0114の連用日記


2023/01/14 (土)

腹が減って日の出ぐらいに起きる。昼ぐらいまでぼやぼやするがやはりしんどいのでさらに寝る。 卒論指導する予定だったのだがキャンセルしてTeamsのチャットですます。 けっこうダメージあるなあ。マンガなど読んで暮らす。

夜体温測るとまだ37度あるのでさっさと寝る。前回のときの日記を確認すると同じようなものだな。


2022/01/14 (金)

配信講義2個。あんまり調子出ないが終了。

眠い。ちょっとでも退屈を感じると寝てしまう。そのタイミングでタバコ喫ってたわけだな。とにかくだめすぎる。


2021/01/14 (木)

英語。レポート採点。Teamsをつかった採点もすこし効率がよくなった。でも面倒。


2020/01/14 (火)

1回生。

4回生。卒論提出。のち宴会。宴会しながら某部署とモメる。


2019/01/14 (月)

成人式の日であり、恒例の「泉山七福神」で近所を人々が歩きまわる日。空を見るとおだやかでよい天気。 しかし完全にダウンということで1日家で寝る。まあ1年のなかで健康なときなんてめったにないわけですか。健康だと余計なことするっていうのもある。というか、なにかしようと思うとこうして身体的なストップがかかるというのは、もう人生実質的にはおわってるということよね。それはそれでやむをえない。

正月に見ようと思って借りていたDVDを見る。『ボヴァリー夫人』暗い。『高慢と偏見とゾンビ』これはおもしろい。『Glee コンサートムービー』、あ、ただのコンサートか。

夜にはだいぶん回復。


2018/01/14 (日)

朝起きると雪。ここ数日ひどく冷え込んでいるが、これすぎれれば春。

採点なんとか終わらせて床屋へ。最近2、3回切ってもらったところがいっぱいみたいなのでその前に切ってもらったところに行くが、やはりいまいち。髪を切る技術ではなく、なんかいろいろな快適さの問題。

おでん喰い切り。


2017/01/14 (土)

夜明け前に目が冷めたのだが、布団から出られず。

なんとかジョギング(三条まで)。ちらほら雪。

年が明けてあっという間に半月過ぎている。いろいろあるのだが一日ぼーっとすることに。 しかし卒論相談とかまだ来る。

市立図書館。

ここしばらく、7〜80年代のヒット曲、特に松本隆先生のとか聞いている。なるほどよく出来てるものだといまさら。

とりあえず一日ダラダラするが、どっか行くべきだったかもしれない。

夜吹雪。


2016/01/14 (木)

過眠止まらず。

英語。 午後プールに行っておく。プールで体温を上げてから気づいたのだが、過眠は一日の平均体温とかに関係しているのかもしれない。エクササイズした日は眠りが深くて7時間ぐらいでぴったり起きる。散歩程度の日は体温が上がらず延々寝てしまう。


2015/01/14 (水)

前夜早々に布団に入ったものの、目が覚めてしまう。そのまま明け方まで布団でねばる。

荷風先生の文章にひきづりこまれているのからやっと脱出。昼夜逆転していたのもよくなかった。自分が何をするべきで何をやっていたのかやっと思い出した。それにしても先生文章うまいなあ。

まあ午前中から活動していると1日が有効に使える気はする。早寝早起き。

此日晴のち陰。夜軽震あり。


2014/01/14 (火)

近所の薬局にあったので、ニコチンパッチを試してみる。貼って30分ぐらいすると効果が感じられる。あの「タバコ吸いたい」と時々襲ってくる感覚がなくなる。昨日一昨日と目が覚めない感じもあったのだがそれも少し楽。テクノロジーだな。

卒論締切は明日。本日いろいろ確認。けっこう手間かけているなあ。

落ちついていろいろしたい。が、1月中はまあそうもいかん。2、3月もそんなヒマではないし。

3回生もまじえ卒論おつかれ会。


2013/01/14 (月)

雨。

明日は卒論提出日なのに赤ペン先生せざるをえない。


2012/01/14 (土)

