本日も小雨。うちでゆっくり。昔の「スラムダンク」とか見てみるがたるい。
ripgrepというgrepを知る。はあ、そうなってましたか。
ここ数日呑みすぎでやばい。
暗くて寒い。府立図書館まで散歩。
悪口とは、「その対象の当人に望まれていないネガティブな評価あるいはネガティブな記述・表現」ぐらいでどうだろう。この意味で私のネット活動の多くは悪口だわ。
また余計なブログ書いてしまう。やめときゃいいのに。それにしても私は哲学が苦手だ。
夕方から雨。
けっこうでかいミスを発見してあわてる。提出すべき資料類、ぜんぜん勘違いしていた。 あわててなんとかリカバー。あとでたたらないといいが。
会議。長い。終了後即プール。
会議何個か。
やっとシラバスを書く。あいかわらずひどいシステム。
あら、なんか『現代思想』増刊でディスられている。ははは。印刷媒体で自分の名前を見るのはめずらしいな。
就活相談いろいろ。会議。
学生様の自主的な活動もバックアップしなければならない年頃の教員でもある。
比較的時間の余裕がある。
サウナ。
刺し身、味噌汁。
午後に京都に戻る。新幹線早いね。好天。マラソン出たかった。
とにかく無理しない。健康第一。でもいろいろ片づけないと。
しかしまいったな。うかつすぎる。
英語の師匠と雑談してもらう。
某研究会。渋谷で蕎麦。
床屋へ。
ひどく寝坊。この時期は睡眠周期が乱れやすい。
事務仕事がたまっていてやばかった。
睡眠周期ずれたまま研究室泊。
口角炎はなくなっている。
右膝と左足首よくならず。足関係が悪いと散歩できなくてつらい。実は少し歩いて温まってくると大丈夫なんだけど。
業務。
久しぶりに人前で大きな音を出す。
会場は喫煙者のスクツ。吸いたくなるんじゃないかと心配していたが、それほどでもなかった。でもニコチンに酔った感じ。
うーん、仕事やまづみ。やばい。
心的障壁のある仕事を一個片づける。はあ。でもまだ少なくとも2個ある。もっとありそう。死にそう。
教務運営やら学内行政みたいなんやら事務処理やらはたいてい誰だってやりたくない。ワシらそんなことするために生まれてきたんじゃないけんね。ワシらは勉強や教育のプロなんで、そういうのなら喜んで(?)やるけど、事務やら行政やらは勉強してないしノウハウもないからできない。でもそういうのやりたがる人が一部にいて、そういうひとにやらせるととんでもないことされてしまうわけで。教務運営のプロみたいな人雇えないのだろうか。「大学教務論」「大学運営論」とかで。専業大学教務。 「教務2級」とか資格つけたらどうだ。教授になるためには教務2級と議事進行2級、プレゼン1級の資格をとっておく必要があるとか。「アマチュア的な、あまりにアマチュア的な」とか。
いろいろがんばるが燃料切れか。でも2月は1月よりはまし。
成績表提出。すばらしい。会議。
昼寝してから部屋片づけるか。
いろいろ仕事。まだまだ働かないとならんのか。
武満徹先生のブロークンな英語ってのは、誰か直してあげることはできなかったのかな。タイトルとか楽譜とか恥ずかしいと思うんだが。いったん偉くなってしまうと、「先生の昔の楽譜のあれはあれですよね」とか言いにくかったのか。偉い人を訂正するってのはむずかしいことなんだよな。
卒論書きなおし命じた分がやっと揃った。めでたい。
また本を探して1時間つぶす。ばかばか。来たる春休みは本棚の整理をすることを 誓うのであります。
だめだ。帰るか。
潜水艦とかならともかく、イージス艦が事故起こすってのはかっこ悪すぎる。
数日前に授業でのパワポの利用について話をしたのだが、ブルーバックスの『理系のための口頭発表術』を読むとやっぱり「最強の教育手段は黒板」と書いてあるな。私もそう思う。来年度は「下手でも丁寧な字」とともに黒板を十分に活用した授業をしてみたい。練習しておこう。やっぱり最後はチョーク芸。チョークお手玉とかできるようになっておくべきではないか。
目がしょぼしょぼ。隈もできてる。なんだろう。とにかく寝よう。
作田啓一先生の『個人主義の運命』に森口美都男先生が赤線引いて書きこみしている本を読んだり。若き日の作田先生と森口先生の会話を横で拝聴しているようだ。1981年だからそんな若くないか。「作田 > Girard 」とか書いてあって、森口先生が不等号厨の走りであったことがわかる。森口先生からはもうちょっと話を聞いておくべきだったような気がする(それに聞いてあげれば喜んだだろうに)。まあそういっちゃえばいろんな先生から聞いておくべきだったし、いまも聞いておくべき人がいろいろいらっしゃるわけなんだが。
