駐車場探し。まあ満足いくわけではないがおそらく最善の解決。車をもつ生活ってちょうど30年ぶりだな。駐車場までの時間を測ってみると3分ぐらい。まあこんなものか。
知らないあいだに稲荷山トンネルというのが開通していて(2019年らしい)、東山区と山科区は非常に近くなってるのね。山科のカーショップにいってiPhoneスタンドを入手して洗車して帰る。
夕方近くにウォーキング。春。
ちょっと天気が悪いのかいまいちな感じ。
寝坊。手帳の活動記録はまだ続いている。
午後会議。
夜プール。
お腹に穴を開けてそろそろもう3年かあ。まあいろいろ考え方が変わった。生きてるだけでももうけもの。トイレまわりは少し問題があるのだが、まあもうしょうがない。
ここ数日、ミッコラ先生まわりの分析フェミニズムとか読んで苦しんでいたが、別の論文でわかりやすいのがあって助かる。Louise Antony先生。ケイト・マン先生とかのおもしろいところもやっとわかってきた。
アニメ『SHIROBAKO』数話見る。おもしろいじゃないか。
練習練習。
意図的に夜更かし、意図的に寝坊。
毎日けっこう歩いているのだからエクササイズはいらん気もするのだが、あるていどの大きさの力を使ったり心拍上げたりするのも必要か。
わりと落ちついて勉強。夕方帰る。ちゃんと帰ってまともな夕食をとるような生活にしないとならない。自作ハンバーグうまい。
本日もあちこち調整。
あんまりがんばらずにがんばる。
夜放送。
一日研究室。わりと集中している。
雨。調子悪い。調子悪くなるのを見越してプールで軽く泳ぐが(ウェア忘れてダンスのクラスは出られなかった)、それでも悪い。ジムのスタッフは基本的に皆声が大きく、当然快活に挨拶する。会員も男女を問わず声のでかい人が多い。私はなんか快活にふるまうことができず、こういうのも昔からだよな、みたいな。まあ似た人もちらほらいるんだけど。
いろいろタイムアップでプレッシャーがかかっている。考えるべきことを腰落ちつけて考えられない。弱い。もう高齢者なのに。ほんとにみんないつも元気に楽しく暮していて偉いよ。
観察していると日曜、月曜、木曜に古紙回収が来ているようだから、段ボールに入ったままの本も1箱ぐらいずつ捨てていく準備をしよう。図書館にある本はいらんし。文庫の大半もいらんだろう。50の誕生日ぐらいまでにはモノのない生活になりたい。
古紙回収に出したくて一日家。しかし今日に限って来なかった。
あちこち片付け。電化製品の廃品回収は出せた。
8時ぐらいに寝て12時ぐらいに夜食を取り10時まで寝る。 この長時間睡眠も毎年のことか。
翻訳術研究会。
終了後コーヒー買いに三条に。よく考えると京都駅付近でもいろんな買い物関係の用が足せるようなきがするのだが。 あれ、
会議。雑用。
1日を昼寝して無駄に過ごす。
足は湿布の効果が少し出ているか。
のお天気のような気がする。助かる。
早起き失敗。さらに会議の時間まちがっていて遅刻。(私はあんまり遅刻・欠席しないのが自慢なのだが)
会議もう一つ。
冷い雨。寒い。
会議につぐ会議。
寒くて調子が上がらないし。2月後半の陽気はなんだったんだ。
説明が下手な人ってのはそもそも「理解する」喜びみたいなものに鈍感なんではないかという気がする。私もそうだけど。
「メイワ」から電話。不愉快度A。
なんか覚醒度が低い。目をつぶるとすぐに仮眠できてしまうってのはあれだ。もっと緊張して生きなければ。
マイルスデイビス先生の創造性は1970年ごろが最後のピークに見える。70年代に入ると嫌いじゃないけどまあちょっとあれだ。年齢的なものなのか、やっぱり薬がいかんのか。
午前中から会議に次ぐ会議につぐ会議につぐ会議。疲弊。
うまく歳をとることはかなり難しい。おそらく40代なかばからは判断力その他、人格的に下り坂になるのが普通なんだろうと思う。変化しなくなってしまい、伸びシロがなって、いつも同じ失敗をするのが目立つようになるということなのかもしれない。人間は木でなきゃならん。もうこういう通俗なのが好きになっている時点で私の成長はとまっているのかもしれんね。はははあは。
なんか発熱しそう?
