本日から新年度のつもり。四条のアップルストアでiPhoneの電池交換。
締め切りに追われてないとすぐに黒いあれに襲われる。さもなくばとてつもなく眠い。とりあえず校正。ほんとにだめな男。 採点も残っていた。
夜久しぶりにプール。あすけんもちゃんとつけるべし。
ここ数日、屋内にネズミぐらいの生物が入りこんでいるようで気になる。なにをしているのだろうか。
近衛で胃カメラを飲む。けっこう苦しかった。軽い逆流性食道炎の他は問題なし。帰路、一澤帆布で今のより小さ目の手提げを買う。持ち手が擦り切れてしまっている今つかっているやつも修繕してもらおうと思ったが、新品の半額ほどの値段と1ヶ月ということであきらめ。
午前中掃除洗濯、ジョギング。春霞みたいな空。午後大学。提出物がある。 クラウドまわりでまた余計なことをしてしまう。クラウドは整理しようとか考えてはいかん。なんでも投げ込むだけ。
余計なことをしてクラウドにある論文・書籍のPDFをなくすところだった。
Emacsのorg-mode + org2blog でwordpressを手元で書けるようになった。
実はローソンの「おにぎり屋」の「金しゃり」おにぎりにはまっている。
時間がバンバン過ぎていく。 事情で鷗外の『ヰタ・セクスアリス』とかめくったり。人生で何回かめくってるけど、まったくおもしろくないわよね。
健康上の心配がちょっとある。
冷えてる。まだ苦しみ。
夜、卒業生様を呼んで3回生にお話してもらう。大人になるよなあ。
わりと早起き。天気よからず。8時前に大学にいるといろいろ効率が良い。とにかくさっさと採点を片付けねば。
昼はココイチのカレー。午後ジョギング10キロ、途中吹雪に会うも、足には問題なし。まあなんとか出られるだろうか。ストレッチ、腰痛体操など念入りに。
7時に帰る。思い立って久しぶりに土鍋で米を炊く。おひたしなどで前日からの胸焼けを解消。『新仁義なき戦い』を見る。いかにも時間つぶしというかんじ。
アル中こわいが、もう飲めないから大丈夫か。早々に床につく。寝ることだけが幸せ。
朝は寒い。
苦しみつつ午後プールへ。アバンティ地下のお好み焼きを試してみる。
書評まだ苦しんでいる。夜、まちがった方向に進んでいたことに気づく。馬鹿すぎる。この視野が狭くなって、どたんばになって気づくってのはどうにかならんかな。
朝夕自宅で飯を食えば胸焼けは避けられる。
悪夢で起きてしまう。
徒歩。東山をぐるっとまわる感じ。計15キロぐらい。20キロ歩くのは難しくないだろうが、30キロ歩くのはちょっとした骨だろうという感じか。安全なのは五十三次で二次分ぐらい?草津あたりまでは行けるか。しかし、ごく近所でもぜんぜん知らない地域があるし、高台寺のあたりとかもほとんど歩いたことがない。五条のトンネルも初めて通った。すごく保守的な生活をしているのを意識する。かなりよく歩く人間ではあるが、同じ道しか歩いてないんだよな。街のなかに見えない獣道がある感じ。
今年になっての変化は、(1)禁煙している、(2)モーツァルトのピアノ協奏曲の聞き方がわかった、ぐらいか。 今年はいろいろ変化したいと思う。
だらだら本読み。いかん。採点ぐらいしなければ。
夜雪。
出張の準備しなければ。
雨。
ここしばらく頭働いていない。
文章読む習慣のないひとに文章を書かせるってのはどっかおかしいところがある。
12時間寝てしまう。
添削と採点。採点とかは機械的な作業にもならず中途半端で退屈な作業( 機械的ならむしろもっと楽しめる)。 来年度はもっと自分のモチベーションあげる工夫が必要だな。
京都市図書館を使うようになったので、山下邦彦の『チックコリア』と『ザヴィヌル』読む。ふうむ、この人は音楽学の分野で(アカデミック本流ではないかもしれないけど)なんか大きな仕事をしている。特に『ザヴィヌル』、なかでも11章はすごすぎ。これは凡人(悪い意味ではない)が地道な手法使って接近できる一番高いところかもしれない。10年後にこの人の本読んで育った音楽家がたくさんいるようになるかもなあ。
