0102の連用日記


2024/01/02 (火)

会社へ。さらにイオンに入ってるスーパーに買い物。急ぎのタスクは片づけておかないと。

能登の地震は倒壊・発生で犠牲者多数。さらに羽田で飛行機が接触して爆発炎上。すごい事故だ。

鮟鱇鍋を醤油生姜味で作ってみるが失敗。


2023/01/02 (月)

まあ1年に一回以上システム入れなおしているとかってのは馬鹿らしい気がする。 homebrew、Emacs (~/.emacs.dはコピーするだけ)、MacTex、Office、Teams、Keynote、Numbers、Kindle、Acrobat。

仕事しよう。と思いつつコタツで寝る。昼からコタツで寝るとお休みな感じ。


2022/01/02 (日)

ヨドバシまで散歩。プール用品とか下着とか。夕方銭湯。風呂をあがるとなにやら泥棒が出たとかで警官が来ている。でもほんとに被害あったのかどうかみたいな感じだった。


2021/01/02 (土)

夜半目がさめてしまい、酒飲まずに読書など。もう1日義務的なことはなにもしないつもり。

コタツで寝たり起きたり。昼、天気がよいのでジョギング、今出川まで1時間半、10キロ。ひさしぶりの長距離。

よい正月休みだった。

少しだけ「ジェンダーアイデンティティ」「らしさ」みたいなものを勉強したが、日本のものも英語圏のものも根本的にまちがってるのではないかという印象。


2020/01/02 (木)

朝雑煮を作ってみる。作業のために大学へ。夕方ジョギング。酒はもう飲みたいなならない感じ。とにかくなるべくまともな食事を。年末からメンデルスゾーンの室内楽をあれこれ聞いている。ここからシューベルトに行けばいいわけだ。


2019/01/02 (水)

ぼちぼちの好天。朝から研究室。書類の片づけとかこのタイミングでしかできない。

ファイルサーバーにしているMac miniもSSDにするべくヨドバシへ。ついでにテレビ台もニトリのごく安いスチールのものでリプレースすることに。 説明しにくいが、春先に画面大きくして、台の棒が流すぎて画面の邪魔になっていた。そういうのもなんだかいろいろ心理的な影響があるような気がしている。いつも「気になるな」と何十回も思っているけどそのままにしている、っていうのが多すぎる。モノが落ちているのを見ても「落ちてるな」と思うわけで、拾ってしまえばいい。心をおだやかにしたいのだ。

キーボード洗ったり。テレビ台を組みたてたら歪んでいたり。でも快適になった。とにかく住環境をよくする。台所や冷蔵庫も清潔に使いたい。

実は24時間営業だと思っていたフレスコが三が日はやっぱりお休みで、困っていないといえば嘘になる感じ。 雑煮作って食う。


2018/01/02 (火)

郷里は駅前から雪だらけで歩くこともできず。実家にタッチ。再度夜行バスで帰るつもりだったのだがチケットとれないので、新幹線で帰ることにする。親の顔を見ただけ。駅で地元の安い焼物を数枚買う。東山焼というやつ。

自由席で必ず座れると思っていたのに座れず、見栄張って子連れに譲ってしまったが結局浦和あたりまで立つ羽目に。

夜帰京、ほぼ24時間で往復。内臓が重い感じ。


2017/01/02 (月)

ジョギング。

午前中から大学。某キェルケゴール雑誌の翻訳チェックなんとか終える。ガルフの論文自体はおもしろく、翻訳も私よりずっと腕がいい。

ビール飲んでブログ書いたり。

パーフィットが死んだり。クリスマスのあたりはジョージ・マイケルが死んでショックだった。まあ長いこと生きているので知ってる有名人も多く、そういうのがどんどん死んでいるってだけなわけだが。


2016/01/02 (土)

勉強はじめたつもり。午後プールに行くがまだ休館だった。

夜某医者に誘われ三条で飲む。なるべく店を開拓したい。

さらに夜、ちょっといやな知らせがあり、いろいろ考える。


2015/01/02 (金)

雪はけっこう積もった。昼には晴れたのでジョギング。しかし足を濡らしてしまう。

酒を飲んでもすぐに気分悪くなるのがわかっているので、引きつづき荷風先生と遊ぶ(秋庭太郎先生もいっしょ)。細かく見ていくとやはりおもしろいなあ。ほとんどまともに読めてなかったことがわかる。というか言葉を知らないし文化的知識もなさすぎる。でもまあみんな気分だけで読んでいるのだろうとは思う。あれまともに読める人は国内で1000人もいないだろう。

