「震災直後に出来た日本食堂、一階は食料品店、二階が食堂。昼の定食(一円五十銭)がうまい。」『荷風と東京』。p.329、白木正光編『大東京うまいもの食べある記』(丸ノ内社、昭和8年)からの引用。 「大正十年創業の銀座食堂は、なかなか有名な食堂であった。この主人奥清房は、明治四十五年から大正七年まで星岡茶寮の料理長をつとめ、「天皇の料理番」だった秋山徳蔵宮内省厨司長とも友人だったという。銀座食堂開業にあたり、まっさきにテーブル席を採用(この店は時期尚早で失敗だったらしい)。ウィンドーにいけすを活用したり、全国の珍味を販売もするなど、食堂経営者としても、新機軸をつぎつぎと出した。(後略)」『荷風好日』p.179。 |