&aname(d19190401){四月朔。};夜[[竹田屋]]の主人歌麻呂の春本寐乱髪といふものを持ち来る。

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&aname(d19190402){四月二日。};晩間[[松莚]]子細君を伴うて来り訪はる。銀座[[風月堂]]に至り晩餐の馳走に与かる。

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&aname(d19190403){四月三日。};花開いて風卻て寒し。歌舞伎座初日なり。[[松莚]]君の修善寺物語を看る。

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&aname(d19190404){四月四日。};夜寒からず。漫歩佃の渡し場に至り河口の夜景を観る。

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&aname(d19190405){四月五日。};西村渚山人来訪。その編輯する所の雑誌解放に寄稿を請はる。

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&aname(d19190406){四月六日。};日は高くして猶起出るに懶し。朝の中褥中に在りて読書す。感興年と共に衰へ、創作の意気今は全く消磨したり。読書の興も亦従つて倦みがちなり。新聞紙の記事によりて世間の事を推察するに、天下の人心日に日に兇悪となり富貴を羨み革命の乱を好むものゝ如し。余此際に当りて一身多病、何等のなす所もなく、唯先人の遺産を浪費し暖衣飽食空しく歳月を送るのみ。胸中時として甚安ぜざるところあり。然れどもこゝに幕末乱世の際、江戸の浮世絵師戯作者輩のなせし所を見るに、彼等は[[兵馬倥傯]]の際といへども平然として泰平の世に在るが如く、或は滑稽諷刺の戯作を試みる者あり。或は滛猥の図画を制作する者あり。其の態度今日より之を見れば頗驚歎に値すべきものあり。[[狂斎]]の諷刺画、[[芳幾]]の春画、[[魯文]]の著作、[[黙阿弥]]の狂言の如き能く之を証して余りあり。余は何が故に徒に憂悶するや。須く江戸戯作者の顰に傚ふ可きなり。

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&aname(d19190407){四月七日。};春宵漸く漫歩によし。八丁堀の講釈塲を過るに[[典山]][[英昌]]等の看板を見る。木戸銭を払うて入る。偶然[[吉井勇]]君の在るに逢ふ。奇遇と謂ふ可し。此夕典山得意の小夜衣草紙をよむ。

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&aname(d19190408){四月八日。};いつもの如く早朝三味線の撥ふところにして梅吉方へけいこに徃く。道すがら電車通にて一人の躄悠然として竹杖にて其の乗りたる車を押行くを見る。恰も小舟に棹さすが如し。近年街上にてかくの如き乞食を見ること稀なれば、わけもなく物珍しき心地したり。後に心づけは此の日は灌仏にて乞食多く本願寺門前に集り来る時なり。

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&aname(d19190409){四月九日。};[[堀口大学]]ブラヂル国より[[シヤールゲラン]]の詩集 L'Homme Interieur 一巻を贈来らる。多謝々々。午後市村座に赴き[[梅吉]]等清元連中出語の保名を聞く。踊は菊五郎なり。

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&aname(d19190410){四月十日。};[[あめりか物語]]印刷校正に忙殺せらる。

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&aname(d19190412){四月十二日。};夜[[清元梅吉]]細君を伴ひて訪来る。

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&aname(d19190413){四月十三日。};午後[[坂井清]]君来談。夜夕餉をなさむとて銀座通に出でゝ見るに、花見帰りの男女雑遝せり。

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&aname(d19190414){四月十四日。};冨士見町に飲み賤妓を携へて九段社頭の夜桜を観る。

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&aname(d19190415){四月十五日。};[[黒田湖山]]濃州養老に在り。句を寄せて曰く、啼く鳥をのぞく木の間やおそさくら。

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&aname(d19190417){四月十七日。};午後散策。日䕃町通を過ぎて芝公園を歩む。桜花落尽して満山の新緑滴るが如し。帰途歌舞伎座木戸前を過るに、花暖簾の色も褪せ路傍に植付し桜も若芽となれり。都門の春は既に尽きぬ。

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&aname(d19190418){四月十八日。};歯痛。[[久米秀治]]来談。

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&aname(d19190419){四月十九日。};八丁堀を歩みて夜肆を見る。この辺建具屋簾屋など多し。小夜ふけし裏町に簾を編む機杼の響のいそがしく聞ゆるさま、春去りて夏ちかくなりたる心地更に深く、山の手の屋敷町にては味ひがきき[#「味ひがきき」はママ]趣なり。狂歌一首吟じて見たしと、薄暗き河岸通を歩みつゞけしが遂に成らずして止む。狂歌と浄瑠璃の述作ほどむづかしきものはなし。

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&aname(d19190420){四月二十日。};好く晴れたる日曜日なり。午前謡曲大全をよむ。

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&aname(d19190421){四月廿一日。};風冷なり。

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&aname(d19190422){四月廿二日。};朝まだき新冨町の雛妓三四人押掛け来り、[[電話]]にて汁粉を命じ食ひ且つ唄ふ。雛妓等先頃より余が寓居をよき遊び場所となし、折々稽古本抱えて闖入し来り、余の睡を驚すなり。櫓下車宿和田屋の曳子は余が寓居をば遊藝師匠の住居と思ひゐるとのことなり。午近く空俄にかきくもりて風雨襲来る。半時ばかりにして晴る。夕刻[[梅吉]]夫婦妓[[八郎]]等と銀座[[風月堂]]に晩餐をなす。

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&aname(d19190423){四月廿三日。};[[市川猿之助]][[布哇]]より書を寄す。同地の邦字新聞に余が築地移居の事文藝風聞録に記載せられたりとて、其の記事を切抜き封入したり。

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&aname(d19190424){四月廿四日。};某新聞の記者某なる者、先日来屡来りて、笠森阿仙建碑の事を説き、碑文を草せよといふ。本年六月は浮世絵師[[鈴木春信]]百五十年忌に当るを以て、谷中の某寺に碑を立て法会を行ひたしとの事なれど、徒に世の耳目をひくが如き事は余の好まざる所なれば、碑文の撰は辞して応ぜず。

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&aname(d19190427){四月廿七日。};[[清元梅吉]]新に清元香風会なるものをつくり、此の夕代地河岸の旗亭稲垣にて披露の初会を開く。

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&aname(d19190428){四月廿八日。};路地を出でたる表通蕎麦屋の軒に[[藤]]の花今を盛りとさき匂ひたり。余旧廬を去りてより花を見ること稀なれば、徃き来の折々覚えず歩を停めて打眺るなり。

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&aname(d19190429){四月廿九日。};有楽座に常磐津文字兵衛のさらひあり。適[[平岡]][[松山]]の二画伯に会ふ。


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