午後遅くさらに雪。


2014/01/02 (木)

研究室でだらだら。

卒論相談。私は指導するのが下手だ。ちゃんとほめて伸ばさないとならんのになあ。 とにかくいろいろ工夫。「こうしなければならない」というのはないのだ。


2013/01/02 (水)

うまく寝られないんではないかと思ったがコタツ寝で疲労していてよく寝られた。

今年のいろんな段取り考えようと思ったけど面倒だからやめた。 好きなことやってるうちになんかなるだろう。

Google Docsは便利だし楽しい。Wordとか使わないでぜんぶGoogleでいきたい。 フォントやスタイルまわりがもう少し洗練されるといいんだけどな。


2012/01/02 (月)

いつのものように研究室でだらだら。1年の計を考えたり忘れたり。


2011/01/02 (日)

11時間ぐらい寝てしまった。睡眠不足もだめだが寝過ぎもよくない。

またちょっとemacsの設定をいじったり。馬鹿だから。 もう.emacsは試行錯誤のコメントアウトだらけでぐちゃぐちゃでわけわからん。 でも整理しようなんて思わないこと。動きゃいいんだよ動きゃ。

いろいろ思うように進まず。ていうか無能すぎる。

サイトひっこしするので2、3日つながらないかも。

これが読めたら引越し終了。


2010/01/02 (土)

今日も天気がよい。これってもう春じゃね?とかそういう感じ。でもこれからまだまだ寒くなるんだよな。

昨日は反省の日だったので今日は残務処理の段取りを考える日。

午後少し作業。

twitter。twitterの場合は修正がきかないのがあんまりあとで読んでもおもしろい文章にならない理由だろう。あんまり意識してないけど、この日記は実はけっこう何度も表現を書きなおしてんだよな。前日ぐらいまではいじることがある。さすがに前々日あたりになるとあんまり触らないのだが。主としてあとで自分が読んでだいたいわかるように書いているわけだが、twitterはほんとに反射。

DVDで『ドリームガールズ』見る。ビヨンセだのダイアナロスだのって宣伝だったんで誤解していたが、実はよくできたミュージカルのブラックムービー。ビヨンセはまあどうでもいい役、演技や容姿にアクが足りないし歌も見劣りする。舞台も見てみたいなあ。


2009/01/02 (金)

今日も天候よろしからず。起きにくい。 まあ天気に気分が左右されるのは生物として当然だわね。

昼から大学。仕事しましょう。

認知精神療法についてちょっと考えたり。あれ、ぼんやりとした印象はもっていても、実はその内 容や含意についてあんまり真面目に考えたことなかったな。む、2ちゃんねるメンヘル板の 認知療法スレはかなり詳しい奴が潜伏してるな・・・

私も宿年の認知バイアス少しでも減らすよう努力すべきである。でもその結果手に入れる欲求とかってのはどんなもんなんかね。理想的にバイアス減らした認知ってのはどんな認知なんだろとか。パーソナリティーと認知バイアスはどういう関係なんだろうか。認知と欲求はどういう関係かとか。心理学者はどう考えてんのかね。哲学的(倫理学的?)につめている人も多いはずだが、有力なのはどこらへんかな。国内での権威はおそらく大野裕先生と下山晴彦先生だわね。大野先生の方は臨床にかたよりすぎというか哲学的な味がぜんぜんなさそうだな。

正月早々卒論相談2件。がんばれがんばれ。昼寝はしてません。

すこし知識をつけてから見直すと、駒沢大が154億損したって話と慶応大が225億評価損かかえてるって話はぜんぜん違う話なのね。1000億も動かしている慶應のはそれで全然OKだろう。っていうかそうでないとおかしい。気になる衣笠大学はどうしてるんだろう。

自己責任といえば自己責任なのだが、たしかになにもお金のことをきっちり習わずに生きてきたってのはおそろしいことだよなあ。特にこうして誰にも会わずに自分の好きな本読んでるだけという生活は危険すぎる。私はもう取りかえしつきそうもない。 やはりお金は不浄であり、そういうものには関心もたないほうがよいという印象から離れられない。平成バブルもITバブルも印象が悪すぎてなあ。

でもなんも金のことを知らんというのは無責任な生きかたでもあるわね。これはまあ、教育が悪かったという気もする。うちの学生さんたちにはそういう人生は歩ませたくないよな。『金持ち父さん』程度の本がベストセラーになったってのがなんともおそろしいことでもある。教育ってのはなにごともある程度の強制が必要なのかもなあ。 ゴルフでもしてオジさんたちから知恵をさずかるべきなのか。

"I'm puttin all my eggs in one basket, I'm betting everything I've got on myself."

