでしょうがないことだとあきらめるしかなかろう。慇懃に無礼をとがめるよりは、罵倒のメールでも送った方がまだ効果(?)があるじゃろな。 あるいは「ネチケット」の普及に務めるとか :-) (無意味だと思うけど)

「もしさがり」のおもしろさは、やはりその夫婦関係が「リアル」だからなんじゃろうと思う。一方的に妻をなじるその無理解な態度が妻を追いつめているんじゃろうということも、その筆致から想像される。いいよなあ。いや、もちろん旦那が悪いと言いたいんじゃなくて、もちろん奥さんはかなりアレだけど、夫婦生活の末期はあんなもんじゃろ、と。

今日こそは部屋(仕事部屋にしている方)のかたづけをしておかねば。書類がぐしゃぐしゃでなにがなにやらわからん。このまま新学期に入るのはあまりにも危険。

古雑誌は無事ゴミ収集に持っていってもらえた模様。次は大量に出す。


1997/03/31

陽気に誘われ散歩。ふと気がつくと寺町の電気屋街にいる。
「明日から消費税アップです。みなさま、お買いもらしのないよう!」
「売りつくしセールス中です」

「そろそろMO買わなきゃな。230Mのが4万円ぐらいか...しかし研究室のは640Mまで読めるからどうせだったらそっちに...7万円。しかし、今のハードディスク(340M)より大きなリムーバブルってのも... 電子辞書とかもっと便利につかうためにはデカいハードディスクを1台...2GBで4万円... ...(脂汗)....どうせカードなんだから......はっ。いやいや、いかんいかん」

「それにしても、今年も電車通勤が多いから、ウォークマンぐらい欲しいよなあ。これくらいだったら、債権者さまも許してくださるのではないだろうか....ほう、今の売れ線はもうMDなんだな。再生専用3万円か... もうみんなMDデッキはもってるのかなあ... しかしMDだと録音に困るよなあ。今もってるCDラジカセは出力端子がないし、12年つかっているCDプレイヤーは調子悪くて読めないCDとかもあるからなあ。...CDプレーヤーも安いのがあるんだ...MD用の出力があって2万円か.. さっきの録音もできるやつといっしょにすると6,7万でいけるか...MOを買ったと思えば.. MOよりずっと役にたつよなあ.............. (冷汗)....はっ。いやいや、いかんいかん。」

もちろん、「はっ」の部分では債権者の方々のお顔や市役所の方々のご様子が思いうかんでいるのは言うまでもない。いや、いい汗かきました。

八坂神社でオミクジをひくと、「清めの桜」なるものがおまけについてくる。桜の花の塩づけ。お湯をかけて飲む。もちろんおいしいのものでないが、春。桜餅食べたい。

リンクと引用再び

おおむかしに「勝手にリンクを張ってはいけないのか?」っていう文章を書いた。ずっと放っておいたのだが、あれから1年すぎたこともあるし、書きなおすかねえ。(あれが書き殴りスタイルのはじまりだったことを今思いだした。)

もちろん、もとネタはThomas上田さんの「著作権について」

私の基本的なスタンスとしては、「リンクフリー、引用フリー」。(「フリー」の意味も面倒だけど、「私に断りなく、無料でやってよい」ってことにしようか)

「著作権」っていうものは法的にはめちゃくちゃ面倒なものであるからして、その議論は(今だに)やるつもりがない。「倫理学屋」の私としては、なにがよい法律であるか、っていうことについては法律以外のものから正当化する必要があると考えている。著作権をどう解釈しどう運用するかっていうことには、また別の議論が必要だってわけだ。

その際に考えるべきなのは実際におこる(あるい起りそうな)結果の善し悪しの他はない、っていう立場に立ちたいとも思っている。

つまり、たとえば上田さんのような著作権の解釈や主張を行なった場合、どういう結果が見こまれるか、ってことだわな。

私の日常的な言語感覚では、「引用」ってのは
「どこそこの太郎さんは、ほげほげで

あれこれ。これこれ。それそれ
と言いました。」
ってのを指す。もちろん、その後ろに「太郎さんの言うことはもっともだ」「ぼくは太郎さんはよくないとおもいまーす」ってな文章がつづくかもしれない。

