&aname(d19220201){二月一日。};暴に暖なり。風邪全く痊ゆ。夕刻風月堂に至るに清元栄寿梅吉等芝居出勤の途次なりとて来るに逢ふ。帰宅後入浴。執筆夜分に至る。

&aname(d19220202){二月二日。};木曜会。帰途雪を憂ひしが雨となれり。

&aname(d19220203){二月三日。};雨ふる。夜芳町の妓家に飲む。[[唖々]]子来り会す。銀座清新軒に至りて更に一酌し陶然として家に帰る。[[八重次]]の手紙あり。感冒久しく癒えず。昨夜俄に血を吐くこと二回に及び、長谷川病院に入り、生命あやうしといふ。愕然酒醒め終夜眠ること能はず。

&aname(d19220204){二月四日。};雨歇む。午後草花一鉢を携へ、長谷川病院に[[八重次]]を訪ふ。受附のもの面会謝絶の札貼りてありといふ。余は人目を憚り[[唖々]]子の名を借りて刺を通づるに、病室幸にして見舞の人なき由。漸くにして逢ふことを得たり。前日の手紙は精神昂奮のあまりに識せしものなるべし。重患なれど養生すれば恢復の望なきにはあらざるべし。

&aname(d19220205){二月五日。};立春を過ぎてより日の光俄にうるはしくなりぬ。晩風蕭条。寒気はむしろ厳冬に増るほどなれど、夕照暮靄共に春ならではと思はれたり。先年竹田書房に雇はれゐたる中村某来たり、昨冬深川富ケ岡門前に辰巳屋といふ店を開きたりとて、包みをひらき番附錦絵等を示す。二、三品を購う。


&aname(d19220206){二月六日。};南佐柄町弥生の内儀来りて勧むるがまゝ再び今川小路の病院に八重次の病を訪ふ。院長長谷川氏と神田の[[風月堂]]に至り昼餐を食す。晡下竹田屋来る。此日晴れて暖なり。



&aname(d19220207){二月七日。};晴れて暖なり。大石君を訪ひ診察を乞ふ。白木屋五階目の洋書肆にて一二巻を買ひ、帰途清新軒に憩ひ、不願醒客を招ぎて飲む。

&aname(d19220208){二月八日。};小説『[[雪解]]』前半の草稾を『[[明星]]』に寄送す。風雨屋上の残雪を洗ふ。

&aname(d19220209){二月九日。};[[市川段四郎]]去る六日の夜享年六十八歳を以て歿す。この日浅草千束町宅にて告別式を行ふ。立春以来天気日〻暖にして頭痛を催すほどなり。吊問の帰途浅草公園を歩み吾妻橋より船に乗り永代橋に至る。隅田川も両岸の景旧観を存する処稀にして、今は唯工場の間を流るる溝渠に過ぎず。風月堂にて夕餉をなし[[楽天居]]句会に赴く。

&aname(d19220210){二月十日。};残雪跡なく雨後の春草萋々たり。夜月明なり。風月堂にて晩食を喫し、築地旧居のあたりを歩む。目下執筆の小説『雪解』の叙景に必要の事ありたればなり。

&aname(d19220211){二月十一日。};春日麗朗たり。夜風雨雷鳴。

&aname(d19220212){二月十二日。};風暖にして頭痛岑〻然たり。筆意の如くならず。午後丸の内を歩む。帰宅の後執筆夜半に至る。

&aname(d19220213){二月十三日。};銀座一丁目郵船会社出張所に行き渡欧の賃銭その他の事を問ひ、帰途[[有楽座]]開演中の名人会を聴く。余本年は再び巴里に遊びたき考なれど、終生かの地に居住するわけにも行くまじ。帰り来りし後の寂寞不平を思ふ時はむしろこのまま陋巷に老い朽つるに若かざるべし。感慨万種。遂に決意すること能はず。



&aname(d19220214){二月十四日};短篇小説雪解の稾を脱す。七草会末広に開かるゝ由通知ありしが徃かず。此日も温暖四月の如し。[[梅]]花開く。



&aname(d19220215){二月十五日。};雨。フランシス、ヂヤムの小説を読む。



&aname(d19220216){二月十六日。};前夜より引続きて雨歇む時なし。窓前の老梅去年虫多くつき葉早く黄ばみて落ちたれば、枯れしものと思ひゐたりしに、この日雨中の庭を眺る折からふと其の枝を見るに蕾をつけたり。


&aname(d19220217){二月十七日。};昨夜風雨甚しかりしが暁に至りて歇みぬ。午後西北の風邪起り家屋動揺す。晩飯を喫せむとて町に出るに電柱の倒れたる処もあり。近県山くづれあり。鉄道線路の破壊等被害尠からずと云。


&aname(d19220218){二月十八日。};微恙あり。終日[[臥牀]]に在り。


&aname(d19220219){二月十九日。};心気爽快ならず。ジユール、ロマンの詩集 La Vie Unanime を読む。


&aname(d19220220){二月二十日。};微恙あり。&ruby(みずか){躬};ら麺麭を切り珈琲を煮る事の煩はしければ、衣を厚くして銀座に徃き食事をなす。帰途日比谷公園を歩みて樹下に憩ふ。偶然代地の僑居にて世話したりし女に逢ひ、山城川岸の待合に徃きて飲む。夜幸田先生約紅楼夢を繙きて眠る。


&aname(d19220221){二月廿一日。};清元会。


&aname(d19220222){二月廿二日。};微恙あり。薬を服して臥す。


&aname(d19220223){二月廿三日。};悪寒稍去りたれば食事に出づ。普通選挙示威運動にて虎の門日比谷の辺雑沓甚し。夜に入り暴動起るべしと流言頻なり。数寄屋橋山形氏の許に至り病歯を抜き去る。此歯中学生の頃より時々痛みて腫上りし故、爾来三十年物食ふ時は左側の歯のみにて咀嚼しゐたりしなり。此日風邪の気味久しく去らず。心気鬱々何事もなすこと能はざれば、かゝる折にと思出して、積年の病歯を抜きしなり。帰宅の後も出血歇まずして不快甚し。


&aname(d19220224){二月廿四日。};暴暖五月の如し。[[瑞香]]の花忽開く。深更風雨。


&aname(d19220225){二月廿五日。};過日小山内君より松竹社女優養成所教授の事をたのまれゐたれば、今日は是非にも徃きたき心なりしが風邪未痊えず、遂に已む。晩餐を銀座に食し、晩翠軒にて隷書千文字を購ふ。この日暴暖華氏七十度に達す。日本の気候年々不順になり行くは如何なる故か。何となく天変地妖の起るべき前兆なるが如き心地す。


&aname(d19220226){二月廿六日。};松莚子に誘はれ帝国劇場に徃き、中村福助の新舞踏劇を観る。生ぬるき湯に入りたるが如き心持ちなり。猿之助の通小町を始め本年はこの種の興行続出することなるべし。帰途細雨[[霏ゝ]]たり。

&aname(d19220227){二月廿七日。};夜来の雨いつか雪となる。日暮るゝも歇まず。


&aname(d19220217){二月廿八日。};曇りてさむし。



RIGHT:→[[大正11年3月]]


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