自動車の所有や運転には快があるのは否定できない。はじめて車で京都まで来たときは相当楽しかったのを思い出す。解放感ってのかね。自由。
あれこれ来年度(というか気分は今年度)の準備。論文もらって読んだり。夜プール。自転車も復活。スクワットするくらいなら自転車で坂を登るべきだ。
春。某練習。 咳が出るといやなので(練習中は出なかった)飲みにはいかず。 それにしても困ったな。日記を見ると、例年春先こういう状態になることがけっこうあるようだが。
前日夜半から雷。何度か起きてしまう。
会社の式典があり、出席しないとクビになりそうだったので出席したけどそうではなかったようだ。学長挨拶は立派なもので、20年前に会社に雇ってもらってからつきあい長いけど偉くなったなあ、みたいな。
事務的な話でいろいろ心煩わす。
午後自宅生存環境を改善。気晴らしにはならんが、もうすこし生活をまともにしないとね。
家でゆっくりするつもりがLINEで呼びだされた。去年卒業式できなかったので今年それやります、みたいな式典があり、終ったあとに卒業生様が数人来訪。コロナ年の新入社員は相当たいへんだったようだ。
前夜のアニメのせいで寝坊。いくつか事務仕事。
練習。来年度の学部のなんとか委員に付随する仕事もいろいろまわってくる。
朝コンビニおにぎり。おちついて勉強。
昼帰宅してスパゲティ。布団干したりも。布とかそういう関係はもうぜんぶ捨ててしまいたい。
冷奴も食える時期。おひたい。ソバ。蕎麦うまい。
2度めの入院。2回めとなればいろいろ慣れている。本なんかももう持ち歩かずiPadで十分。
なんか他の人の緊急手術とかあったらしく、スケジュールが狂っているんじ。
ゴミ出しがてら、大家さんに挨拶。病院に向かおうとすると電話があり、緊急手術が入ったので、まず予定とは別の病棟(この前の7階)に入室してくれとのこと。行ってみると個室。まあ術前術後は不安だから個室頼んだんだったか。飯食って、なんらかの予定の説明があるかとお思いきや夜までなにもなし。検査も特になく採血しただけ。なんかイレギュラーなことになっているのだろう。まあゆっくり本を読んだ。しかしこれなにもなくて個室は高い。これならギター持ってくればよかった。
夜、手術の説明に家族を同席させろ、とかいきなり命じられて、ウッとなる。 外科は基本的に麻酔下でいろいろやるから、代理同意してくれる人が必要だからってことらしい。
前回の教訓からふりかけを買っておいたのでQOLが上がった。
久しぶりにゆっくりジョギング。ボンゴレ。
午後大学。まあちょっと人生の小春日和だったから、残り2週間でいろいろちゃんとしたい。
学部でも完全な中堅、むしろ学部的にはベテランなわけで、いろいろ考えなきゃならんわけね。
夜途中まで見ていた『ムーラン・ルージュ』の残りを見る。後半はもうちょっとやりようがあったろう。さらにだめすぎて投げすてた『セッション』は最後はまともだってんで見るがこれはひどい。ほんとゴミ映画。まあ映画ぐらいは積極的に見るようにはしたい。
大学でいろんな雑用。
非常にイライラすること一件。久しぶりなのでショックだったが、そういやこういう職場なのだった。仕事を押しつけあい、判断を先送りし、責任を負うことを回避し、まちがっても詫びることもない。っていうかこれが私の長年の不調の最大の要因の一つなのだったな。丸一年解放されてたから忘れてしまっていた。まあ他の職場ならこういうのがないというわけではないわけだからある程度そういうものだと受け入れねばならない。
まあこの手の不快を握りつぶすために酒を飲んしまってたんだった。今年はそうならないようにいろいろ注意。
昼大学へ。いろいろ心いれかえて勉強しよう。
保健室で風邪薬もらう。飲むと眠い。
