&aname(d19411005){十月初五};{日曜/日} 晴れて蒸暑し。気候の不順甚し。中秋の月を観むとて浅草に徃く。夕方六時過月は[[吾妻橋]]の真上にあり。公園に入るに日曜日の人出多く酔漢また少からず。仲店の敷石に嘔吐するものあり。二本ならでは見られぬことなるべし。[[オペラ館]]昼間より大入にて大入袋一円八拾銭の由踊子の語る所なり。

&aname(d19411006){十月初六。};陰。残暑再来る。晩間土州橋に至る。

>  [[慰問袋]]のはなし

>一老人のはなしに日露戦争のころまでは今日の如く戦地の軍隊へ各戸より慰問袋を送るが如き事なかりき。慰問袋といふ名称もなかりしなり。然るに今回の戦争も去年あたりより慰問袋の献上全く強請的となり、袋の中には物品のみならず各戸各人一通づゝ慰問状を差入れねばならぬ事とはなれり。女学校にては若き女生徒に慰問状をかゝせ住所姓名をも記入せしむる由。これにつき良家の父兄は娘の将来につき憂慮するもの尠からずと云ふ。未婚妙齢の女子その親の知らぬ間に出征の兵士と手紙の徃復写真の交換をなすものあり、又甚しきは戦地より帰還し除隊となりし兵士の中には慰問状の住処姓名をたより良家の女子を訪問し、銀座通りにて会合するものさへあるに至りたればなり。又待合の女中銘酒屋の女カフヱーの女給等は帰還後の兵士を客にせむとて、それとなく慰問状を利用して誘惑する者もありと云ふ。▼これは商売にかけて抜け目なきものと謂ふべし。[[*>摘々録断腸亭日乗から]]

&aname(d19411007){十月初七};。午後驟雨。

&aname(d19411018){十月十八日};。九段の祭礼なれば例年の如く雨ふり出して歇まず。この日内閣変わりて人心更に洶々たり。日米開戦の噂益盛んなり。

&aname(d19411019){十月十九日};。青空隈なく晴渡りて風もなし。昼飯食ひし皿小鉢も洗はずそのままにして家を出づ。足の向くまままたもや小石川の故里を歩む。[[牛天神]]より[[伝通院]]の境内に少憩し電車にて[[同心町]][[竹早町]]の通を[[大塚仲町]]に至る。[[法華寺]][[善心寺]]に[[栗本鋤雲]]の墓あることを思い出し寺の門を入る。この寺の僧盆栽を好むとおぼしく数年前来りし時には本堂の前に植木棚をつくり皐月躑躅花の鉢を数知れず並べたるを見しが、この度は菊の鉢を置きつらねたり。


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