0228の連用日記


2023/02/28 (火)

事務的作業。天気がよいので夕方ジョギング。手製エビフライうまい。

帰省するにはどうしたらいいか……旅行は苦手なのよね。他と日程合わせるのも苦手だ。


2022/02/28 (月)

起きると病魔は去っている感じ。しかし大事をとって家にこもる。

今回の教訓としては、私の平熱は36度前半で、36度後半は危険、37度は発熱している。アイスノンは2個用意しておくべきだ、の2点か。


2021/02/28 (日)

早めに寝たがそこそこに起床。もう日の出時間は本格的に春。

散歩して河原で少しだけぼーっとしてみたり。外で座るっていうのはけっこう大事な心の余裕。外にいるときは基本的にいつも徒歩で移動しているからねえ。 夕方プール。


2020/02/28 (金)

長谷川泉先生の『ヰタ・セクスアリス考』、続巻も選集のようなものに入っていて読めた。考証はやっぱり面白いな。

午前中をどう有効に使うかがポイントよね。


2019/02/28 (木)

2月も終ってしまった。ただただ漫然と人生を消費している感じ。でももうたいしたことをやろうという気力もない。

おそらく全国的に大学で「シラバスの内容チェック」のようなものをやっていて、我々もそういうのをせざるをえない。 チェックするだけでなく、無駄に煩雑なエクセルのファイルやらオンラインシステムやらを使わされて気が狂いそうになる。 たいていの会社員などはこうしてへんなシステム使わされているのであって、我々大学教員は好きなパソコンとソフトで教材作ったりできる場合が多いだけまし。

軽く筋トレとプール。禁煙で太るのは覚悟の上だが。

順調に体重が増えてるのを確認。とにかく朝夕は一汁一菜で。


2018/02/28 (水)

就活相談まっさかり。

昼は抵抗せずぐるんぱ。

夕方から突然空模様が怪しくなり、あわてて帰宅するも起きてられない。

これにて2月終了。


2017/02/28 (火)

夜明け前に起こされ、水のようで水ではないものを飲み続ける。これは3回目だが、2回めのやつの方が味がよかった。

午後、点滴つながれたり、おそらくはじめて車椅子に乗ったり。ピンピンしているはずなのに色々されるとものすごく健康に悪く、元気がなくなる。

内視鏡でいろいろ。ずいぶん時間がかかる。

切ったかなり大きかったようで、「スネア」だけではうまくいかず電気メスを使って切ったりなんやらかんやらやっていたが、途中で麻酔で寝てしまった。担当の研修医の先生はこれまで見た中で一番だと。まあそんだけ放っておいたということよね。

1日絶食、さらに出血のおそれが大きいので1日絶食とのこと。まあ明日まではなにもできない。なにもできず。先送りは本当にだめ。

とにかく始末しなければならないのやらねばならないのだが、もうちょっとだけ先送り。ほんとにもうしわけなくてそれだけで病気になる。4月からは一転して健康な生活をするべし。


2016/02/28 (日)

梅田。梅田は都会だなあ。


2015/02/28 (土)

晴。ジョギング。梅はだいぶ開いた。

禁煙失敗。

中華屋でラーメンを食うと、ラーメンとは本来こういうあっさりした味だったのだと思わされる。進化の結果、健康に悪いへんなものになってるよなあ。

お休み。


2014/02/28 (金)

1年の12分の2が終わってしまった。これはまずい。

1年を最大限に有効に生きる算段を本気でする必要がある。ちゃんと計画やノルマを決め、ログを取るべし。


2013/02/28 (木)

雑用と翻訳。翻訳は時間がかかる。かかりすぎ。

短いとはいえ何度も仮眠しているからか。でも(最近いくつかの点で真似しようとしている)チャーチル首相も時間があれば寝てたらしいから。伝記でも読んでみるか。あれ、『チャーチルの昼寝:人間の体内時計の探求』とかって本があるのか。これはぜひ読もう。

寝つくのに苦労する。


2012/02/28 (火)

お茶の水で研究会。お茶の水はまあ元気な街だ。

ラクーアという謎の施設は、無理矢理掘った温泉を使ったスーパー銭湯だった。足を温めて治したい。


2011/02/28 (月)

朝帰り。


2010/02/28 (日)