なんだか最近急速にコンピュータ/ネット離れしているような気がする。

  1. コンピュータについてほとんど考えなくなった。フリーソフトとかも入れない。スクリプト書いたりもしない。~/.emacsもほとんどいじらない。MacPortも使わない。アップデートも面倒。もう現状で満足してる。(そういやOSは10.4.11でとまってる)。最後にemacsビルドしたのは9月3日らしい。
  2. 2ちゃんねるとかほとんど読まなくなった。ニュース速報+でさえ。先月ぐらいまでは株板や投資板で勉強してたけど、たいして話題がなくて飽きた。音楽系も見てないし、将棋板も見ない。
  3. ブログもほとんど読まなくなった。新しいのを発掘することはほとんどない。
  4. RSSリーダー使うようになって、アンテナも見なくなったような気がする。

もうほんとにおやじなんだな。そういや新しい言葉や言い回しも増えなくなった。


2008/01/02 (水)

今年も早寝早起きでいきたい。朝から研究室。今日は積極的無為を目指す。 あれ、年末片づけしたつもりだったのに、それ以前より散らかってるなあ。

快楽亭ブラック師匠はあちこちの温泉に行っていいなあ。お金ないはずなのにな。 私も今年は温泉めぐり行くかな。

メールはほぼgmailに移行してしまった。

いったん帰宅して昼寝。

もう一回だらだら。


2007/01/02 (火)

だらだら。

昼から大学。だららだ。

あら、フレーゲ・ギーチ問題も埋め込み文問題も『現代倫理学事典』には項目なし。

哲学者の文章のなかで、「霧箱の中に霧粒の列を見出して、「陽子が飛んでいる」と判断した」のような文章を見つけるといつも奇妙な感じがする。おそらく、(陽子の軌線の写真は見たことあるが)霧箱そのものがどんなものか見たことがなくてイメージがないからだな。

ネットで調べる前にとりあえず妄想してみる。それはどれくらいの大きさのものなのだろうか。あんまり大きいと研究室のテーブルに乗らないだろうから、30cm×30cmぐらいだろうか。もうちょっと大きいか。「箱」っていうくらいだからきっと立方体だろう。いや、奥行があまりない長方体かも。後に倒れたりするくらい薄かったり。

材質は。うーん、なんか前世紀初頭から使われているはずだし、金属だと素粒子通しにくいような気がする。だから基本は木材ではないだろうか。いややっぱり鉄かステンレスかアルミか。アルミは当時は高かったろうな。「霧箱を覗く」とかって表現を見たことがあるし、観察しなきゃならんだろうから窓がついているはずだ。その部分だけガラスが埋め込まれているのだろうか。調べる試料をとりつける部分があるはずだよな。

なんか記憶にある写真では軌線は横に飛んでたような気がする。だから箱の横には一部でっぱりがあって、そこに試料を入れるようになっているのはではないか。それとも箱のなかに入れる(内壁に取りつける)のだろうか。

問題は霧だ。アイロンがけに使う霧吹きの霧じゃすぐに落ちちゃうからだめだろう。どうやって手に入れるんだろうか。ヨーロッパの秋の朝、「おい、起きろ!やったぜ、今日は天気が悪い!霧が採集できるぞ!」とか。で皆総出で霧をつかまえに出る。つかまえた霧を箱に入れて上から蓋して実験開始。そんな荒っぽいことで大丈夫なのか。

まあふつうのより細かい霧吹き使うのだろうか。しばらく空中に浮いていることができるくらい細かい霧を出すのはたいへんそうだ。だいたいその霧は水なのだろうか。なんか「発泡スチロール」という言葉を思いうかべるが、なぜだろう。「発泡」がポイントなのか。わからん。

