車でiPhoneを充電できるソケット入手。
時間的な余裕がないわけではないのだからゆっくりすればいいわけだが、どうしても「猫まっしぐら」で家をめざしてしまう。どうにかならんのかな。宿を探すのが苦手というのはある。
かなり頻繁に休憩しながら、日が変わる前に帰宅。走行距離は790キロぐらい。高速のガススタンドで給油してはいけません。まあ車での帰省とかは別にそんな安くないのよね。ただある種の楽しみはある。当然のことながら文字が読めないので運転とぼんやりした考え事だけ。
プール。
午後会議と全学のなにか。
夜、思い立ってエヴァンゲリオン最終話とか見に行く。 いつも通りの感じですごくおもしろいわけではなく、とにかく長い。まああれから25年も経つってすごいことだよな。というか、この日記も25周年だわ。
ほぼ飲まずに寝る。
雨。おとなしく勉強。論文も本も集めすぎ。どうもamazonでWish listから中国茶をプレゼントしてくれた人がいたようなのだが、送り状とか見ないで捨ててしまったので誰だかわからない。ありがとうございました。すみません。
ピアノ練習。
確定申告の準備。
夜、卒業生に来てもらって就活生に話をしてもらう。超ポジティブな人なので圧倒されてた模様。
雨。寒くて調子悪い。
いろいろ仕事がまわってくる。どんどん時間が過ぎてやばい。
また夕方盛大に昼寝してしまう。
次の入院が前倒しで決まる。あわててあちこち調整。未定の部分が多くてあれだが、こりゃもうしょうがないね。卒業パーティーも出られなくなってしまった。
がんばるがんばる。私瞬発的な能力ならあるのになあ。
夜ニコ生。やっぱり放送すんの好きなのよね。まあ余生はそういうだらだら楽しみながら少人数でも人を楽しませることを考えたい。
昼15分プール、東山閣。さすがに15分では減量は期待できないか。
一日をわりと落ちついて過ごす。毎日こうならいいのに。しかしTogglというアプリで実際に作業している時間をはかってみるとたいしたことがない。
7時に帰る。映画『ムーラン・ルージュ』を半分見る。
ジムに行くも水着もウェアも忘れていてなにもできず。午後研究室。
研究会はパス。すみません。でも今年は無理に集会に出ません。
なんか出席すると迷惑かける気がするんだよな。まあ研究会出ると迷惑になるのではないかとか思うようになったら研究人生おしまいな気もするけど。まあなんか人の難しい話を聞いているとイライラする時期ではある。
高校生と話とか。会議とか。出し物練習とか。
調子悪くて日の高いうちに帰る。
まだ雑用。
一日眠くてだめ。
会議。
確定申告。
わりと早起き。やっぱり早起きは基本。
会議。
市立図書館から借りたCDにコーヒーぶちまけた(ぶちまけたのは数日前だが、CDを汚していることに気づいていなかった)ために弁償になってしまう。カラヤンのマラ9なので4千円近い。痛い。なんか最近そういうのが多い。注意散漫というかそういう状態。これ春の症状なんだよな。それでも例年に比べれば落ちついている方か。
ちょっと落ちついて。と、バカだからタバコ吸ってしまう。だめだめ。
あれえ、いろいろやることがあるなあ。仕事しなくちゃ。 でも人生は仕事だけじゃないような気もする。でも仕事しかないのか。
