本日まで有給休暇中かつ研究室閉鎖中。病院。別のに紹介状書いてもらう。 やはり健康は維持しなければならない。1時間ぐらいかけて徒歩で帰宅。春。
夜京響の春の祭典を聞く。たいへん楽しんだ。演奏たいへんねえ。
調子悪い。なんか咳が止まらない。なんだろう?
事務仕事。
『へうげもの』、欠けてた巻も揃えて読みおしている。傑作よのう。
雨で寝坊する。事務作業はさぼって先送りしてはいけません。面倒になります。
雨。
昼ごろ床屋へ。もっと早く行くべきだった。伸びたら薄毛がめだつ。
夜ジムに。筋トレしてプール30分。これで1時間ちょっとぐらいだから、時間ないと思っても通うべきだ。
わりとみっちり練習。コード進行はだいぶなじんできた。
素麺。
あんまり落ちつかず。
夜、サウナへ。五条楽園の梅湯。濃厚なサブカル風味漂う。ここはサウナのBGMがテレビではなくハードバップなので、まあそれなりに楽しめる。 気になっていた七条川端のさくら湯は廃業していたことを知る。
ボンゴレ、温野菜サラダ。
セックス哲学の研究会の予定だったのに行けず。病院へ。
ばかだからずっともってた翻訳を、本気で手放す。できるかぎりのことはしたけど、やはりクォリティ的に満足できない。まあできないことはやってはいかんし、もうどうもならん。もっていてもしょうがないし。本当に申し訳ないことをした。あとは好きなことをしよう。
夜放送。 星野源の「恋」を弾き語りできるようになろうとしている。3日でずいぶん進歩した。
神田で某研究会。 「セックス哲学懇話会」。
酒飲み。某永江さんと20年ぶりに会う。
無能で自己評価が下がる。天気悪い。
うわ、野原さんが大病か。お大事におねがいします。
ゆっくり将棋見たり。
ブルーノート東京でケニー・バロンを聞く。I hear a rhapsodyからはじまって、モンクの曲、My funny Valentine、ふたたびモンクのWell, you needn't、アンコールで「カリプソ」て曲。ドラムトリオみたいな感じでよかった。しかし1ステージだとなんか損した気になる。もう少し聞きたいしコストパフォーマンス悪い。
最後の入試のようだ。がんばれがんばれ。
某と飲む。好調そうだ。飲み過ぎ。
練習。
寒くて人生は苦。
たまには研究室に行かず。
本を捨てることができずたまる一方っていうのは、読みなおしたり資料としてもう1回使うんじゃないかと思っているからではなくて、自分の生活の記録として残しておきたいからではないかという気する。買ったまま読んでない本の方がむしろ捨てやすいような。だからMediaMarkerとかにタイトルだけ記録してしまえばゴミに出したりブックオフにまわしたりできるんではないか。
早起き。スラックスと革靴を履くという苦手な業務。集合時間間違えて冷や汗。本番も何回やっても緊張する。1月なかばのやつだけは絶対にやりたくない。
会議。
疲弊。
突然キャビアで冷えたウォッカ飲みたいような欲求を感じるが、飲めないだろうなあ。
なんかイライラしている。落ち着いて。
猛烈に目がしょぼしょぼしている。なんだこりゃ。
シーシェパード。この人々に対して誰がどういう論拠でどういう態度をとるかってのはなかなか興味深い。市民的不服従とか、デモとかサボタージュとか、器物損壊とか。ここらへんどう考えるのかってのは難しいグラデーション。妨害がだめなら、座り込みはどうか、器物損壊がだめならサボタージュはどうか。シーシェパードは器物損壊まではやる気なのだろうが、さすがに人身攻撃はしないはず。ピーター・シンガーもこの文脈で紹介されれば、その左翼的過激さが理解されると思うのだが、そういう紹介されないのは残念なことだ(実はシンガーのこういう件についての立場がどの程度首尾一貫しているかまだ検討してないのだが、おもしろいはず)。期待される効用をどの程度個々の行動にまで適用するかとか、それとも一般に器物損壊は〜だとかになるのか。政治学・法学・倫理学あたりやっている人間にはリトマス試験紙というか踏み絵というか、そういうもんになるはずだわな。各大学の倫理学教授に聞いてまわりたいような気がするなあ。そういう企画で雑誌編集してみたらどうかなあ。「なぜ人を殺してはいけないか」なんてくだらん問いよりおもしろそうだなあ。『情況』か『インパクション』あたりでどうか。『世界』でもいいかもなあ。私はどういう態度をとろうかなあ。それは必要なコストなんかね。まあどういう思想なのか調べてみるべきか。アメリカ独立革命やフランス革命とかもどうなんかね。あとで考えよう(つまり考えない)。