最近風をよくひいている気がする。そんなに大事にはならないものの、細かく病気している感じ。どうも抵抗力が弱っているというか。やっぱり有酸素運動して積極的に体を鍛える必要があるのかもしれない。
PL飲んで超早寝。
睡眠第一。
先延ばししていた事務仕事を幾つかやっつける。
やっとまともな時間に起きられる。
しかしちゃんとスケジュール表を見ておらずすっぽかし1件遅刻。だめすぎる。
音楽を聞きに。京都コンポーザーズジャズオーケストラ。とても楽しめる。もっと「コンポーザーズ」しているのかと思ったらわりとメインストリームなステージ。大スタンダードもばんばん。
いろいろやらねばならんのだが手につかない。
夜半、やっと妹と連絡がとれる。ずっと家にいたらしいが、電気が通ってなくてなにもできなかったらしい。
心を落ち着けていきましょう。
心を落ち着けるにはまず読書。軽いものから。 よく書けているポピュラーサイエンスを読むのは人生最大の楽しみの一つだな。よくできた文学作品は楽しむというのとはちょっと違うところがあって。
雨。寝坊。
紅茶飲んでもコーヒー飲んでも目が覚めない。眠い。
雑用で忙しい。そういや3月は毎年そうなんだった。
うーん、もう夜。まいった。まあ時間を無駄にしてないとは言えないけど、それなりに使っているつもりなんだけどな。昼寝しちゃうのがいかんのかな。 いやいや、昼寝はしてません。無能だから。
久しぶりに生存学見たらすごい生産量だな。こんだけあれば玉もかなり入っているだろう。このGCOEは成功だと思う。
公務員やら会社員やらの長期研修制度ってのは具体的にはどうなってんだろうな。大学教員こそ定期的な研修が必要だよな。
さて、仕事仕事。3月後半、たいしたことはできなくてもまじめにやりましょう。
「登校したらリュックのなかのものを机の上にぶちまける」メソッド。けっこうよいかもしれん。長所:メモや提出しなきゃらなん書類や読みかけの本をリュックに入れたまま持ち歩くだけになるのを防ぐことができる。手帳見るのを忘れてひどいことになってたのはこれやらなかったせいだ。短所:想像通り。
翻訳における「否定する」っていう表現の問題。たとえば、 deny women access to abotion。「を与えない」が正しいわけだが。denyといえば否定する、と訳しちゃうから「胎児の生を否定する」のような表現も流通しちゃっていて、「否定する」のこういう用法はもう一般的になってしまっているのかもしれない。なんだかな、とか。「価値(があること)を否定する」ならまだましかな。翻訳文化が思考に与える影響。
まあ私自身は日本語であんまり思想書とか読んだことないから(外国語でも読んでないけど)よくわからんときがある。
トロツキー『ロシア革命史』おもしろいなあ。このひと文人だ。ロシアのことなんか考えたこともなかったよな。みなさん、まだロシア革命から100年たってないんですよ。信じられないっすね。文化大革命史も読みたい。
内戦。2・26は内戦じゃなくてクーデター失敗か。戊辰戦争とか西南戦争は内戦だよな。その前は?これから先はどうなんだろう。浅間山荘も内戦でも紛争でもない(あたりまえ)。「事件」「騒乱」「事変」「紛争」「戦争」とか、ちゃんとその業界の言葉の意味をおさえてないのははずかしい。
Carzy Cycle Lanes。笑える。国内で自転車レーン作ったらもっとすごいのが出るかもなあ。コペンハーゲンのはけっこうよかったけどな。
だらだら昼寝したり遊んだりしてしまう。
