五月初四 {日曜/日} 哺下曳舟請地あたりの陋巷を歩す。日のくれてより半月あきらかなり。

 五月初五。晴。午後銀座教文館にて『アンクル・トムの家』を贖はむとせしがなし。土州橋より浅草に至り踊子と共に夕餉を中西に喫してかへる。

 五月初六。晴。貪眠半日。燈刻 {七時/過} 出でて銀座に飰す。数日来市中いづこの煙草屋にも巻煙草なし。或店にてきくに毎日配給あれど早朝一、二時間にて売切となるといふ。また日本酒の配給は一家族に一個月一合の割合なり。これは飲食店へ配給せし残りの酒なるべし。理研とやらにて化学的に調合せし酒なれば一種の臭気ありて口にしがたし。土方の飲む悪酒なりと言ふものもあり。

 五月十日。午後雨霽れて俄に暑し。夜浅草に飰してオペラ館楽屋を訪ふ。踊子大部屋に左の如き紙片落ちてあり。滑稽なればここに転写して笑いを後世に伝るよすがとなす。

 拝啓各位いよいよ御清祥のほど賀奉ります。さて時局の進展は益芸能文化によつて戦時国民生活を側衛[横に丸印]するの急なるを感じます。われらはここに時局認識をお互いに徹底し職域奉公の誠を効す[横に丸印]目的を以て今回文部省社会教育局長及聖戦遂行に日夜砕心せらるる陸海軍当局要路の方ゝより御講話拝聴の会を左記次第にて開催致す事と相成ましたから是非共御来聴下さるやう御通知申上げます。

 芸能文化聯盟会長

 伯爵 酒井忠正

 東京興行者協会技芸者各団体会員各位
 芸能翼賛公園会次第
 日時 四月九日水 {開場午前十一時半/開会午後零時半} 
 場所 日比谷公会堂
 挨拶 芸能文化聯盟会長 伯爵 酒井忠正
 講演 文部省社会教育局長   纐纈弥三殿
    陸軍大佐        馬淵逸雄殿
    海軍大佐        平出英夫殿
 映画 陸軍省特別提供日本陸軍の威容四巻
    海軍省特別提供空の少年兵四巻
 主催 芸能文化聯盟
 好演 文部省 情報局 大政翼賛会

 なほ御来場の節は御面倒ながら本状を御持参願ひます。

 [欄外朱書] 側衛トハ見馴レヌ語ナリ。何人ノ作リシモノニヤ。

 五月十一一日。 {日曜/日} 晴。蕉風颯ゝたり。夜銀座に飰す。頃日耳にしたる市中の風聞左の如し。
 一角力取の家にはいづこも精米無尽蔵なり。南京米など食ふものは一人もなし。精白米は軍人の贔屓客より貰ふなりといふ。
 一五月八日戦士兵士遺族九段招魂社に招待せられし時偕行社にて出したる料理は西洋食にて肉多かりし由。市中は八日の禁肉当日なるにここのみは酒池肉林の荘観を呈したり。また歌舞伎座へ遺族を招待せし時、食堂の掃除人折詰弁当の秋たる箱折また紙包の類をかき集め一時にこれを料理場のストーブに押込み燃せしに、煙突より火焔吹出でたり。付近の消防署にては火事と思ひポンプを急送する中、煙突の火焔は消え失せたり。市中の夕刊新聞この事を記載せんとせしに、招魂社招待の饗宴当日の事はその場所を問はず一切報道することを禁ずる由軍部より差止めになりたりといふ。
 一築地辺の待合料理店は引きつづき軍人のお客にて繁昌一方ならず。公然輸出入禁止品を使用するのみならず暴利を貪りて売るものもあり。待合のかみさんもこの頃は軍人の陋劣なるには呆れ返ってゐる由なり。
 一俳優尾上菊五郎その倅菊之助徴兵検査の際内ゝ贔屓筋をたより不合格になるやう力を尽せしかひありて一時は入営せしがその翌日除隊となりたり。菊五郎はもう大丈夫と見て取るや否や、倅の除隊を痛嘆し世間へ顔向が出来ぬと言ひて誠しやかに声を出して泣きしのみならず聯隊長の家に至り不忠の詫言をなしたり。聯隊長は何事も知らざれば菊五郎は役人に似ず誠忠なる男なりと、これもまた嘘か誠か知らねど男泣きに泣きしといふ。
 一大谷竹次郎の倅龍造とやらいふ者、これは父竹次郎その身分を利用し余り諸方へ倅不合格になるやうに頼み見廻りしため検査の時かへつて甲種合格となりとたりといふ。

 五月十二日。晴れまた陰。市中の煙草店煙草いよいよ不足となり。刻煙草も早朝売切となる由。但し軍部に関係ある者また新橋の花柳界は不自由することなしといふ。余が机上には両三年前買置きたるリッッチモンドの鑵も今は僅に一個を残すのみとなれり。先夜新橋より乗りたる円タクの運転手年は四十ばかりなるがガスリンも米も煙草も皆不足なれど女ばかりは不足せず、米や酒は節約せよとの命令なれど夜中の淫行は別に節約のお触れもなし。松の実かにんにくでも食つて女房と乳くり合ふより他に楽しみはなき世の中になりましたと語れり。

 五月念七。風邪癒えず。雨晴れず。
 五月雨と共になが引くやまひ哉
 長びひて血の出る咳漱やほととぎす
 苗売の見かへり行くや金魚売
 南北が蚊帳なき寝[異体字]床の行燈哉

 五月念八。病臥前日の如し。空もまた晴れそうな見込みもなし。

 五月念九。雨霽る。病半い[やまいだれに全]ゆ。薄暮芝口の牛肉屋今朝に至りて飰す。半年前に比すれば肉類野菜悉く粗悪となり価はかへつて一人前三円となれり。漬物殊にわるくなりたればその訳を問ふに今までは漬物だけこしらへるおばさんがゐましたがその人がよして代りがないからでせうと女中のはなしなり。

 五月三[異体字]一日。晴。表通の畳職人来り女中部屋畳替をなす。この日左の如き戯文を郵送し来れるものあり。その一節をしるす。

 慾簒会といふ化物
 この化物は時平公のやうな公卿の衣装に大太刀をつるし魯西亜風の橇に乗りて自由自在に空中を飛廻るなり。但し西洋人の目には見えず日本人の目にのみ見える化物なり。この化物は日本紀元二千六百年頃突然臼井峠の辺より現れ出で忽の中に日本中の米綿甘蔗バタ牛肉等を食尽し追ゝ人民百姓の血を吸ふに至れり。その惨害大江山酒顛童子の比に非ずといへども当分退治せらるる見込なしといふ。その吠る声コーアコーアと聞ゆることもありセイセンと響くこともあり一定せず。その中にまた何とか変るべしといふ。以下略[田が上につく字]之。



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