スタンゲッツ聞きながら、ジャズメンと薬物の関係について考えていた。なんかヘロインをキメてビバップやるっていう伝説がなんかおかしい感じしてたんだよな。50年代前半のアートペッパーやスタンゲッツに感じるのはアッパー系の薬物の影響で、ダウン系のやつは使用したアッパー系の薬物を落とすために使ったんじゃないかとかそういうことを完全にスペキュレーション。大麻きまってるらしい演奏ってのはたいていよくないしね。ぐぐってみたらhttp://ameblo.jp/lm199781/day-20081016.htmlがおもしろかった。
アザゼルさんはおもしろいなあ。
12時間ぐらい寝る。なんか疲れてた模様。
研究室に来たらまずリュックのなかのものをどかんと机の上に出す、 というのが正しいかもしれんとか考える。
たしかに根つめて仕事するべきときは音楽ない方がよいのはまちがいない。静謐も大事にしたい。
確定申告・・・あいかわらずなにも引くものがないのが痛い。・・・むむむ、こんな払うですか。なにも返ってきませんか。一度には払えませんよ。今年はどういうわけか「前納しろ」と言われなかったからだ。いや国民の義務だし払えるのは幸運なことなのでなんとか払いますけどね、すぐには払えんですよ。そろそろ私も印税とかもらってみたいぞ。んで収入と同額の経費請求するのだ。わはは。もう国民総背番号でいいじゃん。牛は10ケタ、人間は12桁ぐらいでよい。70年代にやっときゃ年金問題なんか起こらなかったんだ馬鹿め。っていうか
年金問題責めてる人たちと総背番号に反対してた人たちはどういう関係なのかな。(あと、どれくらいの金が着服されたのかなあ。)
山極寿一先生の『暴力はどこからきたか』。立派だ。いろいろ混乱して理解しているところがあったなあ。それにしても、霊長類学者でもゴリラやってる人とチンパンジーやってる人はずいぶん見方が違うような気がする。人間の姿にゴリラを見るかチンパンジーを見るか。本人の好みが反映されるんだろうなあ。山極先生はゴリラ組で、どうもそれが人間の見方にちょっと影響していると思う。あとでゆっくり読みなおしてみよう。
いまや迷惑メールの主流は中国語とロシア語。モスクワや重慶から「掲示板で見ました連絡ください」(想像)とかってメールが来るってのは世界は変わりつつある。ラオス語やカンボジア語のが届くまではまだ時間がかかるのだろうか。
わが社の学生は、2〜3回生の間のいろんな経験でその後の人生にとんでもなく差がつくことをどれくらい意識しているのかなあ。ちょっとしたことなんだけどね。まあ教員側が意識してないからしょうがないかなあ。来年度の3回生は今年以上に厳しくいかなきゃならんよな。
事務仕事はすぐにやる。やるべし。なんでもペリカンジュニアで書いてあげますよっと。あら、万年筆使うと紙の質が気になるよな。ペリカンのインクではコピー紙には書けない。これは万年筆の短所ではないのか。とにかくみなさん、私、いま未提出の事務書類が一つもないですよ(おそらく)、っと。
朴斎雑志のなかのひとの「画面を離れよ、紙に出よう。」おもしろいなあ。ははあ、PoICってのがあんのね。やらないけど。
ToDoリスト管理のコツは、締切すぎたやつは再度締切を切りなおすことだ!なんちゃって。 けっこう重要かもしれん。
春になると小谷野先生とかも活動が活発になるのかな。啓蟄は水曜だったか。
非正規労働者1/3を越えるとか。さらに年収220万以下が77%。すごすぎ、ひどい、なんだよな。220万以下で暮らせる人々てのはそれでもOKな人々も含まれているわけなんだろうか。気楽にパートに出る女性が増えたとかそういうことではない、のだと思うわけだがどうなんだろうな。年寄の労働や女性のM字就労進出が若者の就労を妨げている、なんてこともないはず。いやそもそも就労人口の推移は長い期間で見た場合どうなってんだ?労働問題って難しいなあ。
ポー・ブロンソンの『このつまらない仕事を辞めたら〜』。こっちはエリートな人々の話だよな。「ひとはいかに生くべきか」考えるとやっぱり職業・仕事の話になっちゃうってのは、やっぱり20世紀的な話なんだろう(原題は What should I do with my life?)。それにしても楡井浩一先生は仕事してるなあ。
予想通り軽い筋肉痛。午前中から。