なんか数学と物理学の関係が気になったのでファインマン先生の『物理法則はいかにして発見されたか』読みなおしてみたり。数学は公理からびしっと構築するけど、物理学はとりあえず部分的なつぎはぎでいいから数学でもカンでも妄想でもなんでも使って発見してくんじゃ、とかって感じの話でおもしろい。バビロニアの数学とギリシアの数学って分けかたすると、物理学者はバビロニア人の子孫。『冗談でしょう』でもファインマン先生の奇妙に特化した数学能力がおかしいのだが、これなんだな。部分的な近似を発見していって、いつかすごり統一理論を得るのを獲得するのを夢想するわけだ。全然学問としての格が違うけど、倫理学もそうかもな。基礎づけしたいけどそうもいかんから直観のつぎはぎにたよらざるをえないところがある。倫理学におけるファインマン先生とかってのもおもしろいな。なんも基礎づけわかってないけど直観とかで具体的なのは正しい判断できる人、とか。ただし物理学とちがってそれだけじゃだめなんだよな。なぜなら、物理学はそこそこはっきりした対象があり実験も観察もできるわけだが、倫理学ではそもそもの対象がよくわからんから。まあ倫理的実在欲しいひとたちの気持ちはわかるね。あればいいっすね。
会議。なんじゃこれ、ってな感じの議案一件。
エントリシート2件。忙しい。
修論発表会なんてのにも顔を出しておく。
女流棋士会、ますますえらいことになってる。 石橋女流ブログ とか。石橋女流四段はまだ20代半ばだと思うが、たいへんだなあ。 島と森下はどうするのか同世代として依然として興味ある。 まあ新しいメディア使った戦い方として参考にしよう。
大学の非常勤講師問題とよく似ている。っていうか似すぎている。 将棋倫理学者の登場が期待される?やはり糸谷四段 には将来の将棋倫理学者として百万遍に入ってほしかった。
勝手に将棋トピックスのひとは すばらしいライターだな。知性と良識を感じる。
二日酔い。ばか。 なご〜りー雪も〜降る〜ときを〜。
昼から。まず雑用を片づけねば。
光プレミアはサーバー用途には問題が起こりそうなのでしばらく見送り。 もうちょっと情報を集めてからでないと危険。
学内のネットワークはまだ落ちつかず、パスワードも初期パスワードから変 えられない。やだなあ。管理者が苦労しているようだ。 でも無理矢理変えてもらった。すまんです。でも覚え にくいパスワードを紙で持って歩くなんて絶対いやだもんね。
確定申告忘れていた。ううん、こんなにとられるのか。今年は前納しているから去年よりは楽か。しかしこれほど稼いでいるのにちっとも楽じゃない、どころか綱渡りなのはなぜだ。
聴講しなければならなかった講演会をすっぽかしてしまう。
教授会。なにかを説明するときは余計なことを言うと混乱するのでシンプルに。
大学教員と各種雑用との関係(あるいはいかにして大学教員に雑用させるか) というのは、大学行政の最大の課題だよな。たいていの私学では、事務系の人 間がやるべき仕事も教員系にまわってきているという問題もあるのだが、たし かに教員がやらなきゃだめな仕事も多い。特に教育まわりは当然教員がやらな いとまずい。まじめに教育しようと思えば、ある程度雑用行政もしなくちゃな らん。
もう議論しつくされているが、第一に、大学教員の評価なんてのは業績だけ、 せいぜい教育で、大学行政なんてのはまったく評価されないのだから、会議そ の他で時間がとられるような仕事なんてするインセンティブがさっぱりない。 そもそも教育よりも研究したくて大学にいるわけだし。卒直にいって、大学内 行政に興味のあることを示す教員がまわりから評価されることはない。むしろ 評価が下がる。
第二に、そういう仕事ができる人は大学教員のなかではほんの一部のひとだけで、 私のような無能な人間はやるだけ無駄というか仕事とミスが増えるだけ。