自転車3人乗りに関しては、ヨーロッパでよく見る自転車リアカーを公認して生産し、2車線の一つを自転車専用道にすりゃいいんじゃないかな。どんな団体の賛同者にもなったことがないけど、「京都市内から自家用車を排除する会」「自転車道を作る会」「歩道は歩行者のものだ会」「車道も実は人間のものだ会」なら賛同してもいいな。市内では原付も車も自転車も徒歩も経験していて、現在は徒歩者の立場だけど、まあどの立場でも賛同できるだろうと思う。(歩行者に一度もクラクションを鳴らしたことがないのは自慢の一つ。 )
軽い宴会。早々に辞す。早く寝よう。
岩波の「1冊でわかる」シリーズの『ファンダメンタリズム』(マリーズ・リズン)。いろいろ知らないことが書いてあって、優秀なこのシリーズでも一番ショックを受けたと思う。しかし解説が・・・このシリーズ、解説おかしいときあるぞ。一番おかしかったの『心理学』。 この解説も、リズンの記述を「立ち位置」とかそういう問題に落とそうとしているのが見え見えでどうなんだ。いや、そういう批判はあっていいんだけどね。「ファンダメンタリズム」ってのが難しいククリであるのはリズン先生も承知の上だろうよ。なんか根本的に誤読していると思う。でも島薗先生としてはこう書かざるをえないんだろうか。まあよくわからん。これもいつか考えよう(つまり考えない)。
昼前から。落ち着いて本を読もう。
某 先生来訪。おひさしぶり。健康が一番大事だとか、 血圧に注意しろとか、タバコはやめろとか、健康の一番の敵はストレスだとか、 隠れて生きるのが健康には一番だねとか 。参考になる。
本読んだり書類整理しているとあっという間に時間が過ぎる。
夜、雨。夜も研究室でゆっくり。心の平安は春と夏の研究室のどこかにある。 無難に生きればあと20回ぐらいあるはず。
なぜ片づけようとするとかえって散らかるのか。曰く、不可解。 この藤村操の「不可解」だが、なにがそんなに若者にウケたのか さっぱりわからんな。まあ人生がabsurdであることに異議はないが、 それがどうしてそんなにウケたのだろう。教養主義の裏返しなのかな。 明治期の若者たちは高尚だ。そういうバカげた教育を受けてない人々は どう暮らしていたんだろうか、とかの方が気になる。
PiTaPaカードを入手。これ、改札を通るときにパタっとやるときの感覚が 気持ちいい。皆もっているのが納得できる。
足の筋肉痛はしょうがないのだが、肩凝り直らないのがいやだなあ。
床屋(ひさしぶりに馬町の美容室)。昼前から。
なんか胃の調子が悪いなあ。タバコは吸ってないし、酒もほとんど飲んでないのに。
げ、ヘッドホンのケーブルがコネクタのあたりで切れそうだ。高いのに。
調子悪くてなにも進まず。タバコ吸ってしまう。いかん。さっさと帰って寝よう。
情報センターから「システムが安定するまで変えないでくださいね」と言われた パスワード、やはり紙をなくしてしまった。もちろんおぼえているはずもない。殺す。そもそも パスワード変更をどうしたらいいかの指示もない。殺す。1年ほど情報システムとは縁が切れていたが、 一戦まじえる必要があるか。
BSで『恋愛小説家』。見るのは2度目か3度目だと思うが、好きだねこの映画。90年代アメリカ恋愛映画の最高峰。つかみからして超名作。隅から隅までよくできている。人間はクレイジーでも成功して金もってた方がいいだろうかとか、人格なんか成功してから身につけりゃいいかなとか、アメリカが音楽産業とハリウッドを持っていなかったらどうなってたんだろうかとか。まあたしかに Me too wanna be a better man.
