&aname(d19350902){九月初一};。[[秋霖]][[霏々]]。午後[[慵斎]]主人[[小山書店主人]]と共に来る。余が旧著[[すみだ川]]梓行の事につきてなり。~
[欄外朱書]旧八月四日

&aname(d19350902){九月初二};。雨降りては歇む。[[すみだ川]]改刻本の序を草す。晩間雨の晴れ間を窺ひ銀座に徃き[[竹葉亭]]に飰し、茶店[[きゆうぺる]]に小憩してかへる。今日[[二百十日]]にあたるといふ。

&aname(d19350903){九月初三};。雨は歇みしが空晴れず。[[溽暑]]甚し。[[蟋蟀]]昼の中より鳴きしきる。されど今年は[[法師蝉]]を聞くこと稀なり。午前中[[曝書]]。午後[[天保事〻録]]を読む。夕餉すまして後銀座散歩例のごとし。

&aname(d19350904){九月初四};。陰雲暗澹時〻雨あり。半日眠を貪る。旧[[木曜会]]諸氏明日[[小波]]先生墓参に赴くと云ふ。

&aname(d19350905){九月初五};。くもりて蒸暑し。[[晡下]][[三越百貨店]]内[[一誠堂]]古本展覧会を見る。帰途[[銀座食堂]]に飰す。

[[●]]&aname(d19350906){九月六日};。陰また晴。午後[[野田書房主人]]来談。燈刻芝口の[[芳中]]に飰す[[小松]]来る。
>当世風俗覚え書
>一 尾張町カッフェー[[タイガ]]出来はじめの頃二三年間酷暑の頃にても洋服上着を抜ぎシャツの腕をまくり上げて酒飲むもの甚稀なり。紙屑巻煙草吸い殻等を卓子の下に捨てるものも少かりき。昭和六七年[[満州戦争]]はじまりし頃より風俗一般に粗暴野卑となり男は街上にても暑き時は洋服上着を抜ぎて小脇にかかえ帽子をかぶらず。[[竹葉亭]][[銀座食堂]]など普通の飲食店に入りてもタバコの吸い殻を床に捨て空椅子を引寄せ泥靴のまま足を載せる者もあり。三四十歳までの男大抵は両手を振り上半身をゆり動かし方で風を切つて歩くなり。学生も制服のままやはり同じやうな歩きつきをなす。男三、四人連立ちて歩行するさまを見るに多くは互いに腰を抱き合ひまたは肩へ手をかけ合ひ大声に談笑す。街上または飲食店にて知人に出逢ふ時西洋風に握手する者多し。握手の仕方[[紐育]]陋巷の無頼漢のなす様に似たり。
>一 女子の風俗を見るに夏は洋服が涼しいといひて五六才より三十前後まで安洋服を着ざるものは殆どなし。四、五年前までは洋服にて下駄をはき物買ひに行く姿を見れば笑ふものありしが、今はこの奇風一般になりて怪しむものなし。十二三の少女は家にゐる時は海水浴用の短衣一枚にて両腕両腿を露出し道端の腰掛に馬乗りに腰をかくるも誰一人怪しむものなし。三十近き女房にて浴衣に[[兵児帯]]を後に垂らして締め八百屋などに買物に行くものまた珍しからず。~
[欄外朱書]女子[[衣紋]]をつくるため(襟の形後方より見たる形を云ふ)半襟と衣服との間に[[セルロイド]]製の物を挿入す恐らくは本年度夏より始しなるべし[[*>19350905へのコメント]]

&aname(d19350907){九月七日};。くもりて蒸暑し。この日亦[[曝書]]。

&aname(d19350908){九月八日};。(日曜日)陰晴定まらず[[溽暑]]甚し。夜に入るも風なし。半輪の月明かなれば[[築地本願寺裏河岸より余が旧居]]のあたりとおぼしき横町を歩む。されど何等の興味もなし。[[東京劇場]]また[[歌舞伎座]]の前を通りても昭和三年以来芝居を見たることなければこれ亦何の興味も感ぜしむる事なし。

&aname(d19350909){九月九日};。秋も&ruby(たけなわ){酣};になりて[[溽暑]]却て甚し。深夜に至るも涼風吹き出でず。蟲の声のみ徒に&ruby(おお){稠};し。