センター試験ですか。

まだ卒論相談。提出締め切りは月曜日。

昨今のネット/PC事情

ずいぶん使い方変わったような気がする。

まともに機能する腕時計をもってない、というのはどうなんだろうか。やっぱり安いのでいいから入手しておくべきか。

迷ったがプールへ。ごく軽く。プールで泳ぐのは健康その他のためにとてもよいことがわかっているのだが、それ自体おもしろいわけではないので気が進まない。「他の人にぶつからないように」とか「腕を動かして足を蹴って息を吸って」とかいろいろ気をつかわなきゃならないのが面倒。散歩はなにも気にしなくていいのでラクで楽しい。

マンガ喫茶へ。あれ、読むものがない。


2011/01/14 (金)

講義。今年も尻つぼみで終了。一回ぐらい派手に終ってみたい気もするが、 力入れて終わるのは性に合わないような気もする。

卒論の提出は明日。

Mac Miniが届く。ディスプレイやFirewireのアダプタが必要なことがわかる。移行そのものはTimeMachineと設定アシスタントのおかげで楽勝。MacPortsだけは作りなおさないとならん。まあMac Miniなのでそんなに速くなるわけではない。MacBookに毛が生えた程度。それでもPowerMacよりはずいぶん楽。

Mac Miniにしたら部屋が静かになった。PowerMacはうるさかったのだなあ。


2010/01/14 (木)

なんとか起きてがんばる。アドレナリン放出。

昼なんとか完成させる。でも誤植大魔王。

吉田。 パワポ使おうとしてコネクタ間違えてもっていって 一瞬蒼くなる。でも準備室にあった。さすが吉田。

目につく誤植だけなおして提出。ダメダメ。


2009/01/14 (水)

寒い。

働かないと生きていけない。働かざるもの食うべからずって厳しいことだなあ。

3回生、教授会。卒論続々提出。

眠い。

http://www.betterworldbooks.com/。注目。おそらく一部を価格破壊していると思う。

だめだ。帰るか。


2008/01/14 (月)

寒い。風邪なおらず。しかしいろいろあるので大学へ。PL服用。

電池切れたまま放っておいた携帯電話。やっぱり出張のときにないと不便なことがわかったので機種のりかえ。今度は1月1000円のコース。それでも高いが、携帯電話帳だと思うことにする。

ふむ。Gmailは「スターをつける」と「すぐに消すかアーカイブ」が重要なわけだな。mewよりいいや。

粛々と雑用しながら卒論の題目にハンコ押したり相談したり。でももう相談する時期じゃないです。

そんでもToDOリストのいくつかを消化。偉い。howmのメニューから「予定」を削ってToDOをわかりやすくする。カレンダー的予定はGoogleカレンダーにまかせていますので不要。「自律という理想とGTD」とかで倫理学まわりの論文書けないかな。「ベンサムのデオントロジーとGTD」とかもありそう。ビジネス倫理だったらありそうか(興味ないけどPHPあたりがなんかしてくれそうな気もする。)。フランクリンとカーネーギーが非常に重要なのには気づいているのだが。うーん、もうちょっと。「自律・自己啓発とビジネス」かなあ。これじゃつまらんか。でも倫理学のそういう側面が無視されているのはアレだよな。こういう話になるといつもウェーバーになってしまうけど、そうじゃないんだ。あれ、おそらく今私は非常に重要なアイディアを書いているぞ。「禁欲的理想とアメリカ産業界」とか。いや、まだまだ。でもなんか鉱脈があるな。

カゼ悪化。明日大学来ないといろいろおもしろいだろうが、そうもいくまい。帰って寝るか。

夜、これはいかん。


2007/01/14 (日)

さらに延々寝る。が、さすがにもう12時間は寝られなかった。 まだふらつくが大丈夫。朝から大学。

と、またイスの上で寝たり。でもやっと頭の霧が晴れてきたか。どうも私は自分がいつも健康であるという妄想にもとづいていろんな計画を立ててしまう傾向がある。実際には1年のほとんど役に立つ状態ではない。やっぱり仕事は避け隅っこで懐手して生きていくべきだと反省。

あら、マイケル・ブレッカーが。ジャズメンは早死の傾向がある。やっぱり若いとき乱暴していたのだろうか。→ 骨髄異形成症候群らしい。ガンや白血病の仲間か。健康に長生きしたい。死ぬのは恐いよ。