すき家笑える。やっぱり組合って大事なんだよな。
研究会。 ちょっと話をさせてもらう。まああんまり尻の穴の小さい話は やっぱり自分の志の低さを感じていかんな。まあでも少しずつやるしかないのだ。
採点が終らない。これはだめか。締め切りを守る美徳を身につけたかったのだが。
がまんしてなんとか目を通す。転記は明日朝やれば間に合うだろう。すげー、 締め切り守れそうだ。なんか偉いぞ俺。やっと大人になってきたのか?
朝帰り。夕方まで寝る。
迷ったが夜研究室。翻訳は終りにしなければ。
でもダラダラ。
mixiで「メルカレ」という新しい言葉を知る。
「高校生の間では、彼氏・彼女とは別にメルカレ・メルカノがいるのが当たり前のことらしいんです。 彼が聞いた女子高生は、メルカレは本当に中身を知って好きになった人で、彼氏や友達、家族に話しにくいことや本音を言えたりするって。メルカレとは会うつもりはなく、メールだけで繋がっていたいんだそうです。 メルカレの存在はとても大切らしく、いないのがありえないらしい。クラスのほとんどがいるって。 」
なるほど。大学生女子でもこういうのには抵抗があるようだが、私はたしかにありそうな話だと思う。これほどまでに「彼氏」がいないのはおかしい、恋愛していないのはおかしいという圧力が強いと、本来はインティメットなはずの関係が公的でストレスフルな関係になってしまうんだな。 もっとも、男の子の側がそう考えているかどうかはうたがわしいところ。
オリンピックは日本勢がメダルをとれなくてなかなか盛りあがらないらしく、2ちゃんねるではカーリング女子に人気が集っているようだ。おかしい。
図書館のILLのシステムが落ちていてイライラする。
諸般の事情により、もう1年近くジュディス・バトラーを読んでいるわけだが、いつまでたってもさっぱりわからん。英語として悪文なのはまちがいがない。気づいた特徴をあげておくと、
なんでこんなもん読まなきゃならんのだ。(それなら読まんでもよいと言われるだろうが、まあそこらが諸般の事情。)
おそらく日本で(アメリカでも)このひとをもちあげている人々は、その政治的な主張(「クィアでゴー!」)の新奇さに魅力を感じたんだろうが、「理論」の内実にはさっぱり興味がないのだろう。
法学・政治学・文学の人々には「哲学の人だから」と大目に見られ、哲学の人々には無視されるコウモリ。
サラ・サリー『ジュディス・バトラー』という本では、バトラーはほんとうは哲学者なのに、レトリックや比較文学の業績はないのにレトリックと比較文学の教授職だということを指摘している。しかしもちろん哲学の教員にはできないよな。レトリックの先生というのは、へんなレトリックを実践しているという点では適職なのではないか。
ヘアは「哲学者が、哲学者の立場から、実際的問題を解決するために唯一手伝うことができるのは、さまざまな立場から主張された議論を検討し、どの議論が優れていて、どの議論がダメであるかを示そうと試みることだけである。」と言うわけだが、どの程度本気でダメな議論を調べたのだろうか。ダメな議論にもクリアだけどダメなやつと、クリアじゃなくてダメなやつがあるよな。そういうものには触る必要もないのだろうか。
ヌスバウムなんかはクリアでダメな議論を提示してくれるから好感もてる。
フェミニズムの社会学が一部でははじまっているようだな。日本でも誰かやらんかね。
・・・ううん、バトラーとかは「実際的問題」を扱っているフリをしているだけで実はぜんぜんそうじゃないのだから、読んでみる必要もない、と考えてよいのかどうか。どうせ実際的問題に対してたいしたことを言っているわけではないのだから、そういう問題にかかわっている人々がバトラーを権威として援用するのをやめてくれれば読まずにすむわけか。
ドゥルシラ・コーネルとかにもバトラーに似た不誠実を感じる。なぜかこのタイプの人々は権威主義的なんだよな。勝負所で大哲学者たちの名前を使う。議論ではなく、単に名前を、有無を言わさぬ権威として。そして日本のフェミニスト学者たちも。まあ世代が入れかわれば変わるだろう・・・か。
世の中にはいろんな「実際的問題」があるわけだが、こういう奇妙な議論が平然と行なわれてたまま咎められていないのはフェミニズムまわりというかセクシュアリティまわりだけのような気がする。偏見?