「霧粒の列」はどれくらいの太さなのだろうか。1mmぐらい?陽子のようなものがそんなに大きな変化をもたらすとは思えないよな。んじゃ、箱はもっと小さくて10cm×10cmぐらいで、霧粒の列の太さは0.01mmぐらい?目でぎりぎり見えるか見えないかぐらいか。また列は何秒ぐらい存在するのだろう。一瞬か1、2分は持つのか。一瞬だと写真に撮るのもたいへんだろうから(「おい、いま陽子が飛んだぞ、見ろ!」とかできそうにないな)、少なくとも数秒は続くんだろうか。

だいたい陽子と霧粒の列の関係がそもそもわからんし。陽子の電荷が霧の水分子の電子とかに微妙な影響を与えたりするのかな。なんか水の霧じゃないような気がしてきた。見えるのは陽子だけか?たしか違う。

「カミオカンデがニュートリノを検出した。ニュートリノが水を構成している原子(電子?)にぶつかってなんかの事情で発光したのを光電管で検出したのである。」(知らないけど)の方が例としてはるかにわかりやすいよな。

さて、十分妄想したので、どういうものかwikipediaさんにうかがってみるか。霧箱っと。うーん。とりあえず霧は水ではないし、霧が浮かんでいるわけではないことはわかった。霧箱って霧が入っている箱じゃなくて霧ができる箱なのね。そりゃそうだ。当然だな。まだ外観はわからず。んじゃgoogleさんおねがいします。おお、自分でも作れる。おどろいた。すばらしい!妄想とは全然違った。「箱」でさえない。当たったのは大きさぐらいか。ほう、高校の物理で実験するもののなのか。ウラン原石とかも実験用に売ってるのね。やっぱり高校教育は重要だ。なんか世界が少し明るくなったような気がする。

なんかメタ倫理勉強するためには人間関係相関図のようなのが必要な気がしてきた。意外にそういう側面が重要かもしれん。英米の感覚の違いもわからんし。そういうのは本国にいないとわからんよな。いてもわからんかもしれんが。たとえばHareが皆にほとんど無視されていること、HareがBlackburnをほとんど無視していることなど。ひょっとしてHare先生の対人的な問題が影を落としてないか?

最近のメタ倫理の文献読んでてイライラする理由の一番大きいのは、人間とか道徳生活とか自己とかそういうものに対する理解そのものがほとんどなにも増えないことだな。なんか新しく気づかされることがない。

70年代ぐらいまでに説明すべきことはすでにだいたいわかってて(価値と事実の違い、Is-ought gap、感じられる道徳判断の主観性、客観性、普遍性、合理性、強制力、道徳的不一致、道徳的感受性、理由、動機づけ、etc)、あとはどう説明するか、ってことだけ。それはもちろん重要なんだが。だいたいの学説は十分洗練されていて、それほど大きな対立もない。この学説とこの学説は実践的な含意がまったく違う、なんて組合せはどれほどあるか。

アモラリストの扱いが、洗練された実在論と洗練された表出主義でどれだけ違うか私にはあんまりよくわかってない。

道徳的不一致に関するスティーブンソンの議論が道徳学説の不一致に関するなんらかの議論にも使えるかもしれん。たとえば、道徳的議論が事実の認識については一致しなくても態度の一致によって終るのと同様に、メタ倫理学説の対立は、説明が大きく違っても規範的な議論に与える影響が同じなら気にされない、とか。

研究領域として死んでる、とか言いたくなる人も出てくるのではないか。『異議あり!メタ倫理学』とか。いや、調査中。なんかおもしろいところがあるんだろう。 やっぱりおおざっぱな捉え方しかできないと、議論の醍醐味を味わうことができないのだから。もうちょっと我慢してみよう。

イライラするもうひとつの理由は、おそらくウィリアムズやネーゲル、ノージックあたりま感じる「知識人」の匂いや文学臭さ(ウザいと思いながら魅力がある)が消えてるところかもしれない。余計な知識が増えないってことか。利用する題材や例文も陳腐すぎるというか想像力をかきたててくれない。BlackburnやRailtonなんかはまだましだが、SmithやTimmonsは耐えられない、とか。これは教育が違うんだろう。倫理学者に求められるものが変わったのかもしれない。