2月はとんでもなく時間が速く過ぎた。まあ活動していたということでもある。

部屋を春仕事モードにする一日。

日本全国の災害ファンが津波を期待している・・・

こまごまとした仕事もいろいろ。といいつつCDとiTunesの整理してしまったり。時間の無駄。 でもなんか、毎年のこの時期だけの人生の小春日和な感覚。

でもまあやっぱりクラシックの方はコレクションはもう一通り完成しているような気がする。(少なくも我が社の図書館/音楽室のコレクションよりは豊富 )有名曲でもってないものってあるだろうか?ジャズはきりがないがそれなり。少なくともスタンダード曲は2、3バージョンずつもってるだろう。


2009/02/28 (土)

晴れ。はあ。

『ジョギングから始めるフルマラソン』とか入手してみたり。なつかしのLSD(Long, Slow, Disttance)ってやつですね。その後、シェイプアップにはエアロビだけではなくむしろ筋トレ、マラソン完走にもある程度スピードが必要という方向にシフトしてったんだよなあ。(ちょっと違うかも)

『マドンナの真実』読んでYoutubeで動画探してみたらり。音楽はあれだと評価されることが多いけど、初期はすばらしかったと思う。"Holiday"とか"Lucky Star"とか。最近のパフォーマンスもそんな悪くない。女性アーティストでこれほど長生きしているのはミラクルだわね。

床屋へ。

『進化倫理学入門』とか読んでみたり。よくわからん。心理学(とその基盤としての生物学)と遺伝(あるいは生得性、そしてそれを制約する淘汰)の話をしないと「進化」倫理学にはならんのではないのかな。進化論とか気にさわる人にとっては、「得になる」とかどうとかってことより、どの程度その得になることを求める傾向がハードワイヤドなのかってのが心配なんだと思うのだが。まあとにかく進化学って何が柱なんだろうな。やっぱり遺伝、変異、淘汰(あるいは競争)の三つだわね。「適応」だけに絞っても大丈夫なのかな。「分岐」も同じくらい重要なキーワードかな。石器時代と現代との差とかも気になるわけだし。さらに進化「倫理学」にするにはどうしたらよいのかはもっとわからん。倫理的観念なりなんなりを進化学から説明すればよいのだろうか。それだと進化心理学や倫理感覚進化学にしかならんのでなないか。いやそれでいいのか。進化メタ倫理学や進化記述倫理学は簡単だから、進化規範倫理学が可能だとしたらどういうものになるかってことかな。進化応用倫理学とか応用進化倫理学とかいかにも怪しそうでなんかいい。とかこの手の話を細かい話を抜きに考えてもたいてい益はない。勉強しよう。


2008/02/28 (木)

春休み(休みじゃないけど)2日目。春休みという呼び方はやめて、 春充電期間てのはどうか。春仕事期間の人もいるだろうけど、わたしは充電。積極的アイドリング。 夏は放電したい。

シラバスをweb入稿とかにすると、期限が過ぎるとなにを書いたか 自分でも読めなくなることが多い。たいていのSEは それで平気なわけだ。こういうのは業務の実態を知らないからなのか、 想像力がないのか。あんまり業務と関係ないような気がするな。一般的な問題。 なにかをweb入力させたらそれは常にユーザに見えるようにしとかないと。 そうでないとあちこちでフラストレーションが溜まり、細かいトラブルのネタになる。

イスでけっこう長いこと昼寝してしまう。首や腰大丈夫かな。

二重三重にまちがってるかもしれないものはほぐすだけでたいへん。 あるひとがアリスティッポスに、もつれた問題を出して、「このもつれを解いてくれ」 と言ったら、「ばかだね、君は。もつれていてさえわれわれには厄介なものを、 どうして解こうとするのかね」と彼は答えた、とか(ディオゲネスラエルティオス2巻8章、加来先生)。そういう問題には触らないのが正しいってことなんだろうな。剣でスパっと切る、のは アレクサンダーか。

とはいえ、仕事しなくちゃ。

春は物欲。文房具が欲しい!

