原稿しないと。
音を出して遊ぶ日。しかし、ジャズでちゃんとしたアドリブをするというのは私あんまり興味ないみたいな感じがする。サウンドには興味があるが、アドリブ自体にはそんなに魅力を感じない。
寝坊して会議数分遅刻してしまう。
午後プールへ。
久しぶりにApexやるとけっこうダメージ入れることができる。3回やって、それなりに貢献した上でのチャンピョン1回。
会議。おや、次の学部長はそうなるのか!という驚きあり。
レポート採点しながら裁断した本をスキャンして、研究室に本がなくなってきている。あとは文庫や新書が残るくらい。CDがいらなかったように、本なんかいらなかったのだ。Dropboxで管理している。今日は「和書」フォルダと「翻訳本」フォルダをマージした。「和書」「洋書」「マンガ」「雑誌」に分けた感じ。なにごともシンプルなのがよい。もっとも、もっとシンプルにできそうだが、やりすぎもよくない。
会社内某所に潜入してピアノを弾く。久しぶりだが、使用のルールが明確化されていて使いやすくなった。平日日中は学内者なら自由につかってよいと明記されて気が楽。あちこち改善されているし。もっとも本日つかったグランドは調律不足でよくなかった。それにしたって、ピアノ80台ちかくあるんだからすごいよな。どんな太っ腹大学だったのだとおもわされる。こういうのは今後はもう無理。
会社に残っていた某先生と軽く飯食いながら例の出し物の相談。
いろいろな課金関係を整理しているつもり。無駄なお金をけっこうつかってるよな。全体でどれくらいになるかなんかさっぱりわからない。せめてそういうのに使うカードは1枚に限定するべきだ。
超長時間睡眠。かなり回復した感じ。11時間も寝ることが必要なのだろうか。
1〜3回生でも文章を書いてもらってフィードバックするのはやはり重要だ。フィードバックだけでなく、それを他の学生様と共有したりするのもさらに重要。今年ゼミ用のサイトをつくって、1〜4回生共通で使ったのだが、その結果学年違う学生様も見ることになっておもしろかった。来年はさらに工夫してみたい感じがする。
それとはさほど関係なく、数日前からSlackを試してみている。各学年のゼミ生との連絡はLINEでとってるのだが、なんかうざいし。学生様からしても私からLINEが届くのはどうかという感じがあるかもしれんし。しかしSlackに定着することはないかもしれん。
添削。1、2、3回生のもやらねばならない。やりすぎだとも思うし、もっと効率よくしないとほんとうに時間を食う。よい方法を考えよう。いま考えているのは、パソコン持ち寄って一回その場で指示通りの様式で書かせる、みたいな。一回やってしまえばすぐにできるようになるはずだと思う。
卒論生の対応。
夕方プールへ。一時的にすぐにやらねばならない仕事が少なくなっている。ちょっと温泉などで休みたいところ。
授業や添削や採点が一通り終わったので、軽く自分内打ち上げ。次のフレーズへ。
ここしばらく、生活の質を上げようとしている。台所にカーテンつけてみたり、コタツの部屋から本棚を減らしたり、研究室に小さなアナログの時計を置いたり。さらに寝室からも本棚を放逐。広くなったが、棚がなにもないというのもちょっと不便。IKEAとかそういうところの安い木製の家具みたいなのを入れるべきなのか。
朝ちゃんと味噌汁を作るだけでずいぶんQOLが上がる。
雨の予報だったが日が出てきたので昼ジョギング。
夜、ぼーっとNHK教育を見たり。
午後プール、マンガ喫茶。時間をつかってしまう。
学生様相談とか。
夜早く寝る。
なんとか起きた。やはり睡眠第一。
雨だが暖い。手套をなさざるにも更に寒さを覚えず。春は遠くない。
午後プール。ちょうど時間だったので30分グループコースに出てみるが、初級用で軽すぎる感じ。やはり一人で泳いでた方がよさそう。それにしても水泳はエクササイズとしては優秀だ。
エクササイズしても雨には勝てない。
長時間睡眠。おかげでここ数日では一番目が覚めている。やっぱり睡眠時間が足りなかったということなのか。明け方に目が覚めてしまうので、もっと早く寝る必要があるということだな。
会議。
2回生コンパ。
銭湯へ。
寝入りに足がむずむずして苦して悶える病気に苦しめられている。 原因は不明だが、スクワットしたりストレッチしたりすると少し楽になる。 よく歩いてるし運動不足ってのはないと思うのだが。
2回生。夜会議。
寝坊。
お天気。活動しなければ。
春が来た感じでうれしい。
夜研究室泊。
快晴。春はごく近いと生理的にわかった。今年も冬を乗り切った感じ。苦しかった。
結核診断のために保健所へ。 採血とレントゲン。最近血を抜かれてばっかりで注入してもらったことがないような気がする。10年以上?