もうちょっと考える。もし倫理的判断の客観性(あるいは収束可能性)と規範性(動機づけ)のどちらを重視するか、といわれれば私は規範性の方がずっと重要だと答えたくなる。 私と誰かの倫理的判断がくいちがうことはやむをえないが、自分の下している倫理的判断に実際に従っていない人を見れば(「偽善者!」とか)攻撃したくなるものだ。逆に言えば、自分が本気で従うつもりのない規範を主張されるのはこまるということでもある。そしてこれがキルケゴールが一番主張していたことだし、キルケゴールによればソクラテスが最高の倫理家だった所以だ。

もちろん我々には意志の弱さやサルトルの自己欺瞞やキルケゴールの言う罪とかそういうのが常につきまとって実践は現実的には無理なわけだが、そういう自己理解ができるのも倫理的判断の規範性が重要だと思っているからであるからして。

実践的な問題を考えるには、倫理的判断が規範的であることと、普遍化可能性というか「同じものは同じに」「なんか違う判断するなら理由を提出せよ」程度の合理性(これは道徳性じゃなくて合理性の要求)のふたつがあれば私には十分に思える。功利主義へのつなぎはいらんし、基礎づけ主義もとる必要ない。これだけでもずいぶん遠くに行ける。この点でシンガーには同意。

合理的なファナティックが(現実にはほとんどいないが)、理論的には存在しうるかもしれないこと、完全に合理的なアモラリストが存在するかもしれないこと、現実には道徳的不一致はなかなか解消できないであろうことは正直ほとんど気にならない。

あれ、おかしいかな。実在論なり外在主義なりとるひとも、とりあえず規範性は認めているわけで、それになんとかして客観性を加えたいとしているわけだもんな。うーん、やっぱり難しい。わからん。

さて、明日からは ちゃんと仕事しよう。

はあ、歌舞伎ってけっこうおもしろいのだな。


2006/01/02 (月)

昼まで寝てしまう。午後遅くに研究室。リヒャルトシュトラウス(サロメと アリアドネ)聞きながら本を読む。

口角炎が。洗面所で見る顏がいかにも不潔な感じになって死にたくなる。

なるほど、PukiWikiはなかなかおもしろいな。ちょっと動かしてみたり。いままで読む立場でPukiWikiを見ると、(デフォルトの?)ページのデザインがごちゃごちゃしているし、一般に無意味なリンクが多すぎて好きじゃなかったのだが、自分用のメモ書きとかにはよいかもしれない。

メモとか研究室と家での同期が問題だったのだが、wikiならそういう問題がない。ただし、ブラウザを編集途中でうっかり閉じてしまったり、他のページにサーフィンしてしまったりすることがあるのが問題か。それを避けるにはローカルでエディタを使って書いてWikiに貼りつけるという形になるが、これは面倒。ブラウザに「このページは簡単には閉じない」っていうオプションがあるといいんだよな。

日記をこれで書く気にはなれないけど、来年の授業用のページはこれで作ってみることにしよう。ていうか、いわゆるホームページもこれで作りなおすかな。

XMLとかXHTMLとか、厳密に書かなきゃならないものは手で書くのはもう無理だろうから、こういうインタフェースが必要になるんだよな。HTML手書き派はもう縄文時代の人びとのような存在なのかもしれん。各種Wikiやhatenaの記法はシンプルでわかりやすいし、もう誰も手でHTMLタグを打ち込むことはないだろう。 正しいHTML文法はこうして技術によって獲得されるわけだ。

フランクルってえらく長生きしたんだな。一部のヘンな人びとに強烈な影響を与えていることがわかる。世俗的宗教だ。「ロゴセラピー」とか殺したくなる。ほとんどはなんの根拠もないたわごとだが、フランクルの文章にはたしかに魅力も感じてしまう。こういうものに魅力を感じるのを恥じるべきなのかどうか。

Virtual PCをインストールしようとしてわけわからないことになる。しまった。最近OS Xのわりと平和な世界に生きてたので、Microsoft製品に対する警戒を忘れていた。馬鹿馬鹿。これだけひどい目に会えば、「いかなる事情があっても、Microsoftは信用してはいけません」という原則を内面化していてもよいと思うのだが、そこまで行ってないのがダメだ。少なくとも私くらい経験を積んだユーザなら、実験用のシステムなりディスクなりを用意しておいて、そのソフトウェアがどの程度安全かをチェックするくらいの用心はしていてよいはずなのに。うう。