内澤旬子先生が卯月妙子先生に興味を示しているな。そうだろうなあ。


2007/02/28 (水)

雨。朝から。首筋を軽く寝違えてしまったようだ。

「明窓浄机と読書と音楽しかないのよ。」

父クライバーのフィガロ、スザンナ役のHilde Guedenよい。検索してみるとルックスも いかにも名スザンナだな。ツェルビネッタ歌っている音源はあるのだろうか。

思いたって施設課に行ってみると、お、スポンジワイパーがあるじゃないか。 実行してみるが、拭きあとが残ってしまいだめ。私は窓拭き一つできないのか。 やっぱり外から拭かないと。 足場はあるようだが、命綱をつけて・・・いやいや、やっぱり恐いからやめ。高所恐怖症だった。 眩暈がしそうだ。まあちょっと明るくなったからよしとするか。

2ちゃんねるなつかし漫画板では、いまだに、ちばあきお先生の『キャプテ ン』や『プレイボール』の登場人物の心理やその後のチームについて妄想して いる人たちがいるのか・・・すばらしい。いやいや、勉強しなければ。

エントリシート。

EmacsMuseについて少しわかってきた。なるほど。おもしろいじゃないか。 もうHTML手書きの時代は完全に終ってるのだな。 あら、でもHTMLの文字コードに悪さするな。

なるほど、思想・良心の自由の良心がなにを指すのかは いろいろ解釈がある、ということだけわかった。

マンガ本屋で、もうなにがおもしろいマンガなのか、そもそもそれらがなんの マンガなのか知らないことに気づく。数ある雑誌も読む気になれないし。 音楽雑誌でさえ。もう図書館でいいや。 といってまだハイカルチャーな人間でもないし。これが中年ってやつか。


2006/02/28 (火)

朝から。2月もおしまい。

ドゥルシラ・コーネル。権威主義的で奇妙だ。ラカンだのカントだのロールズだのスキャンロンだのを引きあいに出すが、彼らの思想なりなんなりをまじめに考えたり批判したりするのではなく、お勉強して「使う」だけ。教科書的な理解で、はたしてどの程度それぞれの論理を理解しているのか疑問。ジュディス・バトラーがデリダやフーコーやフロイトやラカンを「使う」のとよく似ている。コールバーグがメタ倫理学〜ロールズを下敷にしたのと同じような憧れとそれと裏腹の劣等コンプレックスを感じる。彼ら彼女らにとってそういう哲学者たちの「理論」は権威によりかかって「使う」もののようだ。この権威主義はいったいなんなんだろう?

「パパがそういってたから」「オジちゃんがそう言ってたから」とかって文章が頭に浮かんだ。

もちろん先人の知惠を借りるのは非常によいことなのだが、コーネルやバトラーが奇妙なのは、なんか他の目的のために都合のよいものを無批判に借りてきているように見えるところなんだよな。カントやロールズを「使う」のであれば、彼らの理論のステップの一歩一歩を確認し、理論が含意する彼女らにとって都合の悪い部分に対してなんらかの手当をしないとならないと思うのだが、そういう気遣いが感じられない。なんというか哲学して苦しんでいる息づかいというのか。あるいは、独立に議論を進めて、「いろいろやってくると、この点で昔のおじさんと同じ結論になったから安心」というのもあると思うが、そういうわけでもない。

どうしても印象批判になってうまく表現できないな。まあここらへんの勉強は生産的でないか、あるいは私には歯が立たないかのどちらかであることがわかったのでそろそろ終りにしたい。

一流のフェミニスト学者、というか、真面目な検討に値する人々はどれくらいいるのだろう。マッキノン(たしかにオリジナルな思想家であり偉大な活動家だ)とヌスバウム(哲学者としてちゃんとしている)ぐらいなんではないのか。少なくともヌスバウムには哲学をちゃんと感じることができるし、マッキノンがオリジナルなことを生みだそうとして苦しんもがいているのはわかる。

