業務。眠気と戦う。 外で飯を食う。大衆店の刺身うまい。やはり8時台に寝てしまう。
早く目が醒めてしまう。業務。とにかくひたすら眠気と闘う仕事。本日も4時ぐらいには終了。帰り道の温泉銭湯に寄る。最近はサウナは健康によくないのではないかと思っているにで控え目。
食うものが見つからず(繁華街の端っこだが、祇園あたりと同じで日曜は定休日が多いようだ)、コンビニ飯になってしまう。
業務2日目。富士山がきれいに見えて、静岡より東の人々はほんとに富士山すきなのね。
3日間基本的にマスク生活をして、けっこう苦しかった。私日常では隔離されすぎてるとも思う。
食生活、食生活。あすけんは楽しい。学生様との面談や相談はなかなか難しいときがある。
新型コロナウイルス(つまり新型風邪)とやら、京都でも感染者が出たとかで騒ぎになっているようだ。風邪は風邪だろうと思うのだが。街の人通りは少ない。中国からの訪問者が激減しているとか。
おでん作る。
業務。前日と同じ。 国語は大澤真幸!設問も成立してるんかいな、みたいな。
蒸した野菜を食う仕事。睡眠第一。もうだめ。でもあと半日ある。
業務。おもったより短時間で済む。しかしあれならあれすればいいのに、という感じでもある。
夜、某師匠と飯。
卒論発表会。終了後、いつものように喜さ起で鍋。これで今年も終了。
膝はそれほどきにならない。
2日目。前日同様。つらい。 焼き鳥屋。
早起き失敗。雨なので外出せず。
午後やむ。
やっとWordpressの考え方がわかった。
1月も終ってしまう。いろいろぼんやり考え事。 深夜散歩して久しぶりに一人カラオケ。すぐに飽きる。
業務。ミス出してしまう。ミスは人間だからしょうがないのだと思えばいいのだが、なんか必要以上にへこんでしまう。
業務。
寒い。業務。
レポートだのエントリシートだの。
生産性低い。
業務。寝坊して遅れそうになる。
一日寒さに苦しめられる。ジョギングか筋トレするべきだったか。
業務で 拘束される。 よい天気で、珍しく半日外で過したいと思うほどなのだが。
最近聞いたCD。
鼻水はとまったがまだ咳が止まらない。
本読む時間がなくなると弱ってくるような気がする。
曇りから雨。業務。働かざるものCD聞くべからず。
業務の空き時間は部屋片づけたりして有効に使いましょう。
業務。
不調の1日ながら、少し本棚を片づけたので偉い。
業務。まあでもこのタイプの業務は業務のなかでは一番苦にならない。
あら、苦労していた書類と学内規程の関係について勘違いしてた模様。そういうことか!んじゃ楽勝やんか。
ぐは。業務中、我が社の 体制についてとんでもないことに気づいてしまった。見ても目に入ってないことってほんとうに多い。丸太がはいってるだけじゃなくてそもそもただの節穴。でもこれ、誰かに相談すると自分に仕事がまわってくるタイプのやつなんだよな。仕事を自発的に増やすのは避けたい。どうしたもんかな。大学教員ってなんだろうな。
早起き。1月も終ってしまう。朝から。
あら、衣笠のシラバス、入稿期間が終っていた。今年のままでいいんだけど、 大丈夫かな。
業務の日。
空き時間に床屋。二重まぶたになり、久しぶりに無精髭を剃り、オールバックもどきに すると、鏡のなかには、私の記憶で一番若い頃の父親の顔があった。これまではどっ ちかといえば母方の血筋の顔だったのだが。都に出た田舎者が初めて見る鏡を 買って帰り、納屋に置いてたらどうのこうの、という古い話を思いだした。遺 伝恐るべし。
合間にレポート指導。まじめな教員。