第三に、そういう仕事を強制する手段がおそらくないし、やりたくない人び とに仕事をまかせると余計にまわりがたいへんなので一部の人びとに仕事がか たよる。この不公平感が、まともな人びとのモラルを下げてしまう。
第四に、なにかを積極的に創造したりする仕事は望んでやる人も いるだろうが、消極的に保守したりダメにならないように配慮したりする仕事というのは どんな仕事でもつらい仕事のように見える。教員の雑用の多くは消極的な仕事で、 心理的な報酬を見だすのがむずかしい。(実は保守するだけでもたいへんなわけだが)
教授以上の職階がない、とかってのもポイントなんだろうか。
やっぱり不公平感ってのはかなり強烈だな。私自身はまあやらなきゃなら ん仕事はしょうがないと思ってしまうタイプなわけだけど、待遇に格差がある とやっぱりなあ。
一般企業でもそういう問題はあるんだろうが、ボーナスや昇進などで原理的 には解決されているんだろうと思う。こういうのが経営学って学問の対象なの かな?ぜんぜん知らないけど。どうなんかね。どの程度雑用に時間をとられた かを計量して給料やボーナスに反映するとかってのは無理なのか。大学教員組 織についての専門家というのが実はいないのが問題なのか。まあ私が考えても無駄だし 皆から馬鹿にされそうだから考えないようにしよう。
悩んだ末に、PCパーツ屋でMicro ATXケース購入。はじめてのPC組み立て。 この年で初めての組み立てしようという人間というのは実は希少かもしれない。 そういうのが好きひとはすでにやってるし、好きじゃないひとは一生やらない。
歯医者。歯石とり。きれいにしてもらったので禁煙再開。
水幡正蔵ってまだがんばってたのか。 トンデモ系ってのは、関心の対象より、思考や表現の形式に共通の特徴があるよな。 広がりのなさというか新奇な情報の少なさ、生産性の低さその他。 分裂症患者の書くものが陳腐で退屈なのと共通したものを感じるし、 科学的な論理の問題というよりは関心の狭さや自己意識の問題に見える。 我々の病的な思考にはおそらく限られたパターンしかないんだろう。 ってことは、われわれの正常な思考はかなり少数のシンプルな機能の集合ということ なのかもしれん。あ、こんなこと考えてるとトンデモに。
来年度は学生をすべて「君」づけで呼んでみようかと思ったり。 ひとむかし前のいままでは一律に姓と「君」(男子)、「さん」(女子)。 君づけにはかなり抵抗あるが、財前助教授のようでよいかもしれない。
雪。午後遅くに起き出し、三条でCDとお茶を買い、研究室へ。
同じ曲ばっかり買ってるような気がする。やっぱりそろそろクラシック収集も 終りだな。あと有名どころでは晩年のリスト、シューマンのピアノ曲ぐらいしか残ってないような 気がする。ショパンは聞かない。 終りでなければ、次はNAXOSでマイナー曲集めに行くことになるんじゃいだろうか。
別に小説を書いてみたいわけではないが荷風「小説作法」。
「読書思索観察の三事は小説書くものの寸毫も怠りてはならぬものなり読書と思索は剣術使の毎日道場にて竹刀を持つが如く観察は武者修行に出でて他流試合をなすが如し読書思索のみに耽りて世の中人間実地の観察を怠るものはやがて古典に捉はら感情の鋭敏をかくに至るべく己が才をたのみて実地の観察一点張にて行くものはその人非凡の天才ならぬ限り大抵は行きづまってしまうものなり」
「読書は閑暇なくては出来ず況や思索空想又観察に於てをやされば小説家たらんとするものはまづおのれが天分の有無のみならず又その身の境遇をも併せ顧ねばならぬなり・・・支那の文学は離騒を始めとして韓柳の聞李杜の詩に至るまで皆副業の産物なり」」
小説家に観察が必要なのは言うまでもないが、哲学者に観察はどの程度必要なのだろうか。
