朝ジョギング。アキレス腱のあたりが温まるまで時間がかかる。
家で宅配便待ってたのに来ない。夜まで採点。とりあえず終る。
まだ成績関係。さっとやれば終るのだが。
徒歩で病院へ。単に次の予定を決めるだけ。来月は再度CTがある。病院はさらに効率化が進んでるようで、ITとかってのうまく動けばっこうなものだ。支払いもクレカもっていくの忘れても自動でクレカ払いになっていて特急で帰れる。ぜんぶああなればいいのに。
「梅いちりん盆栽鉢の誇らしさ」でどうだろうか。「軒下に梅一輪の誇らしさ」でもよかったか。
ちょっと厳しめの事務仕事。午後いっぱいかかる。日が暮れる前にプール。朝歩いたから20分でもいいだろう。
もうすこし事務。下手すぎる。
ジェンダー本質主義だの 改良的定義だのってのについてすこしだけ考えたり。なにやってるかすらわからない。規範的な議論したいなら普通の言葉でストレートにやりゃいいと思う。それ以外は余計だ。
余計なことをしてPaperpileとかのクラウドにあるファイルをおかしくしてしまう。
午前中準備して、午後生涯学習講座。今回はルソーとウルストンクラフト。これでお客様のニーズに対応しているのかよくわからないが、質問や意見なども出てそれなりにもりあがったつもり。
昼飯食いそこねたので、京都駅わきのビヤホールでちょっとゆっくり。 研究室に戻るがなにもできない。
少し早めに起きられた。採点。一時天気よくなったところで外に出るべきだったか。 いったい自分がなにをやっているのか考えてしまう。
どんどん時間が過ぎる。生産性は低いまま。しかし春でもある。
たまには勉強に関連したことでも書くか。事情によりアテナイオスの『食卓の賢人たち』をめくっていたのだが、第8巻の「魚好き人名録」に、ヘルミオネのラソスなる哲学者の逸話がある。この哲学者は、「聞くことができるものとは聞こえるもので、考えることができるものとは考えられるものだ、見ることができるものとは見えるものである、見える(optos)ものは焼いた(optos)ものだ、だから生の魚は焼いた魚だ」みたいな冗談を言ったらしい。
これは、なんか、ミルの『功利主義論』の例の証明(見えるということの証明は見ることであり、望ましいことの証明は我々が望んでいることだ)と関係があるような。このアテナイオスの一節続く部分を論理学者のド・モルガンが『形式論理学』の詭弁論で使っていて、それを何回も読んでいたミル先生がこのアテナイオスの話を読んでいたかどうか。なんにしても、あそこのミルの議論が、実は冗談だ、ってことはないのかな、みたいなことを想像したり。これはただの推測だしわかったからといってどうなるものでもない。専門じゃないからあんまりつっこむことはできない。ただミルのあの箇所はやはり気になるところで、あそこにある考え方と、ポジティブ心理学のセリグマンが晩年に到達した立場が近いような気がしていて、もっとよく考えたいところだけど、幸福やら福利やらに関する議論にももうついていけない老人。
とかってのを発見したり考えたりしているのは、例の苦しんでいる仕事を終わらせるために努力の副作用。図書館が本を紛失しているのでわざわざ府立図書館まで行ったり。そういうことをしているとなんか学者らしいことをしている気もするのだが、そういうのはごく若い時期か常勤教員を引退してからやるべき活動な感じもある。翻訳とかっていうのが、昔から年寄りが若者をつかってやっていたのはそういう意味合いがあるのだろうと思う。我々の年頃だと翻訳やるより自分で文章を書くべきだったのだろうと思う。
まあ語学力も文章力もない男が、できもしない翻訳をひきうけたりしていると揉め事も起きるし質も低いしでよいことがない。そういうことをいくつかやってしまったのが私の人生の勉強的側面を破壊したなとは思っている。人生全体を破壊したかもしれない。私が得意なのは、むしろ素人がおもしろがるような軽い文章を書くことだったかもしれないと思っている。でもまあなにもかにももう遅い。なんにしてもとりあえずこの仕事はなんとかできるかぎりのことはしたが、もうしわけないが投げ出す形になってしまった。
あいかわらず睡眠多め。先週からFitbitリストバンドの着用を再開していて、よく寝ている。
庭の梅が一輪二輪と開きつつある。
日記を整理して、もう21年もこれ書いていることに驚く。あまりにも過去に縛られている気もする。なにも成長していないのはこれのせいではないか。ははは。
採点終わらせないと。