&aname(d19350910){九月十日};。雨風烈しく時〻雨あり。終日米国公使[[ハリス]]の[[日本駐箚日誌]]を読む。風雨晩晴。月あきらかなり。旧著[[すみだ川]]復刻の序を草して[[小山書店]]に郵送す。銀座カッフェー[[タイガ]]突然閉店。[[森永菓子店]]その後を買取りしといふ。

&aname(d19350911){九月十一日};。くもりて午後より雨降る。晩食の後神田淡路町[[酒井好古堂]]に赴き[[清親]]の[[東京名所絵]]を見る。

&aname(d19350912){九月十二日};。陰。腹痛下痢一、二回。終日[[ハリスの日誌]]をよむ。この夜[[中秋の佳節]]なれどもくもりて月なし。[[蛼]]の声夜ごとにせはしくなれり。

&aname(d19350913){九月十三日};。時〻[[細雨]]あり。午後[[小山書房主人]]来談。[[すみだ川]]復刻本に挿入すべき風景画及写真を渡す。燈刻[[銀座食堂]]に飰す。街上[[杉野]]氏に逢ふ。[[松島屋眼鏡店]]にて老眼鏡の修理をなさしむ。今まで遠視十度なりしを八度となす。故人[[神代]]君の遺児先頃よりこの眼鏡屋の店員になりて住込みたる由番頭のはなしなり。

[[●]]&aname(d19350914){九月十四日};。[[細雨]]ふりてはまた歇む。湿気甚し。八月末より青空を見ること無し。夜烏森の[[芳中]]に往きて夕餉を食す。[[三更]]地震あり。~
[朱書][[書估]][[小山久二郎]] 小石川諏訪町五十九番地

&aname(d19350915){九月十五日};。くもりて暗き日なり。[[晡日]]日本橋[[白木屋]]楼上古本展覧会に赴き尾張町[[竹葉亭]]に飰してかへる。銀座七丁目辺の歩道に陸軍〻人を優遇尊敬すべきことを筆太にかきたる大いなる紙を背と胸とにさげ頭にも同じやうなことを書きし紙を頭巾の如くに冠りたる男一人立ちたり。その形左の如し 紙上の文字冗漫にして記憶せず
〔ここに男の絵が挿入されている〕

&aname(d19350916){九月十六日};。陰。書窓暗澹たり。[[神兵隊陰謀事件]]の号外出づ。

&aname(d19350917){九月十七日};。また雨。いつ晴るるとも知れぬ空模様なり。午後[[小山書店主人]]来談。~
〔欄外朱書〕[[美濃部博士憲法問題]]一時落着

&aname(d19350918){九月十八日};。雨 [[晡時]]に至つて始めて歇む。

&aname(d19350919){九月十九日};。久振りにて日光に接す。再び秋[[蝉]]の鳴くを聴く。隣家の[[石榴]]その実鷄卵ほどの大きさとなれり。夜[[W生]]より電話あり。烏森の一[[旗亭]]にて小飲す。冷露肌に沁む。

&aname(d19350920){九月二十日};。空またもや曇りて暗し。[[生田葵山]]余が青年の頃の私行
を書きつゞりて[[文芸春秋]]の誌上に載す。余の事のみに止まらず[[小波]]先生猶独身の頃情婦と同棲せし事まで憚る處なく書出したり。[[葵山]]の身に取り[[小波]]先生は恩師なり。恩師の没後その遺族知名の士となれるにも係らず濫に其私行を&ruby(あば){訐};く。実に忘恩不義の悪人なり。余憤懣禁ず可らず電話にてこの事を[[巌谷三一]]君に報ず。且つ[[葵山]]とは既に交を断ちたる事を告ぐ。午後[[ケーベル]]先生の[[雑録和訳文]]を読む。夕餉の後銀座散歩。茶店[[久辺留]]に憩ふ。[[安藤]][[歌川]][[高橋]][[大和田]][[杉野]][[竹下]][[宮崎]][[万本]]の諸子に逢ふ。三原橋手前[[三十間堀地蔵尊]]近所の空地に遊泳の見世物あり。見に行くもの多しと言ふ。

&aname(d19350921){九月廿一日};。終日雨[[霏〻]]として歇まず。[[晡時]][[白木屋]]楼上古本展覧会を看る。[[銀座食堂]]に飰して後[[久辺留]]に立寄りてかへる。

