荷風が長く使っていたお手伝い。

事情は大正8年5月30日の記事。「昨朝八時多年召使ひたる老婆しん病死せし旨その家より知らせあり。この老婆武州柴又辺の農家に生れたる由。余が家小石川に在りし頃出入の按摩久斎といふものゝ妻なりしが、幾ばくもなく夫に死別れ、諸処へ奉公に出で、僅なる給金にて姑と子供一人とを養ひゐたる心掛け大に感ずべきものなり。明治二十八九年頃余が家一番町に移りし時より来りてはたらきぬ。爾来二十余年の星霜を経たり。去年の冬大久保の家を売払ひし折、余は其の請ふがまゝに暇をつかはすつもりの処、代るものなかりし為築地路地裏の家まで召連れ来りしが、去月の半頃眼を病みたれば一時暇をやりて養生させたり。其後今日まで一度びも消息なき故不思議の事と思ひゐたりしに、突然悲報に接したり。年は六十を越えたれど平生丈夫なれば余が最期を見届け逆縁ながら一片の回向をなし呉るゝものは此の老婆ならむかなど、日頃窃に思ひゐたりしに人の寿命ほど測りがたきはなし。」


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Last-modified: 2015-01-02 (金) 19:12:37 (1569d)