ジンバブエ首相夫人交通事故死かあ。まあふつうの事故じゃないんだろうなあ。 30年ぐらいしたら夫人を主人公にして映画になるかなあ。マルコス夫人って映画になった? あれ、アミン大統領はどうだろう。とか考えつつ『ポル・ポト〈革命〉史』とかも読む。 いまだに政治はよくわからん。平和な時代に生きててラッキーすぎる。 人間原理からすればそれは当然なのだろうか。
仕事と読書は違うのだが、一見似ているところもあるので騙されるんだよな。
『ジュリアードの青春』おもしろい。「のだめ」でネタに使えるようなディーテイル満載(どうもかぶっているネタはないようだ)。大学ものでも音大ものってきっと一番有利だよな。時間芸術は練習が必要だし、やっぱり緊張/弛緩が強烈だし、人間関係も難しいし、競争が激しいし、結果も(少なくとも当事者には)はっきりわかる(らしい)。美術だとこうはいかない。『東京芸大の青春』とかどうなってんのかな。「東大文学部社会学専攻の青春」とかも知りたいような気がする。プリンストン大哲学科の青春とか知りたくない。
昼飯、選択を誤り、初デートらしきカップルの隣に座ってしまう。我が社の卒業生らしき20台なかば vs アトピー体質30手前。よくいる声の調子を調整できないタイプの無神経男で往生。鼻水ずるずる。女子はかなり苦痛を感じている様子。会話聞きつつ、なんでこのタイプの女性がこのタイプの男性とデートしているのだろうか、会話の内容からするとメル友とかそういうのだろうか、とかいろいろ考えて苦痛。グラタンの調理に時間がかかって全部聞かねばならずつらかった。とにかく花粉症の時期には初デートは避けるべきだと思う。モテない男だの非モテだのってのは難しいね。顔はともかく話し方・発声が聞きぐるしくて、そういう人はそりゃモテなくて当然だろうと言いたくなる。一方で、なんか適切なトレーニングとかノウハウとかがあるんじゃないかとも思う。でもあら、ちょうどはてな匿名ダイアリーで話題になってる。 http://anond.hatelabo.jp/20090307173330。私も研究するかな。いや、面倒だな。ナチュラルなままの方が好感される場合もあるかもしれんのだしな。
東大の社会学の人たちか日本社会学会あたりの習慣なのだろうが、文献リストをABC順で一元化しながら、漢字で名前を表記されると探しにくくて死にたくなる。翻訳の「=」を使った表記(Butler, 1992:92=2004:102)も本文に入れるには繁雑すぎるし。こんなもの誰が思いついたんだろう。
夜心理的壁との戦い。
うーん、『弁明』や『クリトン』を読んだことのないかもしれない人といかにして倫理学という学問「について」語りあうってのはかなりチャレンジングな試みかもしれない。ていうかほとんど意味ないわね。別に弁明やクリトン読んでないひととでも哲学的・倫理学的な話は十分できるんだけど、「倫理学」はどうあるべきかってのについて語りあう必要はなさそうな気がする。直接に倫理的な問題を論じればよい。それがソクラテスの方法なわけだし。
『ワーキングプア』読みなおしてたらなんか パニック起こしそうになる。ついでにNHKの『ワーキングプア』も読んだり。おろ、シプラーの本に一言も言及してないのはどういうわけだ。それがNHKクオリティ?