批判されるべきマジンガーZ的発想について考える。 まあもちろん、なぜ「産む機械」発言のようなスリップが出るかを考えるのは興味深い(スリップではなく本気だとしたらただの馬鹿だし考えてもあんまりおもしろくない。)勝手に妄想すれば、おそらくその瞬間の彼は女性を文字通り機械だと思っているのではなく、「機械」はなにか別の言葉の婉曲でユーモラスな表現のつもりだったのだろうと思う。その言葉は何か?「子宮」か「女体」か「母体」か。おそらく「子宮」か。彼はおそらくここらへんの言葉が生む微妙なエロティシズム?が生じることを避けようとしたんだろう。むしろ、「体は一つですから」とか、そういう物象化を避けようとして逆にああいう表現になってしまったんじゃないかと思う。このタイプのスリップは私もやってしまいそうな気がする。読みすぎか。まあ言わなくてもよいことをわざわざ言うのは馬鹿だ。
「産む母体は一人ですから」「産む体は一つですから」だったら皆はどう感じたんだろうか。やっぱりアウトか。「産むつもりの人は数は変わらないかもしれないですから」だったら抵抗なかったんだろうか。そういうもんでもないなあ。「女性」と「産む性」がいっしょにされていることが問題なのだものな。でもこれ微妙だ。一方で産む性としての女性を意識し、一方では女性は産む性というステロタイプを捨てたいと思わざるをえないのはやっぱりどうあつかってよいのか微妙だ。ここらへん男性の多くはどう表現していいのかよくわからんというのが正直なところかもしれんなあ。いや、もっと深い問題があるかもしれん。わからん。
大正時代の「母性保護論争」のようなものはいまだにはっきりした解決はなされていないんじゃないのかな。おそらく国内のフェミニストを自称する人たちの間でもちゃんと話をしてみると意見がはっきり分かれてしまうだろうと思う。
もうひとつの可能性は、やっぱりそもそも男性の多くが自分の(男性の)体自体をマシンだと思っているかもしれないってことだわな。男性も女性も体はマシンじゃん、とか。少なくとも私自身は自分の身体はマシンだと思っているような気がする。思うにまかせぬ生物機械。これは男性特有なのか、私に特有なのか。私に特有なのか。
榎本某という昔の名野球選手が、「落合(三割打者たち?)はロボットが違う」と かいう表現をしていて記者やライターたちを悩ませていた話とか思いだしたり。ロボ。
早寝。
朝から。健康センターで口角炎に薬をもらおうと思ったのだが、入試でお休み。
業務。ヴィルヘルムだかグリエルモだかの意味を今ごろ理解する。 時間が細切れにされるのでレポート読んだり。これまでのところ江口恥教員にレポート提出しているのが1名。これも久しぶりだ。
考えたあげくコピメ晒し首はやめておく。リンチはいかん。やはりそういう手段はあらかじめ警告してからとるべきだろう。次回は事前に告知して大々的にやろう。楽しみだ。
レポート読んでるとどかんと鬱が襲ってくる。だめだ。気分転換に衣笠のを読むと少し落ちつく。・・・あら、衣笠でもコピペがいた。WikiPediaや森岡正博そのまんまというのは勇気がありすぎる。これは通報だな。
早く寝る。
午前中から入試業務。作業中眠くて眠くて、ソーセージ工場だったら機械に巻きこまれてソーセージになってしまっていただろう。
いろいろ書類書いたりシラバス書いたり。
午前中から業務。
やっぱり腰や肩が痛い。40肩というやつなのか。風邪をひきつつあるのではないかという疑念もあり。