まあ頭が悪いんだから、へんな問題には首をつっこんじゃだめだな。おとなしく生きよう。
業務のため早起き。しかし連絡ミスがあったようで、そんなに早起きする必要は なかったようだ。昼まで業務。
突然、習字セットがほしくなる。小筆でものを書いてみたい。 筆、墨、硯、紙、下敷、筆置き、水滴、文鎮とかか。 習いに行きたいような気がする。
昼前まで泥々に寝た。ジョギング。空ももう春だ。ハトが交尾をはじめている。CD屋に寄って昼過ぎから大学。
昼から。
冬季オリンピックは、正規のものより、重力だの摩擦だのって単純な物理法則に関係するものをより意識させる 傾向があるのはなぜか。ああ、俺たちゃすべて重力にとらえられてんだなあ、とか思う。 走るってのは日常生活に密着していてあんまり意識しないけど、滑るってのは 非日常的だからかな。
飲まず。出身研究室ではコンパだったらしいが、 遠慮させてもらった。仕事仕事。
甘味の使用量が増える。これは2、3キロは見込んでおかねばなるまい。 ま、春になったら減量するということで。今は肝臓と胃の方が重要。
ヘアが死んだらしい。某講師はMoral Thinkingを「特別な 出会い」に挙げているが、私の場合の特別な本は、M2の6月に、文学部中庭のコン クリートのベンチに横になって、心地良い木洩れ日のなかで読んだ Freedom and Reasonだったな。衝撃の一冊。あれ読まなきゃ、 きっと今ごろ人生に迷ったりせず、それなりちゃんとした人生を送ってたんだ ろうと思うと憎いような気もする(うそ)。
なぜか今ごろ採点などしてる......シラバスも今ごろ書いてる....うう。
しかし、数件の仕事をかたづけた。
スイミングスクール。腹の出具合いはずいぶん改善されたような気がする。少なくとも、横にはみ出している肉がずいぶん減った。
FINE2000広島シンポ。かなりの人数が集まっている。
夜、当然のように飲む。
なんか雑用して徹夜している。ダメダメ。
emacsでのto-do listの編集/表示に Oliver Seidel's todo-mode.elってのを見つけた。うん、なかなかおもしろい。calendar/diaryとの相性もよい。これでだいたい理想的か。
日本語通るps-print.elも入れる。ftp://ftp.etl.go.jp/pub/mule/.notreadyにある。ここにはemacs 20.3.92とかもあるが、Wnnとか動かなくなりそうだから見送り。(動かなくなっても私は別に困らんが)
ciceroのバックアップもとった。今回は、ciceroにrloginして、
sudo tar cvfb - 20 ./etc ./home ./var | rsh pascal dd of=/dev/rmt/0 obs=20b
とやってみた。なんだかよくわからんがかっこいいぞ。とくに obs=20bのあたりが意味不明でよい。
ぐぉー、雑用。
こう事務仕事が忙しくなってくると、オフィスの効率化や整理整頓に興味がわいてきて、いくつか整理グッズを買ってもらった。ブックエンドとか、クリアファイルとか、名刺ホルダーとか。
………しかしアレだね。人間が1日にできることってのはあんまりたいしたことないやね。書類書いたり電話連絡したりメール出したり切手はったりっていう事務するとあっという間に時間が過ぎちゃう。「9時から5時まで」の会社生活ってのはどんなもんなんかなあ。え?みんな残業してるって?ご苦労さま。