いろいろやることがあるなあ。ちょっと日程確認しないと。
Cocoa Emacsと日本語インプットメソッド(AquaSKK)の相性が悪くてイラついている。InputSwitcherも入れてるのだがちゃんと動作してない感じ。
前にも書いたように仕事していると次第に机が片づくのが正しい。今日はその方向で。
卒論読みなども。
昨日吉田で個性だのセリグマンのsignature strengthだの天職だのそういう話をして思ったわけだが、私自身の個性やらsignature strengthってどんなもんなんかいな。ぼんやりとしたものは感じるんだけど。おそらく今年はそれを自覚するのがテーマだわね。 しかしまあどの授業でも学生から異常人格あつかいされてるような気がする。そんなに規格からはずれてるんだろうか。体の動きとかたしかにおかしいところあるんだよな。そういう印象もでかい。
大きな音を出して遊ぶ。途中低血糖で頭動かなくなる。
寝たり起きたり。無能な男だ。だめすぎ。雨。
胸焼け。毎年この時期は胃を悪くしていることを発見。炭水化物ばっかり食うから。
久しぶりに昼間寝る。次の仕事やらなきゃ。そろそろ頭切りかえないと。
ためこんだToDoのリスト見て気が遠くなる。今日はとりあえず寝よう。新三共胃腸薬はなんだかうまい。
久しぶりにまともな時間に起きた。
howmのファイルの数が溜まると検索スピードが目に見えて落ちる。3000個以上になっててるとgrep使ってるけど遅い。ファイルアクセスに時間がかかってるに決まってるので、対策として1項目1ファイルにしているのを月ごとぐらいにまとめてしまえばよい・・・ふむ、快適になった。あら、howmのaction-lockの使い方ちゃんと理解してなかった。なんでもできるじゃん。
電話が嫌い。なぜ人々はこういうものとつきあっているのかな。
事務。細かい用事で電話かけないでほしい、とどうやって頼めばいいかなあ。(体制がちょっと変わってから余計な電話が増えた)お願いのしかたが難しい。でもどうお願いするかな。
電話によるコミュニケーションが好きな人ってなんだろうね。仕事しているつもりになるのかな。ちょっと歩いて顔あわせた方がはるかにスムースに事が運ぶのに。
まあとにかくやんわりとお願いしておく。が、彼らには誤解されたかもしれん。どうしたもんかね。自分を教育すると同時にまわりの人も教育しなきゃならん。ストレスを少しでも少なくしなければ。
なんかネットが遅いよ。
レポートの祭典ふたたび。ぐは。肩こりしてきたぞ。シンガーを「ジンガー」とか「ツンガー」と書くのもひどいが(前者はほんとに時々いる)、「ピーター」と書く奴も何を考えているんだろうな。なんか、姓名の順番について理解しているのかどうか不安になる。マイルズ・デイヴィスがマイルスになるんだからしょうがないか。でもコルトレーンはジョンとは呼ばれないし、ドルフィーもエリックじゃない。あ、ジャネット・ジャクソンはジャネットだしマイケル・ジャクソンはマイケルか。これだな。わたしもピーターとかアランとかって書くか。某女史なら書けるんだろうがなあ。
寒い。つーか机に座ってて足が冷える。どうしたもんかな。アンカがあればいいのだが。
わあ。事務仕事で走りまわる。でもいつもよりオルガナイズされた形で走ってるような気がするぞ。
夜までやっと1/3。今日は一日朝から夜まで非常に精力的かつ効率的に働いたつもりなのに(昼寝2回したけど)、この成果はどうしたわけだ。これが実力か。っていうか1が2になっても1しか増えてないとかそういうことなのか。っていうかつまり今までも十分実力を発揮していたわけだな。これからは、今日の事務仕事量を標準の10単位として考えるか。いや、15単位ぐらいにしといた方がいいなあ。いや、やっぱり冬季と夏季では仕事量が違うぞ。保温のための発熱にまわしているエネルギーがあるんだな。力つきた。
まあ効率とかあんまり考えすぎるのはあれだ。正月の勉強もあれであの程度なわけだから、まあ私はこれくらいの生産力の人間だということだ。まあ特に不満はないっていうかしょうがない。これ以上伸びない。
ゆっくり。でもなんか重要なことに 気づきつつあるような気がする。思春期が来る直前、青年期に入る直前にも同じような感覚をもったような気がするがよくわからん。
快楽亭ブラック師匠は頻繁に京都に来ているらしいが、どうすればその芸を鑑賞できるのだろうか。