私と同じ年頃で、毎日15000歩歩く余裕のある人間が何人いるだろうか。幸運に感謝すべきである。
いつまでたっても採点終らないのはどうしたわけだ。教育はやりがいある仕事だと思うし嫌いじゃないけど、採点は時期ずらすとかいろいろしないと。期末は客観テストとかにするべきなのかな。受講生の人数減らせばいいだけか。
雑用雑用。
百万遍でも「頁」を「項」と書いている学生がいる。それにしても、「頁」っていう字を「ページ」と読むのはどっから来たんだ?「よう」「けつ」「かしら」「こうべ」。大辞泉も広辞苑も訓に「ページ」があるな。
あら志半ばにして眠い。
寝たり起きたり学生の相手したりまた寝たり。
それでも百万遍の採点終了。 転記は明日でいいだろう。郵便も出したしメールも出したし。すばらしい。人間が変わったね。明日明後日の二日で衣笠も終りたい。
久しぶりにX11版のemacsを作る。やっぱりemacsはcarbon版よりX11版の方が描画が軽いね。ヒラギノの方がBDFよりきれいだけど。視認性も実はビットマップのフォントの方がいいのかもなあ。cocoa版はどういう感じなのかな。
お腹空いた。天一は避けるべし。
ほんとに久しぶりに(5年ぶりぐらい?)岩波の『図書』を風呂で読む。あれ、手堅くておもしろいじゃん。高校のころに図書館で読んだときの「学問」の香りがまだただよっている(あと『海』とかお世話になった)。なんか岩波というと最近ハードカバーでも新書でもあんまり感心しないものばっかり読んでたので、 すでに死んだ出版社だと思ってたが、『図書』の編集者たちはまだ生きてるのね。がんばれ。
昼前から。今日も鍵をつるし机を清め床を軽く片づけTODOリストを眺め(やはりなにもせず)。
レポート1件 、エントリシート1件 。
紙の山を前にして1日終る。どうも午前中使えないと効率が悪い。
少し体を動かしたくなってきた。ストレッチとか。 またジョギング復活させるか。
昼まで寝てしまう。午後から。なんか目がしょぼしょぼする。
もっと新鮮な音楽が聞きたい。なにかないだろうか。去年、一昨年とクラシックの年だったが、今年の音楽的鉱脈はどこにあるのか。もう四半世紀音楽聞いているわけだから、もう新鮮なものどないのだろうか。いやそんなことはないだろう。とにかく最近のR&Bを調べるか・・・
ジョージ秋山おもしろいなあ。「ふーあーゆぅ?」。一回でいいから実物を見てみたいなあ。新宿ゴールデン街通えば会えるんだろうか(行ったことないけど)。巻末のインタビューで秋山は「ホリエモンは蒲郡風太郎(銭ゲバ)だ」って言っておられる(捕まる前だと思う)。ほんとうかどうかは知らんが、たしかにそうかもしれんな。このマンガに出てきたキャラで私が好きなのは毒薬仁太郎。「オリの名前を言ってみろよぅ」。
柳沢きみおはなぜジョージ秋山になれなかったんだろう?ルサンチマンが足りなかったのか、教養に対するあこがれが足りなかったのか。
「わたしは今日までなんの悔いもないけどね。ただ、未だギターを弾けないこととドストエフスキーを読んでないことだね、悔いているのは。今でもいつも思っている、読まなくちゃあ弾かなくちゃって・・・あの頃、ドストエフスキーを読んでいたら、ギターを弾けるようになってたら、わたしのなにかが変わってたと思うんだ。」
もちろんギターも弾けるしドストエフスキーも読んでるんだろうけど。
ここ読んでいるひとは、 http://www.fukkan.com/vote.php3?no=11038で一票入れてください。なにとぞおねがいします。ウルフ大佐のその後が知りたいのです。
秋篠宮夫婦なんか御苦労だな。「んじゃうちが国民のために一肌脱ぐよ、喧嘩やめろよ」って感じかな。性選択したかな、っていうか当然もう分かってるわな。
脂質もニコチンと同じように中毒になるんだよな。というか中毒になっていることにやっと気づいた。どうやって脱出するか。食生活を改善すると人格が変わってしまいそうで恐いのもあり。Du bist was du isst.