mewは、
(setq mew-summary-reply-with-citation-position nil) (setq mew-summary-reply-position nil)しておくと、返事を書いたときポインタがheaderに行くので間違いメールを出しにくくなる。
現在の~/.emacs。
あ、シンボリックリンク張っているファイルにうかつにRCS使ったらまずいんだ。更新が反映されていなかった。むずかしいなあ。
なんか、足の裏の調子が悪い。水虫じゃないし、なんだろ、これ。なんかこのごろあちこち調子悪いよなあ。それも些細なかんじで。………はっ。
正月から、「歯」「目」「足」とちょっとずつ悪くなってる。これは、噂に聞く「老化の順番」じゃないか。なるほど、これは体からの暗号だったのか。そのココロは「おまえは老いている」だ。なんか『らせん』や『リング』のようだ。
古典落語とか読んでる(最近出た『落語百選』(ちくま文庫、麻生芳伸編)とか)と、落語の世界は社会生活不適応者とかをうまく受けいれているよなあ。たとえば「湯屋番」の若旦那とか。思わず感情移入しちゃったね。もちろん若旦那に。昼まで起きられんわ、妄想にまといつかれるわ。たいへん。ありゃもうハムレットの世界だよね。っていうか、ハムレットが若旦那なんだわなあ。周りは爆笑だったろう。
「なんだい?あの野郎、弱った弱ったって、ひとりでおでこを叩いて騒いでやがら……おいおい、ホレさん、どうしたんだ?」
「なんだい?」
「鼻のあたまから血が出てるぜ」
「あの野郎が変な声を出しやがるから、あの野郎に気をとられて、手ぬぐいだと思って軽石でこすちゃった」
「おもしれえから、もう少し見てみようじゃねえか」
善意のモーニングコールによって起こしてもらう。感謝。明日もう1回早起きしなければならないのだが、期待してはいかんじゃろな。
英語の非常勤(テスト)。
梅を見る予定であったが....
(☆☆☆)なぜか大西 "鬼指" 順子のライブを聴く。けっこう偏見があった(カワイコチャンピアニストだとか、ヤンキーなんちゃうかとか、スイングしないでゴリゴリピアノを鳴らすだけの女だとか、テクニックだけとか、 etc.) のだが、実物を聴いてぶっとんだ。ステージには茶髪にヒョウ柄のシャツにジーパンといういでたちだったので、ヤンママではないのかと思ったのだが、MCを聞くとかなり知的な人間であるのがわかる。
音楽はとにかく猛烈によい。強烈なスイング感。ベースとドラムもすばらしいし(全然知らない人たちだったのだが)、トリオの呼吸はばっちりだし、オリジナリティもあるし、さらには、観客もよかった(ラグは客層がよいと思う)。言うことなし。おそらく、これまで私が聴いた生演奏のなかでは3本の指にはいるような名演。
前に、最近出たCDを聴いたことを書いた記憶があるが、そのときは1曲しか印象に残らなかったのだが、ううむ。
あと2日トリオでやっているらしいので、京都近辺のジャズファンは必聴、ってここで書いても無駄か。
ま、偏見を脱出する瞬間というのはよいものであるし、よいものをよいと判断できるというのもよいことである。私はまだ若い(あたりまえ)
教訓。一般に、帽子をかぶっているベーシストにはマラカイ・フェイバースが入っている(意味不明)
なにかを学ぶためには、まず間違わなければならない(Bernard Williams)