加藤尚武が『中央公論』で、京大教授時代、倫理学研究室のオーバードクター4人全員を就職させた経験を披露した。彼らに、ハイデガーやカントなど伝統的な倫理学と生命倫理学など応用分野との「二足のわらじ」を履かせて、就職を容易にした。生命倫理学は1970年時代、アメリカで哲学者の就職先を増やすために生まれた「失対事業」。だが、今や大学や病院が研究や治療の規範を考える倫理委員会などで重宝されている。応用分野は、研究者と社会との接点を作る、つまり知識人を育てる可能性をも秘めている。(毎日新聞、2008年1月22日夕刊、「論壇早読み斜め読み」、鈴木英生)
偉大だ。中央公論チェックしなければ。先生に見えてないのは、生命倫理がはやる前の中絶やらベトナム戦争やらダーティーハンドやらの(本気の)論争なんだよな。今ではなぜそれが見えなかったのか、の方に興味がある。
人間の想像力が限られていることと、人間が非常に順応性が高いことはなんか関係がある。でもどういう関係か。想像力が限られているから順応することができる、という関係なのかな。あるいは順応するために一定の状況ではあんまり余計なことは考えない、とか。っほんとか?どっちにしても、あんまり困難な状況ではまともに考えることはできないような気がする。
二日酔い。
ヘアのMoral Thinking再読したり。なるほど、「哲学的な問いの立て方をする人だけが陥る誤り」ってのがあるんだな。やっぱりこの本あおもしろいなあ。楽しんで読める哲学の本ってのはほんとうに貴重だよな。同業者の人々も、どの程度自分が読んでいる本を「おもしろい」と思い、何度も楽しめると思っているのか。もちろん「勉強的におもしろい」とかってのはけっこうあるわけだが。私が本当の読書の快を感じた本って何冊あるだろう?キルケゴール(『死に至る病』だけ)とヘアとシンガーとパーフィットとミルとニーチェとモンテーニュと『ゴルギアス』ぐらいなのかな。シジウィックの翻訳が出れば。むしろ他の学問分野ならいろいろあるわけだが。
吾妻ひでおの『逃亡日記』。まあおもしろい。アル中恐い。手塚先生や石ノ森先生への愛情がよい。でもたしかにこの人は昔の作品はきっと残らないよなあ。『きまぐれ天使』は好きだった。
人生は苦。
早起き。朝から。
某作業。 某採点。
某博士一日前と飲む。
朝めし食べて二度寝。飲んだ次の日、ここでラーメン食わないのが重要。
少し復調。昼起きて大学。面倒見ている 大学のサークル紹介ページ講習会。某先生の地道な活動によってずいぶん増えたな。
最近またA5システム手帳を復活させている。見開き2週間のを試用してみたが、やっぱり(能率手帳型の)見開き1週間の方が、右側にごちゃごちゃメモできて使いやすいようだ。それと関係あるのかないのか、最近ひさしぶりに万年筆が欲しい。1本買うかなあ(昔もってたやつはどこに行ったんだろう?)。
『音楽の形式の分析』とかシェーベルクの『和声学』『作曲の基本原理』とか読んでいる。古典派では調性の対比ってのが音楽形式一番のポイントなんだよなあ。もちろん私でも一応転調したらそれはわかるんだが、耳のいい人は「あ、ここで2度上に転調した」とまでわかるんだろうか。そうなんだろう。作曲の先生についてみたいな。馬鹿。鍵盤がもっと自由に弾けたらいいのに。練習すべし。
シベリウスはピアノ曲は内省的でよい曲があるが、交響曲はやっぱりわからんな。マーラーは1、5、6、9番と大地の歌だけ好き。
まあ、たしかにどの新聞を読むかってのはなかなか微妙な選択だよな。ここ十年ぐらい私は毎日新聞と京都新聞。朝日も読売もとっていたことがある。産経新聞や日経はとったことがない。いつもいる校舎で主要紙が読める場所があればいいのだが。わざわざ図書館行くのは面倒だし。
昼前まで寝ていた。床屋。大学。
なんとか起きて百万遍回って、今熊野で会議。午後も。
最近、イライラしてよくない。馬鹿げた会議が多いからだ。
真人間計画スタート。早起き。
しかし、ふたたび細かいミス・判断誤り多発。落ちつけ落ちつけ。
打ち合わせやらなんやらで時間とられる。うーん、せっかく真人間なのに。
真人間プロジェクトの一環として夕方帰る。どんなに仕事が残っていても、 やらねばならないことが残っていても、とりあえず帰る。 どうせ能率悪くてしょうがないのだ。たんに、「まあしょうがないな」と 自己弁護するためだけに時間をつぶしているにすぎないのだ。
プールで体をほぐす。