じっと卒論生を待つ、が来ない。大丈夫か。またイスの上で気を失なったり。

早く寝る。とにかく寝るべし。

「自分の頭で考えること」「自分の目で見る」ってのはそんなに重要なことなのかな。私にはわからん。そりゃ考えるなら自分の頭で考えなきゃならんし、見るなら自分の目で見なきゃならん。でも自分の頭や目に自信がない場合はどうする?私は巨人の肩に乗ってちょっと遠くを見らればそれで十分。巨人はどこにいるのかなあ。実は巨人のかぶりものをした人間梯子か人間ピラミッドなんだよな。私の人間としてのオリジナリティのなさはここらへんが原因だな。


2006/01/14 (土)

昼前まで惰眠をむさぼってしまう。まずい。

衣笠補講。 ベンサムミルムアノージック。Goldman。どちらもいい感じだった。

どうでもいいが、マーラーの録音はショルティ・シカゴ響・コロ・ミントンの「大地の歌」1曲につきると思う。これ以外の曲や演奏は価値がない。なぜショルティとシカゴ響が80年代の日本の評論家に嫌われたのかってのは一考する価値があるかもしれない。

どうでもいいが、教室の内装ってのはほんとに重要なんだよな。うちの校舎の演習室はほんとうにダメで、設計した奴を殺したくなる。音響重要。

某ユニットを応援しにライブハウスへ。 酒飲んだので苦しくなる。だめだ。死ぬ。今ビールだと1リットル程度で気分悪くなるようだ。・・・あたりまえなのかな。


2005/01/14 (金)

そこそこ早起き。なんでこんなに眠れるのか。まだ時々タバコ吸いたい。

やばい。スミマセンスミマセン。もうちょっと。

禁煙のご褒美に自分にプレゼントする。TANNOYのモニタスピーカーREVEAL。もっと高いものにすればよかったかな。あと安いCDプレイヤー買うつもり。新しいスピーカは研究室、古いスピーカとCDプレーヤは寝室に置くつもり。


2004/01/14 (水)

ひどい人間失格1件。最悪。

ゼミ。卒論相談。

教授会。さらに卒論相談。


2003/01/14 (火)

授業(最終回)。午前中から会議。 会議。 午後早くに帰って寝る。

Safari入れてみる。まだ日本語がちょっと。 しかし、最近のOS Xまわりは良質のソフトウェアがいろいろ 出てきて非常に楽しい。成功だったわけだなあ。 よく使うのはWebブラウザと2chブラウザとiTunesとXdarwinだったりするわけだが。 AppleのX11も入れてみたいが、環境壊してしまうのが 恐くてためらってる。

Mailアプリケーションの「迷惑メール」フィルタもなかなかよくできてる んで、Mewから乗りかえてみたいような気さえしてくる。 procmailでフィルタするのはちょっと恐いし。

今年は映画を見る年にしようと思っていたのだが、 なかなかなあ。


2002/01/14 (月)

いかん。また午後まで寝てしまった。

面倒なので放っておいたメーリングリストを抜ける。

「荒れる成人式」らしいのだが、テレビで沖縄のドキュン青年たちが踊っているのを見て、あれはちょっとかっこいいものかもしれないと思う。(おそらく)ちゃんと伝統的な手踊りしてたし。彼らは、私なんかより、おそらくそういう共同体の伝統意識をちゃんと身につけてるんじゃないか、とか。

もし成人式ってのが本当に「ハレ」の日であるなら、クラッカー鳴らすなり酒飲むなりして、日常規範から逸脱してもよいのではないか、とか。少なくとも、おとなしくイスに座って退屈なお話を聞くことに耐えられるようになるのが大人になることだっていう奇妙にお清潔でお上品な社会よりはずっとよかろう。実際、「大人」はそういうふうな人々ではない。

まあ、そういうのは当然別の見方もあるんだろうが、少なくとも、本来それは道徳の問題であるよりは、美学の問題であるように見える。彼らにとっては、おとなしくイスに座っていたり、警察に見られながら出席したりするのが美的に許せんのじゃろう(私でも許せんと感じるかもしれん)。クラッカー鳴らしたりするのは美的にかっこわるいと思うが、それは教育するもので力で抑えるもんじゃない。彼らはその式典を破壊する気なのではなく、彼らなりのハレの日の祝い方なんだろう。それが教育の不足のために、美的にかっこ悪いものになってしまっているだけに見える。キチッと着飾ってキッチリ式典を終えるのがかっこいいかもしれんが。