意外にプログレロックあたりに鉱脈があるかもなあ、とピンクフロイドのDarkside of the moon聞いたり。うん、この1枚は好きだね。他にMeddleとatom heart motherとwish〜持っているが、あまり好きではない。
昼から。たまっている事務仕事をひとつひとつ片づける。
最近またまた断腸亭日乗読んでる。いったい一生に何回読むんだか。 今回は電子辞書ひきひき、索引も参照しつつ。読めない漢字があるのがつらい。 もっと読まなきゃならんものがあるわけだが。 「人生の事若し大小となくその思ふやうになるものならば、精神の修養は無用のことなり。」 さようですね。
牟田和恵『実践するフェミニズム』。ストレートで理屈を振り回さず、実感にもとづいていて好感が持てるなあ。女性のエンパワのために、ポルノ規制に反対むしろ女性のファンタジーを創造すべし。愛と性の一致の要求を批判。売春は一定の条件下(自由意思等)で容認。「売春は女性のエンパワになりえるか」という問いはおもしろいのだが、答が曖昧。
荷風の『墨東綺譚』の主人公のようなタイプが買春する男の一般像(いや、むしろ理想像か)であるとすれば、あれはセックスを買っているんじゃないよなあ。牟田は「女を買っている」という表現をするが、むしろ人格を買っているわけだよなあ。それが買春が他の職業と違う点のような気がするが・・・まあもっと直接的な風俗とかは単にアレなんかもしれんが。
女性のルックス主義ってのは80年代以降強まった、ってのはなかなかありそうな話だ。今の学生さんたちはそういうのを内面化している感じがするな。まあ男もそうな感じがするな。バンカラは遠くなりにけり。
牟田は女性の美やセクシーさの強調は、女性の地位向上・進歩のための反動や妨害というよりは、むしろ、現実的な妥協だと言うわけだ。なかなかいい感じの分析かもしれない。
専門職による「こころ」のケアとかってのが怪しいってのはあるよなあ。学校にそういう専門職が入りこむことによって、教師がちゃんと学生のことを気にかけなくなるっていう野田正彰の批判はもっともだなあ。しかし・・・うーん。まあ、治療的な態度ってのは一回考えなおす必要があるな。私も含めて。
ポルノやヌードグラビアを見るって体験が男性にとってどういう体験なのか、ってのは意外にちゃんと語られてないような気がする。内省してみると、性行為しているものと単に裸になってるグラビアはかなり違う印象を与えているような気がするなあ。
一方、単体のやつは裸だろうが水着だろうがあんまり違いがないような・・・一昔前に、職場に水着やヌードのポスターなんかを貼るのがどうのこうのという話があったが、あれは、うーん。
なんか訴えかけている部分が違うような気がする。格闘技やカーレースの時に水着のお姉さんたちがいるのと、ポスター貼るのは関係がある。しかしアダルトビデオとはあんまり関係がない。(そういや長いことそういうビデオとか見てないような気がする・・・)
ポルノは思想の表現か、と言う問いに対してはどう答えるか。ある種のポルノが思想の表現ってよりは道具(「おかず」とか。いやな表現だな)なのははっきりしているような気がするな。
バクシーシのビデオははっきり思想の表現だったわな(あれはモデルの無知につけこんだ犯罪だが)。昔の村西透の作品もはっきり思想の表現だったころがあったような気がするな。となると線引きが難しくなってくる。
強姦はセックスか暴力かという問いに対してはどう答えるか。うーん、「セックス」なんだろうな。
まあしかし、上の二つの問いはあんまりmake senseしてないような気もする。
産業としてのポルノについて言えば、まあ一部の例外を除いて別にかまわんのではないかと思う。問題は学校教育その他で、労働者としての権利をちゃんと理解する機会がないことのような気がする。日本でポルノに出演するような人びと(だけじゃなくて、水商売するとか)ってのは自分の権利を知らないんだろう。まあ若い人間は男も往々にしてそういうふうにして搾取されちゃってしまうわけだが。私も教育産業で搾取されたよなあ。
たとえばバクシーシのようなポルノを作る場合は、SMを趣味とする人びとのように「NGワード」とかをあらかじめ定めておくのがちゃんとしたひとびとの知恵なんだろうが、そういうことを知らない(知らされていない)からああいう酷い目に会うわけだし、バクシーシの不正さもそこらへんにあるんだよなあ。
夜、煮詰まった感じなのでMetroのラテンへ。ライブはmanboU。そこそこ。やっぱりサルサは踊って楽しめるようになりたいなあ。
あれ、なんで記述がないんだろう。
当然の二日酔い。保健センターの世話になる。
ひさしぶりに一滴も飲まずに寝てみる。