小泉や防衛庁長官のニヤけた顏に腹が立つ。私もたびたびニヤけているので注意しよう。やっぱり政治参加しないとならんのかなあ。誰か死ぬとマジメな顏になるんだろうか。(おなじニヤケ男でも官房長官は嫌いじゃなかったりするが)それにしても、政治家ってのは職業なんだろうか。わたしは本当に怒ることができなくなっているんじゃないだろうか。なぜ政治がわたしにとって遠い世界になってしまったんだろうか。ロッキード事件とかってのが、わたしの年頃の人間に影響を与えているってことはありそうなんだが。
入試業務続き。頭がぼーっとしてくる。
夜まで。頭がぼーっとするので帰宅。ぼーっと『博士の異常な愛情』を観る。 恥ずかしながら初めて観た。傑作。この時期のアメリカはやっぱり力があった。 観る方も力があったのかもしれんな。
タイとカンボジアの話もちょっと気になる。格差とか嫉妬とか不公平感とかが 憎しみを生むのかなあ。
Wanderlustに移行しよかな。
入試業務。
またもや延々寝る。
今評判の山手線(?)転落救助死亡事件に対する反応ってのは、 あそこらへんの電車住民の駅ホームに対する自覚せぬ恐怖感が うかがわれて興味ぶかい。ほんとは皆恐いんだよね。
地下鉄東西線に初めて乗ったときの感想を書いたことがあるような気がす る。あそこはシャッターがあって安全なんだけど、逆に、つねに電車ホームで は恐いと思っていることに気づいた。死に対して不感症になってんじゃな。 (あ、「不感症」なんて言葉はじめて使った。なんなんだ、この言葉)
あんなに近くに死があるなんて、おかしいんだと思う。 メメント・モリな人々は、いきなり自分が路線に落ちて死ぬなんてことは 考えてなかったろう。いざそういう生活をしていると、恐くて そんなことは考えてられないんだ。わしら、あんまり死に近すぎるよ。
「 ボクシング存廃論」。 たしかに色んな意味でおもしろいんだけど、 うーん、これになんか加担していると思われるとちょっと困るので、もうちょっと 考える前に、あえてとりあえず 彼の草稿に対するコメント したのを載せておくことにしよう。正直なところ、残念ながら私は、完成稿に もほとんど納得するところがない。いや、問題とは目のつけどころとかはさすがだと 思うけど。
上にあげたのコメントに加えれば、危険性は意図とは独立に評価されるべきである し、もし「意図」が重要であるとすれば、ボクサーが意図しているのは、脳に 損傷を与えることではなく、脳震盪を起させることだってのがせいぜいのとこ ろだってことはどう影響してくるのかなあ。競馬を開催している人たちが意図 しているのは競馬競争をすることだけど、そのときになんらかの事故が起こっ て騎手が怪我をすることも意図していると言うつもりなんだろうか。 (もちろん、ダブルエフェクトの議論に加担する気はないけど)
さらに、ボクシングはもっと危険なスポーツほど危険ではないという主張 があるにもかかわらず、「自由主義的同意論」でさらに危険な契約の例をあげ るのはフェアではないと思う。まあ、リバタリアンをそういうふうにとっちゃ うと、なんだか馬鹿らしいとも思う。いや、気持ちはわかるし、あんまりつっ こむ気はないけど。二分の一の確率で、勝ったら30円もらい、負けたら死ぬゲー ムをやりたいという奴がいたら、そりゃ誰でも止めるよなあ。でもそれは、そ ういう判断するやつはもはや正常じゃないと思うからだよな。私個人は冬山登 るやつもちょっとアレだと思うが、しかしそういう人たちはそれなりの価値を 見いだしてるんだと思う。30円で命をかけるのとはちょっと違う。
そもそも、なぜボクシングを廃止(っていうよりは「規制」だろうが)する べきだって言ってる人達の話をちゃんとしない議論の全体がフェアではないと 思う。どういうわけか、「三つ子の魂百まで」とかいう言葉も思いだした。い やいや、なんで私イラだってるんだろ?