ちなみに80年代の名作は「恋人たちの予感」だと思う。この2作の距離が80年代と90年代の距離。まあどっちもリアルなわけじゃなくて、80年代と90年代にどういう人間関係が求められてたかってことなんだろうけど。特に女性によって。女性がどう男性を見るかという視点が変わっているのを感じる。あと女がどうあるべきかってのも。男の方の自己認識と妄想はたいして変わってないだろう。)(ちなみにブリジットジョーンズが2000年代の代表になることはないだろう。
夜久しぶりに外で飲む。タバコも吸う。至上の愛のアウトテイク聞いたり。
寝坊しそうになる。
本屋で予算消化し大学へ。教授会。
衆議院議員(40)強制わいせつで逮捕。恥ずかしい。性犯罪だけは犯したくない。
私よりちょっと上の年齢のひとが、自分は「常にいきっていたい」という ようなことを書いているのを見て感銘を受ける。私が「懐手をして生きたい」 と言う裏にはそういう欲求がかなり強烈にあるような気もする。わたしはどう生きたいんだろうか。
大塚英志『物語消滅論』。 荷宮和子『なぜフェミニズムは没落したのか』。 難波江和英・内田樹『現代思想のパフォーマンス』。 どれも時間の無駄。
血液検査の結果が帰ってきた。これは禁酒しかあるまい。次の検査は5月。
会議。お腹空いた。
16:00には37.3℃、18:00には38.3℃。もはや立ちあがれずうんうんうなるだけ。しかし腹はってたまらん。22:00、38.4が最高。褥中ネット将棋すると猛烈に連敗。
熱でうかされて悪夢をいろいろ見る。そういや、ちょっと前に某先生から「学生が一人失踪してるですよ。部屋はそのまんまでご飯なんかも炊いたままで、親御さんも心配してるんですが....最近、宗教関係とかはやってましたかね。」という話をしたのを思いだす。そりゃきっと埋められてるんだ。日本中で統計とってみたら、若者の突然の失踪者が増えたりしてないか?
10時半起床。午後研究室。雑用をいくつか。
「経験した者でなければわからん」「経験したことない奴はそれについては語るべきじゃない」は明白に不当だが、「よく知らんことがらについては間違った信念をいたきやすい」「実際に経験したことは経験してないことよりも理解しやすいことが多い」「経験していないことがらについては偏見をいだきやすい」ってのはまったく正当だと思う。あることがどんなことか知らなければ、そのことがらに対する論評は的外れなものになりやすい。
ポルノを使ったことがなければポルノの禁止について語れないわけではない。しかし、ポルノを使うということがどういうことなのかを知らなければ、一面的な評価を下しやすく、それゆえ危険なのはあきらかだと思う。
ある人が誰かに、「だって、あんたそれを経験したことないんでしょ?」と発言するとき、実際に含意されているのは、未経験に対する非難や発言権の剥奪ではなく、相手の情報や理解や感受性や共感の不足に対する非難だと思う。
まあ、ある人があることを論評していて、その内容に同意できない場合、そして、その人が現にその事象を経験していない場合、対人論法として「経験してないくせに」って言いたくなるんだよね。日常的なレベルでは十分意味がある発言だと思う。
実際のところ、私はあることを何回も経験した人に対しても、「あんた、 ほんとうにどんなことかわかってるのか?」とたずねたくなったり、「結局おまえは本当にはわかってないんだ」と言いたくなることがある。そこで言及しようとしているのが、「その場におかれた人の価値観まで含まれた選好」なのかどうかはよく知らん。
ヘアの"another's sorrow"に関する議論とか、ネーゲルの「コウモリ」とか参照。(古いなあ)まあしかし、他人のことなんかよくわからんよね。
夜スイミングスクール。
ああ、またダブルブッキングしてしまった。
京大メディアセンターの助手が中学生かなんかの写真をとって逮捕されている。
ダメダメ。
ふたたび外人襲来。わーん。酒がなかったらしゃべる気になれんな。ガイジンは嫌い。っていうか、人間嫌い。
本人は「レンセリア」って発音してたけどね。
ちゃんと英語用のニックネームなんかを用意しているひとなんかもいて尊敬。私はイヤだけど。「えぐち」「えぐちくん」「えぐちさん」がOK。「えぐちせんせい」は実際に教えている学生以外はちょっと。「えぐっちゃん」はボーダー・ライン上。
某助教授室を占拠したり。
引越しはできれば29日に決行しようと思う(もしくは30日)。みなさんお手伝いよろしく。
最近私を元気づけるためにみんないろいろCDをもってきてくれる。
Lou LeedのTransformerとか。Vicous!ゴリゴリ。
今日の収穫。某コアな黒人音楽ファンが私の好きなGlenn Johnesの奥さんであるというジェノビア・ビーターとJohn P. Keeを持ってきた。P. Keeの方は、ヘルプで来ているRance Allenが圧倒的。彼の声はたしかによい。ジェノビアはちょっと平板かな。サウンドがちょっと。
禁煙を再開せねばなあ。いったん禁煙してみると、口がヤニ臭くてかなわん。歯槽膿漏も怖そうだし。
なんだか体調が悪いようだ。カゼでもひいたかな? 今日は早く寝よう。