それにしても、なぜこの国の教育では文学といえば小説ということになっているのだ ろうか。ていうかそう私が思いこんでいるだけか。フィクションは文学という 大きな営みのなかではほんの一部でしかないし、私にとっては文学の 中心部分でもないような気がする。
しょう‐せつ【小説】セウ‥ (1)[漢書芸文志「小説家者流、蓋出於稗官、街談巷語、道聴塗説者之所造也」]市中の 出来事や話題を記録したもの。稗史はいし。 (2)(坪内逍遥による novel の訳語) 文学の一形式。作者の想像力によって構想し、また は事実を脚色する叙事文学。韻文形式だけでなく、語り手が物語るという形式からも 自由となった、市民社会で成立した文学形式。古代における伝説・叙事詩、中世にお ける物語などの系譜を受けつぎ、近代になって発達、詩に代って文学の王座を占める に至った。広辞苑
しょう‐せつ【小説】セウ‐ 〔1〕《坪内逍遥がnovelに当てた訳語》文学の一形式。特に近代文学の一ジャ ンルで、詩や戯曲に対していう。作者の構想のもとに、作中の人物・事件などを 通して、現代の、または理想の人間や社会の姿などを、興味ある虚構の物語とし て散文体で表現した作品。〔2〕《「漢書」芸文志から》市中で口頭によって語 られた話を記述した文章。稗史(はいし)。 大辞泉
「だれもが自分の内心をおしはかってみれば、 われわれの心の内側のかずかずの願いは、たいていの場合、 他の者の損害の上に生まれ育つものだということが見てとれるだろう。」 (モンテーニュ「一方の利益は〜」 心の内側なあ。そういうところを、モンテーニュは「いつもは気づかないけど、 反省すりゃわかる」と思ってたんだろうな。
スクリーチ『モンテーニュとメランコリー』 不惑を前にして最後の自分さがし。かっこ悪い。
どうでもよいことだが、blogをはじめようとして途中で止まってしまう人の割合は、 5〜10年前にweb日記とかってものをはじめて途中で止まってしまった人の割合より 多いのではないかと予想する。
某師匠のアンテナ経由で時々読んでいたのだが、 若林正さんは亡くなっていたのだな。 今まで何人のWeb日記作者が亡くなったのか知らないが、 最後の最後まで書けるってのはWebのよいところなのではないかと思う。
もっとも読むのはキツいが。 どうも最後はずいぶん苦しんだようで読みなおすと本当にキツいな。 2月には、「もうこの方は長くないのだろう」と読者の 誰もが思っていたと思う。 私も最後に鎮静してもらうまで書いてみたい。その時はサーバーのファイルを直書きしたいな。
昼起きて午後大学。
講談社学術文庫の『ギリシア・ローマの盛衰』。洒脱でおもしろい。
最近映画の影響か「武士道」とか新聞でよく見かけるようになった。なんだか馬鹿らしいような気がするのだが。そんなもの(どんなものかわからんが)がひとびとの実際の規範であったことはないだろうし、武士階級とかいうひとびとのなかにそれに実際にしたがっていた人もほとんどいなかったろう。規範は規範。なぜひとびとは過去の規範について、それにしたがっていたひとびとが実際にいたと思いこみやすいのだろうか。
今日はなにもないので(私がいなくても大丈夫な会議を1個パス)、 心おだやか。しかし眠い。
というわけで12inchのPowerBookを発注。うーん。 研究室でもMacを中心に使うようになる予定。マカーに戻ったわけだな。
まだしんどい。委員会。咽が痛くて鼻がつまって、さらに腹がへって血糖値が低くてイライラしてしまう。長い。っていうか無意味に長いのがつらい。
事務仕事もいらいらしてしまう。
