0325の連用日記


2023/03/25 (土)

翻訳。 霧雨。


2022/03/25 (金)

蛍光灯リングを買うより、LED電灯を買った方がよかろう、という判断。


2021/03/25 (木)

会議。

外で酒飲んでしまう。シガーも喫ってしまう。まあ1年に1本ぐらいは喫いたい。あすけんはひどいことに。


2020/03/25 (水)

オリンピックが延期されたことを知る。

午前中病院でCTの結果を聞く。どうもとりあえず生き延びたのかもしれない。しかし、肝臓の値は下ってるけど血糖値が上がってる模様。

長い会議。


2019/03/25 (月)

事務仕事苦しい。

会議。

就活相談。

某先生退職パーティー。飲まないつもりでも飲んでしまう。

話題のアニメ『ケムリクサ』、第2話まで。すごいおもしろい。


2018/03/25 (日)

それなりの時間に起きてジョギングLSD。禁煙開始のつもり。

午後研究室で片付けと準備。

夜、カフェモンタージュでブラームスのヴィオラソナタを聞く。やはりこの店おもしろいな。 オーナーの話もおもしろすぎるが。


2017/03/25 (土)

定位置へ。午前中は腹の具合が気になってなにもできず。

あとはだらだら本読んでただけ。

まあしかし本読んだり音楽きいたりしてれば充実感はある。どこでも同じことをする男。

Google Play Musicが使いやすく、それだけで十分なのでApple Musicは解約。iTunesは検索が重くてストレスがある。

本格的に普通食すると、まあトイレまわりは苦労しそうだ。しばらく休みを取ったのは正解だな。


2016/03/25 (金)

朝から会議づけ。

夜ハイアットで学部送別会。今年定年の先生たちは学部創設の勇士たちで、いろいろ感慨もある。おつかれさまとしか言いようがない。

最近飲みつづけているせいかビールがうまく感じないのでそのまま帰る。イギリス映画『カムバック』を見る。中年メタボがサルサする話。


2015/03/25 (水)

新年度開始。会議・打合せにも参加しなければならない。

夜学部の退職パーティー。おだやかでよい会だった。


2014/03/25 (火)

研修まで7日。借りている本などを処理しなければならず図書館と行ったり来たり。

4月から基本的に研究室にはいることができない。研修先で研修しているのだから、大学にいるなということらしい。

そういうわけで、 でかいバッグで家に本を運ぶ。15キロぐらいはあるのだろうか。2往復。

web日記の優秀さを認識している。この日記はやっぱり一生続けよう。おそらくtwitterより長生きする。

ちょっと前から柳沢きみおの『大市民』とか読んでいた。くだらないといえばくだらないのだが、生活の小さな面に快楽を見つけよう、みたいな。実際こういう形の快楽主義には魅力がある。

禁煙の影響とおもわれる過剰に閉鎖的な感じは少し薄れてきた。2ヶ月ちょっとか。


2013/03/25 (月)

今日も意味のないネクタイ出勤。しかし大学教員は普段はネクタイいらんかもしれんな。

ボロボロのコートとかワイシャツとかゴミの日なので捨てた。ジャケットは捨てにくいが次捨てよう。

割と早く出てきたがさっそく仮眠してしまう。 某書評締切で苦しんでいる。

なんかえらいことに気づいてしまったのだがどうしようもない。

どうもかなり以前にどこかで靴をまちがえて履いてきてしまってるのではないかという疑惑。 サイズはピッタリだしよく似ているのだがなんか違う。 いや、これだったような気もする。記憶が不確か。


2012/03/25 (日)

研究会。宴会場の設定に失敗してしまい死にたくなる。


2011/03/25 (金)

午前中だらだらしてしまう。

禁煙2日目。ぜんぜん苦しく感じないがなぜだろう。

某団体は今年もなんかモメているらしい。サイコパスもどきなのでやむなし。

でも午後もだらだら。

研究室泊。


2010/03/25 (木)

今日は休養するしかない。

というわけでゼミ生の卒業旅行におつきあい。付いて行くだけの簡単なお仕事。雨だわ寒いわの天候だが、まあそれも風情。

『今日、派遣をクビになった』 とか読んで暗い気分に。


2009/03/25 (水)