先月ぐらいから、図説本・図解本を読んでいる。なんか文字だけの本を読んでいるのがもうしんどいし、実際読めないし頭に入ってこない。地図で考える習慣もなく、大連だの旅順だの、ガダルカナルだのアッツ島だのっていうよく聞く地名でさえどこらへんかはっきりしたイメージがなかったことに気づく。子供の頃はまさにそうした図解本が好きだったのにね。哲学関係の授業とかってのもなんか文字だけに頼ることが多くてよくない。ふつうついてこれない。
朝霜が降りている。
採点。
近所のプールとも契約する。八条口のはどうするか。近所の方は狭いし短い。ただ往復にかかる時間などの心理的は小さい。女子学生用のマンションにあるのだが、会員は全部お婆ちゃん。
久しぶりによく寝た気がする。睡眠は重要だ。ごく軽くジョギング。
徒歩でコーヒー買いに行くと春。しかし夕方から雨。夜は冷える。
灯油36リットルゲット。2月はもう1回必要だろうな。薄暮いきなり温度が下がって雨。
雪というかみぞれ。
1日本読んでだらだら。 きちんと整理された家できちんと生活する、ってのはずっとあこがれているのにね。
国分寺大学へ。これが『メゾン一刻』の五代君が通っていた大学か。
葉巻を吸う。
夜大阪に呼ばれているのでスライド作成。
夜、中之島コレージュとかで中絶の話を。 一般市民の人と話をするのは難しいが、 ああいうのは価値のある試みではあるわね。偉い。
今日は学生の指導とかない予定なので集中したい。
研究室泊。
添削と採点。
うちの階の水屋を一番使っているのは私なのだからもっと積極的にきれいに管理するべし。
卒論発表会とお別れコンパ。
軽く寝違えている。
わりと落ちついて2、3日すごしている。 太陽が出てくれるのがうれしい。温室にいるようだ。はあ。
オディッセウスの鎖はどうすりゃ手に入るのかな。少なくともAmazonのワンクリックの設定ははずしておくべきである。さらに、できればカートに入れたら3日間は注文できないようになればいいのに。でもamazonはそうしないだろうなあ。よく見るとログアウトでさえ簡単にはできないデザインなのね。恐しい。
私自身が誤植大魔王なのだが、学者が「ラヴェリング」とかって表記を2度3度くりかえしているのを見るとやっぱり不安になる。意味からするとlabelingなんだろうけどなあ。エリーティシズムも気になる。エリーティズム?でもgoogleではeliticismも一応ひっかかる。(オンライン辞書ではたいていひっかからない)
百万遍転記終了。時間がかかった。web入力はそこそこだけど、 もうちょっと改善できそうな気がする。
え、と。次は衣笠か。しんどい。眠い。
終らん。
橋下知事 vs 藤井彩子アナウンサーとか番組見てしまう。そもそも最近テレビ見てないので動いて話す橋下って人を見たことがなかった(いまだに「ハシシタ」って読みそうになる)。生放送ですごい緊張感だ。おもしろすぎる。あれれ、局地戦は橋本の勝ち。悪人だと聞いていたがなんかまともそうな印象を受けてしまった。っていうかアナウンサーが喧嘩売って自分で転んではいかんだろう。知事はポイント稼いだんじゃないだろうか。
銭湯(柳湯)へ。古い感じの銭湯。あったまるが、やっぱりサウナ欲しい。次は懐かしの菊水湯に行こう。
やっぱり墨子おもしろいなあ。ソクラテスと同じくらいの人なのか。それにしては先進的だよな。ベンサムに先んずること2500年。イエスなんかよりはるかに前。さすが中国。なんでこれが偽善者集団にかわって主流派になれなかったのかな。
荀子もおもしろい。非相篇はヨーロッパの骨相学に先んずることこれまた2300年。「古者桀、紂長巨姣美,天下之傑也,筋力越勁,百人之敵也。然而身死國亡,為天下大僇,後世言惡則必稽焉。是非容貌之患也,聞見之不眾,論議之卑爾。今世俗之亂君,鄉曲之儇子,莫不美麗姚冶,奇衣婦飾,血氣態度擬於女子;婦人莫不願得以為夫,處女莫不願得以為士,棄其親家而欲奔之者,比肩並起。」スポーツのできるやつや顔のいい男はだめだ、婦女子はそういうのばっかりすきで許せん、ということらしい。よっぽどモテなかったようだ。こういうの素読させてもらえたらおもしろかったろう。
孔孟・老荘よりは、 墨子と荀子の方がおもしろいんじゃないか。ベンサム先生にも教えてあげたかった。
早起き。朝から。
鍵をつるして机を清めて灰皿を洗いちょっと片づけ、 TODOリストを見てすぐできる2件片づけて。おお、ついに。
午前中のうちにTODO二つ片づけに百万遍。偉いぞ。
エントリシート1件、レポート1件。
午後ひさしぶりの雨。
まじめに一日ずいぶん色々やったような気がするが、 どうも気のせいらしく、一番問題の紙の山については解決してない。うーん。でも 疲れたな。
