断腸亭日乗

断膓亭日記巻之四大正九年歳次庚申
断膓亭日記巻之四大正九年歳次庚申~
   荷風年四十有二


[#地から3字上げ]荷風年四十有二

&aname(d19200101){正月元旦。};間適の余生暦日なきこと山中に在るが如し。午後[[鷲津牧師]]来訪。この日風なく近年稀なる好き正月なり。されど年賀に行くべき処なければ、自炊の夕餉を終りて直に寝に就く。

&aname(d19200102){正月二日。};快晴和暖昨日の如し。

&aname(d19200103){正月三日。};快晴。市中電車[[雑遝]]甚しく容易に乗るべからず。歩みて[[芝愛宕下]]西洋家具店に至る。[[麻布の家>偏奇館]]工事竣成の暁は西洋風に生活したき計画なればなり。日本風の夜具蒲団は朝夕出し入れの際手数多く、煩累に堪えず。

&aname(d19200106){正月六日。};[[春陽堂]]主人[[和田氏>和田篤太郎]]年賀に来る。夜[[唖々]]子と電車通の宮川に飲む。

&aname(d19200107){正月七日。};夜、微雨あり。[[アナトオル・フランス]]の [[L'Anneau d'Amethyste]] を読む。

&aname(d19200108){正月八日。};寒気&ruby(やや){稍};寛なり。大工[[銀次郎]]を伴ひ麻布[[普請場]]に徃く。

&aname(d19200109){正月九日。};晴天。全集第四巻の原稿を[[春陽堂]]に送る。この日より再び四谷の[[お房]]を召使ふことにす。

&aname(d19200110){正月十日。};晴天。[[アンノオ、ダメチスト]]を読む。篇中の主人公迷犬を書斎につれ来りて打興ずるあたり最面白し。七年前大久保の旧宅改築の際、一頭の牝犬、余が書斎の縁側に上り来りて追へども去らず、已むことを得ず[[玉]]と名づけて其儘飼置きし事など思起しぬ。それより家畜小鳥などにつきての追憶を書かばやと想ひを凝らす。

&aname(d19200111){正月十一日。};晴れてあたゝかなり。

&aname(d19200112){正月十二日。};曇天。午後[[野圃]]子来訪。夕餉の後忽然悪寒を覚え寝につく。目下流行の感冒に染みしなるべし。

&aname(d19200113){正月十三日。};体温四十度に昇る。

&aname(d19200114){正月十四日。};[[お房]]の姉[[おさく]]といへるもの、元櫓下の妓にて、今は四谷警察署長何某の世話になり、四谷にて[[妓家]]を営める由。泊りがけにて来り余の病を看護す。

&aname(d19200115){正月十五日。};[[大石君]]診察に来ること朝夕二回に及ぶ。

&aname(d19200116){正月十六日。};熱去らず。昏々として眠を貪る。

&aname(d19200117){正月十七日。};[[大石君]]来診。

&aname(d19200118){正月十八日。};渇を覚ること甚し。頻に黄橙を食ふ。

&aname(d19200119){正月十九日。};病床万一の事を慮りて遺書をしたゝむ。

&aname(d19200120){正月二十日。};病况依然たり。

&aname(d19200121){正月廿一日。};[[大石君]]又来診。最早気遣ふに及ばずといふ。

&aname(d19200122){正月廿二日。};悪熱次第に去る。目下流行の風邪に罹るもの多く死する由。余は不思議にもありてかひなき命を取り留めたり。

&aname(d19200125){正月廿五日。};[[母上]]余の病軽からざるを知り見舞に来らる。

&aname(d19200126){正月廿六日。};病床[[フロオベル]]の[[尺牘]]を読む。

&aname(d19200127){正月廿七日。};[[久米秀治]]来訪。

&aname(d19200128){正月廿八日。};褥中全集第四巻校正摺を見る。

&aname(d19200129){正月廿九日。};[[改造社]]原稿を催促する事頗急なり。

&aname(d19200130){正月三十日。};大工[[銀次郎]]来談。

&aname(d19200131){正月卅一日。};病後衰弱甚しく未起つ能はず。卻て書巻に親しむ。
[[青空文庫から]]
RIGHT:→[[大正9年2月]]

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