お祭や結婚式で下品なことを言ったりやったりするのと同様。たとえば結婚式の場合、私はやっぱり下品なのはかっこ悪いと思う感覚を身につけてしまっているが、それはなんだか本来(?)私が生きているべき社会からはずれてしまっているんじゃないかということを感じることがあるんだよな。祭の日にそろいの衣裳着たり、喧嘩したり、そういうのも許容できる(むしろ、推奨する)ような社会の方が望ましいんじゃないかとか思ったり思わなかったり。パーっと騒いだり、そういう仕方で仲間意識を高めあったりね。

それにしても、夜中に東大路を自転車で走ってると無灯火で暴走する車なんかいたりして恐い。まあ、形骸化した式典はとりやめるがよろし。

もしやるなら、もっとこう、土着的で生活感覚に密着したものを求めるべきなんだろと思う。それは、もっと少人数(おそらく300人を越えない)で、地域のちゃんと(さまざまな意味で)エスタブリッシュされた人々が参加して、それぞれの共同体独自の儀式のあとは、皆で酒を飲んだりしながら、大人社会の本当のことを見せたり教えたりしてくれるような(たとえば、成人のみが歌うことができる猥歌とか、その街では誰が本当の顔役で、誰と誰が派閥を作っていて誰が仲悪いのか、一般に夫婦間の性交渉は週に何回程度なのか、何歳ぐらいまで夫婦間の交渉を持つのかとか、街の有名犯罪者は誰か、選挙では誰に入れるのが共同体にとって有利なのかとか、実際には婚外交渉はどのていど行なわれているか、とか) 、そういうもんなんだろう。そういうもんだったら、一度出てみたかったような気がする。・・・いや、こういうのは成人式じゃなくて、地域共同体で「若衆」としてもまれているうちに学ぶもんなんだな。そういうのを経験していないから、いつまでたっても私は大人じゃないんだろう。

それとも、まず、30代ぐらいから中年式とかしてみて、ちゃんとそういう式典を持つことができるかどうか確かめてみたらどうか。それは、子牛の群が河馬の話を上の空で聞いているような式典になるんだろうか。


2001/01/14

15時間も寝てしまった。24時間起きて15時間寝るような進化した ニュータイプなのかもしれん。 結果は繁殖力に依存する。夕方大学。

#!/usr/bin/perl

$old = readlink($ARGV[0]) ;
unlink($ARGV[0]) || die "can not unlink $ARGV[0]\n";
print "$old -> $ARGV[0]\n";
symlink($old, $ARGV[0]) || die "can not symlink $ARGV[0]\n";

って感じのを教えてもらったので、

find / -type l -newer hoge.pl -exec perl hoge.pl {} \;

した。とりあえずこれで未来のファイルはなくなったはず。サンクス。

PGPやGPGってのは、けっきょく普及しないんだな。 こう、やばいメール(というか、守秘義務なんかがあるような) が増えているので、使ってほしいんだけど、それを要求することは できないよなあ。みんな恐くないのかね。あー、これから私にメールする人は PGPつかうべし(無理か)。とりあえずjpnicの鍵サーバーに登録しておいた。

それにしても、だいたい、Tru64 UNIXじゃpgp 5もpgp 6もmakeできないんだから、 話にならんよな(gpgつかってるけど)。ふむ、Al-Mailにはプラグインがあるんだな。 あとで試してみるべし。

味の素の件では、新聞などで「えー、そんなんこだわりすぎっ」「酵素だ けじゃん」「不合理だけど、しょうがないよね」ってな論調を目にして気持ち わるい。あいつら、小学生のころから給食でなんでも食えた人間なんじゃない のか。無理やり口に入れられて(吐きそうになった|吐いた)経験ないんじゃないのか。な んでも食えばいいってもんじゃないっ。イヤだって言ってんのに無視して売っ てたんじゃろ? まず、小学校教育からやりなおせ。

