&aname(d19191101){十一月朔。};赤坂氷川町の売家を見る。其の途次[[氷川神社]]の境内を過ぐ。喬木欝蒼たること芝山内また上野などにまさりたり。市中今尚かくの如き幽邃の地を存するは意外の喜びなり。夕刻家に帰るに[[慈君]]の書信あり。去年の此頃は人をも世をも恨みつくして、先人の旧居を去り寧溝壑に填せむことを希ひしに、いつとはなく徃時のなつかしく思返さるゝ折から、慈君のたよりを得て感動する事浅からず。返書をしたゝめ秋雨街頭のポストに投ず。終夜雨声淋鈴たり。

&aname(d19191102){十一月二日。};夕刻人形町通にて図らず牛込の妓[[菊五郎]]に逢ふ。近頃葭町に住替へしたりといふ。夜木曜会々員[[後藤春樹]]氏来り、某地方の新聞紙へ掲載すべき小説の草稾を需めて已まず。

&aname(d19191103){十一月三日。};[[下谷七軒町女学校]]の運動会を観る。 [[*>19191103へのコメント]]

&aname(d19191104){十一月五日。};曇りて蒸暑し。午後麻布辺散歩。[[帝国劇塲]]に立寄る。是夜初酉なり。

&aname(d19191101){十一月朔。};赤坂氷川町の売家を見る。其の途次氷川神社の境内を過ぐ。喬木欝蒼たること芝山内また上野などにまさりたり。市中今尚かくの如き幽邃の地を存するは意外の喜びなり。夕刻家に帰るに[[慈]]君の書信あり。去年の此頃は人をも世をも恨みつくして、先人の旧居を去り寧溝壑に填せむことを希ひしに、いつとはなく徃時のなつかしく思返さるゝ折から、慈君のたよりを得て感動する事浅からず。返書をしたゝめ秋雨街頭のポストに投ず。終夜雨声淋鈴たり。

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&aname(d19191102){十一月二日。};夕刻人形町通にて図らず牛込の妓菊五郎に逢ふ。近頃葭町に住替へしたりといふ。夜木曜会々員後藤春樹氏来り、某地方の新聞紙へ掲載すべき小説の草稾を需めて已まず。

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&aname(d19191103){十一月三日。};下谷七軒町女学校の運動会を観る。

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&aname(d19191104){十一月五日。};曇りて蒸暑し。午後麻布辺散歩。帝国劇塲に立寄る。是夜初酉なり。

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&aname(d19191106){十一月六日。};十三夜なりといふ。

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&aname(d19191108){十一月八日。};麻布市兵衛町に貸地ありと聞き赴き見る。帰途我善坊に出づ。此のあたりの地勢高低常なく、岨崖の眺望恰も初冬の暮靄に包まれ意外なる佳景を示したり。西の久保八幡祠前に出でし時満月の昇るを見る。帰宅後[[ノワイユ夫人]]の小説「|新しき望み《ヌーベル ヱスペランス》」といふものを読む。

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&aname(d19191109){十一月九日。};[[春陽堂]]先日来頻に新著の出版を請ふ。されど築地移居の後筆硯に親しまず。幸にして浮世絵に関する旧稾あるを思出し、取りまとめて[[江戸藝術論]]と題し、之を与ふ。午後四谷に徃き、曾て家に召使ひたる[[お房]]を訪ふ。

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&aname(d19191110){十一月十日。};正午に近き頃[[母上]]来り訪はる。路地の陋屋一碗の粗茶をすゝむる事さへ難ければ、[[風月堂]]に案内して昼餐を倶にす。

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&aname(d19191111){十一月十一日。};雨ふる。[[母上]]の許に昨日約束せし[[精養軒]]の食麺麭を送届けたり。

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&aname(d19191112){十一月十二日。};重て麻布市兵衛町の貸地を検察す。帰途[[氷川神社]]の境内を歩む。岨崖の黄葉到処に好し。日暮風漸く寒し。

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&aname(d19191113){十一月十三日。};市兵衛町崖上の地所を借る事に决す。建物会社々員[[永井喜平]]を招ぎ、其手続万事を依頼せり。来春を俟ち一廬を結びて隠棲せんと欲す。夜[[木曜会]]運座に徃く。

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&aname(d19191114){十一月十四日。};去年の日記を見るに大久保宅地売払の約束をなせしは十一月十三日なり。今年同月同日に地所借受の証書を交替す。不思議といふべし。夕刻[[唖々]]子来る。

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&aname(d19191115){十一月十五日。};[[威三郎]]不在と聞き、西大久保に赴き慈顔を拝す。[[鷲津牧師]]も亦来る。始て一家団欒の楽を得たり。

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&aname(d19191117){十一月十七日。};曇りて暖なり。[[ノアイユ夫人]]の小説「|玉の顔《ビザージュ、ヱメルベイヱー》」を通読す。此の閨秀詩人の詩篇は先年愛誦して措かざりしもの。今日其小説一二巻を取りて読むに詩に及ばざること遠し。