ちょっと飲んで帰る。酒あんまりうまくない。しばらく禁酒だな。
朝寝て昼起きて。風はあるが春の日射し。
やっぱり今年の可能性はコンテンポラリーなジャズとかそこらへんにあるような気がするのだが、なんかいいのないかな。
それにしてもあれだ。一時期のパンダやトキのようだ。やっぱり皇室関係者とかってのはたいへんだ。天皇制は人権を保証するために廃止したらどうか。
いろいろ急ぎの仕事があるのだが、『サミュエル・ピープスの日記』とか読んだり。だらだら延々続く日常。生を記述するってのはこういうことだわなあ。
なんか時間がびゅんびゅん過ぎていくのだが。おそらく余計なことをしているのだろう。いったい人は一生に何冊の本を読め、何曲の音楽を聞けるのか。
早く寝る。
昼すぎまで寝てしまう。研究室へ。
ライブドアってなんだか恐い会社だよな。そのうち 経営うまくいかなくなり事件になるのだろう。 業界の人びとは皆そう思っているに違いない。
ひさしぶりにピアノ30分。当然ながら指がぜんぜん動かない。 ・・・クラシックピアノも一度先生について習いたいねえ。 バッハと、ブラームスの小品が弾ければいいな。
なんというか、自分は隠居するために生まれてきたんではないかと思う。 いや、違うな。そういう財産がなければ隠居などはできない。 いくらお金をもっていれば隠居できるんだろうか。 これからも隠居をめざしてジタバタするわけか。
採点。
えんえん断腸亭日乗を読む。 昨日メモした 「人生の事若し大小となくその思ふやうになるものならば、精神の修養は無用のことなり。」。 ちょっと反省してみると、私は「精神の修養」(それがどんなものであるかは別として) とかってものにそういう目的があるとは 思ってないような気がする。もっと自己目的なんじゃないか。
昼過まで惰眠をむさぼる。市長選挙の日。電話がかかってきてうざい。NHK音楽コンクールのドキュメンタリーを見る。おもしろいねえ。「のだめ」の世界そのまんまというか楽器と性格には相関関係があるねえ。
夕方から大学。正面湯で久しぶりにサウナを楽しむ。ここはサウナでテレビを見ることができるのでサッカーとか。
結局「研究する人生」は復活しないのか。ほとぼり冷めるのを待っているにしては長いな。根性足らんのか。
時間はないのだが、龍大の森とかを訪問。労働と人生におけるその意味 について考えたりする。「搾取」などという言葉が思いうかんだりもする。 ああいうのって難しいね。
科研費打ち合せ。
委員会を一つ忘れてた。長びく。大学のWebページのデザインとかそういうものについて。 そういうものを使ったり作ったりしたことない人が 設計したって、まともなものはできないんじゃないかな。もちろん私は もはやHTML 4.0にもCSSにも追いついてないので言うべきことなし。 それにしても、アメリカの大学とかのは驚くほどよくできてるね。
夜雑用を片づけるため研究室。
ちょっと高校レベルの微分積分をパラパラ見たり。いやはや、全然忘れ ちゃってて。それに、指数対数や三角関数の微積は私のときはやってない (はず)ので苦しい。
大学入試の数学ってのは得意だったのだが、今となってみれば、 ああいうものの意味をちゃんと教えてもらえた高校生ってのは幸福だったろうなと思 う。もちろん、意味を考える前にとりあえずそれに慣れたりしなきゃならんわ けだが、きっとあの頃の私はそういうものを求めてたんだな、と。微積と物理 の関係なんてほとんど考えてなかったもんな。ベクトルとかもね。よい教育っ てのは。いや、自分のアレを教育のせいにしようとしているんではなくて、い つのまにか自分ももう教師とか呼ばれる職業についているらしいんだから、ちゃ んとしなきゃだめなんだなとか。
そういや、この2年、自分を教師としては考えてなかったような気がする。 しかし、教師なんだろう。研究者と呼ぶのはおこがましい。
床で寝ちゃって体のあちこちが痛い。
ふーん、なるほど。そういうことか。
ロッカーの隅から忘れさられた新品のティーシャツ発見。これはよい。この前の入試の時にスーツと靴とネクタイを置いといたのだが、シャツとパンツも常備しよう。
夢の中でBeckの曲が鳴りまくりシビれる。そのかっこよさを今理解する。遅い んだ。12月1日に買ってしまいこんだままだったのだが。