昨日提出した採点表に記入もれがあり深草まで呼びだされる。
w3m.elというものがあることを知る。こりゃよろし。Formに対応してくれれば、w3.elと縁が切れるのだが。
ああっ。研究会すっぽかしちゃったらしい。人間失格。他にも人間失格山積みなので、少しづつ片づける。地道地道。
午後から。
ラリー・カールトンの『夜の彷徨』とか入手。なんだか恥ずかしいぞ。 Joe PassのFor Djangoとかも。こっちは大丈夫。
そういや、最近放送されているJASRACのCF(金払わない飲み屋経営者を非難してるやつ)許せん。よくあんなCF作るな。
D’angeloの新譜を聴きなおすが、やっぱりよくわからん。ジャズだろうがソウルだろうが、アフリカに戻っちゃって成功したためしなし(?)。薬とかやりすぎてんじゃないのか。
日中全館停電。日中はひさしぶりにNHK将棋見たり、惰眠をむさぼったり。昼寝したのはひさしぶりじゃ。
夜7時すぎに来てブートする。東館(このpascal www.fine.bun.kyoto-u.ac.jp)がある方は大丈夫だが、新館(cicero www.ethics.bun.kyoto-u.ac.jpがある方)はネットワーク的に陸の孤島になっているようだ。復旧はおそらく明日。
体調最悪。昨日から左目が充血していたのだが、今日は腫れあがっている。わーん。こりゃ明日は病院行かなきゃ。
現実逃避に『火宅の人』読んだり。おもしろいなあ。どうもこういうタルい小説もおもしろく読めるような年齢に達したようだ。太宰は大好きだし、安吾もまずまず読めるのに檀一雄って読んだことなかったな。小説とかはある程度その当時の風俗がちゃんと描かれている必要があるね。
ノートン・ユーティリティーなんてものは使ってはいけない。
人間の体ってのばかげたもんだ。何億(何兆?)ってな細胞が器官をつくってご主人さま(オレか?)のためいっしょけんめい動いている。ご主人さまが気にするのは、調子悪くなったときだなんだぜ。なに考えてんだか。(なにも考えてないってば)
檀一雄を読んでたら、こんななつかしい言葉が出てきた。今でもガッコではそういうことをしてんのかね。私にとっては「リクリエーション」の時間なんて、日常の苦痛を増幅して味わせてくれる時間だったけどね。
今日は仕事しない。xemacs 21.2をコンパイル中。しかし失敗。ldにへんなオプションを与えてると怒られる。
しかしそうもいってられないので仕事仕事。ゆっくり休みたいが。
早朝。禁煙続行中。頭はすこしすっきりしてきたような気がするが、仕事をはじめるのに一苦労する。煙草を吸うのは、なにか行動の区切りとして役にたっていたんじゃな。
べつに完全に禁煙しなくても節煙で十分なんじゃないか、という意見と、煙草をやめるならきっぱりやめねばだめ、という意見があった。私の過去の経験からは、「0と1の間の違いは、1と2の違いより大きい」だな。
昼。ちょっと苦しい。頭のなかに何度も煙草の映像が浮ぶ。
夕。苦しい。挫折するかもしれん。
なんとか某大学のレポート採点が終りそう。しかしもう1校ある。
つれづれなるままに日ぐらし、芭蕉翁の俳文などHTMLにものす。いずくかにて部分的なHTMLも見はべれど、いまだ岡島氏の目録に記載なきをもって、てすさびとてつくりはべる。いまだ添付文書は書かず。これをばあじょん零点一となす。おいおい体裁をととのえ、目次、りんくなどもつくらむとす。
たかだか40KBに凝縮されているものをみるにつけ、くだらないことを書いているのがはずかしくなる。
零点二をものす。索引、添付文書をひとつのふあいるとす。まさに無用の長物なれど、御意見御要望御叱責御罵倒などおまちもうしあげはべり。GNU準拠なれば、おのおの自由に利用すべし。おくの細道は新資料発見されると聞けども、拙いまだ見ず。
かような文書を書きつれば、ものぐるおしく、脳味噌くさりはべり。もとより古典の教養なきをはなはな恥ずものなり。総所用時間4時間ほど。この時間を勉強に用いるべきなり。
(以下☆☆☆☆)映画「衝突」を見ゆ。感興なし。いや、時間は十分すごせたけど、なんにものこらなかった。
そういや、私は3年(4年?)ほど前にクラッシュしたことがある。(まだ書いてなかったかな?) 京都から北陸ぞいに山形に帰る途中で居眠り運転の19歳女性に追突されたのである。私が乗っていた車は全損。彼女は顔に軽い傷を入れていた。
それ以来、私はハンドルを一度も握っていない。ううむ。べつに不感性がなおったりはしなかったが、いまだに車はこわいかもしれない。ひさしぶりにその感覚を思い出したっていうのが収穫か。
結論。つまらなかった。そのお金で食品でも買えばよかった。(現在私は冬眠中なので、極端に切りつめた生活をしている。)