偶然NHKラジオ「原書で読む世界の名作」 (『傲慢と偏見』の朗読と解説、らしい。) とか耳にしてしまい、そのまま最後まで聞いてしまう。 海老根先生の解説よい。教養はいいねえ。オースチン読んだ女性と読まない女性の 間にはどれくらいの違いがでるか。 『高慢と偏見』の解釈の歴史がラブコメもの文学の作り方を規定し、 さらには世間知や人間関係・男女関係の理解の仕方そのものを 形作ってしまっているような気がする。 でも現代の少女漫画でも同じような教養は身につくかもしれん。 ジジイになるまで生きられたら、市民講座とか市民ゼミとかに生徒として出席 させてもらおう。源氏とかもよい解説とともに楽しめるようになりたい。
心を落ち着けてタイプセッター。 TeXマクロについてしばらく頭をひねる。 バッドノウハウ。マクロとかスクリプト書くときはあとで読み直すことを考え て、変数の名前とか適当に定めたりコメントつけたりすることの重要性を思い知る。
4回生来訪。 おみやげをくれる 。 3回生エントリシート。
若尾文子の『女系家族』。よくできてるが、 純粋にお金だけを追求する人々ってのはよくわからん。 ところで以前から田宮二郎のタバコの吸い方はかっこ悪いと思っているのだが、 どうだろうか。中村鴈治郎大好き。家産があるっていうのはどんな感じなのかなあ。
なんか肩凝りというか首が凝ってる。 これには水泳が効くのだが。ジムにも行ってエアロビとかしてみたいが。
将棋女流棋士問題、ひどいことになっている。やはりどうも 米長というひとはほんとうにだめな人間のようだなあ。 それを止められない40代の人間がどう考えているのか気になる。 あ、神崎七段はちゃんと言ってるようだ。
昼前から。あれ、なんかおなかの調子が悪い。
光プレミアムに移行することにした。・・・と、色々調べるとなんかまずそ う。IPv6だから、自宅サーバーがどうなってしまうのか不明。人柱になってし まう可能性がある。やめとくか。電話対応したNTT西日本係員がさっぱり理解し ていないのも不安をさそう。
雑用。
予算全部きれいに消化。
最近テレビはほとんど見ないのだが、最近心に残った2本。昨日のボクシング。執拗なローブローで亀田勝利。ひどい試合。ルールがなければスポーツじゃない。試合もひどいが番組の亀田の扱いも酷い。テレビ局やまわりの大人が、スポーツ選手だけが持てる特権的な誇りや高邁の心を奪ってしまっている。DQNだったら操作したり虐待してもかまわんと思ってるのだろうか。(亀田君は『明日のジョー』や『はじめの一歩』を読んだろうか?『ロッキー』なら見たろうか?それについて話とかしたかなあ。)
おとといのホスト番組。若い女がひとりで一瞬で何百万円も使っている。カメラが入ったせいがあるんじゃないかな。風俗嬢だろうが社長令嬢だろうが、50万は大金だ。50万円を紙屑のように使える人間なんてのは存在しない。どんな素晴しいキャバクラでも一瞬で50万使う男はいない(と思う。知らないけど)。ビルゲイツでもこの額をそういう使い方はできない(と思う)。もしいれば、そいつは次の日に死ぬつもりなんだろう。
100万を越せば、それはへたすると人が死ぬ金額なのに。あれ見ておもしろがっている人間は、人が目の前で本当に破滅するのを見て喜んでいるのだということをどの程度意識していたんだろうか。「お金もってる人はいいね」「馬鹿だね」ではない。馬鹿が操作されてまいあがって破滅するのを見てるのだ。狂ってる。リンチ。わかって見てるなら邪悪なだけだが、わからないなら馬鹿だ。皆が自分がリンチを楽しんでいることを意識していることを望む。
まあどちらの番組も、なにかに敵意とかイラダチとかそういうのを感じてダウナーだった。こいつらは親も含めて勘違いしたDQNだから笑いものにしてもよい、こいつらはホスト狂いの風俗嬢だからひどい目に会ってもよい、いやひどい目にあって当然だ、ひどい目に会うべきだという隠された感覚がたまらん。もう今のテレビ番組制作者にとっては豊田商事事件とかバクシーシ山下とかは遠いことなんだろう。というか、なんか根拠はないけど、業界内での世代間の経験知やethicというか誇りとかそういうのの引き継ぎのようなものがよくできてないんじゃないかなと思わせる。各分野で徒弟制を復活させてはどうか。(もちろん私もちゃんと修行しなければならない)
夜雨。一雨ごとに暖くなる。