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&aname(d19191118){十一月十八日。};雨。街路沼の如く歩むべからず。[[王次回]]の律詩中に秋霖纔過市成渠。泥履声中掩戸居。といへるがあり。盖実景なり。

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&aname(d19191119){十一月十九日。};暖風再び雨。

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&aname(d19191120){十一月二十日。};晴。有楽座にて[[細川風谷]]追悼会開かる。[[葵山]]子に逢ふ。

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&aname(d19191121){十一月廿一日。};寒雨終日止まず。夕刻食事をなさむとて尾張町を過ぐ。偶然[[大彦老人]]に逢ふ。健勝旧の如し。

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&aname(d19191122){十一月廿二日。};[[竹田屋]]来談。

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&aname(d19191123){十一月廿三日。};銀座義昌堂にて[[支那水仙]]を購ひ、午後[[母上]]を訪ふ。庭前の[[楓葉]]錦の如し。母上居室の床の間に剥製になせし白き猫を見る。是母上の年久しく飼ひたまひし駒とよぶ牡猫なること、耳のほとりの黒き斑にて、問はねど明かなり。八年前妓[[八重次]]わが書斎に出入りせし頃、津ノ守阪髪結の家より児猫を貰来りしを、母上駒と名づけて愛で育てられけり。爾来家に鼠なく、駒はよく其務を尽して恩に報ひたりしに、妓は去つて還らず、徒に人をして人情の軽薄畜生よりも甚しき事を知らしめたるのみ。此夜母上駒の老衰して死なむとする時のさまを委しく語りたまひぬ。[[ピヱールロチ]]が「|死と悲しみの巻《リーブルドラピチヱー》」に老猫の死するさまを写せし一篇も思合されて、悲しみ更に深し。

&aname(d19191123){十一月廿三日。};銀座義昌堂にて支那水仙を購ひ、午後[[母上]]を訪ふ。庭前の[[楓葉]]錦の如し。母上居室の床の間に剥製になせし白き猫を見る。是母上の年久しく飼ひたまひし駒とよぶ牡猫なること、耳のほとりの黒き斑にて、問はねど明かなり。八年前妓[[八重次]]わが書斎に出入りせし頃、津ノ守阪髪結の家より児猫を貰来りしを、母上駒と名づけて愛で育てられけり。爾来家に鼠なく、駒はよく其務を尽して恩に報ひたりしに、妓は去つて還らず、徒に人をして人情の軽薄畜生よりも甚しき事を知らしめたるのみ。此夜母上駒の老衰して死なむとする時のさまを委しく語りたまひぬ。[[ピヱールロチ]]が「|死と悲しみの巻《リーブルドラピチヱー》」に老猫の死するさまを写せし一篇も思合されて、悲しみ更に深し。
&aname(d19191124){十一月廿四日。};寒雨夜に入りて[[纔]]に歇む。[[三田文学]]茶話会に赴き[[水上瀧太郎]]君に逢ふ。帰途[[久米]]氏と[[平岡]]画伯の病を問ふ。[[猿之助]][[小夜子]]来る。

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&aname(d19191124){十一月廿四日。};寒雨夜に入りて纔に歇む。[[三田文学]]茶話会に赴き[[水上瀧太郎]]君に逢ふ。帰途[[久米]]氏と[[平岡]]画伯の病を問ふ。[[猿之助]][[小夜子]]来る。

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&aname(d19191125){十一月廿五日。};北風吹きすさみて俄に寒くなりぬ。

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&aname(d19191126){十一月廿六日。};[[松莚子]]に招がれて[[東仲通の末広]]に飲む。[[河原崎権十郎]]、[[川尻清潭]]、[[瀬戸英一]]の三子亦来る。帰途[[清潭]]子に誘はれて信楽新道の東家といふ待合に至りて更に飲む。[[川崎屋]]座談に巧みにて、先年吉原萬華楼に登りし時、深夜廊下にて嫖客に斬られたる娼妓を見、厠に逃込みしことを語る。[[清潭]]子も亦舩長と怪猫との話をなし、一座の妓を戦慄せしめ手を拍つて喜ぶ。夜半を過ぎて家に帰る。

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&aname(d19191127){十一月廿七日。};晴れて暖なり。正午[[中洲病院]]に徃く。[[宿痾]]大によしといふ。夜[[木曜会]]に徃く。新月海上に泛びたる高輪の夜景、徃昔の名所絵に似たり。

&aname(d19191127){十一月廿七日。};晴れて暖なり。正午[[中洲病院]]に徃く。宿痾大によしといふ。夜[[木曜会]]に徃く。新月海上に泛びたる高輪の夜景、徃昔の名所絵に似たり。

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&aname(d19191128){十一月廿八日。};寒雨歇まず。燈下[[臙脂]]を煮て原稾用罫紙を摺る。

[[*>青空文庫から]]
RIGHT:→[[大正8年12月]]


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