通販でビクターのスピーカーSX-L3を注文してみる。研究室用。 もうちょっと検討してみてからでもよかったかもしれんが。


2000/01/14

午前中軽くジョギング20分。午後から。

ギデンスの『親密性の変容』読みつつ自分の各種中毒について考えたり....あ、中毒じゃなくて「嗜癖」ね。

montaigneにもnetatalk+asunを入れる。今回はportsでmake patchしたのちMakefileを変更してDESを使わないように書き換えてmake; make install。netatalkってすべてのディレクトリに.AppleDoubleってディレクトリが掘られちゃって気分悪い。

fj.comp.lang.perlに質問して、うっとうしい<font></font>タグの消し方を教えてもらった。感謝。いぇー、電脳コミュニケーション万歳。

perlだったら、


#! /usr/bin/perl -p
s#</?FONT[^>]*>##gi;

ってかんじ。なるほど。もし情報リテラシーとかそういうものの授業をもつなら、「正規表現のイロハ」とかってのをやりたいな。問題集ないかね。(いや、やらないけど)


1999/01/14

どうも昨日から電話がとまっているらしい。しかし請求書見つからず。

京橋から電車に乗ったとき近くに地味な年カサのお姉さんが座っていたのだが、電車が駅を出るや、前髪にカラーを巻き、ファウンデーションの後に口紅etcをぬりたくり、睫毛をととのえ、どんどん変貌していく。車内は化粧品やら香水やらどんどん臭くなっていき、四条につくころには、まずまずのホステスさんができあがっていた。歳まで若くなっていた。あそこまで盛大にやるのははじめて見た。

夜研究室でちょっと仕事。あやとりで食事。ビールがおいしくない。節酒すべし。

「度を越すな 」は「汝自身を知れ」とならぶ大金言。しかし、度を越さぬ人間ではわからんことがこの世にはあるはずじゃとも思う。それが快かどうかはわからんけどね。(通俗的だが、「生の実感・充実感」とかか?)ま、ワシらは快楽だけを求めているわけじゃないし、苦痛を常に避けようとしているわけでもないのは明らかじゃろう(ほんとか?)。

ちなみに、「汝自身を知れ」を「度を越すな」とならべると、いきなりその程度っていうか、重みが落ちるよね。ソクラテスさんが偉いのは、この二つを見て、同列のものだと解釈しなかったところにある(って、キルケゴールさんが言ってたような、私がそう思いこんでるだけのような)。

pascalのemacs 20.3にWnnがつかえるパッチをあてる。ついでに、ciceroでもemacsをつくってみる。しかし、pascalのwnn 6サーバーを利用することができない。いや、どういう原理になってるかわからんからしょうがない。cannaは動く。

ciceroの/usr/localがあふれていることに気づいた。やば。古いmuleを消して、emacsからシンボリックリンクをはって知らんぷりする。

fj.sourcesに流れていたw3mというブラウザをインストールしてみる。lynxのようなもの。ふうむ。なかなかシンプルで好感。しかし、ブップマークなんかの扱いにかんしては、まだまだlynxに一日の長あり。

これから親しくなりたい女性とはじめてのデートのときにどういう店に行くかというある人の質問についてとりあえず考えると、第一に考慮するのは文句なく「値段」だ。(第一に値段を考えないなんて考えられない!)ま、初めて食事するんだったら、2人で8000円〜1万円程度をめざすかな。(もちろん酒を含めて) ま、選択にあたっての順番をつけるとすれば、

  1. 場所(車がないから限られる。実はこれが1番。遠いとこに行くのはいや。)
  2. 和洋中(はじめてだったら、和以外には考えられないな。 横飯を食えるのはかなり親しくなってからじゃないと。その点中華もかなり(値段的にも)楽だわな。)
  3. 味(そりゃまずいって店には行けない。しかし、 どっか知らん店にいきなりチャレンジってのも嫌いではない。)
という順番になる。え?あたりまえだって?ごめんごめん。

学部生のおわり〜マスターのころは例のバブルってヤツで、どうもフランス料理とか行くのがはやってたようだが、私は行けなかったな。(っていうか、そういうところに行くような女の子とは遊んでいなかったというのもある。 )初めて京大近くの「ルベソンベール」で(夜)食事したのは、5回生のときだったかね。