太郎さんの書いたりしたものをすべて写してしまうのは引用ではなく「複製」とかいうやつだと思う。だから、ふつうは「無断複製禁止」はよく見かけるけど、「無断引用禁止」ってのはなかなか難しい。

さて、もし「無断引用禁止」ってのが認められちゃうと、どういうことが起るかを考えてみよう。

一般に、私たちの意見というものは他の人の意見の模倣であったり、それをひねったものであったり、そういうことによってできあがっている。極端な話、私の意見の出所がすべて私の内部にあるなんてことは考えにくい。

そして私が意見の多くを他の誰かに負っていると考えるときに、私はその意見の出所を明かしにするために引用する。それは私の意見がどのていど他のひとに影響を受けたものであるかを示すためであり、興味関心のある人のための手引でもあり、また逆にわたしのオリジナリティを表現するためでもある。権威づけにつかうときもある。その意見をめぐんでくれたことにたいする感謝を表現するためにも使う。

また、私が誤っていると思うような意見を見聞きしてそれに批判を加えようとするときも引用は役にたつ。私の読みがまちがっている場合もあるだろうし、あやふやさや曖昧さを防ぐ意味もある。もし引用が禁じられた場合には、「ほげほげというタイプの考えかたがあるんだけど」という表現になっちゃってキレが鈍るし、正確さにも欠けるものになる。

結局、引用を禁じることは、わしらの個性とか意見とかの発展のために必要な自由な討論とかを阻害することになっちゃうし、それは結局個性とか意見とかの発展を阻害することになっちゃうんだよな。それはよくないことだろう。

これと同じ論法が、「無断複製/再利用を禁じる」にも使える。一般にワシらがなにかを作りだすときの誘因になっているのは金銭欲だったり自己顕示欲だったりする。もしそういう欲求がなければワシらはなにもしない(かもしれない。これは難しい)。

もし私の作りだしたものが勝手に他人の名義になってたり、それによって当然見込むことのできる収入がなくなったりするということになれば、私はそれを作りださなくなっちゃうかもしれず、それはやっぱり自由な意見交換の意味をなくしちゃって、結局は社会の発展を阻害することになるじゃろう。

よって、とりあえず無断引用禁止反対。(上田氏の文章の「引用」は誤りで、「転載」が正しいらしい。すでに修正されている) (☆)さて、しかしHTMLのファイルそのまんまの再配布なんかはもうちょっと難しい。

以前fjで、(NNTPでの)newsの再配布について議論があったと記憶している。「別のメディアで再配布するのは許せん」という意見があったと思うのだが、私はそれはあまり整合的ではないと感じた。newsはマシンからマシンへコピーされることによって配布されるわけで、そのメディアがTCP/IPだろうがUUCPだろうがCD-ROMだろうがnewsはnewsなわけだ。

んじゃ、HTTPは? 私の名義や、オリジナルのURLがはいったままで再配布するってのはマズいことだろうか? HTTPってのは基本的にはTCP/IPでつながっているマシンで読むことを想定してるわけなんだろうけど、ネットワークニ接続されていないようなマシンでもCD-ROMなんかで読めるようになってたらいいんじゃないのかなと思ったりもする。ある時点でのWEBの世界を記録に残しておくってのも悪くないんじゃないだろうか? 以前、日記猿人でそういう試みをやったときには「転載不可」にしたけどね。

WWWもNEWSと同じく、技術的にはコンピューター間のファイルのコピーを前提としているわけで、一概にすべての「複製」を禁じることが意味のないことなのはよく指摘される。

むう。

実際に複製したり(別メディアなどで)再配布したりした場合、どんなデメリットがあるだろうか?

