「彼女は陸軍のエリート将校本間雅春(後陸軍中将、太平洋戦争中のバターン死の行進の責任者として戦後処刑された)と結婚したが、派手な生活のため夫と反りが会わず、離婚してからは自由奔放な生活を送った女性で、有島生馬の指導を受け洋画を学ぶ一方、清元梅吉の弟子になったかと思うと、銀座のカフェーの女給になったこともある。」『「断腸亭」の経済学』p.95 「荷風と別れてから舞台美術家の伊藤熹朔と結婚したが、数年後離婚、昭和十年にはPCL女優として成瀬巳喜男監督の下で製作された「妻よ薔薇のように」の主演女優として活躍、戦後の昭和四十九年睡眠薬自殺。」 『「断腸亭」の経済学』p.98 「妻よ薔薇のように」 http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=131463 |