朝っぱら夕方まで会議だらけ。長くてストレス。 今年は春休みがなかった。

春先は言葉使いや表現に厳重に注意しましょう。

エクマン 読みながら、ソクラテスが長い演説を嫌い短い問答を好んだのは、 相手がどの程度のことを本当に知っているのかたしかめたかったらからだよなあとか。 即座の対応ではごまかしがきかない。即座の反応にこそ、その人の本当の知識や徳が表われる。


2008/03/25 (火)

少し復活。今日はいろいろ片づけねば。まず心を落ちつけろ。ここ数日なんかザワついている。やらなきゃならないことがたまっているからでもある。茶道なんてものは好きじゃないけど、薄茶でも立てられるようにしておくべきか。大学のサークルで教えてもらえばいいのか。

しかしまあ企業とかってのはちょっとしたことで売上上がたったり下ったり潰れたりするわけでたいへんだよな。って他人事じゃない。今出川大学や衣笠大学が入学者増やしているのも恐いが、今出川女子大が攻めてきてるのが恐い。

昨日の微妙なつづき。んで私の理解では、某君の主張のオリジナルな部分は、(ロンブンにしないのかな)、(1)記録を目指すタイプの競技では「パフォーマンスがすべて」と考えるやつがいるだろう(だからドーピングしたいやつもけっこう出てくるはずだ)、(2)(遺伝子ドーピングなんかで)素質のようなものを平等にした方がおもしろいと思うやつもいるかもしれん、とかってことらしいが、どっちもなんかおかしいような気がするな。

(1)の方。おそらく彼が考えているのは槍投げ、ハンマー、ウェイトリティングとかそういう「記録」が中心になる競技なんだろう。たしかにこういう競技は世界記録ってが重視されるんだが、うーん。100mは同時に走るのが基本なんで微妙。世界記録めざしているようなひとびとが、「人間の可能性に挑戦」とかそういうことに価値を認めてドーピングするってのはありそうな感じがする。でもたとえば、「校内砲丸競争」「町の力持ちコンテスト」のために(なんかの悪影響がありそうな)ドーピングまでやろうとするやつがどれくらいいるかな。市町村レベルでもなんか奇妙な感じがする。あるいは、私がジョギング好きだとして、パフォーマンス向上のためにそういうことするかっていうとやっぱりしない。なぜか?

(2)。私は資質というか素質がほぼ揃ったひとびとどうしの競争なんてのはほとんど興味がもてない。カールルイス(古い)のクローン10人によるの100m競争なんてのはなにを楽しめばいいのかな。やっぱりいろんな国でいろんな修行させるんだろうか。競馬でさえまったく同じ血統の馬どうしを競わせたらおもしろみがなくなるような気がする。同じような素質のひとを同じように訓練して競争させるのであれば、それは機械製品ならべた性能テストでさえないだろう(欠陥品テストのようなものになる)。これはまあ本人も認めてたけど。やっぱり負って来たものが違ってこその競技でね。努力と工夫と才覚が早熟エリートに勝つ、あるいは、地道な努力が才能とやらに無惨に破れさってしまう、とかってのがスポーツと人生の魅力なんでねえ。まあ別に倫理的には問題ないかもしれんけどね。この手の話は規制するべきかどうかという話にしちゃうともうひとつおもしろくない。だからスポーツ倫理学じゃなくてスポーツ哲学がいいね。

なんか「記録」ではなく「作品」を生みだす商売(画家とか作曲家とか)の場合はちょっと違うんだよな。こういう人たちはなんでも使いたいと思って当然のような気がする。ドーピングして一生に一回のすばらしいパフォーマンスを見せようとするギタリスト、とか問題ないような気がする。十字路で悪魔と取り引きしてもいい。でもスポーツマンだとおかしい。なぜか?フィギュアスケート選手だと微妙な感じ。つまり?なんかスポーツに不可欠であると思われる「競争」がなんかおかしいのかなあ。さっきのギタリストが「オクラホマ州ブルーグラスギターコンテストのためにドーピング」だとおかしくなってくるもんね(名画『クロスロード』はどこだったかな。ミシシッピ?)。芸術家は人間とは勝負してない(いやわからんけど)し、ダンサーとか肉体でパフォーマンスするのを除いて、「人間的な限界」なんてのはおそらくあんまり重要でない。スポーツはやっぱり人間と、あるいは人間的な限界と戦うもんだわな。てわけでやっぱり某氏の議論には納得してない。でも狭義の(ふつうに「スポーツはアートだ」と言われる意味ではなく)アートとしてのスポーツってのもあるのかな。もしそれがあるとすれば、某氏の議論はうまくいくかもしれない。おそらく彼が考えているのはその種の(辺境的な?)スポーツなんだな。でももはやそれはスポーツではなく肉体芸術かもしれない。その手の肉体芸術もスポーツと認めろ、ということか。おもしろいよな。