むう。Webの中身は(たいていの場合)完結しない、ってのが関係しそうだな。

WWWにはリンクという強力な武器があるから、一般には複製を再配布するよりは、URLを知らせるだけで十分なのだな。

WWWの内容ってのはほとんどで成長中なんだから、複製の再配布によって情報を固定しちゃうよりは、URL表記だけですませるほうが、全体としてはよりよい情報へのアクセス手段になりそうだな。

よって、別のメディアによる複製の再配布は悪くはなさそうだが、URLだけの方が便利なかんじ。

(☆☆)ちょっとスタイルを変えよう。

「ではリンクはどうですか?」

リンクは自由に行なうべきであるというのが、1年前からの 見解です。今もかわっていません。

「たとえば上田さんは、「悪意ある」リンクについて気にしてます。 今月号の「The BASIC」でも、水谷氏がリンクの問題について触れていますが。」

昔も書きましたが、たしかにヘンなところから「悪意」をもって リンクをはられるのは楽しいことではないかもしれません。ま、しかし、それはこんなくだらないことをしているのだから仕方ないのではないでしょうか。

「そりゃ、あなたはそう感じるかもしれないですが」

いや、わざわざ人目にふれることをしている以上、なにかを言われるのはしょうがないってことです。もちろんそれが称賛であればだいたい気持ちのよいことなのでしょうが、称賛のリンクは許すけど批判や揶揄や侮蔑のリンクは許さん、なんてのは筋が通らないでしょう。特に、リンクの場合は引用とちがって直接本人のものを読んでもらえるわけだから、どんなに揶揄されたって大丈夫なんじゃない?

「でも、たとえば恣意的に誤解を招くようなリンクを張ることも可能じゃろ?そういうのも許すってわけ?」

いや、むしろ、どんなリンクの張られかたをしようと、誤解されないようなものを書いておくべきなのよ。二つの対立する意見があったときに、そのどちらが真理に近いかってことは読者が決めることだし、ちゃんと書いてあれば理解できるはずでしょ? 誤解を招くような表現をしているのであれば、それを正せばいいのよ。それを「あー、てめーオレんとこにリンク張るんじゃねー。」とか言ったら、部分的で不正確な「引用」とか、「だいたいどこそこのどこそこらへんでページ開いている某ってやつはへんな奴なんだぜー。みんな読まない方がいいよ」なんて表現になるでしょ? これの方が誤解を広めちゃうことになるんじゃない? むしろURL一発でビシッと決めてもらった方がいいじゃん。

「「ビシッ」ってなんですか?」

さあ。

「・・・んじゃ聞くけど、あんた秘密のページ作ってるでしょ。」

・・・

「それを知ってる人がそれを公開しちゃっても文句言わないわけ?」

・・・

「やーい、こんなところでこんなやつがこんなこと書いてますよ〜。はずかしいですね〜。邪悪ですね〜」ってやられても大丈夫?いろいろ損失あるんじゃない?

んー。まあ、だからそれは「内緒です。お願いねっ。」しているわけよ。その上で、たとえば私が秘密のページで世にも邪悪な思念を表明していて、(まあ「世界をサタンのものとするため今日は3人の処女をバラバラにしてみた」とか「今日はヒトラーに反魂の術をかけたがうまくいかず、毛沢東が蘇えってしまった」とか)それを批判・糾弾しようとする人がURLを公開したら、それはそれでいいんじゃない? そのくらいは覚悟しているぞ。これを法的な問題にしようとするのは間違っているし、私は反対するぞ。

(もちろん、その場合、そのひとが呪術的に危険になることはあるかもしれんがのう。がはは。)

「・・・んじゃーさ、どんな批判もしょうがないけど、陰でやられるのはかなわんから連絡して、ってのは?」

うーん。気持ちはわからんでもなかりけり。たしかに連絡なしで批判されちゃってたりするのは気持ちわるいなあ。知らなかったら反論のしようもないしね。うーん。ふつうのhttpサーバーではどこから参照されているかを記録する機能があるけど?

「それ使えないサイトもあるでしょ?あんたはわざわざスクリプト書いて毎日チェックしてるじゃん」

や、それは。

「それって、やっぱり気になるってことでしょ?エチケットとして連絡するってのはよいことなんじゃない?」

うーん。そうなんだけど、そりゃほんとにエチケットの問題だわなあ。私は個人的にはいちいち問い合わせされんのはヤだし、連絡すんのもヤだ。

「そういう次元の問題になっちゃう?」

いや、そんなことはないはずだけど、ちょっとまって。

「んじゃ、次は営利の話をしよう。非営利のリンクは許すが、営利は許さんってのは?」

んー。これって昔、フリーのソフトウェアを営利目的の雑誌の付録にするのはやだとかっていう似たような話があったよねえ。なんで営利はだめなんだろう?