とか書いてると、この時期だけは毎年平和だ。 この時期になると必ずリンクする人生の小春日和。私(とこの日記の)の原点なんだろうと思う。
暖。起きられた。大家さんの植木の沈丁花薫る。春に花が咲くことのありが たみがわかる年齢になってきたような気がする。私も庭とは言わないまでも盆 栽ぐらい欲しいのだが、日当りが悪いし世話もできまい。
研究会2日目。いろいろ作業。作業しながらシノーポリを楽しむ。奇妙な焦 燥感。あ、これは音楽が悪いのかも。『グレの歌』よし。しかし、同時期のマー ラーの『大地の歌』とかシュトラウスのオペラとかほど完成しているとは言え ないと思う(あたりまえか)。っていうか話がバカバカしいというか。このひとは もっとちゃんとした文学的趣味を獲得するべきではなかったのかと思う。 もっともバルトークとかもこの時期はもうひとつな話に音楽つけてるわけで、 そういう時代だったか。
電波ラジオについて。どうもライブドアとニッポン放送の件は気になる。 どうもそれは株に興味があるんじゃなくて、ラジオに思い入れがあるからかもしれない。
私は70年代後半のAMラジオ世代なので、やっぱりオールナイトニッポンとか聞いてたわけで、 中島みゆきとかタモリとか鶴光とかずいぶんお世話になったような気がする。 NHK FMのサウンドストリートはその後の話。渋谷陽一とか坂本龍一とか佐野元春とか。これもお世話になった。
ソニーの短波ラジオで深夜にAMを聴くってのは、やっぱりなんかある種の重要な体験だったんではなかろうか。 個室とラジオは当時の子どもにとって自分に内面があることを発見するきっかけというか。 親とは別個の自分がいる、という感覚は、私の場合ラジオだったんないかな。 いや、セックスや恋愛や憎悪についての(ヤバイ?)話が深夜ラジオというメディアに乗りやすかったということか。 本はまた別の説明しにくい感覚がある。あれは親の世代とも共通にもってるもので・・・
そういうラジオの特徴は、DJと聞き手が1対1の感覚を持てたところにあるんじゃないかと思う。 他の観客がいることが意識されるテレビとかとはぜんぜん違うメディアだった。
いまの学生さんにネットラジオとかやってもらうと、複数人で話をする形式でどうも FM放送(FM802とか)かなんかをモデルにしているような気がする。あれはなんだか公開な感じで、 70年代後半当時の密室な雰囲気がない。今でもAM放送はああいう雰囲気なんだろうか。 そういう需要はあるような気がするから、共有もあるだろうか。
今でも、blogとかは他の読者がいることをどうしても意識してしまう。 いや、ラジオでも 「お葉書」とかあるから他の視聴者は意識したわけだが、 それが深夜起きている選ばれた人々だって感じがあったんだわなあ。
2ちゃんねる楽器板周辺もずいぶん長く生活しているから、そろそまた 自分が別のコミュニティを求めているような気がする。
荷風全集で『西遊日記抄』と『日和下駄』。私はまったく目的地のない散歩は苦手だが、ある地点と地点を結ぶ道を歩くのは小学生のころから好きだったし、目的地があるかぎり、その距離が長くても特に苦痛とは感じない。集団下校とかっていう馬鹿げたものがあったときは苦痛でしかなかったが、一人で歩くときは空想に頭をいっぱいにして歩いていたものだ。まあそれは小学生のときは戦艦だったり拳銃だったり野球だったり、中学のころは意識されはじめていた人間関係だったりしたわけだが。まあ散歩者ではなく夢想する歩行者か。歩行は単独に限る。 歩いているといろいろ書きとめたいことがでてきて、さっき書いたラジオの話ももっとちゃんとした文章で浮かんできていたような気がするが、まあそういうのは気のせい。
シノーポリ続き。ベルクのヴァイオリン協奏曲は完全な名曲だなあ。もう6種類もってるト思うが、どの演奏でもよく聴こえる。いわゆる新ヴィーン学派では1番かな。2番はヴェーヴェルンの変奏曲、3番はシェーンベルクの変奏曲。
ところで、ここ時期の多くの作曲家が書いている20人を切る少数の楽器のための 音楽の指揮者ってのはどういうものか。CDとかでも指揮者の名前ばかり出てくる。 たんなる「合図係」(プロンプター?)として他の楽器演奏家と同列か、それ以下に名を挙げたらどうか。
「懐手で小さくなって暮したい」というのは漱石は荷風のような人々だけが望めるものだ。懐手でいったい冬が暮せるものか。