菅野聡美『〈変態〉の時代』。前半つまらないのでほうっていたが、後半は なかなかおもしろい。

酒を飲めない男はお茶を啜る。

pukiwiki-mode.elってのもあって、これを使えばほとんどローカルのファイルを書くのと同じ感覚でPukiWikiできる。ふむ。

PukiWikiをいじったり本を読んだりして明け方まで。


2005/01/02 (日)

駅伝って途中で棄権しにくい(実質的には棄権できない?)ところが不健康でイヤなスポーツだな。

「内面性」とかについて。自分に内面があると意識するには、外に見えない部分があると意識する必要があるんだろうな。内面性を持つためには「秘密」が必要?前にも書いたが、「祈る」ことと「内面性」の間には強い関係があるなあ。

アーノンクール/ウィーンフィル/グルベローヴァ/ジーグラー/ストラータスの『コシファントゥッテ』。歌演奏は文句なし。よく考えられた映像もすばらしくよい。それにしてもこんな馬鹿な話が音楽的最高傑作なんだもんなあ。それにモーツァルト独特の女嫌いってのは、どの演出でもキツいなあ。

ところでこういう文脈で「女嫌い」とか「ミソジニー」といった用語を使う方が、「女性蔑視」とするより政治的に正しいのかもしれないと思った。っていうかなんか英米圏での語法の変化が日本語の表記に影響してるかも。

モーツァルトとか、完璧な音楽職人だったんだろう。モーツァルトとかシュトラウスとか、ちゃんとした音楽ってのは別に作曲家の内面性とか実生活のドラマとかとまったく別の次元で創作されるもんなんだよな。ワーグナーみたいに台本も詩も曲も作ってしまう奴の方が例外的というか。ていうか芸術と人生がなんか関係があるっていう思いこみはどこから?


2004/01/02 (金)

小津『浮草』。これもよくできてる。別嬪さん大会ですごいし。「人間てなあ、恩を忘れたら文の値打もねえもんなんだぞ」がかっこいい。わはは。やっぱり人間はこうじゃなくちゃなあ。夜汽車で旅したいねえ。どうもこれは戦前のやつのリメイクらしいが、59〜60年ごろの小津はすごいねえ。

仕事しなくちゃ・・と言いつつ寝てしまう。

仕事していると某医者から誘われ、Pig & Whistleでちょっと飲む。しかし、なぜこの店はコーカソイド男&モンゴロイド女という組み合わせばかりなんだ。


2003/01/02 (木)

朝早くから活動しているつもり。(もしかしたら夜遅くに活動しているのかもしれない)

SCSIのMOドライブが必要になった。うーん、そんなんまだあるのかな。

PSGML modeをhtml-helper-modeのように使うには、XEmacsのパッケージから psgml-html.elをひっぱってくればよい。

今秋「こころ」国際会議。ふーん、たしかに最近「こころ」な人びとは あやしいよな。

朝から寝たり。 一応八坂神社ぐらいには参拝したり。半吉。どうもなにごともねばりづよくヤレ、 事は急ぐなってことらしい。てことは 今年もサエないのだろう。

夜活動。 KYOTO-INETについてもうちょっと調べると、Bフレッツには対応(2100/月)しているし 固定IPももらえる(1500円/月)し、汎用JPドメインもとれる(12000円/年)ようだが、 商用プロバイダとは30Mでしかつながってないのね。KYOTO ONEとも100Mだし。 あんまり価値ないかな。 うーん、いまだに出先での電話回線も確保しなきゃならんだろうし、やっぱり ASAHI-NETのままでいいのか、他も検討すべきか。

シティハーフマラソンに申し込む。今年は参加人数が多いのでOK。しかし 実はその日は重要な用事 があったのだ....。 まあとにかく2時間で走れるように鍛えねば。前回の淀川で大丈夫(1:55だっけ?)だったからと いって、 今回も走れるとはかぎらん。

「胸の携帯電話が」ってのは昔なつかしの西部劇のようで心あたたまる(か?)。

コタツで書き物はやはり足腰に悪いことを確認。


2002/01/02 (水)

どうも前日は酔っ払ったようで、膝をどこかに打ったのか痛い。それに、めったに履かないブリーフ(ベルギーでやむなく買ったやつ)なんかも履いてる。なにがあったんだ。

午後研究室へ。一応大学の隣の 新日吉(いまひえ)神社にも。

NHK FMでショスタコビッチの交響曲10番。グッと来る個所と、馬鹿げたほど通俗的な部分が交互に来る。なんていうかなあ。しかし、この人はほんとにもっと自由に書きたかったんだろうか? 根本では皆を馬鹿にしてたんじゃないかなあ。