そういや、このまえVirginにCDを買いに行ったとき、Soul/R&Bのコー ナーで「年代別必聴盤」という展示企画をしていた。90年代ではGuyの The FutureとMicheal N’degeocelloのLove Beyond Passionが五つ星。D’angeloははいってなかった。Guyはまだわかるが、N’degeocelloがはいるか〜? (いや、その心意気はすばらしいが)
午後、某会議と某仕事。不合理な計算機システムを見ると物理的に破壊したくなる。いや、ソフトウェア的に壊すのもいいな。こう、なんてのかな。UNIXだのインターネットだのってのは、いろんな才気ある人の英知とか経験とか才気とか、不精とか傲慢とか、そういういろんな美徳の蓄積がなんだかシンプルなものをつくりあげているところがなんともアレなんで、凡庸な人間が凡庸な人間のために作ったシステムってのはどうもつまらないものだ。マイクロソフトの多くの製品とか、ジャストシステムとか、Web ブラウザでメールを読もうとするへんなソフトとか。ま、計算機が家電化するってのはそういうことなんだろう。
各所で噂の雑誌PC Successをまだ入手していない。生協にないんだもん。どうしても欲しいぞ。
結局あれこれと朝まで仕事。あー、人間失格。
死ぬ。しょうがないのでこのまま朝を待って病院行くつもり。
保険証というものには、必要ないときはよく目につくのに必要なときは出てこないという不思議な性質がある。
ホスト名がついてない(DNSでresolveできない)マシンからのアクセスされるとなぜだかヤな感じ。そういうマシンからのアクセスは拒否するようにしようかな。
病院へ。看護婦は私の目を見るなり、「はっ」
「触らないでくださいね、触らないでくださいね」
となりの看護婦に「アレかも」
「でもこの季節は少ないんじゃ?」
「いいえ、先週も2人いたわよ」
おい、何が起ってるんだ?
他にたくさんの人が待っているのに、すぐに(特別な部屋で?) 見てもらえる。
医者2人。「触らないで、触らないで。そのままこっちへ。」
なんか、重病の伝染病患者である。「おい、これ...」と手袋して完全装備。
私「なんか、恐いすね。」
医者「いや、こっちも恐いんですわ」
おいおい、何が起ってるんだ?
「いやね、ちょっと流行るとえらいことになる結膜炎があるんですわ。はい、ここに腰かけて、触らないで...あっち見て、こっち見て、.....おい、どない思う?」
も一人の医者「えぇ....はい、あっち見て、こっち見て....」
「....」
「ま、とにかく結膜炎です。目薬出しますわ。で、これが2日3日で効いたら大丈夫ですわ。もし効かなかったらまた来てください。もしかすると伝染性の強いやつかもしれんので、目のまわりさわったものは他の人がさわらんようにしてくださいね。涙や目ヤニもティッシュとかで拭いて、そのまんまビニール袋とか入れて。右目もやられるかもしれません。」
なにが起ってんだ?この前バイク乗ってて目にゴミがはいって傷入れただけじゃないのか?
病名なんてのは教えてもらってもなんもならんものだ。「結膜炎」なんてわかってるがな。結膜が炎症起こしてるんだからそのまんじゃ。そういうのだったら、死ぬときゃだいたい「心不全」だし。そういう情報だけじゃ意味なし。患者が求めている情報は他にあるんだよなあ。なんでそうなったのか、これからどうなるのか。それはどういう藥なのか。人はいずくより来たりていずくへと去るのか。愛ってなんだ。インフォームド・コンセントの時代はまだまだ遠い。
上のふしぎについて、ある人は「それじゃあんたが陳腐だと嫌ってる『マーフィーの法則』とかわらんやないけ」とのたまった。ちがーう。その後原因を推測できたのである。ポイントは保険証のサイズにある。あのサイズのものはズボンの尻ポケットにはいりにくいので、ジャケットの胸ポケットにいれることになる。これがなくなる原因である。(っていうか、前に着てたジャケットから発見したってことだけどね。)
ちょっとどっかが悪いとなにをする気もなくなって巣にこもってしまう自分を反省。動物の本能?
禁煙続行中。昨日よりは楽。4日目に突入したってことは、とりあえずは成功と言えるのかもしれない。ガムや飴やチョコレートを大量に摂取しているので太りそうだ。
Gooで禁煙の方法とか調べたりする。Gooはいつのまにかかなり正しいHTMLになりつつあるようだ。少なくともlynxでまともに見えるようになっている。感心。
それにしても、禁煙ってのもヘんなもんだね。習慣によって欲望を消そうとしているんだなあ。
例えば性的禁欲なんてものはほとんど不可能に思える。
ほんとうに煙草に対する欲望を消すことができるんだろうか?
あいかわらず採点。シラバスも書かねば。