ぼーっとしているうちにどんどん日は過ぎる。朝から。
小説の文庫本を持って電車か飛行機に乗りたい。
なんかメモっておかないとふと考えていることをどんどん忘れているような気がする。
地べたから起こされるが、午前中もうとうと。しかし寝るのは最高の快楽。 ダウン系の麻薬とかにはまるタイプかもしれんな。
やぐ羅でザルソバ。
社会哲学の研究会2日目。
某老法学者の「暴力のない秩序には意味がない、そんなことは大学1年でも法学勉強すりゃわかる」という発言がかっこよかった。
ビアホール。油っぽくて死ぬ。
研究室に本棚が欲しい。でも部屋が狭くなったり入りくんだりするのはいやだなあ。 人間に本棚はいくら必要か。
来年度はMacも一台欲しいな。
朝調子悪いと思っていると、夕には久しぶりに発熱。37.0℃。昨日誰かに 風邪をうつされたらしい。咳。
8時半起床。
昨日切り落した親指は少しずつ再生しつつあるようだ。おそろしい。私も生物だったのだな。最近怪我とかしないから忘れてたよ。
ひさしぶりにビデオ見た。まず、 「ライフ・イズ・ビューティフル」。しかしノリが合わず、 20分ぐらい見てやめる。デンマーク行く予定なので、デンマーク語になれるため「バベットの晩餐」。昔読んだ原作とはかなり趣が違うが、楽しめる。 禁欲主義はいかんよ。
(その後、火曜に某と飲んだときに、「ライフイズビューティフル」は 深刻で泣ける映画だと教えてもらったが、ツカミが悪いのはどんな映画でもダメ。)
勉強勉強。
2001年度の目標は、「提出書類を貯めない」なので、ちょっと前から稽古開始しているが。
午後。
前々から、「京都賞を取ると死ぬ」という説を唱えていたのだが、 また一人儀牲者が。稲盛財団恐るべし。
河合塾が大学の入試問題作成業務をはじめるというニュースもあり。まだ やってなかったのか。実際、大学教員で入試問題を作ることができるのは一握 りだし、たいていの私学・弱小国公立では無理なんじゃないかな。
昼から。眠い。
まあ、励ましてくれたりやさしくしてくれたりするひともいるのでやるべし。
午後、外人に襲撃され往生する。鍛えに鍛えあげた我がSolarisは彼の期待に答えているようだが。
やれやれ。言語の壁は厚いね。I wish he were here.って、人に頼ってはだめか。
ガイジンとちょっと酒。酒が入ればちょっと楽。同じ歳だしね。冗談を言ってみたり、笑いころげてみたりしている。彼もメール中毒なようで、メール読み書きせずにはいられないようだ。同病合憐れむ。外国来たときぐらいメール読まなきゃいいのにね。メールの読めない温泉〜。
"You should tell them you want to be called EGUCHI if you want."ということであったので、これからみんな私のことをEGUCHIと呼んでください。"Satoshi"("satosi?")なんて絶対呼ばれたくないぜ。これだけはなじめん。
いぇーい、Call me EGUCHI。Say it loud!。 E-G-U-C-H-I.いえー。
syslogdの挙動について悩む。
うちのCICERO(ethics.bun.kyoto-u.ac.jp)のHTTPサーバーはapache。/var/logにaccess_logを残すように設定しているのだが、ふと見るとaccess_logが10MB近くになってしまった。これはlogのrotationをせねばなるまいと、syslogdの設定をいろいろためしてみる。/etc/newsyslog.confあたりでいじるらしいが、よくからん。とりあえず1週間で新ファイルを作るようにしてみたつもりだが、今みてみると、うまくlogを書きこめていないようだ。apacheをいったんkill -HUPすると書きこんでくれた。
むう、ちゃんと動くのか?UNIXシステム管理ってむずかしいなあ。(別にWINDOWS NTなら楽だろうとは思っていないけど)
P. Singerの討論会に足をはこぶ。ヒゲのないシンガーなんてシンガーじゃない。
ハウスパーティーを抜けたあと、某債権者を待つ間、研究室のソファーで小一時間寝てしまう。誰かがかけてくれた毛布が温かかった。サンクス。
世間話をしながら将棋。●○。早めに解散。某師匠のいない研究室というのも閑散としたものだ。