「自分が無料で提供しているもので金をかせがれちゃたまんない、ってのがあるんじゃない?」

うーん。どうかなあ。具体的なマイナスはあるわけ?私にとって。

「質問と答が逆転してますが」

あまり気にせず。

「特にないけど。気分悪いじゃん。ワシにも金くれ。」

こんなもの書いて金をもらうつもりか?

「いや、困ってるし。MD欲しい。」

MD欲しいねえ。

「欲しい欲しい」

まあMDはほっといて、営利のひとたちがリンクするのに反対する本当の問題はなんなのかな。そんなものあるかな。どうせタダなんだし。営利目的でリンク集をつくったりすることがなにか問題あるとは思えないし。有名な「窓の社」なんかは営利だと思うけど、あれくらい有用だと営利だろうがなんだろうがかまわんと思うな。

ソフトウェアの話の時に思ったのだが、むしろ、「営利BBSでの配布おことわり」なんて方に反感感じちゃったことがある。どうせ再配布自由にしてくれてるんだから、どこでも配布すりゃいいじゃん、なんて思った。

「んー」

営利のところからリンクされたって、いずれは誰かのブックマークに登録されたりして、結局はどんどん流通するんだからそれでいいんじゃない? 基本的に、営利リンクを禁止しても誰も利益を得ないでしょ? とにかく他のヤツに得させたくない、っていう私のネガティブな願望が満足されるだけで。むしろ損失の方が大きそうだ。

「んじゃ、あんたの秘密ページの『黒魔術:その理論と実践』や『やさしい反魂術』にリンクを張ってお金をもうける人がいても平気?」

いや、そんなページはないって。あったとしても、それは黒魔術でアレだから。

「MD欲しいねぇ」

うん。欲しい。仕事仕事。


1996/03/31

人生の小春日和というものがあって、苦しい生活のなかにも短期間だが暖かい日がある。問題は、長い冬の生活を送っていると、「ああ、今日はちょとあったかくなった。将来はもっとあったかくなるに違いないから頑張ろう」と思ってしまうことである。実は冬はまだまだ続くのだ。だから、今日が暖かいとおもったら、それを十分に味あわなければならない。(この一文は岩波新書増田れい子『看護』にあったものの焼き直し。この本はけっこう良書だと思う)

(2018/02/17追加)

頂上への旅の途上には思いがけない変化があらわれる。険しい石道の果てに花野がひらける山道のように、しばしば死を前にしながら、苦痛がウソのようにやわらぐ小春日に恵まれるのも、ふしぎのひとつである。

しかし、患者はもとより家族も、病状やその経過について知らず、知ろうともしない場合、この千載一遇の小春日をエンジョイしそこなうことがある。

「いまが一番いい状態、いましかないという安定したときが訪れます。限られた時間です。その時間はほんとうに宝石よりも大切なので、私たちは患者さんにその時間をご自分の思い通りに存分にたのしみ、満足していただきたいと躍起になるのですが、患者も家族もこんなによくなったのだから、もう少したてばもっとよくなる……と先にのぞみをかけてしまいます。
そうして、せっかくのタイミングを失うのです。」 (p. 210)

以前取材されたのが新聞記事になったようだ。私は読んでなかったのだが、知合いがFAXしてくれた。どうも悲惨な記事で、あんなに悲惨なのかと自分であきれた。もうちと明るい面もあるはずだが。ないのか。

(追記2006年3月。10年後に発掘された日経の記事

ニューズを読んでいると、「ちょっとかっこいいホームページの書き方」のページを作ったので見てね、という人がいた。見に行くと、「白地に黒が見やすい」「背景色と同じ色で文字を書いて字間を調整する」とか、<block>を使おうなどということを書いていた。やめてほしい。なんだって多くのホームページが色づけされているのか理解に苦しむ。そんなのは、ブラウザの方で(個人の趣味で)設定するべきことなのだ。白地に黒が見やすいと思っている人は、そういうふうに自分で設定しているだろう。