なんだか、立ててるカカシが弱すぎるっていうか。いくらカカシでも、少 しは心をこめてあげないとなあ。こう、具体的な話をするときは、ある程度思 い入れがないとなあ。問題そのものより、十分に巧妙に思いを表現できない人 たちの意見の方に興味をもっている感覚を引きおこすところにイラだってるの かな。あれ? まあ、こういうの、私もよくやるな。うーん、こういうこと考え てもあんまり生産的じゃなさそうだな。
ちょっと離れるけど、そんなになにもかにも安全無菌な世界や、余計なお せっかいしてくれるような世界に住みたいとも思っていないんだとも思う。 (上の電車ホームの話と食いちがう印象を与えるかもしれんが)
床屋ヘ。明日朝から、遅刻すると笑えない仕事のため泊りこみ。スーツと クツはもってきた。
本日のBGM
とか、深夜遲くまで落ちつくことに失敗。落ちつくためには、まず すぐに本を開くこと。
あれ、シラバス書いてない授業があることを発見してしまった。やばい。
寝坊して電話で起こされ、某所に遅刻。採点業務は続く。なんとか夕方にはかたづく。疲れた。どうもどっかから風邪をもらってしまったらしく、夜からゴホゴホ。そりゃあんな狭い部屋に人をとじこめれば、伝染病も広まるわさ。あ、こりゃ熱出るな。
仕事仕事。人の論文紹介の文章をチェックするんなんて、ほんとに自分にとって何の益もなく、また他人にとっても益がない。むう。
採点、採点。
またオンラインで日記を書く生活になってしまいそうだ。
POPも使えるようになり、メールのCGIもなんとか動くようになった。
telnetでつなぐとVT100端末に対するエスケープシークエンスがなんだかへんな感じがする。とりあえずscreenというプログラムを動かすとなんとかうまくいくような気もするが、以前として画面が乱れることがある。termcapのエントリーがおかしいのだろうが、どうしたもんかねえ。NCSA telnetなどでは問題がなかったような気がするので、愛用のNinjaTermの方の問題かもしれない。
/tmpパーテーションを切るのを忘れた。あとでやる。
Counterも動くようになったような気がするが、確かめられない。これもまた後で。
このマシンは管理者特権を利用してciceroと命名したのだが、失敗だったかも。研究室のWINDOWSマシンはkant、hegel、 schelling、Macはbentham、millとついているのだから、decartesかpascalあたりにすべきだったか。 (ちなみに向いの部屋にはMacであるにもかかわらずschellerという名前のものもある。
やっぱり子供に名前をつけたりするのは楽しいんじろな。
apacheでreferer_logやagent_logをとる方法を探すのにちょっと苦労した。
これを書いているときのアルコール摂取量を記録してみようと思う。
塾。もうひとつの高3生のクラスも淡白に終了。ま、がんばってほしいものだ。どちらのクラスもあんまり心配していない。ま、みんな適当なところに入ることができるだろうし。浪人すると思われるやつは納得ずみ。
これで、当分、週1回の塾とあと2回ちょっとの非常勤だけ。冬眠の熊状態に入る。無事春を迎えたいものだ。さー、勉強しよう。
前にも書いたかもしれないが、私は「ネチケット」という言葉が嫌いである。「ネットワーク上のエチケット」で十分だと思う。へんな省略をするべきではない。(省略じゃなくて造語だという指摘をうけた。その通り。)実はネットワーク上の省略語の話題を先に書いて書きなおしたのでこうなちゃった。
しかし、もともとのnetiquette(つづりまちがってた)という言葉自体は嫌いではない。私が知っているnetiquetteというのは、主にnewsに関して、「他の人の記事に反感を感じたらそれを直接的に表現しましょう」「記事の署名はできるかぎり長いものにしましょう」「他人の文章の引用はできる限り多くしましょう」「どんどん記事をマルチポストしましょう」云々という、「エチケット」に反する行為のことを指していて、(もとネタは「暮らしの手帖」なんかにも連載されていた「ミス・エチケットが答えます」だかなんだかそういうタイトルの読みものだと思う)これはヒネリが利いていて(蛇足だと思うが、networkのNと否定のnをかけていたのだと思う)、ある時代のある文化(ハッカー文化?)を具現していてインパクトがあった。GNU Emacsの"anti news"とかね。
同じようにそのころのnewsを読んであるインパクトを感じたのがalt.personal.adsとalt.sexあたりだが、これは今の話題とは関係がない。
これがいつの間にか単なる「ネットワークのエチケット」に堕落しまったのではないだろうか。私にとって"netiquette"という言葉は、あの文書の作者が作りあげたあの文書を指すのであって、一般的なネットワークのエチケットを指すのではない。
もちろん、こんな表現は一部の人間にしか通用しないだろう。だからネチケットなんていう言葉は廃絶されるべきなのだ。上の「ミズ・ネチケットが答えます」はRFCになっているのだろうか?
「ネチケット廃絶宣言」とか、「ネチケットはネットワークのエチケットではないメーリングリスト」でも立ち上げようか :-)
ま、もっとも、今ではRFCでもnetiquetteという言葉をつかっていたような気がするけど。いやはや。