正直なところ、ここに来て、自分の長所やら短所やら能力やら限界やらをほぼ把握した感じがするんだな。それは正直なところうんざりするようなものではある。恥ずかしながら、最近まで自分は(ほんとうの)自分じゃないような気がしてたんだが、もうこれが自分であるということを本気で認めねばならん。若いころに希望していような能力は残念なことに存在しなかったし、長所といえるところも見方によってはほとんど長所でさえないのだが、もはや自分の隠された能力や才能や長所を発掘しようと努力するより、現状とうまくつきあっていくようにしなければならんと思う。けっきょく、現状でできないことは明日もできない。真人間計画はそういう計画で、むしろ短所や欠点を目だたぬようにしつつ、他人への迷惑を最小限にし、かつ、可能なかぎりクオリティ・オブ・ライフとやらを向上させることを目標とするものである。おそらく上の「かつ」は単なる理想ではなく、両方一緒にしか成立しない。っていうか、前件が成立して後件もなりたつというやつかもしれん。遅すぎる大人宣言といってもよいかもしれない。次に
つまり、通俗的な言い方ではアイデンティティ模索だの自分探しだのはやっと終了。長い。自分にとって意外な自分を発見するのは数年先になるかもしれんと思う。いや、それは近いのかもしれん。期待しないでもないな。
う、朝が来てしまう。
GNUPlotで作ったここ200日の体重グラフ。変わりないような気もする。
「カップ麺は食わない」と宣言したのに、ついつい食ってしまう。 と、すぐにニキビ発生。これは、女子大生だけではなく、男子中学生にも勝てるようになるかもしれん。 青春だなあ。
〜億年という「地質学的」な時間の単位を理解するにはどうしたらいいんだろう? 今私は、10年という時間単位は、ほぼ完全に理解したと思う。 30年がだいたいどのようなものはもわかった(と思う)100年も まあ、だいたい想像できる。100年と1000年はあんまり違わない(かもしれない)。 しかし、10000年とか、100000年とか、100000年とか、10000000年とかは?
10000ぐらいまでは数えあげることができるかもしれんなあ。 あ、そうか、10000000円という単位の金をもったことがないから その実感がわからんのかもしれん。んじゃ、とりあえず1000000円ぐらいは 貯金してみるか。
現在60億もいる人間とかいうものの1人でしかないという感覚が ある種の情動を喚起するのはなぜか。その桁の感覚がわかれば、 なにか解決されそうな気もする。根拠ないけど。
ちなみに、以前の日記を読んでいたら発見した文章。かなり鬱だったようだ。
博物館などに行くと、まあ、地球上の人口は今よりずっと少なかったんじゃ ろうけど、それでもこれまでたいへんな数の人間が生れてきて、喜んだり悲し んだり、希望をもったり絶望したり、メシ食ったり寝たり、戦かったりセック スしたりして暮してきて、けっきょくは何も残らなかったということがわかる。 つまらない土器のツボをいっしょうけんめいつくったり、手のこんだ壁画を書 いたりした人はいったいどうなったんじゃろか。世界を理解しようとしていろ んな宗教や哲学が生まれて、それなりに繁栄したり衰退したりした。いったい ワシらはなんのために生きているんじゃろ? ワシらが生きていることは、数 百年後どういう意味をもつんじゃろ?ワシが今悲しかったりさびしかったり泣 きたかったりするという感情は、博物館のスケールで見るとどういう意味があ るんじゃろ。 この瞬間に60億分の1にすぎないワシの感情と同じような感覚を、 今この瞬間に何万の人が感じているんじゃろか。気の遠くなるほど長い人類の 歴史を通してみればどうなる?) こういう問いが実存主義的なんじゃろと思う。
いやいや、こういうのは、高校でちゃんと対数をマスターしなかったのい かんのかもしれない。100年と100000000はたかだか10の2乗と10の7乗しか違わ ん。たったの5じゃん。あれ?桁がわからん。恐い〜。数盲ってやつだな。
朝から某アルバイト。疲れた。 いわゆる女子高生70人の前に立つのは久しぶり。そのあと延々採点業務。
爆眠。
GNUのintlfontsってのをとってきてインストールしてみる。emacsの(view-hello-file)ですべての文字が見える。いぇーい多国語だぜ。こんなことできるのは他のプラットフォームでは(おそらく)ないぜ。かっこいい。(しかし役に立つ予定なし。アラビア語出せてどうすんだ)
某旅行記を読んで感動したり。
バトラーは、「ニワトリは卵が別の卵を作りだす手段にすぎない」と言ったらしい。人間も精子や卵子が自分を再生産するための手段にすぎないってことだろう。なんだか「利己的な遺伝子」より気が利いてるね。ま、そういってしまえば、人間てのは盆栽が再生産するための手段にすぎんとか、石ころが水平段々飛びするための手段にすぎんとか、いろいろ言えるな。
電子ブック版の『漢字源』をSolarisに入れようとしたが、マウントできなかった。(Macの"CeDer"では読める)無念。
PCでUNIXするなら、ふつうにFreeBSD 2.2.7ぐらいを入れれば幸せになりやすいのにね。(まちがってる?)