&aname(d19350922){九月廿二日};。雨今日もまた降りしきりて&ruby(は){霽};るゝ望もなし。夕餉して後銀座裏茶店[[久辺留]]に赴き見るに[[安藤]][[歌川]][[万本]]の三氏在り。[[竹川町の花月]]この程金拾六萬円にて[[カフヱー銀座パレス]]主人[[榎本某]]の手に帰したりと云ふ。余曾て[[花月の主人]]より此の酒楼の歴史につきて聞きしことあり。[[花月]]先代の主人は幕臣にて、明治二三年頃竹川町現在の土地は[[紺屋]]の干場なりしかば、こゝに[[葭簀張り]]の[[掛茶屋]]をつくり、茶漬飯屋をはじめしに、諸藩の兵士采女が原其他に屯集しゐる頃なりしを以て、案外に繁昌し忽楼閣庭園を築造するに至りしなり([[明治五年京橋一円大火]]の後煉瓦地となりし頃の事なるべし)[[花月>花月楼]]は明治以後新橋花柳界の繁栄するにつれ多年都下第一の酒楼と称せられしが、大正四五年の頃とり借財次第に多くなり、先代の主人は隠居して鶴見花月園の別宅に引込み、養子[[権八郎]](洋画家[[岡田三郎助]]門人なり)を二代目の主人となしたり。されど商売兎角思はしからず数年前新橋[[五業]]組合より脱し日本料理を廃し牛肉すきやきを看板にして&ruby(わづか){纔};に[[花月>花月楼]]の名を存せしめしなり。昭和改元以来時勢の変遷に従ひ日々目のあたり世の無常を見ること挙げて数えがたし。当今の世は陰謀家と関西企業家等の暴威を振ふ時代なり。[[花月楼]]の閉店は主人が商法の善悪に起因するものには非ざるなり。~
&aname(d19350922){九月廿二日};。雨今日もまた降りしきりて&ruby(は){霽};るゝ望もなし。夕餉して後銀座裏茶店[[久辺留]]に赴き見るに[[安藤]][[歌川]][[万本]]の三氏在り。[[竹川町の花月]]この程金拾六萬円にて[[カフヱー銀座パレス]]主人[[榎本某]]の手に帰したりと云ふ。余曾て[[花月の主人]]より此の酒楼の歴史につきて聞きしことあり。[[花月]]先代の主人は幕臣にて、明治二三年頃竹川町現在の土地は[[紺屋]]の干場なりしかば、こゝに[[葭簀張り]]の[[掛茶屋]]をつくり、茶漬飯屋をはじめしに、諸藩の兵士采女が原其他に屯集しゐる頃なりしを以て、案外に繁昌し忽楼閣庭園を築造するに至りしなり([[明治五年京橋一円大火]]の後煉瓦地となりし頃の事なるべし)[[花月>花月楼]]は明治以後新橋花柳界の繁栄するにつれ多年都下第一の酒楼と称せられしが、大正四五年の頃とり借財次第に多くなり、先代の主人は隠居して[[鶴見花月園]]の別宅に引込み、養子[[権八郎]](洋画家[[岡田三郎助]]門人なり)を二代目の主人となしたり。されど商売兎角思はしからず数年前新橋[[五業]]組合より脱し日本料理を廃し牛肉すきやきを看板にして&ruby(わづか){纔};に[[花月>花月楼]]の名を存せしめしなり。昭和改元以来時勢の変遷に従ひ日々目のあたり世の無常を見ること挙げて数えがたし。当今の世は陰謀家と関西企業家等の暴威を振ふ時代なり。[[花月楼]]の閉店は主人が商法の善悪に起因するものには非ざるなり。~
[欄外朱書]俳優[[坂東秀調]]歿年五十六

&aname(d19350923){九月廿三日};。くもりて暗し。午前[[都新聞]]記者電話をかけ来り、[[市川左団次]]芸評談話筆記を同紙上に掲げたしと云ふ。談話筆記は余の最恐るゝ所なれば拒絶したり。終日[[ハリスの日誌]]を読む。燈刻尾張町の[[竹葉亭]]に到りて夕餉を食し茶店[[久辺留]]に立寄り、いつもの諸子と笑語し夜のふくるを知らず、店内設置のラヂオ大風雨襲来の警告をなせるを聞き、[[酒泉]]氏と共に俄に立つて帰途に就く。尾張町角にて偶然[[邦枝完二]]君に逢ふ。今朝[[生田葵山]][[邦枝]]君を其家に訪ひ頻に余が事を誹謗したりと云ふ。家に帰りて直に枕につきしが風雨未来らず。虫声[[唧々]]たり。