基本的に自分はあんまりイライラしない人間だと思っているのだが。はっ。と、すでに一週間前ぐらいからこのイライラの傾向が出ているではないか。恒例の春のハイパーアクティブ月間の予兆かもしれないと警戒。買物してしまったり暴言をはいて人間関係を破壊したり、いろんなことが気になって仕事にならん(いつも仕事にならんのだが)とかって時期が襲ってきそうだ。
人に迷惑をかけないように、お金をつかいすぎないように。鬱の状態より躁の状態の方が苦しいってのは、その手の傾向がない人にはわかりにくいようだ。何度も書くが、別に「躁」のフェーズだからといって、楽しいわけではないのである。まあ、もうオヤジなんだからそういうのとうまくつきあうこと。
それにしても、パレスチナ誰かなんとかしてやってくれ。毎日何十人と死んでるじゃないか。戦争なんだろ。もうちゃんとした戦争なんだろ。なんで何十人も殺しあってるのに、新聞のちっちゃい記事で読むのがなんだか変な感じだ。あんなにアフガンで大騒ぎしてたのに、パレスチナだとあんまり関心ないのはなんでなんだ。ワシらなんでアフガニスタンに注目してたんだ。大きくとりあげると圧力でもあるのか。と、もっとたくさんの殺しあいがあちこちであるんだろう。誰かなんとかしてやってくれ。よくわからんけどなんとかしろ。誰かなんとかしてやってくれ。30前に死ぬってのはどういうことなんだ。(こういうこと書いたりするのが躁のあらわれ)
午前中から研究室。どういうわけか電話鳴りまくり。午後、 某翻訳を手伝う。
スイミングスクール。今さら平泳ぎについていくつかの知識を得る。 もうずいぶんになるな。
熟睡。
いろいろ忙しい。
昨日は12時ごろには帰り、12時間ほどの休憩。
ふたたび某部屋を占拠して今日こそ勝負。...といいつつ部屋でしばらく寝てしまったり。だめだめ。
時間がない。いろいろ楽しいことを思いだしたり想像したりしてメンタル面をととのえる。イメージが重要。あの坂を上っていったん後続をひきはなしてスタジアムにはいって。満員の観客。声援。いぇー。追いつかれそうになるけど我慢して直線勝負....追いこされて転ぶ....あれ?
あたりまえのことだが、いそぎの用事には電話、いつでもよい情報にはメールってのが正しい使いわけだと思う。
Yeh, there are 24 hours left.
もう一回。あの坂を越えて。長いダラダラ坂で。えっちらおっちら。いぇー...疲れて。ああ横腹がいたい。登れん。いや、よくやったじゃないか。別に完走しなくたって誰もオレをせめたりしないよ....あれ?
わあ、育英会から親元に連絡されてしまった。恐い。
深夜。しかしあれだね。はげましとかってのは非常にうれしいもんだね。わたし自身はあんまり人をはげましたりなぐさめたりしないし、やさしくもないんだけど、ちょっと考え方をあらためよう。次に生またときにね....
いぇい。さっきは登り坂をイメージしたのが悪かった。あのクネクネ道をまわって、下り坂をかけおりればすぐにゴールだ。とにかく歩いたってとにかくゴールまで行けばいいんだ...そしてゴール。いぇい。
♪Writing high〜 眠くても
♪Writing high〜 ノドいたくても
♪Writing high〜 タバコ切れても
♪Writing high〜 学者生命断たれても
下り坂。下り坂。ゴールもまだまだ遠いけど一応見えてる。... 転んだ.....あれ?タンカ来てくれた。肩貸してくれる人もいるみたいだ。ゴールまで運んでくれるのかな?そしてガッツだぜコールも。ガッツだぜ、ガッツだぜ、ガッツだぜ、....OK, I'll walk.なんとかよれよれ歩いてゴール。ビリケツだけど。日も暮れちゃったけど。やあ、やあ、みんなほんとにありがとう。笑顔。
よし。このイメージでいくかね。このタイミングでラーメン食べるとどうなるだろうか?