なんかそのパニックもどきの影響か、仕事進まず。やばい。ほんとに心落ちつけて仕事するのは難しい。
小島寛之『数学でつまずくのはなぜか』とか読んでいろいろ考えてしまう。
スニーカー買わなきゃ。
午前中から。百万遍に書類を届けに。
ちょっとゆっくり。貴重な3月の時間をどう使うかを考え1日が終る。 永井龍雲とかってフォーク歌手の歌にそういうのがあったような。 (たしか「♪今日は〜せっかくの休みの〜日だから〜長い一日を〜なにをしようか〜思いあぐねて〜日が暮れる〜」)
予算はきれいに消化。
来年度の授業日程などを確認。なんかいろいろみっちりつまっているなあ。 オンラインシラバスってのはオンライン入稿すると何を書いたか自分でも わからなくなるという欠点があることを知る。はやく公開してくれ。
『アメリカンビューティー』に影響されたか半年ぶり(9月以来)に ジョギングとかしてみる。 最近は 中年過ぎてからのスポーツは実は体に悪いのではないかと思っているが、 まあほぐす程度にゆっくり。 ジョギングは体に悪いのではないかと思っているが(ウォーキングはOK)、 まあほぐす程度にゆっくり。木瓜の花が咲いている。
追加された新ルールは、「食事の前にはビールを飲んでよい」。
『ゴッドファーザー Part 2』見る。まあ楽しめるけど もっと人が死なないとカタルシスがないな。 それにしても映画ってのはおもしろいけど時間がかかるし疲れる。
また夜明け前に目が覚める。早朝から。
コピーの類は適当に年度や時期とテーマ別に分けてコクヨのA4ボックスフォルダに入れる。おそらくそのまま死蔵されることになるんだが。 試行錯誤する修士1回生だな。レイトスターターのスロウラーナー。来年度は修士論文を書きなおすつもりで生きることにしよう。指導教授が欲しいな。老師か某助教授か。
教授会。
子どものころに、「じゃがいもの芽には毒があります」ということを知ってから、 芽をちゃんととらずに料理すると死んでしまうのではないかと恐怖を感じている。 腹こわすくらいなんだろうけどね。でもやっぱりいまだに恐い。死ぬかも。あの芽の生命力がなあ。
だめ人間。本気で反省しなければ。ちゃんと生きねば。
それにしても、二日酔いで寝ていると甘美な快楽を味わえる。 ダウン系の麻薬ってのはああいう状態を長びかせ時間を止めてくれるのだろう。
研究会。
ケン・バーンズ『ジャズ』DVD。ジャズ100年の歴史をふりかえるってやつ。 10巻目(60年代〜)から見始める。コルトレーンが動いているのははじめて見 た。エリントンの扱いが大きいのはわかるが、ルイ・アームストロングがなん でこんなに大きく扱われるのか、マイルスの扱いが小さいのはなぜなのか。ア メリカと日本で扱いがちょっと違うのかもしれん。というか、どうもウィント ン・マルサリスがからんでるからマルサリス史観がかなりはいってるんだな。 おそらく彼によれば偉いのはニューオリンズで(まあ地元だから)、トランペッ ターが偉くて(これもしょうがないか)、電気ジャズは意味がなく(許せん)、 エリントンは超偉いがベイシーはだめ(まあそうかも)で、その他のビッグバ ンドはなおさらだめで、単なるブルースやR&Bはジャズとあんまり関係なく、 白人ジャズマンは泥棒なので出演させない(ビルエヴァンスもギルバンスもリーコニッ ツもヨーロッパフリージャズも出てこなかった)。
滝川クリステル・・・ううむ。師岡カリーマ・エルサムニー以来の注目。
ダラダラしていてはいかん。
CD棚を見ると、意外にハードバップ名盤ものをあんまり持っていないことに気づく。
養鶏会社会長が自殺ってのは、今年になってからの「味の悪いニュース」のトップ。なんで死ぬかな。なんで奥さん道づれにするかな。
会議。今年から教務委員でもあるようだ。面倒。
ぐるんぱでチーズハンバーグ。
マルシン飯店で麻婆豆腐とニクニラ。地べたで寝てしまう。
某先生をかこむ飲み会に。携帯電話の普及が街中の喧嘩の形態と帰結を変えたとかそういう仮説とか。
9時起床。寝呆けながら納豆のネギを刻んでいると、親指の先を切りおとしてしまう。ザクッ。いてて。指切るなんて久しぶりだ。まあ、皮1枚だが。ジョギング。体重を計ると、体脂肪率とも増えてる!
雑用。英語のメール書いたり、Filemakerいじったり。データベースは設計が難しい。こんなこと考えるより、帳簿に手書きした方が速いのはわかっているのだが。
インド映画の「ジーンズ」とか。双子がどうしたこうしたって奴。 無駄がいいねえ。インド美人すごいねえ。
朝から晩まで、某所で某仕事。
潰されて死ぬのはいやだな〜。一番いやな死に方だな。火つけられるのも いやだけど。飢えるのもいやだけど。
11時ごろから。
眠い。ぐう。
午後バイト君集合。 Yeh, I really really love you all.