と。

鈍重で禁欲的で難解で時に意味不明なフェミニストたちの文献を読んで悩まされたあと、カミール・パーリア(「ジャンクボンド論文」)を読むと明快で気が晴れ衝撃を受ける。主流派のフェミニストに欠けているのはこの軽さと明るさだよな。そして澄んだ洞察力と諧謔と皮肉。それに比べると主流派フェミニストとそのとりまきの野暮ったすぎる(もちろん野暮は道徳的に悪いことではないが)。このひとはもっともっと取りあげられ、真面目に考えられてもいいだろう。まあマッキノンはベティ・フリーダンのように世の中を変えた人として記憶されるだろうし、ヌスバウムはフェミニストとしてではなく20世紀後半のリベラル哲学者として時々読まれるかもしれんが、昨今流行のジュディス・バトラーは何も意味がなかったことになって残らないかもしれないし、ドゥルシラ・コーネルは流行りさえしないだろうが、このひとの書いたものは残るかもしれない。へたするとフーコーより重要だとみなされることになるかもしれんなあ。少なくとも性というテーマについては、『性の歴史』より『性のペルソナ』の方がよく読まれるようになるだろう。正直なところ、人文学研究全体に対するパーリアの重要性を今まで理解していなかったのが恥ずかしい。 デートレイプ論文読んでから気にはなってたのだが。たとえば数少ない本物のセックス哲学者Alan Sobleは、90年代はじめに発想と文章の書き方が大きく変わる(よく言えばふっきれて自由になった)のだが、おそらくこのひとの影響だな。コーネルやバトラーがああいう主張をするようになったのもこの人に対する反応かもしれない。ぜんぜん引用されないけど。ううむ。(『性のペルソナ』一発屋というのもアレだけど)

こういう人があっという間にもてはやされ、ただのエッセイ屋になって落ちぶれてしまう、というところはやっぱりアメリカ社会の怖さだと思う。でもこれはまあヴァンパイヤ読んでから判断しよう。

パーリアを読んで、私は決して標準的な学者としての最低ラインをクリアできるようにはなれないということをはっきりと確信した。半人前の学者にもなれない。とにかく学者にはなれない。べつの生き方を見つけなければならない。おそらく「教育者」なのだろう。まったく2月は有意義な月だった。 ・・・いやいや、そう悲観的になる必要はない。日曜日の研究会では「修士1回生の気分です」と自己紹介したが、それは本気だった。回り道をして学者になる人々もいるのだから、いまからはじめると思えばよいだろう。10年もまじめにやれば、半人前ぐらいにはなれるだろう。 私は運よく、よい環境で何ひとつ文句言う筋合いのないような生活をさせてもらっているのだし。 まったくあの年の2月は有意義な月だった、と数か月後、数年後には言えるようになりたいものだ。 まあ、こういう読書体験が時々あるからこの商売はいいんだよな。

パーリアにとって自分の音楽はストーンズやドアーズだったようだが、私だったらなんなのかな。ちょっと前に「ロックは俺たちの音楽だ!お前たち学者のじゃない!」とかって意味の 文章を見たが、たしかにロックは私の音楽ではないし、ロックを自分の音楽だなんて思ってる人間は信じられんよな。やっぱりプリンスなのかなあ。でも最近のプリンス様はもう私の音楽じゃないよな。 おなじように、時代の哲学や自分の哲学ってのがあるはずだ。広い意味での。ムアの時代もあれば論理実証主義の時代も実存主義の時代もあったろう。私とかどうなのかなあ。

「テキストはできればなるべくちゃんと読みたい、読むべきだ、読まねばならん、読めないから私はダメだ」という私の嗜好と、フェミニズムや現代思想まわりは非常に相性が悪かったんだな。あたりまえだけど。

レジュメ1枚提出。法社会学会レジュメ

今年はぼちぼち研究会や学会に進出するか。うん、2月は生産できたわけじゃないけど本も読めてまずまず有意義な月だった。人生の小春日和。


2005/02/28 (月)

寝られず、朝から大学。

Neil Levy, What Makes Us Moral?読む。

研究室でもつい荷風全集読みふけってしまうのはいかんな。

時々ベッドがわりに使っていたボロボロのカーペットを廃棄。 2月が終ってしまう。

松本哉『女たちの荷風』。ちょっと品性が。

秋庭太郎『考証永井荷風』。こっちはやはりおもしろい。なんといっても、なんども出てくる「以上は〜〜氏の直話である。」が強い。それにしても荷風はダメな奴だ。もとから人間が徹底的に腐っている。

特に、またたびを炊いて近所の猫を集めては殴っていたという話、 酒好きの弟子(かつ家主)の目の前で焼酎を流しに捨てたという話は許しがたい。 (親戚の猫のヒゲを切ったというのはそれに譲る)