3:00 眠い。やっぱりラーメン食うんじゃなかった。後悔。
平坦な道を走っていると眠くなってきて、道端でちょっと寝てるとカメが追いこしていく.....タイやヒラメが踊って、気がつくと白髪のおじいさん。うわあ。
いかん、ピンクの象や小人さんの大名行列を見る前にちょっとだけ仮眠とろう。
早起き。ゴミ出し、洗濯、各種雑用。
geocitiesのデータが飛んだのね。実は私も2コぐらいアカウントをもらって、ろくでもないデータをアップロードとかしてほっぽりだしていたかもしれないのだが、消す手間がはぶけた。
それにしても、サーバーの管理ってたいへんだよなあ。私なんかは適性がないなと思う。(適性がある人ってのも少ないような気もするが)
このあいだqmailにいれかえちゃったりしたのも、今では後悔していて、やっぱりもっと慎重でなけりゃだめだよなと思う。複数の人間が使うんだし。
サーバー管理者にもとめられる徳ってのはなんだろうか。
perlの作者のLarry Wallさんは、高慢と不精となんやらをプログラマーのCardinal virtueだって言ってたたけど、(ラクダ本が手元になくて確認できない)プログラマにもとめられる徳とサーバー管理者に求められる徳とは違うね、きっと。
このサーバーを利用している方々に告ぐが、本サーバーはいっさいバックアップをとっていないのでそのつもりで各自対処してください。
最近、ふとしたことからベビーローションなるものを手にいれてしまい、風呂あがりやヒゲソリ後に顔にヌリヌリしたりしている。なんだか顔がスベスベになっておかしい。私はそういう化粧品関係ってのは(ときたま使う整髪料以外)使ったことがなかったので新鮮である。(「アフターシェーブローション」とかもつ使ってない)そのうちスキンクリームとか買うようになるんだろうか。
最近の若い男の子たちは眉毛なんか剃っちゃったり、ピアスなんかしちゃったりして肌もスベスベだったりしてちょっとうらやましい。(私は技術がないのでできない)
(☆☆)
研究室にこんぴゅーたーとかいうものが2台とどいたが、(「あぷてぃば」なんとかってのと「ぱわーまっく」なんとかってやつ)孤立したこんぴゅーたーとかいうものにはほとんど意味を見いだせないので今日は触らない。こんぴゅーたーってのは、実は計算機ではなく通信機器なのだな。電卓と電話のどっちに近いかと言われれば、電話の方に近い。ファミコンとポケベルでもポケベルに近い。(この比較は、これを読んでいるひとは当然だと感じると思うけど、けっこう意外なかんじもする。)
どうにかしてイーサーケーブルをひっぱりたいのだが。むう。
読書会を2本。今週は毎日読書会であった。4月からお金持ちになる予定の某氏にタカる。
児玉三等兵は私にメールを1通残して、広島・呉に去った。目的は知らない。巨大戦艦に乗りこんで沖縄にでも行くのではないだろうか。帰りの燃料じゃなくて旅費はあるのだろうか。また会えるのはいつの日か。さらば。
数日前、今年はじめてウグイスの声を聴いたのだが、昨日今日と聴いていない。まだちょっと早かったのだろうか?
ウグイスってのは春先から初夏にかけて、ちゃんと練習して歌えるようになっていく過程を楽しめるのがよい。才能に悩むやつとかもいるんだろうな。
岩倉(京都市の山のなか)に住んでいたときは、裏山(アパートの裏がほんとに山だった)で鳴く鶯を毎年品評して楽しんでいたものだが、さすがにここは一応街中なので、個体を識別することはできない。いや、岩倉だって個体を識別はできなかったけど、とりあえず「今年鳴いてるヤツ」ってのはわかった。「今年のやつはずいぶん上達したなあ」「今年のはダメだ」ってかんじ。
そうか、ここは巣をつくる場所からちょっと遠いから、トリル(じゃなくて、「鶯の谷渡り」か。エッチな意味はない) を聞く機会がないんだな。
私のなかではgood old 岩倉 daysってやつなのだ。あのころは猫もいたし。いや、擬人法(擬猫法?)ではなく、ほんもののネコ。