前にも書いたかもしれんが、リコーのMF6550というコピー機/プリンタは非常に優秀なので、研究室でコピー機を買ってもらえるという機会があったらぜひ検討すること。ここ半年でいろいろ触った機械のなかでも最高だね。こうやって忙しく仕事しているときに実感する。(ちょっとMac用のドライバに難点があるかもしれんが)
Q. 今朝のNHKの朝ニュースで FINEの国際ワークショップのことがやってましたがそんなに大きな会議なのですか?
A. いいえ。ごく内輪の会合です。マスメディアはちょっとなあ。
タンパク質関係でハカセになったかもしれないひと、おめでとう。
そろそろアドレナリンも出てきたぜ。イェー。イェー。イェー。ヤー。ウォー。アー。エイァー。(ニンゲンのある側面?) 今日もミック・ジャガーが叫んでるぜ。そういや、Kiethの歌もいいぜ。I wanna walk before they make me run〜。いや、走らせれてます。歩いときゃよかった。はい。
qmailでは/etc/aliasのinclude:が使えず、それにともなってfmlによるメーリングリストが動かなくなっていた。スプールを所有者aliasにして、/var/qmail/aliasにいろいろ書きこんでとりあえず動くようになった模様。
これを機会にfmlではなく、qmailの作者のメーリングリストプログラムにのりかえるべきなのかもしれん。
突然心臓マヒで死んだりしたときのために、作業ログをつけることにした。
お勉強お勉強。
昨日ひっかかったトラップは、Access95で宛先シールが打ち出せないというものだったのだが、これはMicrosoftのページで修正版を配布していた。ううむ。
ついでにPCのディスクをNTFSにしてしまう。「いらんことしい」な感じもする。
(☆☆)ところで、クローン羊に関してメールが舞い込んだ。(私にこういうお勉強ネタをふってもあんまり役にたたないと思うんだけど)
はじめまして。
最近、クローンが話題になっているのでWWWで検索を繰り返していたところ、このHPにたどりつきました。クローン人間の製造が倫理的に問題があるといわれていますが、何が問題になっているのかよくわかりません。「人は人格の主体であって尊厳である。」という命題から、「ゆえにクローンをつくってはならない」という結論がどのようにして導かれているのでしょうか。おそらく、クローン人間の扱いに関する問題(胎児の段階で殺してよいか、人権の享有主体か等)とは区別されて議論されていると思うのですが、製造自体の問題点というのがよくわかりません。簡単に教えていただけませんでしょうか。「この本に書いてあるから読め」というような図書の推薦でも結構です。
今後、生態系にどのような影響があるか十分に研究されていない段階、あるいはクローン人間が実際にできてしまった場合の扱いが検討されていない段階であるから、研究を少し待て、というのでしたら分かるような気がします。それとも、人口が増えて食糧が不足するとか、既存の人間よりも優秀なクローン人間が既存の人間を駆逐するというような(アニメでありそうな)何かの危険性故にクローン製造がいけないといわれているのでしょうか。
あっちこっちの新聞とかに論評が載っているだろうし、加藤大教授もどっかの新聞(読売だそうです)に論評するみたいなので、興味のあるひとは見てほしい。
クローン人間の倫理的問題点については、とりあえずジョナサン・グラバー『未来世界の倫理:遺伝子工学とブレイン・コントロール』(産業図書)がおもしろいと思う。(うちの研究室で翻訳したやつだ)39ページからクローンについて議論されている。
まあしかしそれだけではちとナニなので。(実際、専門に関係していることは書きにくいんすよ)