&aname(d19350924){九月廿四日};。(秋分)あさ[[まだき]]より雨烈しく降り出せしが幸に風なし。午後より西北の風吹起りしがあらしといふほどにもあらず、[[篠つく雨]]の中に日は暮れたり。雨一時&ruby(や){歇};みたれば銀座に徃かむとするに雷鳴りひびきて雨また[[車軸を流す]]が如し。遂に家にとどまる。[[三更]]に及び雨&ruby(や){歇};みしが雲低く物凄き空模様なり。

&aname(d19350925){九月廿五日};。南風吹出で暗雲散じて青空現る。[[溽暑]]俄に甚しく[[蝉]]また鳴く。昨日は[[華氏]]六十五六度の寒さなりしが今朝は八十度の暑さなり。寒暖の激変驚くべし。俚諺にあつさ寒さも彼岸までといふ事ありしが東京の気候年〻険悪となり今は古き諺もやくには立たぬやうになりぬ。諺のみならず学問道徳芸術をはじめ古人の言にして今の世に用をなすものは殆ど後を断つに至れり。時勢と人心との変化是不もなき次第なり。夜に至り空またくもりて[[驟雨]]来る。

&aname(d19350926){九月廿六日};。晴れて暑し。[[利根川氾濫]]。午後[[銀座伊東屋]]古洋書即売会に赴く。[[ペルリ]]の[[東航誌]]を購ふ(参拾八円)英文[[吉原遊郭志]]の巻末に箕輪[[浄閑寺]]墓地の写真及[[盛糸]]の[[新比翼塚]]の写真あるを見たり。[[銀座食堂]]に夕餉を食し[[久辺留]]に一茶してかへる。

[[●]]&aname(d19350927){九月廿七日};。陰。昨今両日大工[[岩瀬]]来りて門の柱の腐りたるを修繕す。午前[[ハリス]]の[[東亜日誌]]を読み終りぬ。京都[[山田一夫]]方へ某氏の情死論謄写摺草稾を返送す。~
[[The complete Journal of Townsend Harris]],introduction ando notes by Mario Emilio Cosenza,Ph.D.professor of Classical Languages,The College of the City of New York,Published by Doubleday,Doran and Company,inc.Garden City New York,1930.

&aname(d19350928){九月廿八日};。晴。気候順調となる。[[曝書]]。

&aname(d19350929){九月廿九日};。陰。午後牛込柳町[[野田書店主人]]来談。燈刻尾張町角[[竹葉亭]]に飰し茶店[[久辺留]]に立寄りて帰る。

&aname(d19350930){九月三十日};。晴又陰。午後[[日本評論社]]記者来りしが会はず。[[晡時]][[小山書店主人]]来談。
> [[曝書]]雑記
>[[天保]]六年[[為永春水]]作[[風月花情春告鳥]]巻九第十九章に云。&ruby(ちかごろ){近来};の流行ことばに&ruby(やきもち){嫉妬};をやくことを[[じんすけ]]といふことは遊郭の隠しことばなりしを、今は[[荒麻]]の風呂敷を背&ruby(おつ){負};て使にあるく&ruby(おたな){上出店};の小僧の&ruby(ことば){詞};となり、昨日山家を&ruby(いで){出};し猿の様なる丁稚が、前後も知らで[[堕荷]]を帰して&ruby(じんすけ){嫉妬};を揚てト、そゝり節に異変なる声にうたへば、実に正銘まじりなしの江戸ッ子が、流行おくれの[[じんすけ]]をいつまでいふべきことならんや。こゝにおゐて[[お熊]]が&ruby(じんすけ){嫉妬};といふことばを嫌ひて&ruby(あからさま){白地};にやきもちとはいふなり。最早[[じんすけ]][[おつこち]]の&ruby(きざ){気障};言葉をやめて、新らしき、東ッ子らしき真の通言をこそ好ましけれ。以来ハ[[じんすけ]]といふ詞を&ruby(つかふひと){遣人};をさして&ruby(きざ){気障};の&ruby(ほんだな){本店};と笑ふべし。此ことをしるす中にも彫刻の間に光陰うつりて予が筆もまた流行におくれんことをおそるゝのみ。[[天保]]六年の九月はじめつかた、はやこのことをそしりてしるす。

RIGHT:→[[昭和10年10月]]

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