いいですか、この時期心おちつかない原因の一つは、思っているほど気温が高くないからなのです。ちゃんと暖いものを着たり、膝掛けしたり、エアコン調節したりすれば楽になるのです。心落ちつかないってのは実は生理的な現象なのかもしれないのです。体温あげるためスクワットふたたび。やはりすこし楽になる。

一応雑用を平行して進める。がんばれがんばれ。

うは。「それなんて泥舟?」

某非常勤君と打ち合せ。いろいろ迷惑かけますがよろしくおねがいします。

ビールちょっと 飲んだだけで猛烈に酔っ払い、ゲロゲロ。死にかける。誰かにシアノマイド盛られたとかそういう感じ。加齢だけでこんなにアルコール摂取できなくなるってことはあるんだろうか。死ぬのか。


2007/03/25 (日)

なんとか起きる。

あら、自宅サーバが落ちてる。

地震。弱いがゆれが長くて例の地震を思い出して怖かった。と能登で震度6。ひー。

オープンキャンパス。春までこんなことするのは なんだかなあとも思うわけだが。弱小私立なのでやむなし。 ミニ講義とか。 保護者の方々もたくさんいるのに なんかいつも通りやってしまった・・・まずい。 お弁当もらえないのか。

同じミニ講義2回目。午前中より人がすくなくて泣く。が、 話ができてかえってよかったかもしれん。

帰宅してサーバーの調子を見てもう一回大学。一仕事したつもりで 将棋で遊んでしまう。馬鹿。時間の無駄。それにしても弱い。 将棋倶楽部24強すぎ。っていうか段級がますますデフレしている。 「10級」とかってのが15年前の将棋道場の2、3級ぐらいあると思う。 最弱クラスの人々でも、現実世界では指す相手がいないだろう。 一方で本当に弱い人は24では勝てる相手がいなくてはじき出されてしまうのではないか。

コンビニでうかうかしていると、つい横山先生の三国志とか買ってしまう。 心の弱い中年男が弁当とビールとともに買ってしまうに違いない。 漫画的にはおもしろくもないのに時間だけつぶれる。 恐しい商法だな。横山先生がパソコンもっていればコピペで ふきだしだけ入れればいいから楽だったろうに。

寝る前に岩波の『ベルクソン』。電波系か。 美学と形而上学と倫理学もどきはともかくとして、 自然科学者が読んだら苦笑するようなことを平気で書いているのは どうなんだろう。 まあこういう人を研究している人々が苦労しているのはわかるのだが、 もうちょっとやりようがあるんじゃないのかなあ。 せめて「進化論の影響のもとにベルクソンがやったことの功罪」とか 「20世紀初頭の科学と哲学の関係」とかをまじめにやってくれれば よいのだが、篠原先生は自然科学にはほんとうに疎いようだ。 ホワイトヘッドはでてくるけど スペンサーのスの字も出てこないのもどうなんだろう。知らんけど。

一時期の百万遍ではやっていたような 19世紀後半以降の哲学者をいま扱かうってのはまあたしかに難しい。 ベルクソンとかホワイトヘッドとかねえ。 ジェームズなんかはまだやりようがありそうな気がするけど、 心理学史まじめに勉強しないとならんだろう。 フッサールとかもなあ。ポイントはやっぱり自然科学とかとの関係か。 その哲学者おさえて、19世紀末から20世紀初頭の科学(とその奇妙さ)をおさえて、 その後の自然科学の 発展もおさえて、ってのは並の研究者には難しい。 シェーラーとかになるとなんか楽になるんじゃないかという 気がするが、これも社会学史おさえないとだめか。 プラトンやアリストテレスやヒュームやカントやる方が まだ楽なんじゃないかとか。いやいや。学問の道は遠く険しく、少なくとも無能な者には 実り少ない。