グラバーが一人のクローン人間を作りだすことに対して直接挙げている反対理由は、
もっと大量のクローンを作りだすことに対しては、
(☆☆☆☆) こっから私のコメント(シラフで書くのは難しいので)。
実際、クローン人間を作るということそれ自体に対する有効な反対理由を考えることはそれほど簡単ではない。
今週号の『ニューズウィーク日本版』はクローン人間の特集だが、これではかなり正しく事態を把握していると思われる。遺伝子がまったく同じでも、まったく同じ人間(人格)ができるわけではない。環境の影響が大きいのである。レイちゃんを水槽にたくさん飼っておきたい人もいるかもしれないが、同じ正確のひとびとを作りだのは至難の技だろう。(それは一卵性の双子が同じ性格にならないことでもわかる。)
んじゃ、なんで私たちはクローン人間に嫌悪を感じるのか。
上のメールで、「人間は人格で尊厳をもってるんだから、クローン人間をつくっちゃだめだよ」という意見について触れられているけど、もうちょっとわかりやすくすると、人格とみとめられるような存在には独特の尊厳があって、そのひとのことを配慮する(「目的としてとりあつかう」)べきであって、単なる手段として 扱ってはいけないんだ」という考えかたがあるわけだ。(全然わかりやすくなってないか)
これはカント大先生というエラい人が言ったことをもとにしているとされる。
カント先生の論証はむずかしいし、問題も多いから、まあちょっとワキに置くことにして、「他人を単に道具としてあつかう」ということに対して私たちが感じる道徳的な反感はけっこう大きいものがあると思う。
たとえば買春でもいいや。他人を電動フグ(ってなんだ?)同然にあつかっちゃってるから、「相手のことを考えて」するセックスとはちと違うわけだな。
「あなたは私の体だけが目的だったのね」「君はオレのことを道具にしてたんだな」と怒ったことがあるひとも多いにちがいない。
ということをおさえて、人間を作りだす手段はさまざまあるのに、わざわざクローン技術を使う理由を考えてみよう。
クローン羊はどういう目的で作られたのかというと、新生児に与えるよいミルクを作りだすためだったらしい。つまり人間の新生児が必要なアミノ酸を十分含んだ羊の乳を作りだすことができれば、まあいろいろ役にたつじゃろ。
で、遺伝子操作でそういう乳を出す羊を作りだして、それをクローンで数を殖やせば非常に便利なわけだ。
実際植物なんかでは、そういう作業をしているわけだよね。
で、それじゃわざわざクローン人間を作る理由を考えてみる。わざわざやるんだから、それなりに有効な利用法があるのだろう。よく指摘されのが、臓器移植なんかに利用するってやつだな。同じ遺伝子をもっているなら基本的に拒絶反応とかが起らないので、完璧なドナーになりうるわけだ。
これに近い話はけっこうあって、先天的な障害を負っている子供を救うために、もうひとり子供を作るというカケを行なった親もいると聞く。(これは骨髄だったと思う) この場合、「完璧なドナー」を得ることができるかどうかはある程度偶然なのだが、もしクローンできれば申しぶんないわけだ。
さて、こういう別の目的のために人間を作りだすということがワシらの道徳感に触れるんじゃな。「それじゃ、あんたはその目的のために子供を作るんだな」ってわけだ。
しかし、これもちょっと反省してみるとそれほど簡単じゃない。だいたい子供なんてものは、なんらかの目的のために作られていることが少なくない。「老後の保証のため」とか「彼をつなぎとめるため」とか「ひとりでさびしいから」「彼の面影を」「親が望んでいるから」「家系の存続」「彼がコンドームつけないけど、断わると殴られるから」etc.