学部のwebページもCVSで管理するように設定。ま、しかし、共有のページなんてのはあんまり更新されないものである。

寒い。

#!/usr/bin/perl

@days = (31, 28, 31, 30, 31, 30, 31, 31, 30, 31, 30, 31);

foreach $i (1..12) {
  foreach $j (1..  $days[$i-1]) {
    printf ("2002/%02d/%02d\n", $i, $j);

  }
}
#!/usr/local/bin/ruby
require 'date'
DAYNAMES = ["日","月","火","水","木","金","土"]
while foo = gets
  if  foo =~ /(\d\d\d\d)\/(\d\d)\/(\d\d)/
         year = $1.to_i
	 month = $2.to_i
	 day = $3.to_i
       if Date::exist?(year, month, day)
	 d = Date::new(year,month,day)
	 foo.sub! (/(\d\d\d\d)\/(\d\d)\/(\d\d)/){"#{$1}/#{$2}/#{$3} (#{DAYNAMES[d.wday]})"}
       end
  end
  puts foo
end
perl foo.pl | ruby bar.rb > out

どんくさ。もっと頭がいい方法がありそうだが、頭わるくて考える気力なし。そのうち習いたいもんだ。


2001/01/02

ジョギング。中毒ぎみ。

研究室用の小型スピーカーを買おうと寺町のタニヤマ無線へ。タンノイの マーキュリーM3だかなんだかが展示品処分で19800円なので購入、と金を払っ て梱包している段階で、「サランネットが1枚ないんですが...」とか言う。暴 れるべきかとも思ったが、やめた。しかしとにかく、店員の態度も気にいらん ので金を返してもらう。初買いにケチがつくのは縁起がよくない(?)からね。

まあ、オーディオなんてのは気分を買うものなので、ダメな店員のところ はダメだ。もうオーディオなんてどこの電気屋でもあつかってないし、店員も ダメということになれば、もうオーディオ関係は通販だな通販。

仕事しようと思って研究室に来たが、 どうにも部屋が片づかずに断念。明日から。


2000/01/02

夜、研究室へ。

時間が足りない。仕事やまづみのまま。なぜこんなに無能なのか自分であきれる。働いているつもりなんだけどねぇ。

深夜ふたたび研究室。いつか、心やすまる日は来るのだろうか?

あいまを見て、linuxマシンを1台ルーターとして復活させる。FreeBSD機はPCIスロットが2コしかないから....

この冬、家のオーディオ設備をアップグレードした結果、音楽の嗜好も変りつつある。スピーカーはJBLの4425 MkII (ストリングも鳴るようになってきた)、SANSUIのAU-D907Extra(古い!)。近日中にCDプレイヤーも中古で別のになる

ここ数年オケに代表されるクラシックものは嫌いだったんだけど、それなりに鳴る装置をもてばなかなか楽しい。ここ数年電化な音を好んでいたのは、そういうものならばチープな機材でも鳴ってたからなんだな。音楽ってのはつまりは音響である(あたりまえだが)。古いアナログレコードひっぱり出してきたりして。あ、カートリッジも替えなきゃ。金かかるな。(ま、車をもつと思えば....あ、ってのが悪いのか。)


1999/01/02

いやはや、寝た寝た。銭湯があいているので朝風呂。

/var/log/messagesを見ると、

Jan  1 09:58:34 cicero xntpd[90]: time reset (step) -0.995644 s

ふむ、うるう秒をちゃんと補正してくれたのかな。

某氏等と某氏宅を訪問、いろいろごちそうになる。どうやら世間は正月だったらしい。


1998/01/02

なにごともなし。

夜研究室に行ったついでに白川の天下一品に行くと、正面に古マンガ本屋ができていた。深夜までやっている。古道具も扱っているようで、大型の冷蔵庫が1万5千円ぐらいであった。欲しい。今使っている冷蔵庫は大学に入ったときに買ったやつで、自炊するようになった中年男にとっては小さすぎるし、パッキンなんかがぐしゃぐしゃになっちゃってるもん。考えておくことにしよう。


1997/01/02

あいかわらず部屋掃除。いつになったら終るのやら。

両親、妹、弟とご家族全員が上洛し、観光などしている。夕食をいっしょしただけ。