夜風呂にはいって部屋のコタツのなかでウトウト寝ていると、明日結婚する(籍を入れる)某医者に起こされ、木屋町でちょっと飲んで、彼の独身最後の夜を祝う。結婚おめでとう。寂しい夜と冷たい布団にさようなら。 All That Jazzのふりつけで、"Bye-bye loneliness, hello happiness"と歌ってやろうかとおもったが、おもいとどまった。
それにしても、1月になってからまだ2回しか会ってないとか。だいじょうぶなんかいな。どっかから、「邪悪な江口は人が不幸になることを願っているにちがいない」という声が聞こえるが、そんなことはない(はず)。ま、それにしてもちょっと水を差したり、不安にさせるようなことを言ってしまったのはちょっとアレだ。
いっぱんに私は人の気分を害することを言う傾向がある。誰もが私と同じような感覚を抱いているわけではないので注意すべし。というか、私が思っている以上に人々はvulnerableである。いや、私もその点では誰にも負けないと思ってるんだけどね。急所が違う。
/usr/share/syscon/keymapにキー配列の定義表があることをおしえてもらったが、98のキーボードに対応するやつはないようだ。
実は106キーボード用のものを/etc/rc.confで指定してどこに何のキーがあるか見当つかないという恐ろしい体験をしてしまった。ログインするのでさえ一苦労なんだもん。
以前にsocioで自分の.emacsや.skkなどを公開するってのをやっていたような気がする。こういうのはシステム破損の時の保険がわりになるので、こっちでもやっておくことにしよう。
とくに、fvwmの設定は他の人のも見たいなあ :-)
なんとかghost script + 非PostscriptプリンタでTeXの印刷ができるようになる。しかし、lp -Pps foo.psとかやりたいのだができん。/etc/printcapの書きかたが悪いのだろう。むう。それにすぐにディスク容量が足りなくなってしまうようだ。A4で5枚程度しか出力できない。(/var/spoolに30MBぐらいしか取ってないからだろう)まあ、TeXでなにかを書くことなんかないんだからどうでもいいんだが。
非常勤。大雪のなかだが、雪降ったので行きません、じゃなんだかアレなのでとにかく行くかととにかく京阪で山科まで。
しかしJR上りは電車がほとんど走っていない。これは今日は休講にするか、と思ったが、携帯電話を家に忘れていることに気づく。ぐおー。出るまぎわまで、電車が遅れたりすることももあるかと思って、
「携帯電話は忘れないように。机のところにもってきておこう」
「携帯電話わすれないように、コートに入れておこう」
「携帯電話をかばんにいれておこう」
とやっていたのに。さらに、「危険だから、学校の電話もメモ帳に写しておいて...」
なんてことまで考えていたのに、書いてない。(携帯に覚えさせていた)
公衆電話はいっぱい。電話番号がわからない(!)ので104にかけるがつながらない。結局1時間近くホームで待たされ、ぎゅうぎゅうづめの列車に乗せられた。
さらに、琵琶湖線の人々はラッシュ慣れしていないらしく、まんなかは空間があるのに入口はオバアサン、オバサン、オネエサン、コギャルなどがつぶれているという最低の状態。阿鼻叫喚。はじける肉体、飛びちる血潮(うそ)出入り口では押しあって転ぶひと続出(ほんとう)。うーむ。みにくい。
結局、1コマ目にはまにあわず、2コマ目も早々に切りあげる。さらに、帰りの電車も待たされ、さらには、ねぼけて大津で降りてしまい再び待たされる。きぃー。
なんども言うが、私は雪を憎んでいる。もはや殺意に近い。
教訓。電話番号はメモ帳にちゃんと書こう。