2006/03/25 (土)

昼帰って寝て夜また出てくる。がんばれがんばれ。

やはり安物イヤホンに我慢できず、 ヘッドホン (Senheiser PX 200)をもう1台買ってしまう。この保証書を利用して 断線したやつを直すという姑息な手段を使ってみるつもり。

CD買い物に行きづまっているのが感じられる。クラシックはもう一通り集めたので、 作曲家ではなく演奏家から行くしかないだろう。

しばらく絶食とかするべきではないだろうか。月曜過ぎたら精進して新年度に備えよう。


2005/03/25 (金)

昼まで寝てしまう。陰。雪もちらほら。夕方やっと日が出る。

研究室に来てみると、なんだか片づいている。教員研究室一斉清掃が 入ったらしい。ごくろうさまです。なるべくこの状態を維持すべく努力する所存です。

前日のジーニアス大英和辞典の件、appendixなるものを入れると ちゃんと読めることを知る。快適。大辞泉も同じようにしてひきたいのだが。独自形式の CD辞書ってのはよくないよなあ。戦略がまちがってるのではないか。漢辞海も ふつうのフォーマットでCD出してくれないだろうか。

えんえんベトベン聞く。ふと思ったのだが、難しげなクラシック聞いたりMacの上でemacs使ったり、あんまりスポーツに興味なかったり政治的にはヌルい中道左派、新聞は毎日と地元紙をとるっていう私の趣味には、いかにもな臭みがある。味噌の味噌臭きは本物にあらず。まあそういう典型的な人間であるわけだが。親の期待を背負って過剰に投資され、おかげでなんとか浮びあがってきている人間だというかなんというか。べつに趣味は趣味でいいわけだが、なぜこう典型的なところにちゃんとはまるのかってのは興味深い。見るひとが見れば性的な趣味までわかるだろう。たとえば『サライ』の仮想読者対象である荷風や漱石を読んだりする人びと、それが私なんだろう。(サライは歯医者でしか読んでないけど)

日が長くなってきて一日の感覚がちょっとおかしい。

サッカーを見ていて、日常クラブチームの試合も見てないのに 日本代表の試合だけ見るのはなぜかと考えはじめたらばからしくなって見るのをやめる。 もう球技のテレビ観戦はしないかもしれん。

最近ビール飲んでもおいしくない。やばいので禁酒。 しかしコーヒーやお茶はアップ系の飲物だから、 ダウン系の飲物がほしいのだが。


2004/03/25 (木)

うーん、だめだ。


2003/03/25 (火)

昼まで寝ていて軽くジョギングして事務書類書きに研究室。調子悪い。 とりあえず部屋を片づけて書類を発掘しなければ。

もうすぐ新学期がはじまる。


2002/03/25 (月)

恒例の血液検査。

血液検査結果
項目 (基準値) 2000/5 2000/11 2001/5 2001/7 2001/10 2002/1 2002/3
GOT (11-31) 50 46 38 39 46 35 62
GPT (7-45) 75(!) 65 50 98 (!) 73 62 95
γ-GTP (12-67) 154 80 91 213(!) 173 143 182
コレステロール (130-199) 227 221 177 184 213 185 190
中性脂肪 (32-149) 403(!) 854(!) 355(!) 645(!) 325 N/A 599(!)
尿酸 (3.5-6.9) 7.4 7.6 6.7 6.9 7.5 N/A 7.1

こりゃいかん。こんどこそ本当の禁酒禁煙。この時期しかない。と思う反面、 おれはこんなもんなんだとも思うのだが。次は5月の定期診断で勝負。

送別会に出席。


2001/03/25

うわあ、寝てしまった。いろいろ間にあわん。

時間がないのだが、 床屋。

午後、都ホテルで加藤尚武教授退官記念講演および退官記念パーティー。講演は達者だしパーティーは盛大かつ和やか。たしかに人徳。1年前にも素敵なパーティーを経験したが、今回もなかなか。大成功した人生って。(まあ、まだ半ばなんだろうけどね)