どう見てもこれは内面、外面ともにひとが生きるべき人生ではない。 特に戦後の壊れ方はすさまじく、私も本当の老年を迎えるのが恐い。 おそらく加齢はその人のもともとの性質を強く出してしまうのだろう。


2004/02/28 (土)

夜ライブを聞きに。だめだめ。


2003/02/28 (金)

朝、五条のなか卯の牛丼。

昼、やぐ羅でにしん蕎麦。

ある密告(?)を受けてなんだかなにもかにも馬鹿らしくなったり。密談など。 どうもやっぱり大学いると心が落ちつかない。 某教授のように部屋の電灯を消していないフリをすればいいのか。

眠いので夕方になる前に帰る。 納豆汁を作る。 江口的レシピは2年前の3月に書いていた。 この時に備えて岐阜で乾燥イモガラを入手していたのだが、 もどすのに12時間かかるというのであきらめる。あとワラビとかも入るんだよな。 あとで検索すると、イモガラは熱湯でもどすことができるそうな。むう。 しかし、この、高蛋白高アミノ酸のうまさは、山形県生まれてでなければわかるまい。


2002/02/28 (木)

雑用で忙殺。助けろ。

中古CD。


2001/02/28

ひきつづきFINE2001。9時ごろ京都。久しぶりに外で飲んでみる。

2月も終っちゃった。


2000/02/28

午後。

夕方、大阪に出て将棋道場で某氏を待つ。まず普通に手合 つけてもらって〇。しばらくすると某氏登場。いつも考慮時間の件で長考派の 某氏と喧嘩になるので、時間を決めて白黒をつけようというのである。対局時 計(アナログ) を借りて、30分切れ負けという条件で勝負。○。向うははじめ て時計を使ったのであわてたようだ。もっとも、切れ負けってのは将棋の本質 に反してるよね。焼肉食う。

む、今PC互換機ってそんなに安く自作できるのか。来年度の個人マシン計 画を変更せねば。


1999/02/28

お休み。


1998/02/28

禁煙3日目。このまま一生タバコが吸えなくなるんじゃないかと不安。(そんなことはない)

前日のジョギングのため軽い筋肉痛。

午後、喫茶店で採点しようとするが、20枚ぐらいで息が切れた。研究室に持ちこみ、ある人々を同時に目的であるような手段として用いる。


1997/02/28

児玉君といっしょに研究室のコンピューターいじり。

現在97/03/01 03:45。むきー。ぜんぜん終らん。

なにをしようとしているのかというと、ハードディスクがぐしゃぐしゃで、容量が足りないので、パーテーションを切りなおそうというわけだったのだが、CD-ROMやらなんやらがうまくつながらず、まだMS-DOSを入れ、WINDOWS3.1を入れている途中。その途中でもマイクロソフトのさまざまなトラップにかかり、死にそう。

ぐえー、adaptecのASPI4DOS.SYSがない。最悪。

現在97/03/01 05:26。どういうわけか、adaptecのSCSIボード用AHA15442CF(だと思う)のドライバが入ったフロッピーが見つからず、事態は最悪の状態を迎えた。CD-ROMが読めないのでWINDOWS95も入れられない。きゅう。児玉君と二人で研究室をひっくりかえし、しょうがないのでヤケ酒を飲む。あー、予想はしていたのだが。

なにやらもはや殺意に近いものが自分の内部にわきあがるのを感じずにはいられないが、対象がわからない。それはマイクロソフトかもしれず、研究室にこのマシンを入れた業者かもしれず、こんなものを購入した人々かもしれず(私は購入にはたちあってない)、あるいはコンピューター業者すべてかもすれず、あるいは機械製品すべてかもしれない。(ま、自分のバカさかげんなのだろうが)

しかし私の生霊まで私と同じくらい分別があるかどうかはわからない。3日以内にビル・ゲイツ氏が原因不明の病に倒れたり、国内外のコンピューター関連企業が一斉に紅蓮の炎につつまれたり、これを読んでいる人のディスプレイが火を吐いたり、お気にいりの日記が読めなくなったりした場合、それは私ではなく私の生霊のせいである。庭先で弓音を鳴らしたりするとある程度の効果があるそうなので、心あたりのある方面はご用心されたい。

児玉君から、書き殴りにアダルトヴィデオだのアダルトWEBだのを見たということを書くのはよくないというありがたい忠告をいただく。むう。