はたして、こういう目的のために子供をつくることは道徳的に許されないことだろうか? 「許されん」と言うひとも結構いるような気もするが、私自身は「そういうもんなんだ」という印象がある。少なくとも、その「意図」をめぐって法的に禁止したりするべきではない事柄だろう。
では、クローンをわざわざ作る意図にはどんなものが考えられるか。骨髄移植のためにふつうの仕方で子供をつくるのと、なんらかの技術をつかって作るということとの間にあるのは、「意図」の違いではなく、技術の違いだ。
まあ、それでは、「意図」はともかくとして、「技術」をつかって人間をつくりだすのは許せん、という考えかたもあるじゃろ。このタイプの反感を感じるひとは、体外受精なんかに対しても反感を感じるはずだ。
むう。
では、体外受精なんかは大丈夫だけど、クローンだけは許せん、という理由を何か考えてみよう。
まったく新しい技術だから、それを使ってはいけないなんてことはありえない。 もちろん、上のメールの方が指摘しているように「まだよくわからんから」やめようという意見は強力なものだと思うが、その程度のものである。
やっと核心。じゃ、「同じ遺伝子」をもった人間をつくりだすのがいけないとすれば、それはなぜだろうか。
実は、これについては、私にはよい理由が思いつかないんである。わざわざそういうことをしようとする意図が往々にして邪悪なものである、という主張はなんだか説得力があるようでないようでよくわからない。ヒトラーと同じ遺伝子の人間を30人つくって、なにか意味があるかというとありそうにない。彼はひとりで十分だろうし、30人いたって別にたいしたことはできないだろう。ファシストを作りだすのなら、わざわざそんなことをしなくてもふつうのひとに対して「教育」した方がよさそうだ。元プリンスやアインシュタインと同じ遺伝子の人間を30人作れば? (「あなたの家庭にも一人元プリを!」)これは私自身ちょっと魅力を感じるが、やはり、実際にはとてもよい結果がでるとは思えない。これもむしろ「英才教育」した方がよさそうだ。そしてなにより、クローンで作られた人間であるからといって、その人が他のひととなにか道徳的権利において違う点は考えられないのだから。(だから家に元プリを一人飼って、奴隷として私のためだけに音楽をつくらせるなんてことは考えられないし、私の臓器が痛んだときにクローンから臓器をとったりることは許されないじゃろ。)
頑強な兵隊を1万人作ることについても同様。
それじゃ、「自分の後継者に、自分と同じ遺伝子のやつを」と考える独裁者や金持ちはどうか。うーん。同じ遺伝子が同じ人格をもつなんてことはまずありそうにないのだな。そのひとは私とは(同じような顔つきかもしれないが)全然別の人間になっちゃいそうだし、私の意志とかを尊重してくれそうにない。
んじゃ、他になにがあるだろう?
私自身が感じる嫌悪感を分析すると、それは、「自分自身と同じ遺伝子の人間をつくりたい」という人がいたとした場合に、その人に対する嫌悪感なのだな。「えー、なんでそんなことしたいの?ナルシストちゃう?ふつうに子供つくったらいいんじゃない?なんか人間関係うまくやれない人なんちゃうか?」ってやつだ。そもそもその意図が理解できないかもしれないな。むしろ、ここらへんが本音に近いかも。
やはりグラバーが言うように、わざわざ作りだした「特別」な子供は、それなりの「特別」な心理状態におかれるだろうし、それはあまり「よい」影響を与えるものではないかもしれないというつきるかもしれない。
「やーい、クローンだ」といじめられるのはやっぱり耐えられないじゃろ。元祖「試験管ベイビー」であるルイーズちゃんはそろそろ17、8になっているはずだが、彼女はどう暮しているのだろうか。
あんまりおもしろくなかった。すまんす。また次。
なんてことを研究室で書いてたら、大御所がいらっしゃったので逃げ帰る。 ま、暫定的な結論としては、そんなに悪いことはないけど、わざわざ作る理由はないじゃろ、ということになる。もちろん、クローンで作られたからといって、我々の自由に扱っていいものではないというのは重要。
たとえば、クローンで子供をつくってわざわざ人工妊娠中絶してそれを移植などにつかうという可能性もあることに気づいた。ま、これから寝てから書きます。97/03/09 08:18
ちなみに、HPという表記はやめましょう。