酔っ払って研究室に戻るも、寝てしまう。ぎゃー。いったん帰宅して百万遍で作業。

コペンハーゲンではプレゼンしろというので、大昔に書いた これを持っていく。「なんでいまさら」「何回使うんだ」「はよ手を切れ」とか言われそうだが、なんといっても一番愛着があるし、出典その他の問題とかは本場の人に読んで批判してもらわないと自分のなかでの結着がつかないんでね。英語で書きなおしてて、当時の感覚とか思いだして奇妙。まだ10年たってないから、遠くもあり近くもある。なんだか、青春の精算のための旅行ってかんじ。青春の終り? 帰ってきたときは人間が変ってるかもしれない。ギーライエの岬で実存を発見してくるよ。


2000/03/25

1999 /1998 /1997 /1996

京都中あっちこっち。


1999/03/25

前夜はミカン箱40〜50個程度できたと思う。しかしまだまだ。

ピンチな男

とりあえず金をかきあつめて不動産屋へ。これで鍵がもらえるのかと思ったら、連帯保証人の実印がないと契約は完了しないし、鍵も渡せんという。これから契約書を実家に送ったら日曜には間にあうはずがない。ギャー。担当者からの電話待ち。とりあえず書類は宅急便で送ったが。むう。なんでこういつも人間失格なのか

その後、担当者から電話。鍵はなんとかもらえそう。ほっ。

今日は事務仕事もしなければ。

事務仕事進まず。向いてない。

気分転換にlynx 2.8.2 (dev20)を作ってみるが、rxvtでの表示ではバックグランドがリバースになるのが気にいらない。今つかっている2.8.1ではなぜかクリーム色になる。--with-screen=slangで作ったのが問題?あるいはcfgファイルの問題?あるいはrxvtの方の問題?解決するまでmake installは控える。

10:40 んが。事務まだ終らん。片手間で某医者の仕事を手伝ったり。プリンタの調子が悪くて往生。

11:40 ぎゃー。終らん。医者も苦しんでいる。

結局深夜までかかって、やっぱり終らん。医者の方はなんとか望みの結果が出た模様。やれやれ。

まあ、ちょっと、この依存気質はなおすべきだね。本日はのべ5人回にさまざまな形で依存した。マザコン男と謗られても甘んじて受けねばならぬ。大人にはなりたけれども大人は遠し。この歳でこれでは、もう一生これなんかもしれんな。

明け方はまだ寒い。しかし今寝てしまうとゴミはどうなる。

minima theoriaがひそかに復活しているのがちょっとうれしい。


1998/03/25

古雑誌はどうしたら?

特に京都市内に在住の方に質問。

今「関西古紙」などの古紙回収業者は、どういうわけか雑誌などをもっていってくれなくなっていると思うんだけど(古紙の値段が暴落しているからだろうけど)、んじゃ、古雑誌はどうしたらいいんだろうか?非常にこまっておるのじゃが。

とっておく
家庭ゴミとしてゴミの日に出してよい
しらんぷりして道端に捨てる
家ごと火をつける
その他

はるかイギリスから来た人のセミナー。なかなかおもしろかった。おとなしくしているつもりだったが、飲み会でやはりからむ。

「とっさに文法的に正しいイングランド語を話せるのが、イングランド語の力というものです。」という名言を聞く。なるほど。たしかに通じるだけではだめじゃな。


1997/03/25

寝不足。自由意志読書会。ひきつづき、第一回哲学授業法大研究会。

(☆)某氏と二人で、来年度のシラバスだの去年のレジュメだのを見せあって、あーだこーだと授業方法について意見交換。

こういうのは意味がないという向きもあるかもしれないが、切実な情報交換でもある。

哲学の授業ってのも、古典落語みたいに、マクラもクスグリもサゲも一言一句フォームがきまっているのがあってもいいような気がするな。Mのころから前座として「頭山」「たらちね」みたいなんからおぼえはじめて、「子別れ」や「芝浜」あたりが十分に語れるようになれば真打ちとか。

む、落語界とこの業界はいろいろ近いものがあるぞ。私はバレ話専門の才能ない前座か二ツ目?

そういや、『落語としての哲学』って本があったな。未読。

月例のもよおしとして、携帯電話がとまっている。