ま、あれだね。誰かも似たようなこと書いてような気もするけど、人間はその「格」(あえて「格」と書かせてもらう)や経験によって、行ける店と行けない店があるっちゅうのはあるな。近いところで言うと、去年の貴船の床では食事できなかったし、いまだに祇園の食事する店は2、3しか知らない。まだ私の格がそこまで行ってないのである。今の近所で言うと、百万遍角の「琢磨」とかはまだちょっと敷居が高い(行けないことはないが...)。川端今出川の「紀州屋」が好きだったんだけど、値段がかなりあがってコストパフォーマンスがさがったんで、もうそういう用途に使うことはあんまりないんじゃないかな。初回はだいたい1万というのが、現在の私の格である。

もはや若者向けチェーン居酒屋にも行くことができないとも思う。

身近なある人なんかは、なんだか情報誌を読むのが好きな時代があったんじゃないかと思うのだが、私はそういうものを読むことがほとんどない。それより、(上にも書いたけど)知らん店にいきなりはいってみる方を好む。 エスコートする気なんかぜんぜんなし。(もっとも、木屋町の入りやすい店はこの15年でほとんど踏破しているような気もする。)

夜蕎麦を食うのはちょっと私の美学には反するかもしれん。軽すぎ。(というか、私は蕎麦を食うと貧血ぎみになる。)

最初から横飯もぜったいにできないな。横飯そのものは実は好きかもしれないのだが、私は、あの、ワインのテイスティングとかが死ぬほどヤでヤで、たまらん。メニュー選ぶのもヤだし。(量の見当がつけにくいから.... 最近は店員に聞けるようになったから楽になったけど。ここらへんが経験。)

あれ?ここまで書いてやっと気づいたが、だいたい、私は「初めてのデート」なんてものをしたことないような気がするぞ!?。なんかの用事でメシ食ったり、なんかはずみで飲んだりしたことはあるが、待ちあわせてどうのこうのなんてことはぜんぜんしたことがないじゃないか。

つまり、私はすでにある程度私のことを知っている人としか遊んだことがないんじゃな。だから別にかざる必要もないってわけか。むう。出会いの貧困。人見知り(ほんと)。

dbskkd-cdb-0.52-BETAってものをインストール再挑戦。これまではSKKのサーバには、ciceroの上で動いているdbskkd 0.3ってやつを使っていたのだが、Ultra 10なんてマシンがPentium 90Mhzマシンにおんぶしているのは気にくわん。Solaris2.6では、cdbは作れてたんだけど、makeskkcdb.shを実行した際に「パイプ切断」と怒られてしまって往生したまま放棄していたのだが、これはスクリプトから呼ばれているawk(/usr/bin/awk)が悪いのかもしれないということに思いあたり、GNU awkをインストール。やっぱりこれであった。

というわけで、辞書もさくっとできたので、dbskkd-cdbのmake。附属のMakefileでは足らんライブラリがあるらしいので、よくわからんが、(よく見かけるエラーなので) LDFLAGS = -lutil ./libcdb.aの行をLDFLAGS = -lnsl -lsocket ./libcdb.aに変えてみる。(いいかげん)

makeも通る。/etc/serviceと/etc/inetd.confを書きかえて。

OK。とりあえず動いちょる。快適。ここらへん、もうちょっとドキュメントを整備してもらえるとうれしいんだけど。でも、こういうβ版とかは好事家しかインストールしないだろうから現状ではしょうがないか。(おまえも貢献しろって?だって知識も技術も半可通なんだもん)


1998/01/14

午前中滋賀。ここはあと4回。午後深草。無事終了。寝不足で帰りつくとこたつで寝る。

身近にMDなんか買った人がいるようだ。うらやましい。倹約、倹約。うう、耐えられるか。


1997/01/14

どうでもよいことだが、私は外国語(ふつー英語)で誰かと意思を疎通するのがけっこう好きである。ま、今回はどういうわけかマルチン・ルーサー・キングだの、マルコムXだの、KKKだのという話に行ってしまったので、けっこう暗くなってしまったが。(15日はアメリカとかいう国では成人の日ではなく、キングさんの誕生日だそうだ。みなさん、思いをはせましょう)

外国語でコミュニケーションするたのしみは、おそらく、母国語ほど柔軟に利用することができないために、直接的な表現を使用することになるという点にある。「私はあなたが好きです」に類する言葉はこれから先いっさい発話することはないと断言できるが、I love youは言えそうだし、"I'm lonely"も日本語で発話することは絶対にないであろう。